2016-10-31(Mon)

スタートラインが「生」の社会と「死」の社会

※今日の記事は、まだ頭が整理されていないけど、とにかく忘れないために書いておくものなので、読んでも分かりにくいと思う。意を汲んでいただければ幸いです。


人間という個体を放置したらどうなるか。
生物学的には、死ぬ。
脱水か、栄養失調か、低体温か、熱中症か、原因はいろいろあるだろうけど、ある程度の時間が経過すれば死ぬ。

ただし、人間は基本的に個体で生息していない。
アリやシマウマが我々の目から見て群れであるように、宇宙から見たら人間は明らかに群れで生きている。
その群れの中で放置したらどうなるか。また別の結果があるはずだ。

原始共産制から資本主義まで、人間の社会は、働いて生み出した付加価値の分配をめぐる歴史であったと同時に、「働いていない人間がどう生きていくのか」の変遷の歴史でもあった。

「働いていない人」をどう規定するか。
一般には、年齢や病気や障がいなどによって、物理的に働けない人と、働けるのに働かない人 に分けることが多い。
今の時代を生きている私たちは、何の疑問もなくそう思っている。

しかし、そうやって分別することも、また、「どこまでがサボりでどこまでが仕方ないのか」という程度を決めるのも、その社会特有のスタンダードとして決められているのであって、あたりまえの前提ではない。

たとえば、健康な10歳の子どもが働かないのは どっちなのか。
ほんの数十年前までは、「サボり」に入れられたが、今では「仕方がない」ほうになっている。

今だってそうだ。
20歳の人間が、毎日家の中にジッとしていたら「引きこもり」と言われるが、毎日大学行って無為な時間を過ごしてたら「学生さん」と言われる。
サラリーマンの親のすねをかじると「ごくつぶし」と言われるが、大金持ちの親のすねをかじると「御曹司」と言われる。

このように、実は「働くべき」と「働かなくていい」は、物理的な条件で決められているのではなく、社会規範として人為的に決められているのだ。

それでも、小中学校までは最低限の義務教育になって児童労働が禁止されたり、歴史が進むと共に、確実に「仕方ない」の範囲は拡がってはきた。
働かざる者食うべからず とは言え、この範囲の人は許したる という範囲が拡がってきた。

ただ、私がここで言いたいことは、範囲は拡がってはきたけれども、本質は変わっていないと言うこと。
まさに「働かざる者食うべからず」であって、いちばんのベースは「なにもしなければ死ぬ」という社会だということ。
例外として、「許してやる」範囲にだけ施しの制度を設けているにすぎない。

奴隷制のむかしから今日に至るまで、その本質は変わっていない。
と、日本に住んでいる私は思っていた。

ところが、あるドキュメント番組を見ていて驚いた。ヨーロッパのどの国だったか忘れたが、いわゆる福祉制度によって収入を得ている家族が、実に明るく楽しそうに暮らしている姿を映していた。
実に堂々と、あたりまえのように福祉を受け入れ、人生を楽しんでいる。

これは、本質的な価値観の逆転がある、と思った。
「なにもしなければ死ぬ」社会ではなく、「なにもしなくても生きる」社会。
「死」というスタートラインから必死に努力して「生」をつかむ社会から、スタートラインに「生」のある社会。

制度としての欠陥があるかどうかとか、戦争と移民のような国の形が変わるような激変に対応できなくなるとか、そういう話はあるだろうが、どのように制度を変えるとしても、一度変革した意識、すなわち「なにもしなくても生きる」「生きていてあたりまえ」という意識は逆転することはないはずだ。
その意識があるからこそ、原発に対しても諸制度に対しても、ヨーロッパの人々は明確に意思表示するのだろう。



日本の生活保護などの施しの制度と、ヨーロッパでの「あたりまえ」の制度の何が決定的に違うのかと言えば、「人間の尊厳」だ。
「誇り」を傷つけるのか つけないのか の違いだ。

日本でも物理的に死ぬかというと、なにもしなくてもかなりの程度は生きながらえる可能性は高い。
しかし、その過程で人としての尊厳はボロボロに傷つけられる。
「やってやるんだからありがたく思え」という施しの精神によって、行政からも地域社会からも意図的に滅多刺しにされる。

日本の政治の中で、たぶん唯一、この価値観の逆転をしようとした政策があった。
それが、2009年の民主党がやろうとした 子ども手当だった。
あの制度は「全ての子どもは社会が育てる」という理念のもとに作られ、その結果 所得制限がなかった。

所得制限がないということは、日本の社会でも誰に気兼ねすることなく堂々と受け取れるということだ。
本来的にその制度設計が正しいのかどうかは別として、「施し」の制度から「誇り」ある制度へ転換するための第一歩として、まさに画期的な政策だった。

だからこそ、当時の自民党は所得制限を設けることにこだわったし、児童手当という「施し」時代の名称に戻すことにこだわった。
「施し」の特権こそが富の源泉である自民党にとって、絶対に認められない政策だったのだ。

であるならば、今わたしたちの次の一歩は、ここにあるということではないのか。
「施し」から「誇り」へ
何とかなっている間は不安におののき、何かでつまずいたら恐縮至極で施しを受けるような今の社会から、老若男女の誰もが胸を張って生きていけるような社会へと、転換する政策を提起すべきだ。

理念ではなく、理念を体現する、実感する具体的な政策。利害以上に「誇り」を取り戻す政策を。
たとえば、本当の参政権=供託金の廃止とか 女性の権利としての選択的別姓とか、権利としての教育無償化とか、経済問題以前に、尊厳の問題として体系的に立案すべきだ。

そして、米国と多国籍企業群からの独立を。
フィリピンのドゥテルテ大統領の独立闘争に、フィリピン国民は団結しようとしている。
(だから日本のメディアはドゥテルテを殺人鬼のように書き立てているが)
深い眠りのなかに封じ込められてきた人としての誇りを揺り起こせ。

1970年代から80年代は、あまりにも経済的に恵まれてきた。
尊厳を脇に置いても、それなりに幸せにいきることができる時代だった。
今、そのような余裕はとっくになくなっているにもかかわらず、あいかわらず自分たちの「尊厳」が奪われていることに自覚が薄い。

しかし、自覚が薄いことと、奪われているという現実は別だ。
多くの国民が、経済的にも報われず、尊厳も奪われたままだと言うことに気が付いた時、日本は変わる。

スタートラインが「死」である社会から、スタートラインが「生」である社会に。

今はまだ私もうまく説明できないが、ここに核心問題がある。




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-27(Thu)

今こそ自由民権運動を  ~自由党の門出にむけて

私が「自由党」と聞いてまず思い浮かべるのは、子供の頃の百円札に描かれていたひげの爺さんだ。
爺さんの名は、板垣退助。
暴漢に襲われて「板垣死すとも自由は死さず」と言ったとかいう、あの人物である。

板垣は土佐藩の中の武力倒幕派であり、明治維新の大物の一人として歴史に躍り出した。
そして、戊辰戦争では官軍の参謀として、幕軍最強といわれた会津若松城を陥落させるなど、官軍内でも圧倒的な軍功をあげた。

そんな根っからの軍人である板垣が、なぜ熱烈な民権主義者になったのか。
一説では、旧幕軍の伝習隊の強さに感心したからだという。伝習隊はフランスの軍事顧問に訓練された近代的な軍隊だが、武士ではなく無頼の徒を集めていたという。これからの国を守っていくためには、頭の固い武士だけが戦うのではなく、四民平等で兵士にすべきだというのが、民権に目覚めるきっかけだったというのだ。

これは、今の私たちが想像する民権とは、かなり違う。
しかし、フランス革命の変容体として登場したナポレオンも、まさに国民軍によって一時は欧州を席巻したのであり、歴史的に見れば普通のことなのかもしれない。

ともあれ、1881年に板垣を筆頭に自由党は結成され、憲法制定、民選議会、地租軽減などを課題とした自由民権運動の先頭に立った。明治維新の立役者である板垣が、自由民権運動の先頭に立っていたと言うことは、全国津々浦々で様々な活動をしていた運動家たちにとって、大きな力になったことは想像に難くない。

ただ、自由民権運動が板垣を頂点とするピラミッドであったのかというと、どうやらそうではないらしい。
板垣の立志社などのように旧藩がバックについて士族が中心の団体も多かったが、それ以上に農村の運動が活発だった。
全国に数百から数千の団体が、自発的に結成され、地域の豪農をリーダーとして、勉強会や演説会や署名活動などをやっていた。
なかには、医療などの生活支援までおこなっていたという。

士族の運動、農村の運動、そして都市の知識層を中心にした運動などが、その中でもさらに細分化されて軋みながらすすめられていったのが、明治の自由民権運動だった。
そして、常にすったもんだしながらも、憲法制定、民選議会、地租軽減という主目的についてはブレることなく、薩長が牛耳る独裁的な政府にも憲法制定を認めさせるに至った。

その運動の中では、革命権をも明記した植木枝盛の憲法草案や、今の皇后が言及したことで一躍有名になった五日市憲法などなど枚挙に暇ないほどに、国民的な民権意識が一斉に噴出した。
今で言えば政治資金パーティーのような演説会には、そこそこ高い料金を払っても会場は満員になり、その参加者がまた新たな弁士として羽ばたいていった。

こうした国民運動は、士族の指導だけでなしえたものではなく、農村の運動との、いわば野党共闘があって初めて実現したものである。
しかも、まだ民選議会もなかったので当然だが、議会内的な発想ではなく、草莽をかき分けて同志を募る運動であった。



今、日本の歴史上でおそらく5代目となる自由党が再出発した。

小沢代表はじめ、党員サポーター支持者の皆さんは、1998年の自由党を想起していることだろう。
しかし、その100年以上前に熱烈に結成された初代自由党を思い起こしていただきたい。

自由民権運動はなぜ日本中を渦に巻き込むことができたのか。
と同時に、その歴史的な限界は何だったのか。
歴史趣味ではなく、きわめて現代的な問題としてとらえ直し、糧としなければならない。

単なる議員の宿り木としての党ではなく、国民運動のシンボルとしての党として、5代目自由党には勇躍を期待したい。


■■お知らせ■■

ストップ!TPP緊急行動 御堂筋大パレード
10月29日(土)
14:00~集会 15:15~パレード出発
靱公園・東園
(地下鉄「本町」28出口徒歩約5分)
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-ErLFmcAX2hc/map/
主催:ストップ!TPP緊急行動・関西
連絡:stoptppkansai@gmail.com



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-26(Wed)

ブラック企業にならざるを得ないという現実  命のナショナルミニマムその3

電通社員の自殺は、実はパワハラ、セクハラが大きな原因だったことも含めて、ブラック企業の実態を世にさらす契機になった。

もっとも、過労やパワハラやセクハラで自殺している人は、毎日何人もいるはずなのに、電通という超一流企業の社員の場合だけ大きく取り上げられることには、やや矛盾も感じる。

私のいる建築業界も含めて、ブラックやダークグレーの企業は山ほどある。
そこに、法律で頭ごなしの規制を加えたらどういうことがおきるか。

バカ正直な社長ならば、たぶん会社は倒産する。
そして、ほぼ全ての会社では、時給が上がって残業時間が減る代わりに、サービス残業が常識となるだろう。

今朝の情報番組でも、36協定があるから、週40時間労働は空文化していると言っていたが、実態はそんな生やさしいものじゃない。
「36協定で残業は週○○時間までと決めているのだから、それ以上残業しても払わない」 というのが36協定の使われ方だ。

腐っても鯛で、それなりの組合のあるところはまだマシだろうけれども、ほとんどの中小企業では、労働基準法なんてあってなきがごとし、というのが実情だろう。

では、ほとんどの中小企業の社長が鬼なのか?
そんなことはない。
多くの社長は、なんとか生き延びて社員の雇用を守ろうと努力している。
会社の利益はもちろんだが、社員が生活していけるようにすることも、きっと頭から離れない。
一部の本格的ブラックは別として、実態はダークグレーであっても、そんな思いで苦労している社長がほとんどなのではないか。

では何でその社長たちの思いと裏腹に、ダークグレーになってしまうのか。
それは、儲からないからだ。
なぜ儲からないのか。
それは、お金が回っていないからだ。

日本は世界一の金持ち国とか言われている。
海外に貸し付けている(預けている)資産が、総額から負債を差し引いた、純資産で367兆円もある。
GDPの7割以上のカネを、海外に置きっ放しにしているわけだ。
日本中の銀行の貸し付け残高の合計が470兆円あまりだから、海外に置きっ放しのカネがいかに巨額かが分かる。

話を単純にすると、年商1億の会社が、7千万円も定期預金しているようなもの。
それを担保に資金を借りることもなく、社員に還元もせず、新たな投資にまわすこともせず、わずかな金利だけを受け取っている。

このダメダメ会社が、世界一金持ちとか言われている日本の実態だ。
では、日本で使われずにため込んだ資金は、どこでどうなっているのだろうか。

20161026-2.gif
(http://www.garbagenews.net/archives/2013421.html より)

このグラフを見れば一目瞭然、世界一の借金国に貸し付け(預け)られている。
借金だろうがなんだろうが、お金が回っていればそれは儲けにつながる。
少なくとも、まともな商売をやれば、食っていくだけの儲けにはなる。

ところが、稼いだカネをせっせと米国に貸し付けている日本は、賃金も投資も充分にカネが回らず、ジリ貧となっている。
で、労働生産性はあがらず、負のスパイラルに落ち込む

20161026-1.png
(http://www.jpc-net.jp/annual_trend/ より)


日本の対外純資産と、一人あたりGDPの推移を見てもこのとおりだ

20161026-4.png

20161026-5.gif


よく見ると、民主党政権下の、2009年(平成21年)~2012年(平成24年) は、対外投資の増加が鈍り、GDPは回復している。

もちろん、これだけが儲からない原因ではないが、数百兆円という国民にとっては死に金の問題をスルーして、アーだコーだというのはちゃんちゃらおかしい。

ブラック企業を責め立てるのは、もちろん必要なことではあるけれども、そのまえに(少なくとも同時に)、極悪人じゃない普通の社長でもダークグレーくらいにはならざるを得ない原因を取り上げるべきだ。

日本人は、ジャパンマネーで稼ぎまくっている太平洋の向こうがわにむかって 「カネ返せ!」と叫ばなくてはならないし、そのように誘導する日本の官僚に首をすげ替えてでも、日本のカネを日本で環流させる仕組みを作らなくてはならない。

これもまた、命のナショナルミニマムのひとつであり、社員ばかりか社長をもブラックから救う道だ。


■■お知らせ■■

ストップ!TPP緊急行動 御堂筋大パレード
10月29日(土)
14:00~集会 15:15~パレード出発
靱公園・東園
(地下鉄「本町」28出口徒歩約5分)
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-ErLFmcAX2hc/map/
主催:ストップ!TPP緊急行動・関西
連絡:stoptppkansai@gmail.com



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-24(Mon)

巧妙なトラップ

ちょっと前まで、解散だ~ と大騒ぎしていたのに、このところ声が小さいような気がする。

新潟では衝撃的な自公の敗北だったけれども、衆院補選は民進の自滅というか自公の圧勝だったのだから、もうちょっとボルテージがあがっても良さそうなものだ。

ところが、こんな記事まで出ている始末

自民議席「86減」の可能性 下村博文幹事長代行、次期衆院選で
2016.10.24 産経

夏の参院選で各党候補者が得た票数を衆院選に当てはめて単純比較したと説明。平成26年12月の衆院選小選挙区で自民党が得た223議席(追加公認含む)が「137になる可能性もある」と指摘。(引用以上)

まるで日刊ゲンダイのようなことを自民党の幹事長代行が言うのだから驚きだ。
大選挙区の票を小選挙区に当てはめること自体、ほとんど意味がない。意味がないのを、たぶん充分分かっていて下村は言っている。
なぜか。

一つには、発言の主旨の通り若手への引き締めということはあるだろう。
しかし、本当の狙いは、民進を蟻地獄に引きずり込むための罠ではないのか。
民進が、年末解散にノリノリになるように、仕向けている。

民進執行部と連合は、野党共闘したら票が減る、と本気で思っている。
バカじゃないかと思うのはこちらだけで、奴らは本気で思っている。
だから、「野党共闘の票で86減だったら、民進単独なら圧勝じゃないか」と、通常の脳みそでは考えられないようなことを考えるに違いない。
まあ、圧勝とまでは思わないだろうが、意外と行けるんじゃなの と強気になるだろう。

また、野田のような本当の極悪分子は、民進だけでは勝てないことを分かっている。ただ、野田の使命は「負けること」だから、負けるために野党共闘に必死に反対している。
繰り返すが、野田の使命は「民進党を負けさせること」だ。その使命を全うすることによって、自分の議席だけは安泰なのだ。
そこを勘違いしてはいけない。

だから野田は、あの下村発言を聞いて、脳みそが沸騰している執行部とは別の判断をする。 
「新潟の二の舞をしてはいけない」「また野党共闘ができてしまって自民が86も減ったら大変だ」「共闘できないうちに早いこと解散したほうがいい」
と、いずれにしても、民進は解散総選挙に前のめりになっていくだろう。

もちろん、これは罠だ。
孫子の時代から現代まで、戦はウソと駆け引きの応酬なのだ。

そして、もし自民党が民進党を本気で潰しにかかっているのだとしたら、戦争と改憲がほんとに迫っているということだ。
平時においては、口だけ民進は、自民党の大事なパートナーだ。口先だけ反対すると見せかけて、ズルズルと自民の言うなりになる。負けるための選挙をやって、自民をバックアップする。そんな民進を、自民は本気で潰すことはない。

ところが、戦時になれば話は別だ。
反対すると見せかけて、なんて悠長なことは言ってられない。
即断即決の専制体制を築かなくては、戦争はできない。

下村のあの「弱気」発言は、そうした2017年に向けての、巧妙なトラップなのではないか。
そんな気がしてならない。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-22(Sat)

危ない地盤とは

地盤 といえば 地盤・看板・鞄 を思い浮かべる人が、このブログの読者には多いだろうけれども、今日の話は地震のおきる地盤。

昨日の鳥取地震は、大阪でもかなりの揺れになり、地面がゆらゆらと大きく長く揺れるのが体感できた。
夜になって事務所に戻ってみると、なんと棚からファイルケースが落ちていた。
震源からは170kmも離れているのに、驚きである。

思い起こせば、2011.3.11 東日本大震災の震源は700kmも離れているのに、あのときもうちの事務所は結構揺れた。
やはり、事務所のある江坂は、地盤が悪いのだ。

と、このように、地震が起きる度に「地盤がいい」とか「悪い」ということが話題になる。
家を建てるお施主さんからも、「うちの地盤は大丈夫ですか」と良く聞かれる。
実は、答えはそう簡単ではない。

なぜかというと、地盤には3種類あるからだ

20161021-1.png

地震が起きるのは、深いところ。今回の鳥取地震が10km、熊本地震が12km、阪神淡路が16km、そして東日本が24kmだった。絵で言うと、二重線になっている隙間くらい。
この深さでの「いい」ちじゃ「悪い」というのは、地震が起きやすいかどうか、ということになる。
活断層があるかどうか、とか、東日本のようなプレート型の可能性が高いかどうか、など。

プレート型については、ある程度可能性が高いか低いかは分かっている。でも、太平洋側はほとんどどこでも危ないし、しかも、いつおきるかは誰にも分からない。

断層型の場合は、これはもう、どこでも起きうる。

鳥取、なぜ大地震多い 気象庁「活断層なくても起きる」
2016年10月22日

 「今回のような地震は活断層がない所でも起きる」。気象庁では午後3時40分から青木元・地震津波監視課長が記者会見した。震源付近で明確な活断層が確認されていないことや、地下の浅い場所が押し合って起きる「横ずれ断層型」であることを明らかにした。(引用以上)

ちなみに、上記の記事で「ひずみ集中帯」の印が描かれているのは、ちょうど島根原発から高浜原発にかけてである。
これまで原発の安全審査では、活断層はない、とか、これは活断層じゃなくて破砕帯だとかなんとか言って強引に「安全」にしてきたけれど、残念ながら「活断層なくてもおきる」と気象庁が断言してしまった。


話を地震波に戻そう。
震源で発生した地震波は、プレートの岩盤を何十キロも伝わって、地表面の近くまで到達する。
真上に行けば10kmくらいだけど、波動は全方向に進むから、横向きなら100kmとか1000kmとか進んでいく。
そして、あと100mくらいで地面だ、というところで、急に柔らかい地層に突入する。
絵で言うと、外側の線の太さにもならないくらい。

この層がどのくらい柔らかいかは、地質学でちゃんと分かっている。
産総研の地質図Navi というのを見れば、自分の家の地層は一目瞭然

https://gbank.gsj.jp/geonavi/

使い方は、ヘルプなどみて研究して下さい

この地図の凡例には難しい地層の名前がたくさん出てくるけれども、地震との関連では、「1万8千年前から現在まで」なのか、それより古いのか が運命の分かれ道。
「1万8千年前から現在まで」の場合は結構揺れやすい、それより古い時はわりと揺れにくい、ということ。

新しい地層は柔らかいので、地震の震幅がゆっくり大きくなる。ゆっさゆっさ
古い地層は固いので地震の震幅は小さくて早くなる。ガタガタガタガタ

さらに進んで、もう地表すれすれの数十メートルまでくると、ごく最近(数千年くらい)に堆積したり火山灰他積もったり埋め立てたりした表層地盤にぶち当たる。中には、ふわっふわのところも少なくない。
大阪平野なんかは 「プリン地盤」なんて言われている。
ここがフワフワだと、さらにユラユラが大きくなる。

最近はもっと便利なのができて、数百メートルからの深部地盤と、数十メートルからの表層地盤を、一気に診断してくれるサイトがある。防災科学技術研究所の地震ハザードカルテ。

http://www.j-shis.bosai.go.jp/labs/karte/

自分の家を探してクリック、診断ボタンを押すと、カルテを作成してくれる。

いちばん注目は、真ん中左にある「地盤増幅率」
これが1.5を超える場合は、ゆれが大きくなりやすくて、要注意。
ちなみに、うちの事務所が入っているビルの位置のカルテはこれ
20161021-2.png

やはり、棚からファイルが落ちた原因が判明
「地盤増幅率」=2.16 である


さて、この数十メートルの表層地盤は、地震だけではなくて、地震も何もない時でも、建物に悪さをする可能性がある。
表層のなかの最表層、10mくらいまでのところがフワフワすぎると、建物が自分の重さで沈んでしまうというトンデモナイ現象がおきる。
大阪平野やウチの事務所がある江坂のようなプリン地盤は日本中にたくさんあって、ビル建築は言うに及ばず、比較的軽い木造建築でも沈下する。
ちなみに、大阪駅周辺を梅田というけれど、もともとは「埋田」だったらしい。

なので、必ずボーリングとかサウンディングという地盤調査をして、ヤバい時には地盤改良やら杭やらの対策をする。
ちょっと余分にお金がかかるけれど、こればっかりは手抜きすると、確実に後悔するのでしかたがない。

ただ、地震について言うと、10m程度の最表層が柔らかくても、地震の被害には影響しないという説もある。
勝手に沈下する状態では、地震の影響で家が傾くこともあり得るが、沈下対策をとっていればその心配はない。

もうひとつ、この最表層で地震の大々的な影響を被るのが、「液状化」というやつ。
東日本の時にディズニーランドや浦安の街がエラいことになったあれ。

建物が壊れるのではなくて、固かった地盤が一瞬でジェルのようになって建物が傾いてしまうという怪奇現象。
ここでは詳しい説明は省略

大阪府の場合はマップを公開している。たぶん、他府県も何か出しているのではないかと思うので、探してみていただきたい。

http://www.pref.osaka.lg.jp/kikikanri/detailed-figs/



以上、地盤には、地震の起こるプレート、地震動が伝わる深部地盤、建物が載る表層地盤 と3種類ある。
「ウチの地盤は大丈夫?」と聞かれても、簡単には答えられない分けはこういうこと。
簡単じゃなくてもいいから相談のってほしい、と言う方はどうぞご連絡を。


■■お知らせ■■

ストップ!TPP緊急行動 御堂筋大パレード
10月29日(土)
14:00~集会 15:15~パレード出発
靱公園・東園
(地下鉄「本町」28出口徒歩約5分)
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-ErLFmcAX2hc/map/
主催:ストップ!TPP緊急行動・関西
連絡:stoptppkansai@gmail.com



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-21(Fri)

福祉と福施  命のナショナルミニマムその2

「フクシ」と聞いてなにを思い浮かべるだろうか。

女子マラソンというボケはなしにすれば、困った人が役所に助けてもらう、みたいなイメージではないだろうか。
幸せいっぱいの笑顔を思い浮かべる人は、あまりいないと思う。
「フクシ」は福を施してもらう「福施」、だと感じている。

しかし、お分かりのように「フクシ」は「福祉」と書く。
この「祉」という字は、幸せという意味なのだそうだ。つまり、福祉=幸福 なのである。実は。

福祉というのは、施してもらうのではなく、もともとある幸せのことなのだ。
そして、政治の場面での福祉とは、もともとある幸せを保障する ということ。

もともとある幸せ だけを保障するんだったら、もとから幸せじゃない人はどうなる?
これは、話が反対だ。
もともと「誰もが幸せ」というのが福祉の前提で、いま幸せじゃない人はそれが壊れちゃった人だから、元に戻しましょうというのが、福祉。

これを、条文にしたのが、あの憲法25条の、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」 ってやつだ。



なんだけど、今私たちが直面している福祉は、こんなものじゃない。
まさに、「福施」として、お役人が年寄りや障がい者や貧乏人に施しをするみたいなことになってしまっている。

その感覚は、この社会の隅々まであまねく行き渡っていて、福祉を受けるのは申し訳ない、福祉を受けるのは恥ずかしい、福祉を受けるのは他人に迷惑、と、受ける側も施す側も関係ない傍観者も、固く固く信じている。

それを、端的に見せてくれたのがこのレポートだ

売春に走る”最貧困シングルマザー”たちはなぜ生活保護を受けないのか!?
2015.1.28 リテラ


政治が保障するべき「命のナショナルミニマム」は、単に生活保護の制度や金額ではなく、「福施」を「福祉」にひっくり返すことなんだ。

もちろん働ける人は働くべきだと思うし、ごく一部とはいえ生活保護受給してベンツ乗り回すのはアカンと思う。
しかし、そうした規範ちゃんと効かすためにも、まずは福祉を「あたりまえ」のものに転換する必要がある。

正々堂々、ニコニコしながら生活保護を受給し、だれもが普通にそれを受け止めるようになること。
これなくして、福祉はありえない。どんな制度や予算をつけても、それは「福施」でしかないし、それは人間の誇りを打ち砕き、誇りを捨てない人たちは施しを受けることすらできない。

解決不可能な課題ではないはずだ。
たとえば、保育所に子どもを預けると、ちょっと昔だったら「かわいそうにねえ」と露骨に哀れみをうけたものだ。
今でも差別的な目はあるけれども、それでも一昔前に比べれば隔世の感がある。
もう一押し政治の力があれば、保育所差別は一握りのカチカチ頭のものになるだろう。

生活保護やその他の福祉についても、社会全体で福施から福祉へ転換するという課題。
政治を語り、政権を目指すものは、この課題から目を背けてはいけない。

それが「命のナショナルミニマム」の核心なのだから。

■■お知らせ■■

ストップ!TPP緊急行動 御堂筋大パレード
10月29日(土)
14:00~集会 15:15~パレード出発
靱公園・東園
(地下鉄「本町」28出口徒歩約5分)
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-ErLFmcAX2hc/map/
主催:ストップ!TPP緊急行動・関西
連絡:stoptppkansai@gmail.com



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-20(Thu)

平成の不平等条約 TPP

環太平洋戦略的経済連携協定 略してTPP ということになっている

しかし、英語では  Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement  である。
環太平洋 ではなく 太平洋横断 だ。あえて読みを同じにするなら 貫太平洋 か。
とにかく、Trans に環のような 輪っかの意味は無く、直線的なイメージである。

では、日本語と英語のどちらが正しいのだろうか。
それは、疑問の余地なく、英語が正しい。

何故かというと、TPPの正式文書は英語、スペイン語、フランス語しかないからだ。
日本語は、英語版を仮訳したものにすぎない。

TPP参加国の中で、日本はアメリカに次ぐ経済規模をもち、他国と比べてダントツだ。GDPは3位のカナダの2.5倍ある。
なのに、正式文書には日本語がない。

ここに、TPPの本質、本当の狙いがあらわれている。

つまり、TPPとは
日本を狙い撃ちにする不平等条約
なのである。

Trans を 環 とわざと「誤訳」したのも、直線的に狙われているイメージを隠し、みな横並びかのような印象付けをするためだ。
わざと誤訳するくらいだから、日本政府や経産省は、日本をターゲットにした不平等条約だということには 気が付いている。知ってて国民を欺している。

日本語の正式文章がなければ、それだけでも TPPが良いのか悪いのか判断するのがとっても難しい。

さらに、国会で野党が政府に交渉内容の資料を請求し、出てきたものがこれだ。

20161020-1.jpg

なんと、45ページにわたって、ほぼ全て黒塗り。
国会議員ですら、なにも知らされずに、採決だけしろ、と言われている。

まさに、幕末の日米修好通商条約の再来ではないか。



TPPが私たちの生活にどれほど深刻な影響をもたらすか、詳しいことはこちらのパンフレットを見ていただきたい。
私があれこれ言うよりも、はるかに分かりやすくまとまっている。

そうだったのか!TPP 24の疑問 (TPPテキスト分析チーム)

永田町恐怖新聞vol3 (山本太郎となかまたち)
 ※印刷用のファイルなので下欄のページ数を追って読んで下さい

私がこの稿で言いたいことは、TPPは不平等条約であり、国の主権問題であり、
軍隊をつかわない侵略だ
ということだ。

つまり、日頃、尖閣や竹島や北方四島の問題に憤っている、いわゆる保守派の人たちこそ、断固として反対すべきものなのだ。
国境の島どころか、日本そのものが丸ごと侵略されようというのに、なぜ自衛権を発動してふるさとを守ろうとしないのだ。

自衛権は、自衛隊を出動させることだけではない。
自分たちの生きる場所を守るために、侵略者に対して自分たちが闘うことだ。
武器は持たずとも、徹底抗戦することだ。

今、TPPに抵抗しようと市井で動いているいるのは、革新系の団体が主力になっている。
保守派の諸兄諸姉は、選挙がなければジッと雌伏を続けるつもりなのか。
それとも、主導権を奪うほどの勢いをもって、表舞台に踊りでるのか。

TPPの国会での批准は、11月8日がタイムリミットだろうと言われている。
米国大統領選挙までに批准して、新大統領のご機嫌を取ろうという、これまた植民地根性丸出しの考えだ。

今日は10月20日。
あと18日しかない。短期決戦だ。

大統領候補が二人ともTPP反対だから大丈夫、というのはウソだと判明した。

クリントン氏、TPP再交渉視野 流出メールで「本音」判明
2016.10.12 SANKEIBIZ

ヒラリー・クリントン氏が昨年10月の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の大筋合意時に、大統領としてTPPを再交渉して実現させるシナリオを見据えていたことが、内部告発サイト「ウィキリークス」が11日に公表したメールで分かった。
(略)
米通商代表部(USTR)の元高官は、「クリントン氏はオバマ政権下で議会がTPPを批准し、自分は大統領としてTPP批准に関与しなくて済むのがベストだと考えている」と分析。

(引用以上)

クリントンが勝てば、オバマが退任までの間に批准して、クリントンは「仕方ないわね」とかいいながら内心大喜び というシナリオだ。

エセ保守の跳梁に心痛める保守派の皆さん。
日本の独立を熱望する皆さん。
革新系におまかせで、のほほんとしていていいのか。
平成の不平等条約が批准されようとしているこのときこそ、その存在感を天下に示す時ではないのか。

10月29日の土曜日、下記のような集会が大阪で行われる。
蓆(むしろ)旗を先頭に、御堂筋を練り歩く。
心ある保守派の皆さんは、ぜひとも自由党の旗のもとに集まっていただきたい。
そして、保守も革新ものりこえて、大行進を実現しよう。

ストップ!TPP緊急行動 御堂筋大パレード
10月29日(土)
14:00~集会 15:15~パレード出発
靱公園・東園
(地下鉄「本町」28出口徒歩約5分)
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-ErLFmcAX2hc/map/
主催:ストップ!TPP緊急行動・関西
連絡:stoptppkansai@gmail.com



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします


2016-10-19(Wed)

全ての建物に構造計算を  -熊本地震の被害状況から-

今日も家づくり方面で

標題の「全ての建物に構造計算を」という文字を見て、??と思った人も多いだろう。
構造計算してない建物なんてあっていいの? と。

それがビックリ、2階建て木造住宅のほとんどは、構造計算はされていない。
3階建ては義務だけど、2階建てまでは任意なので、ほぼ全てが構造計算無しで建てられている。

建築基準法でそのように決まっているので、違法でも手抜きでもない。
建物の大きさによって筋交い(耐震壁)の量や金物の使い方が決まっているだけで、それで本当に足りているのかとか、柱や梁の大きさは大丈夫か、とかの検証はされていない。

もちろん、建築基準法の規定はそれなりの実験などから決められているので、法律通りに建てられていれば ただちに影響はない。
しかし、イザという時にどうなんだ、ということが、熊本地震で明らかになってしまった。

熊本地震では、実は建築業界では驚愕の事態が起きてしまった。
それは、「耐震等級2」の家が完全に倒壊した という事件だ。

「耐震等級2」というのは、上に書いた建築基準法の規定よりも、25%増しの強さにしてあり、それ以外にも色々と強度をバージョンアップしたもの。住宅の品質確保の促進等に関する法律という長ったらしい名前の法律で決められている。(略して品確法)
そのバージョンアップ住宅が倒壊してしまったのだ。
20161019-1.jpg
詳しいことを知りたい方は、上記写真をお借りした日経のサイトを見ていただきたい。写真をクリックするとリンクしている。

私自身も、いつも耐震等級2で構造計算をしているので、これは衝撃のニュースだったが、原因を詳しく知るにつれて、なるほどと思えてきた。

ここでは、ザックリとその原因について書いておきたい。
①軟弱地盤だった
②熊本県は地震が起きにくい地域に指定されていて、そもそも基準が低かった
③耐震等級2ではあるが、構造計算をしていなかった

①については、この地域が阿蘇山の火山灰地層でもともと軟弱な上に、この住宅の宅地は5mほど盛り土をしていたので、かなり軟弱な地盤だったのは間違いない。建築基準法では、軟弱地盤の場合は耐震壁を5割増しにせよ、となっているのに、この住宅ではしていなかった、というのが指摘されている。

ただ、杭は施工されているので、必ずしも設計ミスとは言えないし、また、地面の表層が軟弱だからといって家が壊れやすいとは限らない、という調査結果も出ている。
ので、これが一番大きな原因だったとは考えにくい。

②については、火の国と言われる熊本がなんで地震おきにくい地域に指定されているのか理解に苦しむが、国の規定でそうなっている。今回の震源地域は、普通の地域の90%の耐震強度でOKということになっている。
だから、25%増しの耐震等級2も、実際は1.25x0.9=1.125 で12.5%増しでしかなかった。

地震予知なんてまやかしだと言うことを如実に語っている。
ただし、これも目減りしたとは言え、12.5%以上は割り増しされているのだから、倒壊した主要因とはならない。

③について。耐震等級2の認定には、構造計算をするやり方と、しない簡易のやり方がある。
この住宅は、簡易のやり方で認定をとっていたようだ。

その結果どんな問題が起きたのか、下の図を見るとよく分かる

20161019-2.jpg
(日経ホームビルダー2016年7月号より)

これの右下の表に注目。(クリックすると拡大)
この家の設計を、構造計算にかけたらどうなるか、というもの。黄色いところがNGになった項目だ。
なんと、ほとんどの項目でNGとなっている。

細かい説明は専門的になりすぎるので省くけれども、構造計算無しでOKの建物でも、構造計算すると軒並みNGになり、そして本当に倒壊してしまった、というのが、この耐震等級2住宅の倒壊事件なのだ。



じゃあ、すぐにでも全ての建物に構造計算を義務づけたらいいじゃないか、と私も思う。
けれども、国交省はこれから数年間すったもんだ専門家を集めて議論をするだろうが、全建物義務化にはしないだろう、おそらく。
なんでか
構造計算技術者の人材不足、審査する会社の体制、そして工務店の保護のためだ。

しかし、必要なことは、ナショナルミニマムとして国が責任を持たなくてはならないはずだ。
設計や審査をする技術者の養成、工務店の教育は、自衛隊がアメリカからオスプレイを2~3機買うくらいの予算で充分おつりが来る。

また、構造計算にかかる費用については、ちゃんとお客さんからもらえるように公定価格にすることも考えるべきだ。
でないと、およそ2~30万円ほどかかる諸々の追加費用を「値引き」させられて、多くの工務店は行き詰まってしまう。

原発を平気で再稼働させてしまうようなこの国が、そこまで本気で住宅の安全を考えてくれるのか、かなり怪しいものだが、どっちにしても、当面は構造計算が義務化されることはない。

まず、自分の身は自分で守ろう。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-18(Tue)

天下三分の計  新潟県知事選挙の結果から

新潟県知事選挙の結果は、「天下三分の計」の正しさを証明した。

天下三分の計とは、言うまでもなく諸葛孔明が劉備玄徳説いた大戦略。
玄徳の蜀の力ではとうてい中国を統一できないので、まずは魏呉蜀の三国が相互牽制してバランスを保ち、その間に国力を付けようという作戦だ。三国志のメインテーマとも言える。

天下三分の計は、あくまでも当面の策であり、妥協策であると同時に、現状から理想に向かうためのシビアで現実的な作戦である。

では、新潟県知事選挙のどこが「天下三分の計」なのか。
①自民&公明
②民進&連合
③共産&社民&自由&なかまたち

この三つの勢力が競うことで、勝機を見いだせる。
今回は、①と③が拮抗することで、②の分裂をひきだし、それが最後の勝利を決定づけた。
まさに、三国志を見ているかのようであった。

小沢氏がずっと言いつづけている 「野党第一党の民進を中心とした野党共闘」ではなく、今は、「天下三分の計」を取るべきなのだ。
野田民進に「中心になれ」と言いつづけて永遠に時間を浪費するのは無駄としか思えない。
新潟で示されたように、多くの民進の議員が自己保身のために出てこざるを得なくなる状況を作り出す。これに尽きる。



そのためには、③が強くなることが大前提だ。
新潟は、原発立地としての不安が大きかったこと、社民党や自由党(生活)が他県に比べて強かったこと、なかでも森ゆうこ議員が獅子奮迅の活躍をしたこと、現職の泉田知事の後継とみなされたこと、いわゆる市民派が結集したこと、そして候補者の米山氏の覚悟が決まっていたうえにキャラクターも抜群だったこと、などなどの条件が重なっていた。
その結果、国政ではまだ難しい①と③が拮抗するという事態になった。

そこまで行けば、民進のような日和見集団がどうなるか、ものの見事に見せてくれたのが今回の選挙だ。
問題は、では他府県や国政選挙で、①と③が拮抗する、良い勝負をするところまで、どうやって持って行くか だ。

そこにも、小三分の計がある。
③の中の三分である。

③-1 共産
③-2 社民
③-3 自由党&なかまたち

共産と社民 既存の運動勢力と言ってもいい。
②は社民党だけではなく、みどりの党や新社会党や市民運動なども含む。なんやかんや言っても、国政選挙になれば社民党を応援する人たち、ということ。
市民運動の人たちの中には、選挙戦にガッツリ組み入れられるのを嫌う傾向も見受けられるので、その壁を突破することが必要だ。

さて、③の自由党&なかまたち である。
自由党は党名を変え、太郎さんとは分業制にすることにして、自由党本体は保守層の掘り起こしに力を入れることになった。
これは、非常に重要な使命だ。
自公と拮抗する勢力を作り出すためには、安倍自民に辟易している保守層の心をつかむことが絶対に必要だからだ。

これまで野党共闘云々のなかで、野党=革新系のようなイメージが強く、そういう反安倍保守層は遠巻きにして見ていた感がある。
そのイメージを払拭し、保守的な感性をもった人々を糾合する自由党になれるかどうか、ここに三分の計はかかっていると言っても過言ではない。

③-3はもうひとつ「なかまたち」がある。
山本太郎となかまたち のなかまたちでもあるけれど、ここで書いている「なかまたち」は今は無党派だったり投票に行かない人たちのこと。革新とか保守という感覚も全くない人たち。
政治はキタナイとかダサいというイメージだけをしっかりすり込まれている人たち。
それでも、生活に困ったり、将来に不安を感じたりしている人たち。

自由党の共同代表である山本太郎さんが、あえて分業するのは、こちらを担当するからだ。
これまでの政治のやり方とは違う手法を駆使して、エンターテイメントも交えながら、実は不満を抱えている人たちにアプローチしていく。

票が割れるという意見もあるが、どちらに入れようか?と迷うのはかなりコアな支持者だけで、ほとんど重なることはないと思う。
関西の人にしか分からない例え話だけれど、梅田に同一資本の阪急百貨店と阪神百貨店が並んでいるが、それぞれ違う客層をつかんで繁盛している。阪神が阪急に統合された時は、「阪急タイガースなんて誰も応援しない」と大騒ぎになった。

太郎さんが狙うのは、これまで政治や選挙を横目で見ていた人、目の前の問題には気が付いていても、政治に結びついていない人、頭では分かっていても政治に絶望している人、そういう人たちだろう。
だから、「どっちに入れよう」と迷うくらいのコアな人は、迷わずに自由党に入れたらいいと思う。

その上で、実は自由党と「なかまたち」は、その内容においてほぼ同一だ。
違うのは、保守という自覚があるかないか、だけ。
だから、党としてひとつであることは、なんら矛盾はない、と私は思っている。



私自身の感覚がどこに一番近いのだろうか。
実は20代の時は一度も選挙に行ったことがない私としては、棄権する人たちの気持ちはかなり分かるような気がする。
しかも、自分が保守だとは思っていない。
10年くらい前までは、あえて分けるなら革新系というか左翼だと自覚してたけれど、今はそうやって分けること自体だ罠だということに気が付いてしまったから、今は保守とも革新とも思っていない。
 → 右と左という宿痾

ただ、新旧で言うならば、やはり私は旧の部類に入るのだろう。これは憲法フェスをやってみて思い知った。
旧態依然の運動を自己満足的にやっていくつもりはサラサラないが、これまでの様々な積み上げを改善し、最後はひとつのゆるやかな組織にしていく発想しか、私にはできない。

行き着くところは、10-100-1000 だと思っている。
各小選挙区に、10人のリーダー、100人のアクティブ(運動員)、1000人のロジスティックス(兵站、カンパ) だ。
 → 政権交代の戦略を考えてみる

共産&社民&自由&なかまたち の総合力でこの組織が実現できれば、間違いなく政権交代はできるし、少々の逆風が吹こうがびくともしない。
現状では、共産党にオンブにダッコになってしまうので、それ以外の力をどれだけ付けて、共産党と対等なプレゼンスで地域活動ができるようになれるか、そこにかかっている。

こういう発想なので、やはり自分の足場は自由党になるのだろう。
そこで、天下三分の計のさらに小三分の計の一翼を作ることから取り組んでみよう。

革新系の気持ちの分かる自由党、昔は政治家なんて大嫌いだった自由党、まあそんな立ち位置であちらこちらに出没しようと思う。




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします


2016-10-17(Mon)

熊本地震でわかった行政の耐震対策の矛盾

ひさしぶりに「家づくり」方面の話。

震度7を2回という前代未聞の震災となった熊本地震。
さまざまな問題を建築業界や行政に迫っている。

そもそも、建築基準法もバージョンアップした住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)も、こんな地震は想定していない。
津波もそうだけれども、まさに想定外なのである。

その結果、熊本地震ではこれまでの大震災とはあきらかに違った被害がおきている。
「新耐震」の建物も大きく損傷してしまった。

新耐震というのはなにかというと、1981年(昭和56年)に建築基準法が改正された後に建てられた建物、ということ。
自宅の「建築確認申請書」」がちゃんと残っている方は、引っ張り出してその日付を見てみてほしい。
確認年月日が昭和56年6月1日以降であれば、貴方の家は「新耐震」だ。

これまでの震災では、新耐震かそれより古いかで、歴然と被害の差があった。
ところが熊本地震では、もちろん差はあるけれども、新耐震もかなり大きな被害を受けてしまった。
20161017-1.png
(国立研究開発法人 建築研究所より)

このグラフを見てひとめで分かるのは、1981年(昭和56年)6月~2000年(平成12年)5月 の被害の大きさ。
その理由は、私ら建築業界の人間にはすぐわかる。
同じ新耐震でも、グラフの真ん中と右では、ぜんぜん中身が違うからだ。

2000年5月で何が変わったのかというと、
①耐震壁のバランス
②柱、梁、筋交いなどを繋ぐ金物
③中間と完了の検査

①のバランスというのはこういうこと
20161017-2.png

北側に壁が多く、南側の道路や庭に面した側には壁がほとんど無い、というパターン。
間口が狭くて、道路側には壁ゼロなんて家も多かったりする。
絵で見る通り、耐震壁が偏っていると、壁のある側はめっちゃ強いけれど、無い側がブンッと振り回されて家がつぶれる。
新耐震であっても、2000年(平成12年)5月までは、こんなのでもOKだったのだ。おそろし。

②の金物がないとこういうことになる
20141017-3.jpg

この写真の家も新耐震だそうである。が、いくら筋交いがあっても、スポッと抜けてしまってはなんの意味もない。
これまた、2000年(平成12年)5月までは強い専用金物でつなぐことは義務じゃなかった。
私はこれ以前から金物使うようにしていたけれど、大工さんに「なんでこんな物つけるんだ」と怒られたものだ。

③は行政やその代理機関の検査。
完了検査はもともと義務なのだけれど、これも2000年くらいまではかなりいい加減で、確認申請とできた建物が全然別物で、検査受けずにそのまま住んでます、という家が圧倒的に多かった。
大きな建物はさすがに行政も厳しいけれど、一戸建て住宅まで手が回らずになし崩しになっていた。

ところが、阪神淡路大震災のあと、多くの行政が中間検査を義務にしはじめた。
筋交いなどができたあたりに、検査に来るわけだ。
これでずいぶん違法建築や金物無し建築などは減ったと思われる。
大工さんの意識も、だんだん「金物は付けなくちゃいけない」と思うようになっていった。

そんなわけで、建築確認申請の日付が、2000年(平成12年)5月以前と6月以降とでかなり大きな差があるってことだ。
本来ならば、前期新耐震 後期新耐震 と区別すべきなのだが。。



旧耐震の建物は、耐震診断を激安で受けることができる。
実質5万円かかる診断が、自己負担5千円になる。つまり、4万5千円の補助が、全国どの市町村でも出るはず。

耐震改修工事にも、かなりの補助が出る場合が多い。
例えば、うちの事務所がある吹田市では70万円もの補助金がある。
(詳しくは自分とこの役所にきいてみてください)

ところが、、 行政の耐震対策では、新耐震は新耐震で一本。2000年5月以前と以降の区別はない。
なので、かなり心配な前期新耐震の家には、1円の補助も出ない。

熊本地震の被害から、何年かすると制度も変わるかもしれない。
ただ、阪神淡路から法改正まで5年かかった一方で、東日本から熊本まで5年だったことを思うと、ノンビリ5年待っているのは、心配な人にとっては辛い話だ。

次の改正は、そもそも震度7x2回を想定するのかどうか、などあまりにも大きな課題があるので、そう簡単に結論は出ないだろう。
それまでどうしたらいいのか。

もちろん、5万円を自己負担して耐震診断をするのが一番いい。
でも、なかなか5万円は大きな出費だ。

そこで、ひとつ提案が。
①と②だけなら、簡単に診断することができるので、そこだけでもやってはいかが。

③については、図面通り手抜きしていないかどうかのチェックなので、通常の耐震診断と同じように、床下や天井裏に潜り込んで調査しなければならない。
しかし①と②は図面があれば判定できる。
逆に言うと、図面通りに作っているとしたら、という過程の診断と言うことになるが、それでもやらないよりはやった方がずっと安心だ。

とくに、完了検査を受けた「検査済証」がある家については、①と②をチェックすればほぼ大丈夫。

こうした診断を、できるだけコストをかけずにやるには、
・まず訪問して図面を受け取る。簡単な目視調査
・図面を持ち帰って耐震診断の計算
・結果を郵送して電話やスカイプで説明

これならば、作業1万+訪問経費5千円くらいでできるはずだ。
大阪近郊なら、連絡いただければホンマにやりますよ。

これに行政がわずかでも補助制度を作ってくれれば、実は心配な前期新耐震もかなり安心である。

震度7x2回に耐えられる家をどうやって作るかも大問題だが、まずはできることから、少しでも心配の種を減らしていくことが大事じゃないかと思う。




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

2016-10-14(Fri)

アメリカはTPPを諦めていない

米国大統領候補が二人ともTPPに反対しているから、TPPは消えるんじゃないの、と思っている諸兄諸姉に、下記のニュースをお届けします

【米大統領選】クリントン氏、TPP再交渉視野 流出メールで「本音」判明
2016.10.12 SANKEIBIZ


ヒラリー・クリントン氏が昨年10月の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の大筋合意時に、大統領としてTPPを再交渉して実現させるシナリオを見据えていたことが、内部告発サイト「ウィキリークス」が11日に公表したメールで分かった。
(略)
米通商代表部(USTR)の元高官は、「クリントン氏はオバマ政権下で議会がTPPを批准し、自分は大統領としてTPP批准に関与しなくて済むのがベストだと考えている」と分析。
(引用以上)


ようするに、もしクリントンが勝っちゃうと、オバマが退任までの間に批准しちゃって、クリントンは「仕方ないわね」とかいいながら、内心大喜び というシナリオらしい。

両候補が反対してるのに、なんで安倍ちゃんは強引に批准するんだ?と思ってたら、こういうこと。

T 多国籍企業に
P ぴったりの
P プレゼント

こんなものいらん!

という方は、ちょっとでも声出しませんか
ということで、大阪の情報

明日10月15日 各地で街頭宣伝
 うちら(生活フォーラム関西)は、11:30~12:30 京阪天満橋駅前でやります
 よかったらマイク持って一席ぶちませんか。(もちビラまきだけでも可)

なかなか人には説明しづらいなあ という方にはこんなすてきなパンフもあります。
明日の天満橋で配布しますので、もらいに来るだけでもぜひ

永田町恐怖新聞vol3 

20161014-2.jpg
20161014-3.jpg
20161014-4.jpg
20161014-5.jpg





2016-10-12(Wed)

命のナショナルミニマム

国政の役目ってのは何だ?

政治家や政治学者はややこしいことを色々と言うだろう。
でも、国という枠の中で生きていかなければならない一人の人間としては、かなり単純な話だ。

命のナショナルミニマムを保証すること

これに尽きる。

ナショナルミニマムという言葉を検索すると

元々は19世紀後半にイギリスのウェッブ夫妻によって提唱された概念で、日本語では「国民最低限」または「国民生活環境最低基準」とも訳され、その本来の概念は、最低賃金、最長労働時間、衛生安全、義務教育の4つの項目から構成されます。

なんて書いてあるので、ああそれなら憲法25条の
「健康で文化的な最低限度の生活」と同じだな、
と思われがちがけど、私が言いたいのは、もうちょっと広い意味。

どの分野に限らず、国が保証する最小限 みたいなこと。
たとえば私の仕事に関連して言えば、建築基準法できめられた構造強度は、建築構造のナショナルミニマム。
他にも、運転免許は、自動車運転技術のナショナルミニマムとか。
そのやり方が正しいかどうかは別として、専守防衛なんていうのもナショナルミニマムにはいる。

命を国が最低限保証すること

では、命ってなんだ
死んでなければ命か?
死にそうな時に助けるのがミニマムか?

命をまっとうするために必要なことはなにか
古来言われるのは「衣食住」。しかし現代の生活で「衣食住」だけではマトモに生きているとは言いがたい。
衣食住に加えて、医療、教育、子育て、介護、年金、職業、文化芸術、だって必要だ。

あったりまえみたいだけど、こういうミニマムを「どうやって」保証するのかってことを、ちゃんと国民に分かりやすく開陳するのが政治家の役目だ。それを信用してもらえたら、議席が増えて政権が取れる。

バカみたいに当たり前だけど、振り返ればば与党も野党もそれをやっていない。
「希望」は述べているけど、リアルに「どうやって」を語る政党はない。
バカみたいに当たり前のことをしていないのだから、投票率が落ちるのは、あったりまえだ。
それを民度が低いなどと有権者のせいにする政治家は政治家の資格がない。



このあったりまえのミニマムのなかで、子育てについて少し書いておく

「子育て」はミニマムに入らない と私は思っている。
こんなことを書くと、おまえは「子ども手当を削って軍事費に回せ」と叫んだ稲田と同じか! と叱られそうだが、少し話を聞いてほしい。

1980年には、専業主婦の世帯が共働きの世帯の1.8倍だった。それがバブル崩壊とともにほぼ同数になり、しばらく拮抗した後に1999年からは一気に共働きが多くなり、2014年には共働きの世帯が専業主婦の世帯の1.6倍を超えている。
20161012-2.png

共働きが増えた80年代、90年代という時代は、おおくくりで言うならば、新自由主義が日本に侵出し根を下ろした時代だ。
経済は成長しても給料は上がらない時代とも言える。80年代に徐々に給料のアップは鈍くなっていき、90年代に入ると横ばい状態になり、97年をピークにしてあとは下降の一途をたどっている。
まさに、共働き世帯の増加と、軌を一にしている。
20161012-1.png

ようするに、女性の社会進出とか男女共同参画とかいわれているのは、実は旦那の給料が下がってきたので食うために主婦もやむなく働きに出ているという実態なのだ。
女性が働きやすい環境を作ることは当然ことだが、それとこれとは別問題だ、ということ。

こうした経済事情を背景にして、保育所に通う子どもたちは増え続け、待機児童問題も発生した。
そもそも待機児童についての統計を厚労省がとりはじめたのが1995年だというのだから、やはり問題になり始めたのはこのあたりからってことがわかる。
20161012-3.png

さらに追い打ちをかけるように、大学の授業料やら教育費がバカ高くなっていく。
20161012-4.png

もうこうなってくると、子育て問題はもはやミニマムではなく、国を挙げてのバックアップというか、「社会が子どもを育てる」という2009年民主党マニフェストの子ども手当の理念みたいになる。
これはこれでおおいに結構なのだが、おおもとの「お父ちゃんの給料が下がる」という問題を放置したまま、子ども手当だとか、お母ちゃんがパートに行くための保育園だとかばっかに手を尽くすのは、本末転倒だと思うのだ。

で、何が言いたいのかというと、ほとんどの家庭で働き手が一人(お父ちゃんでもお母ちゃんでも)で家族4人くらいが充分に食っていける収入がある状態で、それでも何らかの理由で子育て支援が必要な人が出てくる。そこをカバーする、というのがミニマムのはず。たとえ全ての子どもに2.6万の子ども手当を実現するにしても、その財源を負担すると言う意味でも経済が回っている必要があるし、そのためには全国民が充分に生活できる稼ぎがなくっちゃならない。

ここをないがしろにして、子育て問題を語るのは、お父ちゃんの稼ぎをごっそり抜いている新自由主義の思う壺。
要注意だ。

これからしばらく、気の向くままに「命のナショナルミニマム」について書いていこうと思う。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


2016-10-08(Sat)

次のステップへ (憲法フェスの総括その2)

総括その1 を読んでいない方はこちらから
  → 憲法フェスの総括とこれから その1 ~四年間をふり返りながら~

*********

7月の参院選が終わった直後、私は山本太郎さんから、憲法フェスという構想があることを聞いた。
まだ漠然とした話だったが、三宅洋平さんと二人で全国を回るかもしれない ということだった。

前回書いた通り、これまでより一回りも二回りも広い、バラバラでない組織を妄想していた私は、これに便乗させてもらおうと考えた。
つまり、大阪での憲法フェスの実行委員会をつくり、それをキッカケにしてより広いつながりが作れるのではないか、と思い立ったわけだ。

そんな構想をごく身近な人たちとゴソゴソ相談し、とりあえず第1回の実行委員会の呼びかけをした2日後に、三宅さんと安倍昭恵のお食事会があった。驚くのもオカシイという批判すら受けるけれども、私はひっくり返るほど驚いたし、企画しはじめた憲法フェス実行委員会の舵取りをどうしたらいいのか、頭が真っ白になった。
このときの率直な心情はこちらに書いたとおり
 → 李下に冠を正さず (三宅洋平氏のことについて)

なんとか立て直して8月の初めに最初の実行委員会を開催。憲法フェスをやろうということと、それをキッカケに広いつながりをつくろう、という基本方針を確認した。その数日後、三宅氏が安倍昭恵を高江にアテンドしたという情報が。。。。
これを聞いた瞬間は、もう憲法フェスをやめようと思った。全部仕切り直しだ、と。。。
それでも一週間ほど唸りながら立て直して、断固やる方向で踏み出した。
その時の記事はこちら
 → 「敵」ってなんだ? ~三宅洋平氏と安倍昭恵氏の件をめぐって~

この私にとってはフラフラの1ヶ月くらいの間に、憲法フェスの主催は三宅洋平事務所ということも決まっていった。どういう理由かは直接は聞いていないけれども、山本太郎さんは主催というより出演者のスタンスになっていった。

当日の内容も、どんんどん膨らんでいった。うまく中崎町ホールという広い庭のある会場がまる1日とれたことで、マルシェもやろう、昼の部もやろうということになり、最終的な内容やタイムスケジュールが決まったのは本当に直前だった。

私が思い描いていたものからはかなり変化はあったけれども、憲法フェス@大阪は勢いよく開催された。
そして、1日のイベントとしては、これ以上は望めないほどの濃厚なものになったと思う。



憲法フェスの内容の振り返りはここでは省かせてもらう。当日の様子は、とりあえずYoutubeにアップしたので、参加していない方はじっくり見てみていただきたい。(長~いけど)



全部で7本に分かれているので以下はリンクだけ
 昼の部 2
 大阪駅街宣 1
 大阪駅街宣 2
 大阪駅街宣 3
 夜の部 1
 夜の部 2

フェス大阪がおわって1週間ほど後、ボランティアに参加してもらった人たちと「ふりかえり」の会をおこなった。総括というまとまった話ではなく、気づきを出し合う、という場である。かなり色んな意見を出してもらえた。進行や準備に関することもたくさんあったが、この稿では全体にかかわることに集中して書かせてもらう。

まず準備段階については、人材活用がうまくできなかったという指摘や反省があった。たしかに多士多才なボランティアが集まり、この力をフルに活用できれば、相当のことができるのかもしれないと思われた。ただ、現実の時間軸の中では今回は私は限界だったというのが正直なところだ。むしろ、今後に向けての明るい材料としてとらえたいと思う。

今後に向けては、大きくわけて3つの方向の意見が出ていたように感じた。
ひとつは、音楽やマルシェとコラボした今回のフェスの形を、拡大または縮小して続けていこうという意見。もっと準備すればもっと大きなフェスができるという話や、小さなフェスを今回はボランティアで参加して人たちが主催者になって各地でやるべし、という意見など。

ふたつ目は、フェスからから政治活動まで、大小硬軟とり混ぜて様々ある情報を、集約して周知できるポータル的な役割をつくることはできないかというような提案。こだわりのマルシェや子育ての勉強会などの政治にはこれまでつながってこなかった領域から、いわゆる市民運動から政党の活動まで、幅広い情報ポータルという考え方だと私はうけとめた。

みっつ目は、情報だけでなく人のつながりを、なんらかのグループとして継続していけないだろうかという提案。関連することとして、なにかに反対するだけでなく、「こんな生活ができる」とか「こんな世界を作れる」ということを考える場がほしい という意見もあった。

いずれも素晴らしい意見だと思うが、問題は「誰がやるのか」である。
ふりかえりの会ではあえて責任は無視して、好き放題言う会にしたことで面白い意見がたくさん出たのだけれども、いざ実行するとなれば誰がやるのかは いの一番に考えざるをえない。
逆に言うと、大きな問題は「誰がやるか」だけだ、とも言える。フェスもポータルもグループ形成も、それなりに機は熟している。これまでだったら考えられないようなネットワークの糸はつながっているので、「俺がやる」と実行すれば前に進む可能性は大である。

ただし、どのジャンルもかなりの労力を継続的に傾ける必要はある。もちろん一人ぼっちではなく多くの仲間はいるけれども、最後に責任を取るのはやはり一人だ。俺が船長だという一人がいなければ、こうした企画は動かない。また、中途半端に食べかけて放置するとネットワーク自体が崩壊する危険があるので、やりかけたからにはやりきる覚悟がいる。



では、私はどうするのか。どうしたいのか。
それは総括その1を読んでいただければお分かりいただけるとおり、グループ化、より広い組織化、未来を考える場つくり、というジャンルだと考えている。

フェスを継続的に続けていくこと、拡大すること、あるいは多方面にミニフェスを拡散していくこと、これらは政治に目を向けてこなかった3000万人に訴える格好の機会になるだろう。これまでとは一線を画す試みになると思われる。
しかし、とりあえず1回やってみた実感では、今自分が振り向けられる時間をすべてつぎ込んでも、とても間に合わないほどの手間と時間がかかる。準備期間をとり、多くの方々の力をちゃんと活かすことができれば、年に1回くらいは続けていくことはできそうだが、活動のメインにするには、私はあまりにも非力である。
また私が自分の持ち場だと考えている方向とは違うということもある。

もちろん、主催したいからあれこれ引き継いでほしいという要望があれば、分かることは喜んで伝達等々させてもらうので、ご遠慮なく。ただし留意していただきたいことが二つ。
ひとつ、憲法フェスの主催は三宅事務所であり、大阪実行委員会はサポートしていただけだということ。
ふたつ、三宅さんも太郎さんも、大きな方向性としてはこうしたフェスを継続していこうという意向はあるとしても、それがどの程度なのかは未確認だということ。

よって、山本太郎・三宅洋平という二枚看板に頼らずに、自分たちでできるフェスをやろう、という心構えが基本であり、そこに二人が何らかの形でコラボできればラッキーと考えるべきだろう、と私は考えている。

情報ポータルという意味では、まず私は技術的に対応できない。
これはグループ作りにも直結するとても面白い試みだと思うのだが、徐々につながりが拡がっていくのに合わせて、内容を少しずつ考えていくような、まだるっこしいことを今は考えている。

これもできる人がいれば、是非ともやっていただきたいとおもう。
頭の柔らかい人であれば、意外とさくっと作れてしまうのかもしれない。



広いグループ化という話と、野党連合的な話は関係があるのか。

私は直接の関係はないと考えている。
むしろ、政党の右往左往に振り回されるのではなく、既存の政党にはできないことをやっていくことこそが、フェスの総括の真髄だろうと思う。

政党に関しては、私は小政党がまとまって400万票規模のAグループを作り、それが共産党と連携して1000万票のBグループとなり、そのBグループが民進と交渉すれば民進もなかなか嫌とはいえなくなる、という戦略がいいと思っている。
 → 民進に寄りかからない野党共闘という選択肢 

これはあくまで当面の戦術。現実的な妥協策であって、中長期的には、本気で政権交代を目指す「ひとつの塊(かたまり)」を作らなくてはならない。
この塊(かたまり)は、宗教やファシズムでないかぎり、多種多様の寄り集まった塊になる。

これまではこうした集団は、一度は塊になりながらも、ほどなく多様さが原因で亀裂を生じ、内紛や分裂を繰り返してきた。
なぜならば、同志であっても自分とは違う、ということを理解していなかったから。
あるいは、自分と違う同志はいつか排除してやろうと、心の中で思っていたからだ。

これから作るべき塊は同じ轍を踏んではならない。
大同小異ではなく、小同大異を自覚した塊でなくてはならない。
・戦争という手段は使わない
・誰しも生きる権利がある
というあたりまえのこと以外は、始めから違いを尊重し合い、異質なものとの信頼関係を形成できる集団をめざすのである。
こうした作業は、政党レベルでできることではない。

政党は、どうしても目の前の政策課題、政局、選挙に追われざるをえない。
「ひとつの塊」は、政党を引っ張るつもりで市井の私たちから作っていかなくては、実現することはない。
小同を見いだすことは難しいことではない。これは政党でもできる。というか、ここは具体的な戦術として政党が決めるべきだろう。
問題は、大異を認め、違っていることを尊重できるかどうか。

国家とは何かという大問題に始まって、資本主義の可能性、平等のありかた、自由のありかた、などの理念的な課題もある。
あるいは、天皇の問題、日米安保の扱い方、自衛隊の是非、社会保障と自己責任の問題、教育制度の問題、などなど政策レベルの話でも、今は「安倍政治を許さない」と一致している人たちの中でも、実はバラバラなのである

今は共闘の黎明期なので、多くの人がその違いに目を向けていない。気が付いていなかったり、気が付いている人はあえて目をそむけている。
そして、保守も革新も、お互いに 「やっとあいつらも俺らの言うことを理解するようになりよった」と思っている。お互いが 相手が自分に近づいてきた と思っているのである。

しかし、何かのきっかけでその違いはむき出しになる時が来る。
むしろ、共闘がうまくいけば行くほど、敵はそういう機会を積極的に仕掛けてくるだろう。
その時に、「なんだ、全然分かってないじゃないか(怒)」となるのか、「そんなこと始めから知ってるわ(笑)」となるのかで共闘の行く末は決まってくる。そして、「(笑)」にするためには、草の根の不断の努力が必要なのだ。



もうひとつ、既存の政党や政党連合にはできないことがある。本来は、政党がやるべきことかもしれないがたぶんやらないだろう、という領域だ。
それは、長期のビジョンを考えるということだ。20年後の日本のありよう、私たちの生きる術を考えるということ。

今の政党を見ると、漠然とした理念と、目の前の政策しかない。しかし、私たちが政治の選択をするときに、一番ほしいのは「将来像」ではないか。自分の老後や、子どもが成人した時のこの国の姿が一番気にならないか。
2020年は今の惰性で迎えるかもしれないが、2030年、2040年がどうなっているのか、あまりにも不安でいっぱいなのではないか。

これは、若い人ほど投票率が低いことの一因でもあると思う。
20代の若者が、30代40代になって子どもを育て、50代には老後の不安がおしよせ、60代になって本当に生きていけるのか、ビジョンを示している政党はない。政治に期待しないのは当然だと言える。

とは言え、今現在、少ない人数で八面六臂で目の前の問題にあたらなければならない政党に、ここまでを求めるのは酷。
無い物ねだりをするのではなく、ここも自分たちで自前でやってやろう。投票に行かない、行かなくなってしまった人たちに、もう一度信頼してもらうためには、絶対に欠かせない部分を提言していく存在が必要なのだ。

その際、異質のものがあつまった塊(かたま)であることが役に立つ。
同質のものが集まって相談しても、偏ったイメージ、ぜんぜんリアリティのない未来像しか湧いてこない。様々な理想をもった人間が集まって妥協できる範囲を真剣に議論するからこそ、リアルな未来が見えてくる。

学者には依存しないこと。
学者の知見はもちろん大事だけれども、一番大事なのは生活者の実感であり、未来を生きる自分たちだという気概を持つこと。
衒学的な難しい言葉ではなく、あまり横文字も乱用せず、誰にでもわかる言葉で未来を語ることだ。



こうした塊(かたまり)を、集まりやすい府県単位や地域単位で作っていくこと。数十人で始めて、議論をリードできるメンバーがでてきたら細胞分裂していく。
ただし、それがバラバラになるのではなく、国民から見た時に「ひとつの塊」であることを担保する。

政党間の動きとは、つかず離れずリンクしながらも、全国に300単位になればまさに政権交代の原動力ともなる。
各小選挙区に、リーダーを務める10人と語る言葉と動く経験をもった100人がいれば、イザという時は最強の選対となり、自分たちの候補者を立てること、あるいは既存の候補者と協定を結んで推薦すること、自由自在だ。

以上は究極の姿であるが、これが民主主義の姿なのではないだろうか。
フェスが提起したオルタナティブ、すなわち、既存の政党や市民運動とは違うありかた、というのは、衆人の耳目を集める手段と言うことではなく、こういうことなのではないか、と私は考えた。

再稼働反対で国会前に集まった10万とも20万とも言われる人たち、選挙フェスで連日駅前を埋めた延べ数万の人たち、大きなイベントがなければ普通の日常を送っているこの人たちが、継続的に集まって、議論し、動き、「ひとつの塊」になること。
そのための場をつくること。
ここれが私のフェス総括の結論だ。

そのためには、やはり日本のパブロ・イグレシアスは必要だ。
指導とか責任とかではなく、シンボルとしての存在はどうしても必要。
その集団が「なんなのか」をざっくり一目でわかる存在。

私はそれが山本太郎さんだろうと考えている。
今はまだポテンシャルの段階だが、ご本人がその気になれば充分にシンボルになれる存在だろうと思っている。
ただ、現状では運動の側が彼に依存してしまう(つまり負担になるだけ)可能性大なので、ことはそう簡単ではない。



生活の党が自由党になるらしい。
党名の問題はともかく、これまで実質休眠状態だった党としての活動を始める、と宣言している。
(遅すぎる!と腹の中では思っているけれども)歓迎したい。
裏を返せば、政党レベルでの「ひとつの塊」というシナリオは、当面はないということだろう。

私の本籍地として、生活の党あらため自由党にかかわる活動はもちろん継続していく。
と同時に、塊にむけた場を作る活動を、自分のフィールドとしてやっていきたい。

なかなか稼げない住宅設計の仕事をしながらの活動で、あまり期待されてもたいしたことはできないが、本稿をひとつの区切りとして、あれこれ悩む段階から具体的な次の行動を考える段階に進みたい。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ  応援お願いします

自由党 近畿ブロック
国民の生活が第一!
KINKILOGO.png
自由党
jiyutoulogo.jpg
山本太郎となかまたち
bnr_nakamatachi.png
生活フォーラム関西
なんとしても政権交代を!
20140723-3.jpg
ひとびとの経済政策研究会
松尾匡氏ら気鋭の経済学者による  政策提言と勉強会
ひとびとの
カレンダー
09 | 2016/10 | 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
リンク1
貴重な情報をいただいています
(順不同)
リンク2
ブログ内検索
twitter
田中龍作ジャーナル
20140723-4.gif
マガジン9条
パレスチナ・オリーブ
パレスチナで作られたオリーブオイルやオリーブ石けん。これはお勧め。
palestineolive.jpg
RSSフィード
blogranKing.net

カウンター
最近の記事
プロフィール

明月 こと 山岸飛鳥

Author:明月 こと 山岸飛鳥
木の家プロデュース 明月社 主宰
一級建築士
趣味 キコリ 畑
取り柄 貧乏
Email : info@mei-getsu.com

明月社のアルバム
明月社の作品や家づくりのアイディアなど ちょくちょく更新しています
アルバムLOGO
木の家プロデュース明月社
ホームページをリニューアルしました
meigetsusha.jpg
明月社へのご連絡

名前:
メール:
件名:
本文:

明月社 facebookページ
六甲菜園ブログ
郊外楽園プロジェクトの六甲菜園
rokkou-sides.jpg
おすすめの本
こんな時代だから、お薦めしたい本。アフィリエイトではありません。

自伝的戦後史(羽仁五郎) jidentekisengosi.jpg

おすすめの本 2
日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか

nihonhanaze.jpg

おすすめの本 3
日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか
nihonnhanaze2.jpg
おすすめの本 4
世界超恐慌の正体

sekaichoukyoukou.jpg

おすすめの本 5
そして、日本の富は略奪される

sositenihonnno.jpg

おすすめの本 6
コンクリートが危ない

conclete.jpg

おすすめの本 7
家を建てる。家づくりはたたかいだ

iewotateru.jpg