2005-10-29(Sat)

なぜ靖国に左翼は反応するのか

というコメントがあったので、少し述べたい。

宮崎学氏の「神に祈らず 大杉栄はなぜ殺されたのか」という本に、こんな話が書いてあった。

いつだったか、ある関西ヤクザの大親分から、「宮崎君、左翼とはなにかな?」と質問されたことがあった。そのときわたしは、こう答えた。「いろいろ考えからはあるでしょうが、いまの日本では、大東亜戦争を侵略戦争だったと考えるかどうかが、ひとつのわかれめでしょうね」
大親分、しばらく首をかしげて黙考していたが、やがて、「すると、わたしは左翼ですな。他人の縄張りをあらす奴は、侵略者やと思うからね」


これほど分かりやすい話を認める勇気が無い連中が、世に右翼と呼ばれ、あくまで侵略だという連中が、左翼というもの。だから、戦争を感動と言いなす靖国神社を国の代表が敬う、参拝する、誠を捧げるなどもってのほか と言うのは当たり前だ。

この基準に則って言えば、わたし自身もまごう方無き左翼であるが、ただ、心情的には右翼の言い分も分からないではない。つまり、人間は弱いものだという前提に立てば、強盗に入って返り討ちにあって死んでしまったら、自分が強盗したことを棚に上げて返り討ちにした人を恨むという愚かな行為も、ある種人間的と言えるかも知れない。

逆に、侵略を糾弾することで自分の責任は問われない、とかる~く考える左翼がいるならば、それはより傲慢であるかも知れない。その点は、よくよく自省したい。(正義の味方ほど怖いものはない)

ただしかし、いくら人間の弱い部分だと言っても、それが社会的政治的な意味を持つ以上、言い換えれば他人を巻き込む以上は、弱いから仕方ないではすまされない。まして、逆恨みが度を超して、自虐史観だの、「お互いに反省」しろだとの言うに至っては、それは改めて責任をとってもらわなければならない。

だからこそ、いま、ことさらに靖国には黙っていられない。

e0089387_8341755.jpg


やっとマトモにリンクするようになった。FC2は初心者にはちとむずかしいかも。
2005-10-26(Wed)

トラックバックについて

トラックバックは、ブログという主体的な意見表明手段の相互交流である。したがって、あれこれと情報提供してもらえるのはありがたいのだが、掲示板からのTBのようなものは、趣旨に反するので削除する。

ちなみに、掲示板から来ていたTBのようなものは、靖国参拝に関する政府見解と、民主党の野田氏の見解についてのものだった。

この政府見解じたいは、大々的に報じられるべきものなので、ここでもリンクしておく
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051026-00000006-san-pol

民主野田氏の質問主旨
http://www.sankei.co.jp/news/morning/26pol003.htm

もう一つ、前の記事でも出した靖国神社HP
http://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/movie.html

これらを見て、やっぱり靖国は参拝しなくちゃ と思う人は、実際にはそんなに多くはないと信じたい。

改革ファシズムを止めるブロガー同盟

2005-10-26(Wed)

なぜ靖国に右翼は反応するのか

改革ファシズムを止めるブロガー同盟



上野の森にある東京国立博物館は、知る人ぞ知る有名建築だ。いわゆる帝冠様式という、戦時建築様式の代表とされている。1937年にできたこの建物は、コンクリートの建物の上に、靖国神社みたいな屋根が乗っている。

これが綺麗かどうかは別として、当時、この帝冠様式でなければ、公共建築を建てることはできなかった。建築デザインまで、実質的に統制されていたのだ。モダニズムの建築家・前川国男はこれにただ一人抵抗したが、ただの一つもコンペで選ばれることはなかった。

これに対して、先日無くなった丹下健三は、帝冠様式バリバリで頭角を現した。くだんの国立博物館を設計した渡辺仁は戦後は設計をやめてしまったが、丹下は、帝冠ってなんだっけ?てな調子で、敗戦と共にモダニズムの建築家に変身した。

前川国男とて、反戦建築家だったわけではない。ただ、せめてもの抵抗をしていたに過ぎないが、それにしても、丹下健三との対比を考えると、「責任」ということを考えさせられる。

「責任」を感じないものは、「強い」のだ。前川国男を知らない人は多いだろうが、あの東京都庁を設計した丹下健三は知っているのではないだろうか。(前の東京都庁も丹下の設計だし、大阪万博を仕切ったのも丹下である)

この精神構造は、コイズミ総統にもつながる。内心忸怩たるものを、全く感じない人間というのは「強い」。恥を知らない人間に勝つ方法というものを、私は未だ知らない。

でも、それにしては、靖国問題になると右翼にしてもコイズミ総統にしても、なぜあんなに激しい反応をするのだろう。

世に倦む日々でも指摘されていたが、靖国問題になると急にアクセスが増える。喜んでいたら、何のことはないネット右翼の到来というわけ。この「反戦な家づくり」をリンクしてくれたスコヴルテイチョウなどは、開設3日目でエライ騒ぎになっている。

有名どころでは、シバレイさんのブログもいつも異様なにぎわいを見せている。

ちなみに、ここで言われていた「靖国参拝は内政問題!! でもある」という指摘は、さすが、と言うべきか。また、紹介されていた靖国神社のホームページは、じつに面白い。

「戦争を知らない世代に伝えたい、この感動」とくるのだから、すごい。
また、「A級戦犯とは何だ」という論考もあり、きっぱりと戦争責任を否定し、東京裁判は不当だと断じている。靖国に代表される考え方が、何のオブラートも無しに表現されているので、ぜひ一見するべきだろう。


話を「責任」に戻そう。ふつう、人が大きな反応をするときと言うのは、痛いところを突かれたときだ。傷口をつつかれると、ギャーと飛び上がるのは人の世の常。とするならば、靖国は右翼~ファシストの傷口なのだろうか。傷口と感じているのだとすれば、実は「責任」や「恥じ」を感じているのだろうか。

いちばんソフトに靖国を理解するとしたら、「戦争で死んだ人はかわいそう」という感情になるだろう。だから、せめて国によって祀って欲しい、国の責任者に拝んで欲しい、と言うことになるのだろう。

もし、国が靖国を否定し、自民党の議員さえ参拝しないようになれば、遺族は、戦死した家族が犬死にだったことを思い知らねばならない。これは、戦後の日本の権力者にとって、まさにパンドラの箱を開けることになる。

JR西日本の事故で亡くなった107名の遺族の怨嗟の声は、まさに悲痛なものがある。靖国神社に祀られている、第2次大戦の戦死者は200万人を超える。200万の遺族が、犬死にさせられた怨念を抱いたとき、その権力は存続すること叶わないにちがいない。

その怨念を封じ込めたのが、まさしく靖国神社なのだ。この封印が破られることは、戦後の権力者にとってなによりも怖いことなのだ。

その意味では、おかしな話だが、憲法と靖国は、戦後社会の天秤棒を担いできたのかも知れない。憲法は戦争放棄という手法で、靖国は戦死者遺族の懐柔という手法で、それぞれ戦争責任を封じ込めてきた、と言える。

しかし今、戦争責任の封印を、あえて解き放った上で開き直ろうという改憲のプログラムが動き出した。それに連動して、靖国も、これまでの慰撫・懐柔という消極的な位置づけから大きく変わろうとしている。戦争責任の封じ込めから、戦争の積極的な肯定へ、転換しようとしている。

ただ、転換期は、敵も怖いのだ。60年間封じ込めてきた亡霊が、いま墓穴から飛び出してきやしないか、ビクビクしているのだ。それが、ファシストの靖国反応なのであろう。

そう考えると、靖国はやはり、突いて突いて突きまくらねばならない。60年間靖国神社の礎石の下に閉じこめられていた、亡霊諸君と共に。

2005-10-22(Sat)

子どもの笑顔

改革ファシズムを止めるブロガー同盟



言葉にすると月並みだけれど、世の中で何が一番良いかと言って、子どもの笑顔ほど良いものはない。もちろん、きれいなお姉さんの笑顔も良いけれども、やはり何処かに打算や見栄があったりする。

イラクにしても、パキスタンにしても、極限状態の中でなお笑う子どもの顔は、人間が生きていることを肯定できる唯一の根拠なのではないか。その笑顔を爆弾で吹き飛ばそうという連中が、どうして大きな顔をしていられるのか!

佐高信さんのHPを見ていて、1977年に米軍機が落ちた事故を思い出した。26歳の母親と3歳と1歳の子どもが死んだのだった。たしかパイロットは早速と脱出したのではなかったか。

その子どもが、虫の息で「ポッポッポ」を歌いながら死んだという記事を当時読んで、たまらない思いだった。自分の子どもがいる今、改めて思い起こして、言葉にならない、怒りとか悲しみとかそういった言葉では表現しきれない激しい思いに体が震える。


戦争というのは、こうしたことが数限りなくおきると言うことなのだ。当たり前のことだが、いま、戦争を語るときそうしたリアリティが全く欠如している。

国益が云々、北朝鮮が云々、日米同盟が云々、そんな話よりも自分の子どもの顔をよ~く見るがいい。その顔が血まみれになることを想像するがいい。

それは、どんな理由があっても、たとえ100万歩譲って正義の戦争だったとしても、許されることではない。自分たちは決して血を流さない権力者の、リアリティのない戦争賛歌に酔いしれていると、われわれ一般ピープルは血の代償を求められる。

私の仕事である家作りも、考えてみれば畢竟子どもの笑顔が目的である、と言える。だから、反戦な家づくりというのは、なにも特別なことではない、当たり前のことに過ぎないのである。

※「ロビンも歩けば」さんに、横浜の事故についての詳しいお話しが出ていました。リンクさせていただきます。
2005-10-22(Sat)

ネット右翼

改革ファシズムを止めるブロガー同盟


今、魚住氏の「野中広務 差別と権力」を読んでいる。少し前に平野貞夫氏の「公明党・創価学会の真実」を読んでいたので、なおさら面白い。

平野氏には何回かお会いして話を聞く機会があり、政治家というのは誠に奇々怪々な世界だなあ、という感を強くしていたのだが、この2冊を読んでますますそう感じる。


ところで、今日(あれ、もう昨日になっている)はやたらとアクセスが増えたと思ったら、ネット右翼の方にリンクしていただいたらしい。喜んで良いのやら・・・

ブロガー同盟はもちろん、右も左も無い、という前提で提案されているし、私も右とか左で人を判断しようとは思わない。私自身は天皇の戦争責任を追及する立場だが、私に非常に親しい先輩で仲人までしてもらった人は、「天皇は日本のお父さん」と言っている。

問題は、右や左ではなく、読む人の弱い心をあおり立てる表現は許せない、ということだ。いたずらに汚くののしって、日ごろのストレス解消にしたり、自分より恵まれているかのように見える人を貶めて溜飲を下げてみたり、そういうブログには私は近寄りたくもない。

もちろん、言論の自由はあるので、批判はするが強制することはできない。各自のブログで展開する分には、これは致し方ない。ただし、私のブログは私の頭の中だ。頭の中を、一部開いているのであって、公共の場所ではない。従って、もし私のブログにこのような、他人をののしることで自分の弱さを誤魔化そうとするような表現がコメントされたり、TBされたりした場合は、何のためらいもなく削除する。

これは、エロサイトが侵入してきた場合と同様だ。

その上で、このご丁寧に紹介してくれた方は、
この人にかかると地震もアスベストも省エネもみんな「ファシスト小泉の策略だ!」ってなってしまいます
と書いている。

ファシズムというのは、個人の策略だけでは完成しないものだ。NHKの「その時歴史は動いた」みたいな、誰かが歴史を動かしたというような歴史観は、私は持っていない。

それを差し引いて考えると、ご指摘の通り、と言うべきか。
これは、ファシズムとまで行かなくても、政治の世界でどれだけ権謀術数が繰り広げられるか、と言うことを少しでも知っていれば、
あまりに思いこみが激しいのでちょっと突っ込んだらものすごい罵倒を浴びせられそうで躊躇してしまいます
などという、呑気なコメントは言ってられない。

ネット右翼的な方々ではなく、真剣に改革ファシズムを心配している人で、もし私の言っていることが「まさかそこまで」と感じる人がいたら、前出の2冊の本をお薦めします。


さて、野中広務氏は今何をしているのだろう。田中英夫の落選会見以来、テレビでも姿を見ない。もう、誰かのために頑張る必要もないのだから、そろそろ本当に反ファシズムに身を挺しても良いのでは。
いかがですか 野中さん。
2005-10-20(Thu)

震災時帰宅支援マップ

「震災時帰宅支援マップ」が、いま一番売れている本らしい。と、ラジオで言っていた。ジェンキンスの「告白」や「さお竹屋」を押さえての1位だそうである。

内閣府の防災担当HPで「地震のゆれやすさ全国マップ」が公開された。今朝のNHKニュースで流れていた。

もうひとつ。コイズミ総統の支持率が急上昇、55%に達したとか。

これらのニュースを聞きながら、1933年のドイツ国会放火事件を思い出すのは、私くらいだろうか。もちろん、関東大震災での虐殺事件もそうなのだが、社会不安を煽るのはファシストの常套手段だ。そして、それを利用して問答無用の支持率を獲得してゆく。

地震とファシズムの関係は以前にも書いたが、まわりを見回しても、どうも気が付いている人は少ない。

コイズミ総統を支持している人は、たぶん、コイズミ総統がいい政治をしてくれると期待なんてしていない。どうせ、悪くなる。下手したら戦争になる。それが分かっているからこそ、考えるのが嫌になっているのだ。

そして、コイズミファミリーや「国家」なるものに自分を一体化させてみることで、取りあえず今日の不安をやり過ごしているのである。

だから、国民生活の不安が大きければ大きいほど、コイズミは支持率を上げてゆく。しかし、そうは言っても、そのうちやり過ごすだけではすまない時は訪れる。生活の破綻が目の前に押し寄せてきたとき、さすがに「人生いろいろ」とは言ってられなくなる。

その時が、コイズミ総統の年貢のおさめどき、と思ったら大まちがいだ。この時が一番危ないのだ。

「人生いろいろ」でごまかせなくなったら、どうするか。これがまさに、ナチスの場合はユダヤ人虐殺であり、日本の場合は朝鮮人虐殺であった。要するに、仮想敵を迫害することで溜飲を下げるという、最悪のパターンを繰り返すのである。

わざわざA級戦犯を合祀した日に靖国参拝するという挑発行為も、当然この文脈の中にある。仮想敵は、今のところ北朝鮮がターゲットになっているのは誰の目にも明らかだが、これだって分からない。

というのは、今はアメリカ追従だからそう言うことになっているが、今後、極右翼安倍晋三などが主導権をとるようになったり、米中関係が悪化したりすれば、「日本の低迷は中国が成長しているせいだ」などと言い出しかねない。

ちなみに、危ないという意味ではコイズミより安倍のほうが格段に危ない。
「今年は、日露戦争の勝利を決定付けた日本海海戦100周年の年」
「最近、こうした自国の偉大な歴史を知らない人が多いのは残念だ」
と、自らのホームページに堂々と書いている。

コイズミ総統は鵺(ぬえ)だから、口先では「戦争はしない」などと言うが、安倍はそれを見て内心「腰抜けめ!」と思っているのだろう。

まあとにかく、我々一般人が、心の片隅に持っているひがみ根性や、差別意識を目一杯膨張させてくれるのが、ファシストの手法なのだ。これに、どう立ち向かうのか。「差別は良くない」などという正論は、汚い心の膨張力の前にけし飛んでしまうだろう。


そうそう、地震の話だった。今毎日のようにNHKなどの「公認」マスコミで騒がれている地震の話は、この流れの中にあると言うことを、よくよく知っておいていただきたい。

備えあれば憂いなし。それは、まったく正しいけれど、いたずらに不安に怯えないように。不安という、心の弱い部分を徹底的に突いてくるのだから。地震で死ぬ確率よりも、交通事故で死ぬ確率のほうが5倍も大きい。地震が怖くて帰宅支援マップを買って、キョロキョロと道を歩いていると、地震の5倍の確率で轢かれて死ぬ、ということだ。

地震も怖いけど、トヨタの方がずっと怖い。
2005-10-18(Tue)

あらためて憲法を読んでみる

改革ファシズムを止めるブロガー同盟


コイズミ総統の昨日の靖国参拝は、言うまでもなく挑発だ。国民の半数に対する脅迫と、アジア各国に対する挑発である。

この事態に対する共産党などのコメントも、問題ありだ。すぐに「アジア各国からの批判が避けられない」という話をする。

もちろんそれはそうだ。した方はすぐ忘れるが、された方はそう簡単に忘れない。ただ、問題は、志位さんも日本人だ。だから、日本人として、主体的にコイズミ総統の挑発を批判しなければオカシイでしょ。

コイズミ総統の「心の問題に他人が干渉すべきではない。外国政府がいけないとか言う問題ではない」という会見は、「オレには法律も憲法も関係ない。オレの心の向くままにして何が悪い。」という、ファシズム宣言だ。せめて「憲法違反のファシズムだ」と批判する政治家が、なぜか自民党のほうにいそうだというのが、まったく情けない現状だ。

マスコミもほとんどが、アジア各国に批判の下駄を預けて、責任逃れだ。こういう報道しかしないから、「外圧に負けるな」というふざけた、逆ギレ右翼が市民権を持ってしまうのだ。

それにしても、憲法は満身創痍だ。実質的には既に改憲されてしまっているかのような気もする。

憲法をあらためて読んでみよう
国会図書館http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/jyobun.html

第1章天皇
「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
少なくとも私は戦争責任をシカトした天皇制に反対だから、総意でない。

第2章戦争の放棄
「戦力はこれを保持しない」
自衛隊が戦場にいる映像を毎日見ている子どもに、これをどう教えるのか???

第3章国民の権利及び義務
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」
創価学会と靖国神社をのぞいて

「一切の表現の自由は、これを保障する。通信の秘密は、これを侵してはならない。」
一切という言葉の意味は、例外を認めないという意味だ。たとえ、首都を爆破するという計画だったとしても、だ。オウムであろうが、ビンラディンであろうが、もし仮に、本当に危険な計画があったとしても、それでも盗聴はしてはいけない、というのが憲法の精神だ。そこまで覚悟してファシズムを防げ、というのが憲法の精神だ。要するに、テロリストよりもファシストのほうが危ない、というのが憲法の精神だ。
盗聴法、共謀罪、個人情報保護法、すべて憲法違反なのは、一目瞭然だ。

「学問の自由は、これを保障する」
いまや、大学のカリキュラムまで文科省が口を出している

「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」
江崎玲於奈(教育改革国民会議座長)曰わく 就学時検診で遺伝子検査をせよ

「勤労者の団結する権利・・・は、これを保障する」
国鉄、電電公社、郵政、国家公務員、地方公務員、組合つぶしのカイカク路線に連戦連敗。首を垂れた連合は、翼賛会と化しつつある。他方で、中小企業に働くものには、組合なんて口にしただけで首が危ないのが現実

第9章 改正
「この憲法と一体を成すものとして、・・・」
改憲は、現憲法と一体を成すものでなければならない。その精神において異なるものは、改憲ではなく、クーデターか革命だ。
戦争責任にフタをしたひき替えに、ファシズムと戦争を封印したのがこの憲法の精神だ。これ反する改憲は、改憲ではなく、現国家の転覆である。

第10章 最高法規
「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律・・・は、その効力を有しない」
効力を有しない数多の法律が、警察・検察権力の「テロリズム」によって強制されている。

・・・・・

アレコレ書き出したら止まらないが、とくに第3章は既にボロボロだ。
外堀はすべて埋められてしまった感がある。

例によって、マガ9ブログを見る。この砦とも言うべきマガ9にして、手続き論に取り込まれているような感じもする。

国民投票法は、手続き論ではない。改正で、憲法の精神まで変えることは許されていない、ということを、ハッキリ主張するべきだ。

「戦力も交戦権も持たない」という憲法が、「戦争する」という憲法に改正される、ということはあり得ない話だ。これは、違う憲法にする、ということだ。帝国憲法から、現憲法に変わったときと同じくらいの、(向きは逆だが)変化なのだから、いわゆる「改正」ではない

いわゆる広い意味での護憲派は、この点をもっとハッキリさせるべきだ。

2005-10-16(Sun)

無知であることの責任

改革ファシズムを止めるブロガー同盟



魚住昭さんの本を読んでいる。斉藤貴男さんとの対談「いったいこの国はどうなってしまったのか!」は、2003年にNHK出版から出ている。今だったらNHK出版は出さないだろうね。

さて、これはいい本です。というのは、現在の改革ファシズムの全容が分かるようになっています。2005.9.11から始まったんじゃない、ということがよく分かります。コイズミ総統の能力ではとてもこんな準備はできるはずがない。ネオコンinJAPANの皆さんが、中曽根型の保守反動の後を受けて、10年越しで準備してきた法律や体制が、今、花開いているのであります・・・

このところ、私は何か偉そうなことを書いていますが、じつのところ、この15年間、もの言わぬ民として組合すらない中小企業でモクモクと働いてきたのです。

どうせ見れば腹が立つからと、新聞さえマトモに読まず、いろんな法案の名前くらい聞いていても、どんな法律なのかもきちんと知らずに来てしまった。

9.11総選挙で、ようやく目が覚めたのだから、ある意味コイズミ総統には感謝しなければならない。あのアホなパフォーマンスがなければ、今でも下を向いて日々を暮らしていたかもしれない。無知であることの責任を感じることもなく。

総統は6日で郵政法案を通してゴキゲンだけれど、あんがい寝た子を起こしたのかも知れないよ。これでやっと目が覚めたのは、私だけではないはず。

とにかく、もう、議論している段階は過ぎてしまった、という気はする。やはり、少々寝過ごした。トースト口にくわえてバス停に走る、あの状態だね。

まずはブログ。個人情報保護法が規制したい本命は、ネットだそうだから、なおさらブログはやめられない。

けれど、やはりリアルワールドでも実感が必要。あの、ホワイトリボンは、あまりにもファッション化されてしまった。そうなるような対立軸のない提案だったとも言える。貧困を無くそう、では、中流日本が貧しい国に哀れみを垂れましょう、という差別意識にすらなりかねない。

もちろん、発端はそんな浅ましい心ではないと思う。ただ、対立軸が明白でないと、どんどんそういうふうにネジ曲げられることに抵抗できない。

そこで、「戦争反対・ファシズム反対」で何かできないかと考えたのだが、リボンは出尽くしている。色とりどり、どの色もすべて何かの運動になっている。ピンクは乳ガン、レッドはエイズとか。

もう少し考えてみて、ブロガー同盟の方々に提案してみよう。
2005-10-14(Fri)

アスベストとファシズムの意外な関係

時間の合間をぬって、「健康帝国ナチス」という本を読み始めた。ナチスがタバコの発ガン性を指摘し、嫌煙運動を進めたという話は聞いたことがあったけれど、アスベストの発ガン性もやはりドイツが発見、その後ナチスが進めるガン撲滅運動につながる

そんな話を読んでいるウチに、なぜ今になって急にアスベストが問題になったのか、またしても話がつながってくるような気がする。

アスベストの危険は本当の話だ。私自身、建築業界の人間として、反省もあるし危険も感じている。

しかし、なぜ今さら、今になって急に、という感じは業界の人間はみな感じているのではないだろうか。しかも、先日書いた地震の話と一緒で、危機感はあおるけれど、本気の対策はとろうとしない。あんなザル法では野放しと一緒だし、予算を付けなければ本当の対策などとれるわけはない。

健康ブーム、それをさらにヒステリックにヒートアップさせるアスベスト問題の扇動と意図的な放置、これはファシズムの手法であると見てよい。
2005-10-13(Thu)

平原綾香・ジュピターに思う

改革ファシズムを止めるブロガー同盟



ファシズムへの転換点は1973年だった。
1999年でもなく、2005年でもない。

なぜならば、ファシズムというのは、民衆の絶望感とそれ故の思考停止が一番の特徴だからだ。反動政治家やアホな政治家は幾らでもいる。それを思考停止に支持するようになった下地は、いつできてしまったのか、ということだ。

1973年は、私、明月は12歳。子どもとは言え、浅間山荘事件はリアルタイムでテレビを見ていた。 結構ハッキリと覚えている。 ただ、この事件を軸にして、日本中におきていたことは何も知らなかった。

何度も書いているが、この時「真理は少数にあり」と言ったのは羽仁五郎師だ。他に誰がどうコメントしたかは知らないが、ほとんどのサヨク的な識者は内ゲバ反対、過激派反対になってゆく。

もうこの時点で、ファシズムまでは時間の問題だったのだ。なぜなら、22年後の「オウムに対しては何をしてもいいんだ」という思考停止状態と、まったく同じ構造だからだ。

要するに、何かの悪いところを徹底的に突きまくり、そいつらには何をしても良いんだ とする思考停止状態

この世に「良いもの」などあれば教えて欲しいくらいで、悪い部分には事欠かない。自らの悪には徹底的に寛大で、というか、自らの悪を自省する苦しさから逃れるために、他の悪を突きまくる。そして、法律も、民主主義も、人権も、まったくお構いなしに責め立てる。

この現在のファシズムの構造は、繰り返すが、昨日今日できたものではない。 1973年以降の、いわゆるシラケの時代にできたものだ。

シラケとは、正確には絶望であり敗北感だ。 ひとは、絶望や敗北感をいつまでも抱き続けていられるほど強くない。 だから、全共闘世代は、自らの記憶を追い隠すように企業戦士となってゆく。

しかし、10年遅れの私に言わせれば、そんなことくらいで、いちいち絶望するなよ、と言いたい。 当時はまだ、絶望しても食っていける結構な時代だった。 けれども、これからは違う。 絶望したものは、ファシストとして自らを誤魔化し続けるか、うつ病になるか、自殺をするか、という選択を迫られる。 現に迫られている。

今からでもいい。 一筋の希望を取り戻そう。 真っ赤な太陽のような、大きなゴールゲートのような、そんな希望を期待してはいけない。希望なんて、たとえあったとしても明け方の空の新月の光。有るか無しかの仄かな光なのだ。

平原綾香のジュピターに、こんなフレーズがある。「夢を失うよりも、悲しいことは、自分を信じてあげられないこと」

政治も何にも関係なさそうな19歳の女の子が、こういう覚悟で生きている時代なんだ。 いい年こいたもんが、絶望だなんて簡単に言ってはいられない。

(作詞は別の人になっているが、ほぼ自分の作詞だとラジオで言っていた)
2005-10-12(Wed)

省エネの胡散臭さ

改革ファシズムを止めるブロガー同盟


気が付いていない人も多いが、「省エネ」と「核開発」はセットだ。コイズミ総統がクールビズを通しているのは、大衆ウケするためだけではない。どんどん核開発するぞ という意思表示なのだ。

これについては、以前発行していたメルマガに書いたので、再掲する。

******************************

Kさんも、美浜原発の痛ましいニュースは見ましたでしょう。

見た見た。亡くなった人もかわいそうやし、あんな古いのがいっぱいあると思ったら安心して眠られへんわ。

私もです。本来耐用年数30年の原子炉を60年使おうとするから無理があるんでしょうね。

美浜原発っていつできたの?

えーと 1970年だったと思います。大阪万博に送電したのが敦賀1号で、それと同じ年にできたはずです。この二つが、日本で最初の商業用原子炉だそうです。

30年以上経ってるんやね。けど、これとドアの話が関係あるの?

ドアや窓には、省エネの話がつき物です。さて、省エネが声高に叫ばれるようになったのは何時でしょう?

そら、オイルショックの時や。よう憶えてるで。

同じころ、オゾン層破壊という現象についてもローランド博士という人が発表したそうです。

そうか、省エネが言われる時期と原発ができはじめる時期は同じなんや。

そうなんです。日本では、今がまたその流れにあります。

えっ 原発って減ってるんやないの?

とんでもない。地球温暖化対策で二酸化炭素を減らすために、日本では原発を1.5倍にするらしいですよ。

えー 本場のアメリカでももう作らへんて聞いたで。

ところがどっこい、30年前の原発のお守りもできないのに、新しいのをどんどん作るというのが日本の省エネ政策の目玉だそうです。

なんか おかしいなあ。

でも、私たちも考えなくてはいけないと思うんです。家庭で一番電気を使うのはエアコンで、実に消費電力の1/4を使っています。がんがん廃熱を隣近所にばらまいて、それでまた暑い暑いとエアコンをフル回転させて、そんな生活をしていませんか?

うーん 耳が痛い。

そんなことをしながら省エネなんて言うから「じゃあ原発で解決しよう」なんておかしな話になるんじゃないでしょうか。

うーーん。

だから、私は「省エネ」という言葉には、胡散臭さを感じるんです。本当に省エネならば、まず使わないことを考えるべきです。エアコンでも、自動車でも、省エネ性能を宣伝する前に「使わないでね、買わないでね!」と宣伝するべきでしょう

「便利に快適に、でも省エネ」て言うのは虫がよすぎるんかなあ。

もちろん、江戸時代に戻ろうと言ってるんじゃないです。便利で快適は良いんですが、「省エネ」と騒がれる時はかならず裏の意味があるので、よく気を付けた方が良いということです。

なるほど

今の高気密高断熱だって同じだと思うんです。少しのエネルギーで快適にという触れ込みですが、みーんなエアコンを止めて木を植えれば、田舎のような快適な風が吹き抜けるハズなんです。そういう使い方をするならば、省エネ住宅はとても良いものですよね。

ああ、田舎の家で大の字になって昼寝する気持ちよさったら! となりのトトロみたいな世界やね。

ところが、実際はそちらのほうには話が行かずに、自分の家の中だけは快適にという根性が見え隠れしてしまうのが悲しいところです。そして、その「自分だけ」という心根を原発建設や「省エネビジネス」にうまいこと食い物にされているわけです。

そうか、至るところ罠だらけやな。

********************************

家づくり講座の中の一節なので、こんな書き方だが、主旨はこの通りだ。六ヶ所村のプルトニウム工場一つ見ても、事態は明らかだ。

http://www.greenpeace.or.jp/campaign/nuclear/plutonium/rokkasho/
http://www.rokkasho.jp/

ことほど左様に、今どき流行のものは何から何まで疑ってかかる必要がある。私自身、住宅の世界でこれほど「高気密・高断熱」が強制されなければ、気が付かなかったかも知れない。

そう言えば、「高気密・高断熱・24時間機械換気」という、信じられないような欠陥住宅を義務化した建築基準法の改正は、アメリカの要望だったんだ。省エネとシックハウス対策を両立させた画期的な法改正という触れ込みで。

ああ、すべてがつながる。

世に倦む日日で言われているように、ファシズムは「改革」、つまり何か良いことをするかのようなしつらえで登場する。

しかしてその実態は、キールさんのいうとおり「小泉自民党政権は、大陸と再び戦争をするための準備を着々と進めている」のである。


PS.だれか、サイドメニューにブロガー同盟のバナーを貼る方法を教えてください。
2005-10-10(Mon)

何故こうなってしまったのか

今日は高熱が出て、とても書ける状態ではない。けど、ちょっと書いておかないと落ち着かないので、一つだけ。

なぜ、この改革ファシズムになってしまったのか。これは、ここ数年の話ではないはずだ。コイズミ総統登場とか、1999年問題とか色々言われているが、もっと根は深い。1948年憲法制定、1952年日米講和条約、このころから一貫して現在の状況は準備されてきた、と見るべきだろう。

そして、浅間山荘の時に、羽仁五郎師は「真理は少数にあり」と言ったが、70年安保で敗北感に浸っていた全共闘世代諸氏は、反テロリズムに絡め取られていく。

もちろん、浅間山荘が正しかったと言っているのではなく、反テロリズムというのは、思考停止の証拠だということだ。

なぜテロになるのか、なぜ暴力沙汰になるのか、その「なぜ」を一切切り捨てるのが 反テロリズムの論理だ。そして、自らのテロには何の反省もない。

本来ならば、戦争責任を問われて絶滅しているはずの連中が、反共アメリカと結託したりケンカしたりしつつ、連綿と準備してきたのだ

べつの言い方をすれば、60年安保、70年安保で敗北したことが、今日の原因であるとも言える。もっと言えば、敗北したことそのものではなく、敗北感に打ちひしがれたことが原因だ。

私は、団塊の世代と、団塊ジュニアのちょうど真ん中に位置している。だから、両方の世代と接することが多いが、団塊の世代の屈折度はやはり大きい。どこかで良心の呵責を感じながらも、それゆえに社会に目を向けない。

そして、なにより団塊ジュニアのテイタラクである。こう言っては申し訳ないが、ちゃんと教育しろよ! と言いたい。親の屈折した背中を見て育ったジュニア君達は、政治にかかわるのを毛嫌いする。

改革ファシズムは、なにもコイズミに始まったのではない。JRの分割民営化、つまり国労解体あたりで、ほぼ決着は付いていた。あとは、ファシスト側のブレとか、都合とかで右往左往しているが、着々と進められてきた。

私が生まれたころは、三矢作戦という有事研究が明らかになり、防衛庁の事務次官が更迭されたりした。
私が大学に入ったころでも、その三矢作戦が継続されていたとか言って、防衛庁が大騒ぎになっていた。ところが、今は、何食わぬ顔で海外出兵である。

この25年間の変化というのは、まるで別の国になってしまったかのようである。その位の変化、悪化を目の当たりにしても、仕方がないと思うより他ない というのが今生きる人々だ。

要するに、改革ファシズムを許しているのは、諦めている国民のせいだ、とも言えるのである。せめて、ブログをキッカケに、諦めるな!と檄を飛ばしたい。

とくに、団塊の世代の皆さん!! あなた達の敗北感を払拭して、再び声を上げて欲しい。 あなた達の孫の世代は、これからの日本で育ってゆくんです



マガジン9ブログに、国民投票法反対の院内集会のレポートあり。院内集会も良いが、院外で10万人くらい集められないのだろうか。アメリカのように。
マガ9で呼びかけて、ブロガーのネットワークで広げてゆくことはできないだろうか。
もっとも、赤旗用の写真を撮るための集会はもうゴメンなので、社民党、共産党は分をわきまえていただきたいが。


さて、今日はこの辺で。この戦後の流れは、もう一度詳しく調べて考えよう。
2005-10-09(Sun)

再び報道の問題 とくに朝日について

改革ファシズムを止めるブロガー同盟


私、明月、紙面になれているという理由だけで朝日新聞を取り続けている。だから、ここ1~2ヶ月の変化がよくわかる。

はっきり言って、娯楽、家庭、スポーツ記事ばかりが目立って、政治の報道が極端に減っている。NHK問題、虚偽メモ問題など、ねらい打ちにされ、見事におとなし~くなってしまった。

もとより、朝日が良いとか悪いとか言う話ではない。所詮広告をもらって発行している以上、何か期待する方がオカシイのだが、そう言う問題ではなくて、報道に対する弾圧の進行を、リアルタイムで見ている感じがする。

ああ、こうやって報道というのは、大本営発表になっていくのだな、というターニングポイントに、今、私は立ち会っている。

総選挙以来、できるだけ新聞の切り抜きをしているのだが、共謀罪の話も、国民投票法の話も、改憲の話も、イラク派遣延長の話も、右とか左とか関係なくても、大きな問題が上がっている国会の最中に、ほとんど言って良いくらい報道がない。

その代わりかどうか知らないが、全面広告の多いこと。今日のトップはパキスタンの地震。その数ページ後に、朝日タイアップで上山千穂が司会をして地震に関するシンポジウムの記事が、2ページ全面である。そして、よくみるとそれは、積水ハウスの広告なのである。

まさか、積水ハウスがパキスタンの地震を起こしたわけはないが、どこかで地震がおきたタイミングで出す、という計画だったのかも知れない、などと勘ぐってしまう。

先日も書いたとおり、地震怖いぞキャンペーンは、明らかに改憲とリンクしている。自衛隊の認知運動なのである

地震キャンペーンを本気でするつもりならば、せめて、耐震診断の補助金くらいマトモに出すはずだ。ところが、各自治体とも予算が少なくて、補助金制度はあっても今年はもう出せません、と言うところが多いのだ。大阪市に至っては、数年前に補助金制度を廃止してしまった。

地震対策じたいは確かに大事なことだ。私、明月、建築家の端くれとしてぜひにも実際の地震対策は進めたいのに、国は、本当のところまったくやる気がない。500億もあれば日本中の木造住宅を耐震診断できる。戦闘機が100億円位するのだから、簡単な話だ。

このエセ地震キャンペーンを、積水ハウス、朝日グループが、2面全面で出しているということの意味は大きい。

東京新聞などは、共謀罪についても、結構いい記事を書いているようだ。はなゆーさんのブログで紹介されている。朝日が、2ページ全面でこういう記事をだせば、いくらコイズミ総統のハグラカシを面白おかしく見ているような、思考停止状態の人でも、何割かは 「えっ」と思うだろうに。

ある意味、NHK問題への総括記事が、朝日新聞の辞世の句だったのかも知れない。各委員のコメントの方が、朝日の総括よりもよっぽどまともなことを言っている。なぜ、委員の意見よりも自分の総括の方がNHKよりになってしまうのか。

金なのか利権なのか脅迫されるネタは、たぶんいっぱいあるのだろうけど、なんだかしらないけれど、あれ以来、朝日新聞から、切り抜きする記事はなくなった。

いよいよ、ブログの役割は大きい。


※東京新聞の件 hagure3さんのブログでも発見
2005-10-08(Sat)

改革ファシズムを止めるブロガー同盟

竹山徹朗さんのブログ経由で、改革ファシズムを止めるブロガー同盟を発見。

誰かも言ってたけど、これがブログだなあと言う実感。皆のブログを読むのは正直大変だけれど、これは大きな一歩ですね。さっそくバナーに挑戦します。

改革ファシズムを止めるブロガー同盟


ということで、今日はまだまだお仕事が押してます。詳しくは明日書こう。
2005-10-07(Fri)

ハルとナツ

NHK80周年の豪華キャストドラマ、ハルとナツ 見た人も多かったのでは。

なにせ、俳優が豪華すぎるうえに、脚本も橋田壽賀子ときては、ウケないわけはない。また、色んなことを考えることもできた。

日本とブラジルの対照でドラマは進んでいくが、一番対照的に描かれていたのは、日本に一人残されたナツが「戦争に負けて良かった」とあっさり言い放つのに対し、ブラジルの父親は「日本は勝ったんだ」と頑なに思い続ける。

このちがいはどこから来るのか。ナツは、毎日しぼった牛乳を軍に取りあげられ、恨みながら暮らしていた。抵抗はできなくとも、精神的には屈服していない。ファシズムに荷担したという負い目を感じることはない。

父親は、ブラジルにありながらも、息子を予科練に送り、日本の「戦勝」を心の支えにして生きていた。一度、そこまで踏み込んでしまった人は、よほど強い意志を持たない限り、その過去を否定することはできない。

息子の上官が戦死の報告に来たとき「やはり日本が勝ったんだ。でなきゃ将校が生きているわけがない」と言う。負けを認めたとき、自分をも許すことができなくなる。そういう負い目がある。それが分かるから、頑なに敗戦を認めない。

これはたぶん、日本人の多くが戦後に陥った感情なのではないだろうか。

もう一つ、ブラジルの移動映画で当時の皇太子の結婚のニュースが流れる。これを見て、父親ははじめて本当に日本の戦勝を確信する。本当に勝ったわけではないことは、内心分かっていたはずの父親は、「戦争に負けたのなら、皇族が残っているわけがない」と、戦後20年近くなって初めて戦勝を確信するのだ。そして、安心してその晩に亡くなるのだが、これは重い言葉だ。

戦後の天皇制の意味が、ハッキリと表現されている。
戦争に行き、他国の人民をその手で殺した経験を持つ多くの男たち、それを支えた多くの女たちは、天皇の元気な姿を見ることで、「ああ、俺もあんなにたくさん殺したけど、責められることはないんだ」と安堵する、そのためのシステムが象徴天皇制だ。

よーく考えてみたら、とんでもなく悪いことをしたんだけれども、天皇が良いもん食ってニコニコしているところを見れば、「まあ、言うほど悪いことでもなかったんじゃないの」と思えてくるわけだ。

アメリカに降伏し、戦力の放棄をすることと引き替えに、そういう「安心」を手に入れたのが、憲法だ。 だから、根本的に言えば、私も今の憲法に全面賛成ではない。これがある限り、日本の無責任体質は変わらない、という気もする。

しかし、あくまで、戦争放棄、戦力放棄とバーターだったことを忘れてはいけない。と言うか、忘れているのは当の日本人だけだ。


もう一方で、ブラジル移民の逞しさと言うところに焦点を当てた味方もある。斉藤コーヒー店さんのブログは、そういう見方で、また、コーヒー屋さんとして立場から書かれていて面白かった。


そういえば、このドラマの中で、家がじつに象徴的に使われていた。ブラジルでも日本でも、「豊かさ」の指標として、家の作りが描写されていた。牛小屋から出発したナツは、最後はバカでかい座敷にポツンと立ちつくす床柱の前で、缶コーヒーを飲んでいた。

農園の掘っ建て小屋から出発したハルは、だんだん大きな家に移ってゆき、最後は大農場の立派な家でナツを迎える。見ていた人は、背景の家を見て一家の状況を、たぶん意識せずに理解していたのだろう。

それほどに、家は「成功」の証のように思われている。しかし、それで良いんだろうか。家は、そうした見栄や虚栄から解放されたとき、本当に住み手との関係が始まると思うのだけれど・・・


ps よむりんさんからコメントをもらって、お礼コメントをしようとおもったら、LIVEDOORのブログは重いですね。 送信ミス続出で何度も同じものを送ってしまいました。よむりんさん、ごめんなさい。

more...

2005-10-06(Thu)

マガ9ブログに良い記事が

先日、私がケチをつけたせいでは全然ないけれど、マガ9のブログにいい話が出ていた。

伊藤真さんの講演で紹介されている「憲法というものは、私たち国民が国家に守らせるものであって、われわれ国民が守るものではない、ということを初めて知った」という言葉。

これを見て、はじめてハッと思って、なるほどなあと感じた人は、ぜひ羽仁五郎師の「自伝的戦後史」を読んで欲しい。たぶん古本しかないけれど、講談社文庫で結構出回っている。

この本は、反対の立場の人をいちいち手取り足取り説明するような書き方はしていないので、ある程度読む人を選ぶかも知れない。けれど、上記の言葉を聞いて、ハッと思う人ならばきっと、「ハッ」の連続だと思う。

で、この伊藤氏の講演をもう少し読み進むと、「国家権力に歯止めをかけるということは、実は、『国民の多数派に歯止めをかける』ということなのです」というくだりがある。

微妙だなあ というのが正直なところ。

真理は少数にあり で私も述べたように、思考停止の多数派に、もの申す少数派が押さえ込まれてはいけない。その意味ではその通りだし、一人一人の自覚を促す意味で言っておられるのはわかる。

しかしその上で、国家権力=国民の多数派 というのはちょっとどうだろう。ネオコンなどのように、思考停止の多数派を意図的に扇動する「少数者」は必ずいる。また、実効的な権力というのは、選挙の時以外は相対的に国民の多数派から独立した「少数者」が握っている。

その「少数者」の報道コントロールや、弾圧や、扇動や、教育や、ありとあらゆる手を使って人間の嫌らしい部分を掘り起こすことよって、思考停止の国民多数派が創られていく。

この「少数者」の画策に歯止めを掛けるのが、憲法の精神なのではないだろうか。多数が形成されてしまってからでは遅いのである。憲法も「民主的」である以上、多数が形成されてしまってからでは、簡単に改悪され、文学的な意味しか残らなくなる。

講演の後半は、実に迫力のあるお話しだ。伊藤氏の言われる意味は十分理解しているつもりだが、しかしなお、実体的な権力というものを 国民多数に解消してしまう危険性は指摘したい。

天皇の戦争責任を、一億総懺悔に解消したバーターとして今の憲法がある、ということは、かの「自伝的戦後史」を読むとよく分かる。戦争責任を壺に入れてフタをした重しが、憲法だ。

だから、憲法に手を付けるなら、かつての戦争責任が問われる、国民の多数を戦争に引っぱっていった、その責任者が、60年の時を経て被告席に引きずり出されるんだ、ということだ。これはもちろん、国内だけの問題ではない。日本人が引きずり出せなければ、アジア各国の人民がそれを実行するだろう。

当然それに対し、ナショナリズムの扇動がマスコミ総動員でなされるに違いない。そのような動乱の時代を前にして、責任者を明確にすることから目をそらしては、ナショナリズムに対抗できない。国民総懺悔の論理では、劣情をそそり立てるようなナショナリズムに勝つことはできない。

伊藤氏のすばらしい講演録を読みながら、そんな危機感を募らせた。

半共分子さんのブログに都市の論理が出ていたので、TBさせてもら います
2005-10-05(Wed)

NHK VS 朝日

少しニュースの旬をのがしたけれど、NHK VS 朝日問題はやっぱ大きな問題だろう。

端的に言って、マスコミの「レベル」を明々白々に見せてくれた、という効用があった。ヤメ蚊さんのブログで紹介されている魚住昭氏の指摘通り、政治が報道に干渉することに問題を感じることすら無かった連中が、騒ぎになってはじめて 「あれ? 俺たちって何か悪いことしたの?」と慌てて前言撤回したのが、今回の事態ではないのか。 まあ、普通に話を聞いていればそのように聞こえる。

ところが、あたかも朝日の記者が全部悪いみたいなことになってしまって、肝心の朝日の総括も、負けを認めたような気持ちの悪いもの。ああ、これが日本のマスコミなんだなあ とよ~く教えてくれたのでした。

他紙も、朝日が叩かれたら自分とこが引き継ごうという、報道の自由を守ろうなんていう気持ちは皆無。この機会に朝日の読者を奪ってやろうというスケベ根性で、NHKと一緒になって朝日を叩く。

かつてウォーターゲート事件を各社のリレーで追及したアメリカのマスコミも、今や酷いことになっているらしいが、日本の報道ももうココまで来ているんだということを思い知らされた。

ちなみに、コイズミ総統の報道も然りだ。国会のニュースを見ていて一番腹立たしいのは、野党に対して答弁するときのコイズミ総統の、いかにも人を小馬鹿にした声色と態度だ。天木直人氏も「壇上で水を飲む小泉首相」について、怒りを込めて指摘している。

自民、公明に対する答弁とは、人が変わったように豹変する。これは当然、見ている人も気が付いているだろう。そして、それを面白おかしく感じているのだろう。あたかも、ダウンタウンが若手の芸人をいたぶるのを、げらげらと残酷に笑い飛ばすようなノリで。

それを、分かった上で、コイズミ総統の一番品のない、一番政治家として失格たるべき部分をわざとクローズアップして報道してる。そうして、諦めと、残酷な笑いを量産しようとしている。

いまや、マスコミはファシズムを意識的に扇動する道具に成り下がったと言えるのだろう。内部で努力するジャーナリスト諸氏の苦労も、これからが正念場だ。

諦めが怖い。諦めることから、潰走が始まる。思考停止も、残酷な笑いも、諦めた自分への自己弁護にすぎない。そして、その連鎖がファシズムへ突き進む。

諦めないこと、諦めないためにどうすればいいのかということ、これを探そう。 大衆の政党亡き今、拠り所なく進むべき道を探そう。
2005-10-04(Tue)

ぱっぱっぱっぱっ ぱれーど

ぱっぱっぱっぱっ ぱれーど  どっどっどっどっ どこまでも♪
と、最近ウチの姫が歌っている。運動会の歌らしい。

チビたちのパレードは可愛らしいが、迫撃砲のパレードはウザイ。9/17の佐世保に続いて、10/2の出雲。たぶん、田舎の災害地などから攻めてきて、徐々に都市部に浸透してゆこうという作戦だろう。

パレードしてる連中のうち、ラリッてるのがどのくらいいるのか興味はあるが、しかし、商店街を軍事パレードする国が、北朝鮮をとやかく言えるのか、という気はする。戦車を見て喜んでいる、思考停止諸氏は、ご自分がどれくらい異常になっているのか、北朝鮮を良い鏡だと思って確認すると良いかも知れない。

とにかく、改憲と災害報道の関連が、この辺で見え隠れしている。
2005-10-03(Mon)

マガジン9条について

ちょくちょくマガジン9条をのぞいている。

どうコメントしたらいいのかよく分からないのだが、10月1日の記事がスマップだった。 内容が無いわけではないが、マガ9である以上、やはり靖国参拝の違憲判決へのコメントを期待した。

何やかんや言っても、9条の会とマガ9が、社会党亡き後、もっともメジャーな団体だ。 もっと活発な議論を掘り起こして欲しい。

さいきん色んなブログにお邪魔して思うのは、ラディカルな意見を言うブログほど、ファシストもどきの人らが揚げ足取りに精を出しているということ。 個人や私的な団体が運営するブログの場合、コメントを勝手に削除しようが何しようが、言論の自由を損なうものではない。(だれかのブログを気にいらんからと勝手に削除したら、これは言論弾圧)

だから、マガ9ブログの場合も、許可制にしても良いから、コメントを受け付けるべきではないだろうか。 思考停止の大合唱と、激しい危機感に二極分解している今日、コメント無しののんびりブログでは、時代に置いていかれるのではないだろうか。

せっかくのマガ9だから、大事に大きく育てて欲しい。
2005-10-01(Sat)

真理は少数にあり

先日、山岡俊介さんのストレイドッグにおじゃましたところ、「共謀罪に反対なら選挙に出ればいい」というコメントを見かけ、止せばいいのに「選挙に出ないのは 真理は少数にあり だから」などとお節介なコメントを入れてしまった。

とうぜん、本コメントの方からは反論も出ているが、これ以上山岡氏のブログを使うのも申し訳ないので、こちらで少々コメントしたい。

真理は少数にあり という言葉が、どこから出てきた言葉か。私の知る限り、羽仁五郎師が彼の浅間山荘事件に対してコメントした言葉だと認識している。そのように羽仁先生が自著に書いている。

この羽仁先生の言葉の根底には、戦争中に「進歩的」インテリゲンチャを含めて、ほとんどの人間が反対の声を上げられなかった、ということがある。それが、戦争に負けてマトモになったかというとそうではない。羽仁先生の弟子の林健太郎東大総長が、学生を弾圧する先頭に立っている。

学生は学生で、自分が行きたくても行けない人らの代表としてインテリの責任を果たそう、なんて考えもせず、早いこと卒業して良い会社に入ろうということばかり考えている。これは考えることを放棄している。

そういう脈絡の後に、浅間山荘事件が起き、世を挙げて暴力反対のキャンペーンに晒されているときに、「真理は少数にあり」と言われた。

赤軍が正しいとか正しくないとか言うことではなくて、少数の中から生まれる真剣な声を、多数の思考停止した合唱によってかき消してはいけない、という意味だろう。

これは、最近ではオウムにもつながる。オウムが良いとは私もサラサラ思わないが、どんなやり方でも抹殺せよと言うような思考停止の大合唱は、ある意味オウムよりも怖い。

和歌山カレー事件でも同じだ。林真須美氏が犯人かどうかは分からない。否定もできない。が、それにしても、状況証拠だけで、自白すら無しで、高裁も死刑判決。これは、近隣に愛想よくしていないと死刑になるかも知れない、ということだ。一体、自由なんてどこにあるんだろう。

こういう状況に対して、我らが羽仁五郎師は「真理は少数にある」と言ったんだと思う。

共謀罪というのは、ある意味、多数の意見に対しては適用されることがない。思考停止の大合唱に対して、ちょっと待て目を覚ませ! と言おうとしたときにかかってくる。

選挙で勝つというのは、一定多数になった結果を表現している。それはそれで、否定はしない。やりたい人はやったらいいと思う。

ただ、ここで問題にしているのは、そこまで行くにはどうしたらいいか、あるいは、そうした合法的な一定多数に対しても、法を曲げてでも(三権分立さえ頭からぶっ飛んでいる人たちが)大合唱しながら弾圧することに対してどうしたらいいか、ということだ。

コイズミ総統と天木直人氏が、票において大差であったからコイズミ総統が真理である、というのが今の政治手法だ。郵政民営化だって、造反議員は言うに及ばず、当の全国特定郵便局長会から全逓(JPU)まで、この政治圧力の前にアもンも言えなくなっている。

選挙ではとうてい勝つ見込みはなくても、言い続けること、声を出し続けることが、なにより必要だ。
2005-10-01(Sat)

公用車で私的参拝が許されるのか

コイズミ総統の靖国参拝が違憲であるという、当たり前の判決が朝刊のトップになっていた。たぶん、あちこちのブログで話題になるだろう。

問題は、違憲という司法の判断に「ワケワカラン」とうそぶいて、取り合う素振りも見せないコイズミ総統の態度だ。先日の解散も違憲だという話もあるが、すでに、彼の人の頭の中では、三権分立など無くなっている。

リラゴーさんのブログでは、石原恥事じゃない知事の発言を取りあげていた。曰わく「国連憲章なんて、まともに信じているばかいませんよ」と都議会で言ったそうで。

同根ですね。いくら陳腐化していようと、これ以上悪くならないためのギリギリの歯止めとして、三権分立とか憲法とか国連憲章とかいうものはあるわけで。

それを、陳腐化しているからと、破壊してしまうのは、まさにファシストの行為だ。

こうしたファシスト政治家による強行突破と、共謀罪などによる弾圧と、改憲という「民主」的な手続きが、渾然一体となって進んでいくのだろう。

こんな世の中に生みだす家は、どんな家だったらいいのか。本当に悩みは尽きない。昔は、特高が床下に潜んでいたなんて話を聞くが、今どきはITで攻めてくるんだろうな。超々高感度指向性マイクとか、普通に売ってる家電に盗聴器が入ってたりして・・・

そういえば、古川利明氏の同時代ウォッチングによると、一昨年のヤフーBB情報流出事件で逮捕されたヤフーBB代理店の竹岡という人は、1970年に創価学会が共産党の宮本委員長の盗聴をしていたときの実行犯だそうで。

何と言いましょうか、こんな時代の家作りは、音や電波を含めた情報管理をよ~く考えておかないと。普段は半分外に開いていて、イザというときは、電磁波をも遮断するような謀議の部屋をお一つ いかがでしょう。
自由党 近畿ブロック
国民の生活が第一!
KINKILOGO.png
自由党
jiyutoulogo.jpg
山本太郎となかまたち
bnr_nakamatachi.png
生活フォーラム関西
なんとしても政権交代を!
20140723-3.jpg
ひとびとの経済政策研究会
松尾匡氏ら気鋭の経済学者による  政策提言と勉強会
ひとびとの
カレンダー
09 | 2005/10 | 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
リンク1
貴重な情報をいただいています
(順不同)
リンク2
ブログ内検索
twitter
田中龍作ジャーナル
20140723-4.gif
マガジン9条
パレスチナ・オリーブ
パレスチナで作られたオリーブオイルやオリーブ石けん。これはお勧め。
palestineolive.jpg
RSSフィード
blogranKing.net

カウンター
最近の記事
プロフィール

明月 こと 山岸飛鳥

Author:明月 こと 山岸飛鳥
木の家プロデュース 明月社 主宰
一級建築士
趣味 キコリ 畑
取り柄 貧乏
Email : info@mei-getsu.com

明月社のアルバム
明月社の作品や家づくりのアイディアなど ちょくちょく更新しています
アルバムLOGO
木の家プロデュース明月社
ホームページをリニューアルしました
meigetsusha.jpg
明月社へのご連絡

名前:
メール:
件名:
本文:

明月社 facebookページ
六甲菜園ブログ
郊外楽園プロジェクトの六甲菜園
rokkou-sides.jpg
おすすめの本
こんな時代だから、お薦めしたい本。アフィリエイトではありません。

自伝的戦後史(羽仁五郎) jidentekisengosi.jpg

おすすめの本 2
日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか

nihonhanaze.jpg

おすすめの本 3
日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか
nihonnhanaze2.jpg
おすすめの本 4
世界超恐慌の正体

sekaichoukyoukou.jpg

おすすめの本 5
そして、日本の富は略奪される

sositenihonnno.jpg

おすすめの本 6
コンクリートが危ない

conclete.jpg

おすすめの本 7
家を建てる。家づくりはたたかいだ

iewotateru.jpg