2009-09-29(Tue)

鳩山首相のIOC出席の本当の目的

鳩山政権が始動して、2週間。まだ2週間なのだけれども、非常に存在感を示している。
これは、マスコミがことさらに難題をふっかけて、苦しんでいる姿を報道しているせいでもあるが、それ以上に、なかなか巧妙な政治さばきをしているからだ。

正直言って、民主党中心の政権は、最初の半年くらいは素人ぶりを発揮して右往左往するだろうと思っていた。
ところがどっこい、大臣の人事をはじめ、非常に巧い身のこなしをしている。

藤井財務大臣の円高容認の姿勢も、一時的な株安を伴うとはいえ、「生活を立て直して消費を刺激する」という方針にとっては、まったく正しいと言える。

当面は、税金をつかって国民生活を下支えしていくのだから、国債が売れなくてはどうにもならない。
現状では日本の国債は、90%くらい国内で購入されているようだが、円が強ければ外資にも買ってもらうことができる。
鳩山政権にとって、最悪のシナリオは国債が売れなくなることだ。

国民生活のレベルでも、円が安くなると言うことは、これだけモノが海外から入ってくる以上、持っているお金が目減りすることになる。
食糧自給率40%ということは60%が輸入されているのであり、円が安くなれば食料の価格にすぐ跳ね返るということだ。
輸入100%の石油は言うまでもない。

こうして円安インフレになってしまうと、タダでさえ財政出動でインフレの危険が大きい状況では、歯止めがきかなくなるかもしれない。
そうなったら、生活再建から経済立て直しというシナリオは消し飛ぶばかりか、金利の急上昇からとんでもない事態がおきる。
ながらく低金利が続いてきたところに、一気に金利が上昇すれば、借金経営の会社(ほとんどがそうだ)は、バタバタと倒産するだろう。
住宅ローンなども、返済不能で自己破産が続出。保証会社だってアブナイ。
なにより、最大の借金王=日本国が返済不能に陥るだろう。

だから、インフレを招く円安は、現政権にとって容認できない政策のはずだ。

ではなぜ、いままで円高は罪悪視されていたのかというと、トヨタを筆頭に輸出企業の都合もあるが、それ以上に、アメリカのドルを支えるためだった。
ドル安を避けるために、結果的に円安になるように、気の遠くなるような公金を投じて、円を売ってドルを買ってきた。

その額や なんと、1,042,340,000,000ドルである。およそ100兆円ぶん。

これだけのお金を、アメリカのため、ドル防衛のために 日本はため込んでいる。使えない金として。
こんな馬鹿なことは、もうやめましょう というのが、藤井大臣の発言の行間にあるのではないか。

そんなわけで、輸出企業が、ギリギリ想定している範囲で、円高基調にしていくという方針は、現実的な政策として、まったく正しいと思うのである。 


ところが、鳩山首相の国際オリンピック委員会への出席は、巧みな民主党らしからぬ、お粗末な行動のように見える。
なんだか、石原慎太郎の下請けをやっているようで、見ていて恥ずかしい。

と思っていたのだが、よく考えてみると、これも裏があるような気がしてきた。
つまり、鳩山さんが1泊3日でコペンハーゲンまで行くのは、都知事選の準備なのじゃないか ということ。

たしかに、招致には反対の声が大きいが、日本人の気質として、IOC総会をボイコットしたり、真っ正面から辞退したりすると、非常にウケが悪いということを計算しているのだろう。
どうせ、東京に決まる可能性は低いということを踏まえて、やるだけやったけれどもダメだったということにしておけば、責任は全部石原に押しつけて、都知事選に臨むことができる。
これは、なかなか巧妙な作戦ではないか。

もちろん、コペンハーゲンくんだりまで行く、もう一つの目的はオバマに会うことだ。
経済の面でも、軍事の面でも、自民党とは一線を画した綱渡りの対米方針をとる以上、あらゆる機会を利用してコミュニケーションをとろうとするのは、当然のことだろう。

原理原則から言えば、もちろんオリンピックなんて、即座に辞退して、これまで使った金を石原に弁償させて、コペンハーゲンに行っているヒマに他の仕事をするべきだろうが、現実的にはこんな裏があるのではないかと、私は想像するのである。
贔屓の引き倒しだろうか・・・

参考: 10月2日がやってきます。 脱藩官僚 縦横無尽(59) 



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2009-09-28(Mon)

農地解放についての追加メモ

昨日の記事に、

「第二次大戦後の「農地解放」は多くの人に誤解されていますが,有償による元地主からの元小作人へのかなり高額な土地売買でした。
それでも,元小作人は自分の土地が得られることがうれしかったのです。」

という指摘があったので、少々調べてみた。

が、分かる範囲で言うと、「かなり高額な土地売買」というのは、まったく当たらないようだ。

農地改革の真相-忘れられた戦後経済復興の最大の功労者、和田博雄

(独立行政法人)経済産業研究所によるこの文章によると、

農地改革は252万戸の地主から全農地の35%、小作地の75%に相当する177万haを強制的に買収し、財産税物納農地と合わせて194万haの農地を 420万戸の農家に売却したものであった。
農地買収は正当な価格、十分な補償で行わなければならないとGHQは主張し、インフレによる物価スライド条項の導入にこだわった。しかし、和田農相は徹夜の交渉によりこれを撤回させた。
戦後の悪性インフレによって貨幣価値がいちじるしく減価したにもかかわらず、農地改革が終了する1950年まで買収価格は据え置かれたのである。
この結果、買収価格(水田760円、畑450円)はゴム長靴一足(842円)にも満たない、事実上の無償買収となった。このため、農地を買収された地主階級から農地買収の違憲訴訟が相次いだ。


とある。
買収決定したときには高額だったかもしれないが、その後のインフレでタダ同然になったという。
そして、

GHQの農地改革担当者、ラデジンスキー博士は後日社会党の実力者となっていた和田と会談した際、和田に農地証券がインフレによりただ同然になることを予想していたのかと質問した。和田は言下にイエスといい、「もし、農地証券を物価にスライドさせていたなら、政府の重い財政負担によって今日のような日本経済の成長はなかった。あの時博士が譲歩してくれたのは日本経済のその後の発展への最大の貢献だった」と答えている。

と続いている。

背景としては、420万戸の小作農が農民組合など一大革命勢力になろうとしていたこと、戦争による欠乏に加えて敗戦の昭和20年が大凶作だったこと、などがあるようだ。

革命を未然に芽を摘み、生産性を上げて餓死を防ぐ、という当時の日本政府にとっては、何が何でもやらなくてはならない政策だったようだ。
だから、GHQの影響力はもちろん無視できないにしても、戦後の政策の中では比較的に日本政府主導で行われたようである。


また、前出の指摘にある、「市街化区域に指定されると,農地に宅地並みの固定資産税が適用され,やむを得ず土地を手放した」という説については、ハッキリとオカシイと言える。

二つの意味でオカシイ。

地主が、農地と言いながら宅地としてアパート経営などをしていたので、宅地並み課税ということが行われるようになった、という歴史的な経緯がある。
しかも、本格的に施行されたのは1992年である。たしかに、施行後は田んぼが駐車場になるようなところが続出したが、農地が大量に開発されたのはもっともっと前の時代である。
これがひとつめ。

もう一つは、本当に農業を続けたければ、「生産緑地」にすれば、課税は農地並みになるので、実は何の問題もない ということ。

ただし、一度「生産緑地」に指定してしまうと、少なくとも30年間、本来は永年、農地として固定される。景気が良くなったから宅地にして売り払おうとか、アパートを建てよう、ということはできなくなる。

ということで、宅地並み課税によって、やむを得ず土地を手放した人は、もともと宅地として売りたかった人が、売れなくなる前に駆け込みで売り払った ということだ。
農地を続けたいのに、泣く泣くやめたというのは、ちょっと違うように感じる。


さらに言うと、生産緑地は持ち主が亡くなったりすると、自治体に時価で買い取り請求ができ、自治体が拒否すると建築制限が解除される。
つまり、地主のおじいちゃんが亡くなったら、息子はしっかり現金化するか、宅地として活用できるようになるのである。
または、農地として相続すれば、相続税は農地である限り猶予される。

江坂の街中を歩くと、ビルの谷間に排水路の水を引いた田んぼがあって、落っこちそうになる。
あるいは、何の脈絡もなく桃や栗の植えてある場所が点在し、まったく収穫されることなく、落果し腐っている。
こういうのが、生産緑地というものだ。


そうそう、こんな非道い話もあった。

橋下君の掘った芋は890億円


橋下の権力欲のために、門真市の北巣本保育園はイモ畑を強奪された。

そして、強制収容で無理やり取り上げたくせに、「農業をやめた」と言って、先代から相続したときに猶予されていた相続税に19年間の利子までつけて2200万円を払えと言ってきたのである。

ほんとうに、非道い話だ。今聞いても腹が立つ。

これに課税するのであれば、一個も収穫されずに落ちて腐っている桃に税金をかけた方がよほどマトモだと思うのだが。


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2009-09-27(Sun)

なぜ「住む」ことに金がかかるのか

素朴な疑問がある。
なんで、「住む」ということに お金がかかるのだろう?

資本主義だからあたりまえ と言ってしまえばそれまでだが、それは本当に正解なのだろうか。
ホームレスやネットカフェ難民がいることは、仕方がない のだろうか。


私が疑問に感じるのは、いくつかの点がある。

一つは、収入や支出全体にたいして、住むことの費用が高すぎるということだ。

一般的に住宅ローンを借りるときには、年収の20%までが望ましい なんて言われている。
昨年の平均年収430万円ならば、月に7万円ほど。30年のローンでも1500万円くらいしか借りられない。
人口の大多数が暮らす都市部では、だいぶ年数のたった中古マンションしか買うことはできない。

逆に、建て売り住宅や、新築マンションを買うために 3000万のローンを組むと、月に14万円くらいの返済になる。
これは、平均年収の40%になってしまう。
20%近くは税金やなんかで天引きされるから、実に、使えるお金(可処分所得)の半分は住宅費に消えることになる。

これは、賃貸でもあまり変わらない。
7万円の家賃では、大阪だったら2DKくらい。4人家族では、かなり省スペースに暮らさないとやっていけない。
いわゆる3LDKなどの家族向けのものは、やはり14万円前後の家賃になる。

この高コストの源泉は、どこにあるのかというと、土地の値段だ。
もちろん、建物の値段もあるけれども、やはり不思議なのは土地のほうだ。

大阪市内で坪100万以上、電車で30分の周辺部で坪60万くらいのところだろうか。
何ヶ月も人手と材料をかけて作る家が、ひと坪50万とか60万とかなのに、ただあるだけの土地が、なぜかそれよりも高い。

収益還元で、高い家賃を取れるから値段が高いんだ、という説明もあるが、これは堂々巡りのお話しで、なんの説明にもなっていない。
少なくとも、住宅用地に関しては、そんな関係は成り立たない。

電車で1時間離れると、土地の値段は坪10万円くらいになる。
利用価値は変わらない、ただ、通勤時間がちょっと長いだけで、値段が10分の1になる。
なんとも、不思議な商品である、土地というのは。

どんな商品でも、原材料や労働やサービスの集大成であり、つまり金がかかっている。
だから、その対価を払うということにも、それなりに納得できる。

しかし、土地だけは、ある だけだ。
税金と草むしり以外は、基本的に原価はかからない。
それが、なんで建物よりも高いのか。

目減りしないからか?
では、目減りしない土地の利用料がこんなに高いのか。
目減りしないのであれば、利用料は本来安くなるはずだ。


実は、土地の値段は、担保にされている借金の金額で決まっている。たぶん。
銀行が貸し出しているお金は、ほとんど担保をとっている。
そして、その担保のほとんどは、土地だ。
だから、日本の経済は土地本位制だなんてよく言われる。

その土地値が、下がってしまうと、銀行の貸し付けは、一気に不良債権になり、貸し渋りや貸しはがしが横行した挙げ句に、銀行も潰れたりする。
まさに、バブル崩壊がそれであったし、サブプライムローンというのもその極端な形だった。

ただし、バブル崩壊は、以上にふくれあがったものが元に戻っただけで、土地本位制そのものが崩れたわけではない。
ところが、バブルのような特殊な時代を除外した、まあだいたい今くらいの土地の値段を大きく下回るようになると、土地を担保にしてお金を貸し、その金で日本の経済が動いている状態自体が、機能しなくなってしまう。

このように、日本で住むことにやけにお金がかかるのは、本来は住むためにある土地というものを、金融の担保、つまり金(ゴールド)の代わりに使ったせいだ。
本来食べるためにあるトウモロコシを、バイオエタノールなんて言う馬鹿なものに使ってしまったために、値段が上がって食べられなくなるのに似ている。
それが、恒常的、構造的になっているのである。

担保価値ということがなければ、土地の値段だって純粋に需給バランスや収益還元で決まっていくだろう。
直接収益を生み出す商業地は収益還元で、住宅地は需給バランスで値段が決まるならば、住宅が余っている現在、宅地の価格は劇的に下がっていくだろう。


もう一つ、私が不思議なのは、なんで地主というのがいるのか、ということ。

地主の土地というのは、いったい何の権限で地主の土地なのか?
法律的には、なんやかんやあるのかもしれないが、素朴に疑問である。

土地自体は、地球ができたときから、少なくとも日本列島の形ができたときから そこにある。
それに、線を引いて、「これはアンタの」と決めたのは何時、誰なのか。
その正当性は、どこにあるのか。

法律的に決まったのは、明治6年の地租改正だということになっている。
しかし、その元になっているのは、江戸時代の農地の使用形態だ。
本当のところ、どのようにして線引きしたのかなんて、真っ暗闇で分からない。

それから70年あまりが過ぎ、土地の所有は大きく変動する。
農地解放である。

それまで、地主から農地を借りていた小作農が、耕していた農地を自分のものとすることができた。
実に、農地の7割が地主から小作に渡ったという。

そして、さらに四半世紀が過ぎ、なんとも皮肉なことに、解放された農地は土地成金に姿を変えていった。
生きる術として農地を解放され譲り受けたものを、高額の土地として売却することは、許されることだったのだろうか。

都市部で借家住まいをしていたものは、借家解放で家を得ていたわけではない。
工場労働者は、工場解放で、会社の株を得ていたわけでもない。
しかし、農民は食料を作るという大儀のもと、農地解放の恩恵を受けたのではなかったのか。


てなことで、土地の所有とか値段とかいうものは、根拠が良く分からない。

私の拠点にしている大阪の江坂という街は、まさに農地が都市に化けた場所。
今でも、道路一本挟んで、都会と村が並んでいる。
毎日この町並みを歩きながら、なんとも息苦しさを感じずにいられない。

こうしたオドロオドロシイ土地の歴史を引きずっている場所からは、日本の住まいの新しい流れは出てこないだろう。
担保価値というクビキから解放された、ず~と郊外にこそ、可能性がある。
これまで、安いが故に見捨てられてきた土地が、これからは、安いが故に可能性を発揮するだろう。

 できるだけ、お金をかけないこと。

 これまでの金融の負の遺産から自由であること。

 今あるものを、できるだけ利用すること。

そのためには、建築の仕組みも、金融(ローン)の仕組みも、不動産流通も、住み手の意識も変える必要がある。

幸いにして、民主党の住宅政策は、この方向に合致する可能性がある。

「住宅政策を大転換する」、民主党・前田武志座長 
2009/09/10 ケンプラッツ

通勤可能な郊外に畑付きの家を2000万以内で という「菜園な家づくり」コンセプトが、はやく現実のものになることを願っている。


※ ある方から 下記のようなご指摘をいただいた

第二次大戦後の「農地解放」は多くの人に誤解されていますが,有償による元地主からの元小作人へのかなり高額な土地売買でした。
それでも,元小作人は自分の土地が得られることがうれしかったのです。

また,土地長者の批判はある意味当然ですが,農業を続けたくても,市街化区域に指定されると,農地に宅地並みの固定資産税が適用され,やむを得ず土地を手放したという事情も勘案すべきです。

土地は公有制が本来あるべき姿でしょうが,そこに至る道は,歴史的経緯により茨の道です。


なるほど、土地解放については大地主の側から意図的な「常識」が流布されていることは想像に難くない。もう少し、勉強してみます。

しかし、生産手段としての土地と、住む場所としての土地は、ハッキリと区別すべきだという思いは変わらないけれども。

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2009-09-24(Thu)

八ツ場ダムの責任とは?

八ツ場ダムの中止に対して、地元の悲哀を映し出す映像が連日流れている。
大嫌いな前原ではあるが、さすがに気の毒になってくる。

八ツ場ダムの問題の根本は、地元の悲喜劇でもなく、民主党のマニフェストでもない。
「政治の責任」ということだ。

これまで、あまりにも長いこと放棄されてきたので、だれもが気がつきもしないけれども、政治には責任というものがある。
やってしまったことが、間違っていたら、間違えたヤツが責任を問われる。

ところが、日本という国は、やってしまったことに対しては、まったくと言って良いほど責任を問われない。

コイズミと竹中平蔵という、日本を壊した張本人ですら、いまだに何の責任も問われていない。
亀井金融大臣の登場は、りそな問題の解明をちょこっと期待したくなる。
もしそうなれば、コイズミ&竹中への天罰と、植草一秀さんの復権もできるのだが。

ともあれ、いまのところ、コイズミも竹中もノウノウとデカイ顔をして暮らしている。
それどころか、昼の定食を食べながら店のテレビを見ていたら、コイズミの息子のウットオシイ街頭演説を延々3分くらい垂れ流していた。
自民党総裁選のニュースなのに、総裁候補のことなんてそっちのけで、ドラ息子の演説ばかり。

総理大臣という、この国で最大の責任を、子どもがゲームに飽きたかのように放り出した安倍晋三にしても、平気で国会議員を続けたばかりか、今回の総選挙にも何の反省もなく出馬して当選している。
あそこまで無残なまでに責任放棄したら、普通の神経であれば、とてもじゃないが二度と人前に顔をさらすなんてできないと思うのだが、日本の政治は普通じゃない。

で、八ツ場ダムである。

まず、これまで50年間の責任はだれが取るのか。
どんなに少なく見積もっても、治水効果が無いということを、国交省が認めた昨年6月以降については、工事を推進したすべての公共団体に責任がある。

もちろん、本当の責任は最近1年ばかりのことではない。
住民の一生と言ってもいい長い年月を、なんの効能も期待できない小型のダムのために、ボロボロにしてきた者こそが、本当の責任を問われなくてはならない。
それは、自民党政権であり、それに追随した地元自治体であり、ゼネコンを中心とした地元「代表」といわれる勢力である。

この者たちの責任が問われることなく、それどころか、まるで被害者ズラして現政権を叩こうという、ねじ曲がった根性は見ていて気持ち悪い。
工事は7割進んでいるから中止できない、と言うヘリクツほどくだらない話はない。

インフルエンザの患者にボルタレンを処方していたら、ただちに中止するだろう。
もう7割飲んでしまったから、いまさら中止できないなんていう理屈はない。
いくら、中止して脳症の治療をする方がコストがかかろうとも、そのまま飲み続けて死ぬことを選択するはずはない。
そして、インフルエンザにボルタレンを処方した医者は責任を問われるだろう。

こんな話をすると、じゃあ地元住民はどうなるんだ という反論がでてくる。

それが反論であると思っているところに、日本の「政治責任」の希薄さがある。
つまり、地元住民は、一部の人を除いて、責任を問われるべき対象ではない。
自治体と、住民の負うべき責任は、ぜんぜん違う。

ところが、戦争責任さえ一億総懺悔とかいって、国の責任を国民に押しつけようとしたお国柄だから、国家や自治体の責任と、個々の住民の区別がアイマイになっている。
なので、「自治体にも責任がある」というと、まるで「地元住民にも責任がある」と私が言っているかのように、聞こえてしまうのである。

実際は、あたりまえの話だけれども、推進の中心になった連中をのぞいて、地元住民は被害者だ。
ここまで、メチャクチャにされたものを、どう立て直すのかは、とても難しい問題だけれども、これは当然、国と自治体の責任だ。
現政権が、自民党政権から引き継がなくてはならない「責任」である。
というか、自民党政権が取ろうとしなかった責任を、現政権が引き受ける ということだ。

もう一度いうけれども、八ツ場ダムの問題は、50年間推進してきた連中の責任を問わなくてはならない。
いかに無茶をしてきたか、でたらめを押し通してきたか、余すところ無く暴き出さなくてはならない。

八ツ場あしたの会 八ツ場ダムを考える会 

このサイトに、非常に実証的に、諸問題が整理されている。
八ツ場ダムのことを云々したい人は、必ず目を通すべきだろう。

国交省も、馬渕さんが副大臣になったから、こと細かい事実の押さえは抜かりないとは思うが、民主党叩きのハンマーのように報道されている八ツ場ダムの問題でこそ、これまでの自民党政権下での無理無体を暴き出してほしいと思う。
そして、政治には責任が伴うのだという あたりまえの姿を取り戻してもらいたい。


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2009-09-20(Sun)

完成したマンションが なんとビックリ!

まずは、この画面を見てみよう
ありきたりのスマッチ!の画面だ

セレッソコート マスターズハウス

注意してみないとわからないが、完成の日付が 99/99 になっている
何でかというと、完成してもうすぐ完売になるというときに、建築確認が取り消しになったのである。

詳しくは、こちらのホームページに書いてある

大阪狭山市 自由丘住宅会

建築業界では、驚天動地の大事件の割にほとんど報道されていない。
実は私の友人の建築家が、この自由丘住宅会を支援していて、勝訴の連絡をもらって知った次第。

簡単に言うと、マンションのような大規模の建物を造るときには、「開発許可」というものをとってから、次に「建築確認」をおこなう。
ところが、このさくら不動産のマンションは、開発許可を取らずに建築確認をとるという”離れ業”をやらかした。

当然というか、言うまでもないというか、前提条件を満たさない建築確認は無効 ということで、大阪地裁が取り消しの決定をしたというもの。

それ以外にも、住宅会は、裏のガケが危険であるということも主張していたけれども、そういう内容以前に、そもそも確認申請を出すこと自体がおかしい、という判決だったようだ。

さくら不動産建築確認を出した検査会社は当然控訴するのだろうけれども、最高裁の判決が出るまで、会社がもつのか という問題もある。

いやあ 千里タワーの柱折れ事件と言い、今回のセレッソコートの問題と言い、新築マンションを買う人は、ものすごく勇気のある人だと思う。
私などは、とてもじゃないが そんなバクチには手を染める気がしない。

せいぜい、お気をつけてくださいませ。

※くだんの友人から訂正の連絡ありましたので、以下掲載します。

 ブログの記事ですが、ちょっと事実と違う部分があります。

 今回の裁判は、近隣住民が開発不要証明を出した大阪府に対して開発不要証明の取消を、建築確認を交付した関西住宅保証機構(民間確認機関)に対して確認の取消を争ったもので、さくら不動産は被告になっていませんので、控訴出来る立場にありません。
 判決では、大阪府の出した開発不要証明は単なる証明書のたぐいで処分性はないため(審査した訳ではないと言うことです)そもそも取り消しできないものとして、却下されており、大阪府は勝訴していますので、控訴できません。民間確認機関は、翌日控訴しています。
 住民側は、控訴していません(基本的に勝ったので)。
 
 ということで、高裁では、民間確認機関VS住民となることから、さくら不動産の出る幕はありません。
 
 ただ、ずっとさくら不動産の担当者は傍聴に来ていますし、関西住宅保証の担当者と親しげに談話していますから、情報交換はしていると思います。

 しかし、この裁判、終盤にはがけの安全性について、関西住宅保証からネットで検索してきた自分たちの理屈に合いそうな文章を次々と出してきて(最終日とされていた前日にも)いましたが、土木の基本が分かっていないので、とんちんかんな事ばかりで、建築確認という重責を担うはずの民間確認機関がこんなので良いのかと改めて疑問に思いました。裁判所という密室(本当は公開されているのですが)で、とにかく裁判官さえ煙に巻けば何を言っても言いというのがいつもの被告企業のやり手です。公開の場で言ったら恥ずかしいようなことも、平気で言いますから、なんとかしないといけないと思います。それこそブログで逐次報告とかしても良いのですがね。

 ということで、さくら不動産は被告ではないので、その点、よろしくお願いします。記事にならなかったのは、そんなややこしい話しもあったのか(住民が業者に勝ったと言う訳ではない)と思っています。



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2009-09-15(Tue)

見学会のお知らせ

大阪の中心部に近い場所で、木の家を作ろうという試みは、思いのほか苦戦を強いられた。

専門の人ならば知っているように、準防火地域で木造の3階建てを作るには、非常にきびしい規制がある。
もう、木造をつくらせまい つくらせまい という意図がにじみ出てくるような規制がある。

2階建てならば、それほどきつくないけれども、地価の高い中心地で2階建ての家に住むのは、むしろ贅沢の部類になってしまう。否応なく3階建てになる場合が多い。

ところが、日本の建築行政、というか建築業界全体が、木造を一段低いモノに見ている。
木造の本当の力を評価せずに、頭から「弱い」「燃える」という考えで法律も作っているから、他の工法に比べても、ものすごく規制が厳しい。

例えば、耐火構造という認定をするにも、コンクリートはフリーパスで「耐火構造」と認められている。
ところが、木造は厳しい実験をやって、構造部分にちょっとでも焦げ目がついたらアウトだ。
コンクリートでも同じような実験をすれば、爆裂したり強度低下したりすることがあるのは、よく知られているのに。
木造は実害のない程度の焦げでもアウトで、コンクリートはフリーパスなのだ。

なんだか、森喜朗の息子のアヘン窟で買春疑惑はフリーパスで、田中美絵子さんのコスプレ取材は大問題になるのと似ている。
そこまで言ったらコンクリートがかわいそうか。

それはともかく、都心部で、木の家の味を残した家を建てるには、いくつかのハードルをクリアしなくてはならない。
この障害競走にはいくつかのコースがある。
一番多いのは、木の部分を全部囲ってしまうコース。石膏ボードで柱も梁も構造の部分は全部囲ってしまう。だから、できあがりは木造なんだか鉄骨なんだかコンクリートなんだかよく分からない。
普通の住宅は、黙っていてもそんな作りだからそれで良いけれども、私の設計する木の家は、そんなんじゃ困る。

次に多いのは、窓を小さくするというコース。やはり窓が一番火に弱いので、それを小さくしてしまえという理屈。これも、開放的な家を希望されるお施主さんにはとてもツライ。

そこで今回は、秘策を使った。専門用語で「ロー1準耐火」というのだけれども、外壁をコンクリートと同じくらいの耐火構造にするかわりに、中身や窓には大きな規制がかからないというコース。
簡単なようで、実は相当難しい。
というか、おそらく今までやった人がいない。
国土交通省の外郭団体に聞いても、「そんなことできるの?」てな調子。

昨年の今頃から役所関係を回って協議を重ねて、最終的に確認申請が通ったのが今年の5月。
そこまでで力尽きそうになったけれども、現場が始まってからがまた大変だった。
外壁の内側に強化石膏ボードの厚さ21㎜というやつを2枚重ねにする。
文字で書くのは簡単だけれども、実際にこれをするのにどれだけ大工の汗が流れたか・・・

後から あーやればよかった こーやればよかったと思うことはドンドン出てくる。
(推定)本邦初だからしょうがないとはいえ、若い大工さんチームはよく耐えてやってくれたもんだと思う。

そうこうしながら、なんとか今月末には完成する。
木と和紙と漆喰でできた、しかも火事には抜群に強い家が。

せっかくなので、お施主さんの了解をいただいて見学会をさせてもらうことにした。

10月4日(日) 11時~15時 大阪府守口市内

詳細は、連絡をいただいた方にお知らせします
同業者の方も歓迎


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2009-09-12(Sat)

本当の失業率は9.6%

もうどうしても眠いので、忘れないように必要なことだけ書いておこう。

失業率 5.7% 失業者数359万人

雇用調整助成金でクビの皮一枚の人 243万人

あわせて600万人余りが本当の失業者。

だから失業率は5.7%じゃなくて、ほんとは9.6%

これに、ウチのように仕事のない個人事業者や、恐るべきワーキングプアや、仕事を探す意欲をなくしてしまった人を入れれば、「ほとんど失業状態率」は10%をはるかに上回る。

向こう三軒両隣で、ひとりくらいは失業状態。小学校のひとクラスで、4~5人の親は失業状態。

政権交代の原動力の第一は、やはりこのことだったのかもしれない。


仕事があっても、収入はこの10年以上減り続けている。

setaishotoku.jpg

厚生労働省の資料を合成したものだ。
下から、1998年、2003年、2008年 となっている。
平均値も、中央値も、ピークも下がり続けているのが一目瞭然。

とくに、300万以下の世帯が、25.1%、28.9%、31.3%と増え続けている。
そして、平均所得というのが、ぜんぜん平均じゃないのもよくわかる。
超高額所得者に引っ張られいるだけで、実質的な平均は、このグラフの中央値を見た方が良さそうだ。

今まで、私が関わらせてもらった家は、どちらかというと右の方のだいぶん平べったくなっているあたりのお客さんが多かった。
けれども、これからは、真ん中のあたりの人たちが、気持ちよく住める家、というより、暮らせる場所を考えていきたい。

そのためのキーワードが菜園生活とリノベーション。
「菜園な家づくり」を実践していこうと思う。



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2009-09-11(Fri)

政治の世界のスクウォッター

スクウォッター。ずいぶん前にそういう名前の本屋さんがあった。
大島哲蔵さんという建築批評家が、大阪のど真ん中にある大正建築の地下室に作った本屋さんだった。もちろん、不法占拠ではないのだけれども、都市の真ん中の異空間を目指していたのだろう。
なにせ、置いてある本も先生の話しも難しいので、当時の私にはほとんど理解できなかったけれども、なんとなく、そういう雰囲気は感じた。

スクウォッターという言葉は、直訳すると空き家の不法占拠という意味らしい。
毛利嘉孝という人の「はじめてのDiY」という本によれば、世界中で10億人がスクウォッティングして暮らしているという。世界的にはメジャーな暮らしかたなのだ。

この本を読んで、久しぶりにスクウォッターという言葉を目にした。
そして、ゾクゾクッとする感じを味わった。

インターネットというのはペンタゴンが作ったものだから、本来は官製の情報網だ。
ところが、そこにブログという訳の分からないものが侵入して、居座ってしまった。
ワープロ程度の知識があれば、誰でも情報を発信できるという、画期的なブログという異物の正体は、情報を管理する権力には理解できなかったのだろう。ほぼ、野放しのまま一気に増殖した。
その勢いはまさにパンデミックで、豚インフルエンザの比ではなかった。

情報の独占、または管理というのは、権力を握ったものにとっては基礎の基礎。
その鉄壁の情報網に、まさにスクウォッティングしたのがブログというものだった。

もちろん、おおもとがペンタゴンである以上、情報はすべて管理されているとも言える。
が、有象無象、玉石混淆、なんでもアリで大発生したから、これを管理するのは並大抵ではないだろうと思われる。
もともと非合法の地下活動をするわけではなくて、バレてるけれど居座っているスクウォッターとしてはこのくらいが好い加減なのかもしれない。

情報のスクウォッターがブログならば、政治の世界のスクウォッターはプレカリアートのたたかいだろうか。
具体的な空間のスクウォッティングもやらかすらしいが、むしを、その存在自体が「占拠」している。
いわゆる政治家の世界にも、いわゆる左翼や右翼の世界にも、普通の労働運動の世界にすら属さないプレカリアートのたたかいは、政治の世界のスクウォッターというにふさわしい。

雨宮処凛さんの、このレポートは、その面目躍如だ。

真夏の夜の夢~フリーター労組のキャバクラ争議。の巻
雨宮処凛がゆく 113


キャバクラに団体交渉を申し入れに行くなんて、これまでの労働運動ではどうひっくり返ってもありえなかった。組合の連中がキャバクラに遊びに行くことはあっても、そこのキャバ嬢の労働条件をなんとかしようなんて誰も考えなかった。

派遣は、待遇改善は遠い道のりとは言え、少しは日の目を見るようにはなった。
注目され、「労働問題」として認識されるようにはなった。
でも、風俗産業は今でも「労働者以下」として切り捨てられている。

かりに、風俗産業はない方がいい、という説を正しいとしても、三菱重工で人を殺すための戦車や戦闘機を作っているエリート社員は立派な社会人で、風俗産業に働く女の子が労働者以下というのでは、やはりオカシイに決まっている。

これまで、労働組合からも「労働者以下」として見下されてきた存在が、今、じわじわと政治の世界に浸食している。目に見えるような見えないような、微妙な存在感と距離感を持ちながら。

なんやかんやとコメント欄が賑やかになるのを覚悟で、田中美絵子さんのことについて、あえて昨日書いたのは、そんな意味がある。
田中美絵子さん自身が、どのように総括し、どのように対処されるのかは本人の自由だが、できることならば、政界に侵入した「異物」として、胸をはって、開き直って活動してもらいたいと思う。

もちろん、すべての男性議員が、自らの風俗通いや浮気の過去を公表するわけがないのだから、田中さんだけに過去のプライバシーに責任を問うことはできない。
なにもコメントしなくても、それはそれで責めることはできないが、しかし、あえて「労働者以下」の代表を自覚してもらいたいと思う。

今後の田中美絵子さんの活動に注目したい。

※田中さんの件についてあれこれコメントしたい方は、前日の記事に書いてください。
 昨日のぶんだけは、人間観察として、よほど差別的なもの以外は削除しませんから。
 今日以降のコメント欄は、通常の管理をします。

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2009-09-10(Thu)

田中美絵子さんの過去を非難する人々の品性を疑う

渋谷有栖こと菊池美絵子こと田中美絵子さんをめぐって、スポーツ新聞は大喜びだ。

非常に誤解を生む表現ではあるが、あえて言うと、これらの報道は女性差別である。
より誤解が大きくなるかもしれないが、もっと言うと、買春をしながら売春する女性を蔑む男性の感性である。
さらに言うと、男性に依存するあまりに、女性でありながら男性の差別的な感性を我がモノとした女性の感性である。

コスプレ風俗ライターだろうが、乱歩映画のヌード出演だろうが、だから何だというのだろうか?
そのことだけを評価するならば、そんな現場を知っている人が国会に行ったことは、画期的にすばらしいことだと思う。
惜しむらくは、それが選ばれた理由ではないということだ。

tanakamieko.jpg

女性が女を武器にすることは、たしかに幸せなことではないかもしれない。
男性社会の商品になるということは、本人にとっても心から楽しいことではないだろう。
そんなことをしなくて済む人は、それを蔑む。

何とかして頭角をあらわそうとして女を武器にすることを、観客席からブーイングするのは簡単だ。
しかし、本気でそれを言うのならば、女性は一昔前の中国のように、みな国民服を着てザンギリ頭で歩かなくてはなるまい。
自分の都合の良いところは「ファッション」と言い、都合の悪いところは「下品」と言いなす感性のほうが、よほど下品である。

「経歴はいいけれども、それを隠していたのが問題だ」という人も多いはずだ。
これに対しても言いたい。「いい気なもんだ」と。
できれば、そうした経歴もふくめて胸を張って闘って勝てることが理想ではある。
でも、今の日本の社会はそこまで人間的ではない。まるで、他人の弱みをあげつらうと自分が偉くなったような錯覚をする人が多すぎる。

そんな社会の中枢に食い込もうと思えば、不必要に差別を受ける過去をさらす必要はない。
違法でない限り、非難されることではない。

それを言うならば、田中美絵子さんが闘った森喜朗は、自分がどうやって総理大臣になったのかという、国家の一大事について明らかにしていない。
これまで92代を数える総理大臣のなかで、唯一「超法規」手続きで首相になったことを、ひた隠しにしているのだから、政治的にはこちらのほうがよほど問題である。

隠しているのは、政治家だけではない。
64年前、戦争に負けた日本の上流階級は、華族の廃止を目前に戦々恐々としていた。そこで、公然とおこなわれたのは、華族婦人とGHQ幹部との交際である。交際と言えば聞こえが良いが、不倫であり、多くの場合は売春である。

もっとも有名なエピソードは、GHQ民政局のケーディス大佐と鳥尾子爵婦人だろう。
鳥尾子爵婦人は、自らの保身だけでなく、日本政府の意向も受けて、つまりスパイの使命も受けてケーディス大佐を「交際」を深めた。しかも、驚くことに、家族ぐるみなのである。ケーディスは足繁く鳥尾邸に通い、鳥尾子爵とも顔を合わせ、子どもたちとも親しくなり、家に泊まり込むこともあったという。
そんな付き合いをしつつ、不倫関係を公然と続けたのである。

日本の上流階級というのは、こうした婦人たちの女を武器にした「努力」の上に存続しているとも言える。
みなさん憧れのセレブだって、追い詰められればこうやって生き延びてきた。

だからこそ、自らの出自を隠すかのような、スケープゴートを求めるヒステリックな叫び声がこだまするのだろう。
生きるため、のし上がるために女を武器にすることは、本人以外にそれを非難する権利はない。
しかし、自らの過去や心中を隠すためにスケープゴートを生け贄にする品性は、まったくもって下劣である。

簡単に言えば、お上品のほうがよほどオゲレツだということ。
田中美絵子さん、お上品になる必要なんてない。せっかく見目麗しく生まれたのだから、男性議員を手玉にとって、快刀乱麻の働きをしていただきたい。きれい事では生きていけない人々のために、政治家として邁進してほしい。ガンバレ


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2009-09-01(Tue)

民主党が勝った理由

昨日の記事で、勝因なんてどうでもいい と書いたのに、なんで今日こんなことを書くのかというと、マスコミ報道を見ていて、あまりにも「消極的勝利」、あるいは「自民への批判票」という言い方がまかり通っているので、ちょっと文句をつけたくなった。

たしかに、コイズミと竹中平蔵が生活をぶっ壊したことへの、激しい恨み節がすべての根っこであったのは間違いない。
だから、張本人の息子に大事な大事な1票を投じてしまった横須賀市民は、日本中に顔向けできないくらい、後悔してもらいたい。

それはともかくとして、その恨みが渦巻いていることを、きっちりと感じ取ったうえで、「国民の生活が第一」というスローガンにまとめたことこそが、民主党勝利の最大の要因だ。
4年前のような「日本をあきらめない」みたいな、ワケの分からないことを言っていたら、いくら自民への恨みが大きくても、ここまでの圧勝はならなかっただろう。

その意味でも、やはり小沢一郎の存在は大きかったし、今でも大きい。
「国民の生活が第一」というスローガンには、何重もの意味が包まれている。

ひとつは、もちろん国民の思いを受け止めた ということ。
ふたつめは、社民を含めた野党に対して、共闘を堅持するというメッセージであったと言うこと。
そして、みっつめは、憲法や安保をいたずらに論点にしない、ということであった。

野党共闘については、双方向なのであって、社民党と連合することによって、民主党の生活防衛の本気さをPRできた面も大きい。
社民党は、これまで社民に入れていた浮動票が、大きく民主に流れたはずだ。今までは批判票として社民党に入れていた人の多くが、今回は勝つために民主党にいれただろうから。
それなのに、前の議席を確保したということは、広い意味での社民党支持は相当広がったと見ていい。

もう一度整理すると、民主党の圧勝は、「社民党と連合している民主党」だから可能であったということだ。
民主党単独では、どっちに転ぶか不安だけれども、社民党と連合すると言ってるから、自民党と同じにはならないだろう、生活防衛してくれるだろう、という安心感が民主党への投票につながった。
と、私は見ている。

その路線を強烈に、一切ぶれることなく貫いたから、民主党は圧勝した。
前原誠司などが、マスコミにそそのかされて、防衛問題などにシフトしかけたが、執行部がきちんと押さえ込むことができたのは、「国民の生活が第一」というスローガンの重さと迫力によるものだ。
その言葉の背後に、澎湃とわき起こる民の思いによるものだ。

繰り返すが、民主党の圧勝は、たんなる自民党やコイズミへの恨みだけが原因ではない。

だからこそ、これからの民主党政権に、温かい目と冷静な目の、両方でしっかりと注視し続ける必要があろう。
暖かいというのは、政権をとったからといって、そうかんたんに官僚を動かし、政治をバリバリ進めていくことはできないということ。
まして、この大不況を、あっという間に上向きにするなんて、鬼神でも無理なこと。望むべくもない。

現実に私の周りでも、予定していた福祉関係の工事が来年度まで延びたりするなどの影響が出ている。
これは、麻生が無駄金をばらまいた今年度の補正予算を見直すために、自治体も予算の執行をストップしているからだ。

だから、どちらの方向を向いているのか、困難があるならばそれが何なのか、しっかり国民に公開してもらいたい。
わかりやすく、アピールしているか、共有しているか、それがこれから当面のあいだ、民主党政権には一番求められる。
方向が間違っていないならば、政権がぶち当たっている困難に、国民が後押しすることも必要だ。

一方で、冷めた目で冷静に見ることも、もちろん必要だ。
それは、特に、軍事の問題であり、憲法9条の問題だ。
来年5月には、国民投票法が施行される。民主党のなかでも、最大50%くらいは9条の改憲に賛成する可能性がある。
もしも、今の「国民の生活が第一」から、「お国の防衛が第一」に論点がすり替わってしまうと、民主党自体の屋台骨も含めて大変なことになる可能性がある。

アメリカや中国の意向によっては、そういう方向へ強引に進められていくことがないとは言えない。
それこそ、金正日のミサイルが国土の端っこをかすめるなんてことが、あってもおかしくはない。

ただし、今のところは、そういう方向へアメリカも中国も動いてはいないようだ。
これも、冷めた目で観察して行かなくてはならない。

ということで、福岡政行が「小鳩政権」といって、敵意むき出しに批判していたけれども、私は逆の意味で「小鳩政権」で大いに結構と思っている。
彼らの顔に似合わず、なかなかかわいいネーミングだし・・・


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