反戦な家づくり
木の家をつくる建築家。国産材と自然素材で平和な家を作ります。戦争と放射能は人間と共存できません。地上から無くすためにはどうしたらいいのか、毎日考えています。
カホフカ・ダムを破壊したのは誰か
These SkySat images capture water spilling over the Nova Kakhovka dam in southern Ukraine. The dam cuts through Ukraine’s Dnipro River, holding back a huge reservoir of water. The dam’s failure poses a humanitarian and ecological catastrophe.
— Planet (@planet) June 6, 2023
📸 (1): 6/4/2023
📸 (2): 6/6/2023 pic.twitter.com/G9m4F8r93b
New #satellite images (November 11, 2022, 10:25am local time) show significant damage to the Nova Kakhovka dam, near #Kherson, #Ukraine, with sections of the dam and sluice gates destroyed. https://t.co/msSBBI6h7h pic.twitter.com/yYkXOM1SIf
— Maxar Technologies (@Maxar) November 11, 2022
政党は急成長できるのか 大阪5区のことなど
今国会での衆議院解散はたぶんない、と前の記事で書いた。
自民党内でも慎重論が強いようだし、あの山口3区戦争が決着つかないと、解散はできないだろう。
首相「非常に難しい判断」 山口新3区の候補者調整
2023年6月7日 産経新聞
山口県は選挙区がひとつ減るため、4区の安倍晋三の後継と、3区の岸田派の林芳正外相が公認争いをしている。
岸田は何が何でも林を推して安倍派を屈服させるだろうが、そう簡単ではない。時間がかかる。
とは言え、当分選挙はないよと高をくくっているわけにもいかず、少し足下の分析をしてみようと思う。
足下というのは、いまこの文章を書いている大阪市東淀川区を含む、大阪5区(東淀川、淀川、西淀川、此花)である。
自分の設計事務所があるという意味でも足下だし、前回の衆院選ではかなりがんばって活動したと言う意味でも、しばらく議員事務所で仕事をしたという意味でも、私にとっては足下と感じている。
前回、2021年10月の衆議院選挙では、以下のような結果だった。

(朝日新聞より引用)
見ての通り、現職が3人もいる。普通に考えると、現職がどっか行くことはないので、次回も3人は立候補すると考えられる。
さらに、大阪ではこんな事情が生じている。
維新、公明の「金城湯池」で主戦論 衆院関西6選挙区、関係に揺らぎ
2023年5月14日 毎日新聞
これまで大阪で4つ、兵庫で2つの選挙区は、自民も維新も候補者を出さずに公明候補が議席を得てきた。
公明は、自民とは国政で、維新とは大阪で協力関係をとってきたからだ。
しかし、4月の地方選で大勝ちした維新は、もう公明とは組まない、と宣言したのである。
地方選での維新の票数を見ると、6選挙区すべてで公明は議席を失う可能性がある。
大阪5区もその一つであり、現職3人と維新候補の四つ巴になる可能性が高い。
そうなった場合、どのようなことが想定されるのか。
昨年7月の参院選の比例では、維新81332票、公明31853票で、約10:4の比率だったが、これには自民票が入っていない。(自民は自民に投票しているから)
今年4月の府議選では、東淀川と淀川は、維新、公明、その他の3候補だった。そのなかで維新は75000票、公明は31000票である。自民がでない場合でも、だいたい10:4程度になっている。自民票は連立を組む公明よりも維新に多く流れていることがわかる。(もちろん地方選だからという要素は強い)
次に共産だが、宮本の48000票は、比例票の投票先でいうと共産21000、社民2000、民主系の約半分で12000、それに維新から13000票程度が流れていると、私は推測している。
問題はれいわだ。大石の34000票は、比例でれいわに投票した1万の3.4倍もある。つまり、他党が候補を立てると、非常に苦しくなるということだ。
これも私の見立てだが、比例では民主系に入れた人が1万、維新が14000、程度が選挙区では大石に入れているのではないか。よって維新が候補を立てると、単純計算では 大石はかなり苦しくなる。
それに加えて、参政党が候補を出してくることが考えられる。参政党はれいわを狙い撃ちにしているようなところがあるうえに、大阪5区は参政党の本拠地である吹田の隣でもあり、おそらく出してくるのではないか。
詳細は明かせないが、これまでの数年間の分析から、各陣営の努力を考慮せずに、単純な票の流れを考えたときの私の見立ては以下の通り。

(クリックで拡大)
このままでは、れいわは議席を失う可能性がある。
■
では、どう努力するべきなのか。
次に挙げるのは、2019年からのれいわ票の動きだ。

(クリックで拡大)
こちらは右から左に時系列となっている。れいわの比例票の得票率は、2019年から見れば微増しているとは言え、全国平均とほぼ変わらない。(大阪の中では明らかに高い方だが)
現職議員の地元で、なぜ支持が広がっていないのか。私自身の反省も踏まえて、検証してみよう。
地元活動をしてこなかったかというと、必ずしもそうではない。
昨年の3月から5月は、怒濤のような「カジノ住民投票署名」で、れいわはよく奮闘した。事務所スタッフもボランティアも、本当によくがんばったと思う。署名運動の主体となった住民活動家のなかでも、れいわの評価はずいぶん上がったのは間違いない。
ただ、署名運動が終わるやいなや7月の参議院選に向けて走りだすことを余儀なくされ、運動を成果として集約することが十分にできなかった憾みはある。
参院選挙は、残念な結果ではあったが、れいわの知名度を上げるためには役に立ったはずだ。
だが、数字を見ると愕然とする。
2019年参院選の時と比べて、大阪府内の比例票の得票率は全く同じ、数にしてもわずか8%しか増えていない。
参政党に奪われた分を、新たに獲得したとも言えるが、大局的な党の支持というのは、そう簡単に激変するものではないのである。
下記のグラフは、自民党と社会党ができた55年体制以降の、衆議院の議員数の推移だ。ウィキペディアの表をすこし分かりやすく再構成した。

これを見てわかるのは、各党の議員数が大きく変わるのは、合併や分裂のときだけで、それ以外にはおよそ20%以内の変動に収まっているということだ。
唯一の例外は2009年の政権交代と、それが崩壊した2012年のときだけである。
つまり、有権者は「ちゃんと見て選んでいる」ということだ。
党、Party というのは読んで字のごとく、あるPart(部分)の代表ということ。得票≒議員数その党が言っていることに共感し期待してくれる人の数にほぼ比例している。
社会情勢や党の努力によってもちろん変動するけれども、その幅はほぼ20%以内。一気に何倍にもなるということはない。
唯一例外の2009年はリーマンショックを背景に、民主党が約3倍に、自民党が約1/3になったけれども、その過剰な期待を裏切った民主党は、3年後にわずか1/5以下に激減する。
そして、約2000万人の有権者が、政治に絶望し、選挙に行かなくなってしまった。無関心なのではなく、棄権しているのであり、良い悪いは別にして、これもまた選択なのだ。
特定の政党を大好きな人は、得票が伸びないのは「まだ知られていないからだ」と考えがちだが、実際は必ずしもそうではない。今訴えている内容を支持してくれる人は、これくらいしかいないのである。支持を広げるためには、何を訴えるのか、を考え直さなくてはならない。
こうして見てみると、2022年の参院選で、得票数を8%伸ばしたというのは、結構すごいことだったということがわかる。
■
問題は、参院選後である。
署名運動と参院選の成果を、組織化という果実に実らせる段階を、どう闘ったか。
れいわは、地方選で組織作りをする、という方針を立てた。
これ自体は、間違いでは無かったと思う。しかし、なかなか思うようには進まなかった。
とくに大阪5区においては、れいわが大阪市議選に公認した予定候補が二人そろって反旗を翻すという事態になった。
詳細は省くが、公認時点であきらかだったことを蒸し返して、恨みつらみをぶちまけて「反れいわ」の尖兵となってしまった。ただ単に、個人的な事情を優先するために責任をれいわに押しつけたのか、もともと候補を引き受けておいて、やり直しがきかない時点で卓袱台返しを狙っていたのか。。。。
とにかく、この事態のおかげで、れいわは最重点区である淀川区と東淀川区で地方選の候補を立てることができなかった。地方選を唯一の方針としていた中では、ほとんど流血の損失といえる。
(あの2人たちは、その流血を見てほくそ笑んでいるのだろうが)
いずれにしても、今言えることは以下のことだ。
まず、一つの政党が独自で伸ばせるのはせいぜい20%程度である。
そして、大阪5区においては独自勢力をつくるための大きな機会損失があった。
ここから導かれるのは、野党共闘しかないだろう、ということだ。
れいわは極端に野党共闘を嫌う。独自性を失って、自死に等しいと思っているのだろう。
しかし、共闘というのは、同じ組織になることでも、ずっと一緒になることでもない。
特定の目的のために、一時的に手を結ぶ契約にすぎない。
それに、れいわはもっと自信を持っていい。
自分たちこそが主流派なんだと胸をはって、共闘の軸になればいいのだ。
共闘したら自分たちが霞むなどと、情けないことは言わないでほしい。
共産党は比例順位をつけるので、惜敗率にかかわらずその順位通りに比例復活する。
つまり、宮本は選挙区に出る必要もなければ、どんな数字でも上がれるときは上がれるのである。
それでもなぜ選挙区に出るかというと、地方選のためだ。
組織の活性化を図って、地方選の票を固めるために、国政に候補者を立てるのである。
2015年までは、そのために全選挙区に候補を立ててきた。
先方の要望が分かれば、交渉の余地はある。
今やるべきは、れいわ大石を大阪5区の野党統一候補にすることだ。
と、私は思うのだけれども、賛同は少なそうだなあ・・・
韓ドラの隆盛と明るくない日本の未来
6月解散、7月総選挙はあるか
「権力」 この悩ましきもの
議員事務所スタッフを退職するので、ちょっと一息ついて振り返ってみる
昨年の1月から7月までの短期間ではあったけれども、れいわ新選組の議員秘書を務めることになり、退任後も非常勤スタッフとして一定の責任を負ってきたが、それも今月まで。
一区切りついたところで、少し大風呂敷を広げ、これまでの来し方を眺め、これからの行く末を考えてみたい。
■どうせ振り返るなら戦後史から
55年体制という言葉がある。1と1/2党体制とも言う。GHQが日本を直接占領していた時代が終わった3年後、1955年に左右に分裂していた社会党が統一され、保守政党である日本民主党と自由党も合同し、社会党が1/3、自民党が2/3の国会の議席をとっていた時代のことである。
もろもろ変遷はあれど、1955年から1993年まで実に38年間も続いた。
この時代、一貫して自民党が政権をとり、そのかわり社会党が1/3を維持することで改憲を阻止し、一定の労働者の権利を確保していた。
よく言えば、安定した時代。悪く言えば、民主主義不在の時代だった。
自民党には大きな利権、社会党には小さな利権。不平等はあれど、それなりに国民に利益が循環していたと言う意味では、たしかに安定した時代だった。労働運動も活発に存在していたし、2度の安保闘争はじめ、国民的な運動もあった。日本人も、今では想像もできないくらい「もの言う民」だった。
その一方で、CIAの巨額資金で育成された自民党が独裁的に政権を握り、共産党がレッドパージで弾圧される中でGHQに後押しされた社会党が決して政権交代しない万年野党を務める、そんな「出来レース」の体制でもあった。
(CIA資金は陰謀論ではなく米国公文書で証明されている。参考→ https://www.fsight.jp/articles/-/46389)
1950~60年代は、中国革命からわずか10年前後であり、共産主義革命というものが、左右を問わずあらゆる層にとってリアリティのあるものだった。日本の直接統治を終わらせた米国は、その後もアジアにおける反共の防波堤として日本を属国として支配下におき続けた。
55年体制は、まさにその支配体制そのものだったのである。
そんな政治=出来レースの腐臭を嗅ぎ取った国民は、世界でも類例のないほど政治に無関心になっていく。
それこそが、支配者の狙いであることに気付かずに。
国民がいかに政治に失望していたか、という象徴が、あの70年安保闘争の渦中で行われた1969年の総選挙において、社会党が歴史的な大敗をを喫したという事実だ。
■小沢一郎の登場
そのような時代に、政界に現れたのが小沢一郎だ。
まさに1969年の総選挙において27歳で初当選。20年後の1989年には47歳にして自民党幹事長に就任。55年体制の後半の自民党におけるエリートである。

小沢一郎の政治信条は、2大政党制であり、それを通じて日本に民主主義を根付かせるということだ。
ザックリ言うと、政治に理想を求めるのではなく、どんぐりの背比べでいいから2大政党が政権交代を競い合えば、少しはマシになるし、メチャクチャ酷いことはできない。そして、そういう政権選択ができれば、国民も政治に関心をもって、民主主義が根付く。という考え、だと私は理解している。
わたしも、ほぼ小沢流の考えに同意する。政治理念は理想を掲げながらも、実際の政策は絵に描いた餅を眺めるのではなく、現実的に確実によくしていくことを考えるべきだと思っている。
■非自民政権をつぶした社会党
しかし、事態は小沢の思うとおりには進まなかった。 ここからの非自民勢力の離合集散は、やたらとゴチャゴチャしていて、いちいち追いかける気がしない。
ただひとつ、はっきりしていることは、非自民政権から自民党が政権奪還する執念に協力したのが、なんと長年の55年体制のパートナーであった社会党だったということだ。
1994年、自民党に担がれた社会党の村山富市が首相になり、自社さ(自民党・社会党・さきがけ)連立政権が発足。 かつては非武装中立を唱えた社会党が、自衛隊合憲・日米安保堅持におおきく転向する。これが、社会党の事実上の終焉だった。

大量の離党者をだして、小政党になった社会党、あらため社民党。
社会党離党者を含めてもろもろの非自民勢力を集めた民主党。
小沢一郎を中心とした自由党。
小泉純一郎による旋風が吹き荒れていた2003年には、民主党と自由党が民由合併し、小沢一郎の指揮の下、2007年の参院選で大勝し、2009年の総選挙において、ついに政権交代を成し遂げた。
■民主党政権の崩壊と政治不信
これでいよいよ2大政党時代が始まるのか と思いきや、またしても小沢の思うようには事態は進まなかった。
政権選択を目前にして突如勃発した「西松事件」と「陸山会事件」で、小沢は集中砲火を浴び、同志であるはずの民主党幹部は後ろから石を投げつけた。
西松事件は完全なでっち上げであり、陸山会事件も不動産取引の日付がずれていただけの問題だったにもかかわらず、検察による弾圧、「極悪人小沢」の報道、さらには民主党幹部により政権運営から外されてしまう。(名ばかり幹事長で、政権にはタッチさせなかった)
小沢をはずした民主党政権は、辺野古基地建設、消費税増税、原発事故への無責任な対応や原発再稼働など、次々と公約を破り、国民の期待と信頼を踏みにじっていく。

2大政党体制で民主主義を根付かせるどころか、期待を裏切る民主党の姿に、政治不信は極限まで深く大きくなってしまった。
国政選挙の投票率がわずか50%になってしまうのは、ここからである。
この当時の民主党幹部の大罪は許しがたい。
2012年にはついに野田佳彦が自民党と握って政権を放り出し、安倍長期政権が始まってしまう。
その推移は、皆さんの記憶にも新しいことと思う。
■小泉・竹中の新自由主義
55年体制を終わらせようとしたのは、実は小沢一郎だけではない。
動機はぜんぜん違うけれども、あと2つの流れがあった。
ひとつは、2001年に「自民党をぶっ壊す」と言って現れた小泉純一郎である。
90年代の政権交代劇が、元の木阿弥に戻ってしまったかに見えたところで、喜劇的に登場した小泉は、一見すると改革者の様に見え、大人気を博した。
しかし、その実体は、日本国内の利権を海外資本に格安で売り渡す新自由主義の手先だった。
普通の資本主義は、資本を投資して生産活動を行い、その過程で利益を吸い上げていく。いくら悪どい資本家でも、いくらかは地元に雇用や富を生み出す。
ところが、国内にある富を一方的に外資に売り渡す新自由主義は、ほとんどドロボウと同じで、ただただ貧困を生み出すだけだ。小泉政権下で、失業率は5%を超え、実質賃金は下降の一途をたどった。
その一方で、りそな銀行の実質国有化疑惑のような官製インサイダー取引などで、海外の金融資本は濡れ手に泡の莫大な利益を吸い上げていった。
大騒ぎした郵政民営化も、郵貯とかんぽの350兆円の資金を米国に献上するためのものだったことは、今や誰もが知るところとなっている。
小泉純一郎と竹中平蔵がやろうとしたことは、自民党が握っていた国内の利権を解体すると言う意味で55年体制の破壊ではあったが、その利権を国民に分配・環流させるのではなく、海外資本にひたすら献上したのである。

あまりの悪政の収拾がつかず、小泉以降の自民党政権は安倍、福田、麻生と1年しか持たず、そこにリーマンショック(貪欲に食い過ぎた新自由主義が胃けいれんを起こして世界中に自分のゲロをまき散らしたあげく、自分たちだけ公金で治療を受けた)が直撃し、ついには政権交代へつながっていった。
■大阪維新という悪のトリックスター
55年体制を壊そうとしたもう一つの流れは、2010年に大阪に現れた維新である。橋下徹という派手なキャラクターを前面に出しながら、その実体は闇に包まれてきた。
大阪維新は資金の大半を政治資金パーティーで賄っている。(参考→ https://www.jcp-osaka.jp/osaka_now/9579)
維新の政治信条をひと言で表すなら 「俺たちにも利権をよこせ」である。
自民党の大きな利権と民主党の小さな利権に、大々的に手を突っ込んで、自分たちの利権を手に入れる。これに尽きる。
政策やスローガンは、そのために都合のいいものを選択しているにすぎない。
手始めが公務員イジメや労組の解体だった。そして、仕上がカジノである。彼らの狙っている利権は夢洲のIRカジノだけではない。シンボルとしての「合法」カジノをつくることで、大阪を裏カジノシティにすることが目的なのではないか。
カジノは賭け事をすることが本当の目的ではない。巨額のアンダーグランドマネーの出入り口なのである。日本だけでも20数兆円といわれるアングラマネー。そうした非合法資金を自由に「貯金」したり「引き出し」たりできる場所。
大阪を世界的な裏金融センターにする。それが維新の本当の狙いなのではないか。私はそう考えている。

大阪においては、民主党は維新の最初の一撃で壊滅し、自民党もこの12年間で弱体化を余儀なくされてきた。維新による利権奪取の企みは着々と進行している。
大阪の成長を止めるなと叫びながら、何も生み出さずに利権だけを吸い取って、大阪の成長を止めているが大阪維新なのである。
■安倍と維新の悪魔合体
維新の実体は、このような利権よこせ運動なのだが、これに目をつけたのが安倍晋三と菅義偉だった。
2012年に政権奪還した安倍自民党は、民主党を壊滅させた維新に注目した。二度と政権を奪われないために、維新と連係することを模索した。
小うるさい自民党内の宏池会(いわゆる鳩派)よりも、明確に利権で動く維新のほうが操りやすいと考えた面もあるだろう。

安倍派に厚遇された維新は、日本維新の会として国会議員を増やし、その政党助成金を大阪に還元することで、さらに大阪の利権構造を強固にしていく、という「好」循環を確立していく。
安倍政治は意外と複雑な要素があり、ひと言で言い表せないが、資本家の大きな利権=自民党のカウンターパートを、労働者の小さな利権=社会党・民主党から、ダーティーな利権開発=維新に置き換えようとした点で、安倍と維新が最終的に55年体制を葬ったと言える。
もちろん、改憲から独自核武装を念願としていたという点でも55年体制のような妥協の政治ではなかったとは言えるのだが。
■安倍晋三暗殺と岸田の野望
安倍晋三は退任後も院政を敷いて、菅、岸田をコントロールしてきたのだが、突如として安倍暗殺という大事件が起こった。
ニュースが流れたとき、私は応援演説にまわっていた議員に同行して、れいわ新選組の街宣車に乗っていた。たしかに暗殺には驚いたけれども、本当に驚いたのは、暗殺よりもその後の「反統一教会キャンペーン」だった。明らかに「安倍派排除」の意図が働いていたからだ。

その後の、推移を見ても、萩生田や高市などの安倍派後継と見られる大物議員がやり玉に挙げられ、生き残りはしたものの、派手な動きは封じられている。
ここでは詳細は省くけれども、その他諸々の状況証拠から見て、岸田文雄は、「安倍派排除」を狙っている。というか、ほとんどそれしか頭にないのではないか。
安倍派を排除するために統一教会も攻撃し、安倍派を排除するために立憲を取り込もうとしてきた。
これに焦ったのが維新だ。
万が一岸田派と立憲が組んで、安倍派と維新が排除されると、カジノの認可が下りないかもしれない。それは維新にとっては死刑宣告に等しい。
だから今回の地方選に、維新は決死の覚悟で取り組んだ。候補者を倍増させ、共倒れの危険を顧みずに競い合わせた。そうやって実力を見せつけ、岸田に売り込んだ。
終わってみれば維新は大勝。なかでも、高市の奈良県と世耕の和歌山県で維新は自民に勝ち、安倍派の顔に泥を塗った。結果を見た岸田は、地方選前半戦の直後、速攻でカジノを認可した。
維新は安倍派から岸田に乗り換え、岸田は維新を使った安倍派を牽制しながら徐々に追い詰めていく。
■希望なきポスト55年体制
これが、現在の日本のおおまかな状況だと私は考えている。
55年体制は、1993年から30年かけて跡形もなく崩壊した。
万年野党でもいちおう労働者の党があり、不平等ながらも安定してそれなりに暮らせるという、55年体制の良い面は完全に雲散霧消した。
なのに、政権選択をできるようには、まったくなっていない。何のために55年体制を失ったのかわからない。
立憲があまりに情けないからだ、という批判はその通りだろう。かつて、政権を奪取した故に、えん罪で大弾圧された小沢一郎を、庇うどころか座敷牢に入れるがごとき扱いをした民主党幹部が、いまだに大幹部に座っているような立憲民主党に、なにごとかができるわけがない。私は1ミリも期待していない。
せめて、「国民のみなさま、公約を破って申し訳ありませんでした。消費税は5%に戻します」とでも頭を下げるのならばともかく、枝野に至っては「消費税減税なんて二度と言わない」とふんぞり返っている。
このどうにもならない状況を打開し、どうしようもない立憲民主党を後ろからケツを蹴飛ばすために生まれたのが「れいわ新選組」である。私は2019年の初めごろ、当時まだ自由党の共同代表だった山本太郎氏から、そのような主旨で党を作るという話を聞いた。
正直言って、「無謀だ」と思った。
小沢一郎と山本太郎のダブルネームでも、全国で100万票なのに、1人では議席を失うのではと心配した。
しかし、蓋を開けてみればあの「れいわフィーバー」で、228万超(4.55%)の得票となった。それでも太郎さんの読みには届かず、本人は落選となってしまった。

■れいわ新選組
あれから4年。2021年総選挙にて約225万(3.86%)、2022年参議院選挙にて約232万(4.37%)。
2021年の衆院選は山本太郎と書けるのは東京都民だけだったので、やや得票率が下がっているのは仕方ないとしても、2019年よりも2022年の方が得票率が下がっているのは、なぜなのか。
党名もそれなりに浸透し、日曜討論やら国会中継でも目立つ発言をしてきたのに、なぜ得票率が伸びるどころか下がってしまったのか。
2019年のフィーバーでは、数値的には限定的でも、明らかに新しい層、これまで政治に期待していなかった層にれいわ新選組の言葉が届いた。私は自由党かられいわ新選組の変化を当事者として目の当たりにしたので、それは皮膚感覚でも分かる。
(こちらの記事では、詳細に分析されている → https://note.com/miraisyakai/n/n63072e1a61e8)
しかしその後、知名度に比例して期待度は上がっていかなかった。
強烈な喪失感、虚無感を抱く人々に希望を感じさせた一方で、現実の政治過程で力になるほどの支持は集まってこない。
その点を、れいわ新選組は真剣に総括するべきではないか。
私は、その最大のキーワードは「政権交代」だと思っている。
かつて、山本太郎は「政権交代」という言葉を連発していた。後援会(太郎Sネットワーク)の会員への手紙でも「政権交代しようぜ」みたいなことが書かれていた。
しかし、今れいわ新選組のHPを見ても、政権交代の文字はない。めったに耳にすることもない。
いくら崇高に理想を掲げても、政権をとらなければ実現できない。その自明のことを、有権者は骨身に染みて分かっているのに。
政権交代の戦略とリアリティがない。それが、れいわ新選組に決定的に欠けているものだ、と私は感じている。
■政権交代!
今のれいわ新選組を見ていると、単独で政権とる気なのか??と思える時がある。あまりにも、他党との連携などに無関心なことが多いからだ。れいわだけで固まってしまう傾向が強いように見える。
それならそれで、その戦略を示し、なんだかできそうだ、と思わせてくれればいいのだが、それもない。
小沢一郎は、2003年の民由合併から2007年の参議院選で政権交代のリアリティを見せることで党代表になり、ついに本当に政権交代を成し遂げた。
民由合併前の自由党は、500万超の小沢支持票でもっていた個人商店であり、今のれいわ新選組とそれほど変わらない。小沢一郎にできたことが、山本太郎にできないということはない。というか、その戦略のリアリティの演出をこそ、小沢氏に教えを請うてもらいたいと切に願う。

(太郎さんが勝手に作って小沢さんがおおウケしたポスター)
「あれ、ほんとにできそうだぞ」と思わせられるかどうか、そこにれいわ新選組の行く末がかかっていると思う。
■困難でも取り組まなければならないこと
もうひとつ、れいわ新選組に欠けているのが「組織作り」だ。
オーナーとかなんとかいう制度をつくってようだが、すべて党本部 というか山本太郎と会員の1対多の関係になっているだけで、辛口で言わせてもらえばファンクラブの域を脱していない。
今回の地方選が組織作りの始まりだ、という話もあったけれども、選挙ボランティアと、支部や市区委員会的な組織作りは別物だ。きっかけにはなるけれども、ここを始まりとして、党が一定の責任と支援をしながら地方組織を意識的に作っていかなければ、結局ファンクラブに戻ってしまうだろう。
今回当選したところでは、議員を中心に何かしらの継続的なものはできるだろうけれども、関西のように2人しか当選できなかったエリアでは、落選したところでも組織作りを始めなければ、今回の挑戦がゼロに帰してしまう。
サポーター組織と支部組織は違う。サポーターは議員や候補者を中心にしてお手伝いする人の集まりだが、支部組織は、ひとり一人が活動主体だ。
オカシオ=コルテスだって、1人のスターとサポーターという関係ではなく、ジャスティス・デモクラッツやブランニュー・コングレスという市民団体組織が主体的に活動して生み出したのだ。(参考→ https://www.netflix.com/jp/title/81080637)

私が勤めていた議員事務所でも、カジノ署名運動などで主体的な動きの萌芽はあり、それが参議院選、地方選につながっていったけれども、そういう事例かなり限定的だった。大きくは、まだまだ国会議員の活動を支援する集まりにとどまっているように思う。
■
いやはや、久しぶりに書いたので、ほんとに長くなってしまった。
もはやここまで読み進めてくれている人がいるのか、わからないので、そろそろ終わりにしよう。
5月からは、一歩引いたところから、それでもしつこく諦めずに、見て、聞いて、書いて、行動していこうと思う。
憲法集会で真っ先にロシア非難を叫ぶことへの強烈な違和感
秘書のおつとめは一段落
あらためて天皇の戦争責任を問う
お悔やみ申し上げま せん
どんな人でも、理不尽に殺されたのだから、哀悼の意を表すべきだという人は、毎日毎日殺された人のために、哀悼の誠を捧げ続けていただきたい。
私はそんな考えでは無いので、縁もゆかりも無い人が殺されたからと言って、お悔やみなど申し上げる気はさらさら無い。
まして、私の中では悪い政治家No.1の人物であればなおさらだ。(橋下徹氏と同率1位)
だからと言って、安倍晋三暗殺を、私が喜んでいるかというとそんなことはない。
瞬間的に想起したのは、2.26事件だ。
血盟団テロから2.26クーデターへの道は、民主主義という妥協の知恵を一瞬で破壊し、排外と強権と戦争への道へ日本を突き落とした。
安部銃撃の報を聞いた瞬間、いよいよその行程に入ってしまったのか、と戦慄した。
あらゆる暴力は許せない、とも言わない。
この世には、どうしようもない暴力にさらされて、生きるためにやむにやまれぬ暴力もある。
大きな暴力は見えにくく、小さい暴力は見えやすい故に、軽薄な「暴力反対」は、大きな暴力だけをはびこらせることになる。
それでもなお、テロで生きやすい世の中は作れない。間違いなく。
テロによる政治は、皮肉なことに、安倍晋三がやろうとしていた強権と恫喝の政治と同じだ。
理想を強制する政治は、その理想が間違っていようが正しかろうが、絶対に生きやすさは生み出さない。
もう一点、安倍暗殺を喜ぶわけにいかない理由。
安倍晋三には、生きて地獄を味わってもらいたかった。
名誉も生きる意味も失って、天命を全うするまで、苦役を担ってもらいたかった。
もともとロクでも無い日本の政治を、ほんとにどうしようも無いことにしてしまったのは、小泉純一郎(私的悪政治家No.2)と、安倍晋三だ。
安倍晋三の大きな暴力で、どれだけの人が殺されたか。
こんなにあっさりと死んでいい人だとは、思えない。
これから、安倍晋三を英雄化する動きが、マスコミを総動員して始まるだろう。
絶対に屈しない。
絶対に哀悼の意など表しない。
断固として、お悔やみなど申しあげ ない!
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明日、7月10日は参議院選挙の投票日
暴力と忖度で大政翼賛政治は始まりかけている今、どこに投票すべきかは明らかだ。
萎縮せず、忖度せず、何が起ころうが「国民の生活」を守ろうとする根性のある政党は、残念ながら一つしか無い。
れいわ新選組
全国どこでも 2枚目は「れいわ」
東京の1枚目は 「山本太郎」
大阪の1枚目は 「やはた愛」
あと1日
こんな時代に突入してしまったからこそ、選挙戦、悔いのないようにやりきりたい
山本太郎
生活フォーラム関西 2022年度総会のお知らせ
市民によるオザワイズムの継承と実践をかかげて、2014年の9月に、小沢一郎さんを大阪に招いて始まった生活フォーラム関西。
なんやかんやで、8年目です。
小沢さんと山本太郎さんとの共同代表だった自由党時代が全盛期で、お二人が立憲とれいわに別れてしまってからは、正直いって足が遠のいてしまった方もおられるようです。
それでも、私は9年前に書いたこの文章は、今でも生きていると思っています。
一郎+太郎=日本の未来 が逆証明されている
2013-08-07 反戦な家づくり
なんで小沢一郎と山本太郎は、露骨な弾圧にさらされるのか。
それは、明らかに彼らは共産党や社民党とは「ちがう」からだ。
「ちがう」のは政策ではない。
政策は、今や共産党も社民党も生活の党も山本太郎も、ほとんど変わらない。
どこが違うのか探すのに骨が折れるくらいだ。
「ちがう」のは、以下の三点だ
1.体制を変える気があるかどうか
2.それが本気かどうか
3.それに現実味があるかどうか
この三つの条件がそろったとき、「平和」に見える日本の様相は一変する。
マスメディアが先鞭を付け、検察・警察が牙をむき、裁判所までが一体になって襲いかかってくる。
これは、2009年からの陸山会事件の実相を知っている人ならば、誰もが実感したことだ。
(引用以上)
今、小沢さんは「数は力」を求めて立憲に入り、太郎さんは「生活が第一」の政策を貫くためれいわを立ち上げました。これは、一つの大きな政治潮流の裏と表だと、私は思っています。
そんなわけで、れいわ新選組の活動にどっぷり浸かっている今日この頃の私ですが、オザワイズムを再確認するという意味でも、生活フォーラム関西の総会に期待しています。
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今回の総会は、以下の顔ぶれの来賓に参加していただけます
青木愛参議院議員
大椿ゆうこ 参議院予定候補
つじ 恵 参議院予定候補
大石あきこ衆議院議員
大石さんには、30分ほど国会報告をしてもらいます。
真面目な話やら国会裏話やら・・・・
詳細は以下の通り
日時 : 4月24日(日) 午後2:00開場、2:30開始
場所 : PLP 会館 4階小会議室( JR 天満駅、メトロ扇町駅)
参加費 : 無料 (*当日年会費:2,000 円を受け付けいたします。)
申 込 : クリックすると申込フォームにリンク
会場があまり大きくないので、必ず上記から申込みして下さい。
また、会員以外も参加いただけますが、太郎も一郎も好きだ、と言う方はぜひ会場で入会して下さい。