2016-01-31(Sun)

安倍晋三の強さと弱さを分析してみる

今の世の中は、勧善懲悪の二分法では理解できない。

右翼と大企業とアメリカも全部一緒くたにして悪人だ、というようなものではなく、ある程度は勢力分けしておいた方が良い。

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これは、一昨年6月の記事に書いた図だ。 (政界のことが10分で分かる解説 「敵を知る」編

こうやって見てみると、なぜ安倍政権がゾンビのように続くのかがわかる。①~④までの、すべての勢力にいい顔をする政権だからだ。

たとえば、小泉・竹中などは①。福田は②と③。民主党の菅・野田は①と②。おおさか維新は③と④の中間の「ねたみ」に依拠している。などなど、全部を網羅する人間はそういない。
そんな中で、安倍晋三は全部から期待され、全部にいい顔をしているから、いくらアホボンでも絶対に倒れないのだ。

ちなみに、米国も一枚岩ではないことがこの2年間で顕著になってきた。米国大統領を執事として使い倒す「新自由主義」と、米国軍を番犬とする産軍複合体とは、かならずしも利害が一致しない。
前者にとって利益になる戦争は好むがそうでない戦争は回避する。しかし、後者にとっては大きな戦争ほど好ましい。

日本に対する要求も当然違ってくる。
前者は在日米軍は整理したがっているが、後者は思いやり予算で沖縄に居残りたい。
前者はカネを出させることが第一だが、後者は戦争準備が第一。
この米国の二つの流れに対しても、安倍晋三はなんとか両方にごまをすってきた。

とはいえ、安倍の本音、本籍がどこにあるのかというと、上図の④=ファシズムにたいする憧れである。独裁者になるために、今のところ他の勢力ともよろしくやっているというのが本性だろう。
これは、オバマもお見通しなので、安倍のことが大嫌いなのである。
「安倍晋三を野放しにしておくと、何をするか分からない。とはいえ、カネずるとして足蹴にするわけにも行かない。くそ!」というのがオバマのあの、安倍晋三を見るときの苦虫をかみつぶしたような表情に現れている。

新自由主義や官僚は、必ずしも日本の戦争準備を手放しでは喜ばない。特に、中国との直接の衝突は望んでいない。
中国本土での戦闘は避けろ。海上封鎖だけでダメージを与えろ。というのがオフショアバランス戦略であり、米国で主流になっている対中国戦略である。
だから、安倍晋三のような男は、本当は危なっかしくて使いたくないのだが、今の日本の状況で、四悪を等しく納得させられる人間は、安倍晋三しかいないため、オバマ我慢している。

こうして、何があっても「問題ない」。何があっても「責任は私にあります。で何か?」 で不沈空母のように揺るがない安倍政権であるが、よく見れば、2014年頃から流れが変わっている。
あのドリル優子など、閣僚の汚職や不祥事が表沙汰になるようになった。あきらかに、力のバランスが崩れ始めたのだ。

安倍にとって幸いなことは、マスメディアコントロールを徹底していたことだ。次々とスキャンダルが暴かれても、官房長官が「問題ない」とひとこと言えばマスメディアは沈黙した。
また、官僚組織に一切逆らわずに聖域に手をつけないことで②からの邪魔も入らないようにしたので、③の不正は暴かれても、巨悪は巧妙に隠されてきた。
この1年、安倍はそうやってきわどく生き延びてきた。

■■

今回の甘利の汚職暴露は、これまでの小物とは違う。TPPの立役者であり、安倍晋三の腹心とも言える実務担当である。
しかも、明らかに計画的にしくまれていた。メディアが一生懸命に言っていたように、罠だったのは間違いない。
ただ、いくら罠だったとしても、まんまと懐に入れたのだから罪であることは言うまでもないが。

安倍晋三が辞任会見の直前まで慰留していたにもかかわらず守り切ることができなかった。
これは、安倍をすげ替えようという2014年秋以来の動きが本格化してきたのではないかと、私は見ている。

ドリル優子らの一連の小物スキャンダルが第一の矢とすれば、今回の甘利辞任が第二の矢。では、第三の矢は誰に刺さるのか。私の予測では、菅義偉ではないかと思う。
安倍晋三が持ちこたえられなくなる限界は、たぶん、菅官房長官だろう。

実は、菅には昨年5月に日歯連マネーの迂回融資が報道されている。

特捜部捜査の日歯連から菅官房長官に3000万円流れた疑惑報道

2004年の裏献金事件で橋本龍太郎が政界から抹殺され小泉の新自由主義政権が暴走する下地作りとなったのが、まさに日歯連事件だ。
個人経営の歯科医が主体である歯科医師会は、一般の医師に対して比較的立場が弱いゆえに、日歯連を通して莫大な政治献金を拠出し、組織内候補も強力に国会に送り込んできた。
その強引な手法は組織内でも批判があったようだが、結果的に疑獄の仕掛けに持ってこいの存在となっていたようだ。

そんな日歯連の実力者であり、昨年の迂回融資で逮捕された高木幹正前会長と、菅義偉官房長官とのパイプの太さをあらわすのが、かの迂回献金である。

政界とのパイプ強化、前面に 逮捕の日歯連前会長
2015年10月1日 朝日


昨年発覚した迂回献金自体は違法にはならないかもしれないが、すでに「握られている」可能性はありうる。
ディープ横浜の人脈で政界にのし上がった菅義偉だけに、これまでは安倍の傘で守られてきたけれども、叩かれれば出る埃はいろいろあるのかもしれない。

【総理の影・菅義偉の正体】(06) 菅が築いた“最強の人脈”


この菅義偉に火の粉が飛ぶようなことがあれば、いよいよ安倍政権の命脈がつきるシグナルだ。
場合によっては、予算審議後の5月に総辞職&総裁選ということになるかもしれない。

■■

しかし、もし安倍晋三の命脈がつきるようなことがあっても、また、その際にいわゆる「ハト派」が政権についたとしても、それはあくまで新自由主義・国際金融資本の意向によるものであって、日本の民衆の力ではない。

そして気をつけなくてはならないのは、③土着利権、④ファシズムを切り捨てるという流れの中では、おおさか維新は捨てられて、民主維新は取り込まれる可能性があるということだ。
逆に、典型的な①政党であるみんなの党を母体とする維新と、①②に忠誠を誓ってクーデターを起こして小沢一郎を排除した民主は、大連立に取り込まれる可能性がある。

改憲、安保法案という戦争マターを掲げる安倍晋三だけを主敵に据えて考えていると、したたかな自民党には勝てない。
敵は、勝つためには何でもやる。安倍晋三が④に寄りすぎて、①に嫌われたとみれば、バランスをとって別の顔を立ててくるだろう。
まず勝。しかる後に考える。というのが自公の強さの秘訣なのだ。

日本が直接戦争に出かけていくリスクは数年先延ばしされるかもしれないが、その分、日本の財産はどばっと持って行かれる。かつての経済大国は、ため込んだ資産を根こそぎ奪われて、貧困大国へと転落していくだろう。

ただし、政権が揺らぐことはひとつのチャンスではある。安倍を打倒したぞなどと浮かれるのではなく、あくまでチャンスとして何をつかむのか。もし5月総辞職という、一般には驚がくの事態になったとしても、そのくらいの冷静さで受け止めなければならないだろう。
そうだとしても、盤石に見えた安倍政権に、甘利辞任というきしみが見えたのはいいことだ。

こちらの得点ではないにしても、敵失を指をくわえてみていることはない。


2016-01-27(Wed)

炊飯器の蓋から経済を考えてみる

たぶん1980年代だと思う。テレビコマーシャルで、炊飯器の蓋がはずれるということがセンセーショナルに宣伝された。
もちろん、はずして洗えば衛生的なのだろうが、私はあのコマーシャルを見て、日本の資本主義は峠を越えてしまったのだなと、その当時漠然と感じたのを覚えている。

なぜ蓋がはずれることと、資本主義の衰退が関係するのか。
蓋がはずれることに限らず、いわゆる「付加価値をつける」と言われることの多くが、経済をダメにしているのではないかと、私は考えている。なぜか。

資本主義の社会というのは、少しずつでも成長していないと成り立たない。
役人の給料などの社会的な費用が必要なので、生産活動がプラスマイナスゼロでは税金が賄えなくなり社会は破綻する。
逆に、プラスマイナスゼロの会社から税金をむしり取ったら、わが明月社のようにジリ貧で苦しまなければならない。

資本主義が社会を構成せず、国家も運営せず、むき出しの経済活動だけで成り立つのであれば別だが、そうで無い以上は必ず成長し続けなければならない宿命にある。
では、経済成長とは何かといえば、シンプルに考えれば生産-消費 のサイクルが拡大することだ。たくさん作ってたくさん売れる、ということ。
暮らしが豊かになるとか、人口が増えるとか、戦争や災害で一時的な欠乏が生じた後とか、そんな現象で経済は成長していく。

では、こういう方法はどうだろうか。
買ったものを半分捨てるという法律を作るのだ。確実に売り上げも生産も倍になる。成長率100%の妙案ではではないだろうか。

言うまでないけれども、買ったものを半分捨てる社会では、人々はどんどん貧乏になって必要以上のものを買うことができなくなり、必要最小限のものを買い、それでも半分捨てるから栄養失調になり、最後は死に絶えるに違いない。
ここから分かることは、成長してたくさん買ったものは、次のより多くの生産のために役立たなければ、貧乏になるだけだ、ということだ。

おいしいご飯を食べて健康になるのなら、それは生産効率のアップになるし、医療保険という社会的費用の節約にもなる。
しかし、必要以上に食べたり、使える炊飯器を捨てて新しいものを買う行為は、実は、先ほどの半分捨てる社会と本質的におなじなのだ。

必要を満たすまでは、経済は順調に成長するけれども、そのピークを過ぎると、無駄なものを買わせて無理矢理に売り上げを拡大し、成長していることにしてしまうのである。
1980年代というのは、まさにそのような曲がり角であり、あの蓋の取れる炊飯器の賑やかしいコマーシャルは、その象徴だったように思えるのだ。

もちろん、純粋に無駄なものというのはあまりなく、次の生産に寄与する面と無駄な面とがいろいろな割合で共存している。
例えば、携帯やスマホ。なるほど、生産効率のアップにも役に立っているだろう。しかし、個人が毎月何万も負担する以上の寄与があるだろうか。かなりの部分はただ消費され、多くの人は携帯やスマホのために貧乏になっている。

パソコンは、5万円で5年くらい使えるから、これは元が取れそうな気がする。
しかし、年賀状印刷しか使っていないようなパソコンは、経済的には捨てているのとほぼおなじだし、何より今は必ずネットがセットになり、これまた毎月数千円取られている。
ネットにつながったことにより、給料が数千円上がるような効率化ができているとは思えない。

今、あえて家計のことに話を絞っている。
スマホもネットも、会社では充分に元が取れているだろうが、「売り上げ」というのは最終的には家計だ。
工場や会社での需要は、あくまで何かを作って売るための中間なので、最終商品を家計が買ってくれなければ、これまた無駄な在庫を作るだけになり、やはり半分捨てる社会とおなじことになる。

こうして考えてみると、現在の日本の家族の暮らしは、恐るべき無駄だらけではなだろうか。
半分捨てる法律こそ無いけれども、食品は実際におびただしい量が捨てられている。聞くところでは、日本の食糧の2割以上にあたる1800万トンが廃棄され、その半分近くはまだ食べられる「食品ロス」だとか。

農水省の資料
(PDF開きます)

その他、家計で購入しているものを見ても、それは過去の生産拡大にはたしかに寄与しているけれども、次の生産の役に立つものがどれだけあるだろうか。
あってもなくてもいいものを、「欲しい!!」と思わされて、徐々に貧乏になりながら購入し、見せかけの経済成長を支えてきたのだ。

分かりにくいのは、全体のボリュームが大きくなっているので、いらないものに囲まれた日本人は、一見豊かに見える。
しかし、明らかに成長の速度よりも無駄を作る速度の方が大きいので、無駄を全部取り除いたむき身の姿では、80年代以降、徐々に貧乏になってきたのである。

そこに加えて、以前から指摘しているように、国際金融資本が日本の富をどばっと海外に流出させ、海外での売り上げは対外資産という美名とは裏腹に日本に持ち帰ることもできず、さらにはシロアリ官僚の皆さんが特別会計やら独法やらの隠れ資産にため込んでしまうのだから、これはもう貧乏にならない方がオカシイ。

世界を食い物にする国際金融資本や、シロアリ官僚などから解放されないと、自分たちが働いた対価をまともに手に入れることはできないのであって、まず第一義的にはこれを批判しなければならない。
と同時に、今はまだ夢物語かもしれないが、「ではどうするか」も考えるべきだと思う。

生きて生産するための需要は充足してしまった社会で、次の一歩はどう進むべきなのか。
この答えを探さなければ、いくら政権交代と言っても、いざ交代した後におろおろして、結局シロアリさんたちに手玉にとられることになる。

学術的なゲームや言葉遊びではなく、10年後の進むべき方向を、今から考えなくてはならない。

炊飯器の蓋のことを思い出しつつ、そんなことを考えている。



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2016-01-26(Tue)

保革に架かる吊り橋をあえてゆさぶってみる

めざましい成果は出ていないものの、兎にも角にも保守と革新の連携が始まっているのは確かであり、歴史的な地殻変動の兆候といえる。
しかし、抱える課題はかなり大きいと言わなければならない。

■■

まず、保革連携をめざしている勢力自身が、保革連携ということが歴史的であり、戦後史を画することなのだということを自覚していない。選挙に向けての期間限定&課題限定の戦術だと思ってやっているように見える。

無自覚にすごいことをやってしまうということもあるけれども、常に敵との緊張関係の中ですすめるものであるから、やはり自覚的に進めなくては、本当の本質をそらされてしまうのではないか。
敵は、保革連携の本当の「力」を知っているからだ。

戦後史の核は「植民地民主主義」だ。
そういう用語は聞いたことがなくても、あまりに強力な従米と、見せかけの民主主義が戦後史の基本骨格であることは、多くの人に納得してもらえるのではないだろうか。

従順に従米である限りにおいての民主主義。これは、1945年当時、大日本帝国の復活と共産主義革命という二つの「脅威」を押さえ込むためのマッカーサーの戦略である。
大日本帝国の復活をもくろむ勢力に対しては民政局がこれを押さえ、共産主義革命を企む勢力はG2が弾圧した。

そして、日本を形式的に独立させるときに、民政局の機能を革新に、G2の機能を保守に担わせたのである。
巧妙だったのは、それぞれに、錦の御旗を一本ずつもたせたことだ。
保守には「独立」、革新には「民主主義」

1945年から52年にかけて、日本が真にやらなければならなかったことは、自らの歴史を自ら償い、独立した民主主義を確立することだった。しかし、米国の占領政策は、日本人を独立派と民主主義派に分裂させて争わせたのだ。
そして、日本人は見事にその戦略にのっかり、70年間疑いもせずいがみ合い続けてきた。

保革連携が、戦後史を画することだというのは、そういうわけだ。
70年間のマッカーサーの呪いを解くことになる。そして、それにたいする反動もまた、すさまじいものがあるだろう。
小沢一郎さんが徹底的に攻撃されたのは、彼はまさにここに自覚的に手を突っ込んだからだ。
今歩み寄り始めた保守も革新も、仲介を担う人々も、その自覚を持ってもらいたいと切に思う。

■■

ふたつめの課題は、双方にある思い違いである。

どうも見ているかぎりでは、保革それぞれが 「やっとあいつらも分かってきたな」と思っている節がある。
革新は 「保守が昔を反省して革新に近づいてきた」 と思っているし、保守は「革新がやっと本気になって保守に近づいてきた」 と思っている。

要するに、まず自分の立場を痛切に顧みて、痛みをこらえながらの連携にはなっていないように思える。
お互いに寛容の精神だとばかりに、相手の非を責めないことで成り立っている連携は危うい。
これまで連携できなかった要因を、まず自分の側に見いだし、変化する覚悟をもって臨まなければ、ちょっとして行き違いでもろくも崩れていくだろう。

保守にも革新にも、五分の理があり五分の非があるのである。
そのことを、お互いに解きほぐしながら理解していかなければ、選挙期間だけの協力はできたとしても、歴史的な地殻変動にはつながらない。

そして、そうした深い連携でなければ、国民の心にも響かないのではないだろうか。
「しかたない」というのが見え見えの連携は、有権者にもそのようにしか見えない。
違いはたくさんあっても、深いところで理解し合える関係があって初めて、「ひとつの勢力」として国民に訴える力を持ちうるのだ。

そのための作業は、まったく手つかずと言っていい。そういう作業が必要だという話すら始まっていないのが現状ではないか。

■■

もっと簡単なことで言うと、まずは保革がお互いの「違い」を知ることからではないだろうか。

今は、大同小異とか言って、違いに目をつぶって同じ目的だけを口にしているが、そんなオッカナビックリの関係ではことは成せない。
勇気を出して、何が違うのか、じっくりと語り合うべきではないか。
天皇や日の丸について。国家というものについて。お金について。などなど。。。。。

相容れないことももちろんあるだろうし、意外と突き詰めたら同じことだったということもあるかもしれない。
おおざっぱに言って、保守は「清濁が混じっているのなら併せのむべきだ」と言い、革新は「清濁併せのんでいるけど濁は飲んでないことにする」と言う。
保守は、濁りを飲んでるという自覚がある反面それを開き直っている。革新は、濁りを飲んでいることに目をつぶって濁りは濁りだと言い続ける。

真実は、濁りは濁りであり、しかしそれを飲んで生きているのである。
その自覚は、似たもの通しの会話からは生まれない。保守と革新という、正反対の世界で生きてきたものどおしが本音で語り合う中から、新しい世界は生まれてくる。
それを信じて、痛みを恐れずに深い話をすることが、本当の保革連携のための近道ではないかと思う。

今はまだ「しかたない」保革連携を、本当に戦後史を画する保革連携にするために、両陣営のなかの心ある人々が、勇気ある歩み寄りを始めることを期待したい。
私も自らの傷の痛みを感じながら、わずかでもそのような機会作りをしていきたいと思う。



2016-01-25(Mon)

宜野湾市長選挙の残念な結果を見ながら

昨日投開票された宜野湾市長選挙は、残念な結果だった。

佐喜真氏が再選 宜野湾市長選 志村氏に5857票差
2016年1月24日 琉球新報

任期満了に伴う宜野湾市長選は24日夜に投開票され、政府・与党の支援を受けた現職の佐喜真淳氏(51)=無所属・自民、公明推薦=が2万7668票を獲得し、元県幹部で翁長県政与党の支援を受けた新人の志村恵一郎氏(63)=無所属=の2万1811票に5857票差をつけて再選を果たした。

 米軍普天間飛行場の返還・移設問題が最大争点になった今回の市長選で、名護市辺野古移設を進める政府・与党が推す現職が勝利したことで今後、安倍政権は移設作業を強硬に推し進めることが予想される。
 佐喜真氏は政府・与党の全面支援を受けて自公幹部らを水面下で投入して企業・団体票を固めた。与党市議団が地域をくまなく回る「どぶ板選挙」を徹底して支持を広げた。普天間問題では「固定化阻止」を強調して争点化を避け、経済振興や子育て支援の実績が市民に評価された。

(引用以上)

どぶ板で現職の強みを発揮したこともあるが、普天間基地の固定化阻止を掲げて基地反対派をも取り込んだことが大きいのだろう。

双方が普天間の返還を言う中で、どちらがより現実的に一刻も早く返還されるのか、という市民の判断になってしまった。
政府方針通りに辺野古に押しつけての返還か、県内移設を拒否しての返還か、普天間の地元としては本音では前者が現実的だと考える人が多いのは致し方ないことだといえる。
そのなかで、たとえ茨の道でも辺野古反対に投じた人が、得票率で44%もいたのはむしろすごいことだと思う。

とはいえ、負けは負けであり、惜しかったとか善戦したとかでお茶を濁すべきではない。
(と、何のお手伝いもできなかった私ごときが言うのはおこがましいのは承知の上だが、先に進むためには厚かましく批評させてもらう。もちろん、外から見た表面的な見方に過ぎないけれども。)

まず、第一印象としては、保守の強みを活かしていなかったように見えた。シムラ氏のプロフィールを拝見すると、県の幹部職員として建設業界とのパイプもあるようだし、お父さんが自民党の元県議会議長とのことで、典型的な保守の方ではないかとお見受けするのだけれども、そういう面をあまり出さずに、辺野古反対を前面に出しすぎたのではないかという気がする。

翁長知事の選挙の時は、10のYESと3のNOというように、辺野古反対を明確にしながらも、沖縄の将来像を肯定的かつ現実的にに描いていた。
名護の稲嶺市長も、選挙の時の演説をネットで拝聴した印象では、辺野古のことも言うけれども、市民生活に密着した話をかなりしていたように思った。

私は、「正義で勝てる選挙はない」 と考えている。
これは、善悪の話ではない。宜野湾市民を責めているのでもなければ、選挙に正義はないと選挙を貶めているのでもない。
ほとんどの人は、まず、自分の暮らしがどうなるだろう、という観点で投票するものだ、ということだ。
ここを考え違いしているから、「世論調査と選挙の結果が違う。不正選挙だ」という話が出てくる。

原発や安保法制などの世論調査の賛否の割合と、選挙結果が違うのは当たり前だ。
各課題の世論調査は、「正義」の問題であり、投票は明日の生活だからだ。
明日の生活を考えたら、多くの人は体制に寄り添おうとする。これはある意味当然だ。

権力にまつろわぬもののヒロイズムを賞賛しながら、投票では権力に投じるのが、たくましい庶民というものだと、うぶな政治市民は思い知らなければならない。
自らを「市民」とか「リベラル」などと自覚する特殊な人たちは、2012年から続く数々の敗戦に、謙虚に学ばなければならない。

■■

ひるがえって、今年の参院選を考えたとき、戦争法案や改憲だけで戦おうという議論は自滅行為だということができる。
もちろん、世論調査をすれば、戦争法案も改憲も圧倒的に反対が上回るだろう。しかし、それは投票の基準にはならないのだ。
これだけ負け続けて、そのことを学ばないのは、口さがなく言わせてもらえば利敵行為だと思う。

戦争法案を廃案にし、改憲を阻止しなければならないからこそ、それだけを掲げて戦ってはいけないのだ。
庶民の明日の暮らしを、「なるほど」と思える明るさで照らさなければ、選挙では勝てない。絶対に勝てない。
今回の悔しさから、そのことを学ばずに、有権者が悪いかのような総括をすることは許されない。

自公政権は、そのことを骨身にしみて、もう本能といえるレベルで理解している。
だから、株価が暴落して、あらゆる経済指標が悪化しているなかで、ウルトラCの手段を使ってくるだろう。

あり得るケースは、安倍が5月くらいで退陣して、一見ハト派の谷垣あたりが首相になり、消費増税の延期を発表するというもの。
その流れの中で、民主党+維新の党との大連立ということもないとはいえない。
(もしそうなれば、おおさか維新は当て馬で使い捨てということになる。)

TPPの「功労者」である甘利を切り捨てる動きは、その始まりの可能性がある。
そうなれば、戦争法案や改憲は完全に争点をはずされ、地滑り的に自民党が圧勝することになる。
そして、やつらは、勝ってからことを始めるのである。

であるならば、こちらはそれ以上の「勝利の執念」がなければ、勝てるわけはない。
金も人も情報も、何もかも不利な条件の下で、勝てるとすれば「執念」だけだ。その「執念」で負けていたならば、どう転んでも勝てるわけがない。

勝負は、「執念」を持った勢力をどれだけ作れるか だ。
「正義」をもった勢力は想像以上にたくさんいるけれども、それでは勝てない、というのが貴重な貴重な教訓だ。
今年の参院選には間に合わないかもしれないが、今後数年の間に「執念」をもった勢力をどれだけ集められるか。
そこに未来がかかっている。

2016-01-13(Wed)

届く言葉を

■2500万:1800万:1200万

 2003年以降9回の国政選挙の比例票の推移を見ると、自公は2500万を中心に増減していますが、反自公(民、共、社、生)は2010参院選までは、なんと平均で3000万もありました。 しかし2012衆院以降は激減し、ほぼ1800万。つまり、1200万人が民主党の裏切りに見切りをつけ、棄権していると考えられます。

20160113-1.png
(単位:万票  数字に間違いある時はご指摘下さい)

 この人たちは、自公に寝返ったわけでもなければ、共産、社民、生活に流れたわけでもなく、一部は維新やみんななどの玉虫色政党に投票し、ほとんどは積極的な棄権をしているわけです。 あえてカテゴライズするならば、非自公・非革新の保守層と見ることができます。  この人たちが棄権し続けるのか、反自公に復帰するのかが、天下分け目となります。

 問題は、この、非自公・非革新の保守層には、今反自公の勢力が発している「革新用語」は、いくら訴えても届かないということです。

 もちろん反自公陣営には、小林節さんのような改憲論者もいるし、小沢一郎さんのような根っからの保守の人もいるけれども、安倍晋三の極右突出が激しすぎるために、こうした保守の論者までが「革新の言葉」になってしまっているうように見受けられます。

 沖縄県知事選の時、翁長さんのチラシには「10のYESと3のNO」という文字がありました。 辺野古基地NOはもちろん柱なのですが、県民の暮らしを支えるための10のYESがハッキリとうたわれていました。 これを見習うべきだと思うのです。

 同じ意見のもの同士が集まることも大事ですが、「かつては反自公に投票していたけれど今は言葉が届かない人たち」に、どうやって言葉を届けるか、届く言葉を生み出せるか。 野党共闘は前提ですが、届く言葉を真剣に紡ぎ出せた時始めて、共闘の果実は実を結ぶのだと思います。



■■■お仕事のお知らせ■■■

箕面市にて、構造見学会をおこないます。
SSD球磨杉を使った、木の家です。

1月25日(月)12時~13時 阪急牧落駅より徒歩15分

詳しくは info@mei-getsu.com (山岸)までお問い合わせ下さい
他の日時でもご希望があれば調整します。





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2016-01-04(Mon)

市民がやるべきことは何か

10年前に比べれば、政治に関心のある市民は、あきらかに増えているように見える。

10年前は、コイズミカイカクで日本がめちゃくちゃにされ、イラク戦争に出兵したような時代。
それまでの日本の政治から、急カーブで旋回していた時代だ。
私がこのブログを書き始めたのも、その危機感に辛抱たまらなくなったからだ。

そんな時代と比べても、今は政治的市民が増えた。

その一方で、選挙の投票率はどん底に落ちている。
国政選挙で5割ということは、ほとんど「有権者」の体をなしていない。
もちろんその最大の戦犯は民主党の裏切りクーデターであり、数千万人がバカらしくなったり諦めたりして、選挙に行かなくなってしまった。

棄権が5割というのは異常事態だが、全部が無関心層というのはたぶん違う。
2割くらいはどこの国でも無関心層がいるけれども、あとの3割は、無関心と言うよりも「諦め」や「嫌悪」という積極的な棄権であるとみるべきだ。

ちなみに、自公に投票する層は、コイズミ郵政選挙以外は、ほぼ25%程度で安定している。
つまり、今の時代は、安定した自公勢力をはさんで、先鋭な政治的な市民と、政治を嫌悪したり諦めたりする層とに、政治的な分化、分裂化が激しくなっていると見ることができる。


突然だが、ナス嫌いの人にナスのおいしさを伝えるのにどうすればいいかを考えてみる。

私は子どもの頃ナスが嫌いだったが、小学校3年くらいに焼きナスを食してから、一転して好物になった。
今から思えば食わず嫌いだったのだろう。食わず嫌いの人には、おいしく調理して一度食べてもらえば、こんな劇的な変化もあるかもしれない。
とはいえ、大人になるまで食わず嫌いできた人に、最初の一口を食べてもらうのは、なかなか骨の折れることだ。

まして、一度期待して食べてみたものの、口の中で劇辛だったり、飲み込んでから食中毒おこしたりした人に、いくら「おいしいよ」「食べなきゃ体に悪いよ」と言ったところで、まず食べることは無いだろう。

今おきていることは、ナス好きが集まって、ナス食べようと連呼しているような状態だ。
一度は失望した人たちに戻ってきてもらわないと、ナス党は多数派にはなれないのだが、ナス好きがナスナスと連呼することは、失望した人たちに「もう一回くってみっか」と思わせる効果は期待できない。

もちろん、ナス好きが絶滅しかけている今、大挙して連呼することは、これはこれで重要だ。
世の中にナスを好きな人間は、まだたくさんいるのだとデモンストレーションしなければ、存在自体がかき消されてしまうかもしれない。

しかし、再び多数派を占めようというのならば、デモンストレーションだけでは埒があかない。
なんとかして、一度食べたけど腹こわした人たちに、もう一度食べてみようと思わせなくてはならない。

そのための創意工夫が、いま求められている。


①ウナギ屋作戦
焼きなすのいい臭いを振りまいて、その気にさせる。

②料理教室作戦
地域でおいしい食べ方教室を開いて少しずつ人気を取り戻す。

③あるある大辞典作戦
なんと!こんな効果が!! と宣伝する
(ねつ造はいけません)

④セット売り作戦
牛肉とセット販売。別ジャンルと連携することで、販路拡大。

などなど。
街頭で「食べよう」と連呼するだけでなく、地域や人脈のなかで、着々とナス好きを増殖させる作戦を立てなくてはならない。


同時に、組織だって、できるだけ広範囲に運動を広げなくてはならない。
一部のナス好きがナス連合やオールナスや総ナスを名乗ってバラバラに動くのではなく、焼きナスが好きな人も、ぬか漬けが好きな人も、肉詰めが好きな人も、ナスステーキが好きな人も、お互いに違いを認めながら異文化交流して、統一的に進めなければならない。

俺は焼きナスだ、いや肉詰めだ、といがみ合っているようでは、ナス嫌いに馬鹿にされることはあっても、ナスを喰わせることは100年たってもできない。


ナスですら、かように困難な道のりだ。
いわんや政治に於いてをや。

夏の選挙は衆参同時選の可能性が高まっている。
今の趨勢のままいけば、共産党と大維はやや増えて、民主と維新は半減以下、社民と生活は党の存続が危うい。

街頭の盛り上がりが直接票に結びつかないことは、1960年以来、何度も証明されている。
自然を感じるトンボやチョウチョも重要だが、目には見えないミミズがいなければ畑は豊かにならないのだ。

今最も重要なことは、ミミズや微生物が豊富な畑の土壌をつくることだ。
さっきのナスの例で言えば、日常生活の中で、いろんな作戦を考えてナスを食べる機会を作る、目の細かい組織を作ることだ。

もちろん、それは半年ではとてもできるものでは無い。
5年、10年、もしかしたら20年かかるのかもしれない。

でも、それができた時初めて、民主主義とはこれなんだ と言うことができるだろう。

トンボやチョウチョだけに期待して、足下を忘れてはいけない。
そのことを肝に銘じて、2016年を始めていきたい。



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2016-01-01(Fri)

あけましておめでとうございます

去 留

To go or not to go,that is the question.


今年がどんな年になるのか何も分からないにもかかわらず、なぜか何か大きな決断を迫られる年になるのではないかという予感がします。

それは、必ずしも踏み出すのが正しいとは限りません。今の居場所から、去るべきなのか、留まるべきなのか。
世の中の状況は切迫しているからこそ、焦らずに慎重に判断をしなければなりません。

私は55歳になります。一昔前ならば定年です。
もちろんまだまだ働き続けなければ糊口をしのぐことはできませんが、それでもだんだん残りが少なくなってきたと感じてしまいます。
のこされた時間をどのように使うのか、考える年になりそうです。

本年も、どうかよろしくお願いいたします。

            2016年1月1日
            山 岸 飛 鳥

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