2011-03-23(Wed)
今回の大災害の反省から「郊外楽園」を考える【会議日程変更】
この大震災の惨劇には、その苦しみを安易に慰めることも励ますことも不遜であると感じるほどに、大きな衝撃を感じています。
今、なにをおいてもの急務は、被災された方々の救援と復旧であり、そのために国会は過半の機能をそれに差し向けるべきだと思います。この惨劇に効果的に立ち向かうためには、今ある制度の枠を踏み越えて、速やかに立法措置をおこなう必要があります。年度末にむけては、3ヶ月ほどの包括的つなぎ法案で暫定的に現状維持とし、よほどの課題以外は先送りして救援に専念すべきでしょう。
その上で、直接は被災しなかった多くの人々のことについても、考えたいと思います。今日の論考は少々長くなります。いましばらく、お目を貸して下さい。
■災害から受けた心の傷
この大惨事は、被災しなかった私たちにすら大きな心の傷を刻みました。これまで私たちが当たり前の普通の暮らしと思ってきたことが、全て根本から崩れ去るような激しい動揺を、意識するとしないとにかかわらず感じ始めています。あの大津波は、数万人の命と暮らしを流し去るとともに、より多くの人々の「希望」の二文字をも流してしまったかもしれないのです。
意識するとしないとにかかわらず、と言うのは、多くの人がまだ自覚していないだろう という意味です。地震から10日が過ぎ被災地の悲惨な映像には胸を締め付けられます。それでも、テレビに流れているのはまだマシで、完全に孤立したままの人々もまだ数多いという指摘もあります。まさに、戦争にも匹敵する惨状です。
それに加えて原発事故が、時々刻々私たちに恐怖と焦燥をかき立てます。関東や東北の方はもちろん、大阪にいる私でもおよそ他人事と考えるような余裕はありません。ニュースを見るたび、いや見ていないときでも冷や汗がにじみます。
11日以来、脳みその芯がずっと緊張したままのように感じます。
ところで、心の傷というのは、こうした緊迫した状態が一段落したときにぱっくりと口を開きます。それが1ヶ月後なのか半年後なのかは分かりません。けれども、相当数の日本人が言いようのない無力感や、どちらを向いて生きたらいいのか分からないもどかしさを感じるようになると、私には思えてならないのです。
そうした状態に直面したとき、その正体を自覚していないとウツになったり心身に支障を来すことすらあるでしょう。
なぜ私はそんな予言めいたことを言うのでしょうか。それは、(以下、more... をクリックして続きを)
今、なにをおいてもの急務は、被災された方々の救援と復旧であり、そのために国会は過半の機能をそれに差し向けるべきだと思います。この惨劇に効果的に立ち向かうためには、今ある制度の枠を踏み越えて、速やかに立法措置をおこなう必要があります。年度末にむけては、3ヶ月ほどの包括的つなぎ法案で暫定的に現状維持とし、よほどの課題以外は先送りして救援に専念すべきでしょう。
その上で、直接は被災しなかった多くの人々のことについても、考えたいと思います。今日の論考は少々長くなります。いましばらく、お目を貸して下さい。
■災害から受けた心の傷
この大惨事は、被災しなかった私たちにすら大きな心の傷を刻みました。これまで私たちが当たり前の普通の暮らしと思ってきたことが、全て根本から崩れ去るような激しい動揺を、意識するとしないとにかかわらず感じ始めています。あの大津波は、数万人の命と暮らしを流し去るとともに、より多くの人々の「希望」の二文字をも流してしまったかもしれないのです。
意識するとしないとにかかわらず、と言うのは、多くの人がまだ自覚していないだろう という意味です。地震から10日が過ぎ被災地の悲惨な映像には胸を締め付けられます。それでも、テレビに流れているのはまだマシで、完全に孤立したままの人々もまだ数多いという指摘もあります。まさに、戦争にも匹敵する惨状です。
それに加えて原発事故が、時々刻々私たちに恐怖と焦燥をかき立てます。関東や東北の方はもちろん、大阪にいる私でもおよそ他人事と考えるような余裕はありません。ニュースを見るたび、いや見ていないときでも冷や汗がにじみます。
11日以来、脳みその芯がずっと緊張したままのように感じます。
ところで、心の傷というのは、こうした緊迫した状態が一段落したときにぱっくりと口を開きます。それが1ヶ月後なのか半年後なのかは分かりません。けれども、相当数の日本人が言いようのない無力感や、どちらを向いて生きたらいいのか分からないもどかしさを感じるようになると、私には思えてならないのです。
そうした状態に直面したとき、その正体を自覚していないとウツになったり心身に支障を来すことすらあるでしょう。
なぜ私はそんな予言めいたことを言うのでしょうか。それは、(以下、more... をクリックして続きを)
この災害によって負わされた心の傷はたんなるPTSDというようなものではなく、価値観の崩壊というべき事態だととらえているからです。
阪神淡路の時も、そういう側面はありました。しかし、あの時は「建物の耐震性が足りなかった。だから耐震性を高めよう。」という方向に向いていきました。
つまり、今までのあり方をより強化発展させていくことに解決策がある、次の一歩がある、と考えることができたのです。
たしかに仁川の地滑りや長田の大火という惨事もありましたが、意識の大勢は耐震性の向上という「解決」にむかっていき、実際に耐震基準は改定されることになりました。
ところが、今回の大災害はその多くが津波によってもたらされました。どんなに強い家を作っても、あの津波にはひとたまりもありません。いわば人智を越えた巨大な力を感じざるを得ないのです。地震の直後に「あれは天罰だ」ととんでもないことを言い放ったどっかの知事がいました。無辜の人々が大惨事に巻き込まれたことを「罰」と言う人が日本の首都を支配している不幸はさておき、実は「天」の部分に限っては私を含めて多くの人がそう感じたのではないでしょうか。
あれだけの圧倒的な「力」を見せつけられてしまうと、反射的に「天」の力と感じてしまうのです。
これまで何十年も、場合によっては先祖代々営々と築いてきた生活。その現れとしての家や街。そして家族。自分たちが生きてきた意味そのものを、まったく太刀打ちできない巨大な力に打ちのめされ、組み敷かれると、そこに生まれるのは黒い穴のような無気力感か、あるいは空想の世界に逃げ込む現実逃避です。
それは無気力な人だからそうなるのではありません。その人の責任ではないのです。誰しもどこかに希望があるからやる気が出ます。向かうべき方向も次の一歩を踏み出すべき場所も分からなくては、出てくるのはせいぜいカラ元気です。
毎日毎日、汗をながして働き、育ててきた一切合切が、あんなにも無慈悲に無造作に喪失してしまうのか。それを解決しようにも解決の方向が見あたらないような圧倒的な力によって。
この思いは、直接被災しなかった私たちのこころの中でも、じわりじわりと広がりだし、やがて黒い穴となって口を広げるでしょう。
こんなときには、エセ宗教に気をつけなくてはなりません。阪神淡路の震災の年に、オウム事件があったことを思い出すべきです。(まさに16年前の3月20日です。)感受性の強いまじめな人ほど、現実から足が離れてしまわないように要注意です。
とくに、文明否定論をともなって台頭する集団があれば、非常に危険を感じます。文明否定論は、こういうときにはとても説得力を持ちます。そして、苦しい心の傷を癒してくれる心地良い空想世界を提供してくれます。
後で述べるように、文明批判は必要です。現実にこうした災害をもたらしてしまったのですから、これをまったく批判することなく次の一歩を見付けることはできません。とくに原子力については、根源的な批判が求められます。しかし、現代の文明を全否定することは、現実には不可能であり意味がありません。
そんな、平常時には言うまでもないようなことが危うくなるのが、心の危機というものなのです。
■この災害は「天災」でしょうか
さて、ここまで私は絶望的な話ばかりをしてきました。なんとかしようと多くの被災者が頑張っているときに、こんな話をして何になる、と思われる方もいるでしょう。
そのとおりで、私も絶望を語るためにこの稿を書き始めたのではありません。では、何を言いたいのか。
結論を言うならば、今回の激甚な災害は「天」がもたらしたものではない、ということです。
ならば、揺れ動いた「地」によるものかというと、それも違うとあえて言います。
災害は、「人」がもたらしたものです。人災です。
そのことをハッキリさせることで、私たちは次に進むべき現実的な方向を見いだすことができるのです。
「天災は忘れた頃にやってくる」という誰でもが知っている格言があります。
物理学者であり自然哲学者であった寺田寅彦の言葉とも、その弟子の中谷宇吉郎の言葉ともいわれています。その意味は、忘れるくらいまれにしか天災はおきない、という意味ではなく、人が忘れているから天災になるのだ という意味だろうと理解しています。
地面が揺れたり、海水面が上昇したりすることは紛れもなく自然現象です。でも、それだけでは災害にはなりません。その揺れに耐えられない人工物があるから震災になるのです。津波が来る場所に家があるから大災害になるのです。これは、そこに住んでいた人が悪いといっているのでないことは言うまでもありません。災害対策や都市計画のことをいっているのです。
「地震は人を殺さない、人間が作った物が人を殺すのだ。」と言ったのは、島村英紀先生です。島村先生は元国立極地研究所の所長でしたが、地震予知学を真っ向から否定したためにえん罪に陥れられました。このことについては、後でまた触れます。
島村先生の言葉を読んだとき、私は目から鱗が落ちる思いでした。この大地は揺れるべくして揺れ、海は盛り上がるべくして盛り上がるのです。そういう場所に私たちは住んでいるのです。
そこで、どのようにして住みこなすのか、ということが都市計画であり防災計画なわけです。
たとえて言うと、山で遭難するのは、そこに山があるからではない ということと同じです。山での様々な自然条件を克服しきれなかった人間が遭難を起こすのです。繰り返しますが、当事者の責任を云々しているのではありません。災害を自然のせいにするのは、本末転倒だ ということです。
話を今回の大震災に戻します。今回の地震は千年に一度の大地震だと言われています。本当にそうでしょうか。
災害との関係で言うと、揺れの強さ(周期)、津波の高さ、襲った範囲の広さ、その場所での人口密度、などが関係するでしょう。人口密度は自然現象には関係ありませんから、それ以外の要因を見てみると、確かに未曾有の大地震ですが、千年に一度というのは当たらないようです。
揺れの強さでは、今回は最大が2933ガルでしたが、2008年の岩手宮城内陸地震では4022ガルでなんとギネスに登録されています。ちなみにいつも地震のニュースの時は盛んにガルガルと報道されるのに、今回の地震ではあまり話題になりません。
津波の高さでは、1896年の明治三陸地震で38.2M(死者不明者22,000人)、1993年の北海道南西沖地震で30M(奥尻町青苗地区が壊滅)と、これも千年に一度というわけではありません。40年ほど前、私は仙台に住んでいました。小学生だった私は社会科の授業で、三陸のリアス式海岸は津波が危ないのだということを習った記憶があります。明治三陸地震に遭われた方がまだご存命だった時代です。
震源の範囲は確かに恐ろしく広いのですが、1854年の安政東海地震と連続して起きた東南海地震では、駿河湾から九州までが被害を受けました。北海道から関東にかけての太平洋岸も、プレート境界として地震源であることは素人でも知っていることなので、これまた千年に一度という話ではないように思えます。大ざっぱな言い方ですが、陸地にもたらした影響という意味で言うと、百年に一度クラスの規模であったと言えるのではないでしょうか。
にもかかわらず、今回の災害規模は、やはり千年に一度と言っていいくらいの激しい災害です。なぜ、百年に一度の規模の影響で、千年に一度の激しい災害になってしまったのでしょうか。それは、百年に一度の震災に対する充分な備えをせずに、かつてない人口密度が危ない場所に存在してしまったためです。
平たく言えば、災害が来ると分かっている場所に、その対策もせずに人を住ませてしまったからです。
「想定外」という言葉が、そのことを如実に表しています。予見しえたことを「想定しなかった」のです。「想定できなかった」のではないのです。想定できなかったのであれば、「想定不可」ですが、予見できたのにあえて想定しなかったから「想定外」と言います。
建築では、最大の地震を想定しています。建築基準法で定める耐震性は、「震度7程度の時に、崩壊して人が圧死しない」という考え方です。壊れるのは仕方ないが、完全にペチャンコになって住人が潰れてしまわないようにするということが謳われています。震度7は最大の揺れですから、そこまでのことを一応想定しています。
ですから、震度7で倒壊した建物を「想定外」だとは言えないのです。少なくとも、現行の法律で作られている建物は。
ある建物がその一生のうちに震度7に遭遇する確率は、限りなくゼロに近いでしょう。それでも法律がそのようになり、現場もそのように動いていれば、だれも疑問に思わずにそのように建物を建てています。むしろ、建築基準法の25%増しである耐震等級2とか、50%増しである等級3という制度もあるくらいです。
少し訂正します。想定しているのは震度7の横揺れです。直下型の縦揺れは、持ち上げて落とす衝撃なので、これは全く想定されていません。縦揺れに備えようと思ったら、建築の工法を根本から考え直さないと無理でしょう。阪神淡路で崩壊した建物の多くがこのタイプであったことを思えば、これもまた予見できるけれどもあえて想定していない「想定外」と言えます。
また、最大震度というのも、あくまで「想定」です。規定外の大揺れがおきると「想定外」と言って震度階を作り直すのは、これまでやられてきたことです。ですから、建築の規定もあくまで「想定」の上に成り立っているのは間違いありません。
とはいえ建築と都市計画を比較すると、建築は横揺れに関しては最大震度を一応想定しているのに対し、津波や地滑りに対しては極めて甘い想定しかされていないことは明らかです。
大津波の可能性を知っていたのに警告を発してこなかった「専門家」や、甘い対策しかとってこなかった行政や、その行政に全てを丸投げしていた政治家の責任は極めて大きいものであり、やはり「想定から意図的に外してきた」人災と言わざるをえません。
■安全基準を歪めるもの
対策が甘かった上に、住民に対しての意識づけについても問題があります。オオカミ少年が頻繁にウソの予報を出すおかげで、津波警報が出ても真剣に逃げない人が増えてしまったのです。
オオカミ少年とは「緊急地震速報」です。緊急地震速報とは地震予知ではありません。地震が起きた「後」に、それが震源から到達するまでのあいだ警報を発しておくものです。
しかし、強い揺れは震源の近くなので警報を発しているヒマがなく、一番必要なところにはほとんど意味がないのです。中震から弱震のところには少し意味があるでしょうが、それも正確な情報ならば という条件付きです。緊急地震速報がいかに当たらないかということは、このころろ頻発している余震の速報があまり当たらなかったことで浮き彫りになりました。震源の位置も震度も、なかなか速報通りにはなりませんでした。
はずれ、即ちウソの警報ばかり流されると、誰でも真剣にそれを聞かなくなります。昨年のチリ地震のときには大津波警報の出ている沿岸住民の6割以上が避難しませんでした。まさにオオカミ少年なのです。
このあまり役に立たない「緊急地震速報」をなんで一所懸命やっているのかというと、あたかも「地震予知」が活躍しているかのように見せかけるためです。おそらく、テレビで速報を見ている人の多くが、あれは地震予知の一種なのだと思っているでしょう。
未だかつて予知できたことのない地震予知。諸外国ではマトモな学問とは思われていない地震予知。こういうものが日本では大きな予算をもらって、立派な学問として東大を先頭に大手を振ってまかり通っているのは、不思議な光景です。
その秘密の鍵は、例えば日本地震学会の賛助会員名簿からも見えてきます。59社中12社が電力会社とその関係で、ゼネコンの数とほぼ同じです。賛助会員とはお金を出している会社、スポンサーのこと。ゼネコンがお金を出すのは分からなくもないですが、電力会社が研究費を出す理由は一つです。
地震大国日本。至る所に活断層が走り、沿岸は地震源のプレート境界に囲まれています。こんなところに原子力発電所を建てようと思ったら、「ここには地震はおきませんよ」「おきてもこの程度ですよ」というお墨付きが必要です。そのお墨付きに太鼓判を押すのが、どうやら地震予知学のお役目らしいのです。
緊急事態が続く福島原発も、そうやって都合の悪い予見は「想定外」においやられて安全の太鼓判を押されて建てられたのです。主観的には安全でも、自然はそんな学者や電力会社の主観には配慮してくれません。
地震研究の大きな柱が原発へのお墨付きだったことを知った今、こういう疑問が頭をもたげます。「原発のために予見される危険が想定外とされたせいで、一般の基準からも外されたのではないか」ということです。
分かりやすくするために極端な言い方をします。原発は、地震の強さや津波の高さに合わせて作られるのではなく、原発の強さにあわせて地震の強さや津波の高さが「想定」されます。予想できる危険性でも、原発の基準を超えるものは「想定外」とされる(無視される)のです。
もちろん、原発の場合は大きな安全率はとりますから、一般建築よりはいくらか上等です。ところが、一般建築は原発で「想定」した(危険性を無視した)地震や津波の基準を、安全率の割り増し無しで適応されるわけです。
建物そのものは建築基準法があるので大丈夫ですが、都市計画や防災計画は「原発基準」にあわせて、しかも原発ほどの安全率なしで設定されたのではないでしょうか。
原発の基準が一般建築よりも低いというわけにはいかない以上、おそらくそういう経緯であったと推察されます。例えば、福島県の都市計画や防災計画を作るときに県の担当者が「過去のデータからここでは30Mの津波を想定しよう」と思っても、それが原発の建築に際して「想定外」とされているものであれば却下されたのではないか ということです。
そういえば、奥尻島の近くには泊原発があります。今回の津波に襲われた青森から茨城にかけては、六カ所、東通、女川、福島第1第2、東海村 と原発が建ち並びます。このように推論していくと、どうやら今回の震災は単に人災であるだけでなく、原発の犠牲になっているのではないかという疑念を消すことができません。
もちろん、都市計画や防災計画は、単体の建築に比べてそう簡単には改善できないという事情はあります。建築でも、新築に対して新基準が適用されているだけで、すでに建っている建築に対してまでの強制力はありません。公共建築については、ある程度の耐震改修が進んでいますが、古い個人住宅や民間建築はほとんど手つかずです。
まして、都市計画をごっそり変えて安全を確保するなど、ちょとやそっとでできることではありません。それは確かです。
でも、すぐに実行できなくても、今ある危険性を指摘すること、周知することはできます。そして、少なくとも避難場所や避難方法を緻密に設定することはできます。今回の悲惨な結果は、残念ながらこういうことができていなかったということです。
その理由は容易に想像できます。原発の近くに住んでいる人に、しょっちゅう津波の危険を啓発し避難訓練をしていれば、当然のこととして「原発は大丈夫だろうか」という疑問がわいてきます。
原発立地において、この疑問は絶対のタブーです。心に浮かんでも絶対に口にしてはいけないタブー。それが「原発は大丈夫か?」ということです。
だから、原発のお膝元で津波や地震の危険性を盛大にPRすることはできないのではないかと想像するのです。(どなたか、実体をごぞんじならば教えてください)
こうやって考えてくると、この悲惨な大震災が、天がもたらした圧倒的な力ではなく、原発推進という政策に大きくかかわって引き起こされた人為的な災害であることが見えてきました。まして「天罰」などでは絶対にありません。
そうです、人間の作り出したものであれば、人間の力によって解決することができるのです。災害の深刻さはまさに千年に一度の悲惨なものですが、しかし絶望することはありません。まずは被災者の方々の救援と復旧が急務であることは論を待ちませんが、より長く広いスパンで考えたとき、今回の大災害の反省を活かしていかなくてはなりません。その道筋が見えてきたように思うのです。
■今回の災害からの反省
今回の大災害から学ぶべきことは、大きく3つあると、私は感じています。
その<ひとつ目>は、原発をなくす ということです。
もちろん、直接的な危険性がこれほど明らかになったのですから、その意味で脱原発ほとんどの方々に賛同いただけると思います。
ただ、ここで言いたいのは、直接の危険だけでない、さらに広範な問題点を含んでいます。
それは、先ほどから述べている「安全基準の歪曲」という問題です。日本に原発というものがあるせいで、安全と危険の境界線が誤魔化されているのです。クロいものを無理矢理にシロだと言うために、相当濃いグレーでも「シロ」と言うようになっているのです。この国の防災基準は、本来工学的に決まるべきものが、政治的に歪められているのです。
たかが原発ではありません。原発があるせいで、日本の国の様々な基準が歪められていると思われます。素直に過去に学び、危険は危険といえる社会になること、これが脱原発の意味です。
そのためには、ある程度の産業構造の調整やライフスタイルの変化が求められるかもしれません。しかしそれは、良くも悪しくも劇的なものではないと思われます。なぜなら、現在でも原発の発電量は総電力の23%程度であり、一次エネルギーの15%程度だからです。
しかも、都市部での配電に5%くらい、原発から都市部までの送電のために3%くらいが熱などになって失われます。そう考えると、原発は日本の一次エネルギーの10%にも満たないということになります。これならば、少しの工夫と転換で乗り切っていけるのではないでしょうか。
これまで、様々な市民運動のひとつ という見方をされてきた反原発運動ですが、これからは国民のコンセンサスとして脱原発へと邁進するべきです。
今回の震災から学ぶべき<二つ目>は、自分の安全は自分で考えよう ということです。
脱原発を国民のコンセンサスで、という提言をしたばかりですが、菅内閣の対応を見ている限り、すんなりと脱原発へと進んでいくという楽観はできかねます。住民の安全よりも、原子炉の存続を優先していたということに、郡山市長が怒りの会見を開くなど、地元では怒りが巻き起こっています。
お上に頼っていては、安全は守れません。個人でできることは限度があるかもしれませんが、何も考えずに長いものに巻かれているよりは、自分の目や耳や感覚でより安全な方法を選択し、実行していくことが重要です。原発の「安全神話」を信じて(信じたふりをして)、結局こういうことになってしまった福島の人々の惨劇から、私たちは率直に学ぶべきです。
今住んでいる場所のリスクは何か、それを回避するためにはどんな方法があるのか、その費用はいかほどかかるのか。こうしたことを、分かる範囲でも知っておくこと。でることからでも実践すること。
もちろん、費用のかかる話は簡単にできないこともあります。リスク回避のために直ちに生活が破綻してしまってはこれまた本末転倒です。完璧をめざして考え込むよりは、できることから、最低限のことから、という発想が大事です。
リスクにかんする詳論は、また稿を改めたいと思います。ここで書いておきたいのは、都市の脆さです。都市は、生きる手段のほぼ全てを他人に頼っています。水や食料を含めたライフラインが切断されると、例え家が残っていても生きていくことは非常に困難です。
今回は沿岸部の漁村が壊滅的に破壊されたので、都市部の問題はあまりクローズアップされていませんが、仮に津波や山崩れがないとすると、やはり災害に弱いのは都市部であるといえるでしょう。
テレビでも、電気だけが復旧したために避難所が閉鎖され、かえって生きる手段を失ったという被災地からのFAXが紹介されていました。
安全を確保するというときに、建築の耐震性や地盤の丈夫さなどだけでなく、ライフラインが断ち切られたときにどれだけ持ちこたえられるか という観点が非常に重要です。
今回の震災から学ぶべき<三つ目>の点は、シェアするという価値観が大きな力になっているということです。二つ目の点とも関連しますが、これまで日本の社会は縦割りの命令系統でしか動くことが困難でした。ですから、ひとたび大災害になったときの混乱は大きなものになってしまいます。
今回も、国レベルでの系統の混乱と無定見は目を覆うばかりです。救援担当大臣ではなく、節電担当大臣とボランティア補佐官を任命したのですから、何をか言わんやです。いかに広範囲な災害といえど、情報管理の専門家を数十名専任で動かせば、ここまで何が何だか分からないという状況がいつまでも続くわけがありません。
被災した自治体に情報収集を丸投げにしているから、いつまでも救援の手が届かないのです。
その一方で、民間レベル、個人レベルでの動きは従来と違ったものが多くありました。ツイッターによる情報の共有が、多くの問題解決の糸口になりました。郷原信郎氏は、スタッフの方と連日長時間にわたりツイッターの情報を分析し、内閣のなかの最も有効な人材を選別して情報を渡し、おおくの問題解決を実践し続けています。
こうした郷原氏の活躍をはじめ、ネットやツイッターという「軽い」情報源がこれほど役に立った例はないかもしれません。チュニジアやエジプトでのフェイスブックの効用とも並ぶものです。
被災地での相互支援はもちろん、東京での帰宅難民に対する民間レベルでの自主的な救援措置も非常に素早い決断であったと思います。全てをなげうつような献身的で自己犠牲的な救援というよりも、できる範囲でできることを、ためらわずにすぐに提供する、ということがとても印象的です。
閉鎖的とか保守的といわれてきた日本でも、こうしたフットワークの軽い動きが広範にあり、またそれがツイッターのような「軽い」メディアによってどんどん広がっていく、ということを私たちは目の当たりにしました。
「困ったときはおたがいさま」という心情と、情報も物資も無理せずにフットワーク軽くシェアするということの相乗作用が、どれほどの力になるのか、実感することができています。この経験は、これからの私たちの生きていく方向に積極的に活かしていくべきです。
困ったときに限らず、生きていくべき様々な局面において、新しい価値観(あたりまえのこと)として根付いていくと思われます。
ちなみに、このツイッターなどの大きな効用を目の当たりにした菅内閣は、その活用を考えるどころか、監視・規制するための「コンピュータ監視法」を閣議決定しました。この大災害の真っ最中にです。信じられない暴挙です。
■今こそ「郊外楽園プロジェクト」を
こうした現時点での考察から、以前より提唱している「郊外楽園プロジェクト」について、こんな時だからこそますます推進するべきだ という考えています。
郊外楽園プロジェクトについては、ここでは詳論を繰り返しません。
詳細は、以下のこれまでの記事を見てください。
郊外楽園プロジェクト
郊外楽園プロジェクト その2
郊外楽園研究会 第一回会合は盛況でした
結論だけを言うならば、一般庶民の経済力で、楽しく安全な暮らしの基盤を手に入れるには、この方法しかない ということです。
現在の仕事は辞めずに収入を確保しながら、なおかつ都市生活の脆さを克服すること。
ここに、「郊外楽園プロジェクト」の最大の特徴があります。
田舎暮らしのように収入の道を絶ってしまうのではなく、でも自分の食住はある程度自分で賄う。できれば地域のコミュニティーも活用して、政治経済がどうなろうと、天災人災が降りかかろうと、何とかして生き延びていける基礎力をもった生活基盤をつくること。
こうした新しいライフスタイルを、民間ベースで、出来るところからコツコツと手掛けていきたいのです。
4月2日(土)に、第2回の郊外楽園研究会をおこないます。
→4月16日(土)に変更します
場所は前回と同じく大阪(江坂)です。
今回は 10:00~16:00 郊外の視察に行きます
その後、17:00~20:00 会議
さらに 20:00~22:00 懇親会
という予定です(会議だけでももちろん可)
建築関係のかたにかぎらず、主旨にご賛同いただける全ての方に開いております。
興味がある方は、info@mei-getsu.com(←小文字で)までご連絡下さい。
2011年3月23日
明月 こと 明月社・山岸飛鳥

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阪神淡路の時も、そういう側面はありました。しかし、あの時は「建物の耐震性が足りなかった。だから耐震性を高めよう。」という方向に向いていきました。
つまり、今までのあり方をより強化発展させていくことに解決策がある、次の一歩がある、と考えることができたのです。
たしかに仁川の地滑りや長田の大火という惨事もありましたが、意識の大勢は耐震性の向上という「解決」にむかっていき、実際に耐震基準は改定されることになりました。
ところが、今回の大災害はその多くが津波によってもたらされました。どんなに強い家を作っても、あの津波にはひとたまりもありません。いわば人智を越えた巨大な力を感じざるを得ないのです。地震の直後に「あれは天罰だ」ととんでもないことを言い放ったどっかの知事がいました。無辜の人々が大惨事に巻き込まれたことを「罰」と言う人が日本の首都を支配している不幸はさておき、実は「天」の部分に限っては私を含めて多くの人がそう感じたのではないでしょうか。
あれだけの圧倒的な「力」を見せつけられてしまうと、反射的に「天」の力と感じてしまうのです。
これまで何十年も、場合によっては先祖代々営々と築いてきた生活。その現れとしての家や街。そして家族。自分たちが生きてきた意味そのものを、まったく太刀打ちできない巨大な力に打ちのめされ、組み敷かれると、そこに生まれるのは黒い穴のような無気力感か、あるいは空想の世界に逃げ込む現実逃避です。
それは無気力な人だからそうなるのではありません。その人の責任ではないのです。誰しもどこかに希望があるからやる気が出ます。向かうべき方向も次の一歩を踏み出すべき場所も分からなくては、出てくるのはせいぜいカラ元気です。
毎日毎日、汗をながして働き、育ててきた一切合切が、あんなにも無慈悲に無造作に喪失してしまうのか。それを解決しようにも解決の方向が見あたらないような圧倒的な力によって。
この思いは、直接被災しなかった私たちのこころの中でも、じわりじわりと広がりだし、やがて黒い穴となって口を広げるでしょう。
こんなときには、エセ宗教に気をつけなくてはなりません。阪神淡路の震災の年に、オウム事件があったことを思い出すべきです。(まさに16年前の3月20日です。)感受性の強いまじめな人ほど、現実から足が離れてしまわないように要注意です。
とくに、文明否定論をともなって台頭する集団があれば、非常に危険を感じます。文明否定論は、こういうときにはとても説得力を持ちます。そして、苦しい心の傷を癒してくれる心地良い空想世界を提供してくれます。
後で述べるように、文明批判は必要です。現実にこうした災害をもたらしてしまったのですから、これをまったく批判することなく次の一歩を見付けることはできません。とくに原子力については、根源的な批判が求められます。しかし、現代の文明を全否定することは、現実には不可能であり意味がありません。
そんな、平常時には言うまでもないようなことが危うくなるのが、心の危機というものなのです。
■この災害は「天災」でしょうか
さて、ここまで私は絶望的な話ばかりをしてきました。なんとかしようと多くの被災者が頑張っているときに、こんな話をして何になる、と思われる方もいるでしょう。
そのとおりで、私も絶望を語るためにこの稿を書き始めたのではありません。では、何を言いたいのか。
結論を言うならば、今回の激甚な災害は「天」がもたらしたものではない、ということです。
ならば、揺れ動いた「地」によるものかというと、それも違うとあえて言います。
災害は、「人」がもたらしたものです。人災です。
そのことをハッキリさせることで、私たちは次に進むべき現実的な方向を見いだすことができるのです。
「天災は忘れた頃にやってくる」という誰でもが知っている格言があります。
物理学者であり自然哲学者であった寺田寅彦の言葉とも、その弟子の中谷宇吉郎の言葉ともいわれています。その意味は、忘れるくらいまれにしか天災はおきない、という意味ではなく、人が忘れているから天災になるのだ という意味だろうと理解しています。
地面が揺れたり、海水面が上昇したりすることは紛れもなく自然現象です。でも、それだけでは災害にはなりません。その揺れに耐えられない人工物があるから震災になるのです。津波が来る場所に家があるから大災害になるのです。これは、そこに住んでいた人が悪いといっているのでないことは言うまでもありません。災害対策や都市計画のことをいっているのです。
「地震は人を殺さない、人間が作った物が人を殺すのだ。」と言ったのは、島村英紀先生です。島村先生は元国立極地研究所の所長でしたが、地震予知学を真っ向から否定したためにえん罪に陥れられました。このことについては、後でまた触れます。
島村先生の言葉を読んだとき、私は目から鱗が落ちる思いでした。この大地は揺れるべくして揺れ、海は盛り上がるべくして盛り上がるのです。そういう場所に私たちは住んでいるのです。
そこで、どのようにして住みこなすのか、ということが都市計画であり防災計画なわけです。
たとえて言うと、山で遭難するのは、そこに山があるからではない ということと同じです。山での様々な自然条件を克服しきれなかった人間が遭難を起こすのです。繰り返しますが、当事者の責任を云々しているのではありません。災害を自然のせいにするのは、本末転倒だ ということです。
話を今回の大震災に戻します。今回の地震は千年に一度の大地震だと言われています。本当にそうでしょうか。
災害との関係で言うと、揺れの強さ(周期)、津波の高さ、襲った範囲の広さ、その場所での人口密度、などが関係するでしょう。人口密度は自然現象には関係ありませんから、それ以外の要因を見てみると、確かに未曾有の大地震ですが、千年に一度というのは当たらないようです。
揺れの強さでは、今回は最大が2933ガルでしたが、2008年の岩手宮城内陸地震では4022ガルでなんとギネスに登録されています。ちなみにいつも地震のニュースの時は盛んにガルガルと報道されるのに、今回の地震ではあまり話題になりません。
津波の高さでは、1896年の明治三陸地震で38.2M(死者不明者22,000人)、1993年の北海道南西沖地震で30M(奥尻町青苗地区が壊滅)と、これも千年に一度というわけではありません。40年ほど前、私は仙台に住んでいました。小学生だった私は社会科の授業で、三陸のリアス式海岸は津波が危ないのだということを習った記憶があります。明治三陸地震に遭われた方がまだご存命だった時代です。
震源の範囲は確かに恐ろしく広いのですが、1854年の安政東海地震と連続して起きた東南海地震では、駿河湾から九州までが被害を受けました。北海道から関東にかけての太平洋岸も、プレート境界として地震源であることは素人でも知っていることなので、これまた千年に一度という話ではないように思えます。大ざっぱな言い方ですが、陸地にもたらした影響という意味で言うと、百年に一度クラスの規模であったと言えるのではないでしょうか。
にもかかわらず、今回の災害規模は、やはり千年に一度と言っていいくらいの激しい災害です。なぜ、百年に一度の規模の影響で、千年に一度の激しい災害になってしまったのでしょうか。それは、百年に一度の震災に対する充分な備えをせずに、かつてない人口密度が危ない場所に存在してしまったためです。
平たく言えば、災害が来ると分かっている場所に、その対策もせずに人を住ませてしまったからです。
「想定外」という言葉が、そのことを如実に表しています。予見しえたことを「想定しなかった」のです。「想定できなかった」のではないのです。想定できなかったのであれば、「想定不可」ですが、予見できたのにあえて想定しなかったから「想定外」と言います。
建築では、最大の地震を想定しています。建築基準法で定める耐震性は、「震度7程度の時に、崩壊して人が圧死しない」という考え方です。壊れるのは仕方ないが、完全にペチャンコになって住人が潰れてしまわないようにするということが謳われています。震度7は最大の揺れですから、そこまでのことを一応想定しています。
ですから、震度7で倒壊した建物を「想定外」だとは言えないのです。少なくとも、現行の法律で作られている建物は。
ある建物がその一生のうちに震度7に遭遇する確率は、限りなくゼロに近いでしょう。それでも法律がそのようになり、現場もそのように動いていれば、だれも疑問に思わずにそのように建物を建てています。むしろ、建築基準法の25%増しである耐震等級2とか、50%増しである等級3という制度もあるくらいです。
少し訂正します。想定しているのは震度7の横揺れです。直下型の縦揺れは、持ち上げて落とす衝撃なので、これは全く想定されていません。縦揺れに備えようと思ったら、建築の工法を根本から考え直さないと無理でしょう。阪神淡路で崩壊した建物の多くがこのタイプであったことを思えば、これもまた予見できるけれどもあえて想定していない「想定外」と言えます。
また、最大震度というのも、あくまで「想定」です。規定外の大揺れがおきると「想定外」と言って震度階を作り直すのは、これまでやられてきたことです。ですから、建築の規定もあくまで「想定」の上に成り立っているのは間違いありません。
とはいえ建築と都市計画を比較すると、建築は横揺れに関しては最大震度を一応想定しているのに対し、津波や地滑りに対しては極めて甘い想定しかされていないことは明らかです。
大津波の可能性を知っていたのに警告を発してこなかった「専門家」や、甘い対策しかとってこなかった行政や、その行政に全てを丸投げしていた政治家の責任は極めて大きいものであり、やはり「想定から意図的に外してきた」人災と言わざるをえません。
■安全基準を歪めるもの
対策が甘かった上に、住民に対しての意識づけについても問題があります。オオカミ少年が頻繁にウソの予報を出すおかげで、津波警報が出ても真剣に逃げない人が増えてしまったのです。
オオカミ少年とは「緊急地震速報」です。緊急地震速報とは地震予知ではありません。地震が起きた「後」に、それが震源から到達するまでのあいだ警報を発しておくものです。
しかし、強い揺れは震源の近くなので警報を発しているヒマがなく、一番必要なところにはほとんど意味がないのです。中震から弱震のところには少し意味があるでしょうが、それも正確な情報ならば という条件付きです。緊急地震速報がいかに当たらないかということは、このころろ頻発している余震の速報があまり当たらなかったことで浮き彫りになりました。震源の位置も震度も、なかなか速報通りにはなりませんでした。
はずれ、即ちウソの警報ばかり流されると、誰でも真剣にそれを聞かなくなります。昨年のチリ地震のときには大津波警報の出ている沿岸住民の6割以上が避難しませんでした。まさにオオカミ少年なのです。
このあまり役に立たない「緊急地震速報」をなんで一所懸命やっているのかというと、あたかも「地震予知」が活躍しているかのように見せかけるためです。おそらく、テレビで速報を見ている人の多くが、あれは地震予知の一種なのだと思っているでしょう。
未だかつて予知できたことのない地震予知。諸外国ではマトモな学問とは思われていない地震予知。こういうものが日本では大きな予算をもらって、立派な学問として東大を先頭に大手を振ってまかり通っているのは、不思議な光景です。
その秘密の鍵は、例えば日本地震学会の賛助会員名簿からも見えてきます。59社中12社が電力会社とその関係で、ゼネコンの数とほぼ同じです。賛助会員とはお金を出している会社、スポンサーのこと。ゼネコンがお金を出すのは分からなくもないですが、電力会社が研究費を出す理由は一つです。
地震大国日本。至る所に活断層が走り、沿岸は地震源のプレート境界に囲まれています。こんなところに原子力発電所を建てようと思ったら、「ここには地震はおきませんよ」「おきてもこの程度ですよ」というお墨付きが必要です。そのお墨付きに太鼓判を押すのが、どうやら地震予知学のお役目らしいのです。
緊急事態が続く福島原発も、そうやって都合の悪い予見は「想定外」においやられて安全の太鼓判を押されて建てられたのです。主観的には安全でも、自然はそんな学者や電力会社の主観には配慮してくれません。
地震研究の大きな柱が原発へのお墨付きだったことを知った今、こういう疑問が頭をもたげます。「原発のために予見される危険が想定外とされたせいで、一般の基準からも外されたのではないか」ということです。
分かりやすくするために極端な言い方をします。原発は、地震の強さや津波の高さに合わせて作られるのではなく、原発の強さにあわせて地震の強さや津波の高さが「想定」されます。予想できる危険性でも、原発の基準を超えるものは「想定外」とされる(無視される)のです。
もちろん、原発の場合は大きな安全率はとりますから、一般建築よりはいくらか上等です。ところが、一般建築は原発で「想定」した(危険性を無視した)地震や津波の基準を、安全率の割り増し無しで適応されるわけです。
建物そのものは建築基準法があるので大丈夫ですが、都市計画や防災計画は「原発基準」にあわせて、しかも原発ほどの安全率なしで設定されたのではないでしょうか。
原発の基準が一般建築よりも低いというわけにはいかない以上、おそらくそういう経緯であったと推察されます。例えば、福島県の都市計画や防災計画を作るときに県の担当者が「過去のデータからここでは30Mの津波を想定しよう」と思っても、それが原発の建築に際して「想定外」とされているものであれば却下されたのではないか ということです。
そういえば、奥尻島の近くには泊原発があります。今回の津波に襲われた青森から茨城にかけては、六カ所、東通、女川、福島第1第2、東海村 と原発が建ち並びます。このように推論していくと、どうやら今回の震災は単に人災であるだけでなく、原発の犠牲になっているのではないかという疑念を消すことができません。
もちろん、都市計画や防災計画は、単体の建築に比べてそう簡単には改善できないという事情はあります。建築でも、新築に対して新基準が適用されているだけで、すでに建っている建築に対してまでの強制力はありません。公共建築については、ある程度の耐震改修が進んでいますが、古い個人住宅や民間建築はほとんど手つかずです。
まして、都市計画をごっそり変えて安全を確保するなど、ちょとやそっとでできることではありません。それは確かです。
でも、すぐに実行できなくても、今ある危険性を指摘すること、周知することはできます。そして、少なくとも避難場所や避難方法を緻密に設定することはできます。今回の悲惨な結果は、残念ながらこういうことができていなかったということです。
その理由は容易に想像できます。原発の近くに住んでいる人に、しょっちゅう津波の危険を啓発し避難訓練をしていれば、当然のこととして「原発は大丈夫だろうか」という疑問がわいてきます。
原発立地において、この疑問は絶対のタブーです。心に浮かんでも絶対に口にしてはいけないタブー。それが「原発は大丈夫か?」ということです。
だから、原発のお膝元で津波や地震の危険性を盛大にPRすることはできないのではないかと想像するのです。(どなたか、実体をごぞんじならば教えてください)
こうやって考えてくると、この悲惨な大震災が、天がもたらした圧倒的な力ではなく、原発推進という政策に大きくかかわって引き起こされた人為的な災害であることが見えてきました。まして「天罰」などでは絶対にありません。
そうです、人間の作り出したものであれば、人間の力によって解決することができるのです。災害の深刻さはまさに千年に一度の悲惨なものですが、しかし絶望することはありません。まずは被災者の方々の救援と復旧が急務であることは論を待ちませんが、より長く広いスパンで考えたとき、今回の大災害の反省を活かしていかなくてはなりません。その道筋が見えてきたように思うのです。
■今回の災害からの反省
今回の大災害から学ぶべきことは、大きく3つあると、私は感じています。
その<ひとつ目>は、原発をなくす ということです。
もちろん、直接的な危険性がこれほど明らかになったのですから、その意味で脱原発ほとんどの方々に賛同いただけると思います。
ただ、ここで言いたいのは、直接の危険だけでない、さらに広範な問題点を含んでいます。
それは、先ほどから述べている「安全基準の歪曲」という問題です。日本に原発というものがあるせいで、安全と危険の境界線が誤魔化されているのです。クロいものを無理矢理にシロだと言うために、相当濃いグレーでも「シロ」と言うようになっているのです。この国の防災基準は、本来工学的に決まるべきものが、政治的に歪められているのです。
たかが原発ではありません。原発があるせいで、日本の国の様々な基準が歪められていると思われます。素直に過去に学び、危険は危険といえる社会になること、これが脱原発の意味です。
そのためには、ある程度の産業構造の調整やライフスタイルの変化が求められるかもしれません。しかしそれは、良くも悪しくも劇的なものではないと思われます。なぜなら、現在でも原発の発電量は総電力の23%程度であり、一次エネルギーの15%程度だからです。
しかも、都市部での配電に5%くらい、原発から都市部までの送電のために3%くらいが熱などになって失われます。そう考えると、原発は日本の一次エネルギーの10%にも満たないということになります。これならば、少しの工夫と転換で乗り切っていけるのではないでしょうか。
これまで、様々な市民運動のひとつ という見方をされてきた反原発運動ですが、これからは国民のコンセンサスとして脱原発へと邁進するべきです。
今回の震災から学ぶべき<二つ目>は、自分の安全は自分で考えよう ということです。
脱原発を国民のコンセンサスで、という提言をしたばかりですが、菅内閣の対応を見ている限り、すんなりと脱原発へと進んでいくという楽観はできかねます。住民の安全よりも、原子炉の存続を優先していたということに、郡山市長が怒りの会見を開くなど、地元では怒りが巻き起こっています。
お上に頼っていては、安全は守れません。個人でできることは限度があるかもしれませんが、何も考えずに長いものに巻かれているよりは、自分の目や耳や感覚でより安全な方法を選択し、実行していくことが重要です。原発の「安全神話」を信じて(信じたふりをして)、結局こういうことになってしまった福島の人々の惨劇から、私たちは率直に学ぶべきです。
今住んでいる場所のリスクは何か、それを回避するためにはどんな方法があるのか、その費用はいかほどかかるのか。こうしたことを、分かる範囲でも知っておくこと。でることからでも実践すること。
もちろん、費用のかかる話は簡単にできないこともあります。リスク回避のために直ちに生活が破綻してしまってはこれまた本末転倒です。完璧をめざして考え込むよりは、できることから、最低限のことから、という発想が大事です。
リスクにかんする詳論は、また稿を改めたいと思います。ここで書いておきたいのは、都市の脆さです。都市は、生きる手段のほぼ全てを他人に頼っています。水や食料を含めたライフラインが切断されると、例え家が残っていても生きていくことは非常に困難です。
今回は沿岸部の漁村が壊滅的に破壊されたので、都市部の問題はあまりクローズアップされていませんが、仮に津波や山崩れがないとすると、やはり災害に弱いのは都市部であるといえるでしょう。
テレビでも、電気だけが復旧したために避難所が閉鎖され、かえって生きる手段を失ったという被災地からのFAXが紹介されていました。
安全を確保するというときに、建築の耐震性や地盤の丈夫さなどだけでなく、ライフラインが断ち切られたときにどれだけ持ちこたえられるか という観点が非常に重要です。
今回の震災から学ぶべき<三つ目>の点は、シェアするという価値観が大きな力になっているということです。二つ目の点とも関連しますが、これまで日本の社会は縦割りの命令系統でしか動くことが困難でした。ですから、ひとたび大災害になったときの混乱は大きなものになってしまいます。
今回も、国レベルでの系統の混乱と無定見は目を覆うばかりです。救援担当大臣ではなく、節電担当大臣とボランティア補佐官を任命したのですから、何をか言わんやです。いかに広範囲な災害といえど、情報管理の専門家を数十名専任で動かせば、ここまで何が何だか分からないという状況がいつまでも続くわけがありません。
被災した自治体に情報収集を丸投げにしているから、いつまでも救援の手が届かないのです。
その一方で、民間レベル、個人レベルでの動きは従来と違ったものが多くありました。ツイッターによる情報の共有が、多くの問題解決の糸口になりました。郷原信郎氏は、スタッフの方と連日長時間にわたりツイッターの情報を分析し、内閣のなかの最も有効な人材を選別して情報を渡し、おおくの問題解決を実践し続けています。
こうした郷原氏の活躍をはじめ、ネットやツイッターという「軽い」情報源がこれほど役に立った例はないかもしれません。チュニジアやエジプトでのフェイスブックの効用とも並ぶものです。
被災地での相互支援はもちろん、東京での帰宅難民に対する民間レベルでの自主的な救援措置も非常に素早い決断であったと思います。全てをなげうつような献身的で自己犠牲的な救援というよりも、できる範囲でできることを、ためらわずにすぐに提供する、ということがとても印象的です。
閉鎖的とか保守的といわれてきた日本でも、こうしたフットワークの軽い動きが広範にあり、またそれがツイッターのような「軽い」メディアによってどんどん広がっていく、ということを私たちは目の当たりにしました。
「困ったときはおたがいさま」という心情と、情報も物資も無理せずにフットワーク軽くシェアするということの相乗作用が、どれほどの力になるのか、実感することができています。この経験は、これからの私たちの生きていく方向に積極的に活かしていくべきです。
困ったときに限らず、生きていくべき様々な局面において、新しい価値観(あたりまえのこと)として根付いていくと思われます。
ちなみに、このツイッターなどの大きな効用を目の当たりにした菅内閣は、その活用を考えるどころか、監視・規制するための「コンピュータ監視法」を閣議決定しました。この大災害の真っ最中にです。信じられない暴挙です。
■今こそ「郊外楽園プロジェクト」を
こうした現時点での考察から、以前より提唱している「郊外楽園プロジェクト」について、こんな時だからこそますます推進するべきだ という考えています。
郊外楽園プロジェクトについては、ここでは詳論を繰り返しません。
詳細は、以下のこれまでの記事を見てください。
郊外楽園プロジェクト
郊外楽園プロジェクト その2
郊外楽園研究会 第一回会合は盛況でした
結論だけを言うならば、一般庶民の経済力で、楽しく安全な暮らしの基盤を手に入れるには、この方法しかない ということです。
現在の仕事は辞めずに収入を確保しながら、なおかつ都市生活の脆さを克服すること。
ここに、「郊外楽園プロジェクト」の最大の特徴があります。
田舎暮らしのように収入の道を絶ってしまうのではなく、でも自分の食住はある程度自分で賄う。できれば地域のコミュニティーも活用して、政治経済がどうなろうと、天災人災が降りかかろうと、何とかして生き延びていける基礎力をもった生活基盤をつくること。
こうした新しいライフスタイルを、民間ベースで、出来るところからコツコツと手掛けていきたいのです。
→4月16日(土)に変更します
場所は前回と同じく大阪(江坂)です。
今回は 10:00~16:00 郊外の視察に行きます
その後、17:00~20:00 会議
さらに 20:00~22:00 懇親会
という予定です(会議だけでももちろん可)
建築関係のかたにかぎらず、主旨にご賛同いただける全ての方に開いております。
興味がある方は、info@mei-getsu.com(←小文字で)までご連絡下さい。
2011年3月23日
明月 こと 明月社・山岸飛鳥

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