2006-04-30(Sun)

「正義」を主張するものたち 虐殺の論理

辺見庸氏の「不安の世紀から」という10年ほど前に書かれた本を、たまたま見付けて読んだ。オウムについてもサリン事件の現場に居合わせたという経験を通して、実に面白いコメントをしている。

それは兎も角、この本の中で一番ハッとしたのは、対談相手であるアメリカの心理学者、ロバート・ジェイ・リフトン教授の言葉。
皮肉なことですが、大勢の人を殺すことは崇高な理想を通じてしかできないのです。立派な名目を与えなければ大量殺戮は不可能なのです。

竹島にしても拉致にしても光市事件にしても、論ずる自らの立場は棚に上げて、あたかも正義の味方のような論調が罷り通っている。

そうそう、チャップリンのあれもあった
ひとり殺せば殺人だが、100万人殺せば英雄だ

ひとり殺したものを正当化するわけではないが、遺族でも何でもない者たちが、ことさらにその犯人を責め立てるとき、それが100万人の殺戮につながってはいないのか、見つめなければならない。

「正義」を主張する者たちに共通するのは、過去を抹殺すること。自分に都合の悪い過去は、キレイに記憶から消し去っている。
たとえば、三菱が戦時中に強制連行した10万人以上の朝鮮人の遺骨が今でも発見されていることとか、いまや天皇家の係累となったチッソの犯罪で死んでいった水俣の人々の恨みとか、都合の悪いものは見事にスポイルされる。

本当に犯罪を憎むのならば、どうしてこうした組織犯罪を糾弾しないのか。

それどころか、そうした組織犯罪に復讐を誓い合えば、共謀罪で捕まえようという魂胆だ。

こういう、卑劣な「正義」に逃げ込むコイズミ、安倍晋三らのみっともない姿をこそ見据えよう。
2006-04-29(Sat)

テロリストには人権はないのか 共謀罪

今さら言うまでもないのだが、共謀罪の「罪」は、適用範囲が曖昧なことだけではない。民主党案はそういう主旨で作られているようだが、民主党案ですら危険であることは間違いない。

以前にも書いたが、「最初にひとりの人権が侵されたとき、すべての悲劇が始まったのです」という言葉を噛みしめたい。

真理は少数にあり
何故こうなってしまったのか

羽仁五郎氏の自伝的戦後史から再度引用
ニュルンベルグ裁判という映画の場面(若干省略あり)
(ナチスの)エミール・ニヤング法務大臣が断種法に賛成し、それがさらに、ドイツ人がユダヤ人と性的交渉を持つことを私刑を持って禁止するところまでいった。
ところが、裁判で裁判長がニヤングに終身刑を言い渡したあと、ニヤングは裁判長に言った。
「じつは、私はあのアウシュビッツのようなひどいことになるとは思わなかった」


国会で共謀罪を提出した自民党や公明党のうちですら、本当にどれほど共謀罪が悲惨な結果を招くか、分かっていないものが多いはずだ。民主党においても同様だ。

コイズミや安倍晋三などの、心からファシストの諸君は確信犯であって、危険だからこそ勇み立って成立を強行しようとしているわけだが、保守であれ右翼であれ、自分の廻りの人々の暮らしを守りたいと願う人は、ぜひとも共謀罪には反対して欲しい。

テロリストだろうが誰だろうが、誰かの人権が侵されたとき、あなたやあなたの愛する人の人権も侵される。それが、歴史の教訓。
コイズミや安倍晋三や麻生太郎のごとき、代々支配者のお家柄ではない全ての人は、そのことを肝に銘じよう。

※戦術論として民主党案を提出することには反対しない。今この時に、十把一絡げに反対するものではない。
2006-04-27(Thu)

清原もビックリの共謀罪

「死球で死んだら、一体誰が家族を守るのか。もし次に当てられたら、命をかけてマウンドへ行って、そいつを倒す!」と清原がダルビッシュに言ったとか言わないとか、そんな平和な話題で盛り上がっている場合じゃないのが、共謀罪だ。

もしも、行きつけのスナックのママが、清原と中村が「ギタギタにしたる」「そうや、いてまえ」と盛り上がっているのを密告したら、二人とも逮捕される。というのが、共謀罪の理論的な問題点だ。

「かもしれない」で捕まるのは、破防法とこの共謀罪くらいだろう。破防法がそう簡単に発動できないスキマを、共謀罪が埋め尽くすという寸法だ。

ただ、あえて言うと、たぶん清原は逮捕されない。本当にギタギタにすれば、被害者がいるから逮捕しないわけにいかないが、共謀罪は被害者がいないから、捕まえるかどうかは公安当局の胸先三寸ということになる。

実は、ここが共謀罪の恐ろしいところだ。今でも、姉歯は逮捕されて伊藤公介は表彰されるという、トンでもないことがおこなわれているが、共謀罪になったらこんな程度ではすまない。

戦争に反対することごとくが、共謀罪の対象になりうる。平和的な運動だから大丈夫、というのは平和ボケというもの。共謀罪というものは、凶暴化する右翼とセットだということに気が付くべきだ。

これからの時代の反戦デモは、野放しにされた右翼が襲ってくることを覚悟しなければならない。そして、それに反撃する相談をしたら共謀罪だ。

乱闘にすらなる前に、即逮捕 である。
せめて乱闘騒ぎでもあれば、多くの人の目に触れるし、時代の深刻さを目の当たりにすることになる。

ところが、なにもおきる前に既に弾圧が完了してしまうのだから、表面的には「平和」なまま、ファシズムが完成する。

新聞では相変わらず、清原がどうしたとかことをいいながら、戦争は静かに始まる。
2006-04-20(Thu)

光市事件と拉致事件 リンチ礼賛運動

以前のエントリーでも書いたけれど、法政大学の杉田教授のレポートによると、殺人事件による死亡者数は、1984年が1000人、2004年が600人程度だそうだ。

えっ 逆じゃないの? と思う人が多いだろう。殺人事件は減っているのだが、マスコミの報道を見ているかぎり、何倍にも増えているように感じる。

それは兎も角、年に数百人もの犠牲者がいて、その遺族はほとんど本村洋さんと同様の心情であるだろう。
彼の言う、「遺族には、妻と娘が殺されたという事実以外ない。殺意など神様でも分からない」という気持ちは理解できる。

しかし、それでもなお考えなければならないのは、その気持ちで全てが決まってしまうことを防ぐために、法律がある、ということだ。

近代の法律というのは、二つの目的から生まれたと、羽仁五郎氏の本で読んだ記憶がある。
一つは、国家の横暴に縛りをかける
もう一つは、私刑=リンチの規制だ

本村氏の意見は、遺族のやむにやまれぬ心情としては理解できるが、それを「リンチ礼賛」のように報道するマスコミの意図は、また別に評価しなければならない。

同様のことは拉致事件にも言える。家族が北朝鮮を恨むのは当然だろう。だが、その心情を利用して北朝鮮を敵国として仕立ててゆくこととは、別の話だ。
北朝鮮を恨むのならば、原爆を落としたアメリカも同様に恨んで当然だし、日本の天皇やA級戦犯も同じように扱うのが論理的というものだが、如何だろう、安倍晋三さん。

こうした、近代法のプラスの面を骨抜きにしようという、その総仕上げが改憲だ。
これも、今の憲法が絶対だとは私も思わない。が、それと今改憲をしようとすることとは、話が別。

この中途半端な憲法を、いい方に変えるのならば結構だが、明らかに悪い方=戦争の方向に変えようとしているのだから、今の改憲は良くない。そういう当たり前の声を、ヒステリックなリンチ礼賛の怒号によってかき消そうという一連の報道。

それが拉致事件の報道であるし、光市事件の報道である。

それをアイマイにして、本村氏の心情や哲学に心酔するのは如何なものだろうか。


※判決日に当たってアクセスが増えることを期待して、安倍晋三-統一協会-北朝鮮 みんな仲良しバナーを貼り付けておく。
mano_triangle.gif

光市事件と関係ないように見えるが、テポドン2で大騒ぎしてみせる安倍晋三の茶番劇も、近代法をなし崩しに無力化し、武力のみがものを言う社会へと逆行させようと言う意味で、光市事件の報道と共通だ。
いかに、茶番かがこのバナーで一目瞭然。
2006.6.19
2006-04-19(Wed)

STOP THE KOIZUMI の管理人ならびに事務局の方へ

昨年の9月から年明けにかけて、ずいぶんと活発だったSTOP THE KOIZUMI のブログが、長いこと更新もされず、1月のホリエモンの顔がいまだに1面にでている。

166名分のブロガーの名前が店ざらしになっている以上、何とかして欲しいものだ。耐震偽装も、狂牛病もなにも解決していない。共謀罪も、再度審議に入ろうかという状況だ。ファシズムの流れはなにもかわっていない。

以前にも書いたとおり、STOP THE KOIZUMI ブログも、世に倦む日々の個人所有物にすぎないのは分かっているが、これだけ多くの人間がブログ名をあげているのだから、それだけでは済まないのではないだろうか。

管理人の世に倦む日々も、事務局の諸氏も、ご自分のブログは長々と書いておられるのだから、このブログも何とかして欲しい。

こうしたブログが「死んだ」状態になっているというのは、ある意味で利敵行為になると思う。もしも、もう何某かの目的を達成してしまって、やる気がないのなら、速やかに解散するべきだ。もしそうなったら、集まっていた皆さんは、悩める(?)UNDER THE SUN を活用してはどうだろうか。

善処を期待したい。

PS.事務局さんにTBしようとしたら、以前書かれていた、事務局についてのが消え失せている。ブログの記事が無い。どーなってるの??
2006-04-15(Sat)

この国は「コレクター」なみの変態なのか

一体、この世のどこに「我を愛せよ」とふんぞり返って強制する人間がいるだろうか。

10年ほど前に「コレクター」という、女性を昆虫のようにコレクションする変態の映画があったように記憶するが、まさに、我が国はこの変態そこのけの国ということだろうか。

見方を変えると、この国は、強制しなければ愛されることもない、と自覚しているとも言える。

札びらでマスコミを支配することで、かろうじてアクロバット的に支配を維持しているとはいえ、いつフランスのように爆発するか分からない、という恐怖に怯えているのが、実はこの国の支配者であるということだ。

だから、麻酔をかけて、ピンで標本箱に縫いつけてしまわなければ安心できないのだ。

それにしても、「他国を尊重し」という文句にすら不満が出るとは・・・。なんというおぞましい光景だろう。子どもには絶対に見せたくない、それがこの国の教育を考える人々の姿だ。
2006-04-14(Fri)

姉歯は逮捕され、伊藤は表彰されるこの国

姉歯逮捕か、小嶋事情聴取、 などと、最近なってようやく報道も見え始めたと思ったら、伊藤のいの字も、安倍のあの字も出てこない。

それどころか、伊藤公介に至っては、25年表彰などと言うふざけた事態になっている。

読売の記事ですら、国交相の私的諮問機関「構造計算書偽装問題に関する緊急調査委員会」について以下のようにコメントしている。

 同委員会は、偽装が見逃されて被害が拡大した行政責任や、政治家の介入の有無などを明らかにすることが期待されていたが、最終報告では行政責任についてほとんど言及せず、政治家の関与も「不自然な点は認められなかった」などとするにとどまった。
 事件では、姉歯秀次・元1級建築士による強度偽装を全く見抜けなかった建築確認制度の機能不全が露呈した。また事件公表直前、自民党の伊藤公介・元国土庁長官が、開発会社「ヒューザー」社長と国土交通省の担当課長との面談に同席したことなども発覚した。
 だが最終報告では、問題の公表時期などについて、「政治家からの働きかけでゆがめられたことをうかがわせるような不自然な点は認められなかった」とだけ記述。具体的な検証内容は明らかにしなかった。


人間、恥を捨て去れば、どんなことでもできるという見本が、伊藤公介であり、安倍晋三であり、コイズミだ。

しかし、どんなことでもする連中を、大手を振って歩かせているのは、他ならぬ、おとなし~い日本の我々だ。フランス以上の事態になってもおかしくないこの異常事態に、黙っていてはいけない。ブログでもメールでもいいから、声を上げよう。

100人の読者が、100人の読者に呼びかけ、それが100人に影響を与えれば、恐ろしく大きな影響力を持つ、ということは、奇しくもマルチ商法が証明している。

マルチのように金がかかるわけでも、儲かるわけでもないから、いくら広めても限界は来ない。安心して、声を上げよう。

姉歯を逮捕して伊藤を表彰するこの国を、無理矢理愛せよと強いるこの国を、我が国なればこそ、その山河を愛すればこそ、怨嗟の声を思いの限りうちつけよ。いま、この時に。
2006-04-13(Thu)

戦争の反対は?

仕事をしながら、FM大阪を聞くともなく聞いていたら、DJの川村龍一おじさんが面白いことを言っていた。「戦争の反対語は何だと思う?」と相方の大塚由美に聞いた。当然「平和」と言うのだが、その答えは「創造」

映画レントの紹介で、劇中のセリフらしいのだが、これはいい。

戦争の反対は創造。まさに、わが反戦な家づくりも斯くありたい。そう思わせてくれる、素敵な言葉。


もう一つ、面白い記事の紹介。

ご存じマガジン9で、脚本家の鈴木聡氏へのインタビューがある。私とほぼ同世代の鈴木氏が、政治に関心を持ちながらも、なぜ避けて通ってきたか、と言うくだり。

編集部 ところで、『妻と社長と九ちゃん』という作品を知って、私たちは鈴木さんに、このコーナー(「この人に聞きたい」)に登場願ったのですが、当初は固辞されました。

鈴木 それは高校生の時から「少しでも政治的な匂いのするものには触れまい」と心に決めていたからです(笑)。

編集部 高校生の時からですか?

鈴木 「政治的な発言はできればしたくない」というのは、これは僕らの世代に共通しているひとつの認識だと思います。昭和34年生まれの僕は、いわゆる団塊の世代の少し後になりますが、通っていた中学、高校にも学生運動の名残がまだありましたが、それがいやでしたね。というのも、学生運動が内ゲバに向かっていくのを目の当たりにしたからです。

中学生のときに、浅間山荘事件がありました。あれを見て「(理想をかかげて運動していても)結局はこういうことになるんだ」と強く思いました。親戚に学生運動をやっている人もいましたが、自分では距離をとっていました。あの内ゲバを見て、多くの若者が「これ(運動)には触るまい」と思っていたんじゃないでしょうか。と思いながらも、学生運動が盛んだった時代に書かれた『青春の墓標』(奥浩平)とか『二十歳の原点』(高野悦子)は好きでよく読んでいたんです。彼らのピュアな心情に共感するところはあったのでしょう。

編集部 学生運動の失敗の後遺症により、鈴木さんの世代、今の40代後半の世代から、政治的な話をだんだんと遠ざけるようになっていき、今なお、語りにくい状況を作り上げていったのですね。

鈴木 内ゲバによる衝撃は本当に大きかったと思いますよ。彼らの失敗は、その後の日本社会に大きな影響を残しました。しかし今の、改憲に向かう若い世代の動きを見ると、僕らの世代にも責任があると思います。僕の祖父母や親たちは「戦争なんて最低だ」と言ってきました。先生たちもそう教えていたし、僕自身もそう思っていた。だから戦争しない日本って、何ていい国なんだと、当たり前に思ってきました。しかし、今の子供たちの感覚は、僕らとは違ってきています。

それは、団塊の世代以降の親が、個人の生活をエンジョイしていくのが新しいライフスタイルだとして、戦争のことをきちんと引き継いでこなかったからではないでしょうか。平和って、がんばって伝えていくべきものなのに、それをおろそかにしてしまった。


内ゲバ云々については、以前のエントリーを参照してもらえればと思う。
何故こうなってしまったのか

このインタビューで、一番見るべきは
団塊の世代以降の親が、個人の生活をエンジョイしていくのが新しいライフスタイルだとして、戦争のことをきちんと引き継いでこなかった
という実感と反省だ。

私自身、ここ15年間政治には一切近寄らずに暮らしてきた。唯一、イラク開戦直前に大阪城公園に出かけていったが、直後の共産党のチラシの写真に使われているのを見て、辟易した記憶しかない。

しかし、その結果が今なのだ。団塊の世代の責任を云々することも必要だとは思う。が、あらゆる世代が、政治の話にどんどん首を突っ込む、ものを言うことが必要だ。

そしてなにより、戦争の反対は創造!

苦心惨憺して、精魂込めてものを作ること。もちろん、ものだけではない。あらん限りの愛情を込めて子どもを育てること。

語ることと創造すること。この二つをしっかりと握りしめていれば、少々の立場や理想の違いがあっても、これからの時代を進んでいけるような気がする。

逆に、この二つに規制をかけるあらゆるものは、戦争につながるものだと考えるべきだ。

2006-04-12(Wed)

小沢一郎の戦術論

11日の朝日新聞を見て少なからず驚いたのは、小沢一郎が共産党との連携をも示唆していたからだ。

記者が「非自民、非共産で連携していくのか」と質問したのに対し
選挙協力かどうかは別だけど、共産党だけいらないと言う必要はない。反自公、非自公が過半数を取るかどうかだ
と答えている

前のエントリーでは、小沢一郎を批判したので、今回は少し持ち上げておこう。

言うまでもなく、小沢と共産党は全く相容れない。にもかかわらず、連携の可能性をも認めることを、どう評価するか。

反共ゴリゴリの連中は、無節操というかもしれない。反対に、共産党のほうも、小沢とは連携したくないと言うかもしれない。

しかし、どちらの意見も戦術論としては正しくないように思う。意見と立場の違うものが、その違いをハッキリさせながらも、ある共通の目的のために連携するのは、決して悪いことではない。

悪いのは、その違いをアイマイにして野合することであり、あるいは反対に、立場が違うからと戦術的な連携まで感情的に嫌がることだ。

とりあえずコイズミを倒す。コイズミ的なるもの、すなわち、人間の一番いやらしい部分を煽り立てて、他人をだまし、自分だけ出し抜こうというような、今の風潮に歯止めをかける。そのためには、自民党の一部から共産党に至るまで、戦術的に連携する必要がある。

しかし、それを本当に本気でやろうとした政治家はいなかった。だから、朝日の記者も軽々に「非自民、非共産」などと質問したのだ。

念のため言っておくと、私は共産党の支持者でも何でもないし、前回書いたとおり小沢一郎にシンパシーを感じるものでもない。

それでもなお、ハッキリと「非共産」を否定した小沢の発言は、大いに評価するべきだ、と言いたい。コイズミの余りのいい加減さに辟易している国民に対し、こうした原則的な姿を、ぜひ貫いて見せて欲しい。
2006-04-10(Mon)

小沢一郎の改憲論

小沢一郎のホームページに彼の改憲論が、割と詳しく書いてある

自衛戦争と、国連軍への派兵を認め、基本的人権を公共の福祉に従属させ、参議院は貴族院にして実質一院制にし、憲法裁判所を設けて憲法判断をさっさと済ませる。

そんな国の姿が、小沢一郎民主党代表のイメージらしい。

彼自身、
サッチャー元首相も「サー」の称号をもらって貴族院に移っている。私だって、喜んで参議院に行く。
と言っているのはたぶんホンネなのだろう。

コイズミのような、オールペテン、全誤魔化しとは確かに違うものは感じる。彼なりの論理で、要るものは要る、決めるべきことはハッキリと決めておく、という姿勢は見える。

しかし、彼の立場と思想は、彼自身の言うように「貴族」なのだ。公共の福祉、と言ったときに、「公共」に虐げられた民衆の怨嗟は、彼には届かない。国連軍に派遣されて、殺し殺される兵卒の心中は、彼には垣間見ることはできない。

まあ、前原のようなコイズミと同臭の者が代表になるよりはマシなのかもしれない。が、こういう人だと言うことはよく見ておくべきだろう。

ぜひ、一読をおすすめする
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