2017-09-13(Wed)

反戦と民主主義

日本の「リベラル」と言われている人たちは、反戦=民主主義みたいに無邪気に信じているけど、民主主義の戦争もあれば、独裁の平和もあるなんてことは、誰でも知っていることだ。

民主主義のための戦争は、それこそアメリカのお家芸。
ソ連が崩壊してしまい、軍拡の口実がなくなってしまった軍産共同体やネオコンは、「独裁政権の指導者はぶち殺すのが正義だ」「戦争で民主主義をもたらすのだ」と唱えて、パパブッシュ、クリントン、子ブッシュ、オバマ、と民主共和にかかわらず、民主主義のための戦争を続けてきた。
紛れもなく選挙で選ばれた大統領と、選挙で選ばれた上下院議員が世界最大の戦争遂行者なのは、疑いようのない事実だ。

一方で、何かと持ち上げられることが多いブータンは、つい最近まで絶対王制だった。2008年にやっと憲法ができたそうだが、
また、最近リベラル(?)っぽい人の中に多いのが、天皇の平和主義をたたえる風潮だ。これもまた、民主主義とはほど遠い。
アメリカに襲われて戦争のるつぼと化してしまったイラクやシリアのようなかつての独裁国家だって、少なくとも民主主義になる前のほうがまだしも平和だった。

民主主義というのは、あくまでも「民」が「主」であるというだけのことであって、正義はまったく保証されていない。
ただ、何らかの妥協のルールを決めておかないと、国内が乱れる、内乱や内戦を防止するための歴史的な知恵だ。
だから、国内問題にはまだしもマシな判断ができたとしても、国外に向かっては正義とはまったくリンクしていないのである。
民主主義の中に、排外主義や侵略主義をとどめる仕掛けは、まったくない。

それに対して、現在の地位に満足している独裁者は、他国との戦争は直接的なディメリットがある。
うまくいっていない独裁者は簡単に侵略に走るけれど、うまくいってる独裁者には侵略を押しとどめる動機がある。
先祖の責任はきれいに忘れてもらってイイヒトになり、国民の税金で贅沢三昧、そんな象徴天皇の地位に満足している今の天皇が、平和主義になるのは当然なのである。

「民主主義は間違う」ということを覚悟しておかないと、独裁者が間違うと「民主主義を返せ」と叫んでおきながら、民主主義が間違うと「有権者がバカだ」とか言い出すことになる。

そうしたご都合主義の象徴が、憲法だ。
議論すら否定する「護憲運動」は、少なくとも民主主義ではない。
ことの是非はここでは言わない。しかし、少なくとも憲法をどうするべきかの議論自体を「悪」と決めつける態度は、非常に鮮明な平和主義ではあるけれども、どうひいき目に見ても民主主義ではない。

事情は痛いほどわかる。
自民党が多数を占め続ける戦後政治のなかで、議論をすればすぐに戦争放棄の9条がなくなり、人権を保障した諸章が書き換えられる、と考えて、議論自体を封殺してきたことは、責められないと思う。
しかし反面で、そのために日本には民主主義は根付かなかった。50%が選挙にすら行かない国になってしまった。
政治は一部の右派と一部の左派のものになり、ほとんどの国民にとってはお任せ定食を選ぶだけのものになってしまった。

そしてもうひとつ、反戦を優先する余りに、左派が避けて通ってきた問題が、独立だ。
左派は、対米従属を批判するけれども、決して「日本の独立を」とは言わない。

おかしな話しだ。従属が悪いのなら、独立すべきだろう。
しかし、左派の頭の中には 「独立=独自核武装」という公式がトラウマとなって焼き付いている。
たしかに、戦後に「独立」を唱えてきたのは、改憲-独自核武装-安保破棄 という極右だけだった。だから、運動歴の長い人ほど「独立」ということに強烈な拒絶反応がある。

これもまた、民主主義をスポイルしてきた大きな要因だ。
日本は米国の核の傘をかぶって従属国として生きていくべきなのか、米軍には出ていってもらって独立すべきなのか。こんな大事なことを議論しない民主主義って何だ?
日本全体がこのように議論すら避けて通っているから、その矛盾を沖縄はかぶり続けているということを、「独立」嫌いの左派は自覚すべきだ。

吉田茂が、軍国主義の復活も共産主義革命も否定して、その現実的な脅威から逃れるために積極的に対米従属を選択したことは、必ずしも私は非難できないと思っている。
あの時点でのリベラリスト吉田茂の判断は、屈辱的であったかもしれないが、たしかに日本に平和と経済繁栄をもたらした。まさにその時代に育ってきた私としては、孫崎享氏のように吉田茂を諸悪の根源のように指弾する気にはならない。

しかし、吉田の選択した積極的対米従属が不文律となって日本を支配し、その是非についての議論すら封じることになってしまったことは、やはり日本の腐敗の根源だと言わざるを得ない。
その罪は、吉田路線を引き継いだ自民党主流派だけにあるのではなく、護憲のためには安保を黙認してきた左派にもある。

このように議論を封じられた戦後の日本で、民主主義を優先して考えた人たちは、議論を封じる左派に疑念を抱いた。
「自分たちのことは自分たちで決めるべきだろ」と思った人が惹かれていったのは、自主憲法制定を唱える極右しかなかったということを、左派は自戒の念を込めて認識してほしい。

ここ数年で小沢グループが自由党となって徐々に輪が拡がるにつれ、そうした人たちが、本当に求めていたのはこれだよ と集まりはじめている。
だから、私の知っている範囲でも、過去の発言を見るとまるで極右という人が何人もいる。
彼らは、そういうグループにしか居場所がない中で、同調する意見を持っていたわけだが、それは本質ではなかったということのようだ。

もちろん、それでも口から発してしまったことは、とくにそれが政治家であれば、責任は免れないのだから、ブログや動画を削除したりほおかむりしたりせずに総括すべきだと思う。
しかし、戦後政治の中で、「独立」と「民主主義」を唱えていたのが、なんとビックリ極右しかなかったという現実を無視することはできない。とくにその状況を作ってしまった、民主主義を唱えながら民主主義を封殺してきた左派の皆さんは、自らを総括することなく、他人を指弾することはできないはずだ。

私も自分を切開するためにこれを書いている。
ここで「左派」と書いていることは、数年前までの私にすべて当てはまるわけで、その反省から、私は「日本独立! 絶対反戦!」を自分の信条にすることにした。

永世中立国のスイスは、武器輸出とアングラマネーで成り立っている。何事もキレイゴトだけでは済まないことはわかっている。
が、対米従属がもはや平和を保証しなくなった今、日本人は次のステップに進まなくてはならないことは明白だ。
対米従属の戦争、という安倍晋三が提示している未来が最低最悪だとしたら、次悪、次善、最善はなんなのか。現実的に考えなくてはならない。

もちろん、今このときに憲法を一言一句たりとも変えることには私も反対だが、すべてに目をつぶって「護憲」だけを叫び、議論を封じる時代は終わりにしよう。
自分たちの未来を、自分たちで議論しよう。

■ お知らせ 1 ■

森ゆうこ 自由党参議院議員 講演会

日と場所: 10月1日(日)国民会館(地下鉄・京阪 天満橋駅)

時間: 14:00(開場予定)~15:30

参加料:無料 定員80人(先着申込順)

申し込みフォーム: https://ssl.form-mailer.jp/fms/0de8908b411455

共催: 自由党大阪府連 ・ 生活フォーラム関西

■ おしらせ 2 ■

社民党の服部良一さんが、大阪9区(茨木、箕面、池田、豊能郡)で出馬表明をされました。

ニュー服部として始動することを、心から願っています。




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2017-08-18(Fri)

フツウからの脱出

フツウであることの大切さを、じわりじわりと噛みしめてきた10年だったように思う。

仕事の上でも、政治的な考えも、生活態度そのものも、私はマイナーの極みだった。
それは子どもの頃から、ほぼ物心ついた頃からだ。

最初の記憶は、いくつの頃かは憶えていないが、テレビを見ていて違和感を感じたことだ。
「ひろのみやさま」とアナウンサーは言っていた。
私といくつも違わない男の子が、なんで「さま」なんだ?

小学5年生のときには、本当に自分がはぐれ者なのか知りたくて、生徒会の役員に立候補した。
演説では、校庭の周りに貼ってある鉄条網は生徒を閉じ込めるものだ とか話したと思う。
忘れもしないが、全校生徒が千数百人いるなかで、得票数は26だった。

毎週の学級会も大嫌いだった。
だいたいどうでもいいことを「規則」にするのが学級会で、晴れた日は校庭で遊びましょう なんてことをわざわざ多数決で決めて規則にした。
私だって晴れた日は校庭で遊んでいたが、そんなことを強制されるのが嫌でただ一人反対し、休み時間になるとわざと教室に残った。子どもは残酷だから、小突きながら大勢で校庭に引きずり出された。

先生も同じようなもので、私が出した算数の別解を理解できず、どうして○じゃないのかと執拗に食い下がる私を、2時間も床に正座させた。
教師なんてこんなものか と体で理解した。

とにかく、私の思うこと、考えることは、ことごとく少数派。少数どころか、ほぼ全員対一人だった。
だから、多数決なんて死ぬほど嫌いだったし、少し年を食って民主主義なんて言葉を知ったときも、クソ食らえと思った。

まあ、中学も高校も、だいたいこんな調子だった。
高校のときは、キレイゴト言う割にやることが姑息な教師が大嫌いで、何度か授業の途中で荷物をまとめて帰宅したこともある。
むしろ、体育会系の右翼教師のほうが、正面から対決してくれるので、まだよかった。
これって、今の民進党のキレイゴト議員が、反吐が出るほど嫌いなのとつながっているんだなあ。

そんなこんなで、形成された人格は、並大抵ではなかった。
まず、他人に「はい」と言うことができなかった。
20代のころは病院の事務屋さんだったのだが、総婦長の小間使いみたいなこともやらされて、はじめて「はい」という返事をしなくてはならず、煩悶した。
でも 病院で働いたおかげで、最低限人間社会で生きていけるようにリハビリしてもらったような気はしている。

こんな感じで、およそフツウとは無縁の私が、フツウを意識し始めたのは、12年前に独立して設計事務所をはじめたことと、選挙に関心を持つようになったことが大きい。

家づくりの面では、フツウじゃ無いものを作りたいという欲求と、フツウに生活できるものを作らなくてはならない という縛りというか倫理観のようなものが いつも拮抗する。
自分がフツウではないということを、さすがにこの頃は自覚していたので、逆に自分で縛りをかけていたところがある。有名建築家が設計した数々の「住めない家」を見て 「こんなことはするまい」と自分の仕事のルールとして決めたのだった。

ひとり一人の暮らしは千差万別だから、住み手のイメージをちゃんと具体化できれば、自ずとオリジナリティになるだろう、と思って仕事をしてきた。
たしかにそれはウソではないのだが、むしろ10年以上経って思うのは、人の暮らしは意外と共通しているんだな、ということだった。
もちろん、人も好みも生活パターンも千差万別なんだけど、「住む」という行為に丁寧に寄り添って設計していくと、結果的にすごく共通点が多い。意外と、フツウにおさまってしまうのである。

政治については、やはり何と言っても2009年の政権交代が大きい。
生まれてはじめて、多数決で自分が多数派に属したのだから、そりゃあもう驚いた。
民主党政権に過大な期待はしていなかったが、それよりも自分史的に大興奮だった。

それまで大嫌いだった民主主義が、ひょっとして役に立つのかも と思ったのがウンの尽き。
以来、どっぷりと政治の世界にハマってしまった。

2012年総選挙の大敗北、焼け野原状態にどう向き合うのか。このときほど、フツウということを意識したことはない。
なにせ、原発が爆発したのに、最大多数は無投票、その次が自民党に投票したという現実を目の前に突きつけられて、そのフツウな選択を見ないふりすることはできなかったし、昔のように「やっぱ民主主義なんてクソだわ」と開き直ることもできなかった。

俺はこう思う 俺はこう感じるんだ と言うことよりも、「フツウどう思うかな」「フツウどう感じるかな」と頭の中でシミュレーションすることばかりが多くなった。
選挙で勝つためには、もういちど政権交代するためには、フツウに「いいね」と思ってもらわなくてはならないわけだから。
いや、そればかりではなくて、本気でフツウであることの大切さとか感じるようになっていった。

で、ふと気が付くと、あれほど、異常ともいえるほどフツウとかけ離れていた私が、なかなかどうしてフツウに暮らしているのである。
フツウに家を設計し、フツウに政治のことを考えている。

めでたしめでたし

じゃなくて、なんか違うような気がしている。
このまま丸くなって好々爺へまっしぐら は自分にはやっぱ無理。
そろそろフツウから逃げ出してもいいんじゃないか と思い始めた。
フツウじゃないことを自覚していないのは人迷惑かもしれないが、さすがに自分を相対化できる程度には年をとったから、もう自由にしてやってもいいんじゃないか。

と、最近こんなことばかり考えている。


追記
これを書きながら画面の端でamazonビデオをかけていた。
何気なしに選んだのが「イミテーション・ゲーム」。ナチスの暗号記エニグマを解読したアラン・チューリングの話だ。
「普通じゃない」ということが、大きなテーマになっていた。奇遇。



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2017-08-15(Tue)

革命

敗戦記念日である。

72年前の今日、「負けて悔しい」と涙した人、「やっと終わった」と歓喜した人、それぞれどのくらいの割合だったのか、知る術はない。
どちらも相当数がいただろうけれども、自分の頭で判断することを禁じられていたことを思えば、ただただ茫然自失していた人が一番多かったのかもしれない。

いずれにしても、はっきりしているのは、この日が「解放記念日」にはならなかったという歴史的な事実だ。

戦争を遂行した勢力の総入れ替えを、自力ですることができなかった。
天命を革めることが できなかった。

天皇も、731部隊も、米軍支配に都合の良いものは戦争責任を免れ、大日本帝国の支配層はほとんどそのまま支配層として残された。
そのころはロシア革命から28年、中国革命まで3年という時代だから、今に比べれば共産主義革命のリアリティは誰もが感じていた。しかし、何とか主義以前に、戦争遂行した勢力を一掃するということすら、できなかった。

そして、その限りでの「平和と民主主義」を謳歌し、日本は変わったと思い込んだ。
足下に、沖縄を踏みつけながら。

この欺瞞にみちた戦後民主主義が、私は嫌いだ。



革命という言葉は、天命を革(あらた)める、すなわち 天命によって支配する者が変わることを意味する。
必ずしも、支配されてきた側が、支配してきた側にとってかわることではなく、支配される側には関係なく、支配層だけが入れ替わる樋こともある。

レボリューション Revolution は、コペルニクス的転換のように、物事の本質がグルッと回転して新しいものに変わることであり、上層部が入れ替わる革命とは、かなり意味が違うようだ。 訳語としては不適切なのではないかという気もする。
ただ、革命という言葉も、もともとの易姓革命のような意味ではなく、本質的に異質で新しいものに転換するという意味に、現代では使われているので、ここではそういう意味に理解しておく。

支配され、酷い目にあってきた側が、支配してきた側を逆転すること。
それが、あたかも天命が革まるがごとく、機が熟してことがなされることが革命だとするならば、72年前に必要だったのは、日本革命だった。

その結果、どの勢力が主導権をとり、どんな政治を行ったかはわからない。
どの勢力がやろうとも、結果はあまり芳しいものにはならなかっただろう。それどころか、ソ連が指導する共産党が勝っていれば、かなり面倒なことになっただろう。
それでも、自らの力で革命を成し遂げ、そして挫折するという経験をワンセット、日本人は経ることができたはずだ。

振り返ると、私は政治に関心があると言うよりも、革命に関心があるのだと気が付いた。
日本というひとつの支配体制の中で、何百年も支配され続けているこの国の民が、自らの力で逆転劇を起こすことができるのか。
社会や政治を見るときに、私の最大の関心事は、常にそこにある。

私が小沢一郎という政治家に注目するのも、それ故である。
彼は、もっとも犠牲を少なく革命を成し遂げるにはどうしたらいいか、を考え抜き、二大政党による政権交代可能な政治を目指している。二大政党制の是非はともかく、革命を前提とした国家観をもつ政治家は、日本には小沢一郎しかいない、と私は思っている。

とは言え、現在の日本で二大政党制は、私は間違いだと考えている。
政党というのは、ある勢力の利害代表であり、労働者と資本家みたいな単純に分化した社会だったら二大政党でいいかもしれないが、今の日本はそんなに単純にぱかっと分かれていない。

戦前のいわゆる労農派の理論家である山川均の言葉を、松尾匡さんが「新しい左翼入門」のなかで引用しているので、孫引きさせていただく。

 意見の相違が流派として現れることを認めないならば、政党は必ず分裂する。政策や意見の相違のために、たちまち除名騒ぎが起こるような官僚主義は一掃すべきだ。我々は、異なった意見や政策が内部で争っていながら、なおかつ結束を保っていけるような団体的な訓練を積まなければならない。(引用以上)

あれ、こんな政党ってあったなよなあ、と思われる方もいるだろう。
そう、かつての自民党は派閥というかたちで、かなり多様な意見を党内に抱え込んでいた。金のつながりであると同時に、意見や政策の多様性も担保していた面があった。

しかし、今や自民党も首相官邸独裁の党に変貌し、民進党も小沢一郎を座敷牢に閉じ込めた挙げ句に放逐したことをまったく反省していない以上、単純に二大政党制にしてしまえば、二つの意見しか存在できないことになってしまう。
こんな不自由な政治は、より一層投票率が下がり、機能しなくなってしまうだろう。

ただし、この現実を逆に考えれば、党内に公然と意見の違う派閥が存在するような、バクっとした政党ならば、二大政党でもいいということになる。米国の民主党も共和党も、もちろん投票を党議拘束などされないし、反対意見を述べても除名されない。
せめて、その程度の政党が作れるならば、二大政党制の可能性を全否定するものではない。



小沢氏の描く二大政党制による穏やかな革命には、もうひとつ疑問がつきまとう。
代議制で本当に革命になり得るのか ということだ。

それなりの人脈と経験と資金をもった人が候補者になり、その他のほとんどの人は投票するだけ、という代議制で政権交代したところで、「自らの力で天命を革めた」という経験になるのか。そのような実感を持つことができるのか。

現に、2009年の政権交代でも、そこまでの感慨を味わった人はごく少数のはずだ。
ほとんどの人は、自民党が下野したことには驚いただろうし、子ども手当や高速道路の無料化など実現すればウレシイナとは思っただろうが、それ以上でも以下でもない。
私自身、選挙結果にはかなり興奮したけれども、革命だとは思わなかった。

アメリカだって、数年おきに民主党と共和党が入れ替わっているが、それで劇的に何かが変わっているわけではない。
まして、植民地支配を戦後民主主義というオブラートで包んだぬるま湯に漬けられてきたこの日本で、代議制がひとり一人の意思表示として機能するのだろうか。

小選挙区といえども人口40万人に代議士が一人。自分たちの代表と言うには漠然としすぎている。
かといって、市議会なみに1万人くらいの母体になると、地域ボスや暇人の世話焼きがすべてを牛耳ることになる。暇人はヒマでも生きていける金持ちがおおくなり、結果として自民党と公明党がより強くなる。
完全比例にすれば、少数意見はある程度反映される一方で、支配体制は盤石である。

どのように選挙制度をいじろうとも、多少の変化はあったとしても、それ自体が革命になるようなことは起きないように思われる。



やはり日本で革命は不可能なのだろうか。
何が欠けているのだろうか。

私は、足りないのは圧倒的多数を占める「普通の人」の党だろうと思う。
江戸時代には5割の年貢米をとられた農民。楽ではないけれど、運悪く飢饉にならなければ、生きていくにはさほど困らず、寺子屋に子どもを通わすくらいのことはできた人たち。
四民平等と言われてからも、選挙権を与えられなかった農民と労働者。
明治から昭和の戦争に次々と動員された人たち。
戦後の高度成長でサラリーマンという名の賃金労働者になっていった人たち。
そして今、食うには困らないけれども、ジワジワと生活が圧迫されている中間層。

実は大金持ちに圧倒的に搾取されながら、とりあえずそれなりの生活ができているこれらの人たちを代表する党が、日本にはない。
55年体制のなかで、自民党が金持ちに寄りかかりすぎ、社会党が総評に頼りすぎた結果、金持ちでも労組の活動家でもない、圧倒的多数の人たちの利害を代表する党は、日本には作られなかった。

2009年の民主党がそこを指向していたのは間違いないが、そういう党として確立する前に、内実が崩壊した。崩壊した残り滓のような党は存在しているが、彼らは「大金持ちに逆らわずにおこぼれを頂戴する」中間層の代表であり、大金持ちに楯突くそぶりを見せれば組織を上げて潰しに来るということは、小沢弾圧で実証されている。

今必要なのは、ジワジワ没落していく中間層の党を作り、大きく旗を立て、大金持ちの一人勝ちを許さず中間層に富を分配する政策を打ち出し、それを目指すための組織をひとり一人増やしていくことなのではないか。
その組織は、いずれ選挙のために二大政党に吸収されたとしても、そのなかで強固な派閥として影響力を行使することになる。



革命 なんていう標題をつけたわりに、地味な結論になってしまったが、シンプルに考えたら、やはりこのような結論になる。

資本主義が良いのか悪いのか、それに替わるものがあるのかないのか。私にはわからない。

ただ少なくとも、とりあえず資本主義のシステムの枠の中でも、まだまだやれること、やらなければならないことは山ほどある。
世界的に見ても異常な金持ち優遇と、植民地的な経済外の強制力をそのままにして、資本主義はもうダメだとか言ってしまうことは、むしろ現在の支配層を喜ばすことになる。

まずは日本の歪みを正し、皆が安心して食っていける経済や財政の政策を、夢物語ではない数字の裏付けのあるストーリーを描き、実現することだ。
資本主義の余命については、その後に考えるべきことだろうと思う。

だから当面目指すべきは○○主義革命ではなく、何百年も労働力として社会を支えながら、政治的にはついに主役になったことのない多数派が、まずは自分たちの選択を自分たちの力で成し遂げる、という経験をすることだ。

それでもきっとまた失敗するだろう。
官僚と大資本と米国の壮絶な妨害もあるだろう。
革命をなしとげて挫折するという経験を何セットも繰り返すことで、多くの国は歴史を進めてきた。
日本も、自分の足でその歴史を刻まなければ、圧倒的多数の国民がぬるま湯の中で溺れ死ぬ日は遠くない。



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2017-08-13(Sun)

終戦ではなく「敗戦」と言うわけ

二日後には72回目の敗戦記念日だ。

私は「終戦」という言葉を使わない。
理由はみっつある。

ひとつ。
戦争責任をアイマイにしないため。

ふたつ。
敗戦を「解放」記念日にできなかった日本人民の不甲斐なさを胸に刻むため。

みっつ。
いまだ敗戦-占領は終わっていないことを忘れないため。

戦争は、雨が止むように自然に終わったのではない。
普通の国ならばとっくに降伏していたはずのところを、無謀な玉砕戦を1年近く引き延ばした挙げ句、万策尽きて無条件降伏したのである。
侵略戦争をはじめたという意味での戦争責任ももちろん問われなければならないが、ただひたすら「国体護持」のために兵士と住民に死を強いた責任も、決してアイマイにしてはいけない。

天皇制と、その権威にぶら下がる権力と利権、すなわち「国体」の為だけに、どれだけの兵士と住民が殺されたのか。
少なくとも、1944年10月に始まった神風特攻は、戦争としての合目的性すらなくしてしまったという合図である。そこからの10ヶ月間は、絶対に勝てないと分かりながら「国体護持」のためだけに死を強制された。

もちろん、日本各地の空襲も、沖縄戦も、原爆もそうだ。

侵略戦争の責任は、当然ながら万死に値する。
そして、世界中で今もその罪を犯し続けるものは絶えないし、あの太平洋戦争だって、連合国が善で枢軸国が悪という分類では決してない。
しかし、当時の日本が極めつきに異常だったのは、「国体護持」のために、自軍と自国民を虫けらのように死に追いやった ということだ。数十万、数百万人を死に追いやり、産業は壊滅し、国土は燃え尽くされても、そんなことよりも「国体護持」が大事だった。

この異常さは、自らの国のこととして、決して忘れてはいけない。
この国の支配者は、自分たちの存立が根底から脅かされるとき、数百万の自国民を平然と死に追いやり、恬として恥じないのである。
そういう国なのだ。

これは国民国家ではない、ということでもある。
天皇の権威と権力に連なる階級と、生産と戦争の駒としてのみ扱われる階級は、一つの国民として結集する段階に至らず、農奴的な隷属関係でのみ国家につながれているということだ。

そして、それは本質的に今日でも変わっていない。
変わっていないその象徴こそが、日本国憲法の1条と9条だ。

国体護持のギリギリの条件とは、天皇の戦争責任を問わずに天皇制の権威を残すことだった。
そのために、幣原喜重郎とマッカーサーが合意したのが9条だったということは、数々の資料で証明されつつある。

さらに、国体護持のために生け贄にされたのが沖縄だ。
昭和天皇は、自ら保身のために沖縄の割譲をマッカーサーに提案した。
国体護持のために絶望的な地上戦を強制され、住民の1/4が殺されたあげく、負けた後は生け贄でアメリカに引き渡す。
天皇の戦争責任はあるとかないとかの論争がバカらしくなるほど、あまりにも酷い話しだ。

このように、「国体」のために国民は死を強制されながら迎えたのが、敗戦なのである。
この悔しさを忘れないために、私は「敗戦」と言いつづける。



一方でしかし、民間人50万人を無差別に殺戮した当事者は、米軍だ。

日本軍のアジアでの虐殺や捕虜虐待は、当然責められるべきことだ。
しかし、それと同じくらい、米軍の無差別殺戮も責められなければならない。

実験のために二種類の原爆を投下し、日本が降伏するやABCCという研究機関が乗りこんできて、治療はせずに被害のデータ収集に励んだ。まさに、超弩級の人体実験である。

この悪魔のような米軍を、解放軍として迎えたのが、日本共産党を筆頭にした反戦派の日本人だ。
たしかに、国体護持のために自国民をいくらでも殺してしまう旧支配者よりは、マッカーサーのほうがずいぶんマシに思えたのは無理はない。
日本国憲法も、押しつけとは言え、日本側が作った松本案とは比べものにならないくらい良いのはたしかだ。

しかし、日本人は自分たちで自分たちの憲法を作ることができなかった、という歴史は残っている。
良い憲法ならもらい物でもいいじゃないか、では民主主義ではない。民主主義を謳う現憲法は、自己矛盾をかかえているのである。

1946年米よこせデモ。1947年2.1ゼネスト(未遂)など、日本の民衆、すなわち国体に支配されていた側の運動も大きなものだったが、残念ながら2.1ゼネストに対するマッカーサーの禁止に屈したのち、国体そのものを揺るがすようなうねりとはならなかった。

結局、国体にぶら下がっていた「ちょっとマシ」な連中がそのまま国家権力を継承し、国体に押しつぶされていた民衆は、そのまま支配され続けることになった。
戦争に負けたことで、これまでの支配層を打ち破り、敗戦を解放にする ということができなかった。
敗戦が敗戦で止まってしまった。

大きな意味では、現在に至るも、構図は変わっていない。
そのことを 歯がみして思い起こすために 私は「敗戦」と言いつづける。



もはや言うまでもないが、米国の占領は1945年から72年間、一度も途切れることなく続いている。

1952年を境に、形式的な占領から、実質的な植民地支配へと変化はしたものの、日本はいまだ独立していないし、独立していない植民地に民主主義など成立するわけがない。

日本を「民主国家」だとか「憲法で平和を守れ」と安易に口にする護憲派の皆さんは、植民地でどうやって民主主義が機能するのか、考えてみてもらいたい。
そりゃもちろん、民主主義が機能してほしいと思うし、今憲法を変えるのは大反対だし、平和であってほしいのは当然だけど、安保条約、地位協定、密約、さらには官僚と政治家とマスコミに張り巡らされたネットワークは、植民地以外の言葉が当てはまらない。

オスプレイが墜落して、日本国防衛大臣が飛ばさないでくれ、と言っているのに、完無視して次の日から飛ばし続けるのが「日米関係」だ。日本の大臣よりも、米軍の現地司令官のほうがずっとエラいのである。これは自民党だったからとか、小野寺がヘタレだったからというだけではなく、政権交代しようが何党であろうが、同じことだ。
だいたい、「飛行停止命令」ではなく、「自粛要請」しかできないのだから、どんだけ格下かということだ。

2.1ゼネストを禁止されたあの関係は、いまも続いている。
なんとかして、米国の支配の軛を脱しないことには、何かを決めるということすらかなわない。

そのことを忽(ゆるが)せにしないために、私は「敗戦」と言いつづける。

■参考資料

数字は証言する データーで見る太平洋戦争 (毎日新聞)

アジア歴史資料センター公開資料




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2017-08-09(Wed)

独白

2005年9月にこのブログを始めてから 実に12年の年月が流れた。
もともと、黙っていると精神衛生上たいへんよろしくない、と自分の心の健康のために書き始めたブログだった。

2006年には耐震偽装事件があり、安倍晋三の私的後援会である安晋会が深く関わっている疑惑についてかなり色々書いて、アクセス数もどーんと増えた。

2007年には自民党が大敗する参院選があり、その直前には中越沖地震で柏崎刈羽原発が危機一髪になるということもあった。
そして、安倍晋三の突然の政権放棄。このあたりから、選挙についても関心が向かい出した。

2008年は橋下徹が政界に登場し、大阪が橋下色に染まっていった。彼の言動には、お坊ちゃま議員にはないファシストとしての資質を感じ、大いに危機感を募らせた。
そしてこの年の後半にリーマンショック。時代が大きく変わっていくのを実感した。

2009年冒頭に報じられた西松建設の裏金事件。ああ、これは平成のロッキード事件になると直感した。
案の定、対米自立と政権交代を目指す小沢一郎が狙い撃ちにされ、メディアの大バッシングが始まっていく。
小沢に関しては西松事件はそもそも存在しなかったこと、その後に騒がれた陸山会事件は不動産取引の日付がズレていただけだったこと、が証明されてもなお、メディアはもちろん、同じく政権交代を目指していたはずの革新野党も、さらには民主党内までもが小沢バッシングに猛り立った。

この小沢バッシングこそが、私がリアルに政治に関わろうと思ったキッカケだ。
バッシングの凄まじさが、そのまま政権交代のリアリティであり、小沢一郎の本気度として私の目には映ったからだ。
これほどの、ありとあらゆる勢力からの大弾圧がなく、粛々と政権交代がなされていれば、私もこれまでどおりに政治を論じるだけに留まっていたと思う。

9月の政権交代と、その後の官僚のサボタージュ。鳩山内閣の無策。政治主導が見る間に官僚に食い荒らされていく様。
刻々と進んでいく事態を、つぶさに観察していた。

2010年5月にはついに鳩山が白旗を揚げ、官僚主導の復権、パペット菅直人の消費増税と参院選大敗。
でも、このころはまだ、再政権交代が可能だと思っていたし、今ほど悲壮感は持っていなかった。



12年間ブログを書いてきたなかで、本当の衝撃ははやり 2011年の3.11だ。
津波と地震ももちろんだが、原発が3基も爆発したというあの衝撃は、それまでの私のスタンスをガタガタに揺さぶることになった。
自分の心の健康のために書いていたブログを、人のために役に立てることはできないか と考えてしまった。

あのとき以来、気軽に書く ということができなくなった。記事を更新する数も激減した。
単純に書きたいことを書くのではなく、今必要なこと、他の人が散々書いている以外のこと、ちゃんと資料もあたって、と考え始めると、キーボードに乗せた指が固まってしまった。

その代わり、書き始めると何時間もかけて書くものだから、なおさらのこと更新は減っていった。
脱原発のデモに出かけたり、集会を企画する側に入ったり、小沢グループの集まりに顔を出したり、リアルで動く機会は増えたけれども、書くという作業は苦しくなった。

2012年には 小沢グループの離党、未来の党としての総選挙での大敗北。
このとき、始めて選挙に足をツッコんだ。ウチの会社の近くにあった渡辺義彦さんの事務所に毎日通って、あれこれと手伝いをやった。街宣車の運転手で朝から晩までノロノロ運転というのも体験した。
また、政治市民プロジェクトと銘打って、脱原発などの市民運動に関わる人たちに、選挙に参加する手伝いもやった。

2013年は大敗北の痛手に、私の周囲はうめき続けていた。
夏には参院選があったけれども、ほぼ身動きがとれず、「国民の生活が第一」は一議席もとれなかった。

そんな状況下で、私は一つのミッションを考えていた。
保守と革新、選挙活動と市民運動、それらを近づけたい。
保守は選挙に強いけれども、現役の議員がいないと誰も動かない。
革新の市民運動はパワフルだけれども、選挙の結果に執着しない。
この二つを融合できれば、焼け野原から立ち上がれるきっかけが作れるかもしれない。そう思った。

詳細は省くけれども、2013年から2016年夏くらいまでの私の活動は、そのミッションに沿って動いてきたつもりだ。
その中でも大きかったのは、関西の小沢グループを糾合した生活フォーラム関西の結成に関わったことだろう。
バラバラだった小沢グループの支持者のよりどころができたことと、市民運動の側から小沢グループに対して声をかけてもらうことができるようになった。

そして2016年の参院選では、全国的な野党共闘の動きに応じて大阪でも保革連携はかなり実現し、私のミッションはもう終了かな と感じた。
次のステップとして考えたのが、山本太郎さんを顔にして 改憲の国民投票に備える運動を作るべきじゃないか ということだった。
両院で2/3とられた以上は、改憲の発議は時間の問題。今から準備しなければ。野党共闘であるていど信頼関係を築いた保革の人たちが、共通して顔になれるのは太郎さんをおいていない。関西でのテストケースを進めてみよう。

そんな思いで、参院選終了直後から憲法フェスを準備したのだが・・・・
フェスのメインキャストになった三宅洋平氏と安倍昭恵の関係で、当初の私の目論見はぶっ飛んでしまった。

あれ以来、私は自分のミッションが見えない。
何をやるべきなのか、自分でできることはなんなのか、
方向性が見えず、ウロウロしている。



自由党で頑張ればいいじゃないか と思う人もいるかもしれない。
たしかに、それなりに自由党のお手伝いはしている。

しかし、はっきり言わせてもらえば、やる気の無い政党の手伝いは、激しく精神が消耗する。
党に所属している政治家個々人は錚々たる顔ぶれだ。にもかかわらず、党組織を作ったり、党の支持率を上げることについて、まったくやる気が感じられない。

たった6人の議員とはいえ、小沢一郎と山本太郎という両代表の知名度だけでも、他の党を圧倒するものがあるのに、自由党の政党支持率は限りなくゼロに近い。たぶん、支持率以前に党名の知名度がゼロに近いのだろう。
なぜこんなことになるのか。

簡単だ。
日常活動をしていないからだ。
日常どころか、選挙のときですら、党としてはほとんど何もしていないからだ。

政党の活動については、政党助成金というカネが税金から出ている。議員ひとりあたり約4000万円くらいだ。
いくら小さな自由党でも2億や3億の政党助成金は出ている。
ならば、その1割でも使って全国の日常活動を支えれば、各県に小さな事務所の一つも構え、毎日ボランディアが街宣車を回し、重要選挙区で全戸ポスティングをすることくらいはできるはずだ。

もちろん支援者のカンパは集めなければならない。
しかし、街宣車の用意からガソリン代まで、チラシの印刷から、選挙事務所の家賃まで、一円の支えもなくカンパでやれと言われたら、それは「やる気が無い」としか私には理解できない。



受け皿があれば政権交代はできる。小沢氏はそう言いつづけているし、都議選の結果はそれを裏付けているだろう。
しかし、現実は「受け皿は無い」のである。
「無い」ものをいつまでもクチをあけて待っていても、無いものは無い。

最近わたしは、野党共闘 という言葉を聞くと、ウツになる。
私もウツになるような野党共闘を、有権者におしつけて、本当に選択されるのか?

こんな候補嫌だなあ、と思いながら、でも自公よりはマシだから鼻をつまんで投票しよう というのが、今目の前にある野党共闘だ。
運が良ければ、投票したい候補がいる選挙区もあるだろうが、ほとんどはこういうことになる。

たしかに、理性で考えれば、それでも野党候補を一本化し、我慢してそれに投票するほうが、自公政権が続くよりはずっとマシだ。
それは十分に理解しているけれども、しかし、その気持ち悪い選択肢を選ばされるという現実こそが、投票率が激オチしている原因なんではないか。

こんな選択肢は 受け皿とは言わない。
むしろ、選ばされる有権者のほうが、候補者を受け入れてやる受け皿だ。
有権者に受け皿を強制する選挙で、本当に勝てるのか?



このブログは、私の勝手な心の落書きだ。
なんの責任もないし、誰を動かすわけでもない。

自由党に文句を言ったり、野党共闘に反対したりするのは自粛してきたけれども、考えてみたら私ごときが自粛する意味なんてない。思ったことは書く。役に立とうが立つまいが、それはどうでもいい。

そうは言いながらも、これからも必要に応じて手伝いはしていくだろうけれども、自分の心を無くしてまでやることはない。
自分が面白そうだ、やりたい と思えばやるし、思わなければやらない。

だいたい、思い起こせば我が50数年の人生で、理が勝って判断したことで成功したためしなんてないじゃないか。
理性なんてクソ食らえ だ。

リセットしよう。



2017-07-12(Wed)

国籍について

ツイッターを見ていたら、蓮舫の戸籍謄本を公開するとかいう話しでほぼタイムラインが埋まっている。
もちろん、「公開するな」「公開はおかしい」という論調がほぼ100%である。

その結論には私も同意するが、ただ、かなり多くの問題がゴッチャに論じられているように感じるので、少しメモしておこうと思う。

まず、どれだけの問題が重なっているのか。

0.国家という枠組みについて
1.国籍というものについての評価
2.二重国籍についての評価
3.国会議員の国籍について
4.戸籍制度そのものについて
5.戸籍を公開することについて

0.国家という枠組みについて

まず、そもそも国家という枠組みを良しとするのか、と言う問題がある。
左派の皆さんは、国家という枠組みを認めない、あるいは仕方なく最小限必要悪と考えている。
だから、国民という言葉にも反発することがある。

私も理想論で言えば、国家なんて無ければいいと思う。
国という枠組み無しで、数十億人が幸せに生きて行ければ、それでいい。
しかし、それってどんだけ先の話なのか。見当もつかない。

必要悪かもしれないが、当面は必要なものとして受容するしかないんじゃないだろうか。
だって、左派の大好きな憲法だって 「日本国憲法」なんだし。
とりあえず受け入れた上で、あとはちょっとでもマシなものにするしかない と思うのだが。

1.国籍というものについての評価

国家という支配の枠組みに、人民が帰属する制度が国籍だ。
どの国家の支配下に入っています、ということを明確にするわけだ。

これまた心情的には、帰属なんてしたくない、という思いはわかる。
しかし、じゃあ民主主義って何だ。
民主主義は空からふってきた夢物語じゃない。市民革命をとおして、国家権力とその支配下の国民のバランスを保つために血を流して生み出された知恵だ。

国王の所有物だった臣民が、国民になったとき民主主義が生まれたのだ。
所有物から帰属になるために、何百年もかけて人々は戦ったのである。

帰属させられているのではなく、国家をコントロールするため、暴走させないために、国家に帰属している というのが民主主義の本質だ。
だから、民主主義を高らかに掲げる左派の諸氏が国家への帰属を否定するのは、自己矛盾なのである。

もちろん、どの国家に帰属したいか、は自分で決めたらいいことだと思う。
生まれたときは日本人でも、自分で○○国に帰属するんだ と選択することは何の問題もない。
その逆もしかり。
それをとやかく言うのは、あきらかに差別である。

なお、非現実的ではあるが、そもそも国家なんて認めないというアナーキズムや世界同時革命を目指しているのであれば、国籍を否定するのは筋は通っている。

2.二重国籍についての評価

民主主義の理念からすれば、国籍とは「自分はどの国に責任を持つのか」ということだから、複数の国に責任を持つということは無理があるようには思える。
しかし、それが理念に背くかと言えば、そうは言えないだろう。本当に、ダブルで責任をとれるのであれば、それは本人の自由なのではないか。

無国籍という人もかなり多いと聞く。
ロシア革命から逃げてきてソ連を拒否した人たちや、中国革命のときにどちらも選択しなかった人など。
野球のスタルヒンとかお菓子のゴンチャロフやモロゾフなど、有名人もいる。
いろいろと不便は多いようだが、どうしても国籍がいやならばそういう選択もある。

二重国籍や無国籍という問題は、多くの場合本人の選択ではなく親の代までの経緯で決まっている。
過去の経緯の中で、特段の注意を払う必要があるのは、日本の侵略戦争による影響だ。日本にいる韓国・朝鮮人、中国人のなかのどのくらいの割合が戦争の影響による移住だったのかは私は知らないが、強制や経済的な事情など、直接間接に戦争が原因の移住はかなりの数になるだろうということは想像できる。

この人たちとその子孫についての国籍については、複雑にしてしまった責任は第一義的には日本国にあるから、他の事情での二重国籍などと同列には論じられない ということは書いておきたい。

ただし、蓮舫については中華民国と日本の国籍が問題になっているが、台湾の貿易商の父と資生堂にお勤めの母との間に生まれたとのことで、時代的にも戦争とは直接は関係ない事情のようだ。

3.国会議員の国籍について

国会議員は、自ら進んで国家運営のプロに立候補し、選ばれた人間だ。
民主主義によって国家に帰属している人たちの、その意思を背負って立っている(はずの)人たちだ。

このプロである国会議員が、二重国籍でいいのか という話になると、私は「よろしくない」と考えている。
こういうと、トランプ論を書いたときのように、またしても「レイシストになりやがった」という罵詈雑言が飛んできそうだが、ここまでの論旨をちゃんと読んでくれている人は、その意図を理解いただけるだろう。

他人の言葉をちゃんと読み聞きせずに、言葉尻だけで罵倒するのはレイシストと同じような思考回路ではないのか と少しばかりイヤミを言いながら、それでもやはり、「国会議員は帰属する国家をひとつだけ選択すべし」と繰り返しておく。

まして、総理大臣は権力の頂点である。三権分立とは言え、内閣総理大臣が圧倒的に権力を握っていることは、安倍晋三の独裁でなくとも原理的に明らかである。
国家にたいして激しく大きな権限を付託された総理大臣が、他国にも同等に責任を持ちうる というのは どう考えても納得できない。

左派の皆さんは民族差別的な観点ばかり考えているが、アメリカに帰属する日本の総理大臣 という可能性だって十分にあるということだ。今でもあまりかわらないと言えばそれまでだが、もっと露骨な事態が起きうるということだ。
たとえば、FRB議長が日銀副総裁に就任する何て言うのはどうだ?
リベラル諸氏が大好きなオバマは、イスラエル銀行総裁をFRB副議長に据えたのだから、そういう事態だって想定内と言うことだ。

日本の総理が従米やりまくった挙げ句に、アメリカで副大統領になるとか、そういう事態を想像しないのは平和ボケではないのか。

4.戸籍制度そのものについて

国籍の問題と、戸籍制度の問題は 分けて考えなければならない。
国籍はどの国にもあるが、戸籍は実質日本にしかない。
日本と韓国だけと言われていたが、韓国は2007年末に廃止された。

戸籍は個人単位の登録ではなく、家単位であることが特異な点だ。
グローバルだ国際基準だとさんざん騒いでいるが、戸籍などと言う世にも珍しいものを残存させている日本の制度そのものを問うべきなのではないか。

家族は国家となんの契約関係もなく なんの責任もない。つまり、家族として国家に帰属するいわれは何もない。
家族は個人の自由意志で取り結ぶ関係であり、国家にとやかく言われることはないのだから、戸籍制度などで国に家族を登録するのは間違っている。

繰り返すが、個人は国家に責任をもつ故に帰属する。そのかぎりにおいて国民として登録される。
その必要が無いのに、いたずらに家族関係を国家に登録するのは、あきらかに管理であり監視である。さらにその範囲を超絶に逸脱して、登録ではなくガチガチに情報管理するのがマイナンバー制度ということだ。

5.戸籍を公開することについて

したがって、蓮舫だろうと安倍晋三だろうと、戸籍など開示する必要はない。
蓮舫は国会議員であり、野党第一党の党首として将来的に総理大臣を目指すべき立場にいるのだから、二重国籍ではないということは明確にすべきだが、それは戸籍開示という手段である必要はない。
というか、そういう手段はとるべきではない。

もし蓮舫が戸籍開示をしなければならないのであれば、安倍晋三を始め現職の閣僚は全員オープンにする必要があるということになる。
安倍晋三が、「私は二重国籍ではない」と言って済むのであれば、蓮舫も国会などの公の場で「二重国籍ではない」ということを証言すればそれで足りる話しだ。

もっとも、先ほど書いたような日本を植民地支配するための意図的な二重国籍総理が誕生することを防ぐためには、国会議員のプライバシーを守りつつ国籍を証明する方法を考える必要はあるだろう。

以上、問題を切り分けながら、私の考えを書いてみた。


■■ お知らせ ■■

安倍自民党政権に打ち克つための、
『私たちの経済政策』勉強会

■日時 : 7月23日(日)13:30~16:30
■場所 : 大阪市立福島区民センター 301会議室
 大阪市福島区吉野3-17-23 TEL:06-6468-1771
 地下鉄/千日前線「野田阪神駅」下車 ・阪神電車/「野田駅」下車
アクセス:https://www.osakacommunity.jp/fukusima/access.html
■講師 : 松尾匡 立命館大学経済学部教授
*現在、京都にて山本太郎氏×ひとびとの経済政策研究会で、
  「全てのひとびとのための経済学講座」(全4回)を開講中。
*リベラル派が今最も傾聴したい、注目の経済学者です。

■参加料 : (生活フォーラム関西会員)500円、 (一般参加)1000円
──────────────────────────────
〈 生活フォーラム関西:連絡先 〉
メール:sforumkansai@yahoo.co.jp
〈 入会申し込み 〉
ブログ:http://seikatu-forum.blog.jp/ 画面右側から
又はhttps://ssl.form-mailer.jp/fms/f8dadd89365979
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2017-06-16(Fri)

共謀時代を生きる ~驚愕の事態にも慌てない胆力を~

共謀罪の凶暴採決から半日が過ぎた。

安倍官邸の暴走と、それに追いすがる自民公明維新の米つきバッタの群が、目の前を走り去っていった。
そして、暴走車にブレーキをかけるフリをしながら、決してタイヤに触ろうとしない、寸止め野党=民進党の姿も明らかになった。

もうこれで、日本は終わったのか。
絶望しか残っていないのか。
もちろん、そんなことはない。

これから始まる共謀罪時代を、私たちはしぶとくイヤラシク生き延びていくのだ。
そして、時間はかかるかもしれないが、いつの日か自分たちの手でこの悪法を葬り去るのである。

そのためには、何をすればいいのか。
何からはじめればいいのか。



共謀罪の本当の怖さは、フリーハンドでえん罪を作れるという機能にある。
細かい構成要件を云々しても意味は無いのであって、「物証のない密告だけでえん罪いっちょ上がり」ということが、共謀罪のすべてである。

つまり、スパイを使って「会話」を行わせ、その後ただちに密告すれば、ほぼ誰でも自由に逮捕することができる。
「会話」すらなくとも、密告だけでも3泊4日の留置所旅行くらいはご案内できる。4日目には無罪放免だったとしても、フツウのサラリーマンにとっては致命的な打撃になる。

満員電車の恐怖=痴漢えん罪のようなことが、日常生活のあらゆるシーンで起こりうるということだ。
たとえば、会社の上司ともめたら、アリもしない密告をされるかもしれない。
日照を奪うマンション建設に反対したら、密告されるかもしれない。
恋の競争に勝って彼女を射止めたら、元彼に密告されるかもしれない。

ありとあらゆるトラブルで、密告されれば逮捕されるのが、共謀罪なのだ。
政治に全く無関心な人でも、近隣トラブルや会社でのもめ事や恋のさや当ては日常茶飯事だ。
そんな場面でも、「上司を脅迫しようと○○さんと相談して、包丁を購入したんです」と密告すれば、あなたの敵は見事ブタ箱行きである。

これまでは、実行犯でなければ罪にならないから、なんの根拠も無い密告では逮捕状はとれなかった。
しかし、共謀罪は違う。密告が最上の証拠として、いきなり逮捕されてしまう。
法律の細かい規定はともかくも、そのように最大限拡大して運用されていく。



もうここに至っては、共謀罪はそういう法律だと思ってかかるしかない。

あきらめと開き直りしかない。
スパイをあぶり出せるほどの信頼関係を普段から作っておくことは確かに重要だが、運動が広がる局面でプロのスパイが入ってきたならば、まず判断することはできないだろう。
そのために疑心暗鬼になるよりも、やられるときは何をやっても言ってもやられるんだ と開き直るしかない。

最悪なのは、共謀罪を怖がって萎縮してしまうことだ。
敵は刀を抜くことなく目的を達成してしまう。

治安維持法から柳条湖事件まで6年。
共謀罪の6年後は、2023年。オリンピック景気が去って最悪の不景気に呻吟しているころだ。
その怨嗟の声を外に向けるためには、90年前と同じことをするのではないか。

今国会でこれほどに無理矢理に共謀罪を成立させたのは、その近未来を予測してのことだろう。
何をされても怒ることのない日本人をコントロールするために、共謀罪は必要ない。あまりにもオーバースペック。鉈で鉛筆を削り、日本刀で髭を剃るようなものである。
にもかかわらず、あえて暴挙の中で共謀罪を成立させたと言うことは、さすがの日本人でも現行法では抑えきれないほどの耐え難い事態に立ち至る、という予想があるからに他ならない。

今を生きる私たちが刮目すべきは、共謀罪そのものよりも、それを必要とする近未来である。



そうした敵の大きな戦略を考えると、場合によっては16日の国会最終日には、驚きの事態が生じる可能性もある。
すなわち、安倍内閣の総辞職である。

戦争法と共謀罪を作り上げるところまでが安倍晋三の役割だった、という可能性だ。
森友と加計の報道を解禁したのは、共謀罪で日和ることを許さないという中枢の意思であり、共謀罪が通ったところで、そのすべての汚れ物を抱えて安倍晋三を退場させる、というシナリオがあるのではないか。

安倍総理を辞任させたい麻生太郎 「森友」「加計」黒幕説が浮上
2017.6.15 デイリー新潮


麻生個人の欲望という意味ではなく、あまりにも汚れすぎた安倍晋三をすげ替えて、オリンピックに向けて盤石を体制を構築したいと思うのは、権力の常道ではないだろうか。
麻生が後ろ盾で岸田を立てる、などの策に出た場合、日本国民諸氏は、ころっと騙されるだろう。

顔は変わっても、問題は首相官邸のゲシュタポが健在である限り、権力構造は変化しない。
安倍・管がその極悪キャラを生かして汚れ役を務めたように、次の首相は任務としてお掃除役をやるだけのことだ。

そうした権力内部の煙幕に目をくらまされず、大局観をもって、しぶとく、イヤッタラシクたたかいつづけること。
自らのちからで政権交代を果たすまでは、何がおきても、その途を進むしかない。




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2017-05-20(Sat)

そもそも 日本人は自分の運命を自分で決めたことがあるのだろうか

治安維持法が衆院の委員会で可決されてしまった。
法律の名前はテロ対策ナンタラカンタラで、またの名を共謀罪というが、ようするに治安維持法だ。

まだ衆院本会議も、参議院審議も残っているが、安倍政権が倒れないかぎりは、どうにも止まらない。
仮に国会を占拠したところで、大幅延長で通年選挙にされてしまえば、時間の問題だ。

昔の自民党のように、妥協や取引が通用する相手ではないので、止める方法がまったく見当たらない。
また、野党側にも腹芸のできる人間は皆無であり、M問題やK問題とひきかえに共謀罪を流させるなんてことは思いつきもしないだろう。

以前から書いているとおり、安倍政権をもしかしたらひっくり返せる可能性でいえば、共謀罪よりも森友や加計学園問題のほうが、まだしも可能性は高い。
それ自体に違法性があること、自民党内の非安倍派も乗りやすいこと、ポピュラー(一般の感情に受け入れやすい)なこと、などなど。

しかし、問題それ自体の重さ、今後の国のあり方を決めてしまう影響力で言えば、桁がいくつも違う。もちろん、共謀罪のほうが大きい。
森友や加計の問題は、自民党にとっては日常茶飯事で探ればゴロゴロしている話しだが、共謀罪は国家と人民の関係が一変する。

「考えて相談しただけで犯罪」ということの もっとも恐ろしいことは、「いくらでも証拠をねつ造できる」ということだ。
ほぼ無制限にえん罪を作り出すことができる。
実行行為の証拠をねつ造するのはそれなりに大変だが、共謀の証拠など、その気になれば一瞬で無限に作れる。

20170520-3.jpeg治安維持法が、戦前の軍事独裁をしっかりと支えられたのは、この「えん罪製造能力」ゆえである。
処刑したい対象があれば、スパイを送り込んで他愛もない話しをさせておいて、「この人からこんな相談を受けました」と証言させればいい。簡単だ。
その効力が行き渡れば、最後は証拠すらいらなくなる。
よくしられた話しだが、あの吉田茂ですら治安維持法で投獄されていたのである。

この治安維持法を葬れるのであれば、M問題やらK問題やらと取引しても、どんなキタナイ手をつかっても私はOKだと思うけれども、昨今の野党や高尚なリベラル諸氏はこんなキタナイことはお嫌いなのだろう。
今あるリソースをギリギリまで使い倒して、現実的に何ができるか、という発想は、政治の世界ではおよそ耳にしない。
(ビジネスの世界ではあたりまえなんだけどね)

もちろん、キタナイ妥協は禍根を残すが、どっちがマシか、どっちがより致命的か、と言う選択の問題だ。



勧善懲悪、白と黒 という価値基準と行動規範しかもたない日本人の特徴は、トランプの理解と評価にも端的に表れている。
トランプの行動は、まさに今あるリソースをギリギリまで使い倒して、現実的に何ができるか、ということに貫かれている。その表面的な妥協や挑発を見て、黒だ黒だと大騒ぎしているのが日本のリベラルである。
そのような妥協や挑発をすることで、何をどこまで獲ろうとしているのか、ということには目を向けない。

しかし考えてみれば、日本人はこれまで「自分たちで自分たちの運命を決める」という経験をしていないのだから、仕方ないのかもしれない。
人間にとって、一つの社会集団(民族とか国民とか)にとって、本当に自分たちの行動に運命がかかっている というトンデモナイ重圧を経験したことがあるかないかは、決定的な違いである。

革命にしろ独立にしろ、アメリカを含むほとんどの国が一度や二度は経験している。
日本でも明治維新があるじゃないかとか、戦後民主主義がある とかいう意見もあるだろうが、それは まったくあたらない。

明治維新は、少なくとも政治権力に関するかぎりは薩長によるクーデターであり、相楽総三ひきいる赤報隊や自由民権などに端緒的にみられた民衆の意思と力は、利用するだけ利用したあとは血で粛正された。
資本主義のめばえすら、国家独占資本によって封殺してしまった。日本は、明治から今日まで、国家独占資本主義であり、その「進化」形の新自由主義であって、これは資本主義ではない。
20170520-1.jpeg
天皇の戦争責任も問えず、沖縄を売り渡し、ケーディスに作ってもらわねば憲法草案すら満足に作れなかった戦後の日本の、どこに自決の歴史があるというのか。
あの悲惨きわまりない戦争のあとで、なぜ自分たちで革命(運命をあらためること)できなかったのか。私は、わが歴史として心が痛い。恥ずかしい。
そして、この恥辱を感ずることのない「戦後民主主義」の、直線的ななれの果てが現在の惨状だ。

その後は、60年安保で大きな運動はおきたけれども、選挙になれば自民党が圧勝した。
70年安保では、戦後民主主義にたいする疑義を含めてラディカルな問題提起はされたけれども、当事者たる全共闘世代は独占資本の主力として吸収されていき、いまや悠々自適の団塊ライフである。



自決(自分で自分の運命を決める)の経験がない という希有な国民、たぐいまれな民族。
何がおきても、何をされても、本気で怒ることがない国民。
流れに身を任せていればなんとかなる という歴史的な潜在意識に支配された民族。

ある意味で、治安維持法に反対する声もろくに上がらない国に、治安維持法なんて必要ないのじゃないかとすら思うのだが、警察にとっては「あれば超便利」な打ち出の小槌(ふれば即座にほしい証拠が出てくる)だから、答弁拒否して一気に作ってしまえ!ということになった。
ちなみに、金田は「答弁できないのに法務大臣やってる」 のではなく 「答弁できないから法務大臣やってる」のである。
官邸の「答弁など全部拒否!」という方針に、ピッタリな人材だったのである。

これも前から書いている通り、安倍政権自体はガタガタだ。風前の灯火である。
日本のようなたぐいまれな国民でなければ、確実に5~6回は総辞職している。
そんな内閣すら倒すことができず、逆にやりたい放題で治安維持法を作られてしまう体たらく。

20170520-2.png 声を上げよう というのは簡単だ。
しかし、10万にやそこらが声を上げても、どうにもならないということは実証済みだ。
しかも、その声を「大きな音だね」と言ってのけた野郎が、野党第一党の幹事長におさまってるんだから、なにをか言わんや。

やはり、原点に立ち戻るべきなのではないか。
原点とは、自分たちのことは自分たちで決める、すなわち、日本の独立 である。

対米従属を批判する人は多いのに、日本の自立を求める話しはさっぱりウケない。この矛盾を矛盾とすら感じない人が多い。
日本の民が解放されるためには、まず「独立=独自核武装」という刷り込みを消し去らなければならない。反戦な独立という展望を語らなければならない。

私たちに欠けているのは、知識でも良識でもない。
「自分で決める」という重圧を受け止める覚悟である。

責任をアイマイにすることで享受してきた「戦後民主主義」に対する、深い(ラディカル)反省から、あらためて自決する覚悟を涵養すること。
遠回りなようで、それが唯一の道なのではないか。
歴史上はじめての責任に、立ち向かうことの始まりなのではないだろうか。




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2017-05-01(Mon)

日本のメーデーが燃えないのはなぜか

今日はメーデーだった。

May Day 5月の日。昔は古代ローマの花の神、フローラを祝う祭りだったとか。
たしかに、今の時期はいろんな花が一斉に咲き乱れ、フローラ祭りをやりたくなる気分よくわかる。

そんなほのぼのとした祭りの日が、なんで労働者の権利をもとめる闘いの日になったのか、その経緯はよくわからない。
一説では、祭りの日は労使が休戦して仲良く楽しんでいたのが、やがて労働者の権利の主張につながったという話も見かけた。

その辺の経緯はともかく、本格的に労働者の闘いの日になったのは、このあたりが定説のようだ。

(以下引用)

世界大百科事典 第2版の解説

その起源は1880年代のアメリカにおける8時間労働制を要求する運動にある。84年に〈労働騎士団〉をはじめとする労働組合が,5月1日を期して8時間労働制要求のゼネストを行うことを決め,第1回の行動として86年5月1日に〈8時間の労働,8時間の休息,8時間の教育〉をスローガンとしてストライキ,デモ行進を行った。

(引用以上)

130年前に8時間労働を求めて立ち上がったのが、労働者のメーデーの始まり。
しかし、現代日本を振り返ってみると、月に100時間の残業もOKで、70~80時間は当たり前だ。130年間、何の成果もえていないということだろうか。
それどころか、残業時間の天井を決めることで、それを超える時間は自動的にサービス残業にさせる、ということがまかり通っている。36協定は、労働者を守るどころか、サービス残業の理由になってしまっている。

近年は人手不足だと言いながら、労働環境の改善はされず、少ない人数でより多くの仕事をさせるという、より過酷な労働環境になっている。いったいぜんたい、労働市場という観念は、日本には存在しないのか??

これほどひどい日本なのだから、130年前よりは、ちょっとはマシにしろ! と働く人たちが立ち上がって、盛大なメーデーを敢行しても良さそうなものだが、昨今のメーデーはまったく盛り上がらない。
30年くらい前に病院に勤めていた頃は組合があって、私もメーデーに参加していた。当時はまだしも人数は集まっていたようだが、集会後の組合のボーリング大会が楽しみだったり、日当めあてだったりして、あまり切実な闘いの雰囲気はすでに無かった。

まして、その後建築の世界に入ってから、組合というものにお目にかかったことがない。中堅ゼネコン、零細設計事務所、地場の工務店などなどいろいろ勤めたが、労働組合なんて月の世界はなしかと思うくらい、まったく縁の無い、遠い遠い世界だった。メーデーなんてニュースで見て、へえそうだったんだ、と思うくらい。

これを、「日本の労働者は意識が低い」と決めつけてご高説をたれるのは簡単だ。しかし、私はそんなことではないと思っている。

結論から言ってしまうと、日本でメーデーが盛り上がらない理由は、日本が資本主義ではないからだ ということだ。
日本には労働者はいない と言う意味でもある。

労働者というのは、労働力だけを糧として生きる人間のことだ。
労働力以外の生産手段を独占しているのが資本家で、労働者と資本家は必然的に対立せざるをえない。
というのが、典型的な資本主義の姿である。

しかし、日本の「資本主義」には、労働者と資本家の対立以上に鋭い対立が内包されている。
それは、元請けと下請けの関係だ。
大企業と中小零細の関係といってもほぼ同じ意味だろう。

明治時代に無理矢理「資本主義」の国になった日本は、官僚が敷いたレールの上を政商が走り、多くの零細企業はその下支えをさせられた。
敗戦後、財閥解体で一度はそうした構図がなくなるかに見えたが、実質は何も変わらず、官僚主導の官製「資本主義」が異常に発達した。護送船団方式などとも言われた。
限られた巨大企業が圧倒的な主導権をもち、中小零細はそのおこぼれをもらって生きるしかない、という構図は、産業規模が大きくなったぶんだけ、むしろ戦後に強化されたのではないか。

いかに中小企業と大企業の格差があるかについては昨年12月に書いたこの記事を参照してもらいたい
 → 国民の7割は中小零細企業の社長と社員とその家族だ 

収入面の結論だけ書くと
中小企業の社員のほとんどは、全体の平均年収ももらえていない。
まして小規模企業にいたっては、社員5千人以上の超大企業の年収の6割にすぎない。
これに福利厚生や退職金を含めれば、もっと大きな差が開く。

大企業からギリギリのコストを押しつけられている中小零細企業で、労働者が盛大に権利を主張すると、ほんとに倒産する。
そういう現実の中で、7割の「労働者」は働いている。
そのリアルに向き合っている目からは、組合作ってメーデーで盛り上がれる身分はうらやましい限りだ。

また一方で、大企業社員や公務員は、比較的恵まれた待遇があるために、あえて組合だメーデーだとやらかす動機が薄くなる。
当然のこととして、組合はあっても組織率は激減してきた。

日本の「資本主義」は本来の自由競争とはほどとおい官製「資本主義」であり、スタートでできた格差が長年の蓄積でさらに差が開いた状態が今日の姿である。
第2に財閥解体をやらないかぎり、日本に資本主義は生まれないし、本来の意味での労働者もうまれない。

では今の「労働者」に見えているものはなにか。
それは、村落共同体に縛られ、年貢を搾り取られていた農民の姿そのままである。
幕府や殿様が「政官財」にかわり、村落共同体が中小零細企業に様変わりはしているが、大きな構図は江戸時代と何ら変わっていない。

このような今の日本で 労働組合やらメーデーやらが盛んになるわけがない。
この現状を出発点にして、なんとか人が人らしく生きていける途を探るためには、私は労働者VS資本家の闘いではなく、下請けVS元請け、中小零細VS政官財 の闘いを作っていくべきなのだと思っている。

こんどこそ財閥解体を成し遂げて、明治から営々と積み上げてきた官製のアドバンテージをすべて奪い取り、改めて自由競争による資本主義を発進するところから、この国はやり直すべきだ。

なお、誤解のないように蛇足を書いておくと、新自由主義は自由競争とはもっとも遠い場所に生息するアンフェアの権化のような存在であり、資本主義ですらない。だから、資本主義の出来損ないの日本は、やすやすと新自由主義の餌食になったのだ。
だから、私の言う自由競争は、新自由主義礼賛ではない。真逆である。

また、やり直した資本主義がうまくいくという保証もない。
しかし、あまりに不平等から出発した官製「資本主義」を一度解体しなくては、これをいくらこねくり回しても、腐った材料は腐った料理にしかならない。

こうした自由競争の資本主義を生き生きと活動させるために、政治の福祉とかセイフティーガードが必要なのだ。
福祉大国と言われるスウェーデンは、企業に対する救済を一切やらない、極度の自由競争主義だという。だから、業績が悪いとどんどん倒産し、じゃんじゃん失業する。なので、不採算分野はさっさと儲かる分野に鞍替えして、失業者は手厚い福祉でバックアップされる。
国の規模が違うから、単純に引き写しはできないが、これが本来の資本主義なのではないか。

血のメーデーから65年。
昔日の劣化コピーで、惰性のメーデーを続けることよりも、もっとラディカルに変革を考えてみることが必要だ。
5月1日 そう考えた。



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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 17

16 からつづく

 では、化学物質過敏症ではないシックハウスとは何かというと、家が原因で病的な症状をきたすこと全般である と当時そのNPOでは言っていたように記憶する。原因物質はいろいろあるわけで、もちろんペンキや接着剤や合板などの建材から出るトルエン、キシレン、ホルムアルデヒド、シロアリの薬(防蟻剤)だったクロルピリホス、建築とは違うけれど家の中にある防虫剤のパラジクロロベンゼンが代表物質と言われている。建築基準法で、クロルピリホスは禁止、ホルムアルデヒドは建材から発散する量によって等級がつくようになったので、一般の人でもなじみがあるかもしれない。

 建築基準法で決められたのはもう一つ。強制的な24時間換気だ。さきほどの防虫剤なんかもそうだし、家具や消臭剤やいろいろと家の中に持ち込む化学物質がたくさんあるので、それを吐き出すために人が常時いる部屋は24時間換気扇を回しっぱなしにしなければならない。当然、排気がある以上は吸気口もつけなくてはならず、いくら弱で回しても冬などは寒い。ここまでしなくちゃならない理由は、じつは持ち込み物質だけじゃない。イマドキの建材はたしかにホルムアルデヒドはかなり抑えられているし、トルエンやキシレンがプンプンするものはほとんどない。でも、他の物質を開発して代替しているので、さて何が良いのやら悪いのやら、よほどの化学物質の毒性に詳しい専門家じゃないとよくわからない。しかも、クロルピリホスのように昨日まで問題ないと言われていた物質が急に禁止になったりするわけで、専門家の言うことを丸呑みにするのもなんだか怪しい。

 いろいろ考えたあげく、ボクがたどり着いたのは「できるだけリスクを減らす」という何の変哲もないありふれた答えだ。まずゼロにはできない。化学物質もゼロは難しいし、天然化学物質は木の家ならばじゃんじゃん出てしまう。天然だって度が過ぎれば症状が出る。桧(ひのき)なんてほんのり香ってるぶんにはいい臭いだけど、六面を桧に囲まれた部屋だったりすると頭が痛くなる。桧オイルをこぼしたときなんて、もう大変だった。ゼロリスクにはできない。そのことは、まずはじめに住み手の人に言っておかなくてはならない。

 その上で、できるだけリスクを減らす。家の内側には合板は使わないとか、江戸時代から長く使われている材料にするとか、人口の化学物質を使うときは揮発性のない物質にするとか、まず口には入らない箇所に限定するとか。一番気をつけているのは、床暖房を使うときの床材だ。床材には見えている床材(フローリング)と、その下にもう一枚貼ってある床下地材がある。イマドキの家は99%厚い合板(ベニア板)の床下地材の上に合板のフローリングが貼ってある。もちろんホルムアルデヒドをあまり出さないフォースターという等級のものなんだけど、これが暖房かけちゃうと思い出したようにホルムアルデヒドを出してしまう。床だから逃げるわけにもいかなくて、寝転んだり子どもだったりペットなんかはかなり濃いのを吸ってしまう。なので床材、とくに床暖房するとこは合板は使わずに無垢の板にするか、揮発性のない接着剤を使った集成材にする。

 あと、建材から出る物質で気をつけなくちゃいけないのは可塑剤だろう。ビニールクロスとかビニールのシートを表面に貼ったドアなんかの建材から出ている。最近の一般的な新築住宅で臭っているのは、ほとんどこれじゃないかと思う。環境ホルモンの疑いなどもかかっていて、ボクはできるだけ避けるようにしている。

 見た目に反して化学物質の温床と言われているのが畳。い草を染める染料と、育てるときの農薬、裏側に貼ってある殺虫シート、畳床に使われているポリスチレンなどなど、どれも致命傷ではないかもしれないが、できるだけリスクは減らしたい。だから、明月社の家ではダイケン畳というのを使っている。い草の代わりに和紙のこよりなので農薬はないし、畳床はインシュレーションボードという木の繊維を接着剤ではなくて熱で固めたボード。もちろん完璧ではないけど、かなりマシである。ご予算がウンとあって和室にはこだわりたいという方には、無農薬のい草に無農薬の藁床畳という高級オプションもある。

 家の中の建材で、かなり面積が大きいのはドア。イマドキドアは木の繊維を接着剤で固めたもの(MDFという)にビニール系のシートを貼ってある。そのシートの木目が職人の「作品」だという話は前に書いた通り。このドアも、もちろん建築基準法の基準は守っているけれども、やっぱりできるだけリスクは減らしたいので、予算にも関わるので必ずとはいかないけれども、無垢の木を使ったドアを使いたい。完全無垢は技術的に難しいので、揮発性のない接着剤を少量使った集成材と言うことになるが。

 よく使っているのはニュージーランドで一貫生産していることをウリにしてよくTVコマーシャルもやっているあのメーカーの製品。「さんざん国産材だと言っておきながら何なんだ」と怒られそうだが、なにせお値段の問題がある。国産材のドアメーカーはなかなかのお値段なのだ。実は、そんな中でもシンプル&リーズナブルに製品化できそうな工場を見つけたので、新幹線に乗って工場の見学や打合せにも行ってきた。次の設計でご予算が合えば使ってみようと思っているのだが、肝心の次の仕事がない! だれかボクに家を作らせてくれ・・・

18 へつづく

2017-04-15(Sat)

カンパとドネーション

最近は、市民運動界隈でも新しい横文字が多い。
20170415-1.jpgビラとかチラシはフライヤーとかいうらしい。私はフライヤーと言ったら厨房の揚げ物つくるあれしか思い浮かばない。
古色蒼然たるのぼり旗は禁止という集会なんかもあり、セブンイレブンで印刷するプラカードが主流だったりする。
デモはパレードで、カンパもドネーション。ドネーションが寄付という意味なのは知っているけれど、なんとなく違和感がある。

カンパという言葉は、すっかり市井に溶け込んでいるのでいまさら左翼用語だと言う人もいないだろうが、もともとはカンパニア闘争すなわち大衆闘争という意味からきている。wikiによれば、カンパニアというのはロシア語だそうでなるほど、左翼用語だったのだろうなと思わせる。英語にするとキャンペーンだそうである。

カンパがカンパニア闘争から派生しているということは、やはりドネーションとはそもそも意味が違っていたということになる。
寄付は集まったお金のほうが目的だけれども、カンパニアであれば多くの人に出してもらう行為のほうが主たる目的と言うことになる。どちらが良い悪いではなく、主目的が違う。

だから、左翼であっても金額をきっちり集めたいときは寄付と言うべきだし、イマドキ運動であっても出してもらう行為に主眼があるときはカンパと言ったほうが正確だ。
違いは、それだけではないような気もする。カンパは小銭を出してくれた人も運動の中の人であり、寄付はやや外に立っているというニュアンスがある。ドネーションという耳慣れない言葉で言われると、よりその感じが強くなる。

あまり関心の無い人にもちょっとでも目を向けてもらおうと言う意味では、外に立っているドネーションで良いのかもしれないし、運動に参加してもらおうという意識付けではカンパと言ったほうが良いのかもしれない。
どっちが良いのかはわからないが、そういう違いがある。

服装やら横文字やら音楽やら、イマドキの運動はかなり気を使って、古くさい左翼運動チックな臭いを消し、楽屋落ちにならないように努力をしてきた。
私自身そうした集会等々にも数多く参加してきたし、昨年の憲法フェス大阪では主催側で関わったりもした。
そして感じたことは、あまり効果が無いのかな ということ。

20170415-2.jpg音楽をやれば音楽好きはあつまるけれども、それは政治の課題の枠が拡がったのとは違う。
音楽イベントで政治にも触れたということであって、逆にその音楽を好きな範囲に限定されるし、音楽がなければ集まってこない人たちがほとんどと言うことになる。

ダサい左翼臭を忌避することでフツウの人々が大挙参加したかと言えば、なんのことはないご参集の方々の主力は団塊の皆様だったりした。
もちろん、沈黙していた団塊世代が定年退職したこともあって久々に街頭に出てきたことは、決っして悪いことではない。

ここ数年の経験を振り返ってみて、どうもピントが外れていたような気がしてならないのである。



イマドキの運動は大言壮語しない。
昔の左翼のように、デキもしないことを激しい言葉でアジることもしない。
誠実に思うことを述べて、あとは野党共闘でお願いね という話だ。

たしかに、政党間の桎梏を取り除くために、市民団体の介在は意味がある。お互いに、妥協するために言い訳になるからだ。大義名分と言ってもいい。
野党共闘が、大いに有効であるならば、それで万事OKなのだが。。。

20170415-3.gifもう繰り返さないが、民進党という鵺(ヌエ)を頼りにした野党共闘が、果たしてどこまで有効性があるのか。当面、選挙になれば共闘はせざるを得ないのは間違いない。しかし、「政権交代させないため」の集団を頼りにして政権交代がデキるわけがない。

せいぜい、大負けを小負けで済ませるという程度の効能しかないだろう。

今いちばん必要なのは、気楽に参加できる運動とか、ヌエのような大同団結ではなく、「頼りになる政党」 なのだと思う。
「頼りになる政党」の条件とは

1.権力も財産もコネもないフツウの人間が、死ぬまで生きられるような 確実性のある政策
2.自公や官僚に忖度せず、政策実現のために全身全霊をなげうつ
3.カンパニア=大衆組織をしっかりと作る

例え今は少数でも、この三つを確実に進める政党ができれば、選挙の様相は絶対に変わる と私は思う。
まったくの夢物語かと言えばそうではない。
社民党、自由党、さらには地方議員を擁する緑の党、新社会党、かなり数多くの無所属市議など、核になりうる人たちは存在する。問題は、それをまとめる人がいないだけだ。

それと重要なのは、大衆組織である。
大衆組織のない小選挙区制は、たしかに党本部の独裁体制を生み、安倍一強と言われる現状を作り出している。
しかし、各小選挙区ごとに100人の活動家がいて、1000人が年に1万円をカンパするならば、政党助成金に縛られることのない自立した運動ができる。最初はその1/10からでもいい。

この組織が共産党と協力すれば、自民+公明+維新+小池新党の連合軍とも互角に戦うことができる。

共闘すべきはヌエのような民進党ではなく、それ以外の人々であり、それが、野党共闘頼みではなく、自分たちの組織を作ると言う方向を向かなければ、いくら姿形や言葉遣いをどのように飾ったとしても、日々の暮らしに追われる国民の目には「趣味」にしか映らない。
本当に「頼りになる政党」を作る。それしかないと思う。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 11

10 からつづく

 日本の林業には輝かしい黄金期がある。1960年代前半から1970年代にかけて、国産の木材は飛ぶように売れた。出荷量は現在の3倍以上。当然値段も高く、物価を勘案すると2倍以上の価格で売れていた。つまり、今の6倍以上儲かっていたわけだ。しかしウハウハの極みにあった1980年から出荷量が急激に減り始める。戦災復興→高度経済成長→持ち家政策という一連の住宅景気が一段落したところに、第2次オイルショックだった。さらに1990年代のバブル崩壊後には出荷量のみならず価格も下がっていった。こうして濡れ手に粟の日本林業は、補助金でかろうじて命脈を保つ絶滅危惧産業になってしまった。
 木材の価格だけ見れば1980年までの価格は明らかに高すぎたのであり、濡れ手に粟をキッパリ諦めて適正な利益を生み出す程度に修正すべきだった。そうすれば輸入材にここまでシェアを奪われることもなかったし、少々の不況はあっても絶滅危惧されるところまで落ち込むことはなかったはずだ。

 さらに困ったのは、使える木を切り尽くしてしまったことだ。戦争中、お寺の鐘までが武器を作るために供出されたことは有名だが、木材も同様に日本木材統制株式会社という国策会社によって軍需用に乱伐され言い値で供出させられた。戦争に負けると今度は焼き尽くされた住宅の復興が始まった。敗戦直後は全世帯数の1/4にあたる420万戸の住宅が足りなかったというから、木材は伐れば伐っただけ高値で売れた。こうしてただでさえ荒廃した日本の山を、戦後は莫大な復興需要のために後先を考えず伐って伐って伐りまくった。

 もちろん拡大造林の大号令をかけて植林に励みはした。なんと15年間で400万ヘクタールに杉や桧を植えてしまった。400万ヘクタールというのはなんと日本の陸地面積の1割以上で、現在の日本中の宅地面積の2倍以上だ。恐るべし。しかし、当たり前だが植えた木は何十年かたたなければ商品にはならない。泥棒を捕まえてから縄をなうどころか、泥棒を捕まえてから縄の原料になる麻の種まきをするようなものだ。これだけの植林となると林業家ではない人たちも木材バブルに浮かされて里山の広葉樹を切り捨て、田んぼや畑にまで杉桧を植えた。本当は杉には適さない山にもどんどん植林した。
 低い山の南斜面に杉を植えると、目の詰まった良材はとれずに花をいっぱいつけて花粉を大量生産すると林業家に聞いたことがある。ご想像の通り、毎年春の花粉症はこの拡大造林運動の結果である。

 こうして需要の側からも供給の側からも木材バブルは幕引きとなったのだが、日本林業の基本路線はいつまでたっても「いつかまた値が上がる」「値を上げるためにもっと使え」だった。ボクは吉野の台風被害の木を使ってから、林業についての本を買い込んで読んでみた。そのほとんどが現状を嘆くばかりで、口を揃えて「日本の山は困っている」「国産材は安い輸入材に負けた」「日本の環境を守るためにもっと日本の木を使え」だった。最初は「大変だなあ」と同情していたのだが、何冊読んでも嘆き節なのに、ややうんざりしてきた。冷静な分析や、経営的な将来計画について書いてあったのは、当時読んだ中では唯一「イギリス人が見た日本の林業の将来」という本だけだった。おいおい日本人、自分で考えようぜ、と暗澹たる気分になった。

 それでも、明月社の家は国産材を使っている。産地は土佐嶺北、土佐梼原、吉野天川、十津川、球磨とその時々の縁でいろいろ替わってきたが、日本の山の木で建てるということは一貫してやってきた。しかも、いずれもその産地を自分の目で見てある程度その産地の事情を理解し、可能ならば住み手も産地まで同行して自分の住む家の木の一本くらいは自分で伐るようにしてきた。
 なぜ日本の木にこだわってきたのか。論理的に説明しろと言われてもちょっと難しい。理屈抜きの感情のほうが大きいからだ。自分たちの何代か前の世代の人たちが植えまくってしまった木材バブルのせいで、やっと使い頃になったら山に放置されている杉や桧たちが気になって仕方ないのだ。伐って使うのは人間の都合だから、そのまま放置しておけばいいという話は残念ながら通用しない。そもそも使うために植林した木たちだから、放置してもマトモに育たない。畑の野菜が間引きしないとヒョロヒョロになるのと同じで、過密に植林された杉や桧は放置すると異常に細長くなり、枝と枝が重なって地面には日光が届かない。草も育たず土は流れて根がむき出しになり、そこに台風や大雨がくるとまとめて倒れたり土砂崩れを起こしたりする。林業用に植林された山は、放置してもそう簡単に自然に戻りはしない。

 バブルに浮かれて伐りすぎて植えすぎた責任はボクにはないし、もちろん住み手にもない。同時に、植えられた木たちにも責任はない。けど、山に行って、使い頃の木たちが切り捨てられて腐っていく姿や、間伐もされずにロウソク林(異常に細く密集した状態)になってしまった姿を見ると、たまらない気持ちになる。もったいないどころか、植林地の中心でバカと叫びたくなる。ボクたちの住まいからほんの半日の距離にこうした木々がそれこそ山のように生えている。これはもう どうしたって使わずにいられなくなるのだ。
 それと、国産材は「気持ちがいい」。国産の杉や桧は輸入材のベイマツやベイツガや福州杉なんかと比べると、見た目も匂いも格段に気分がいい。別に国粋主義でもなければ輸入物を差別しているのでもなくて、感覚的に気持ちがいいというのは、ボクだけじゃないと思う。やっぱり同じような風土で育ってきたせいなんだろうなあ。

12 へつづく
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