2011-06-26(Sun)
食糧10%エネルギー80%自給 脱原発な家づくり
脱原発を言う以上、じゃあ明月社の家はどうやって「脱」するんだ てことを考えないと、技術屋としては物足りない。
単純に原発を止めたらどうなるのかというと、真夏のピーク時の電力がちょっと足りなくなる。
何も対策しないと、その瞬間に大停電ということも 無いとは言えない。
ピーク時間以外も、電力使用量の多い時間帯は余裕が無くて、停電が怖い。
その他の季節や、真夏でも朝や夜なんかは、別に停電になるような危険はない。
もちろん、これは原発を動かすために、わざわざ放置してきた火力や水力を全面的に稼働させた場合だ。
東京電力も、関西電力も、だいたい同じような状況になっている。
このへんの詳しいことは、多くの人が書いているので、ここでは繰り返さない。
要するに、単純に原発を止めるためには、真夏のピーク時の数時間を節電すればいいのであって、企業努力などは必要だけれども、天地がひっくり返るような話ではない。
家という社会の中のミクロ空間では、断熱、通風、日射対策 などをしておけば、真夏の昼下がりに、扇風機一つでそれなりに快適に過ごすことは、そう難しくない。ピークカットによって原発を止めたリスクを回避するという意味では、これだけで「脱原発」合格である。
脱原発は、再生エネルギーにシフトしないとできないみたいに思われているが、そんなことはない。
発電についても、社会システムについても、今ある技術や設備を駆使するだけで、充分に対応できるのである。
しかし、それでは面白くない。
大事な話を「面白い」かどうかで判じて恐縮だが、天然ガスなどで対応する段階を「脱原発のステージⅠ」とするならば、エネルギーや消費についての価値観にかかわる段階を「脱原発のステージⅡ」としたい。
ステージⅠは、やるきさえあればできる。脱原発は、すぐに着手できるし、明日から54基の廃炉に向けて準備を始めることができる。
その点をわざとぼかすために、ステージⅡにならないと脱原発ができない と言う人はちょっと怪しい。
じつは、脱原発のふりをした、電力会社の回し者かもしれない。
とは言え、じゃあステージⅠで充分かというと、そんなことはない。
エネルギーを含めて、消費することが社会の基本システムになっていること自体、オカシイ。
賢い消費者になろうとか、消費者の権利などと言われるけれども、消費者という存在自体が オカシイと気がつかなくちゃならない。
消費というもの自体を、少なくすることを考えなくては。
今の社会で単純に消費を少なくすると、景気が悪くなり失業者や自殺者が増える。だから、消費を減らすことが美徳と言えるのかどうか難しいところだ。
だったら、消費を減らしても、みなが笑って生きていける社会のしくみにするべきなんじゃないか。
それに気がつかせてくれたのが、小貫雅男先生の「菜園家族」だ。
http://www.satoken-nomad.com/
そして、それに触発されて私が提唱しているのが、「郊外楽園プロジェクト」というわけ。
話を戻そう
脱原発は、ステージⅠで一基残らず廃炉にすることを決めたあと、次の段階に進むべきだと、私は思っている。
廃炉にすることまでは、新聞の世論調査でも8割以上の国民が望んでいるのだから、早急に、今すぐにでも着手すべきだ。
再生エネルギーの技術革新を待っている必要はぜんぜん無い。
その次のステップに進む人は、もっと少ないかもしれないが、でも確実に大きな流れになっていると実感する。
ステージⅡの可能性を垣間見た人びとは、そこにある脱原発だけじゃなくて、もっと大きな生き方の枠組みを感じ始めている。
実は、ステージⅡのモデルにしたいような村が存在した。
いや、いまでも存在しているのだが、現在誰一人住んでいない、無人の村になっている。
そう、福島第一原発の放射能が降り注ぎ、計画的避難区域(ほとんど強制排除)の対象となった福島県飯舘村だ。
ご存じの方も多いかもしれないが、飯舘村は原発事故の直前に本を出版する予定だった。
「までいの力」という。
事故をうけて、前書きを書き換えて出版された。
購入すると飯舘村へのカンパになるそうなので、ぜひ一家に一冊の購入をお勧めしたい。
http://www.amazon.co.jp/dp/4904418093
少々引用させてもらう
"までい"とは・・・
「真手(まて)」という古語が語源で、左右揃った手、両手の意味。それが転じて、手間ひま惜しまず丁寧に心をこめて つつましく という意味で現在では東北地方で使われている方言です。
今風に言えば、エコ・モッタイナイ・節約、思いやりの心、人へのやさしさ、です。
そんな飯舘流スローライフを"までいライフ"と呼んでいます。
この本を見ただけでも、こんな素晴らしい村を放射能まみれにさせた原発への怒りがわき起こってくる。
と同時に、この"までいライフ"は、小貫先生の菜園家族にも、私が提案している郊外楽園にも、完全につながる。
いや、つなげなくちゃいけない という思いを強くする。
そんな思いで、脱原発を思うとき、やはり明月社の家はどうやって脱ゲンパツするんだ ということを考えたくなるのである。
そここで考えたのが、表題に書いた「食糧10%、エネルギー80%自給」だ。
食糧10%は、だいたい想像がつくかと思う。
安くて広い土地を手に入れて、庭を20坪くらいの菜園をする。
日本人はだいたい1年に一人570kgの食糧を食べている。
4人家族なら2280kgということになる。
これに対して、20坪の菜園で収穫できるのは、頑張ってもおそらく50kg程度。
とてもじゃないが10%なんて及びもつかない。
ではどうするかというと、主食である米を、直接契約で作ってもらう。
田植えや稲刈りなどに参加しながら、直接お米を作ってくれる農家は増えてるので、こうした農家と契約して、お米は準自給する。
これで、年間50kg、4人で200kgくらい。これで併せて、自給率10%達成となる。
お米と、旬の野菜が手元にあれば、感覚的には10%どころか、半分くらい自給しているような気になるだろう。
では、エネルギーの80%はどうするか
家庭で使うエネルギーは、暖房:給湯:照明など:調理=3:3:3:1 くらいになっている
まず、暖房は可能ならば薪ストーブをつかう。自分の山が無くとも、石油や電気に比べれば、準自給とえいえる。
ただし、薪の運搬にはガソリンが必要。年に数回だけれども。
薪ストーブが難しければ、太陽熱温水を利用して床暖房にする。
天気の悪い日以外は、自給できる。
雨の日などはガス給湯に切り替えるので、おそらく自給率80%くらい。
さらに、家そのものの断熱や蓄熱で、床暖房の利用じたいも最小限にする。
お風呂などの給湯はもちろん太陽熱温水。
床暖房が必要な場合は100万円くらい、必要なければ、安い機種で充分。
歴史もあり、技術的にはほぼ確立されている。
エネルギーロスも少なく、自給できないのは天気の悪い日だけ。
自給率80%程度。
照明やテレビやパソコンや冷蔵庫や洗濯機は、太陽光発電。
太陽光発電は、まだ過渡的な技術であると思っているし、長年原発のパートナーを務めてきたという歴史があるので、扱いには要注意だ。
そうはいっても、家庭用風力はまだまだこれからなので、当面は太陽光発電で、照明等の半分を賄う。
予算が許せば、蓄電池を導入して、夜間も太陽光の電気を使えるようにする
蓄電池は、実用的なものだと100万円以上するようだ。
パソコンやLED照明を数時間使う程度の予備電池ならば、10万円くらいから売っている。
調理は、当面はガスを使う。だから、自給0%。
以上、暖房3x80%+給湯3x80%+照明等3x50%+調理1x0%=6.3
ということで、この時点で自給率63%となる。
菜園生活のライフスタイルも、家の作りも、そもそもエネルギーを使わない方向に誘導するので、実際は効果はもっと大きい。
断熱だけでなく、蓄熱や調湿、素材の肌触りにいたるまで、できるだけエネルギー消費に頼らない作りになっている。
たとえば、同じ室温でも、コンクリートの床や壁だと耐えられない寒さでも、木の家ならば大丈夫、ということがある。
これは、コンクリートは断熱性能がないのに熱容量が大きすぎて、体温を奪われてしまうからだ。比喩的に冷輻射とも言う。
それに対して、木はほどよい断熱と熱容量を兼ね備えており、慣れれば室温12℃くらいでも暖房無しで過ごせる。
じっとしてパソコンを打っていると、さすがに指が凍えるけれど、家事をしたり家の中を動いているときや、ちょっと厚着をして本余読んだりする分には大丈夫。実践しているのでまちがいない。
薪ストーブも太陽熱の床暖房も無い家では、ホットカーペットがおすすめ。
一番少ない電力で、必要充分な暖かさが得られる。
温度を低めに、パワーも弱で使えば、おそらく100W程度。
ただし、富士通ゼネラルなどの、電磁波カットのものに限る。
通常の電気ホットカーペットは、電磁波計の針が振り切れる。しかも、体を離すことができないので、要注意。
また、菜園で過ごす時間が長くなれば、必然的に電気などの使用は減る。
こうした効果を25%と見積り、63x1.25≒80% とあいなる。
ここで、太陽光発電の前科をバラしておく
太陽光発電は、原発と非常に相性が良いのである。
太陽光は昼間発電する。夜は停止している。
原発は、昼も夜も動き続けている。夜は電気が余る。
つまり、原発と太陽光発電を、一定の割合でミックスすると、原発にとってもっとも効率の良い状態が生まれる。
出力調整は、太陽光発電はやってくれるので、一定の出力で稼働し続けることができる。
無駄そのものの揚水発電も動かす必要がない。
太陽光発電の割合がずっと増えれば、原発の余った夜間電気を特価で販売しているあのオール電化も必要なくなる。
このように、太陽光発電は、誕生から将来に至るまで、原発のパートナーとして生まれ育ってきたのである。
その危うさを認識しながら使うようにしないと、どこに罠が埋まっているかわからないという、うさんくささが抜けきらない。
それ故に、できることならば太陽光発電は、蓄電池と組み合わせて、完全電気自給の方向性を取るべきだと思う。
以上、最後に注意を喚起しつつ、食糧10% エネルギー80%自給 の脱原発の家を早く設計したいなあと思うのである。
単純に原発を止めたらどうなるのかというと、真夏のピーク時の電力がちょっと足りなくなる。
何も対策しないと、その瞬間に大停電ということも 無いとは言えない。
ピーク時間以外も、電力使用量の多い時間帯は余裕が無くて、停電が怖い。
その他の季節や、真夏でも朝や夜なんかは、別に停電になるような危険はない。
もちろん、これは原発を動かすために、わざわざ放置してきた火力や水力を全面的に稼働させた場合だ。
東京電力も、関西電力も、だいたい同じような状況になっている。
このへんの詳しいことは、多くの人が書いているので、ここでは繰り返さない。
要するに、単純に原発を止めるためには、真夏のピーク時の数時間を節電すればいいのであって、企業努力などは必要だけれども、天地がひっくり返るような話ではない。
家という社会の中のミクロ空間では、断熱、通風、日射対策 などをしておけば、真夏の昼下がりに、扇風機一つでそれなりに快適に過ごすことは、そう難しくない。ピークカットによって原発を止めたリスクを回避するという意味では、これだけで「脱原発」合格である。
脱原発は、再生エネルギーにシフトしないとできないみたいに思われているが、そんなことはない。
発電についても、社会システムについても、今ある技術や設備を駆使するだけで、充分に対応できるのである。
しかし、それでは面白くない。
大事な話を「面白い」かどうかで判じて恐縮だが、天然ガスなどで対応する段階を「脱原発のステージⅠ」とするならば、エネルギーや消費についての価値観にかかわる段階を「脱原発のステージⅡ」としたい。
ステージⅠは、やるきさえあればできる。脱原発は、すぐに着手できるし、明日から54基の廃炉に向けて準備を始めることができる。
その点をわざとぼかすために、ステージⅡにならないと脱原発ができない と言う人はちょっと怪しい。
じつは、脱原発のふりをした、電力会社の回し者かもしれない。
とは言え、じゃあステージⅠで充分かというと、そんなことはない。
エネルギーを含めて、消費することが社会の基本システムになっていること自体、オカシイ。
賢い消費者になろうとか、消費者の権利などと言われるけれども、消費者という存在自体が オカシイと気がつかなくちゃならない。
消費というもの自体を、少なくすることを考えなくては。
今の社会で単純に消費を少なくすると、景気が悪くなり失業者や自殺者が増える。だから、消費を減らすことが美徳と言えるのかどうか難しいところだ。
だったら、消費を減らしても、みなが笑って生きていける社会のしくみにするべきなんじゃないか。
それに気がつかせてくれたのが、小貫雅男先生の「菜園家族」だ。
http://www.satoken-nomad.com/
そして、それに触発されて私が提唱しているのが、「郊外楽園プロジェクト」というわけ。
話を戻そう
脱原発は、ステージⅠで一基残らず廃炉にすることを決めたあと、次の段階に進むべきだと、私は思っている。
廃炉にすることまでは、新聞の世論調査でも8割以上の国民が望んでいるのだから、早急に、今すぐにでも着手すべきだ。
再生エネルギーの技術革新を待っている必要はぜんぜん無い。
その次のステップに進む人は、もっと少ないかもしれないが、でも確実に大きな流れになっていると実感する。
ステージⅡの可能性を垣間見た人びとは、そこにある脱原発だけじゃなくて、もっと大きな生き方の枠組みを感じ始めている。
実は、ステージⅡのモデルにしたいような村が存在した。
いや、いまでも存在しているのだが、現在誰一人住んでいない、無人の村になっている。
そう、福島第一原発の放射能が降り注ぎ、計画的避難区域(ほとんど強制排除)の対象となった福島県飯舘村だ。
ご存じの方も多いかもしれないが、飯舘村は原発事故の直前に本を出版する予定だった。
「までいの力」という。
事故をうけて、前書きを書き換えて出版された。
購入すると飯舘村へのカンパになるそうなので、ぜひ一家に一冊の購入をお勧めしたい。
http://www.amazon.co.jp/dp/4904418093
少々引用させてもらう
"までい"とは・・・
「真手(まて)」という古語が語源で、左右揃った手、両手の意味。それが転じて、手間ひま惜しまず丁寧に心をこめて つつましく という意味で現在では東北地方で使われている方言です。
今風に言えば、エコ・モッタイナイ・節約、思いやりの心、人へのやさしさ、です。
そんな飯舘流スローライフを"までいライフ"と呼んでいます。
この本を見ただけでも、こんな素晴らしい村を放射能まみれにさせた原発への怒りがわき起こってくる。
と同時に、この"までいライフ"は、小貫先生の菜園家族にも、私が提案している郊外楽園にも、完全につながる。
いや、つなげなくちゃいけない という思いを強くする。
そんな思いで、脱原発を思うとき、やはり明月社の家はどうやって脱ゲンパツするんだ ということを考えたくなるのである。
そここで考えたのが、表題に書いた「食糧10%、エネルギー80%自給」だ。
食糧10%は、だいたい想像がつくかと思う。
安くて広い土地を手に入れて、庭を20坪くらいの菜園をする。
日本人はだいたい1年に一人570kgの食糧を食べている。
4人家族なら2280kgということになる。
これに対して、20坪の菜園で収穫できるのは、頑張ってもおそらく50kg程度。
とてもじゃないが10%なんて及びもつかない。
ではどうするかというと、主食である米を、直接契約で作ってもらう。
田植えや稲刈りなどに参加しながら、直接お米を作ってくれる農家は増えてるので、こうした農家と契約して、お米は準自給する。
これで、年間50kg、4人で200kgくらい。これで併せて、自給率10%達成となる。
お米と、旬の野菜が手元にあれば、感覚的には10%どころか、半分くらい自給しているような気になるだろう。
では、エネルギーの80%はどうするか
家庭で使うエネルギーは、暖房:給湯:照明など:調理=3:3:3:1 くらいになっている
まず、暖房は可能ならば薪ストーブをつかう。自分の山が無くとも、石油や電気に比べれば、準自給とえいえる。
ただし、薪の運搬にはガソリンが必要。年に数回だけれども。
薪ストーブが難しければ、太陽熱温水を利用して床暖房にする。
天気の悪い日以外は、自給できる。
雨の日などはガス給湯に切り替えるので、おそらく自給率80%くらい。
さらに、家そのものの断熱や蓄熱で、床暖房の利用じたいも最小限にする。
お風呂などの給湯はもちろん太陽熱温水。
床暖房が必要な場合は100万円くらい、必要なければ、安い機種で充分。
歴史もあり、技術的にはほぼ確立されている。
エネルギーロスも少なく、自給できないのは天気の悪い日だけ。
自給率80%程度。
照明やテレビやパソコンや冷蔵庫や洗濯機は、太陽光発電。
太陽光発電は、まだ過渡的な技術であると思っているし、長年原発のパートナーを務めてきたという歴史があるので、扱いには要注意だ。
そうはいっても、家庭用風力はまだまだこれからなので、当面は太陽光発電で、照明等の半分を賄う。
予算が許せば、蓄電池を導入して、夜間も太陽光の電気を使えるようにする
蓄電池は、実用的なものだと100万円以上するようだ。
パソコンやLED照明を数時間使う程度の予備電池ならば、10万円くらいから売っている。
調理は、当面はガスを使う。だから、自給0%。
以上、暖房3x80%+給湯3x80%+照明等3x50%+調理1x0%=6.3
ということで、この時点で自給率63%となる。
菜園生活のライフスタイルも、家の作りも、そもそもエネルギーを使わない方向に誘導するので、実際は効果はもっと大きい。
断熱だけでなく、蓄熱や調湿、素材の肌触りにいたるまで、できるだけエネルギー消費に頼らない作りになっている。
たとえば、同じ室温でも、コンクリートの床や壁だと耐えられない寒さでも、木の家ならば大丈夫、ということがある。
これは、コンクリートは断熱性能がないのに熱容量が大きすぎて、体温を奪われてしまうからだ。比喩的に冷輻射とも言う。
それに対して、木はほどよい断熱と熱容量を兼ね備えており、慣れれば室温12℃くらいでも暖房無しで過ごせる。
じっとしてパソコンを打っていると、さすがに指が凍えるけれど、家事をしたり家の中を動いているときや、ちょっと厚着をして本余読んだりする分には大丈夫。実践しているのでまちがいない。
薪ストーブも太陽熱の床暖房も無い家では、ホットカーペットがおすすめ。
一番少ない電力で、必要充分な暖かさが得られる。
温度を低めに、パワーも弱で使えば、おそらく100W程度。
ただし、富士通ゼネラルなどの、電磁波カットのものに限る。
通常の電気ホットカーペットは、電磁波計の針が振り切れる。しかも、体を離すことができないので、要注意。
また、菜園で過ごす時間が長くなれば、必然的に電気などの使用は減る。
こうした効果を25%と見積り、63x1.25≒80% とあいなる。
ここで、太陽光発電の前科をバラしておく
太陽光発電は、原発と非常に相性が良いのである。
太陽光は昼間発電する。夜は停止している。
原発は、昼も夜も動き続けている。夜は電気が余る。
つまり、原発と太陽光発電を、一定の割合でミックスすると、原発にとってもっとも効率の良い状態が生まれる。
出力調整は、太陽光発電はやってくれるので、一定の出力で稼働し続けることができる。
無駄そのものの揚水発電も動かす必要がない。
太陽光発電の割合がずっと増えれば、原発の余った夜間電気を特価で販売しているあのオール電化も必要なくなる。
このように、太陽光発電は、誕生から将来に至るまで、原発のパートナーとして生まれ育ってきたのである。
その危うさを認識しながら使うようにしないと、どこに罠が埋まっているかわからないという、うさんくささが抜けきらない。
それ故に、できることならば太陽光発電は、蓄電池と組み合わせて、完全電気自給の方向性を取るべきだと思う。
以上、最後に注意を喚起しつつ、食糧10% エネルギー80%自給 の脱原発の家を早く設計したいなあと思うのである。
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