2020-06-18(Thu)

革命 改良 改革 ~東京都知事選について~

革命とは天命が革(あらた)まること つまり支配者の系統が変わることである。

愛新覚羅家が支配する清朝が辛亥革命で孫文と蒋介石らによる中華民国に代わり、さらにそれが中国革命によって共産党にとってかわられた。

日本の場合は、明治維新など何度も支配権の争奪は経験しているけれども、なんだか革命というにはスッキリしない中途半端さがつきまとっている。天皇が残っているということもあるし、それに象徴されるように、あえて天命が革まるような設えにせず、むしろ後継者を僭称するという形式をとってきたことが大きいのだろう。

とくに1945年に革命がならなかったことは、その後の日本に暗い影を落とし続けている。
中国のような共産主義革命ということではなく、少なくともそれまでの支配層を一掃することができていれば、戦後の日本は違う道を歩むこともできただろう。

しかし、数人の人身御供を処刑しただけで、ほとんどの戦争遂行者たちは、戦後の支配中枢に残り、岸信介のごときが首相となり、あろうことかその孫が戦後最長の政権を延々と続けている。
安倍政権による最長にして最悪の政治は、つまるところ、戦争を総括できずに戦後革命を成し遂げられなかったことのツケが、たまりたまって汚穢のようになった姿だとも言える。

この日本の戦後の姿に、共産党も含めてすべての既成政党は革命を提起しない。支配の系統を残したままの改良を唱えるのみで、天命が革まるような大変革は望まない。
ごく一部、新左翼と言われたグループが革命を唱えたけれども、まったく世の中には伝わらなかった。

そんな日本に登場したのが山本太郎である。
山本太郎は、声高に革命は叫ばない。しかし、彼の言うことを実現するには、支配構造を根底からかえない限り実現できないことは明らかだ。
すなわち、山本太郎とれいわ新選組こそは、国会議員を有しながら革命を唱える日本初の政党なのである。

東京都知事選においても、妥協を許さず、というか、既成政党が妥協できる範囲をあえて凌駕する主張を高々と掲げることによって、自らの存在をアピールした。
それはあまりにも正しい政策であると同時に、革命の日までは決して実現しない政策でもある。



一方の宇都宮健児は、なんで負けるとわかっている闘いに何度も何度も立ち上がるのか。
これは、多くの人が不思議に思っているのではないだろうか。

私もなかなかわからなかったのだが、4年前の都知事選のあとに書かれたこの記事を読んで、彼の問題意識は少し理解できた気がした。

「日本の市民運動はもっと利口になれ」宇都宮健児氏、都知事選を振り返る
2016年08月05日 HUFFIPOST


(略) ただ私は、もっと市民運動という人たちが選挙闘争に成熟、精通すべきだと思いますね。選挙は様々な課題があって、できるだけ多くの人の支持を集めないといけない。議会制民主主義がこの国のルールだから、選挙をもっと何回も経験して、勝つための工夫が必要なんですね。これまでの市民運動はデモとか集会はよくやるけど、選挙闘争を保守の側と勝ち抜くための訓練が極めて弱いと思います。

国政選挙でもそうですよ。何を重視して投票するかといったら、景気、雇用、社会福祉が3割なんですよ。憲法とか原発は一桁台です。だから憲法問題を最前線に押し出して、ワンイシューで戦うというのはもともと敗北主義ですよね。国民生活や、国民が今抱える問題についてもちゃんと解決策を打ち出して、期待に応えられて、かつ憲法改悪阻止、反原発の人をつくりあげていかないといけないんですよ。反原発だけ言っておけば選挙に受かるかというと、受からないですよ。都政の問題で言えば、都知事選が終わったら都政の問題が頭から飛んじゃうようじゃダメですね。本当に都政を変えようと思ったら次の選挙まで都政について勉強する、都議会の傍聴もやる。そういうことを続けないと保守支配は変わらないんですよ。

あと20~30年かけて、市民運動が鍛えられて選挙闘争にもっと成熟すれば、市民運動は変えられると思うんですよ。非常に参考になるのはアメリカ民主党のバーニー・サンダースの自伝です。選挙闘争を運動と位置づけて、無関心な人を教育して若者や低所得者を組織して次の投票に向かわせる。その粘り強い運動が必要なんですね。バーニー・サンダースはそれを何十年もやって、共和党の牙城だったバーモント州で上院議員になるんだけど、たった1回の選挙で変えようと思ったらだめですよね。そのためにはもっと国民が考える課題に肉薄しなければいけないし、国民と一緒になって考える運動も大切。貧困と格差が深刻な問題になっているわけだから、護憲勢力や反原発勢力がそこを取り込めるようにならないと勝てないですよ。そこが抜け落ちているんですよ。

保守の人たちは盆踊りに行ったり、地域の行事に顔を出したり、いろいろやってるでしょ。それ以上のことをやらないといけないんですよ。東京でいえば、区市町村議会や都議会から変えていかないといけない。野党連合で知事選に勝ったとしても6割は自公の都議ですから、条例1つ通せない。

(引用以上)

これを読む限りでは、2~30年スパンで市民が選挙闘争を学んでいく場を作る、そのために負けるとわかっていても何度も出馬してきたようだ。彼の選対の様子をまったく知らないので、その意図がどこまで実現できてきたのかは私にはわからないけれども、やりたいことはすごくよくわかる。

これが目的ならば、宇都宮にとっては6年前の細川や今回の山本太郎の出馬は痛手でも何でもなくて、1つの貴重なケーススタディーということになるのだろう。
そんなこととは露知らなかった私は、6年前には大まじめに悩んでこんな記事を書いた。

【都知事選】まず冷静に立ち位置を確認しよう

でも、当の本人が究極のところ勝ち負けはどうでも良かったんやねえ。。。。
宇都宮が本気で勝つことにこだわりつつ、市民の実践演習もかねてやる気ならば、本人が出るのではなくて勝てる候補を探し、自分は司令塔になるという選択肢もあったはずだ。
しかし、それでは勝つことが優先され、政党の事情に押し流されていくことが目に見えているので、かれはあえて自分が候補として出るのだろう。

最後の最後には勝つことを強烈に、リアルに意識するからこそ、目の前の勝負にはこだわらない。
どうやらそれが宇都宮の戦略らしい。

これはこれで、革命につながる戦略とは言えるのかもしれない。
つまり、山本太郎が叫ぶ政策を実現するためには、宇都宮が実践する市民による選挙革命の実践訓練が必要、ということだ。
ということは、山本太郎を候補者として、宇都宮が司令塔で闘えばよかったんじゃね と思っても時すでに遅し・・・・
それに、太郎を握って離さない方々もいるしねえ・・・・



山本太郎は出馬会見で
「リアルに餓死寸前、この先、餓死しかないかもしれないっていうような人たちが、街に、街のいたるところに目につくって、おかしいでしょってことなんですよ。」
と、いま出馬する心境を語ったけれども、しかし、勝てなければ餓死寸前の人を救うことはできない。
勝ちにこだわらずに孤立主義を貫き、革命的なくして実現できない理想的な政策を掲げることが、果たして目の前の人のためになるのか、私には納得はできない。
かつての山本太郎も、同じことを言っていたように、私は記憶している。

とりあえず最善でも理想的でもないけれども、自公でも妥協するかもしれない程度の政策で、少しだけでもマシな状態をつくろうとすることを、革命に対して改良という。
改良主義というのは、かつてボルシェビキが敵対勢力を反革命として粛正していくときに使われた言葉だから血なまぐさいイメージがあるけれども、この時代にそんなところまで思い出す必要はないので、単に「支配勢力の総入れ替えをせずに、状況をちょっとでも改善すること」と理解しておけばいいだろう。

与野党の伯仲までもちこんで自公政権をたおさないままで少しでも改善を勝ち取るケースとか、せいぜい立憲や国民民主や連合なんかによる、大資本やメディアなどの支配構造には手をつけられない中途半端な政権交代でも実現できる程度の緩い政策。
ぜんぜんスッキリしないけれども、以前よりはマシ、というのが改良である。

2009年の政権交代は、たしかに改良だったけれども、小沢一郎は密かに革命に手をつけようとした。
それは、マスコミのクロスオーナーシップ規制だったり、高級官僚の政治任用だったり、「第7艦隊で十分」発言だったりした。だからこそ、彼だけは徹底的にたたかれ、改良に甘んじたい民主党の中からも排除された。

そんなこともあって改良はどうもイメージが悪いのだけれども、しかし、目の前にいる餓死寸前の人を餓死する前に救うためには、改良でなくては間に合わない。
革命のアカツキを待ち望んでいる間に、どれだけの命が失われていくことか。

しかし、今般の都知事選挙では、明確に改良をめざしている候補はいない。
宇都宮の掲げている政策は妥協的で改良的だけれども、それは実地訓練として練り上げられた結果であって、そもそも勝ちにこだわっていないので、本当の意味での改良主義ではない。



そんな状勢で、やりかたによっては票を集めそうなのが、維新の候補である。

維新は典型的な「改革」政党だ。
改革とはなにか。
革命でも改良でもなく、変化をもとめる声を新自由主義につなげることである。
自民党の基盤であるドメスティックな利権を、多国籍な巨大資本の手に渡すために、国民の変化を求める声を集め、ねじ曲げ、利用するのがカイカク政党である。

革命と改良のバッタ物、似て非なる、どころか似ても似つかぬシロモノだ。改とか革とかいう字を使うに値しないので、カタカナで書く。

ただただ悪い方にしか変化しないのがカイカクなのだが、それだけに現支配勢力にとっても痛い政策ではないから、あまり圧力はかからない。
しかも、外資やヤバい筋などのパワーがバックに付いているので、メディアを乗っ取ることがある。大阪のようにこれをやられると、とんでもない風がおきてしまう。

そして、その正体がわからないまま、何か大阪で実践しているみたいだよ、というリアリティをともなって、カイカクに期待してしまう人が大量発生しかねない。
維新候補は小池の票も食うだろうし、それにとどまらず、大変革ではなくてちょっと良くしてほしい というヌルい都民の希望を集める可能性がある。

現状では小池圧勝の状勢は動かないが、維新が宇都宮や太郎を超えてくるようなことになると深刻だ。
昨年の参院選比例票は、東京都で維新は約48万票とっており、れいわ新選組よりも2万票以上多いのだから。
宇都宮と山本太郎の分立は、政権支持層は自公へ、批判票は維新へ という大阪の病が東京にまで伝染する事態を招きかねない。



それでも、もはや始まってしまった以上は、それぞれ気に入った候補を応援するしかないのだろう。

ただ、せめて直近の数字くらいはおさえた上でやってもらいたい。
昨年の数字を2倍にするくらいなら可愛げがあるが、10倍にすることなどできはしない。
まるで宗教のような奇跡を信じる支持者は、どちらの候補者にとっても、むしろ危うくする存在でしかないと思われる。

素敵な政策を叫んで溜飲を下げたい、義理と人情で応援せざるを得ない、まあ色々あるだろうけれども、熱い心と冷静な目だけは忘れないようにしていただきたい。




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2020-06-15(Mon)

山本太郎氏の都知事選出馬について

山本太郎の都知事選出馬表明に、悲鳴と歓声が入り交じっている。
もちろん、敵陣営ではなく、支持者の間で である。

私自身の正直な感情は「困ったなあ」である。
「反対!」と声高に言うつもりはない。なぜなら、宇都宮健児も各方面に調整して出馬したようには見えず、単なる早い者勝ちだったからだ。
それならば、山本太郎にも宇都宮と同じ権利がある。

では「賛成」なのかというと、そんなことはない。賛成とか反対ではなく、戦略として下策だと考えている。

ごく一部のれいわ熱烈支持者は、山本太郎の出馬に狂喜乱舞し、それなりの割合の支持者は「まあ彼がでるなら応援するよ」という反応だけれども、それが大きなうねりになるか、これまでになかった支持の拡大になるか、というとそんな気はしない。

昨年参院選の熱量でも、投票率は上がらず、れいわの票はほとんど立憲と共産の票を奪った形になった。
もちろん、それはそれで第一歩としてよかったと、私は評価している。最初はそこからしか始まらない。

しかし、参院選後の山本太郎の周辺やれいわ新選組の動きを見るかぎり、第一歩を基礎にして、そこから伸ばしていくという意識は皆無だった。
むしろ、220万票しか集められず、太郎本人を落としてしまった「既存勢力」に対する言外の落胆と不信を私は感じた。要するに、昨年の220万票に依拠する気がはじめから無い、ということだ。

その延長が、今回の都知事選への出馬ということなのだろう。野党共闘的な支持層はごっそり離れてもらって結構。他の野党なんて眼中にない熱烈支持者だけ残って、これまで投票に行かなかった50%の人たちにアプローチできればいい。という考えではないだろうか。

その理念はわかる。大きな方向性としては同意できる。
でも、現状認識と次の一歩として、それでいいのか? 大いに疑問なのである。

昨年参院選のときの東京都のれいわ新選組の比例票は46万票弱である。6年前の太郎票から20万票、3割も減らしている。その後も約1年間、地方組織は作らない方針のうえ、作ると言っていたボランティアセンターもできずに有機的な活動はほとんどできなかった。

この現状で、さらに野党共闘に背を向けて、孤立したたたかいを選択することのメリットが何なのか、私には理解できない。



風頼みの選挙がいかにもろいものか、無残なものか、2009年の政権交代でいやというほど味わったはずだ。
関西の小沢グループが、小なりといえども生活フォーラム関西をつくって維持してきたのも、その痛みを忘れていないからだ。

2009年の政権交代も、半ばマスコミに作られた政権交代だったとも言える。その理由はいろいろ考えられるけれども、あの時はなぜかマスコミは政権交代待望をあおった。
そうやって勢いでできてしまった政権は、能力的にも理念的にも政権を担うにたるものにはならなかったし、何より当事者に覚悟がなかった。

山本太郎個人の覚悟を疑うものではないけれども、都政にせよ国政にせよ、一人でできるものではない。
それだけ大きなものを担っていくチームを作らなければ、仮に風が吹いたとしても、その直後の逆風でまたしても悲惨な結果を招くだろう。

自由党時代の山本太郎は、現場主義と同時にそうした大きなビジョンも踏まえていると私は思っていた。
しかし、れいわ新選組になってから、なかんづく参院選後の山本太郎は、そうしたビジョンを投げ捨ててしまったように見える。



いずれにしても、残念なことに現状の分析によると、女帝小池は自公どころか、立憲の支持層から一部共産支持まで浸透しているそうで、このままいけば宇都宮とはトリプルカウントになりそうな勢いだ。
だったら、どうせ負けることを前提に、出たい人が出て言いたいことを言えばいいじゃないか。結果、党勢拡大になれば儲けもんだ。という意見も多く見かける。

れいわ新選組の熱烈支持者はそれでいいと思うだろう。私も、少しはそういう気分もある。
でも、それを一般の有権者目線で見たらどうだろう。ただでさえ蔓延している選挙というものに対する無力感を、いっそう強めることにならないだろうか。
コロナの影響も含めてだが、乱立選挙はいっそうの投票率低下を招くように思えてならない。

頼りない奴らと切り捨てられた既存勢力が何を言っても、いまさら仕方が無いのだろうけれども、とにもかくにも今の自分の考えを書き留めておく。

生活フォーラム関西の面々や、これまでれいわ新選組を支持してくれていた皆さんと意見交換して、これからどうするのか考えていきたい。




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2020-06-04(Thu)

コロナと人権 & 安倍晋三の裏マター

新型コロナの「緊急事態宣言」と、安倍晋三がやりたくてたまらない改憲の「緊急事態条項」はぜんぜん別物なのは確かなんだけど、問われてる問題はやっぱつながってるなあと思う次第。

ツイッターを見ていて思うのは、安倍政権のド悪政を嘆くひとびとの中でも、コロナへの見解が180°ちがう傾向があるということ。
一方では、コロナの危険を最大限に減らすことを考え、安倍政権の無能、無策を非難し、もっと強制的に対処すべきと主張する人たち。
他方では、コロナを利用した安倍政権によるショックドクトリンや人権圧殺の危険を訴え、極端な場合はコロナは怖くないとまで言う人たち。

どっちも正しいし、どっちも間違いでは というのが私の考え。

たしかに、安倍政権のコロナ対策は愚策に次ぐ愚策、愚策のデパートの観がある。
韓国や台湾のようにやっていたら、人命も経済もここまで被害を出さずにすんだだろう。
しかし、安倍政権に韓国のような個人情報の国家管理を許してしまったら、その先に何があるのか、考えるまでもない。
そのリスクは、コロナのリスクと比較しても、決して小さいとは言えない。

とはいえ、コロナはたいしたことないとか、甚だしきはすべて陰謀で虚構だとか、これはこれで人命をなんだと思ってるんだと言わざるを得ない。
公式発表で死者900人(厚労省6月2日24:00現在)だが、極端にPCR検査を制限している日本の場合、もっと多くの死者がでている可能性が大きい。
なにせ、尾身茂という専門家を自称するおっさんも、「実際の感染者数「10倍か20倍か分からず」」と言ってるわけで。

新型コロナ:コロナ感染死、把握漏れも 「超過死亡」200人以上か
2020.5.24 日本経済新聞


上の記事は、東京の死者数が、公式発表16人の期間に、200人以上増えていたかもしれない、という話。
単純計算ならば10~15倍ということになり、全国では1万人を超えている可能性がある。
やっぱ、コロナなんて大丈夫だよ なんて言えない。

だから、安倍政権のコロナ対策は愚策だ というのも正しいし、ショックドクトリンで人権蹂躙しようとしてるという危機感も正しい。
けれど、だからといってあの極悪安倍政権に大権を与えようとか、コロナは危なくないとか、そんな議論は頭ぶっとんでる。

コロナは危ないし、危ないからこそそれを利用してショックドクトリンを仕掛けてきたのだ。
こんな単純で最悪の事態をちゃんと見据えなくてどうする。
どっちかの危機を見ないフリして気休めしても、現実は容赦ない。



ツイッターと言えば、私のツイッターアカウントには5400の壁というものがあるようだ。
2011年の震災の後に始めてから、ほどなく5000人以上の人にフォローしてもらったのだけれど、その後は5400に近づくと減り、5300以下にはならず、何年も増えたり減ったりを繰り返している。

リツイートも多くないので、要するにあまり「お役にたつ」ツイートをしていないと言うことなんだろう。
反省はしているのだけれども、でもちょっと言い訳もしたくなる。
このブログを始めた2005年から3.11の2011年くらいまでは感覚的にブログが主流だったと思う。
しかしその後、災害にも役立つということもあり、急速にSNSと呼ばれる短文投稿が増えていく。

端的に、もっと言えば極論を、気の利いた言葉で短く表現する。現代版のアジテーションだ。
このブログを今でも読んでくれている方ならばわかっていただけると思うけれども、そういうのは苦手だ。
あっちかこっちか ではなくて あっちもこっちも。
これは酷い って見えるけど 裏の意味は?
みたいなことを ねちねちと考えて書くのが好きなのだ。

コロナについてもそうだし、安倍晋三についてもそう。

安倍晋三を「ファシスト!」と決めつけるのも簡単だし、「トランプの犬!」と罵倒するのも簡単だ。
そして、間違ってはいないと思う。
けれども、それで本当の姿、本当の狙いを捕らえたことになるのだろうか??

そもそも善と悪の二元論から脱却することが必要だ。
民衆の敵とて一枚岩ではない。
ドメスティックな利権を最優先する本来の右翼と、グローバル金融資本の収奪をねらう新自由主義とは、本来は真っ向から対立している。
アメリカではかなり鮮明に対立構造が見えている。前者がトランプであり、後者がクリントン、オバマ、バイデンという構図だ。
しかし日本ではこの対立が顕在化しない。
なぜか。

それは、ひとえに安倍晋三の働きによる。
つまり、安倍晋三は、右翼と新自由主義の架け橋なのである。
もうちょっと正確に言うと、新自由主義が右翼に与えた太鼓持ちであり、ペットなのだ。

右翼勢力が強くなりすぎないように、適当に喜ばせてご機嫌をとりながら、一線を越えないようにする。
これは2006年に第一次安倍政権ができたときからそうだった。
小泉・竹中路線=露骨な新自由主義を継承しながら、極端な反発が出ないように右翼のご機嫌もとっておく。
そのために、安倍晋三というキャラクターは最適だったのだ。

もともとは右翼臭プンプンで日本会議の希望の星。
でも、実な中身は空っぽで自尊心と小金を与えておけば何でも言う通りに動く。
恥という概念が欠落しているので、現行犯逮捕されない限り辞任なんてしない。

新自由主義でチュウチュウと日本の富を吸い上げるグローバル金融資本にとって、こんなに便利な政治家はいなかった。
もう1人の候補が橋下徹で、自民党が下野している間に急上昇したけれども、ちょっと権力欲が強すぎる上に頭が良いので扱いにくい。
で、結局、2012年末に第2次安倍内閣ということになってしまった。

そうこうしている内に、アメリカでトランプ政権が成立し、グローバル金融資本などの「日米関係」を騙って利権をむさぼってきた連中は焦った。
そこで繰り出したのが、やはり安倍晋三という駒だった。
まだ就任してもいないトランプの下に、金のゴルフクラブをもって駆けつけ、恥も外聞もなく「お手」をして見せた。
よく落ちるオスプレイだろうが、欠陥戦闘機だろうが、余りもんのトウモロコシだろうが、作りすぎた人工呼吸器だろうが、買えと言われれば「キャン」と鳴いて即決する。

だから見た目には、安倍晋三は完全にトランプの手下のように見える。
けれども、それでは安倍政権の本質は見えてこない。
安倍晋三個人はトランプの手下になる役割を担ってはいるけれども、安倍政権は決してそうではない。
戦後一貫して日本に浸透してきた、いわゆるジャパンハンドラーズ、すなわち「日米関係」を騙って暴利をむさぼるシステムと、小泉・竹中時代から公然と立ち現れたグローバル金融資本が、トランプに邪魔されないように安倍晋三という煙幕をはりつつ、依然として日本を私物化している。

典型的なのが辺野古基地建設だ。
トランプの基本路線から言えば、あんなものは税金の無駄遣いでしかない。
仮に建設は日本のカネでやるとしても、その後の運用にかねがかかる。
それに、商売人トランプとしては、同じ2兆円のカネならば、沖縄ではなくアメリカに投資させたいはずだ。

しかし、日米安保に巣くう連中にとっては辺野古は自分たちの権力と利権の象徴であり、譲れない。
ここで負けると、日本の官僚も言うことを効かなくなる可能性がでてくる。
だから、安倍晋三に精一杯トランプのご機嫌取りをやらせたあげく、ここだけはトランプに介入させない。

逆に言うと、辺野古基地問題は、日本が長年の植民地状態から脱却できるかどうか、その大きな分岐点だ。
歴史の分水嶺といってもいい。
沖縄だけの問題では断じてない。
右翼の諸君にこそ、遠い昔に置き忘れてきた理想を思い出して、建設に反対してもらいたい。

繰り返しになるが、安倍晋三は新自由主義が右翼に与えた太鼓持ちであり、ペットだ。
こんなものを与えられて、右翼心をコチョコチョされて喜んでいるネトウヨは、本当に情けないクズだし、実際にかなり有害だけれども、それでもやはり雑魚である。
本当の敵を見失ってはいけない。
真の敵は、日本の財産を、根こそぎ、骨をすするようにして持ち去ろうしているグローバル金融資本であり、いわゆる新自由主義である。
安倍官邸を、財務省や外務省ではなく経産省の官僚が仕切っていると言うことも、その証左である。



敵の用意周到さにくらべ、野党の皆さんはあいかわらず足並みがそろわない。

東京都知事選は、国民民主がそうそうに宇都宮氏の支援をしないと表明。。。
その一方では、立憲民主はあいかわらず山本太郎や馬淵澄夫などの減税派の排除に余念が無いという話も聞こえてくる。

何度も書くけれども、「俺はこう思う」も結構だけれども、「人はこう見るだろう」という意識も持ってもらいたい。
このままでは 次の総選挙もぼろ負けだ。

「本気でこの危機を脱するんだ」「国民の生活を守る」という気概を、声をそろえてもらうだけで、十分に勝機があるにもかかわらず。

あ~~あ アホやねえ・・・・・・
私のこの無力感こそが、日本中の空気なんじゃないのかなあ・・・




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