2011-09-01(Thu)

これからの家づくり ②

前回の これからの家づくり① で、「持ち家政策」を批判して、その手のひらの上から飛び出したいという趣旨のことを書いた。
今日は、もうすこし具体的に話を進めていきたい。

持ち家政策の鎖から解放されようとすると、住む方法は結構かぎられてしまう。
市営住宅や公団住宅のような公的な賃貸住宅。
アパートなどの民間の賃貸住宅。
親の家に同居。
ホテル暮らし。
ホームレス。

現実的には、公営住宅か、賃貸アパートやマンションということになる。
市営住宅は滅法安いが、市会議員のコネでもないとなかなか入居できない。それに、どこの自治体も財政難でぼろぼろの建物が多い。
比較的新しい公団住宅は、いっちょ前に家賃が高い。そのくせ、中途半端に不便な場所だったりする。

民間のアパート・マンションは、家賃相場と同時に利回りという条件があるので、どうしても割高になる。
金額的には、購入してローンを払うのと変わらないというのが実際のところだ。

カネはなくとも豊かな暮らし。
ちょっと不便でも、畑と自然のある暮らし。
先の読めない時代に、根拠地になる住まい。
そういう、郊外楽園で提唱している住まいの姿には、似ても似つかない。
家を所有しなければいい というものではないのである。

では、いったいどういう方法があるのか、とツラツラと考えてみた。
そして、私の思い及ぶ限りでは、「コーポラティブ」と「定期借地権」がキーワードだろうと思い至った。

□□コーポラティブ

知ってる人もいるだろうけれど、ちょっと講釈たれておく。
コーポラティブというのは、通常の分譲マンションなんかと、まったく逆の順序で作る方法のこと。

通常は、デベロッパーが土地を仕入れ、人気のありそうなマンションの設計をして、ゼネコンに建てさせている間に、じゃんじゃん広告をうってお客さんを探す。
工事完成後、1~2ヶ月で完売できれば万々歳。

コーポラティブは、まず住む人どうしが同じマンションに住む仲間を募って事業組合を作る。事業組合が土地を探し、建築家に設計を依頼し、ゼネコンに建てさせる。
だから、マンションなのに各部屋は完全オーダーメイドで、工事着工前から言わば「完売御礼」の状態だ。

完売御礼と言うよりも、そもそも売り主であるデベロッパーが存在しない。
一戸建ての注文住宅を建てるように、共同で家を建てるのである。

この方式は、1980年代の後半に日本でも登場し、最近は結構な数が作られている。
最近では、ネット上でもたくさんの、仲間募集がされている。

デベロッパーが中間マージンを取らない分だけ格安になるとか、オーダーメイドで好きなように作れるとか、事業組合の仲間どうし自然とコミュニティーができるとか、どのサイトでもだいたいそのようなメリットが紹介されている。
実際に、その通りなのだと思う。

ただし、ネット上の宣伝には書いていないが、気をつけるべき点もある。
まずは、普通のマンションは「売買契約」だけれど、コーポラティブは「工事請負契約」だということ。
万が一欠陥住宅になってしまった場合、あまり酷ければ売買契約は解除できるけれど、請負契約は契約を無かったことにするのはほとんど無理。

また、ゼネコンが途中で倒産したり、手付け金もってドロンされたりした場合も、保険でもかけていない限り自分たちで損害を被らなければならない。

それと、複数の家族で建設を進めていくので、万が一「変な奴」がいると、とてもややこしい。
ご近所つきあいなら無視もできるが、事業組合では無視するわけにもいかない。

これらは、通常のマンションではデベロッパーが被っていたリスクだ。
デベロッパーがいない以上、こうしたリスクは全て自分たちで処理することになる。
また、ローンを組むのも、通常の住宅ローンよりもちょっとややこしい。

こうした問題があるので、通常はコーポラティブをやるときにはアドバイザーというかコンサルタントのような立場の人間が入る。
最初は設計事務所が多かったが、それ専門の人もいるし、最近は不動産会社がやっているケースも多い。

のっけからリスクの話で怖がらせているみたいだけれども、請負契約は注文住宅はみなそうだし、ゼネコン倒産には保険があるし、変な奴対策やローンの段取りはほとんどコンサルの仕事だ。

だから、リスクそのものを怖がる必要はないと思うのだが、どうしても引っかかることがある。
それは、コーポラティブの広告には、こうしたリスクの説明がない ということだ。

同じ立場の住人候補が仲間を募集するのだから、もっとちゃんとリスクを説明しても良さそうなのに、ホームページなどを見る限り、良いことばっかり書いてある。
そういう意味では、普通の不動産の広告みたいだ。

なんでそうなっちゃうのか というと、実は仲間を募集しているのは、住人ではないからだ。
デベロッパー化したコンサル、あるいはコンサルの顔をしてデベロッパーが、募集しているのである。
(全部とは言わないが)

実際の事業の流れは、だいたいこんな感じだ。

デベロッパーにちょっと売りにくそうな土地情報が来る
通常に売り出すと、完売までの経費がかさみそうで、売れ残りの危険もある
それならば、先にお客さんを見つけておくコーポラティブにしよう
土地情報を、コンサルに持ち込む
コンサルが、住人の募集をして、事業組合を作らせる
コンサル=設計事務所の場合が多いので、設計をする
デベロッパーが建築工事をして、確実に工事費を回収する
デベにすれば、土地の仕入れ費用もいらず、利益率低いが確実な商売

要は、ローリスクローリターンの新手の不動産事業として、コーポラティブは取り組まれているのであって、本当に住民候補が主体になって行われている事例は、極少ない。

それをわかった上で、それでもなおコーポラティブは魅力が満載なのだけれども、こういう実態を隠してやることには、私はどうしても抵抗があるし、胡散臭いなあと思ってしまう。

■■コーポラティブをどう活用するのか

私がおすすめしている「郊外楽園」生活のためには、通常やられているマンション形式のコーポラティブはおもしろくない。
だから、戸建ての集合体のコーポラにする。最近は、こういうのをコーポラティブ・ヴィレッジなんて言うらしい。

たとえば、120坪の敷地に4軒の家を建てるのである。
それじゃあ、よくあるミニ開発の建て売り住宅じゃないの と思われるかもしれないが、全然違う。
決定的に違うのは、120坪の中に敷地境界線がない。

隣の家はあるけれども、その家との間に敷地境界線はない。
土地は、マンションと同じで共有持ち分なのである。
そして、マンションの植え込みや公園のように、共用の庭や畑が作れる。

通常の住環境としても、ちょっとした別世界を作ることができるし、畑が主役の郊外楽園にとっては、願ったりかなったりなのである。

ミニ開発では、一軒一軒に分散している余白のような敷地を、一カ所にまとめて共用部にするので、遙かに効率的に使える。
同じ120坪でも、30坪x4ではなく、20坪x4+共用部40坪。

ただし、ここにもリスクはあって、後年に建て替えをするときにはちょっと面倒なので、そのための規約のようなものを最初から作っておく必要はある。
売買は、マンションと同様に自由に行うことができる。

郊外には、土地は有り余っている。
ただし、結構広い。住宅地でも80~150坪なんてのがザラだ。

土地値も安いから、少し余裕のある人は丸ごと買ってしまえばいいけれども、ローンのために生きるなんてまっぴらごめんというのが、そもそもの趣旨なんだから、できるだけ必要十分ですませたい。
そのためには、戸建てコーポラティブは最適だ。

■■どういう手順で進めるか

先ほども書いたように、今ネットなどで流れているコーポラティブの情報は、まず土地情報があって、そこに住みたい人を募集する と言う順番だ。
これはこれで、具体的でわかりやすいので良い。
ただし、土地はひも付きなので、設計や施工やその他諸々で制約は出てくる。

一方で、あらかじめ会員のような形で「住みたい人」を募り、条件が合う人同士で土地から探す というやりかたもある。こちらが本家本元のコーポラティブのやりかたでもある。

会員同士のイベントを時々やって、相性や条件などを確かめながら、共住(きょうじゅう・ともすみ)する人を探していく。
まず住み手ありきであれば、土地情報を持ってくるところに対しても、非常に強気でいくことができる。

ただし、最初は雲を掴むような話なので、リアリティが薄いのが玉に瑕だ。

どちらも一長一短あるので、それをわかって両方の切り口から始めていこうと思っている。

ウチ(明月社)も、近々にホームページを大改訂して、今聞いている土地の情報と同時に、会員の募集のようなフォームを作るつもりだ。

■■ オカネの話

最近の住宅ローンについて調べてみた。
2009年のフラット35でローンを借りている人の平均は、次のような人物像だ。
年齢40歳、妻と子ども一人。世帯年収625万円、自己資金430万円。
返済は月に11万円で、収入の23%。

また、住宅メーカーで注文住宅を建てている人の平均は、
年齢41歳、妻と子ども1人か2人。世帯年収800万円、自己資金1400万円。
土地建物費用 4350万円。借入額3250万円。

フラット35は全国平均で、住宅メーカーのデータは都市部中心なので、実態はこの中間と思って良いだろう。よって、家を建てる人の平均像は、
40歳、家族3人(か4人)、世帯年収700万円、自己資金1000万円。

ちなみに、年収700万を超える人は、日本全体の28%ほど。
日本の平均所得は、567万円。
中央値で、451万円。
一番人数が多いのは300万~400万円の人たち。

なので、郊外楽園をめざす人たちの平均像は、このように想定する。
年齢35歳、世帯年収450万円、自己資金300万。
返済は、月に9万X20年。

月に9万x20年ということは、今のフラット35ならば借入額は1500万円くらいだ。
30年にすれば月に6万5千円。これは家族で暮らすためには、賃貸に住んでも充分にかかる金額だ。

この資金で、何ができるのか。
これを、次に考えてみたい。

ということで、次回は定期借地権のお話。
(明日になるか、いつになるか・・・・)




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2011-08-18(Thu)

これからの家づくり ①

なんとも、漠然としてたいそうな表題を書いてしまった。

ちょっと失敗したかなと思いつつも、やはり書き進めてみたい。
一回ではとても書ききれないので、①ということにしておく。


おそらく、今回の震災で多くの人が気づいていることに、「持ち家政策」への疑問ということがある。

1945年8月
戦争により日本の都市に200以上が被災し、死者は33万人、負傷者は43万人、被災人口は970万人。被災面積は約6万4,000ヘクタール、約223万戸(住宅数の約2割)。
と、ウィキペディアには書いてある。

今回の津波による浸水面積が5万3千ヘクタールあまりであるから、面積においてはほぼ同じであるが、空襲は主に都市部であったことから、住民と住宅への被害は、桁違いに多かったはずである。

戦前の日本の住宅事情は、とくに都市部にあっては劣悪と言える状況であったようだ。
大都市では8割以上が民営の借家であり、所帯持ち家の平均が3坪~6坪であったという。

詳細は、こちらの論文に詳しい

大都市の住宅事情 -戦後史概観- 三宅醇氏著
(リンク先の   CiNii 論文PDF - オープンアクセス をクリック)

こちらの論文によると、戦前戦中から住宅不足は深刻だったという。
そこに、戦争による焼失住宅が232万戸。さらに、引き上げや疎開からの帰還で、住宅不足は420万戸。実に住宅数の1/3に及んだという。

戦後しばらくは、借地の上に立つ6坪程度の狭小住宅(おそらく連棟長屋と思われる)を、建物のみ購入するという、なけなしのカネによる持ち家化が進んでいく。

やがて高度経済成長が始まると、木賃アパートが急増し、住宅はそっちのけで産業への投資が進んでいく。資本にしても国にしても、庶民の住宅など、住めればいい という程度の認識だったようだ。

ところが、1970年代に入り、高度経済成長が一段落すると、住宅産業というものが登場し、住宅への資本の投下が進み、持ち家率は一気に上昇する。

その広さも、12坪以上のものが増え、住宅産業は高度経済成長以降の日本経済の大きな柱になる。住宅の投資は、そこから派生する消費が大きいために、見かけ以上の経済効果を期待された。

その結果、日本人の過半数は、持ち家を得るために働き、持ち家に住むために生き、持ち家の老朽化と共に老いていった。
働き続ける限りローンを払い続け、住宅の価格と同じくらいの利息を銀行に貢いできた。

さらに波及効果と言われるように、少しでも広い住宅に住むと、少しでも物を買いそろえ、日本人は働けば働くほど、なぜか貧しくなるという負のスパイラルに、少しずつ少しずつ落ち込んでいった。

それは、「消費者」 という言葉に端的に表現されている。

消費するために存在する人間。
働いて得たオカネはもちろん、その存在そのものを削り取られ消費する存在。
資本が 賃金という名目で投下したカネを、消費という行為で再度資本の流れに戻すための存在。

この消費者の典型が、住宅ローンのために生き働く姿であり、持ち家政策の実態であった。

夢のマイホームとか、理想の家づくりとか、私も含めて住宅業界で生きてきた人間は口にしてきた。
だが、反省を含めて、ちょっとこの辺で大きな構図を見直すべきではないか。

もちろん、持ち家の全てを否定するものではないし、理想の家づくりがいけないと言うつもりもない。
ただ、「持ち家政策」という手のひらの上で踊らされているのは、もう止めようじゃないか ということだ。

いろんなことを考えて、がんばって良い家を作っている人は、たくさんいる。
私も、その端くれであると思ってやってきた。
だが、しょせん、持ち家政策の手のひらの上で飛び回っていた孫悟空であったのではないか という忸怩たる思いが、胸に去来する。

では、どうするか。

この視点から、郊外楽園プロジェクトを深化させていきたいと思っている。

ということで、今日はお時間となりました。
続きは、また明日(か明後日かその次か・・・)



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2011-07-20(Wed)

なんちゃって○○ に怒る

実は今日は、宣伝です。
でも、タダの宣伝ではここまで見に来てくれた人に申し訳ないので、少々能書きを。

■■

世に なんちゃって が蔓延している

なんちゃって女子高生とか、なんちゃってセレブなんていうのは、あんまり罪が無くてかわいいもんだけど、なんちゃって環境保護とか、なんちゃって民主主義になると、終いには人を殺し始めるから始末が悪い。

なんちゃって環境保護のトップランナーは、IPCCという国連の組織。そう、あのCO2による温暖化をスーパーコンピュータで演出して見せたあれだ。ついでに、IPCCですら言ってないようなことを並べ立ててノーベル賞までもらったアル・ゴアなんてのもいる。

このCO2温暖化説によって、チェルノブイリで虫の息になっていた原発推進派が、どどっと世の中に復活してきた。われこそが、地球の救世主である てな感じで。

その結果がどうなったか。

CO2温暖化説というデマに踊らされて、結果的に原発を勢いづかせた なんちゃって環境派の皆さんは、よくよく反省していただきたい。

もっと過激なのが、なんちゃって民主主義。
地球上で、「民主主義」のために人為的に殺された人間がどれほどいるか。
とくに、冷戦後の戦争は、ほとんどが「民主主義」のための戦争だ。

イラク然り、アフガン然り。
広島や長崎もそういう側面がある。

「民主主義」は、その担い手の「民」が真の意味を実現せずに、なんちゃって になると 本当に怖い。
官主主義や産主主義や国主主義や軍主主義が、民主主義を騙ると、リアルに大量に人を殺してしまう。

■■

この国に蔓延している、ありとあらゆる「なんちゃって」の総本山だは、やっぱり菅直人の なんちゃって脱原発 だ。
いちおう、総理大臣だし。

官直人の考え出した「脱原発依存」という なんちゃって脱原発は、マイケル・ジャクソン顔負けのムーンウォークであり、前に進んでいるようにみせかけて、実は後に下がっている。

つまり、原発をやめるかのように見せかけて、実は原発を維持すること、あるいは「安全」な原発を作って売り込むことが、その真の目的だ。

この「なんちゃって」も、そうとう怖い。

2020年までは、税金をジャボジャボ使って、なおかつ国民から追加料金を強制徴収して「自然」エネルギーを増やしていく。
ところが、2020年になったら、「やっぱり採算あいません。原発がないとやっていけません。」と言うことになる。
そういう仕掛けが、全量買取の再生エネ法には盛り込まれている。

全量買取の10年間が終わった太陽光パネルが、全国各地に放置され、新たな環境問題になる可能性もある。
そしてなにより、この再生エネ法で時間稼ぎをしている間に、「安全」な原発をつくる算段なのである。

もちろん「安全」なんてありえないが、「安全だ~」と作っているヤツが叫んでいるだけ代物でも、御用学者とマスメディアが「安全」「安全」」と百回唱えれば安全になるのが、この国の作法というものだ。

こんなことを考えている なんちゃって脱原発の官直人に、署名が届いたといって喜んでいるグリーンピースなども、どうかしている。
CO2温暖化に騙された勢力は、いちどキチンと反省しないと、何度でも騙される。
もしかして、確信犯? と疑いたくなることもある。

■■

私の仕事の範囲で言うと なんちゃって自然住宅 とか なんちゃって健康住宅 とか なんちゃって100年住宅 とか なんちゃって耐震住宅 とか 上げたらきりがない。

これらの なんちゃって にもレベルがあって、菅直人のように、個別課題でもいい加減なものと、グリーンピースのように個別課題では真剣でも全体が見えていないというものがある。

自然住宅と言いながら、ちょっと床に無垢板を貼ってみました とか 壁に漆喰塗ってみました (他は何もしていません)というのが、確信犯てきな なんちゃって自然住宅。

対するに、自然住宅とか、健康住宅とか、100年住宅とか、耐震住宅とか、自分の得意などれかの課題はすごく頑張っているんだけれども、それ以外の課題は、いとも簡単にスルーしてしまう なんちゃって もある。これが多い。

使う素材はものすごく研究されているのに、耐震性はフツーだったり、超高気密高断熱に作っているのにシックハウス対策はなおざりだったり、100年もつように太い柱を使っても、基礎のコンクリートは寿命60年のものを使っていたり・・・

もちろん、家は実用だけじゃなく、デザインや間取りは重要。コストのこともある。
そんなこんなで、建築家というのは、人間一人の頭で考える限界くらいのことをあれこれと考えることが必要になる。

しかも、それぞれの要素は、あちらが立てばこちらが立たず というケースが多くて、もう脳みそがちぎれそうになる。

でも、そんなことで悩んでいると営業できないので、ほとんどの住宅は、ウチの売りはこれ と決めて、他のことはサラッと流す。
そういう なんちゃって○○住宅が 圧倒的に多い。

逆に言うと、私たちのような、弱小建築事務所が、理屈こねながら苦心惨憺して作る家は、訴求力がない。訴える力がすごく弱い。

で、必然的に建築家は、デザインに走る。
これが、一番訴える力があるし、しかもやってて面白い。
その結果、デザイン抜群だけれど、住めたもんじゃない という、古来、有名建築家の家では昔からよくある現象が、いまだに続いていたりする。

■■

じゃあ、明月社の作る家は なんちゃって じゃないのか と問われると ちょっと答えに困る。

(写真は事務所のバルコニーで咲いたハイビスカス。記事とは何の関係もありません)

ウチは、シングルイシュー選挙のような売り込み方はしていないから、その意味では なんちゃって ではない。
しかも、恐がりなので、これはできる と自信のあることしか言わない。
ハッタリをかまして、いっちょぶち上げたろか と思うこともないこともないが、そんな根性がない。

さっきも書いたように、住宅にはあまりにも多くの要素があって、一人の人間では限界がある。
だから、それぞれのジャンルで一番か と言われると やはりそれは違う。

構造計算をしているけれども、木造の構造に関しては、何人かの権威がいて、その人たちと比べれば足下にも及ばない。

デザインも力を入れているつもりだけれども、デザイン命みたいなひとの洗練された作品を見ると嫉妬を感じることも多々ある。

施主さんと山に行って伐採体験をするような家づくりも、けっして私のオリジナルではない。中には強者がいて、本当にキコリをしながら設計もやっている なんて人もいる。すごい。

自然素材は、長年実践してきたので自信はある。が、化学物質過敏症の人でも対応できるかと言われると、ちょっと自信がない。

個別分野では、NO1ではないしなり得ないことは、自分で良く分かっている。
だから、おまえは なんちゃって じゃないのか と問われると ちょっと困るのである。

ただひとつ。これだけは、おそらく日本で俺だけだ ということがある。

間取りやデザインを決める意匠設計者であり、お施主さんと一緒に山へ行って木を伐り、自然素材を使って家を設計し、なおかつ、構造計算まで自分でやっている、という建築家は、おそらく他にいない。

だからどうした と言われればそれまでなんだけど。
まあ、一つくらいは自信を持っておきたいわけで。

■■

そんなこんなで、やっと宣伝にたどりついた。

先日から、こそっと記事の最後に 「構造見学会」のお知らせを書いていたのだけれども、まったく人気がない。

だいたい、構造見学 というのが、昨今は人が集まらない。
完成見学会は、できあがった家なので、結構見に来る人もいるが、構造なんてできかけの家を見て何が楽しいの てなもんである。

でも、この「反戦な家づくり」を見てくれている方には、そんな悲しいことを言わないでいただきたい。
何でも、できあがるまでが大事なんです。

できあがる とは、大事なことが隠れてしまう ということ。
世の中の仕組みに騙されまい と心に決めている方は、もし家を建てるのであれば、できかけの小汚い現場をしっかりと見ておかなくては。

ちゅーことで、再度告知を

明月社の家 構造見学会

7月24日(日) 11:00~  大阪府豊能町東ときわ台
              能勢電鉄ときわ台駅 徒歩15分

参加ご希望の方は、
メール info@mei-getsu.com
FAX  06-6720-8051
TEL  06-6330-3700

まで、ご連絡下さい


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2011-06-30(Thu)

脱原発の家づくり 太陽光発電は救世主か?

再生可能エネ法案で、全量買い取りにされようとしているのは、太陽光、風力、水力(3万kW未満の中小水力)、地熱、バイオマス などである。
このうち、太陽光発電だけは優遇されていて、買い取り価格が40円以上(現状と同じならば)。太陽光発電以外は15~20円なので、大きな差がある。
再生エネ法とはいうものの、ほとんど太陽光発電促進法である。

ところで、先日も書いたけれども、太陽光発電はどうも胡散臭い。
何よりも、この再生エネ法案の閣議決定が3月11日だったことにも表れている。
原発事故以前は、菅内閣は総力を挙げて原発推進、原発輸出内閣だった。
その菅内閣が、震災以前に閣議決定しているのだから、当然にも、この再生エネ法は原発推進と一体のものと思わなくてはならない。

太陽光発電の怪しさについては、現在資料収集中なので、とりあえず今日は予告するだけにしておく。
近日中に、詳細を書きたいと思っているので、興味のある方は期待していただきたい。
現在、文字通り日の出るような勢いの太陽光発電をこき下ろしてみたい。

今日は、その前段として、エネルギー効率についてちょっと見ておきたい。
平成19年に経産省が作成した、エネルギー効率の国際比較 というものがある
http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g70419a07j.pdf



GDPを1生み出すのに、どれだけのエネルギーを消費したか、という数字だ。
日本はダントツ、めちゃくちゃ省エネの国ということがわかる。
EUやアメリカの半分、ドイツと比べても1.6分の1である。

全量買い取りの先行事例であるドイツを、とかく過大評価しがちだが、少なくとも省エネという意味では、ドイツは日本の足下にも及ばない。
逆に言うと、エネルギー効率を向上させるには、日本は伸び代が少ないということだ。

次に、エネルギー効率の資料として、エネルギー変換効率を見ておく。
発電所などで、入力されるエネルギーと出力するエネルギーの効率だ。
エネルギー変換効率の一覧

これをみてわかるのは、エネルギーを電気にするのは、そもそも効率がよくない ということ。
太陽光発電は15%前後で、なんと、自転車のダイナモ20%程度の方が効率が良い。

それに対して、太陽熱温水でお湯を作るのならば最大85%、家庭用でも40%である。
だから、そもそも自然エネルギーに転換するのならば、電気そのものからの転換も考えるべきなのである。

それと、自然エネルギーを使うときは、むやみに巨大化、集約化しない方が良いと言うことだ。
いわゆるメガソーラーとか、電田とか、巨大化することでエネルギー的に飛躍的に効率化することは期待できそうにないからだ。
ただし、ビジネスモデルとしては、メガソーラーの方がずっと美味しいことは、孫さんに教えてもらわなくてもわかる。

身の回りの自然エネルギーのようなユルイものを使うときは、できるだけユルク使うべきなのである。

窓を大きくして冬暖かくするとか、太陽熱温水とか、打ち水の気化熱で冷やすとか。

そういう工夫が満載の家を現在設計中なので、そんな話も含めて、改めて書きたいと思う。
本日は、寝ないと倒れそうなので、これにておしまい



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2011-06-08(Wed)

自分ならどんな家に住みたいか & 東日本大震災の震源をスマトラと比較する

たまには「家づくり」のほうの記事を書いてみようかと

思いながら、やっぱりその前に震災のことを

少し前に新聞などでも書かれていたらしいが、カリフォルニア工科大学のマーク・サイモンズ教授が、こんなことをサイエンス誌に書いた。

「茨城沖が震源、関東を大震災が襲う」
米科学誌『サイエンス』衝撃のレポートを緊急検証する!
2011年06月06日(月) フライデー

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/6836


記事の内容は読んでいただくとして、要するに3月の震源域の南側で、プレートの滑りが引っかかっているところがある。
そこ(茨城沖)が危ない ということらしい。

なるほど、見る限りでは何となく説得力がある。
60mもずれた場所の続きで、急激にズレが小さい場所があれば、危ないような気はする。

気象庁のデータで見ると、こんな感じだ

suberiryou.jpg

http://www.bousai.go.jp/chubou/27/shiryo1.pdf (中央防災会議の資料より)

赤が濃いほど滑り量が大きい。
北側は徐々に減少しているが、南側は いわき市の沖あたりで急に少なくなっているのが分かる。
フライデーの記事にある?マークの位置は、ちょうどこの茨城沖の薄黄色の部分にあたる。
ジワジワ動いていればいいのだが、動きが止まっていると心配だ。

ところで、マグニチュード9と言えば、2004年のスマトラ沖地震を思い出す。
スマトラでは、その後どういう経緯を辿ったのだろうか。

これも気象庁のデータを見てみる

sumatra.jpg

http://www.jma.go.jp/jma/press/1010/28a/kaisetsu101028.pdf

おお、これはスゴイことになっている。
6年間で、総延長3000キロほどの震源が、順番に壊れている。
それぞれ、大地震を起こし、中には1000人を超える死者を出すほどの被害のものもある。

二つの地図の縮尺が違いすぎるので、だいたい大きさを合わせるとこんな感じ。

singen-hikaku.jpg

スマトラ沖の凄まじさが分かると同時に、もし同じくらいの地殻の力を受けているのだとしたら、やはり今後の推移には不安を感じざるを得ない。

■■

さて、こんな不安な話のあとに、家の話でもないだろう と言う気もしないでもない。
けれども、それでは私も商売あがったりだ。

いやいや、私の商売だけでなく、日本で地震が不安だから○○はやめておこう と言い出したら何もできない。
なにせ、地震の来ないところなんてないのだから。

どうしてもイヤなら、世界中の地震を一手に引き受けているような この日本から脱出するしかない。

世界中のどこでも、何かしらプラスとマイナスがある。
寒いのが嫌いな私から見たら、北欧やロシアに住んでいる人の気が知れない。
しかし、そこにはそこの良さがあるのだろう。

他の国から見たら、こんな地震が集中している場所にわざわざ住んでいる日本人の気が知れないだろう。
でも、そのかわりの良いところも一杯ある。

そんなもんなのだと思う。
良いところも悪いところも 自然現象とは何とかうまくつきあっていくしかない。

ただし、そんな場所にわざわざ原発を建てるのは狂気の沙汰だ。
うまくつきあう の真逆である。

それはともかく、普通に暮らしていくためには、家も会社も学校も、地震とは何とか折り合いをつけてつきあっていくしかない。
大事なことは、100%安全なんてありえない、と心しておくこと。
できるだけ小さくしても、かならず危険があると自覚しておくこと。

ともすると、住宅の営業では、100%安全とか、絶対安心とか言いたくなる。
技術面でも、内心無理と分かっていながら、完璧を求めたくなる。

しかし、しょせん耐震設計と言っても、地震の揺れを単純なモデルにして考えている。
直下型の縦揺れも想定外 だ。

まして、津波や土砂崩れは、土木・都市計画の領域で、建築はこんなものに耐えられるようには作られていないことは、今や日本中の人が知るところとなった。

そういう環境で生きている。
そう腹をくくって、暮らしていくしかない。

■■

私が設計する家は、おそらく普通に建っている家よりも5割くらい耐震強度に余力はあると思う。

まず、構造計算をすると、建築基準法ギリギリで建てるよりも、平均で2~3割強くなる。
念のため言っておくと、普通に建っている木造2階建ては、構造計算をしていない。
計算しない代わりに、最低限守ることが決まっていて、それが法律ギリギリということになる。

このギリギリ状態を計算にかけると、だいたい0.7~0.8くらいになるので、構造計算をした時点で、ギリギリよりも2~3割強いということが分かる。

次に、耐震等級というのがある。
普通の計算では、だいたい震度5強で壊れないように ということになっている
これが、耐震等級1
その地震力を、25%増しにして計算するのが、耐震等級2
50%増しにするのが、耐震等級3

耐震等級2で、だいたい震度6弱で壊れない
耐震等級3で、だいたい震度6強で壊れない
という感じ

いずれも、震度7でも大崩壊して中の人間が潰れてはいけない という考え方になっているが、そこに至るまでの壊れ方の程度が違う というわけ。
(ちなみに、震度というのは体感的な単位なので、およその話として読んでいただきたい。)

私の設計では、ほとんど耐震等級2 で設計している。
だから、計算しない場合と比べると、1.2x1.25=1.5 となる

なんで耐震等級3にしないのか というと、これもワケがある
耐震力だけは突出するかわりに、使用する材料でシックハウスの心配が出てきたり、そうでなければやたらとコストアップしたり、はたまた間取りの自由が大幅に制限されたり、とディメリットも大きいからだ。

家は耐震シェルターではない。
そこでの暮らしと、耐震性のバランスを考えることは、けっして手抜きではない。
だから、私は耐震等級2 を標準にしている。

■■

耐震性と生活のバランスは、間取りにも影響していくる。
耐震性だけを考えれば、1階は小部屋が並んでいた方が良い。
でも、これは私の理想の家じゃない。

都心の住居では、2階にリビングをもってきて、1階は個室にすることはめずらしくないが、今日書きたかったのは、「私ならどんな家に住みたいか」

白状すると、木の家プロデュースとか言って、人に散々木造住宅を勧めているくせに、私の住まいはマンションだ。
一応、激安の中古マンションを購入して、木やら和紙やらを貼るリフォームはしてある。

でも、これは私の理想型ではぜんぜん無い。
その時の仕事の都合にあわせた地域では、それしか手が届かなかったに過ぎない。
たんまりオカネがあれば、土地を買って木の家を建てていたことは言うまでもないが、言うだけ空しい。

けれども、言うだけならばタダなので、「私がどんな家に住みたいか」をもう少し書いてみる。

まず何よりも、庭には10坪くらいの菜園が欲しい。
あまり広いと維持できないし、それ以上狭くては、作れる種類が限られる。

この菜園で、食材の20%自給を目指す。
経済的には野菜を買った方が安かもしれないけど、できる という自信をつけておきたい。
それに、どうしたって子どもたちの体に入ってくる農薬や化学肥料や放射能のリスクを、少しでも減らしたい。

それと、木が一本。
落葉樹がほしい。樹種は何でもいい。その辺の山に生えているのでいい。
ただし、ケヤキは大きくなりすぎるので遠慮しておく。

畑と樹木の奥に、ひっそりと家が建っている。
真四角な平面で、中はガランドウがいい。

天井の高さは2倍。要するに、倉庫か小さい体育館のようなもの。
一部は土間で、残りはリビングというか居間というか、とにかく家族がいる場所。

風呂とトイレだけは区切っておく。
と言っても、フィリップ・ジョンソンの自宅みたいなのはイヤ。
格好は良いけれど、見世物じゃない。

philip-johnson.jpg

こんなのじゃなくて、ちゃんと外壁は作る。

で、寝るところは、自分の好きなところにロフトを作って寝室にする。
ちゃんと区切っておいてもOKだけど、部屋と言うよりは、屋根裏に近いものでいい。
ただし、屋根の断熱と遮熱は、思いっきりやっておかないと 暑くて寝らんない。

これが、私の中にある家のイメージ

材料はもちろん、木と紙と土。
屋根と外壁は、これだけでは耐久性に難ありなので、若干の工業製品を使用。
基礎は、法律で決められているので、鉄筋コンクリート。

実は、この鉄筋コンクリートが、家の構造材料の中で、一番寿命が短い。
普通の家に使われているもので、60年の想定だ。
これではちょっと寂しいので、私の設計では、ワンランク上のコンクリートを使う。

それでも、想定は80年。適宜メンテをして100年と言うことになっている。
ちなみに、よく100年住宅なんて言うのを聞くが、コンクリートが60年の想定なのに、100年住宅と謳うのは詐欺じゃないかと思うんだけど、如何。

エネルギーは、太陽熱温水と雨水利用はぜひやりたい。
いま設計させてもらっている家で、これを両方ともやることになっているので、とても楽しみ。

なにせ、確実に元が取れる。
元というのは、オカネだけじゃなくて、エネルギー的に。
ローテクで、利用形態がシンプルなものが、いちばん「使い尽くす」ことになる。

反面、太陽光電池は迷いがある。
原発の電気を使わないために、パネルを屋根に載せるという選択肢もあるが、太陽光電池が元を取れるかどうかは疑問。

オカネの面では、補助金と強制的な売電価格で無理やりペイさせているが、本来は今のところ全然合わない。
エネルギー的には、原料のシリコンを抽出する過程がグレーゾーン。意図的に隠されている。

北陸先端科学技術大学院大学で発明された液体シリコンの利用が実用化すれば、新しい可能性が出てくるかもしれない。

太陽電池、液体シリコンで製造成功 大量生産に期待
2011年2月8日 朝日


もっとも、本当に革新的な技術は、文科省にも経産省にも無視抹殺される危険があるから、予断は許さない。

雨水利用は、これまでは庭に播いたり洗車をしたりという用途に限られていたが、水栓メーカーが画期的な蛇口を開発したので、家の中でも利用が可能になった。
主に、便所の流し水は雨水で賄うことができる。

これまでは、雨水と普通の水道を、同じ蛇口に切り替えで使うことができなかった。
水道に雨水が逆流する危険があるからだ。
だから、雨水タンクがからになると便所が流せないという大問題があった。

しかし、メーカーが開発した蛇口は、雨水と水道が混じらないようになっていて、水道局もOK。
雨水タンクが空になったら、便器に座ったままコックを切り替え。
無事水が流れる と言う次第。

それと、ぜひやりたいのが、屋根と壁に水を流すこと。
雨水を小さいポンプで屋根まで上げて、夏の最中はちょろちょろ出しておく。
西日の当たる壁にも、できれば流す。
これだけで、家の中の体感温度は激変する。

冬には、やっぱり薪ストーブ。
隣近所に迷惑にならない限りは、薪ストーブがほしい。
ただし、薪ストーブは工事費入れると100万円コース。
たぶん、経済的な元は取れないが、炎を眺める魅力は捨てがたい。

これまでも、何軒か入れさせてもらったけれども、なんというかシビレルものがある。

同じ炎で言うと、ランタンもいい。
割り切るところは、LEDで節約して、「あかり」が欲しいところにはランタン
lamp.jpg

家の中の床は、杉の木。
戦後の一時期、戦災復興で木が足りなくなり、山持ちは大もうけした。
国策も後押しして、われもわれもと裏山に杉の木を植えた。

やがて国策は米国さまの言うとおり 輸入材へ。
植えられた杉の木は放置され、恨みを晴らすかのように毎年花粉を噴き出している。

人間の歴史に翻弄された可哀想な杉の木を、使い尽くす。
構造材から、床板まで、使える限り杉の木を使う。

桧のほうが上等だと思っている人が多いが、私は杉が好き。
香が優しく、目にも優しく、足の裏にも優しい。

少々傷つくのを気にしなければ、理想の床材だ。
最高

そんなこんなで 夜が更けていく。

埒もないことを延々と書いていたら、なんだか元気になってきた。
地震もある、津波もある、おまけに放射線まである。

深刻な被災地の救済と復旧をねがいつつ、でも、できるだけ楽しく生きようと思う。
震災から2ヶ月たったころ、腹式呼吸をしていないことに気がついた。
腹筋が硬直して、しようとしても腹式呼吸ができなかった。

それから1ヶ月して、いまやっと呼吸が普通に戻りつつある。
今日は、ずっと下を向いて歩いていたことに気がついた。
斜め上方15度を向いて歩くようにした。

あと少しで50の大台に乗る。
この年になると、放射線の影響もかなり小さい。
小出先生の言うとおり、原発を止められないで今日の事態を迎えた責任がある世代として、私たち以上のオッチャンは、子どもたちの口に入れないためにも、福島の野菜を率先して食べるべきなのかもしれない。

それもまた良し である。

しぶとく行こう
しぶとく


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2010-11-06(Sat)

国破れてダーチャあり

このところ肩がガチガチにこって腰も痛い。膝まで痛みが出てきたので、近くの温泉に飛び込んだ。

一時間ぐらい、ぬるいお湯に浸かって、ベンチに横になって、そんなことを繰り返していたら、徐々に全身がほぐれてきた。
1ヶ月前に駅前の激安マッサージに行ったときは、30分以上激痛に耐えて、やっと少しほぐれてきたと言われたのに比べると、まだ今日のほうが少しマシ。

温泉に滑り込んだのには、もうひとつワケがある。
なにやら些細なことに妙に腹が立って、自分でもオカシイと感じていた。
私が肩こりになるときは、だいたいメンタルな原因であることが多い。

温泉の中でも、最初は子どもがバシャバシャ跳ね回るのもカンに障ったけれど、それも徐々に気にならなくなっていく。
どうやら平常心を取り戻した頃、ベンチに横たわって真っ暗な空を見ていたら、ぼやっとした光が右から左へ移動していく。
ど近眼の私の目には、不思議な光の空中移動に見える。

このままで良いのかな。
現役で働けるのはあと20年もないかもしれない。
俺は何をしたいのかな。

光を追いながら、そんな思いがよぎる。
そういえば、最近は目の前の仕事に追われて、「何をしたいのか」なんて考える余裕がなかった。
家を作る 設計する仕事は、大切な楽しい仕事だ。
でも、その仕事を通して実現する、私のミッションは何なんだろう。

反戦な家づくり と銘打ってこのブログも6年めに入った。
ほとんど家づくりのことは書いてこなかったけれど、実は、家づくりを通して実現したいミッションを、ずっとずっと考えてきた。

ミッションなんて言うと大げさだけれど、「こうなったらいいな、こうなってほしい」という思いは、誰しももっている。
そんな思いを実現させようとすることがミッション。

ほぐれてきた頭に浮かぶイメージは、「生きていて楽しいこと」
なんだか当たり前すぎて拍子抜けする。
なーんだ そんなことかいな。
湯の中でふふっと一人笑い。

別に毎日が苦しくて、楽しくないワケじゃない。
私自身のことを言えば、仕事が途切れる恐怖心を除けば、目の前はとりあえず楽しい。

が、何かが足りない。
熱がない。人の世の熱が足りない。
人の世に熱あれ 人間に光りあれ
西光万吉の言う水平社宣言は、部落解放にとどまらず、人間解放の原理を言い当てる。

良くも悪しくも人の世に熱のあるとき、人はラジカルな(深いところでの)喜びを感じる。
それは、あるときは戦争という恐ろしい結末へ誘導されるときもある。
その危険は分かっていても、しかし、人は深い喜びを求めて止まない。

だから、人の世の熱が、戦争や差別という人を壊す熱にならないように、人が生きる、生きていて楽しい熱になるように。
それが私のミッション。

3万人の自殺者の後ろには、30万人からの自殺未遂があるだろう。
30万の未遂の背後には、実行には至らない300万からの自殺願望があるだろう。
300万の自殺願望の背後には、3000万からの絶望や虚脱があるだろう。

家を作ることで実現するのは、3000万分の1。
もとより、一定の経済力のある人に限られる。
しかも、私のところに依頼してくれる人は、もともと虚脱や惰性とは遠い人が多い。

それでも、山の木の命のサイクルに、住み手も組み込まれていくことのダイナミズムは、そこに育つ子どもたちへの言葉にならないメッセージだ。
長い年月の中で、そこに住む人たちへの、気の長い伝言だ。

だから、一軒一軒の家を作るこの仕事は、一つ一つ大事にしていきたい。
この思いは変わらない。

その一方で、これだけで良いのか、という思いもつのる。
都市部で一戸建てを建てようと思えば、土地建物で4~5千万円くらいはかかってしまう。
東京圏ならばもっとかかる。
普通の人にとっては、一生を住宅ローンに捧げなくてはならない額だ。

もっと自由にもっと楽しく。
収入激減しているこの世の中で、どっこいこんな方法があるよ、という生き方、住み方を提案し実現したい。

それが、ロハスビレッジであり、菜園家族の構想だ。
小貫雅男先生の提唱する、週休5日の菜園家族という姿。
これは、衝撃的だ。

里山研究庵 ノマド

この中にある「菜園家族宣言」は、読むと元気が出る。
(PDFでダウンロードできる)
方法論はともかくとして、この道筋しかない と私は思っている。

残念ながら、一足飛びに週休5日にはならないので、どこから始めるかということを、ひねもす考えている。
参考になるのは、ドイツのクラインガルテンやロシアのダーチャ。

日本式に言えば別荘だけれども、日本の別荘というイメージとは大きく違う。
水道も電気も無い180坪ほどの郊外の畑に、自作の小屋を造って週末やバカンスを過ごす。

戦争中やソ連崩壊などの食糧危機を、このダーチャのおかげで生き延びてきた。
まさに、国破れてダーチャあり。

dacha.jpg
クラスノヤルスク滞在記より)

大学教授もデパートの売り子さんもみんな持っている。
なにせ、ソ連時代に無償で貸与されていたものが、ソ連崩壊で自動的に自分のものになったのだ。
日本の家庭菜園などとは分母が違う。

こうした文化を、お金のある団塊世代や富裕層だけでなく、私たち一般庶民の生活にしていきたい。
極便利な場所以外は、日本は土地が余りまくっている。
買い手も借り手もなくて、放置されている土地がてんこ盛りだ。

国土が小さいから土地が高い なんていうのはほとんどウソ。
仕事に通える範囲でも、エッと思うくらい安く土地は売られている。
もちろん、ちと不便だったり、急な坂の上だったりするけれども。

これに賃貸というモデルが加われば、あらゆる階層が菜園家族の一歩を踏み出すことができる。
ただし、賃貸はビジネスとして成立させるのがなかなか難しい。
これは検討中。

賃貸はしばらく難しいが、やす~く土地を買って小屋に毛の生えたような家を建てることは、今すぐでも可能。
180坪とはいかないが、70坪くらいの敷地に2~30坪くらいの畑が作れる。
30坪といえば、畑の単位で言うと1畝(せ)。
1反の10分の1だから、結構な広さがある。

一家に一畝が、これからのライフスタイル。
そこから、新しい楽しさの基準が始まる。

これまでの楽しさの基準は、あれこれきれい事を言っても、究極はお金があることだった。
これからも、それは無くなりはしない。
が、一家に一畝が定着すれば、ちょっとづつお金の呪縛から解放される。

週休5日にむけて、ジワジワと進んでいこう。
革命というほど激しくはないが、革命といえるほど根源的だ。

こんな生活をしてみたい方には、マジで情報提供します。
ご連絡を。

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2010-07-18(Sun)

コンビニで聞いた不思議な呪文

一昨日は、オンボロ じゃなくて かわいい愛車が故障。ダイナモがいかれてしまった。幸い、JAF→なじみの自動車屋さん という流れで、時間も費用も最小の負担で直ってくれた。

ただし、小一時間、家の近くの信号で止まっていたので、何人ものひとに目撃されてしまった。

さて、車は直ったと喜んでいたら、こんどは本体=自分の体がいかれてしまった。
昨日の午前中は、何だかだるいなあと思いながら、子どもを図書館に連れて行ったりしていたのだが、昼前にヘナヘナとダウン。39度近い熱が出て、真っ直ぐ歩くこともできない。

ふだん、しょうしょう無理しすぎなので、そろそろ休まないとヤバイぞという お告げかもしれない、と勝手に解釈して、どっぷりと寝ることにした。
お陰で、何とか微熱くらいまで回復し、昨日の分を取り戻すべく事務所に出てきた。

ろくに断熱もされていない、ウチの事務所は、暑い。熱い。
風通しはいいので、まだ助かるけれども、書類が紙吹雪のように舞い散っていく。

気分直しにアイスクリームを買いに隣のコンビニへ行った。
ちょっと贅沢な150円オーバーのアイスをレジにもっていく。と、レジのお兄ちゃんがおつりを差し出しながら 「カラコロコロカラカラ」とかなんとか、意味不明のつぶやきを発するのである。

あまりに早口かつ小さい声なので、聞き取ることはできず、無視しても良かったのだが、なにせ「カラコロコロカラカラ」とかなんとか、とにかく不気味な言葉だったので、聞き流すこともできずに 「えっ?」と聞き返した。

すると、くだんのお兄ちゃんは、またしても「カラコロコロカラカラ」と繰り返す。
ただし、2回目はこちらも身構えていたので、いくつかの単語を聞き取ることができた。

「からあげクン」とか「わりびき」とか言っているようだ。
なるほど、渡されたレシートには「からあげクン30円割引券」てなものが印刷してある。

まあ、へんな呪いをかけられたのじゃないということが判明したので、安心してコンビニを後にした。こんなことで時間をとられて、150円オーバーのアイスが溶けてしまったら大変だ。


さて、このコンビニ兄ちゃんの呪文を、後で思いかえてしてみると、いろんな問題をはらんでいることが分かる。

時給850円くらいで働いている兄ちゃんにとって、「カラコロコロカラカラ」という例の呪文は、店長に言えと言われたから言っているだけの文句に過ぎない。
それが相手に伝わろうが呪文にしか聞こえなかろうが、どうでもいい。

これは、今の日本の経済を映す鏡のようだ。
大企業は、税制優遇でしっかりと内部留保をため込み、競争が激しいからとサービスを競うことは忘れない。

そのしわ寄せは、下請けと末端の労働者に押し寄せる。
末端の労働は、徹底的につまらないものになり果て、とにかく「やればいいんだろ」というものになり下がる。

それが「カラコロコロカラカラ」であり、その他多くの労働現場で見る実態だ。


私のような建築設計をしているものでも、同じような問題は 当然のことながらある。
まず、建築設計料というもんが、一体いくらなんだということ。

国土交通省が、45坪の住宅を設計するのに必要な設計料として算出しているのは、約700万である。

45坪の住宅といえば、だいたい3000万前後の建築工事費だから、割合にして23%!

イマドキは、設計料10%でもなかなかもらえないことが多いのに、国土交通省は、23%もらいなさいと言う。
逆に言うと、23%分の仕事をしておかないと、あとで責任を問うぞ ということでもある。
特に、構造や耐久性の問題では、本当に裁判になってもおかしくない。

ならば、不動産の6%のように、あたりまえのように受領できるようにしなくては、責任だけ23%ぶん押しつけられて、手に入るのは10%足らず ということになる。
現実に、そうなっている。
あまりに長くダンピングが続いてきたために、今さら上げるに上げられないのである。

これは、私だけじゃなく、全国の設計事務所の99%以上は、その状況で苦しんでいる。
大きい事務所は、トップは苦しんでいないが、下請け会社の設計者は想像を絶する苦しみの中で働いている。
中小は、みな、その日暮らしのなかで、仕事が切れたら廃業 というギリギリの綱渡りをしている。

つまり、今日本で作られている建築も、しょせん「カラコロコロカラカラ」なのである。

中には、それではあまりに寂しいからと、自分の寝る間を削って、少しでも良いものにしようと足掻いている建築家もいる。
けれども、あまり寝不足が過ぎると間違いを犯すし、生身の人間である以上、どっかで体力の限界にぶつかってしまう。


これに対処する方法は、実は一つだけある。
「設計」と「施工」の分離を義務化すること。

工務店が設計と施工を一気にやってしまうことを禁止する。
設計は設計事務所、施工は工務店、と完全分業する。

そうすれば、相互監視も行き届くし、設計事務所が工務店の下請け化している現状から少しでも脱出し、自立していくきっかけになりうる。

設計施工分離 というのは、特殊なことではなく、アメリカをはじめ多くの国では常識。
馬淵国土交通副大臣も、分離が持論。

このあたりまえのことができないのは、ゼネコンのちからが強すぎるから。
あの耐震偽装事件のときが、良いチャンスだったのだが、何のことはない、姉歯という末端の設計士に全責任を押しつけて、設計施工一貫体制の問題には、まったく触れられることなく終わってしまった。

そんなこんなで、官から菅内閣の続く限り、建築が「カラコロコロカラカラ」から脱却することは無いのかもしれない。
政権交代し、馬淵氏が副大臣になったときには、そうしたことも夢見たのだけれど。

微熱に浮かれながら行ったコンビニで、こんなことを感じてしまった。


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2010-02-09(Tue)

木の家見学会のお知らせです

本日は本業のお知らせを少々。

2月28日(日)と3月5日(金)に、またまた木の家の見学会をします。
今回は、大阪市内の18坪、しかも旗竿敷地で何ができるか、というテーマです。

準防火地域の3階建てで、木の家らしい木の家を実現するのは、実は非常に困難があります。
「木は燃える」という固定観念があまねく広まっているために、法律で厳しく規制されているのです。

前回お知らせした守口市の家では、外壁を木造の耐火構造にして、内部を自由にしました。
(おそらくは本邦初)
今回は、また違った工夫をしてみました。

木は燃えるというのは、半分ホントで半分ウソ。
ニュースなどで火事で燃え落ちた場面がよく流れています。注意してみると、他の部分はアトカタ無く燃え尽きていても、木の柱や梁は残っているのです。

表面は真っ黒に焦げるけれども、そのコゲがガードになって芯の部分は残るのです。
実験では、1分間に0.6mmしか燃え進みません。

戦後の日本では、あまり儲からない木造建築を駆逐して、コンクリートが全国を埋め尽くしていくために、さまざまな形で木に対する誤解や、誹謗中傷は広められてきました。
まるで、木の建築は、建築業界のフロク扱いでした。
だから余計に、木の建築は粗悪品が増え、ますます評判を落としていきました。

そんな流れに竿をさしたいのです。
構造計算をして、合理的に防火耐火を考えた木の家。
そういう文化が、新たに始まってほしい。

そんな大げさなことも考えつつ、木の家の気持ちよさを実感してもらえたらと思います。

また、この家では、6畳くらいの菜園スペースも確保しました。
いったいどこにそんな余裕が?

ま、来てみてのお楽しみということで。

見学会に参加希望される方は、右サイドの「天の木ネット」をクリックして、詳しい情報を見てください。

では。

2009-10-29(Thu)

構造見学会です

さて、いきなり家づくりの話題に戻るが、今週末は構造見学会だ。

11月1日(日)11:00~ & 14:00~
大阪市住吉区 地下鉄我孫子駅 または JR杉本町駅 徒歩5分くらい

平面的には、ほぼ極限まで小さい。
ワンフロアー約10坪。
それが、3層重なって、さらにその上に屋上バルコニーがある。

そう、その屋上はもちろん、畑になる予定。
大きくはないけれども、プランターに比べるとずっと沢山の作物を作れる。


てなことは、今はまだ骨と皮しかできていないので、おいといて、構造の話。
木造の三階建てなので、もちろん構造計算をしている。
私の設計する家は、二階でも構造計算するが、三階になると義務になる。

この木造の構造計算は、専用のソフトをつかってすることになる。

もっとも多く使われているのが、KIZUKURIというソフト。
はっきりは分からないが、シェアは50%なんてはるかに超えているはずだ。

開発者自身が、自分で構造計算をしているのの、結構使いやすい。
ただし、他のソフトに比べると、もっとも低機能で高価だ。

なにせ、ひとりの人が開発し、メンテナンスをし、サポートまでおこなっているから、計算基準が変わったりしても、そう簡単に新バージョンは出てこない。
去年の12月に基準が変わったのに、いまだにバージョンアップの様子すらない。

細かいことはできないので、計算者の判断で細かい問題を「四捨五入」して細かくないモデルにしてから、計算をしなくてはならない。
それがいけないのではないが、コンピュータというのは、こういう人間の判断が入ったと言うことを、わかりにくくさせる面が大きいから、チェックする側は相当注意が必要だ。

ところが、KIZUKURIはシェアが大きすぎるので、確認申請の検査機関の担当者も、KIZUKURIという名前を見ただけで安心してしまうのである。

逆に、他の見慣れないソフトだと、微に入り細に入りチェックする。
KIZUKURIと同じ方法で計算しているのに、これではダメ と言われたこともある。

このように、日本の木造の構造計算界に絶大な影響力をもつKIZUKURIが、たった一人の方に全部かかっているというのは、ちょっと、いや、だいぶ怖い気がする。
彼に何かあったら、木造住宅の構造計算は全国でジワジワと麻痺しはじめる。
ソフトは,メンテナンスが欠かせないからだ。

だから、本当は、計算ソフトの基本部分は、国の責任で作るべきなのだと思う。
計算メソッドとプロセスについては、国が責任をとるべき。

もちろん、合理的であれば、それ以外のものがあってもいいし、基本ソフトを使いやすく改造する商売があってもいい。
しかし、最低限のものは、国が責任をもつべきなのだ。

ところが、あにはからんや、ソフトどころか計算方法についても国は「責任」をとらない形になっている。
法律は決めるのに、それをどう守るかについては、勝手に判断してくれ というのである。
もちろん、国の外郭団体が計算方法についてのテキストは出しているが、それはあくまでも「参考」だというのである。

住吉の家を設計しながら、そんな矛盾を感じたりした。

かくいいながら、現場は順調に進んでいる。
燃えても燃えない巨大な梁や、聖地として名高い天川の杉を、一目見てみたい方は、ご連絡を乞う。



2009-09-28(Mon)

農地解放についての追加メモ

昨日の記事に、

「第二次大戦後の「農地解放」は多くの人に誤解されていますが,有償による元地主からの元小作人へのかなり高額な土地売買でした。
それでも,元小作人は自分の土地が得られることがうれしかったのです。」

という指摘があったので、少々調べてみた。

が、分かる範囲で言うと、「かなり高額な土地売買」というのは、まったく当たらないようだ。

農地改革の真相-忘れられた戦後経済復興の最大の功労者、和田博雄

(独立行政法人)経済産業研究所によるこの文章によると、

農地改革は252万戸の地主から全農地の35%、小作地の75%に相当する177万haを強制的に買収し、財産税物納農地と合わせて194万haの農地を 420万戸の農家に売却したものであった。
農地買収は正当な価格、十分な補償で行わなければならないとGHQは主張し、インフレによる物価スライド条項の導入にこだわった。しかし、和田農相は徹夜の交渉によりこれを撤回させた。
戦後の悪性インフレによって貨幣価値がいちじるしく減価したにもかかわらず、農地改革が終了する1950年まで買収価格は据え置かれたのである。
この結果、買収価格(水田760円、畑450円)はゴム長靴一足(842円)にも満たない、事実上の無償買収となった。このため、農地を買収された地主階級から農地買収の違憲訴訟が相次いだ。


とある。
買収決定したときには高額だったかもしれないが、その後のインフレでタダ同然になったという。
そして、

GHQの農地改革担当者、ラデジンスキー博士は後日社会党の実力者となっていた和田と会談した際、和田に農地証券がインフレによりただ同然になることを予想していたのかと質問した。和田は言下にイエスといい、「もし、農地証券を物価にスライドさせていたなら、政府の重い財政負担によって今日のような日本経済の成長はなかった。あの時博士が譲歩してくれたのは日本経済のその後の発展への最大の貢献だった」と答えている。

と続いている。

背景としては、420万戸の小作農が農民組合など一大革命勢力になろうとしていたこと、戦争による欠乏に加えて敗戦の昭和20年が大凶作だったこと、などがあるようだ。

革命を未然に芽を摘み、生産性を上げて餓死を防ぐ、という当時の日本政府にとっては、何が何でもやらなくてはならない政策だったようだ。
だから、GHQの影響力はもちろん無視できないにしても、戦後の政策の中では比較的に日本政府主導で行われたようである。


また、前出の指摘にある、「市街化区域に指定されると,農地に宅地並みの固定資産税が適用され,やむを得ず土地を手放した」という説については、ハッキリとオカシイと言える。

二つの意味でオカシイ。

地主が、農地と言いながら宅地としてアパート経営などをしていたので、宅地並み課税ということが行われるようになった、という歴史的な経緯がある。
しかも、本格的に施行されたのは1992年である。たしかに、施行後は田んぼが駐車場になるようなところが続出したが、農地が大量に開発されたのはもっともっと前の時代である。
これがひとつめ。

もう一つは、本当に農業を続けたければ、「生産緑地」にすれば、課税は農地並みになるので、実は何の問題もない ということ。

ただし、一度「生産緑地」に指定してしまうと、少なくとも30年間、本来は永年、農地として固定される。景気が良くなったから宅地にして売り払おうとか、アパートを建てよう、ということはできなくなる。

ということで、宅地並み課税によって、やむを得ず土地を手放した人は、もともと宅地として売りたかった人が、売れなくなる前に駆け込みで売り払った ということだ。
農地を続けたいのに、泣く泣くやめたというのは、ちょっと違うように感じる。


さらに言うと、生産緑地は持ち主が亡くなったりすると、自治体に時価で買い取り請求ができ、自治体が拒否すると建築制限が解除される。
つまり、地主のおじいちゃんが亡くなったら、息子はしっかり現金化するか、宅地として活用できるようになるのである。
または、農地として相続すれば、相続税は農地である限り猶予される。

江坂の街中を歩くと、ビルの谷間に排水路の水を引いた田んぼがあって、落っこちそうになる。
あるいは、何の脈絡もなく桃や栗の植えてある場所が点在し、まったく収穫されることなく、落果し腐っている。
こういうのが、生産緑地というものだ。


そうそう、こんな非道い話もあった。

橋下君の掘った芋は890億円


橋下の権力欲のために、門真市の北巣本保育園はイモ畑を強奪された。

そして、強制収容で無理やり取り上げたくせに、「農業をやめた」と言って、先代から相続したときに猶予されていた相続税に19年間の利子までつけて2200万円を払えと言ってきたのである。

ほんとうに、非道い話だ。今聞いても腹が立つ。

これに課税するのであれば、一個も収穫されずに落ちて腐っている桃に税金をかけた方がよほどマトモだと思うのだが。


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パレスチナで作られたオリーブオイルやオリーブ石けん。これはお勧め。
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明月 こと 山岸飛鳥

Author:明月 こと 山岸飛鳥
木の家プロデュース 明月社 主宰
一級建築士
趣味 キコリ 畑
取り柄 貧乏
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