2015-06-18(Thu)

政治とデザイン

暗い話ばかり続けてので、ちょっと違う話を書いてみよう。

市民運動やら政治活動と デザインの関係について。

あちらこちらに顔を出していると、ある種固有のデザインの傾向やファッションセンスというのがあるのに気がつく。
集会に行ってみても、服装やその雰囲気がある。
労組の人。古くからの市民運動の人。3.11以降の脱原発の人。山本太郎さんの街宣に集まってくる人。陸山会事件からの小沢派の人。昔は自民党だった人。
まあ、こういういろんな人たちが、一堂に会することも珍しくなくなったのだから、それはそれで歴史の進歩なのかもしれないが、今日のテーマはそっちじゃなくて、デザイン。

他方で、街頭でチラシを配ってみると、如実にわかるのは、ごっつファッショナブルなお兄さんやお姉さんはほぼ取ってくれない、ということ。目線を1mmも動かしてくれない。まあ、99.99%くらいの確率で受け取らない。

う~ん、ファッションやデザインと政治的な関心は反比例するのかなあ~ と思ったりしていたが、どうも逆かな、と思うようになった。
こっちにセンスないから 「政治はダサい」 と思われている可能性大である。

最近話題のSEALDs を見ていて、どうもそうらしい と思うようになった。
彼らは、目新しいことを言っているわけでもなく、やることもほぼ昔ながらの集会とデモだ。
しかし、そのデザインセンスは、これまでの市民運動や政治運動とは、一線も二線も画するものになっている。
あまりレベルが高いので、本当に学生か?などとケチつける人がいるほどだ。
それくらい、最近の若い連中のデザインレベルは高いということだ。

こういう世代に向かって、ダサダサのおっちゃんおばちゃんが、「ガンバロー」とか「ちゃんと考えよう」などと言っても、あっちの世界の話にしか聞こえないのだろう。
若者の政治離れとか、低投票率とかいうことの、一つの原因は、実はそのへんにもあるのではないか という気がしてきたのだ。

といっても、こういうセンスは一朝一夕でどうにかなるものではないし、無理すればそれこそ学芸会の大根役者で、見るも無惨な結果になるのは目に見えている。
ただ、反省しなければならないのは、いわゆる保守も革新も、これまで政治に関わってきた人間は、デザインやファッションについて、むしろ享楽的で「よくないもの」のように考えてきたのではないか。進んで、反ファッショナブルな格好をしてきたのではないか。

保守の人は一律に背広。革新の人はくすんだ色のジャンパー。
街で普通に見かければ、なるほど最も面白くない、あえて近寄りたくはない格好を、わざとしてきたのではないか。

チラシやポスターのデザインも同じこと。
電通や博報堂に作らせたものですら、あえてダサダサに作ってある。
彼らのマニュアルには 「政治案件はダサくしないと OKでない」 と書いてあるのだろう。

まして、素人のつくったものは 見るも無惨なものが多い。
「読めれば良いだろ」 「読むのが正しい」 「読まないヤツが悪い」 と言わんばかりである。

「デザインとは問題解決の過程である」 とある先生が言っていたが、まさにその通りなのである。
「読まない」から 「読む」 に解決していく過程が デザインなのであって、そこを完全にスポイルしてきたのが、実はこれまでの政治や市民運動だったのではないか。


日本では、あの一休禅師の戒めにもあるとおり、見かけに囚われてはいけない という倫理観が強くある。
今の50代以上は、そう教えられて育ったはずだ。

それは、自分への戒めとしては大事なことだけれども、膨大な街の人々にそんな説教をしても、それこそダサダサな、あっちの世界の話にしか聞こえないだろう。

ファッションにはからきし弱いけれども、建築設計というデザインの世界に関わるものとして、これはちょっと考えなくてはならないぞ と思い始めた次第。

市民運動家のためのファッション講座でもやってもらおうか・・・・




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2013-02-26(Tue)

つれづれに

私が会社ってものを辞めてから、もうすぐ8年になる。
2005年の春に、なんのアテもないまま、まだ4歳だった子どもとカミさんには申し訳ないとちょっぴり思いながら、でも飛び出してしまった。

飛び出すというと聞こえがいいが、実際は耐えられなくなって逃げ出した。
当時勤めていた工務店は、決してブラックだったわけではなく、むしろ労務管理ユルユルの会社だった。自分を経営の神様と思い込んでいるややカルトがかったオーナーと、役員以下一人残らず面従腹背でオーナーの財産にぶら下がっているというような会社だった。

ラクチンはラクチンだけど、気分的には極めて居心地が悪かった。
そして、当たり前だけど経営は日を追って悪化してもいた。
おそらく、世のサラリーマンの多くは、そのくらいのストレスはグッと飲み込んで妻子のために働いているのだと思う。私は、そういうこらえ性がない。決定的に欠落している。

2004年は鬱病らしき状態がジワジワと進行し、いよいよトランキライザーのお世話になるに至って、逃亡を企てることにした。
最初の1年間は、独立しようか再就職しようか、迷いながら過ぎていった。
見事にカネはなかったが、空を飛ぶほど気分は軽かった。

このブログを書き始めたのもこのころ。2005年の9月。
言いたいことが言えるという解放感。

どういう巡り合わせか、こんな時に第2子が生まれることになり、出産費用を捻出するために車を売った。
代わりに激安車を探してもらい、ご機嫌で赤ん坊を乗せて走った。
何だか分からないけど、とにかく楽しかった。

第2子の誕生とほぼ時を同じくして、明月社として設計事務所を構えることに決断した。
気取って言えば「建築家」というやつだが、私はほとんどの「建築家」と違って、有名事務所の出身ではないし、小さな工務店の現場監督も営業も経験したし、材木屋もやった。第3セクターの事務所長もやり、危うくその倒産処理までやらされるところだった。
建築をやる前は病院の受付のお兄さんで、簿記二級をもっている一級建築士だ。

だから、周りの連中がやっているような、~~建築研究所 とか ~~設計工房 などという名称は、どうもしっくりこなかった。というか、気恥ずかしくて名乗れなかった。
で、木の家プロデュース明月社 ということにした。
明月社という名前ならば、いよいよ建築の仕事がなくなっても、何屋でもできるなあ なんて考えつつ、ホームページを作ったりしていた。

不思議なことに、2006年から2008年までの3年間は、次から次に仕事の依頼があり、完全に深夜営業型の生活習慣になってしまった。
しかして、金がまったく貯まらない。設計事務所とはこれほど儲からない仕事なのかと唖然としつつも、とにかく食うに困ることはなく、ミニバブルの中でヌクヌクと生活していた。
ところが、2008年のリーマンショックは如実に零細明月社にも影を落としてくれた。ハゲタカどもに心底恨みを抱いたのはこの時からかもしれない。

2009年はまったく仕事がなかった。あれこれやってもどうにもならず、緊急保証制度で首の皮一枚。
借りた金もあっという間に底をつくかと思った頃に、何年も前に出会ったきり音沙汰のなかったお客さんから連絡があり、
1年ぶりのお仕事!
そこから、徐々に光が射し始め、どうにかこうにか今日に至る というわけだ。

こうして振り返って見ると、いわゆる営業活動が実を結んだということはほとんどなく、仕事とは関係なしに色んな経路でつづけてきたコミュニケーションが、何かのきっかけで仕事に結びつく、というケースばかり。
このブログの読者の方からの依頼も、結構な数になる。

なので、当社は経営計画も売上目標も、一度もたてたことがない。
経営計画 「奇跡を信じろ」 売上目標 「どうにかなる」

結局は自分なのだろう。
家の設計なんて、まったく形の無いものに大枚をはたいてもらうのだから、俺自身が何かの役に立つのかどうか、そこを見てもらって判断してもらうしかない。
そう割り切れば、じたばたせずに、自分の思うことを言い、納得できるように行動するしかない。
仕事も仕事以外も完璧なんてほど遠いので、あるがままを見てもらって、それでいいなら契約してね というスタンス。

このブログも、始めは匿名だったけれども、あるときからあえて実名バレバレで書くようになった。
しかるべき措置を云々という内容証明が届くこともあるが、むしろうれしい人間関係が広がっていくことのほうが圧倒的に多くなった。

既存の言葉で言うと「誠心誠意」ということなのだろうが、言葉にしたとたんに陳腐になるからやめておこう。
と、そんな気分で8年間やって来た。
運が良ければ9年目も過ぎていくだろう。

しかし

足かけ10年目になる来年、とんでもないことが待ち受けている。
消費税だ。

消費税アップの前後半年は家を建てる人は激減する。
しかも2年連続で上げやがるので、2年間は売上激減、2009年の再来が今から見えている。
いくら経営計画「奇跡を信じろ」といっても、世の中の需要が1/2になれば、うちらのような零細は1/4になる。

今でも毎月毎月かつかつで過ごしているのに、売上1/2が2年間も続くなんてアリエナイ。
なんでアリエナイかというと、2年もたたずに夜逃げしなくてはならないからだ。
そんな思いの零細企業は ごまんとあるだろう。

消費者という立場で考えると、3%くらい税金が上がっても、ちょっとガマンすればなんとかなると思うだろう。
私とて、収入が同じで、消費税だけが上がるのなら、なんとかガマンできる。
しかし、日本で働いている人の、ほとんどが中小零細企業の社員だと言うことを忘れていけない。

消費税の3%が基点になって始まる負のスパイラルは、影響を受けやすいところから順番に巻き込んで、徐々にレバレッジを効かせて大きな輪になっていく。
私のような住宅業界の最末端にいる者は、いの一番にスパイラルの渦に沈む。だから、ものすご~~~く実感をもってそれが分かる。

消費税のアップは、物価が3%上がるだけのことじゃなくて、「ちょっとやめておこう」「しばらく待とう」という買い控えが、生活必需品以外の分野の経営悪化を招き、それが次の分野の業績悪化を招き、~~~~という負のスパイラルを引き起こすことに本質がある。

負のスパイラルがある程度進行すると、「不景気だ」という認識がざざざーと広がって、進行は一気に加速される。
そうなれば、恐慌と言ってもいい。2008年~2009年の悪夢の再来だ。

ここまで奇跡的に生き伸びてきた明月社の運命も、財務省の大バカどものおかげで消え去るのかどうか、そういう危機感のなかで、日々暮らしている。
しかも、巻き上げられた税金は、被災者も被曝者もほったらかしで、生活保護も切りまくって、金持ちにばらまかれる。
それどころか、米国国債を買いまくって、リーマンショックを引き起こした張本人どもに吸い上げられていく。

もう涙も出ない。

それでも、家族と生きていくために、自暴自棄になるわけにもいかないし諦めるわけにもいかない。
かといって、焦ってどうなるものでもない。
まずは、四肢と脳みそに血液を良く流すことから、気の流れを整えることから始めよう。

きっと道はある





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2013-02-22(Fri)

カネと人間の最終決戦

ツイッターから再録

原子力や食糧や金融や、あらゆる分野で人類の命(人類だけじゃないけど)を浸食するマフィアは、悪いと分かっていても増殖が止まらない。人類を一個の生命とすると、連中は変異したガン細胞。宿主が死ねば自分も死滅するのに、分かっていて増殖を止めない。


目先の売り上げとかじゃなくて、根本的に「カネか命か」ということを掘り下げなくちゃ、原子力マフィアなどの人類のガン細胞は生まれ続け増え続ける。カネにとっての一番のリスクは命。命を担保することがカネにとって一番の桎梏。

例えば、エコビジネスなんて言うのは本質的に矛盾している。初期優位性のある間はともかくも、業界が成熟すれば必ず命をむしばみ始める。
カネの極大化を妨げるものは、必ず人の命だからだ。善し悪しではなく、原理的にそうなる。そこをうまくゴマカシ、乗り越えないかぎりカネは拡大できない。


命もカネも、拡大しなければ存在し得ない。人口が毎年3%減り続けると100年で現在の1/20になってしまう。カネは、最近の日本や米国を見れば分かるとおり、成長しないと必ず破綻する。
人類がカネを生み出したときから、相容れない相克に至る運命だった。それが、20世紀の終盤にやってきた


日本の場合1970年くらいで人とカネの共存時代は終わった。世界に広がっていくことでカタストロフィーは避けられた。しかし1990年代で先進国では共存可能な余地が無くなった。新興国に広がることで辛うじて生き延びたがそれももう終盤。いよいよカネと人間の最終決戦が近い。


福島第一原発の事故は、言うまでもなくカネと人間との相克が、悲惨な形で表に噴き出した事態だった。カネ対人間の最終決戦の始まりのゴングだったのかもしれない。
最初は人間が優位に見えたが、あっという間に逆転され、ほとんどカネに制圧されている。

人類のがん細胞である原子力マフィアによって、人間にがん細胞が作られていくというこの現実。 SFやオカルトのほうがかわいげがある。
ここから、どう反撃するのか。人間の「生きたい」という希望の強さは、カネの膨張力をはね返すことができるのか。

もっと言うと、人間にはまだ「生きたい」という希望が残っているのだろうか?
たしかに、目の前に銃を突きつけられれば、撃たないでくれと言うだろうが、死ぬ確率が10%増えるとか、寿命が20年縮むと言われても、平然としているのだろう。
希薄になってしまった命のリアリティを取りもどすこと

まだるっこしいようだが、今の圧倒的な閉塞状況は、なまなましい「生きたい」という思いの爆発がなければ、打ち破ることはできないだろう。
もちろんそういう叫びはある。そういう命の実感を、層として、類として取りもどすこと。
眼前の断崖絶壁だが、そのあたりにハーケンを打ち込むすき間がある




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2012-09-02(Sun)

御礼 などなど

8月31日の未来を作るフォーラムは、読者の皆さんにもかなり参加いただき、つつがなく終了しました。
ありがとうございました。

もともと借りた会場が大きすぎて、せっかく9時前のNHKニュースにも写ったけれども、かなりガラガラの映像になってしまったようです。でも、実際はスタッフやらブースの方々やら含めると150人近い方々が集まってくれました。

夏休み最後、月末、金曜、昼間、という最悪の条件にしては、かなりの人数だね、と、こういう運動経験のある方からは言ってもらえました。
わずか1ヶ月あまりの準備期間にしては、(自画自賛で恐縮ですが)大成功だったと思います。

逆に言うと、それだけ被曝や避難の問題は深刻だと言うことです。
そのことを実感した1日でもありました。
健康相談に訪れた方と、うちらの会の代表が、ボロボロ泣きながら立ち話している光景が目に焼き付いています。

すでに健康被害の話は、続々と届いています。
ネットを窓口にして健康被害の情報を整理している みんなのカルテ(@FRCSRJP)などのサイトを見れば、一目瞭然です。
http://www.frcsrus.org/japan

すでに被曝してしまった(とくに初期のヨウ素で)人々のできるだけ発症しないための措置、日々被曝している汚染地域の人々への対応、食べ物を通しての深刻な内部被曝を自覚できていない多くの人たちへの周知。

郊外楽園プロジェクトの仲間が、先日、石巻へボランティアに出かけました。そこで家屋復旧のボランティアをしている若者のズボンを計ってみたそうです。

8μSv

あまり汚染が酷くないと言われている宮城県石巻市で、作業している人のズボンが8マイクロあるのです。
あとは、推して知るべし です。

苦しいけど、悲しいけど、今は避難するしかないのです。
火山や津波は目に見える。けど、放射能は目に見えない。
だから避難は余計に苦しい。

でも、子どもたちの未来をつくるためには、今は避難するしかない。
避難することが、未来をつくること。
逃げるってかっこいい。

その思いを胸にイベントを行いました。
どれだけ表現できたかは分かりません。
私自身は、会場のスイーパーとして滞りなく終わるための何でも屋をやっていました。
こういう縁の下が得意なのです。

ただ、終わってみた思うのは、これだけでいいのかな、ということ。
私の得意領域が、こういう事務局作業だということは、かなり確信がある。でも、それだけでいいのかな。

4半世紀前から、私は表現者でありたいと思ってきました。なにが表現者なのかはわからなくても、自分が自分を表現できているという実感がないと、生きていられないのです。
7年前にこのブログを始めたのも、それが理由です。書かなくては心が死んでしまいそうだった。

どうもこの数年間、色んな意味で表現者と言うよりは調整役に徹してきたような気がする。
それが一番いいとおもったから。
でも、振りかえるとそれはあまりいい結果にはなっていないのです。
なにか、大事なものを置き忘れている。


今夜はかなり酒飲んで書いています。
すみません。

だんだんとりとめが無くなってきたので、ここらで終了。
明日は明日の風が吹く。ケセラセラ


※一夜明けて

昨夜は金麦と激安ワインのカクテルという恐ろしげなものをサンザン飲んでしまった。
シラフになってみると、いくらなんでも言葉が足りないと思われるので、ひと言だけ追加。

イベントの結果で「表現者」云々を考えたのではありません。このところ、色んな局面で、これでいいのかな、と思っていたことが、イベントという大きな出来事でクローズアップされたというだけ。

どちらかというと、建築家というありかたや生き方の話。
どっちみち、単なる愚痴です。

以上


2012-02-27(Mon)

NPO子ども福島の佐藤さんにお会いした

NPO子ども福島の中心メンバーである佐藤さんのお話を伺うことができた。

NPO子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク


フェイスブックに書いた記事の再録になるが、若干加筆してブログにも記しておきたい。

佐藤さんが関西に来られたついでに、移動の途中のお時間をいただいた。子どもたちの避難先のことや、安全な食料の確保のために、全国を奔走しておられる。

お話しして始めて知ったのだけれども、佐藤さんは震災前は川俣村で自然農をしておられた。


         (共著者の2番目)

川口由一さんの本を読んで自分流で自然農を確立し、毎年多くの研修生を受け入れ、セルフビルドで家も作り、というスーパーお母さん。今はその研修生たちが全国に散って、福島のことを伝えていると。

佐藤さん自身は、おそらく日本中どこへ避難ても生きていける能力とガッツのある人だけれども、あえてご自分は福島に残ってNPOの活動を続けている。築き上げてきた自然農の暮らしを、原発に破壊された悔しさが、穏やかな言葉の行間からひしひしと伝わってきた。

コンクリートの家なんて住めないと思っていたが、ご自分でセルフビルドされた大好きな木の家は家の中の線量がだんだん外と同じになるので、今はコンクリートの中にすまざるを得ない と。

避難の最大の問題はやはり仕事。受け入れる企業はあるけれども、電話では良さそうな社長さんだと思っていたら、実際は休日もないようなブラック企業ということが実際にあったという。

私もそれは心配していたことだった。ハローワークのホームページを見ると、たしかに被災者向けという求人は結構な数出ている。が、空中戦では信頼できる会社かどうかは判断しにくいので、人と人のつながりをたどって、避難者を受け入れてくれる企業を探したいと思う。

ただ、佐藤さんの本音は、都会に避難するのではなく、田舎に行って自分の食べるものくらいは自分で作るようにすべき と思っておられる。都会に行って電気バンバン使ってるんじゃ同じことの繰り返しだ と。 

まさに、これは郊外楽園プロジェクトで私たちが目指してることでもある。少しだけ郊外楽園についてお話しさせていただくと、是非やってほしいと言われる。避難支援情報も、都会に行く話ばかりで、そういう生活をするための提案はほとんどないとのこと。

人は100Wで生きられる」という本も紹介していただいた
名古屋大学の先生の著書で、一人30Wでちゃんと暮らせるという実証をした上での提案の書だそうだ。

ちなみに、なんで今回お話しをうかがうことができたのかというと、私たちが土いじりをしている六甲菜園でとれた虫食い野菜を子ども福島が運営する「はもる」という店に送っていたこととと、木材の関係で出かけた熊本の有機農業の団体とつなぐお手伝いをしたから。


(はもる の様子)

本当は、その打ち合わせのハズだったのだけれども、もっぱら佐藤さんの自然農のお話や福島の状況をお聞きするばかりで、あっという間に時間が経ってしまった。

自分でもイライラするくらい少しのことしかできないけれども、とにかくできることをやろうと、改めて思った。佐藤さんの悔しさを、胸に刻んだ

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2011-12-02(Fri)

迫り来るファシズムと対峙するために 1

長いことブログの更新ができていない。
あまりにも忙しく、これ以上寝る時間を削ったら倒れるという事情もあった。

が、それ以上に、「非道い話」ばかりを書くのがつらくなった。
どんなに端緒でも、「ではどうするか」を書きたい、と思っているうちに、どうして良いのか分からず時間が過ぎていった。

一難去らずにまた一難。日にち薬で良くなるどころか、事態は悪化しつつ、次々と新たな厄災がおしよせる。
自国民を、納税マシーンとしか思っていない政権のもとで、被災者はうち捨てられ、被爆者は存在していないことにされ、穴の開いたままの原子炉が「順調に収束しつつある」ということになっている。

何か一つの問題に取り組むのは、元気も出るしファイトもわく。しかし、これほどに何もかも、ありとあらゆる攻撃にさらされると、弾を避けるのも突撃するのもままならない。ごまめの歯ぎしりをギリギリと続けるしかないのである。

こんな時は、いや、こんな時だからこそ、どう生きるのか ということを考えたい。

何をまだるっこしいことを言っているんだ とお叱りを受けるだろう。
反戦な家づくりの明月が、この非常時に新興宗教みたいに「どう生きるか」なんて説教始めてどうする。
反対するべきもの、解明するべきことが、てんこ盛りにあるのに。

それは、本当にそう思う。
そう思うことが多すぎて、これまで批判的な論評を続けてきた人々も、対応しきれなくなっているのが実情ではないだろうか。
朝から晩まで、資料にかじりついて、パソコンを叩きまくらなくては、今表面化している大問題だけに限っても、その情報に対応しきれない。

敵はオール官僚をその手足と頭脳にして、警察や自衛隊という表の暴力装置を従え、ジャパンハンドラーズという最高顧問を擁して、国家総掛かりで体系的に悪政を進めている。
それは、逆からの革命といっても良いかもしれない。

現段階では、手足であるべき官僚組織が、むしろ手枷足枷になって、その逆革命は進み切れていない部分はある。高級官僚は完全に尖兵になっているが、末端にまでいたる官僚組織自体は、そう簡単に旧弊を逃れることはできない。
良くも悪しくも、その組織的な鈍重さが、日本を一気に北朝鮮並みの独裁国家にしてしまうことのできない原因になっている。

もし、大多数の公務員が、今と同じ程度の自己保身能力と、今と桁違いの実行力を持っていたならば、日本は全く別の国になる。強烈な国家による統制のもと、国民は税金を生み出すバクテリアのような存在となり果てるだろう。

今のところ、日本の庶民がまがいなりにも、楽しく暮らしているのは、ほとんどがこの敵失によるものだと、私は思っている。

そこで登場するのが、ファシズムだ。
愚鈍な官僚組織に任していられない。もっと一気に、「改革」を推し進めるのだ! と叫んで登場するあれだ。
もちろん、「改革」とは、税金を強制的に取り立てることであり、それを社会的な弱者には極力配分しないことだ。一切の虚飾をはぎ取れば、そういうこと。

言うまでもなく、橋下徹の大阪維新の会は、まごうかたなきファシズムである。
それ以外に、定義の仕方が存在しない、典型的なファシズムだ。
古典的すぎて笑っちゃうほど、陳腐なファシズムなのである。

ファシズムが怖いのは、これほど古典的で陳腐で内実がなくても、それでも時節をとらえると、爆発的な支持を得るということ。
その意味でも、やはり橋下徹は日本が生んだ、初めての本物のファシストだ。

2.26事件の青年将校なんかよりも遙かに有能な、実際に国家権力を手中に収める可能性の非常に大きい、真性ファシストとして、私は橋下徹を「高く」評価している。
決して、侮るべからず。

繰り返しになるが、ファシズムの本性は、単なる独裁ではない。
国民の自由を抑圧し、強固な国家統制によって、国の運営をすることなのは間違いない。
ただ、それは官僚組織の肥大化と強権化によっても、なし得る。

そのかわり、官僚組織による強権国家は、小回りがきかず、腐敗が横行し、トップもころころ交代する。
要するに、すこぶる効率が悪い。

そんなやり方じゃ生ぬるい といって、官僚組織をも押さえつけて、暴力装置をも動員しつつ、大衆の圧倒的な支持を背景にして、一気に強権国家を作り上げるのが、ファシズムだ。

だから、橋下徹がシロアリと呼ぶことと、一部の本当にシロアリのような官僚とは、実は向かう方向は同じなのである。ただ、その方法やスピード感が違うだけ。

ちなみに、「国民の生活が第一」に込められた脱官僚依存は、強権国家で国民を搾り取るという方向とは真逆であり、本質的に橋下徹の官僚タタキとは別物だ。

それはともかく、橋下という真性ファシストが、いよいよ勢力を拡大し、国政への参戦を明言したいま、もう敵失による猶予期間も長くないと知るべきだ。
官僚が主導している限り、悪政はつづくが、(悪い方向への)革命も起きない。そんな状況も、あと数年のことと、私は考えている。

橋下が国政に出てくれば、自民党と民主党のいい加減な連中は、どっと足下にすり寄るのは間違いない。みんなの党は最初から似たもの同士。過半数までは行かずとも、選挙前から最大勢力になる可能性が大きい。
そのうえで、総選挙で大躍進すれば、過半数は堅い。

ファシズムの仕掛けは、国民の憎悪のエネルギーを自らの支持にするということ。
橋下の場合は、ユダヤ人迫害のかわりに何をやり始めるのか。
今はまだ分からないが、そういうカテゴリーを作りだし、国民上げてのイジメの対象にすることは、まず間違いない。
官僚タタキだけでは、国民の憎悪のエネルギーはもたないし、あまり本気で官僚を叩いては自分の国家運営ができないと言うことを、橋下はよく分かっているからだ。

ユダヤ人迫害のように、国民の不満を故なき憎悪に振りかえ、その憎悪のエネルギーを熱狂的な支持にする。
実は、憎悪にかき立てられ熱狂的にファシストを支持している大衆自身が、搾取され迫害されているのだけれども、気がつかない。万が一気がついても、もう決して口にできない。
そんな日本の姿が、数年後に迫っている。

では どうするか

いま大事なことは、自分の立ち位置をしっかりと体に覚えさせることだろうと思う。

ピッチャーが投球フォームを体に叩き込んで、どんなに疲れても、緊張しても、自分のフォームを崩さないようにしているような、そんな生き方の訓練が必要なのではないか。
今でさえ、そうとう生きにくい世の中が、いちいち頭で判断していては間に合わないくらいの激動の波に飲み込まれる。

個別の判断だけでは、道を間違うことも多くなるだろう。
ファシズムは、個別課題では良い成果を残すこともあるからだ。
たとえば、橋下がもし首相になれば、放射能対策は今よりもずっと進むだろうと思う。
それは良いことではあるが、だからといって橋下ファシズム政権を待望するのは愚かなことだ。

自分がどういう生き方をするのか。
それに照らして、こいつはどうなのか。
それを、反射的に本能的に判断できるような訓練をしておくべきだ。

私の提唱している「郊外楽園」という暮らし方も、菜園とか地産地消とか言うだけでは、ファシズムに取り込まれる余地はいくらでもある。
もともと、農本主義とファシズムは仲が良いのだ。

では、核心は何なのだろう。
ファシズムが振りまく憎悪の快感から、ふと我に返るきっかけになるものは何なのか。

漠然とは感じるものがあるのだが、まだそれを言葉で表現できない。
もうしばらく考えてみる。
(だから今回の記事は 1  と言い訳)

いずれにしても、自分の標準点、基準点を体が覚えておくこと。
そのための訓練は、やはり今現在おきている問題を向き合う中でこそ、できる。
むしろ、自分に降りかかった問題、たとえば震災であり、増税であり、保育や子育てであり、いろんな問題に取り組むときに、ちょと鳥の目になって見てみようということだ。

自分の生き方を、鳥になった自分の目に焼き付けておこう。
それはきっと、おしよせるファシズムと対峙するとき、自分を支えてくれる。


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2011-07-05(Tue)

君が代の強制は伝統文化を破壊する

昨日は夜になって雨が降り、事務所に愛車(チャリ)を置いてきたので、あさからブラブラ徒歩通勤。
歩いていると、いろんなことが考えられる。

道すがら、大阪場所の時だけ木瀬部屋という相撲部屋になる場所がある。
プレハブの簡素な建物だ。

日本の国技といわれながら、今やほとんど誰もやらない相撲。
アメリカのベースボールにしろ、カナダのアイスホッケーにしろ、モンゴルのモンゴル相撲(ブフ)にしろ、国民の生活の中に生きている。
日本の相撲のように、プロ選手以外は誰もやらない、プロ選手ですら外国人頼みという国技は珍しいだろう。

かつては、日本の至るところで相撲はやられていた。神社の一角に土俵をつくり、村相撲が行われていた。
ところが、国策で大日本相撲協会ができ、退役した陸海軍の大将が会長を務め、じょじょに庶民の楽しみからしゃちほこばった「国技」へと変容していく。

実は、同じようなことは、伝統芸能全般にあったらしい。
顕著な例が、歌舞伎である。

もともと村歌舞伎として、庶民の楽しみであったものが、明治になって政府から演劇改良命令が出され、実施的に村歌舞伎は禁止・解体され、お高くとまった現在の歌舞伎が形成されていく。

より根っこの部分を見るならば、神様の問題だ。
日本人が長く信仰してきた鎮守の森や氏神さんを、天皇制という唯一神に統合していく過程と、相撲や歌舞伎などの庶民の芸能が解体・統合されていく過程は重なる。

ウチの近くにあるスサノオ神社も、私が良く行く天川村の天河弁財天も、もともとは神道とか仏教とかのジャンル分けされていたものではない。
牛頭天王とか、権現様とか、歴史の中で涵養されてきた信仰が、そこここにあった。

神社は、庶民の生活の中心であり、相撲にしろ歌舞伎にしろ、自分たちの神様と共にあった。
それを、天皇という言わば「外来」の神に併呑されていくことによって、伝統は解体され、よそよそしい「国技」だけが、自分たちとは縁の薄い高級品として成立していった。

天皇は、伝統芸能の元締めだと思っている人が多い。
たしかに、現在の解体・統合されたよそ行きの伝統芸能はそうかもしれない。
しかし、津津浦々に存在した庶民の笑いとパワーが込められた伝統芸能は、天皇制によって解体されたのである。

今、橋下徹というファシストが、自分の権力を強化するための道具として、天皇制を持ち出している。
君が代を歌わない教員はクビだ と叫び、実際に条例を作っている。

こういう連中こそが、明治以来、日本の伝統芸能を壊してきたんだと言うことを、知っておくべきだ。




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2011-06-27(Mon)

こども

こども

こどもの寝顔を見る

こどもの泣き顔を見る

こどもの笑顔を見る

こどもはそんな私を じっと見ている

こどもは じっと見ている

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こどもに世の矛盾を押しつける大人たちよ

こどもたちは じっと見ている
2010-08-17(Tue)

鉄の時代から木の時代へ

今年もまた、何事もなかったように日本敗戦の日が過ぎさってしまった
私は、8月15日を迎えるたびに、陰鬱な気分にさいなまれる
あれほどの体験をして、結局変わることができないのか
人間てそんなもんなのだろうか

戦争の世紀は、鉄の時代でもあった

鉄を操る人間は、鉄に操られた
鉄は油を求め、油は硝酸(ニトロ)で奪い取った

奪った油は鉄を動かし、鉄の時代を築き上げた

やがて鉄は、自らニトロを積み込んでヘイキとなった
みずから油を奪うべく、人を操り人を殺した

操られた人間は、嬉々としてヘイキで人を殺した
最初は小さな鉄の塊で一人ずつ、やがて大きな鉄の塊で大量に

もっともっともっとたくさん殺したい
ニトロよりもっとたくさん殺したい
その願いがゲンシリョクを生み出した

願いは見事成就して
一瞬で10万人を焼き殺した
人は人を好きなだけ殺せるようになった

それでも鉄の時代は終わらなかった
もっともっと鉄を動かすために
もっともっと油を奪い取るために
殺して殺して殺して殺しまくる

これからも いついつまでも

こんな鉄の時代
鉄が主役の時代を終わらせたい

鉄の時代から木の時代へ
木と土と水の時代へ

どうすれば移行できるのかは分からない
けれど、頭の中と日々の暮らしは変えられる
少しずつなら変えられる

金偏に命をかける生き方から
木と土と水に命を預ける生き方へ
木に住まい、土から収穫し、水をいただく命のあり方へ

最新の車やハイテクやITに幻惑されず
時代遅れがちょうどいいと心得て
頭の中をチェンジしよう

人を殺さずには生きられない鉄の時代から
人を殺さずに生きられる(かもしれない)木の時代へ

幻想は何もない
でも、明日はやってくる
次の一歩は踏まねばならない

ならば、私は選択したい
鉄の時代から木の時代へと


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2010-01-29(Fri)

住宅着工件数がマイナス28%

まったく、よく生き延びできたもんだと、自分で自分を褒めてやりたい気分だ。
市場が一年で3割も小さくなるなんて、考えただけでも恐ろしいが、それが現実になっている。

自動車も悪い悪いと言われ、トヨタは2年連続赤字だとか言っているが、それでも2009年は前年比-10%だ。
28%マイナスというのが、どれほどヒドイ状況か、わかろうというものだ。

なかでも最悪だったのは、マンション部門で、半分以下、マイナス58%。
私はこのジャンルは関わりがないが、倒産していない会社があるのが不思議なくらいの状況。

次が賃貸マンションやアパート。これが、平均のマイナス28%。
建売りや売建ての一戸建て分譲は、マイナス22%
意外と堅調だったのが、持ち家の建て替えで、マイナス12%
マイナス12%が、マシなように見えてしまうのが悲しい。

減少した絶対量もさることながら、たった1年でこれだけ減ったというスピードのほうが恐ろしい。
建築に関わるものは、時代認識をあらためないと、命を存えることすら難しい。

■■
ことは、サブプライムローンやリーマンショックだけにとどまらない。
一時的な落ち込みで、すぐに回復するようなものではないということ。

アメリカの金融業界が回復しているように見えるのは、会計基準を変えて誤魔化しているだけだから、数百兆ドルのアブク銭が消え去ったツケは、延々と残っていくだろう。
当然、日本も右へならえだ。

こんな、蟻地獄のようなスパイラルから、どうやって逃げ出せばいいのだろうか。
って、それが分かれば苦労しないが、すくなくとも、今までと同じことをしていたのではアカンということは間違いないだろう。

こういうマイナススパイラルに、なんで出口がないのかというと、貧富の格差が大きくなりすぎたからだと思う。
感情論や、倫理的な意味で言っているのではなく、資本主義である以上、貧富の格差が一定以上大きくなってはダメだと思うのだ。

資本主義の初めの段階であれば、少数の人が大金を稼いで資本家となり、産業を興していくというストーリーもあるかもしれないが、日本のように行くところまで行ってしまった資本主義の社会では、そんなストーリーは絵空事だ。
基本的な需要は満たされきっており、要らないモノをいかに売りつけるか、というのが経済の大テーマになっているのだから。
作っても売れないのに、富を集中して投資すれば経済が発展するなんてことは無い。

これは、ものすごく簡単な原理だと思う。
経済の大もとは、お母ちゃんのがま口だ。

つまり、あらゆる経済活動の、もとのもとを辿れば、すべて個人消費になる。
工場を建てるのも、結局はそこでつくる商品を売るためだ。
その商品が機械だとしても、その機械だって売るための商品を作るためある。
そうやって考えていけば、すべての経済活動は、個人消費が源泉だということがわかる

だから、個人が安心してお金を使えることが、経済を動かす最大、というかもっとも根本的な原動力だ。
その意味で、お金に困っていない人に、もっとお金を渡しても、消費は増えない。
お金が必要なのに足りない人が、そこそこ足りるようになるのが、いちばんお金を使うことになる。

■■
以前の記事でも書いたとおり、日本でも貧富の差はどんどん大きくなっている。

国会図書館がまとめた日本の格差の証拠

テロ特措法と日本の貧困

貯金の無い世帯が4分の1近くいる。
格差を表すというジニ係数も、うなぎのぼりである。

総務省の2008年の統計を見ると、収入では、上位3割の人が収入総額の5割を得ているように見えるが、統計では1500万円以上はひとくくりなので、超高額所得者の実態は分からない。
上位3割とは、年収750万円以上ということらしい。

純貯蓄(貯金-借金)では、上位25%の人が、総額の65%を持っている。
ちなみに、貯金ゼロ世帯22%を含めて、100万円以下が30%だ。
これは、住宅ローンを組んでいる世帯の多くが純貯蓄ゼロ(マイナス)であることも影響している。

それでも、徐々に改善していくのならば、まだ希望があるが、どんどこ格差は拡大している。
特に、子どもができて そろそろ家のことを考えたい世代において、それは激しいのだから、家が売れなくなるのも無理はない。

■■
こんな状況を、見ている(感じている)と、資本主義はもうアカンのちゃう と大げさなことも思いたくなる。

資本主義は、社員に給料を渡してナンボのもんや。
その給料がお母ちゃんのがま口に納まったのち、ちゃんと消費されてこそ経済活動は動き出す。
どの会社もみんな社員をタダ働きさせたら、会社は瞬間的に大もうけして、その直後に倒産する。
何も商品が売れないからだ。

今の不況というのは、そういう状況に近い。
もちろん、アメリカに吸い上げられている巨額のお金のことも考えなくてはならないが、国内にかぎって言うとそういう仕組みだ。

では、もっと給料を出せばいいじゃないかと思うが、企業というのは進んで昇給することはない。
利益を上げることが目先の目標であり、ライバルとの競争である以上、自ら給料を上げると言うことは、基本的にない。
それは、社長が悪いのではなく、原理的にそうなる。

ただし、成長期には市場自体が勝手に大きくなって、売り上げが右肩上がりに増えていくから、給料も見た目には増えていく。
そういうプラスのスパイラルは、確かにあった。

が、何度も言うけれども、要らないモノを売りつけるしか経済発展はないような今の社会では、利益を上げてライバルに勝つには、どうしても給料を下げるしかない。
それは、自社の社員の場合もあるけれども、下請けを叩きまくることによって、中小零細企業の社員は、さらに過酷に賃金カットされる。

しつこいようだけれども、これは社長の人格が悪いのではなく(中には悪いのもいるけれども)、仕組みとしてそうなっている。
回りの企業が賃金カットしてコストを落としている中で、自社だけがコストの高い製品を作っていたのでは、売れるわけがない。
どんなに社員思いの社長でも、泣く泣くカットするしかないだろう。

中には、もっと工夫をすればなんとかなる、と言う人もいるが、プロジェクトXの見過ぎだろう。
それはあくまでレアケース。レアケースだからこそ、なんとかなったのである。

■■
もう、ここらでリセットした方がいいんちゃう。

そんな気がする。

お金を使わせることで成り立つ仕組みそのものを、変えて行かなくてはならない。
常に供給が過剰で、需要をつくるために汲々としているのを、逆転させるのである。

もうモノは充ち満ちて、需要はそんなに無いのだから、いっそのこと、供給をしぼるのだ。
売れないから作れないのではなく、売らないのだ。

一気に3割とか5割とかやったら、ばたばた倒産するから、徐々に進めていく。
仕事が無くなった分だけ、あいた時間で畑を耕す。

ふざけているのではなく、本気で野菜を作る。
家も農地も、この国ではあり余っているのだから、空き家税とか耕作放棄税とかを作って、半ば強制的に仕事のないサラリーマンに提供していく。
住むところと最低限の食うモノがあれば、がぜん世界は変わってくる。

否応なく、そんな世界への転換を迫られるだろう。
その最大の圧力は、きっと中国だ。

中国=安い労働力という時代は徐々に過去のモノになり、いまや世界最大の市場として、日本では売れないものを買ってもらう場所になっている。
しかし、いくら人口が多くても、いずれ中国の市場も飽和してくる。
そうなったら、日本の産業は生き残る道はない。

アメリカが世界一の赤字国に転落したように、日本もまたその道を辿るのである。
ただし、アメリカにはドルという打ち出の小槌があったけれども(だいぶさび付いているが)、日本には最初からそんな便利なモノはない。
赤字転落=経済縮小になることは間違いない。

遅かれ早かれ、そういうコースを辿るであろうことから目をそらして、地デジだのエコポイントだのと、要らないモノを売りつける算段ばかりしていては、ますます事態を悪化させるだけだ。
何十万もするでっかいテレビや、何百万もするハイブリッドカーを買うよりも、とりあえずプランターと土を買ってきて、種を植えてみよう。
なんかオカシイと感じている中小企業の社長は、屋上に菜園を作って、社員みんなで大根やネギを育ててみよう。

ほんの些細なことだけれども、そのちょっとした一歩が気付きになり、次の一歩を考えるきっかけになる。

家を建てる人は、部屋を一つ減らして、畑を確保しよう。
ギリギリの敷地しかないのならば、屋根を畑にしてしまおう。
屋上菜園は、思ったより簡単にできる。

資本主義は云々 と大言壮語を吐いた割に、仕上げは大根かい!
と,自分でもちょっと思うけれども、でもそれが今の実感だ。

これからの世の中は、きっとだれも経験したことのない世界になっていく。
だから、あれこれ難しく考えても、下手な考え休むに似たり てことになる。
まずは、土にさわり、芽が出てふくらんで 花が咲いてじゃんけんぽん でやってみるしかない。


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