2014-02-10(Mon)

完敗に乾杯

あまりふざけたタイトルにすると、みなさん気が立っているところに神経逆なでかもしれないが、まあ何をどう言っても厳しいことには変わりないので、あえてお気楽なタイトルにしてみた。

3週間にわたって都知事選のことで気が気ではなかった。
この重大な敗北を、だまってやり過ごすわけには行かないので、すこし自分なりの総括をしておきたい。
私は細川支持で発言してきたので、その立場からの総括と言うことになる。

まず、いくつかの切り口を設定する。


■ 切り口 その1。
なぜ選挙で戦うのか ということ。

なぜデモや集会ではなく、選挙で戦うのかということを再度確認しておきたい。

まず第一に、小さな勝利を確定できるからだ。
デモや集会は、革命一歩手前くらいの状況になるまで、具体的な勝利は得られない。負けて負けて負け続けて、大きな犠牲を払い、場合によっては命を落としながら、それを乗り越えた大群衆が立ち上がったとき、権力者は妥協し、政策を変更する。

しかし、選挙という手段は、そこまでの犠牲と時間を払うことなく、小なりといえども一定の勝利を確定することが出来る。その範囲での権力を手にいれることができ、具体的な政策変更に手をつけることができる。
これが、選挙という手段を使って闘う最大の理由である。

選挙で戦う理由の第二は、デモや集会にはとても馴染まない(びびってしまう)人たちを引き込むことができるということだ。わりと普通に集会に出かける人には分かりにくいかもしれないが、あまりにも長い年月平穏を貪ってきた日本人にとって、デモに行くなんていうことは人生を左右するオオゴトなのである。
その現実から出発する以上、自民党はイヤだけどとても集会なんて行けない、という人たちの意志を集める手段は、やはり選挙と言うことになる。

もうひとつ、選挙で戦う理由の第三は、有権者の選択肢を作るためだけに立候補する場合もあるということだ。
選挙という手段、声なき声が声をあげる権利を、ギリギリ残していくために、負けを承知で立候補するということは、意味のないことではない。
選択肢のない選挙を続けてきたことが、日本の投票率の低さにつながっているのは、誰の目にもあきらかだ。だから、第一義的には選挙は勝たなければならないけれども、状況的にどう見ても勝てないときでも、負けを承知で立候補ということはある。


■ 切り口 その2。
今回の都知事選の本当の争点は何だったのか。

これはどの候補がどう訴えたとか、マスメディアが報じたとか、有権者のアンケートがどうだったとか、そいういうこととは関係ない。
日本の政治、社会の大きな流れの中で、今回の都知事選がどういう意味をもっていたのか、という客観的な話である。

日本が世界の中で、どんな国になるのか、その大きな曲がり角だった、ということだ。
既に方向指示器が点滅し、ハンドルがグイグイと切られている状況で、それを引き戻す可能性を残せるかどうか、それが、このタイミングでの都知事選の本当の争点だった。

原発の問題も貧困の問題も、この大きな転換の中での一つのピースである。もちろん、極めて重大なピースではあるが。

1990年代からの冷戦後という不安定な時代に、日本は卑屈なまでの従米に徹し、51番目の州と言われるほどになった。2011年3月までは、その流れに揺るぎはなく、自公政権が民主党政権になっても、その趨勢を変えることが出来なかった。それどころか、野田政権に至っては、自公以上のストレートな従米を露わにした。

しかし、3.11を境として、「米国にくっついていけば大丈夫」という奇妙な安心感は徐々に薄れ、言いようのない不安感が国民に広がっていく。
20代30代のこれから長く生きていかなければならない層にはヒーロー願望のような変革を望む機運が高まり、逆に60代70代の「逃げ切り」層には、このまま何事もなく無難に過ぎてほしいという願望が強くなった。

ともに、同じ不安感を根っこにしながら、「食えない」年代は変革を望み、「食える」年代は逃げ切りを望む、という大きな格差、断絶が生まれた。
そして、その状況に、安倍晋三はあえて火をつけようとしている。火をつければそれは、ファシズムという劫火になることを知りながら、己の権力欲を満足させるために、地獄のパワーを利用しようとしている。

ハンドルを切るという例えをしたが、そんな悠長なことではないかもしれない。
ダイナマイトの導火線にライターをかざしている安倍晋三を、目の当たりにした選挙が今回の都知事選だったのだ。
候補者がどう思おうが何を言おうが、文句なしに第一の争点は、この安倍晋三のライターの火を吹き消すことだった。誤解を恐れず言えば、他のことはそれから考えることだった。


■ 切り口 その3
マスメディアについて

多言を要しないだろう。今回の本当の勝者はマスメディアなのかもしれない。
メディアによって支配するということの、ひとつの実験だったとも言える。
この点についても触れないわけにはいかない。


■ 切り口 その4
ネットと現実の境目について

補足的な話ではあるが、今回の選挙ではネット上の言論によって、意識層はかなり左右された。
と同時に、大きな趨勢は、ネットとは無関係に決まっていった。

今後も、貧者の闘いにおいてはインターネットは無視することはできないので、この点も総括しておく必要があると思う。


■ 以上を踏まえて

以上、なぜ選挙をたたかうのか、何が争点だったのか、マスメディア、インターネット という切り口から、私なりの総括を簡単に書いておく。

まず、勝つ条件は何かというと、「争点にかみあっていること」「選挙用の準備をしていること」 これがすぐれた候補が勝つ。
その点で、間違いなく今回は舛添の圧勝だったと言うことだ。

争点にかみ合っているかどうかと言うことでは、舛添は「ほぼ何も言わない」という戦術を用いた。争点を争点化させないことを徹底した。
敵は勝ちさえすれば「安倍政権に承認を得た」」と言ってハンドルをガバッと右に切れるのだから、争点化する必要は全くなく、とにかく勝つことだけに集中した。

公約も演説も討論も、すべて無難なことしか言わず、目玉政策も出さず、何もかもをアイマイにすることによって、変化を望まない高齢者を中心に得票する作戦を徹底した。
それを、意識的に徹底したことが、まさに争点をハッキリと意識してとり組んだということなのだ。

選挙のための準備という点では、一つは連合東京の取り込みと、もう一つ特筆すべきはタモガミを立候補させたことだ。
自民の票をなぜ割るのか、石原慎太郎の狙いが最初は私も分からなかった。しかし、その後の進展を見ると、かなりの高等戦術だと舌を巻いた。
まず、あえてタモガミを極右候補とすることで、変化を望む若年層の受け皿として、宇都宮に流れるのを防いだ。タモガミの60万は、もしタモガミが出ていなければ1/2は舛添に流れるだろうが、1/4は棄権、1/4は宇都宮に行ったのではないかと想像する。

また、タモガミ立候補の最大の功績は、舛添を「いい人」にみせたことだ。
タモガミが余りにもトンデモなので、何も言わない舛添が普通の人に見えてしまうのだ。

宇都宮や細川と、真っ向から対決すれば舛添の本性は見えてくるはずだが、タモガミという存在があったために、舛添がまるで「中道」のように見えてしまい、無党派層からもかなりの得票を得ることになった。
これはとんでもなく高等戦術だ。

野田を追い込むために尖閣買取をぶち上げたり、維新を潰すために合併してみたり、今回のタモガミ擁立など、石原慎太郎は、嫌われ者になって自民党(というか息子)のために尽くす、という独特の働きをしている。

ここまでして、敵は勝つことにコダワリ、徹底的に闘いを挑んできたということだ。

そしてもちろん、マスメディア対策は万全だった。
2億5千万の政党助成金流用の疑惑に始まり、ありとあらゆる疑惑と醜聞のかたまりのような舛添を、まるでいい人、普通の人のように報道し続けた。
疑惑の疑の字も書かなかった。書いたのはわずかに日刊ゲンダイと週刊文春だけである。

なにせ選挙期間中に、新聞社やテレビ局の社長が安倍晋三と会食しているのだから、なにをか言わんやである。
(こんなブログが便利→首相の晩餐

極めつけはこれ(@TOHRU_HIRANO さんより引用)

20140210-1 (Custom)

あとでも触れるが、話題性抜群の細川&小泉については徹底的に無視をして、お茶の間には「無難に人気のある」舛添の姿を流し続けた。
もし、あのがらんとした舛添の街宣風景がテレビで毎日流れていれば、おじいちゃんおばあちゃんも「アレ?」と思ったかもしれないが、そんなスキは作らない周到なメディア戦術をとっていた。

もはや、日本国民をもっとも直接に支配しているのは、政治家でも官僚でも警察でもなく、マスメディアであると断言しても良いだろう。
敢えて、かどうかまでは分からないが、醜聞だらけの舛添を候補にすることで、どこまでメディアによる支配が徹底するものかどうか、実験をしたのではないかとさえ思う。
この舛添を当選させられれば、まあたいていの人間はメディアの力で当選させることができる。敵にとっては、そういう意味で重要な闘いだったのだろう。

■ 細川さんの闘いを振り返る

以下、敗因を考えてみるが、まずは候補者、選対、勝手連のみなさんに、全力で闘っていただいたことに心からお礼を言いたい。
現実の状況の中では、本当にミラクルなすばらしい闘いをしていただいたと思う。
ここで敗因を探るのは、当然ながら、ケチ付けや責任追及のためではないことをハッキリさせておきたい。

細川さんの敗因は、突き詰めれば一つだと私は思っている。
この15年の変化にキャッチアップしていなかった、ということだ。
私の設定した切り口に沿って言うならば、本当の争点を意識しきれなかったともいえる。

もちろん、安倍政権の危なさに対する危機感が細川さんを突き動かした大きな要因だったことは間違いない。ご本人もそう言っている。
が、残念なことに、その危ない政治の背景には、この15年間で激変した格差社会があるということに、細川さんの意識と公約は気がついていなかったように見える。

あるいは、格差の現実は見えていても、それこそが安倍が火をつけようとしている導火線の先にある爆弾だと言うことにまで、思いが至っていたようには見えない。
それが「脱原発=金持ちの道楽」という若い世代のニヒリズムをかえって煽る結果になってしまった。

細川さんが脱原発を最優先課題にあげたのは、本当に危機感があったことに加えて、いわゆる保守系から革新系まで幅広く反安倍の共闘をするには、脱原発しかないという思いもあったのではないかと推測する。
それは政治家や活動家レベルではそうだったかもしれないが、国民レベルではかならずしもそうではなかったということが、結果となって現れている。

また、選挙戦として必勝を期したかという点では、やはり統一問題がある。
細川さん自身が統一を望まなかったのだから、これは必勝を期したとは言えない。
統一できなかった時点で、99%負けは見えていた。
よって、一定の勝利を確定するための選挙という意味では、闘う前から終わっていたと言える。

私は、細川さんを支持し、細川で一本化を望んでいた。これは選挙だから当然のことだと思っている。
ただ、なぜ宇都宮ではなく細川だったのかという点では、多くの細川支持者とは見方が違う。
宇都宮で一本化すれば、細川の票は、半分は舛添に流れてしまうだろうと見たからだ。
票どころか、選対だってその可能性があった。

しかし、細川で一本化すれば、宇都宮の票は泣きながらでもほとんどが細川に流れる。
その判断を、冷酷だとか心がないと言われればその通りで、米国の大統領選挙の予備選のように、昨日まで憎しみの限りをぶつけていたのに、ケロッとして支援に回るような厚かましさがなければ、民主主義なんて言う方法で権力をとり、政策を変えることなんてできない。
政治的な主張や行動と、個人の感情が区別できないから、日本人はどこまでも支配され続けているとも言える。

票を増やして勝つということは、アイマイなぼやっとしてゆるい支持を増やすと言うことであり、固い票をより固く固めると言うことではない。
だから私は細川一本化を望んだのであり、それは今でも間違っていたとは思わない。

しかし現実は、候補者本人を筆頭に、そこまで無理をしてでも一本化して勝たなければならないという危機感が無く、こういう結果に終わった。
これで安倍晋三は,心おきなく導火線に火をつけるだろう。その火が爆弾まで到達するのに、1年なのか3年なのか、それは分からない。しかし、その時が来れば、「なぜあの時・・・・」と関係者一同がほぞを咬んで2014年2月を思いおこすことになるだろう。

もちろん、闘いがこれで終わるわけではない。戦前日本のような特高警察が闊歩するようになろうが、もう一度原発が爆発しようが、人類が絶滅しない限りは、未来永劫、悪政とそれに対する抵抗は何らかの形で続いていく。
ただ、今回の選挙で勝った場合と負けた場合で、その厳しさは大きな差があるということだ。

その厳しさにもかかわらず、今回の選挙は大きな意義もあった。
街頭が解放されたと言うことだ。

これは選挙という本旨とは外れるが、選挙を単に運動の手段として考えるならば、あれだけ多くの人々が街頭に溢れ、意見表明の場となることを目の当たりにした経験は大きい。
とくに、従来デモや集会などには怖くて行けなかった人が、選挙演説という敷居の低さ故に参加できた。
ツイキャスを撮ってくれていた担当者がナレーションしていたが、何かコンサートの後のような、良いもん見たなあという感覚を持ち帰ることができた。

これからの厳しい弾圧を想像すると、単純には喜べないが、やはり日本の民衆の経験としてはとても大きかったと思う。


■ 話を敗因に戻す

細川陣営の敗因は、15年の変化にキャッチアップしていなかったことだと書いた。
それは、格差社会こそが火薬庫なんだという認識が薄かったこと。
そしてもう一つは、マスメディアの変質に気がついていなかったことだ。

自身が朝日の記者だった細川さんは、まさかここまでマスメディアが権力と一体化しているということに、選挙戦が始まるまで気がつかなかったようだ。
おそらく、小泉さんとダブルで演説すれば、テレビにバンバン流れると踏んでいたのだろう。

たしかに当初は、朝日と毎日は好意的に報道し、産経と読売と日経は批判的という形になった。しかし、数日後には例によって「無視」が始まった。
ネガキャンではなく無視をするのが一番有効であるということは、小沢一郎に対する攻撃でメディアは経験済みだった。

そして先にあげたように、古巣の朝日ですら映像にモザイクを入れ、ほとんど偽装とも言える手法で舛添に肩入れした。
同じく報道ステーションで4候補対談という企画でも、細川さんに発言が回るときは「時間がありませんが・・」と10秒しか発言させないという徹底ぶりだった。

あの無視抹殺を経験した生活の党の面々が選対に入っていたのに、なんで・・とも思うが、やはり細川&小泉W元首相というインパクトは大きく、とくに昨年秋に小泉さんが脱原発を言い始めたときはマスメディアは諸手を挙げてもてはやしたのだから、甘い期待をしてしまったのもしかたないのかもしれない。

しかし、もうそんな幻想は捨てなくてはならない。
マスメディアは、個々の社員や記者の思いとは別に、広告主と自民党の広報機関だということだ。映像を改ざんしてまで、権力の意志を国民に刷り込む謀略機関と言っても言い過ぎではない。

ただし、今回に限っては、別の方法もあったようには思う。
細川さんの公約をもっと緩やかにしてしまう、という方法だ。

脱原発もややゆるくして、自然エネルギーを前面に出し、もう少しウケの良い政策をちりばめる。
自民党もあとでそれなりに組めるかな、と思わせるゆるーいリベラルを装えば、メディアもここまでやらなかったかもしれない。

そして、たぶん細川さんもそれはある程度意識して、自民党議員からもかなりの応援が来ると踏んでいたのではないだろうか。
しかし、即時原発ゼロ、を言った時点で、原子力村の巨大利権派それを許さなかった。
現代は、ゆるい中間派の存在を許さない状況になっている。その厳しい現実を、細川さんは読み違えたと言える。これもまた、15年のギャップということだ。


■ インターネット

細川陣営のネットに対する取り組みは、最後の1週間になってようやく体制を整えた。
これは準備期間のなさでもあるが、ネットに対する認識の薄さでもあった。
やはり当初はマスメディアに期待があったのだろう。ネットについては、ほぼ何もないと言っても良いくらいの有様だった。

後半の様々なネット作戦はかなり面白いものがあり、今後に向けて大いに参考になると思う。
とくに、ネットとリアルをつなぐという意識が強くでていた。

今の時点では、1000万人を母数とする小選挙区で、ネットを使って大きな風を起こすことは、まだまだ難しいが、今後はよりいっそうネットを活用するしかない状況になっていくだろうから、今回の経験は大きな糧になるだろう。

さて問題は、支援者のほうである。
ここで私が言いたいのは、ネットの匿名性と責任の所在だ。

ネットは一応匿名性があり、個人を特定されずに発言できるという自由がある。それ自体は否定されるべきではない。これを否定して、全部個人を特定されるようなことになると、秘密保護法どころじゃない超管理社会になってしまう。

しかし、発言に責任を持つということは、やはり個人の人格の問題だ。どこの誰だかまったく分からないでは、責任を問われることが無く、好き放題の放言と言うことにもなる。
実際、今回の選挙においては、どちらの支持者からも、見るに堪えない罵詈雑言の類が飛びかった。

この罵詈雑言を規制するのはネットの死、言論の死を意味するのであり、そうではない方法を提案したい。

と言っても簡単だ。
匿名の発言は、尊重するが無視しても良い というルール、モラルにするのだ。
匿名の発言はどんどんあって当然だし、良い意見はしっかり耳を傾けるけれども、何だコイツはというような発言はさっさと削除する。目に入っても無視する。

話がこじれるのは「反応する」からだ。
反応しないと「逃げている」、誠実じゃない、ずるい、という意識が働いて、罵詈雑言や著しく礼を失する発言に反応してしまうから、どんどんドツボにはまっていく。

面と向かっては絶対に言えないだろうというような発言は、内容の如何にかかわらず、無視すればいいのだ。
発言するのも自由だが、無視するのも自由。

ただし、匿名ではない発言は別だ。
個人を特定しての発言は、それはネット上であったとしても、面と向かって発言しているのとかわらない。
どこの誰だかが明確であれば、あのような罵詈雑言はなかなか発することはできない。
私自身、それを自戒する意味も含めて、実名での発信にしている。

本当に議論を深めたいのであれば、どこかで思い切って実在人物になって、ネット「上」ではなくネットを利用した議論に参加するべきだろう。

本当の匿名などネットにはないということでもある。
秘密保護法が施行されるまでもなく、警察はネットから簡単に個人を特定している。米国のNSAが世界中の何億通のメールを分析していることも報道されている事実だ。
ペンタゴンの作ったインターネットという仕組みに、本当の匿名があると思う方が幻想だろう。

だから、あまり意味のない話題を書いているうちは匿名で済むかもしれないが、意味のある濃い内容を発信し始めたら、あまり匿名だとは思わない方が良い。それを前提に行動する方が、私はむしろ安全なのではないかと思う。

というわけで、匿名の発言と、特定された人の発言は、分けて考えるというネットリテラシーを皆の心の中に持っておけば、実在するかどうかも分からないネット上の有名人に振り回されることはなくなる。参考までに拝聴するだけだ。

■ というわけで

これから数年間は、非常に厳しい状況での闘いが予想される。
この15年間で進んできた、「妥協」から「強制」への政治の基本姿勢の変化が、ここにきて完成をみるだろう。「妥協」のもとに少数派を保持してきた勢力は、もはや妥協をゆるさない異次元の弾圧におののくだろう。
「妥協」では済まないことに気がついて多数派を目指してきた勢力は、より一層の迫害に耐えていかねばならない。
そして、その目の前で、不満を鬱積させた若者を中心に、ファシズムの火が燃え上がることになるだろう。

その時になって、「なんであの時」と言い合うような醜態だけはしたくない。
負けてしまったことはもう確定したのだから、この先の苦しい時代を見据えて進むしかない。
ただでさえ苦しい時代を、より一層苦しくするような、そんなバカな真似だけはしたくない。

なんとか戦争を食い止めるために、何ができるのか。
カラ元気や決意表明ではなく、地に足を付けて考えたい


■ 追記

今回の選挙を見ていてもう一点痛感したのは、私の世代の責任だ。
ジャパンアズナンバーワン(1979年)からバブル(1989年)までに社会に出た、50代半ばから40代半ばの私の同世代は、戦後の時代で最も無風の時代を生きてきた。
60代が経験した安保闘争は、せいぜい幼い記憶でしかないし、この15年間の不景気のダメージもマトモにくらった20代30代ほどではない。

ほぼ何も主張せずに生きて来られた私たちは、大きな世代のギャップを作ってしまったようだ。これまで運動を引っぱってきた60代以上人々の言葉と、今動き始めた20代30代の人々の言葉が通じなくなっている。先に述べた経済格差とも相まって、お互いが異物に感じられているようだ。

私たち中間の世代の責任は重い。これもまた、これから何をすべきか、の大きな課題である





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