2013-10-30(Wed)

なにをなすべきか

蛇足ながらレーニンの著作とは何の関係もない。

「なにをなすべきか」 今の私たちにこれほどピッタリくる疑問はないだろう。

何が問題か。これは山ほどの問題が、ネットを埋め尽くすほどに解説されている。その気にさえなれば、何が問題かを知ることはできる。
しかし、なにをなすべきか これは誰にも分からない。

この混迷状況のなかで「脱原発」を語り始めた小泉純一郎は、やはり巧みな男だなとつくづく思う。
誰も彼もがすがりついてくるだろうと読み切った行動だ。そして、その通りになりつつある。

社民党の吉田さんも「会っていただけたのが 云々」と、まるでヒーローに会えた少年のようなコメント。同席した又市さんはもう少し冷静なようだが。
社民党に限らず、誰も彼もが小泉詣でを始めた。「小泉なんだから気をつけようよ」と言うと「分裂をたきつけている」と返される。
シングルイシューでの連携は否定はしないが、小泉の目的を踏まえて構えなくちゃダメでしょと言いたいのだが、気の良い日本人は、連携するからにはオープンマインドじゃなくちゃ失礼だと思っている。
オープンマインドではあっというまにマインドコントロールされるというのに。

ただ一点、又市さんのブログに間違いがなければ、小泉はこう言っているらしい。
「10万年も大量の核廃棄物を安全に保管できる場所など地殻変動の激しい日本では作れない。国民も納得しない。」(又市征治 公式ブログ

私は小泉発言の狙いは、日本に最終処分場を作ることだと想像していたので、これだけはちょっと意外だった。
もちろん小泉の発言だから、言葉通りにとるのは危険だが、これまでの「最終処分場がないから脱原発」という理屈とは明らかに違っている。
とするならば、小泉の狙いは何なのか。

一貫して処分場の問題にこだわっていることから、モンゴルでの日米共同開発はまだつぶれていないのかもしれない。日米共同開発と言っても、カネはぜんぶ日本が出すのだろうから、ここには小泉というトリックスターが登場する必然性はある。

 参考:モンゴルに核廃棄物最終処分場建設という一連の話のまとめ

国内の原発を止めることと引き替えに、日本の脱原発派をこぞってモンゴル処分場賛成にもちこむという意図もありうる。裏を返せば、脱原発運動はモラルを喪失して無力化されるということでもある。
モンゴルに作れとなった世論は、次には福島に作れとなる。他人の犠牲に目をつぶることは、一度やってしまうと容易に習慣化する。

もちろん、小泉の前科を考えれば、処分も色々とか言って、やっぱり福島に処分だと言い出すかもしれないし、北海道なら広いから大丈夫と言い出すかもしれない。彼ほど言葉に信をおけない人間はない。
なにせ「自衛隊の活動している所が非戦闘地域だ」と言い放った人間なのだから。

とにもかくにも、脱原発の運動が、自分をしっかり確立した上で小泉ともその点では連携する、というのならば何も心配もしないし文句も言わない。
現実に進んでいる事態は、先の見えない脱原発運動が、小泉というヒーローの人気にすがりついている。もう、言葉もない。

まあ、その点では小沢一郎さんはさすがに冷静だ。
小泉の脱原発発言に対しては、客観的に肯定的な評価は口にしたけれども、連携も言い出さないし会談もしないと断言した。そもそも小沢さんは他人や他党のことを聞かれても、常に話を自分はどうなのかというところに話を持って行く。評論家のような話は一切しない。
その点はスゴイと思うのだが、しかし今の小沢さんの話からは、生活の党はどうしていくのか、支持者にはどうしてほしいのか、何も見えては来ない。なにをなすべきか は皆目わからない。

最終処分場の話をもう少し続けたい。

先日、IAEAがぞろぞろと福島にやって来て、除染については1mSv/年にこだわるなと言い捨てて帰った。これは、実質的に「除染は無理だ」と宣言したに等しい。
IAEAにしてみれば、超大規模な被曝人体実験ができるのだから、1mSvにこだわってもらっちゃ困るわけだが、実際のところ除染が必要な場所の多くが1mSv以下にするなんて無理だというのはその通りだろう。
だから避難移住せよと言うのか、モルモットになれと言うのかの違いはあるが。

そしてやっと今頃になって、帰還困難区域については帰還を諦めて移住させると自民党が言い出した。数百万人が放射線管理区域に起居させられている現状で、わずかに2万5千人が対象だが、いつまでも宙ぶらりんにしているよりは、ハッキリさせて補償した方がいいのは言うまでもない。

ではこの富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、飯舘村の一部にわたる広大な土地をどうするのか。
 参考:「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」区域
これだけの範囲では土地の条件的にいわゆる最終処分場は作れそうにないが、除染や収束作業で出る膨大な汚染物、それにいくらでも増え続ける汚染水のタンクの処分場に、という話は当然出てくるだろう。
たぶん、脱原発の人たちも、ほとんどはそれには反対しないだろう。

しかし、私は反対だ。

他人の犠牲のうえに自分の安寧を確保しようという発想は、まさに原発の思想そのものだ。
あるいは、沖縄を犠牲にして「平和」な日本を享受してきたことと全く同じだ。
そうした思想の上に立った、脱原発運動や平和運動は、絶対に力にならない。ちょこんと蹴られたら飛び上がるようなスネの傷をもったまま、闘うことなんてできない。

それはまさに、平和憲法をもち唯一の被爆国である日本が、軍事大国であり再びの被爆国になったあげくにその犯人に国会を独占させている今の状況が証明している。

まず、自分たちの今までを振り返って、寄りかかってきたものへの鋭い反省と、そこから脱却する痛みを覚悟しなくては、結局は絡め取られ、「ユルイ敗北」の歴史だけが積み上がっていく。

その点でまったく迷いはないのだが、しかし一方で数は力というのも事実だ。
議会制民主主義でなんとかしようとする限り、選挙で勝たなければ、なにを言っても99.99%はごまめの歯ぎしりなのである。
そこで「脱却する痛み」を唱えても、いったいどれほどの共感を得られるのだろう。仮に共感はあっても、行動に移すのは容易ではない。

ここで思考が止まってしまうのである。

なにをなすべきか

時限スイッチがカチカチと鳴っている。
気ばかりが焦る。

2012-01-05(Thu)

「なんとかなる」カルトから目覚めるには

新年にあたって、今年の課題のプライオリティーを考えたい。問題のコアは間違いなく原発であり放射能だ。矢継ぎ早に繰り出される悪政の全てがこれに絡んでいる。
一方、主体的な問題は、これほどの惨禍を前にしてなぜ日本人がこれほど温和しいのかということ。

温和しすぎる日本人は、ここまで来るとマスメディアの情報操作のせいだけとは言い難い。長年にわたる経済成長と自民党支配によって「なんとかなる」信仰に取り憑かれている。矢面にさえ立たなければ「なんとかなる」と根拠もなく信じ切っているカルト。

日本人に根深い「なんとかなる」カルト。だから逆に「なんとかならない」現実を突きつけられるとポッキリ逝ってしまうという面もある。
小泉や橋下のように誰かが矢面に立って独断専行で改革して「くれる」ことには熱狂的に支持する。目立たないように手を叩いていれば「なんとかなる」

日本人が「なんとかなる」カルトから目覚めない限り、低線量被爆のなかでモノも言えずに税金だけむしり取られ、悲惨な近未来が待っていることは間違いない。
しかも敵は、いつか目覚めたときのことをすでに対策し、共謀罪を成立させ、組合を壊滅させ、裁判所ですら法を踏み越え始めている。

被爆を強要に怒る人々を筆頭に、一部の「なんとかならない」と考える者たちは、「なんとかなる」カルトに侵されている人々の心の平和を乱す敵として、石持て追われる運命だ。すでにそれは始まっている。
この回り始めてしまった歯車を、どこで反転させることができるのか。

次の段階の悲しいストーリーは、おそらく、福島の被爆者と被爆したくない全国の「脱原発」の人々の対立が仕掛けられる。今、為政者の頭の中にあるのは、どうやって福島の人たちに補償「しない」かだ。状況証拠は完璧な人々に「証拠がない」と言って補償を拒否するにはどうしたらいいか。

これから数年~数十年にわたって放射能で病気や死亡する福島の人たちに「科学的証拠がない」と言って補償しないためには、全国の人々が福島を見捨てるように仕向けるしかない。
今、東京でこれ見よがしにガレキを燃やしているのは、そのための前振りに他ならない。

東京などで、見せしめのようにガレキを燃やすのは、福島の人々と都市部の人々の連帯をぶちこわすため。
形ばかりの除染で我慢して、世界中の核廃棄物を受け売れながら住み続ける住民を美談に仕立て、被爆させるなと主張する福島の人たちを、「他人にガレキを押しつける悪者」にしていく。

被爆を拒否する福島の人たちを「悪者」にするのは、被爆を拒否する都会の住人だ。

敵は、少なくとも数年後までのストーリーを読み切って進めている。政府はチェルノの教訓を生かせ なんて言う人がいるが、チェルノブイリの教訓を「生かして」いるのは、実は敵のほうなのだ。

犯罪者に「犯罪の教訓を生かせ」なんて言うような心優しい人々の集まりが、今、バラバラな小グループに分断されながら強大な敵と対峙している。
そして、本当は当事者であるところの圧倒的多数は、「なんとかなる」カルトに侵されたまま、自ら海に飛び込むネズミのように歩を進めている。

この流れを、どうしたら変えることができるのか。
それを考えると、夜は眠れない

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2010-11-02(Tue)

しあわせ恐怖症

私はおそらく、しあわせ恐怖症なのだと思う。
良いことが続くと、とても不安になる。
安心しきった子どもの寝顔を見ていると、心の底に正体のない恐怖感が沈殿していく。

「心配しすぎだ」と自分を諫めるそばから、不安を形にするニュースが次々と流れていく。
贅沢はできなくとも楽しく過ごせる今現在の生活と、これからの不安の大きなギャップ。
菅政権になってからの暴政は、この不安感を裏付けてしまう。

戦後の自民党支配と、今の菅政権はどちらがマシか、という設問には意味がない。
時代背景が全く違うからだ。
経済成長、またはその幻影を前提とした自民党支配と、成長が幻影であることを自覚してしまった故の政権交代。
これを、並列的に比較することは、塩と砂糖でどちらが濃いか比べるようなもので、まったく無意味だ。

しかし、民衆の圧倒的な意志を体現した政権交代を、途中で横取りした菅政権の害毒は、自民党支配が続いていたとき以上に、民衆の心を蝕んでいるとは言えるだろう。
自民党が強権的な支配力を持っている限り、民衆の敵は明確だった。
コイズミのペテン劇場で惑乱された時期もあったけれども、自民党は裏も表も金持ち優遇の政党であり、その日暮らしの民衆の味方でないことは、だれもが知っている常識だった。

ところが、悲願の政権交代で鳩山-小沢政権が誕生し、わずかなりとも庶民の顔を向いた政策が打ち出された。
マスゴミの総攻撃にもかかわらず、期待感は高まった。
ここで、それなりの実績を鳩山-小沢政権が実現していれば、事態は少し違った展開を迎えただろう。
が、その展開を阻止すべく画策された「反革命」は、まったく無防備な庶民・生活者の思惑をはるかに超えていた。

悪者が悪いことをするのと、期待したものに裏切られるのとでは、心の打撃が違う。
裏切りは諦めを生み、諦めは新たな裏切りを生み出す。

いま一番怖いのは、その悪夢の連鎖である。
諦めと裏切りが連鎖反応を起こすと、それは醜い自己正当化=ヒステリックな他者攻撃にたどり着く。

その典型が、小沢一郎への常軌を逸した非難や攻撃であり、中国との関係を意図的に踏みにじる前原らの言動である。
中国の漁船問題は、都合の良い部分だけピックアップしなければ人に見せられないビデオであることを、菅政権は自白している。
全映像を公開するならばまだしも、こんな捏造編集ビデオの公開をされたら、中国が怒るのは無理もない。
中国の肩をもつ訳ではないが、反対の立場だったら絶対に腹が立つ。

もしプリウスが事故したビデオがあって、それが大幅に「編集」されてアメリカ議会に公開されたら、どう思うだろうか。
ドライバーの全行動を記録するのではなく、いかにもブレーキがきいていないと思わせる部分だけピックアップしていたら。
多くの日本人は、「都合の良い部分だけ編集しているに違いない」と感じるだろう。

このように、わざと中国を怒らせるようなことをして、関係を悪化させているのが前原誠司であり、菅政権だ。
彼らにとって、日本の経済も平和もどうでもいいこと。
奴らの狙いは、排外主義を煽って、自分たちの支持を取り付けること。
そして、アメリカの指令通りに、中国との緊張関係をキリキリと高めること。

アメリカは、中国との交渉カードとして日本を使おうとしている。
これまで、中国がアメリカとの交渉カードとして北朝鮮を使ってきたように。
使い捨てのジョーカーとして、日本はアメリカに振り回されている。

ここでアメリカの戦略に一矢報いる気概があるのか、それとも奴隷根性でへつらうのか。
政策の各論はともかく、「国民生活」派と菅-前原派の違いは、詰まるところそこにある。

そして、五五年体制での対米従属と、いまの対米従属は次元が違う。
五五年体制下では、対米従属は生きるための方便でもあった。
しかし、いまの対米従属は国民をエサとして差し出す行為だ。

その裏切りを隠し、強引に自己正当化するために、人為的な敵を作り攻撃する。
それが、対米従属を潔しとしない小沢一郎であり、アメリカの交渉相手である中国なのである。

菅政権は、すでにファシズムに片足を突っ込んでいる。
それも、アメリカが中国と交渉するための外交カードとしてのファシズムだ。
日本をファシズム化させて中国に噛みつかせ、中国がいい加減困ったところで、日本を切り捨てておとなしくさせ、仲介者として中国と手打ちする。
この筋書きの駒として、菅政権は進んでファシズムに舵を切ろうとしている。

こんなバカな筋書きに、左右を超えて反対しなくては一生後悔する。
子どもたちに申し開きができない。

悲惨な結末を迎えてから、どっかのバカ右翼のように「太平洋戦争はアメリカの陰謀だった」などと言ってみても始まらないのだ。
もし仮に、太平洋戦争がアメリカの陰謀だったのならば、それにマンマと引っかかった史上最愚な当時の指導者を正当化することなどできはしない。
進んで騙された愚かな指導者を持ち上げたあげく、今また中国への憎悪を煽って同じ轍を自ら踏もうとするバカ右翼ども。
このバカ右翼とマス塵を使って、排外主義をコントロール不能なところまで煽りまくろうとする菅-前原派。

これはやはり、五五年体制下の自民党支配よりも深刻だとは言えるだろう。
自民党は、ファシズム志向をもつものもあったが、同時に抑制する勢力がそれを抑えてきた。
菅-前原政権は、ファシズム化を抑える勢力を強権的に弾圧して突き進もうとしている。

これがどのような国民の悲劇を生むかと言うことを、おそらくは分かった上でやっている。
新興勢力ゆえに、自らの権力欲はとどまるところを知らず、全国民を売り払ってでも自己保身に走ろうとしている。

政権交代時の民主党という名称が付いているからといって、これが同じもの、あるいは継承するものして考えてはいけない。
政権交代とは、まったく別物だ。

菅-前原政権は、逡巡の余地なく打倒されなくてはならい。
たとえ、そのことによって一時的に自民党に勢いが戻ろうとも、菅-前原政権はつぶさなくてはならない。

それが、これからを生きていかなくてはならい子どもたちへの、私の義務なのだと思う。
寝顔を見て感じた漠然として恐怖感をなぞっているうちに、こんな結論にたどり着いた。


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2010-09-18(Sat)

このところ嫌なことが続いたので・・・



ニコニコ動画で般若心経が ロック版日本語訳+初音ミク という取り合わせで大ブレーク中

これ以外にも色んなアレンジがあって、なかなか面白い

聞いてみて、良かったのは、

【ニコニコ動画】【初音ミク】 般若心経ハードコア 【アレンジ】

本職の人にはふざけてると怒られるかもしれないが、今まで何回も聞いたり読んだりしたことのある般若心経が、いちばんシックリ聞こえるのは何でなんだろう。

これを聞いていたら、30年以上前のことを思いだした。
パンクというかノイズと称していたUKのバンドのレコードをよく仲間と聴いていた。
この声とそっくりだった。そして、なぜか酒を飲みながら聞くと心地よかった。

何か深いところで引っかかってしまったものに、届け届けと伸ばす指先は繊細で荒々しい。
経というのは、長く人間のなかにあって、そんなチカラを蓄えてきたのかもしれない。

2010-06-25(Fri)

垂れ込める低気圧に抗して

上空を制圧する低気圧のせいか、気分も体調も優れない。

思いおこせば、5月28日以来、ずっと低調だ。
6月4日くらいから、さらに状態は酷くなった。

ならば、その原因となった低気圧を、気持ちの上だけでも振り払えばいいのだが、そう単純にいかないから、いつまでもウツウツとした気分が続く。

話は変わる。
今度の参議院選挙は、おそらくまれに見る低投票率になるだろう。
誰も彼もが、私のようなウツウツ状態であるとは限らないが、投票所まで足を運ぶだけの元気を残している人が、どれだけいるのか。
いささか疑問に感じてしまう。

それでも、やはり這ってでも投票所には行こうと思う。
私には応援したい人がある。

もし、私と同じように5月28日以来、気分の優れない人がいるならば、2枚の投票用紙のどちらにも個人名を書くことをお勧めする。

アメリカの産軍複合体や金融資本と、この国に生活する民と、どちらの側に立とうとしているのか。

根性があって正直な人はだれか。
最初から有権者を騙そうと思っている人は誰か。
党の方針を前に、自らの良心を曲げてしまったのは誰か。

それをよくよく見極めて、個人名で書かれることをぜひともお勧めしたい。

それを、見極めるための、リトマス試験紙は、普天間と消費税だ。

アメリカの産軍複合体や金融資本と、この国に生活する民と、どちらの側に立っているのか、この二つをみればわかる。

どうわかるのかは、ご自分の頭と心と五感で判断していただきたい。

参議院選の結果がどう転んでも、昨年9月のような劇的な状況は生まれない。
けれども、最悪の事態はなんとか避けなくてはならない。

その危機感を、2枚の投票用紙に込める。


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2010-05-14(Fri)

昨年9月以降 自殺者が減っている

世の中の指標で、一番大事なのは自殺者数だと思っている。
GDPとか失業率とか、いろいろあるけれども、やっぱり最悪なのは自殺したくなる人が多いことだろう。

日本で自殺してしまった人の数は1998年(平成10年)に激増して、それ以降3万人以上の水準をキープしてしまっている。

感覚的にはバブル崩壊で自殺が増えたのではないかとおもいがちだけれども、実はそうではない。
むしろ、バブル崩壊直後は減っている。
それが、1998年に一気に35%くらい増えているのである。

98年は、前年9月に第2次橋本内閣ができ、11月には拓銀と山一証券が破綻した次の年と言うことになる
同時に、独禁法や大店法、そして私にも関係の深い建築基準法などが、アメリカの要請で変えられていった時期でもある。
アメリカの要請で日本の仕組みが変えられることを、「規制緩和」と言った。

98年以前が、膨らんだバブルが崩壊して元に戻っていく過程だったとすれば、98年以降は、残存していた富が吸い上げられマイナスに転じていく過程だったといえる。

そして、その路線を完全に定着させた小泉内閣のときに自殺者数はピークの34,427人になる。(2003年)
その後は増えたり減ったりしながら、毎年3万2千人余りの人が自殺してしまった。

自殺者の内訳を見ると、自営業、主婦、失業者、年金生活者がそれぞれ6~10%を占めて多いのだが、ダントツに多いのは「その他の無職者」だ。

主婦でも失業者でも年金生活者でもない「無職者」とは?
消去法で考えると、ハローワークに求職を出していない失業者ということだろう。
この人たちが、全自殺者の1/4を占める。
つまり、年に8千人。

こうしたことから見えてくるのは、一番追い詰められるのは、苦しいことよりも諦めること。
あるいは、原因が見えなくて真綿でクビを絞められること。

原因が見えていて、苦しさが自覚できるときは、がんばることもできる。
が、見えない力に吸い取られたり、少しでも良くなるという希望を持てない時が、一番追い詰められ自殺が増える。

そういう意味では、やはり政権交代は、わずかでも効果はあったのだろう。
昨年9月から今年の4月まで、連続して前年同月の自殺者を下回っている。

平成20年
平成21年
平成22年(速報)

期待はずれとか迷走とか、マスゴミは自分の責任を全部棚に上げて言いたい放題だが、少なくとも、選挙ということに意味があるんだと言うことを、現役の有権者は初めて実感した。
簡単ではないし、すぐに効果もないけれども、もしかしたら何かできるかもしれない、そのほのかな希望は、こんな形で結果を残している。

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2010-04-05(Mon)

本当にやりたいこと

ここしばらく続いているかる~いウツ状態の原因が、少しばかり見えてきた。
何をやりたいのかわからない。というか、自分で自分を演じていることに気がつき始めたと言った方がいいのか。
やっぱりちょっと違うか。

いやあ、表現ていうのは難しい。
私の信条 としてウチの会社案内にも書いてあるのは
1.楽しくないことはしたくない
2.木に教えられ、月のまなざしを感じていたい
3.戦争反対!

これは、偽りない気持ちだ。
これを書いたときは、結構気持ちよく時間を過ごしていた。
それから5年が経った。

コイズミ劇場と言われたペテン師の独裁に、ぞわぞわっと気持ちが悪くなり、いても立ってもいられずにこのブログを書き始めてから4年半。
第一回の記事を読み返してみると、「戦争と建築を学術的に研究する、なんていうのはどっかの学者さんにお任せして、明日建てる家を、どうやって反戦な家にするのか、それを考えてみたい。」てなことを書いていた。

はたして、その目的はどうなったか。
明日建てる家を、どうやって反戦な家にするか。この単純で難しいテーマについて、本気で切り込むことができていないのは、一目瞭然だ。ためいき・・・

でも、そのこと自体が気持ちをふさがせているのではない。たぶん。
このテーマは、長い時間を掛けて、自分の生き方のテーマとしてゆっくりじっくり取り組んでいくつもりだし、それでいいと思っている。
反戦な家づくり、なのであって、家づくりによる反戦運動 ではないから。

それはいいとしても、やはりこの5年間で、少しずつ何かがずれてきたような気がしてならない。
それは盛大な迷い道でもなければ、自己嫌悪に陥るほどの裏切りでもない。
けれども、やっぱり何かがおかしい。

私は子どもの頃から困った性格があり、人から見られているであろう自分像にとらわれの身になってしまう。
だからこそ、楽しくないことはしたくない。つまり、楽しくないことを無理してやると、どんどんそっちの方向に引きずられて、気がついたら取り返しが付かないことになる。
それがわかってるから、楽しくないことは、たとえ「正しいこと」でもしたくない。

これは、一人で生きている分には気ままな人生で結構なことだけれども、いろんな人と関わっているとそうもいかない。
しかも、人間が何人か寄ると、必ず何か問題が起きる。問題が起きる度に、ちょっと関わり、さっと関わりしているうちに、だんだん抜き差しならなくなってくる。

しかも、私のもうひとつの良からぬ性格は、気に入らんことを黙っていると、これはもう強烈に心がへこむのである。
ならば、適当に文句言って逃げる、ヒットアンドアウェーをすればいいのに、つい格好をつけて「言ったからには責任持たなくちゃ」なんてことを考えるから始末が悪い。
結果、クビを突っ込んだところで片っ端からとらわれの身と相成ってしまうのである。

具体的なことは、それぞれの集まりのの事情があって、ここでは書けないので、読んでいる方にはさっぱり意味不明のことと思し召しあそばしつつ、全国共通「鳩山政権」のことに話を振ってみる。

戦後60有余年。谷あり谷ありの末に、ようやく実現した民選政府。
魑魅魍魎に食い尽くされ、残る肴も腐り落ち、お膳の上に最後に残った梅干し一つ。そんな今の政権に、いくら頼りないとか腹一杯にならないとか言っても始まらない。
この梅干し一つから、なんとかして次のおマンマを確保するしか途は残されていないのだから。

それは、考えてみれば残酷な図絵ではある。
この小さい希望に未来を託さなくてはならない私ら民の不安は、そりゃあ大きい。
しかも、残った梅干しだって、半分は腐っていて、「原発推進」だとか言っている。

それでもなお、鳩山政権を支えていくしかないんだというリアリティをしかと貫いている植草一秀氏などの態度は立派だと思う。私も、あえて問われれば、やはりそれしかないと言うだろう。
けれども、ウチの子どもが見ている新プリキュアの決めぜりふ「堪忍袋の緒が切れましたワ!」とばかりに、鳩山政権に見切りをつける、天木直人氏やきっこさんの気持ちも、まったく同感だ。

この矛盾は、私の中でもどんどん大きくなってきた。
言うまでもないけれども、鳩山政権を単純に支持できない理由は、政治とカネなんかじゃない。
これは、なんのわだかまりもなく違う。

今のところ、普天間でもない。
もし仮に、完全に沖縄から撤去できないような案になったとしても、その内容と意味次第では、賛同はできなくても、政権そのものを否定することはないかもしれない。心情的に。

完全に、どうしても、まったく許せないのは、やっぱり原発推進だ。
他のことは、しょせん政治という世界のこと、理想社会の話じゃないと割り切れなくもないが、原発を推進するなんてことは、政権を存続するためのギリギリの妥協ではない。
あえて、積極的にやらかしている、民主党の愚策、駄策だ。

電力業界や電機メーカーとの取引はあったにせよ、票のためなら悪魔に魂を売るのか という話だ。
原発推進の積極性は、どう見ても妥協の産物とは思えない。ガンガン進んでやっているとしか見えない。
ことここに至って、私の気分はマタサキブルーに入っていく。

とまあ、こんなことが、小さい集まりでもおきてくるのである。
なにせ、世の中色んな人がいるから、できるだけ多くの人に合うように、という配慮と、自分の言いたいこと、やりたいことの表現を、どうにかこうにか合体させていくのだけれども、時間が経つとともに、だんだんその距離が開いてきて、ふとしたきっかけで、何だか自分のホンネとは違うんじゃないかなあ ということに気がついてしまったりする。

家づくりでも同じこと。
もちろん家である以上、住む人の希望を聞いて作るのはあたりまえだし、構造強度や使う材料や、崩しちゃいけない一線ははっきりとある。
それはそうなんだけれども、それでもやはり、自己表現としての建築ということはゼロじゃない。

身近な人に言わせれば「それだけ自己表現しておいて、まだ何か?」と言われるかもしれない。
確かにそうなんだけれど、なんだかどうしても、頭の表現であって、心や体の表現になりきれていないという欲求不満がチビチビと溜まっている。

こんなことを書き連ねていると、明月は相当深刻になやんでいるのかと心配してくれる良い人や、ざまあみろとほくそ笑むヤナヤツが若干数おられると思う。
ところがどっこい、こうやって書くことで、安心しつつあったりする。
少し前は、なにがウツウツとさせているのか、見当が付かなかったのに、だんだん正体が見えてきたから。

現象としては色んな場所や色んなケースで、同時多発に同じ問題が生じているということは、これはどうしたって自分の心の心棒がちょっとずれているということ。
本当にやりたいことが、見えなくなっていたということ。
そのことに気がついた今日は、昨日のフィールドアスレチックの筋肉痛にも関わらず、すごい良い日だったとおもうのである。


2010-03-24(Wed)

自分で言っていることを振り返るという作法

自分でもできているとは言いがたいが、極力書いたモノは読み返すようにしている。
2~3日してから。

頭がさめてから読むと、ちょっとなあ と思うこともある。
よほどのことがない限り、アップした記事は下げないけれども。

なんでそんなことを思ったかというと、最近わけのわからない論説(くだまき)が多すぎるように思うからだ。
ネットウヨの連中は、そもそもそういう思考構造をしているから仕方ないとして、政権交代まではその方向で発言していた人たちの中でも、どうもクダマキが多いような気がしてならない。

最近さかんに言われるのが、鳩山首相のリーダーシップの欠如。
そして、もう一つは、小沢幹事長の独裁。

言葉は違うけれども、一人の人が組織を引っ張ることを、よく言えばリーダーシップ、悪く言えば独裁だ。

鳩山はリーダーシップがないし、小沢は独裁だから、民主党はダメだ、と言っている人は、自分の言っていることがわかっているのだろうか。
おそらく、自分で吐いた言葉に対するリーディング能力が欠如しており、なおかつ言いたいことは言わなきゃ気が済まないという独善なのだろう。
こういう欠如と独善は、同居できるようだ。

何かと言えば、ドクサイドクサイと騒ぐ人たちは、是非とも海外に目を向けて、アウンサン・スーチーさんとか、ダライラマ14世なんかに、「独裁だ!」なんて言ってみてはどうだろうか。
彼らの配下にあるもので、その意向を「忖度」せずに行動している人はいないはずだ。

そんな意味のないことで、民主党の陰口をたたいて自分の人格を汚しているヒマがあったら、民主党の中でも、原子力の推進とか、官僚の御輿に完全に乗せられちゃったお大臣とか、そういう本当に害のある部分を徹底的に責めていただきたい。


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2010-02-15(Mon)

「正義」という幻想から逃げだそう

あまり時間がないのに、つい書き始めてしまった。
しかも、こんなテーマで・・・

結論から言ってみる。
絶対的、普遍的な正義、つまり、誰にとっても正義 なんてものは無い。

私にとっての正義、あなたにとっての正義はあるかもしれない。
しかし、所詮この世は利害が絡まり合い、相反しながら皆が生きている。
だから、絶対的な正義なんて無い。

いや、人殺しをしない なんていうのは絶対の正義だ というかもしれない。
しかしどうだ。
核廃絶を叫ぶオバマがしていることは何か?
連日連夜、殺し続けている。「正義」のために。

これは、一部のアメリカ人にとっては正義の戦争、正義の人殺しなのである。
もろちん、それ以外のほとんどの人にとっては正義のわけはないが、オバマや一部アメリカ人やイスラエルにとっては、非常な虐殺行為でさえ正義なのである。

小沢氏を巡る検察の暴走だって、彼らにとっては正義なのはたしかだ。
正義のためにはどんな不正な手段をとっても、彼らには何の良心の呵責もない。

テレビ番組だって、正義の味方はみんな暴力的だ。
仮面ライダーから湾岸警察に至るまで、平気で被疑者を殴りつける。
それで、溜飲を下げる国民性があるのだから、検察が女性秘書を10時間も監禁しても、誉められこそすれ非難されるなんて露ほども思っていないのは間違いない。

そもそも、民主主義というものは、利害が対立して、絶対的な正義なんて無いからこそ、その調整手段として存在するのではないか。
選挙で多数を取ったものの正義が優先され、負けたものはガマンする。

それにしたって、ガマンの限度を超えたら暴動やクーデターが起きて、民主主義は限界を露呈する。
民主主義は、負けたものが受忍限度ギリギリで生きていくことも保障しなくては、成立しない。

ところが、日本の場合、絶対の真理や正義があるかのように思っている人が多いように見える。
少なくとも、戦前はそうだし、戦後の自民党時代もそのように思わされてきた。

でも、公教育やマスコミなんかで流される正義は、あくまでも「その時代」の「支配者」の正義にすぎない。
時代と支配者にカッコをつけたのは、その両方に意味があるからだ。

支配者 は言うまでもない。その勢力の利害に合った「正義」だとういこと。
もうひとつ、時代 は、その時代背景や時代の特徴に合った「正義」だということだ。

前のエントリーで書いた「クリーンな政治」や「クリーンな入札」なんていうのも、そういうこと。
これらは、経済が成長していて、みんながそこそこ食っていける時代の産物だ。

強大な力をもった支配者が、それなりに食っていける民衆を押さえつけるためのイデオロギーだ。
隠然とした力関係を、微動だにさせないための正義なのである。

その意味では、こうした「正義」といのは、常に唱えられるけれども、一度たりとも実現したことはない、というのも明確な特徴である。
クリーンな政治やクリーンな入札なんて、社会の仕組みとしては一度たりとも機能したことはない。
したことなないからこそ、それを隠して幻想を見せ、文句を言わせないために「クリーン」などと言うのである。

わずかでも談合のない入札が機能し始めたのは、今世紀に入ってからだろう。ほんの10年ばかりのこと。
きわめて不完全だけれども、でも、談合に加わらないものが出てきて、価格破壊がおきたのはたしかだ。

それは、ゼネコンが正義に目覚めたからではなく、長引く不況が深刻で、談合で順番に仕事していたのでは食っていけなくなったからだ。
そこで、談合破りが登場し、われ勝ちの弱肉強食になだれ込んでいったのである。

結果、クリーンな入札は、中小の建設会社を打ちのめし、デフレスパイラルを推し進めることになった。
だから、クリーンな入札なんていう仕組みは、歴史上、一度たりともその有効性を証明できたことはないのである。

クリーンな政治も、言うに及ばず。
企業献金の廃止も、たしかに必要かとも思うが、結局は別の形をとって継続するだろうし、そのことでどの政治家を誰が応援しているのか見えなくなることの方が、害が大きいように思う。

例えば、株式会社○○が献金していれば分かりやすいが、社長や社員の個人献金になったら、国民にはそれが誰なのか分からない。
社長が社員に献金を呼びかけて、奉加帳をまわしても、それ自体は違法ではないだろう。
それが、人事評価にどう影響したかなんて、証明することはほとんど不可能だ。

と、まあそんなわけだから、検察の横暴を非難する気持ちはもちろんあるけれども、大事なことは、検察は「検察庁の正義」で行動しているのであって、それが「自分の正義」とは違うということだ。

もちろん、検察やマスゴミや自民党やアメリカだけではく、民主党や社民党や、あらゆるものにそうした目をもって、自分の考えを持つことだろう。
安定した時代には、それはとても難しいことだけれども、こんな混乱した時代は、むしろ頭を柔らかくするチャンスなんじゃあななろうか。

そう思うと、この世もちょっと楽しくなるような気がする。


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2009-09-11(Fri)

政治の世界のスクウォッター

スクウォッター。ずいぶん前にそういう名前の本屋さんがあった。
大島哲蔵さんという建築批評家が、大阪のど真ん中にある大正建築の地下室に作った本屋さんだった。もちろん、不法占拠ではないのだけれども、都市の真ん中の異空間を目指していたのだろう。
なにせ、置いてある本も先生の話しも難しいので、当時の私にはほとんど理解できなかったけれども、なんとなく、そういう雰囲気は感じた。

スクウォッターという言葉は、直訳すると空き家の不法占拠という意味らしい。
毛利嘉孝という人の「はじめてのDiY」という本によれば、世界中で10億人がスクウォッティングして暮らしているという。世界的にはメジャーな暮らしかたなのだ。

この本を読んで、久しぶりにスクウォッターという言葉を目にした。
そして、ゾクゾクッとする感じを味わった。

インターネットというのはペンタゴンが作ったものだから、本来は官製の情報網だ。
ところが、そこにブログという訳の分からないものが侵入して、居座ってしまった。
ワープロ程度の知識があれば、誰でも情報を発信できるという、画期的なブログという異物の正体は、情報を管理する権力には理解できなかったのだろう。ほぼ、野放しのまま一気に増殖した。
その勢いはまさにパンデミックで、豚インフルエンザの比ではなかった。

情報の独占、または管理というのは、権力を握ったものにとっては基礎の基礎。
その鉄壁の情報網に、まさにスクウォッティングしたのがブログというものだった。

もちろん、おおもとがペンタゴンである以上、情報はすべて管理されているとも言える。
が、有象無象、玉石混淆、なんでもアリで大発生したから、これを管理するのは並大抵ではないだろうと思われる。
もともと非合法の地下活動をするわけではなくて、バレてるけれど居座っているスクウォッターとしてはこのくらいが好い加減なのかもしれない。

情報のスクウォッターがブログならば、政治の世界のスクウォッターはプレカリアートのたたかいだろうか。
具体的な空間のスクウォッティングもやらかすらしいが、むしを、その存在自体が「占拠」している。
いわゆる政治家の世界にも、いわゆる左翼や右翼の世界にも、普通の労働運動の世界にすら属さないプレカリアートのたたかいは、政治の世界のスクウォッターというにふさわしい。

雨宮処凛さんの、このレポートは、その面目躍如だ。

真夏の夜の夢~フリーター労組のキャバクラ争議。の巻
雨宮処凛がゆく 113


キャバクラに団体交渉を申し入れに行くなんて、これまでの労働運動ではどうひっくり返ってもありえなかった。組合の連中がキャバクラに遊びに行くことはあっても、そこのキャバ嬢の労働条件をなんとかしようなんて誰も考えなかった。

派遣は、待遇改善は遠い道のりとは言え、少しは日の目を見るようにはなった。
注目され、「労働問題」として認識されるようにはなった。
でも、風俗産業は今でも「労働者以下」として切り捨てられている。

かりに、風俗産業はない方がいい、という説を正しいとしても、三菱重工で人を殺すための戦車や戦闘機を作っているエリート社員は立派な社会人で、風俗産業に働く女の子が労働者以下というのでは、やはりオカシイに決まっている。

これまで、労働組合からも「労働者以下」として見下されてきた存在が、今、じわじわと政治の世界に浸食している。目に見えるような見えないような、微妙な存在感と距離感を持ちながら。

なんやかんやとコメント欄が賑やかになるのを覚悟で、田中美絵子さんのことについて、あえて昨日書いたのは、そんな意味がある。
田中美絵子さん自身が、どのように総括し、どのように対処されるのかは本人の自由だが、できることならば、政界に侵入した「異物」として、胸をはって、開き直って活動してもらいたいと思う。

もちろん、すべての男性議員が、自らの風俗通いや浮気の過去を公表するわけがないのだから、田中さんだけに過去のプライバシーに責任を問うことはできない。
なにもコメントしなくても、それはそれで責めることはできないが、しかし、あえて「労働者以下」の代表を自覚してもらいたいと思う。

今後の田中美絵子さんの活動に注目したい。

※田中さんの件についてあれこれコメントしたい方は、前日の記事に書いてください。
 昨日のぶんだけは、人間観察として、よほど差別的なもの以外は削除しませんから。
 今日以降のコメント欄は、通常の管理をします。

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