2016-04-25(Mon)

北海道5区補選の結果をちょっと分析してみる

昨日の北海道5区補選、イケマキ候補の敗戦は残念至極。
とは言え、ここまで迫られたことに安倍晋三の心胆寒からしめたのは確かなようだ。

衆参同日選、首相見送り 熊本地震の対応優先
2016年4月25日 朝日

地震対策とか言ってるが、このタイミングなのだから本音は丸わかりだ。
候補者のキャラクターもばっちりで、野党共闘もそれなりに機能しているように、遠目には見えた。
たしかに、善戦だったと言えるのだろう。

しかし、善戦だったという総括からは何も生まれない。
現場を知らないものが言うのもおこがましいが、少し数字を睨んで分かることだけ書いておきたい。

資料は、開票結果NHKの出口調査北海道新聞の世論調査 それに古谷経衡氏の分析記事だ。

三つの基礎資料から数字を拾って一覧にすると下記のようになる。
20160425-1.jpg 
(クリックで拡大)

上の表の政党支持率はNHKの出口調査記事から推定したもの。
2行目の支持率(棄権含)は、1行目に投票率(57.63%)を掛けたもの。棄権の支持者もカウントした。
各候補者の獲得率は、各政党支持者の何割がその候補に投票したか。これも出口調査の文言から推定。ただし惜敗率が実際に近くなるように少し調整してある。

下の表は公示直後に行われた世論調査から。
政党支持率は世論調査の数字そのまま。
投票行動率は、それらの人がどれだけ投票に行ったかの推定。上の表の支持率(棄権含)との比較である。

こうしてみると、イケマキ候補の野党共闘は、取るべき票はしっかりまとめており、自民党はむしろ支持者が投票に行かなかった率がやや高い。また大地の票が大きく自民候補のお役に立った形跡は無い。
よって、趨勢としては自民が苦しく、野党が勢いのある選挙だったと、数字からも想像することができる。

ではなぜ勝てないのかと言えば、野党が取るべき票を取っただけでは勝てない ということだ。
古谷経衡氏の記事(野党共闘は成功したのか?北海道5区補選分析)に、前回選挙との比較が出ているが、要するに自民党は前回とほぼ同じ票数で、野党は前回の民主+共産の票数なのである。
つまり、これでは勝てないということは、最初から分かっていたことなのである。

だからイケマキ陣営は、あえて(見え見えなのに)政党色を薄め、旗を隠し、市民選挙のような装いを凝らして無党派層の積み増しを狙ったのだろう。残念ながら、その成果は出なかった。

表の最後を見ると、世論調査で無党派だった43.5%のうち、選挙に行ったのが約3割。
その中の約7割がイケマキ候補に投票しているので、要するに無党派の約2割は獲得したと言うことになり、それはたぶん前回とほぼ同じだった。

後でも書くが、政党を隠すなどというのは有権者をちとバカにしたやり方ではないだろうか。
民進と共産が実態だというのは誰でもわかること。それを表に出さないことが無党派の取り込みになるというような発想は、もうやめるべきだ。
無党派を獲得できない理由は、他にあるはずだ。そこから目をそらして、こんなゴマカシに逃げてはいけない

■■

この表をいじって無党派の投票率を50%まで上げると、獲得率が同じならばイケマキ候補は逆転する。投票率50%x獲得率70%=35%の無党派層から投票をしてもらえば、ギリギリ勝てる目がある。40%なら勝てる。
これを全体の投票率にすると、約10%アップで68~70%程度と言うことになる。

選挙にすら行かない人も含めた無党派層の40%に実際に自分に投票してもらうにはどうしたらいいのか。
これが、これから選挙をたたかうための、全国でほぼ共通した課題ではないか。

最近の投票率などを見ていると、無党派の40%とか投票率70%と言うと途方も無い数字に見えるが、実はあの2009年総選挙は投票率69.28%だった。わずか7年前だ。
途方もない数字なのではない。この7年間で何かが失われ、何かが劣化してしまったのだ。

それは、私は「リアリティ」だと思う。
政策のリアリティ。明日のメシなのか、絵に描いた餅なのか、ということ。
それは、候補者が本気かどうか ではない。
近い将来に政権を取る可能性が見えるかどうか だ。

圧倒的多数の有権者とは普通の生活者であり、日々に追われて生きている。
コイズミからアベノミクスに至るカイカクの犠牲になり、給料は下がり待遇は悪化し、もうノンビリ何十年先の政策を聞いている余裕はない。
明日、せめて2~3年で実現しそうな話でなければ、絵に描いた餅にしか見えないし、そんなものにわざわざ投票所まで行って票を入れようとは思わない。

北海道5区補選の場合、補選にもかかわらず本選と同じ投票率だったのだから、一般論で言えば充分高い投票率だったとも言える。
しかし、投票率も得票率も、ほぼ前回と同じだったと言うことは、あのイケマキ候補ですら、無党派層の目には絵に描いた餅にしか見えなかったのだ。

それは、候補や陣営の問題と言うよりは、やはり全国の野党共闘のもたつき感、バラバラ感のせいだ。全国ニュースを見ていれば、本気で政権とる気がないのは一目瞭然。
5区はたしかに野党共闘だけれども、実際は無所属だ。無所属ということは、国会に行ってもたったひとり。質問すらほとんどする機会がない。
無所属の候補がもし政権交代を言ったとしても、あまりにもリアリティが乏しい。

政権交代を目指すならば、政党を隠すなどと言うのは愚の骨頂だ。
政党が垣根を越えて協力し、そこに無党派の市民も合流する、という普通の姿を普通に見せればいいではないか。そうでなければ、政権をとって本当に政策を実現してくれるのだな、とは思えない。

繰り返しになるが、多くの有権者は「政権とりそうだ」「政権とる気まんまんだ」という臭いを感じなければ、投票には行かない。
ウナギの写真は食えないけれども、さばいて焼いていれば「近々食えそうだ」と言う予感がする。しばらくは煙の臭いでご飯を食べながら、我慢して待ってみようという気にもなる。

そこが、今回の北海道5区補選でも決定的に欠けていたということではないだろうか。


附記:ここで政党と書いているのは、今回の選挙に限って言えば既存の党のことだが、近未来を考える時は、既存の党だけでは無い。以前に書いたまったく新しい党の必要性とも関連する。漠然とした市民派や無所属ではなく、ポデモスやシリザのように明確に政権を目指す党でなければならない、ということ。





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2016-04-21(Thu)

川内原発を止めたら九州は停電するのか?

熊本大分大震災とも言うべき、未曾有の震災が収まらない。

あろう事か 菅官房長官は「大震災ではない」などとうそぶいているが、肝心要の気象庁は「過去にない。予測できない。」と本音を吐露している。

菅義偉官房長官、熊本地震 は「大震災級という状況ではない」
2016.4.20 The Huffington Post

地震拡大「過去にない」 「経験則通じず予測困難」 気象庁
2016年04月16日 西日本新聞

震度7を2回だけでもすさまじいが、5~6クラスが波状的におそってくるような事態は、建築もインフラもまったく想定していない。まさに想定外であり、壊れていないものがあるのはまったくの偶然にすぎない。
理論的にはすべて破壊されていてもおかしくはない。

これを大震災と言わずして何というのか。
菅官房長官の「大震災じゃない」という発言は、「田舎はどうでもいい」という発想から出ていることは間違いない。

そして、その「田舎はどうでもいい」の究極が、川内原発の稼働継続だ。

さすがにテレビでも、南西方向も危ない と言い出した。
また、昨年11月14日に鹿児島の西方沖でM7.0の地震があったことも思い出す人が増えた。
そう、現在揺れている断層の延長線なのである。

20160421-2.jpg

この状況を見れば、原発を末永く使いたい原発推進派ならなおさら、ちょっと落ち着くまで止めよう と思うはずだ。
にもかかわらず、頑強に稼働を続けさせるのは、「田舎は早いこと犠牲になってほしい」、「ちょっと放射能漏らして、使用済み核燃料の捨て場になってほしい」と願っているからに他ならない。

■■

その恐るべき企みを、知ってか知らずか、「今、川内原発を止めたらかえって危険だ」という論が横行している。

それには大きく二つあり、「原発を止めると九州が停電して震災復旧に支障をきたす」 というものと 「震災が収まらないうちに止めると、冷温停止する前に停電になって冷やせなくなる」というものがある。

まず前者については、下記のグラフをみればなんの根拠もないことが分かる。

20160421-1.jpeg

九電の資料をグラフ化したものだ。
原発を再稼働させる前と後で、ピーク電力量も余裕もなんの変わりもない。

では火力が地震で壊れることを心配しているのか?
それならば、原発もせめて同じくらいには壊れることを心配してもらいたいものだ。
その結果の悲惨さは、まったく同じくらいではないけれども。

というわけで、「川内原発を止めると停電する」論は、デマである。

次に、「止めてから冷温停止までに、他の火力や送電網などが壊れたらどうする」論について。

たしかに、川内原発は九州の中でも孤立していて、他の大型火力からは断層帯をとおらないと電気をもって来れない
なんとかなりそうなのは、宮崎県の水力発電と離島の小さな発電所くらいだ。

しかしここでも不思議な矛盾に気が付く。
冷温停止まで冷やすための電力は、ディーゼルの非常用電源でも賄える程度のものであり、大型の発電所は必要ない。
とすると、この論は、その他のあらゆる電力と隔絶され、非常用電源も破壊され、電源車もたどり着けないような事態を想定していることになる。

もちろん、予測できない震災である以上、その可能性もないとは言えない。
では、そこまで壊滅的な事態になった時、原発は、稼働しているのと停止しているのと、どちらがマシなのか??

620galの耐震性を信じて稼働させ続けるのか、他のなにかの電源を信じて停止させるのか。
この論は、究極そういう選択肢をたてて、前者が安全と言っている。

しかし、他の電源の信頼性は、比較的短時間で上げることができる。
それを、震災のまっただなかだから無理と決めつけて稼働させることの方が安全というのは、原発のリスクをそもそもあまりにも小さく見積もっているといえる。

ただし、この論は、12galを感じた瞬間に止めなかったことの理由にはなる。
冷温停止までの電源確保をする猶予は考慮すべきであろう。

しかし、問題はその努力を全力でやって停止に向けて動いているわけではない ということだ。
結果として、論者の意図はともかく、給電と推進派を大喜びさせることにしかなっていない。


とにかく 可及的速やかに 川内原発を止められるようにしなければならない!!




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2016-04-18(Mon)

【熊本地震】なぜ政府の対応はこれほど遅いのか

大臣連中や中央官僚が、仮に本心では九州の片隅のことだと思っていたとしても、24日に衆院補選を控え、夏には参院選を目の前にしたこのとき、政府の震災対応の遅さは理解を超えている。

せめて一週間だけでも、必死に対応しているようなポーズをとればいいのに、それすらせずに国会ではTPPの審議を続けようとする。
その審議で民進党の議員に災害対策の質問をされると、まるで絵に描いたようなお役所仕事の答弁を繰り返し、安倍首相に至ってはなんと 「激甚災害指定をしてもしなくても同じだ」と言い放った。

たしかに、激甚災害指定は災害の復旧にあたっての国庫補助であり、緊急の人命救助や避難所支援にかかるものではない。
法律上の手続きがあるのも事実だ。

しかし、激甚災害指定のあつかいは、政府が言う「全力」というのが口先だけなのか、本気なのかを示す指標になる。
指定の方向と決意をハッキリ示せば、被災県や自治体も、財政の心配をあまりせずに救援に注力できる。
しかし、「ゴールデンウイーク前に(指定するかどうかの)結論を出す」などという、あまりにも頼りない返答では、「ああその程度の『全力』なのか」「しょせんお役所仕事の範囲なんだな」 と不安を抱え、後のことを心配しながら目の前の救助に取り組まざるを得ない。

では、激甚災害指定の有無に関係なく、本当に全力で支援しているのかというと、どうもそうでもない。
なによりも、これまでの被災の経験をどれだけ活かしているのか、河野太郎防災担当相はじめとするお歴々からは、まことに不安になる答弁が続いた。

6年前の大震災時にも、決定的に不足するのはロジスティックの専門家だということは指摘されていた。
物資や個々の専門家は揃っていても、あるいは全国から人と物のボランティアの意思はあったとしても、受け入れとマッチングと搬送という部分が被災自治体に丸投げになっているために追いつかず、国会答弁でいくら「充分にやっている」と言っても、現場ではこういうことになる。

20160418-1.jpg(東京新聞 2016.4.18)

たとえば県に50人、自治体に各10人、数百箇所におよぶ避難所に各5人ずつでも常駐派遣してニーズを把握し、調整し、道路状況やインフラの復旧程度も集中的に把握し、周辺地域の運送会社とも交渉するなどすれば、状況は一変するはずだ。
また、均一的な避難所では生活できない障害者や高齢者、乳幼児への対応もできるはずだ。

そんなことは少なくとも6年前にイヤというほど分かっていたのに、ほったらかしにする。
選挙向けの点数稼ぎでもいいから、お見事という対応を見せればいいのに、やらない。

■■

川内原発を動かし続ける対応も不可思議だ。

原発に賛成か反対かという問題ではない。
むしろ、原発を推進したければなおさら、念のため止めておくのが筋ではないか。
1580galの地震が起きているのに、620galに耐えられるので大丈夫と言う丸川大臣の答弁は異様である。

おそらく川内原発の現場は止めたかったに違いない。
まして、気象庁は下記のような警告を出している。

熊本南西で地震増加=16日から、M7.3影響か―気象庁

 南西側の地震は日奈久断層帯に沿って発生している。
 どう広がっていくかは予想できない。


万が一、川内原発が稼働中に大地震に見舞われて異常がおきれば、いよいよ国内での原発再稼働は困難になる。
それを分かっていながら、なぜ「原発推進派」は川内原発を一時的にでも停止しないのか。

私は、東北震災以降の一連の政府対応、今回の点数稼ぎすらしない態度、異様な原発稼働などをみて、「これが日本の近未来のグランドデザインなんだな」と感じた。

どういうことか。

安倍晋三は口先ではGDP600兆円とか言っているが、できないことなど本人も分かっている。
実際は人口半分くらいの国として生き延びていくしかない。
そして、そのために彼らがやろうとしていることは、「お荷物」である地方の切り捨てと、新たな収入源の確保だ。

その二つを両立するものこそ、これだ。

原発推進の正体は「日本列島を核の墓場にする計画」だったのではないか
2011.4.1


福島は彼らにとっても想定外だった。何が想定外かと言えば、核処分場にすることもできないほど酷い壊れ方をしてしまった。
次の格好のターゲットは、薩摩川内である。

だから、危ないからこそ川内原発を止めない。
また、九州は博多から南はほぼ無人の荒野になってくれれば、こんなに好都合なことはない。
熊本が復興することなど望んではいないのだ。

6年前には「まさか」と言っていた人たちも、もしかしたらと思い始めている。
いわゆる陰謀論などではない。
非情な支配者の論理で考えれば、そういう結論に行き着く。

とりあえず自民党で、というあきらめは、こういう地獄へつながっている。




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2016-04-13(Wed)

イマドキ不謹慎ですが新党の話など

みなさん参院選またはダブル選にむけて「野党共闘」「統一候補」にむけて燃えていらっしゃる時に、新党の話など不謹慎なのはよ~く分かっております。
でも、ふと思ってしまったので書いておきたい。

なんでそんなこと思ったのかというと、他ならぬ野党共闘の星であるイケマキさんの演説を聴いたからだ。(動画ですが)
「この人が当選したら、どの党に入ったらいいんだ?」と思ったわけで。

イケマキさんこと 池田まき候補は、北海道5区補選で現在たたかいのまっただ中
文句なしに野党共闘を担う迫力とキャラクターは、まさにスターだと思わせる。

彼女は2014年に民主党の公募で政治の世界に踏み込んだ人だから、普通に考えたら民進党か?
しかしこのときは民主党の北海道と中央の調整が付かず、ゴタゴタの犠牲になっている。
なによりも、大企業におもねる民進党、党議拘束のある民進党に入ってしまったら、せっかくのこのキャラが台無しではないか。

イケマキさん以外にも、参院選の一人区のうち半数近くで無所属議員の一本化が実現しそうだという話も耳にする。
見事当選した暁には、彼ら彼女らは、どうするんだ?

民進党のような座敷牢に閉じ込めるのは問題外としても、だからといって共産党に入ることもまず考えられない。
じゃあ社民? 生活?
社民党は革新色が強すぎるし、生活は小沢色が強すぎて、統一候補の受け皿にはならない。

本当は、立ち位置と政策は生活太郎がもっとも統一候補には近いはずだが、世の中の誰もが生活の党=小沢一郎 と思っているから、生活に入ろうものなら即座に民新から絶縁され、メディアから黙殺される。

もし無所属の野党共闘候補が続々と当選したら、国会には二桁の最良の議員が行き場を無くしてさまようことになるのだ。
山本太郎さんを見ても分かる通り、どんなに鋭い爪を研いでも、無所属では発言の機会がほとんんどない。党に所属したことで国会で次々とダイナマイト質問を飛ばすことができたのだ。

■■

だからこそ、野党共闘を進めている今だからこそ、本気でその受け皿を考えなくてはならないはずだ。

その実質的な母体は、やはり生活太郎だと私は思う。
ただし、生活に吸収するのではなく、一度解体して、太郎さんはじめ生活の現職や元職や支持者が裏で汗をかきつつ、いわゆる無所属市民派の地方議員や諸団体を巻き込んだ、保守でも革新でもないポデモスのような政党を新しく作り直すしかない。

小沢さんには後見人として一歩も二歩も下がってもらうのが現実的な道だろうと思う。
場合によっては、小沢さん個人は無所属という形になって、自由にオザワイズムを説いて回る方がむしろいいのではないだろうか。

社民党もその道に踏み切れるのであればいいけれども、地方組織がかなりしっかりと存在しているので、意思決定はできないだろう。
民進党からは一人でも二人でも同調して離党する議員が出れば儲けものだ。

以上は私の妄想であるが、本気で勝つということを考えるのであれば、かなり現実的な妄想なんじゃないか。
今はそれどころじゃないでしょ!というお叱りの声が聞こえてきそうだけど、そんなことを心配する者がいたっていいでしょ。
もう目新しい党名は残っていないけど、最後の本命「国民党」が必要だ。




池田まきさんの演説動画








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2016-04-10(Sun)

ポデモスの話を聞いてきた

昨夜、ポデモスの話を聞けるというのでドーンセンターにかけつけた。

便利なもので、ビデオレターとスカイプを使って、スペインとつないだ講演会だった。

主催や登壇者を記載しておく(敬称略)

主催 おおさか社会フォーラム実行委員会
    社会主義ゼミナール実行委員会

司会 SANgNAM
日本側登壇者
    エリザベット・ベルガラ・ベラスコ(大阪大学院生・スペイン ガリシア出身)
    中村研(SADL)
    片方真佐子(大阪平和委員会)
    大椿裕子(大阪教育合同労組)
    木戸衛一(大阪大学准教授)
スペイン側講演者
    廣田裕之(バレンシア大学院生) 通訳
    ハイメ・パウリーノ(ポデモス バレンシア支部事務局長)

詳細な内容は、IWJがノーカットで配信してくれている。最後にリンクを貼るので、こちらを見ていただきたい。

前半はバレンシアからのビデオメッセージで、廣田さんからは「市民政党ポデモスを生んだスペインの社会的・政治的背景」、ハイメさんからは「貴方が政治を行わないと、誰かが貴方の利益に反する政治を行う」

後半は日本の登壇者とスペインをスカイプでつないでシンポジウム「スペインからの映像レポートを私たちはどう受け止めるか」
という構成になっている

■■

ここからは、レポートではなく私の感想をだらだらと書いてみる。

まず感じたのは、目に見える独裁を経てきたスペインと、見えざる独裁にしばられてきた日本の違いだ。

ポデモスが躍進するきっかけになったのは三つの出来事が大きかったらしい。
「ローンを払えなくなった人の強制退去」
「25%の失業率。若年層では50%」
「王室や政治家のスキャンダル」

エリートが社会契約を反故にした、と言うことへの怒りが原動力だったというのだが、起きている事態は「日本もあまり変わらないんじゃないの」と思った。
経済的には日本よりも若干ひどそうだが、権利という意味では日本よりまだマシっぽい。

日本だって住宅ローンを払えなければ競売にかけられて強制退去だし、事業用資金の貸しはがしも過酷だ。
失業率が高くないのは、非正規雇用と低賃金で誤魔化しているにすぎないし、若年層が高いのも同じ。
ジニ係数だってスペインと日本は大差ない。
もちろん政治家のスキャンダルにはことかかない。

にもかかわらず、スペイン人は怒り、日本人は諦める。
見えざる独裁、すなわち「権利は与えず金だけ回す」社会に毒された日本の現状を、スペインの話から逆に思い知った気がした。

スペインも日本も、「与えられた民主主義」という意味では似た歴史がある。
他国に敗戦することで軍事政権が崩壊し、民主主義を与えられた日本。
フランコが死去し後継者の国王主導で民主化が進んだスペイン。
きっちり30年違いで、一見他力本願で民主化された国なのである。

しかし、その内実はかなり違ったものだったのだろうと想像する。
これについては不勉強だし、講演会でも話が出なかったので、ここでは想像するにとどめるが、スペインにおいては「独裁」との対峙は歴史に刻み込まれているし、未だに目に見えているのだろう。



ポデモスがなぜ大躍進できた主体的な要因は何なのか。
これは、後半の日本側からの質問の中心だった。

ハイメさんからの回答はかなりシンプルで、「ポデモスは、政治的コミュニケーション装置である」 ということだった。
「99%の誰もが賛成する問題に焦点を絞った」「ネットなどのオルタナティブメディアを駆使した」

これは言葉の真の意味でのポピュリズムということだ。ねらいを隠して大衆におもねるのではなく、大衆の要求を良く聞いてい代弁する、という当たり前のことをしただけだというのだ。

これはたぶん、質問した日本側にはものたりなかっただろう。
もっと秘訣のようなものを期待していただろうに、あまりにも王道というか、当たり前のことを当たり前にやっただけ、みたいなことで、それなら日本でもそれなりにやってるのになあ、、という思いがあっただろう。

なぜ人気が出たのか、については言葉をかえて何回も質問されたが、ハイメさんの答えは基本的に同じだった。
ただひとつ、ドイツの研究をしている木戸さんから、路上から政治へ進む時に排外主義や差別主義に流れずにまっとうに保てているのはなぜかという質問があり、その回答の中で、廣田さんの訳語では「文化的戦争」ということが話された。
深く言及がなかったので、私の想像になるが、これがキーなのかなと感じた。

政治にうってでること、政党として政界で闘うことを、「文化的戦争」と表現することは、日本においては ない。

なぜ戦争という言葉になるのか。
それはたぶん、対峙する関係が明確だからだろう。

フランコの流れをくむ国民党、大企業におもねる社会労働者党という2大政党体制であることは、日本の自公と民新とあまり変わりない。しかし、99%が賛成することを主張することが「意味すること」は、スペインと日本ではまったく違うようだ。

スペインでは1%対99%の対峙は明確であるのに、日本では99%が賛成する政策を掲げると対峙は見えなくなり「中道」と呼ばれる。
そもそも独裁との対決がある社会と、対立軸が徹底的に隠されてきた社会の違いだ。

別の言い方をすれば、国民生活など一顧だにしない独裁政権と、それなりに国民生活を担ってきたかつての自民党の違いとも言える。
スペインの国民は生活に困った時に国民党に期待しないが、日本の国民はいまでも自民党に期待する。

ポデモスの政策に一番近い日本の政党は、(手前味噌ではなく)生活の党だろう。
社会主義とは縁が無く、国民生活の維持と再建に特化している。
しかし、ポデモスが躍進し、生活の党が存立の危機にあるのは、様々な要因はあるにせよ、日本の国民はいまでも「自民党は悪人だけど食わせてくれる」と思っているからだ。

この幻想が決定的に多数の国民の頭の中から消え去るのか。
その時に、受け皿になる政治勢力が生き残っているのか。
それが、日本の運命を決めるのだろう。

ちなみに、木戸さんから質問の出た、排外主義についてだが、どうやらこれは別の振興政党が受け皿になっているようだ。
2015年総選挙で、ポデモス本体を上回る14%の得票率を新右翼ともいうべきシウダダノスという政党が獲得している。
2大政党の国民党と社会労働党が減らした議席を、ポデモスとシウダダノスが分け合っているという構図だ。

その意味では、ポデモスが躍進するスペインが、バラ色の道を歩み始めたというわけではない。
もともとあった対立軸が、より一層鮮明になっているということであり、だからこそ「文化的な戦争」という激しい言葉になるのだろう。
その意味でも、99%を指向するものが激しい対立を隠してしまう構図になる日本とは、決定的に違う。

■■

この講演会で私が感じたことの二つ目は 「市民と非市民の境界ってどこ?」ということだ。

日本の最近の新しいムーブメントにおいては、「市民」と「非市民」の区別がきびしい。
本音を言えば私は「市民」という言葉は「お行儀のいい都会のホワイトカラーやインテリ層」と聞こえるので、自称市民にはなりたくなののだが、それとは別に、一般的に言えば市民に違いないはずだ。
しかし、生活の党に近い生活フォーラム関西を立ち上げたりして、なんとなく既成政党よりの立ち位置にいると、どうも「市民」の仲間にには入れてもらえないような空気を感じている。

団体や組織に属していると市民ではないのか?
政党の党員や労組の役員は、その身分を隠さないと市民ではないのか?
市民と非市民の境界線はどこなんだ?
2012年の脱原発運動いらい、この違和感は消えない。

シンポジウムでは、SADLの中村さんが「ハイメさんや近くの人は、5月15日運動以前からなんらかの運動をしていたのか」というような質問をした。ハイメさんは、かなり答えにくそうに「以前は既成左翼だった。5月15日運動のときは、こういう市民の声が既成左翼に届けられないかと思っていた。」というような答えをしていた。

スペインの既成左翼というのは、たぶん共産党を中心にした統一左翼(IU)のことだろう。
スペイン共産党は、1930年代のフランコと共和国との内戦の時代に、あろうことか共和国軍に襲いかかり結果的にフランコを側面支援した歴史はぬぐい去ることはできない。日本共産党もいざとなると後ろから石を投げるけれども、内戦時のスペイン共産党はレベルが違う。
現在の共産党がどのような総括をしているのか知らないが、スペインの既成左翼に対する評価は、そのことを抜きには語れないのではないか。

ハイメさんはさらに、「ポデモスは政党であり、社会運動の政党への直接の移し替えではない。政党であることのリスクもあり、リーダや意思決定のシステムも必要だ。」とも言っていた。
これもそれ以上の言及はなかったが、ポデモスはまったくの素人集団というわけではなく、これまでの既成の運動を担ってきた人たちがこれまでの反省をしつつ関わることで成立した組織であると言うことだろう。

「新自由主義が個人をバラバラにしてきたものが、5月15日運動の広場でコミュニティーができた。」
「ポデモスは誰もがいつでも参加でき、数ヶ月で30万人以上の党員を獲得した。」
これは日本の動きと対称的であり、組織を忌避するのではなく、組織を指向し、積極的に組織をつくる指導力があったということだ。あるいは、「組織」とか「指導」のリスクをわかりつつそれを引き受けたということだろう。
そこには党の違いは厳然とあるけれども、「市民」と「非市民」の区別はみあたらず、どのような運動に関わってきたものでも参加することができる。ここが日本の運動とは決定的に違うところであり、総選挙での躍進のカギだったのではないかと思われる。

繰り返しになるが、もちろん「組織」や「指導」には大きなリスクがある。
何でも投票で決めると言っても、組織はかならず派閥ができ、おごりも生まれ、長期的には腐敗する運命からは逃れられない。
たぶん、ポデモスだろうが何だろうが、多かれ少なかれ同じことだろう。

良い悪いではなく、ポデモスはそのリスクを引き受けながらそれでも前に進んだことによって、選挙という場において大きな現実的な地歩を占めることができた。
そのことから目をそらして、市民運動の盛り上がりがそのまま選挙の勝利に結びついたような錯覚を振りまくのは、ポデモスを語るときの大きな誤りではないのか。
私は、ハイメさんの言葉を聞きながらそのように感じた。

■■

以上から考察できることは、日本でポデモスの猿真似をしても上手くはいかないということだ。

ポデモスは、スペインの歴史を経たスペイン人の琴線に響く政策と言葉で一定の勝利を収めた。
その意味をこそ真似しなければならない。
日本の歴史を経た日本人の琴線に触れる政策と言葉を紡ぎ出さなければならない。
それは、ポデモスと同じ手法では決してなく、自らの頭で考えなくてはならないのだ。

私はそのキモは「日本の独立」だと思っている。
左派的に言うならば「植民地解放」であり、右派的に言うならば「主権の回復」である。

ここを曖昧にした議論は、どんな良いことを言ってもリアリティをもちえない。キレイゴトにしか聞こえない。
いまだ誰も政治のメインストリームでそれを唱えたことのない「日本の独立」を掲げることが、大きな転換点になるだろう。

ただし植民地の悲しさは、それをストレートに口にしたとたん、嵐のような圧迫がふりかかるということだ。
「アジアには第7艦隊だけで充分」と言ったとたんに、陸山会事件というでっち上げ大弾圧が襲いかかった小沢一郎のように。

だから、不用意な発言はするべきではない。
その点では先日来日したウルグアイのムヒカ前大統領のやり方は参考になる。共産ゲリラから政権を取ったのはカストロやチャベスと同じでも、極端な反米主義をとらなかったせいで、カストロやチャベスのように暗殺対象になるのではなく、「いい人」の地位を手に入れることができた。
このバランス感覚と言葉の選び方は、日本人は深く学ぶ必要があるだろう。

宗主国であるアメリカも変わりつつある。
社民主義を標榜するサンダースが、直近では資金も得票もヒラリーを凌駕している。また共和党のトランプは、醜悪な排外主義を振りまきつつも、他方でアメリカはもう植民地経営をしない、と言っている。
どちらの候補も、もし勝利には至らなくとも、アメリカの方向性に大きな影響を残すに違いない。

そんな情勢もにらみつつ、最大の抑圧に対峙しながら市井の声をちゃんと聞く政党の出現が、日本の転換点になる。
それは、民進党ではもちろんないし、桜の木構想でもなく、覚悟した数人の決起から始まるだろう。
ポデモスの話を聞きながら、この救いようがないように見える日本にも、きっと希望の芽は出る。なぜか、妙に楽観的な気分になった。

■■

講演会前半


後半


2016-04-07(Thu)

トランプの「在日米軍撤退」発言について

天木直人氏が「私がトランプの「米軍撤退」発言を歓迎する理由」というブログを書いている

 私がトランプの「米軍撤退」発言を歓迎する理由

内容の詳細はともかく、このなかで天木氏が言っている「たとえトランプ氏が大統領になれなくても、すでにトランプ氏はパンドラの箱を空けてしまった。」という見解には賛成だ。

米国はもう貧乏だから日本の安全なんて守ってらんないぜ というトランプの発言は、もちろんその本質は「思いやり予算をもっとどばっとよこせ」という意味だろうが、それでも衝撃的だったのは違いない。

もっとも衝撃を受けたのは、実は従米派ではなく、これまで「米軍撤退」を主張してきた人々だろう。
ごく一部の極右と、社共などのいわゆる革新系だ。

従米派はちゃんと真意をくみ取って、これまでの75%負担で足りないのならば150%にしなくっちゃと思っているに違いないが、米軍撤退を主張してきた人々は、にわかにリアリティが湧いて出たので大慌てであろう。

「本当に米軍がいなくなったらどうするのか」
国粋極右も社民党も共産党も、本当にリアルにこの問題に直面したことはなかった。
トランプがあけたパンドラの箱からは、まさにこのリアリティが飛び出してきたのである。

無責任なネトウヨはそのことを面白おかしく匿名で書き散らしているが、私があえてこれを書くのはそのようなゲスな議論に荷担するものではもろろんなくて、日本の「革新」系にとってチャンスだと思うからだ。
「革新」は平和主義を唱えつつ、在日米軍と自衛隊について「ではどうするのか」を、正面から国民に話してこなかった。
何やら書いてはいるが、それこそリアリティのない言い訳にしか見えなかった。
それが、革新がこれまで少数派であり続ける一つの大きな理由だと思うのだ。

■■

最初に、じゃあ私はどう考えているのか、について書いておく。
というか、かつて書いたものをリンクしておく

 自衛隊は、武器を捨てて「国境なき救助隊」に

 「それでも非武装」と言い切るためには

 「それでも完全非武装」と言い切るために その2

 自衛隊は武器を捨てて『国境なき救助隊』に その2

4本あわせても10分もかからないので、ぜひ読んでみていただきたい。

私の論が絶対正しいとか唯一無二だなんてさらさら思わない。くんずほぐれつ、ガンガン議論すべきチャンスだ。
革新の人たちも、本当にリアルな、いまのこの世界のなかでの「平和」あるいは「非戦」をどうやって実現するのか、を考えて発信してもらいたい。
そうやって、本気でリアルで実態のある「平和」と「非戦」を、国民が「なあるほどね」と納得する「平和」を練り上げ、主張してもらいたいのだ。

今や、イヤでもそれをやらなければならないパンドラの箱を、トランプが開けてしまった。
ここに至って 「たぶん日本は侵略されないよ ごにょごにょ。。。」と言い続けているようでは、革新は消滅の危機である。




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2016-04-05(Tue)

辺見庸の「ことば」

おとといの日曜日は、大阪で辺見庸の講演会があったので聞いてきた。

10年近く前にも中之島公会堂に聞きに行った憶えがある。
(そのときのブログは これ

あの時の静かに火を吐くような迫力とは違い、今回の辺見氏の言葉は、戸惑いながら絞り出すような重みがあった。

冒頭に10の設問をあげていたけれども、3時間近い講演の中で結局言っていたことは、「ことばはまだ有効か、もう無効か」という問いと「暴力とは何か」 ということではなかったか。

遵法精神も公徳心もないと自称する氏が、それでも物心ついた時から背負ってきた「憲法」。ずっと生きたものを背負ってきたつもりだったけれども、実は死体だったのではないか。今それに気が付いて戸惑っている。
そう、率直に言っていた。

平和憲法は米国の押しつけどころか、天皇=国体護持のために日本の側から提案されたこと。
平和憲法をかかげながら、朝鮮戦争に荷担し、吉田首相がそれを「天恵」と言ったこと。
憲法は生まれた時から死んでいたのではないか、少なくとも瀕死なのではないか。
それに薄々気が付きながら、でも9条を守りたいために見ないふりをしてきたのではないか。

まさに、戦後史の核心とも言うべき問題に、自らの心の問題として切り込んでいた。

言葉がすべて「なんちゃって」になり、言語がすさんでしまった。
見えてみる物は自分が思ってきた物ではない。
ユートピアを語る時代は終わった。
オーウェルがパシフィズムはプロファシズムだと言った意味。
暴力は始まっている。

氏の語った言葉の断片を書き留めてみると、まった救いがない。
平和主義ですらファシズムを後押ししたと批判するジョージ・オーウェルのように、義勇軍として戦わなければならないのか。
そのような可能性をも、言外に言っていたのかもしれない。

しかし、結論は出すことなく、講演は終了した。

嘘をついていないと言うべきではない。
民主主義があると言うべきではない。

少なくとも、最後に言われていたこの言葉は、胸に刻んでおきたい。




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2016-04-04(Mon)

想い遣る頭脳と柔らかい心

「あさが来た」が終わった。
前半は幕末から明治にかけてを町場の目から描いていてなかなか面白かった。

幕末志士ものや、明治偉人ものは多数あるけれど、明治初期のカオスを町の目から描いたものはあまり多くない。
山田風太郎の明治ものとか、松井今朝子の銀座開化おもかげ草紙シリーズとか、それらしいのを探して読んでみた。エンターテイメントとしてはすごく面白いが、やはり幕末ものにくらべるとわずかしかないし、これはこれで一人の庶民の目になりすぎていて、歴史の流れがよくわからない。
その意味では、このドラマは個人の目と歴史の流れが両方それなりにわかる数少ない明治ものだったと思う。

しかし後半は、めっきり偉人礼賛と説教ばかりが鼻について、面白くなくなってしまった。ああ、やはり三井財閥の娘の物語だよな、という感じで。
しかも、原作の「土佐堀川」の吊り広告をよく見ると、潮出版と描いてある。あれまと思ったら、作者の古川智映子は創価学会の文芸部員だという・・・。

 『あさが来た』原案作者を「池田大作」創価学会名誉会長が褒めちぎっていた(デイリー新潮)

てなことで、すっかり熱が冷めて後半は惰性で見ていた。最終回もあさの説教で終わるという設定で、平和の「へ」の字も捨て去ってしまった学会にもう一度平和の仮面をかぶせるつもりかね と冷ややかな目で見ていた。

が、あさの説教のなかでひとつだけ耳に残った台詞があった。それが表題に使った
「想い遣る頭脳と、柔らかい心」という言葉だ。

なぜ耳に引っかかったかというと、普通の道徳講話ならば「想い遣る心と、柔らかい頭」と言うだろうと思ったからだ。
想い遣りという感情的な行為に頭脳を使うという表現には、聞いた瞬間違和感を感じる。
では、理論的に想い遣るとはどういうことか。それはたぶん、想い遣る範囲を恣意的に限定しないということではないか。

心は強く人を動かすけれども、届く範囲は限られる。届く範囲が限定されたり選別されたりした温情は、むしろファナティックな排外主義につながることもある。
ヒトラーはドイツに住むゲルマン民族の健常者にとっては、なかなか善政を行ったのであり、その範囲だけにドイツ人の心が限定され、その裏返しで激しいレイシズムに走るように巧妙に操作していた。

論理的に普遍性を設定した上に、想い遣りというものが乗ることで始めてそれは平和につながることができる。

また、柔らかい図脳ではなく、柔らかい心であることにも意味があると思う。
図脳、すなわち論理はやたらと柔らかくしてはいけない。無節操や嘘つきはいけない、ということだ。
山本太郎さんが「自民党は毎日がエイプリルフール」とNHKでぶちかましたそうだが、朝令暮改や公約破りのような柔らかさはもっての外である。

きちんと筋を通した上で、それを現実に当てはめる時にこそ柔らかい心使いが必要であり、意味がある。

そんなわけで、この台詞が原作にあるのか、脚本家が考えたのかは知らないけれど、最後の台詞だけは、なかなか考えているな、と思った次第。

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