2011-10-04(Tue)
こんな時代の家づくり
今日は終日、古民家の調査をしていた。
建築仲間に応援をたのみ、4人でほぼ丸一日かけて、屋根裏から床下まで調べ上げた。
棟札がなかったので建築時期はハッキリわからない。おそらく幕末くらいではなかろうかと思われる。
豪壮ではないが、シンプルで気持ちの良い家である。
古民家を見ていて、いつも感じるのが価値観の違い。人間のわがままだけで作られていない。
木の事情、場所の事情、その時代のいろんなことと折り合いをつけて作られている。集成材、樹脂、アルミ、ビニールなどを人間の都合に合わせてひねり出し、寸分のスキなく組み立てる現代の住宅とは、そのへんが全然違う。
でも、それでいて古民家は気持ちいい。冬の寒さや急な階段や、なんぼなんでも改善した方が良い部分はあるけれども、それを差し引いても、古民家はしっくりくる。なにか、いるべき場所にいる という実感がある。
わがまま放題の至れり尽くせりよりも、その時代その時代の制約と向き合って、シンプルに作られた空間のほうが、時代を超えて普遍的に人になじむというのは、とても面白い。
■■こんな時代だから
6年前に、「こんな時代の家づくりは生き抜くためのたたかいだ」というサブタイトルで「家を建てる。」という本を出版した。サイドメニューでしつこく宣伝しているやつだ。
あの当時の「こんな時代」とは、象徴的にはコイズミ改革といわれた苛烈な弱者切り捨てであり、9.11を口実にしたアフガンとイラクへの戦争の始まりだった。
たしかに、あのころから日本は急展開していた。なんやかんや言って、皆が食える社会から、相当数の国民が食っていけない社会へ。不平等ながらも富を再配分する社会から、少数のものが独占する社会へ。
対外的にも、アメリカに庇護される国から、アメリカに搾取される国へ。米軍の浮沈空母から、米軍の打ち出の小槌に。
その大転換、急激な貧困と将来不安は、「国民の生活が第一」を掲げた民主党による政権交代の底流になった。圧倒的な国民の声が、生活防衛、生活再建に向かった。
まるで革命的な変革が、議会制民主主義の枠の中で成し遂げられたかに見えた。
しかし、それは一瞬の夢であり、圧倒的な反革命のパワーの前に成立と同時に崩壊を始めた。最後の逆転のチャンスと思われた昨年秋の民主党代表選で、過半数の民主党議員は反革命の勢いに恐れをなし、最初から白旗を揚げた菅直人を首相に押し上げてしまった。この時点で、議会制民主主義という枠内で「国民の生活が第一」に立ち戻る機会は、失われた。
議会制民主主義に期待できなくなったそのころから、日本人がながらく封印してきた「デモ」という方法を思い出した。既得権益・官僚機構の暴力装置として小沢氏に襲いかかった検察にたいする怒りが、千人を超えるデモとなって、東京や大阪で街頭にあふれ出した。
選挙という間接的な表現を超えて、国民が直接表現を始めた。
その事態を決定的にしたのが、3.11の震災だ。震災への対応の酷さ、なかでも原発事故へのウソの上にウソを積み重ねる政府の態度は、「国民の生活が第一」どころか、被災者は邪魔者と言わんばかりのものだった。まさに、棄民ということばがピッタリとくる。
その一方で、東電を庇護し、原発の再稼働を急ぎ、辺野古の建設に執念をもやし、八ッ場ダムは再開をうかがい、増税で国民から収奪したあげくに、豪華な国家公務員宿舎に何百億ものカネを惜しげもなく注ぎ込む。
国民の圧倒的な期待を背負った民主党政権が、自民党よりも酷いありさまになり果ててしまったことに、ついに6万人の怒りが街へ登場した。
9.19のこの大集会は、いよいよ時代が次の段階に入ったことを示している。もう、おカミに期待し、頼っていては生きいていけない。そのことを自覚して動く時代が始まったのである。
もう誤魔化しようがないほどに利害が対立し、直接に対決するしかない時代。これを、内乱の時代という。
3.11を経て9.19をもって、日本は内乱の時代に入ってしまったということだ。それが良いことなのか良くないことなのか、早計に判断はできない。
だが、そういう妥協やゴマカシではどうにもならないし、おカミは調整していくれるどころか、おとなしい者から順番になけなしの権利もカネも奪っていく。それに我慢できない者が、一定の割合を超えて直接行動を始める。そういう内乱の時代に入っていることは間違いない。
これはどうやらアメリカも同じ事情のようだ。オバマが圧倒的な期待を背負って大統領になり、しかし貧困はますます進行し、いよいよアメリカ人も堪忍袋の緒が切れて、ウォール街を占拠し始めた。それ以前からも、保険制度の問題などで、各地で市役所を占拠したり大デモが起きたりしていた。
もし、というか おそらく、日本でもアメリカでも、こうしたデモや直接行動を高圧的に押さえ込んでくるだろう。よりいっそう情報を隠し、むき出しの利権あさりに励むだろう。これが、とことん進行してしまうと、最後の最後は軍事独裁政権のようなモノも言えない圧制か、アフガンのような内戦状態になってしまう。
そこまで行き着くのかどうか。
それが、これから数年という時間に問われている。
■■ 10月15日 郊外楽園プロジェクト 参加説明会
こんな時代だからこそ、お仕着せ言いなりのライフスタイルから脱却しなくてはいけない。
自分の頭で考えて暮らすこと。日々の暮らしを、自分で選択すること。
カネとシガラミに縛られた暮らしから、土と水と太陽に結びついた暮らしへ。
少々何がどうなろうと、命をつないでいける住まい。
そんな住まい方を、考え実践していきたい。
それが、「郊外楽園プロジェクト」だ。
郊外楽園プロジェクト
郊外楽園プロジェクト その2
今回の大災害の反省から「郊外楽園」を考える
これからの家づくり ①
これからの家づくり ②
これからの家づくり ③
10月15日(土)16:00~
郊外楽園プロジェクト 参加説明会 @明月社
ご興味のある方は、ぜひ参加していただきたい。
参加費:無料 定員:10名
何か聞きたいことがあれば、こちらへどうぞ
info@mei-getsu.com
左サイドのメールフォームでもOK

にほんブログ村
応援お願いします
建築仲間に応援をたのみ、4人でほぼ丸一日かけて、屋根裏から床下まで調べ上げた。
棟札がなかったので建築時期はハッキリわからない。おそらく幕末くらいではなかろうかと思われる。
豪壮ではないが、シンプルで気持ちの良い家である。
古民家を見ていて、いつも感じるのが価値観の違い。人間のわがままだけで作られていない。
木の事情、場所の事情、その時代のいろんなことと折り合いをつけて作られている。集成材、樹脂、アルミ、ビニールなどを人間の都合に合わせてひねり出し、寸分のスキなく組み立てる現代の住宅とは、そのへんが全然違う。
でも、それでいて古民家は気持ちいい。冬の寒さや急な階段や、なんぼなんでも改善した方が良い部分はあるけれども、それを差し引いても、古民家はしっくりくる。なにか、いるべき場所にいる という実感がある。
わがまま放題の至れり尽くせりよりも、その時代その時代の制約と向き合って、シンプルに作られた空間のほうが、時代を超えて普遍的に人になじむというのは、とても面白い。
■■こんな時代だから
6年前に、「こんな時代の家づくりは生き抜くためのたたかいだ」というサブタイトルで「家を建てる。」という本を出版した。サイドメニューでしつこく宣伝しているやつだ。
あの当時の「こんな時代」とは、象徴的にはコイズミ改革といわれた苛烈な弱者切り捨てであり、9.11を口実にしたアフガンとイラクへの戦争の始まりだった。
たしかに、あのころから日本は急展開していた。なんやかんや言って、皆が食える社会から、相当数の国民が食っていけない社会へ。不平等ながらも富を再配分する社会から、少数のものが独占する社会へ。
対外的にも、アメリカに庇護される国から、アメリカに搾取される国へ。米軍の浮沈空母から、米軍の打ち出の小槌に。
その大転換、急激な貧困と将来不安は、「国民の生活が第一」を掲げた民主党による政権交代の底流になった。圧倒的な国民の声が、生活防衛、生活再建に向かった。
まるで革命的な変革が、議会制民主主義の枠の中で成し遂げられたかに見えた。
しかし、それは一瞬の夢であり、圧倒的な反革命のパワーの前に成立と同時に崩壊を始めた。最後の逆転のチャンスと思われた昨年秋の民主党代表選で、過半数の民主党議員は反革命の勢いに恐れをなし、最初から白旗を揚げた菅直人を首相に押し上げてしまった。この時点で、議会制民主主義という枠内で「国民の生活が第一」に立ち戻る機会は、失われた。
議会制民主主義に期待できなくなったそのころから、日本人がながらく封印してきた「デモ」という方法を思い出した。既得権益・官僚機構の暴力装置として小沢氏に襲いかかった検察にたいする怒りが、千人を超えるデモとなって、東京や大阪で街頭にあふれ出した。
選挙という間接的な表現を超えて、国民が直接表現を始めた。
その事態を決定的にしたのが、3.11の震災だ。震災への対応の酷さ、なかでも原発事故へのウソの上にウソを積み重ねる政府の態度は、「国民の生活が第一」どころか、被災者は邪魔者と言わんばかりのものだった。まさに、棄民ということばがピッタリとくる。
その一方で、東電を庇護し、原発の再稼働を急ぎ、辺野古の建設に執念をもやし、八ッ場ダムは再開をうかがい、増税で国民から収奪したあげくに、豪華な国家公務員宿舎に何百億ものカネを惜しげもなく注ぎ込む。
国民の圧倒的な期待を背負った民主党政権が、自民党よりも酷いありさまになり果ててしまったことに、ついに6万人の怒りが街へ登場した。
9.19のこの大集会は、いよいよ時代が次の段階に入ったことを示している。もう、おカミに期待し、頼っていては生きいていけない。そのことを自覚して動く時代が始まったのである。
もう誤魔化しようがないほどに利害が対立し、直接に対決するしかない時代。これを、内乱の時代という。
3.11を経て9.19をもって、日本は内乱の時代に入ってしまったということだ。それが良いことなのか良くないことなのか、早計に判断はできない。
だが、そういう妥協やゴマカシではどうにもならないし、おカミは調整していくれるどころか、おとなしい者から順番になけなしの権利もカネも奪っていく。それに我慢できない者が、一定の割合を超えて直接行動を始める。そういう内乱の時代に入っていることは間違いない。
これはどうやらアメリカも同じ事情のようだ。オバマが圧倒的な期待を背負って大統領になり、しかし貧困はますます進行し、いよいよアメリカ人も堪忍袋の緒が切れて、ウォール街を占拠し始めた。それ以前からも、保険制度の問題などで、各地で市役所を占拠したり大デモが起きたりしていた。
もし、というか おそらく、日本でもアメリカでも、こうしたデモや直接行動を高圧的に押さえ込んでくるだろう。よりいっそう情報を隠し、むき出しの利権あさりに励むだろう。これが、とことん進行してしまうと、最後の最後は軍事独裁政権のようなモノも言えない圧制か、アフガンのような内戦状態になってしまう。
そこまで行き着くのかどうか。
それが、これから数年という時間に問われている。
■■ 10月15日 郊外楽園プロジェクト 参加説明会
こんな時代だからこそ、お仕着せ言いなりのライフスタイルから脱却しなくてはいけない。
自分の頭で考えて暮らすこと。日々の暮らしを、自分で選択すること。
カネとシガラミに縛られた暮らしから、土と水と太陽に結びついた暮らしへ。
少々何がどうなろうと、命をつないでいける住まい。
そんな住まい方を、考え実践していきたい。
それが、「郊外楽園プロジェクト」だ。
郊外楽園プロジェクト
郊外楽園プロジェクト その2
今回の大災害の反省から「郊外楽園」を考える
これからの家づくり ①
これからの家づくり ②
これからの家づくり ③
10月15日(土)16:00~
郊外楽園プロジェクト 参加説明会 @明月社
ご興味のある方は、ぜひ参加していただきたい。
参加費:無料 定員:10名
何か聞きたいことがあれば、こちらへどうぞ
info@mei-getsu.com
左サイドのメールフォームでもOK

にほんブログ村


- 関連記事
-
- 木の力 土の力 (2014/04/14)
- 一緒にお米作りしませんか (2012/04/16)
- 郊外楽園プロジェクト 再考 & 構造見学会お知らせ (2012/01/26)
- 六甲菜園からチンゲンサイを福島へ送りました (2011/12/05)
- こんな時代の家づくり (2011/10/04)
- 農の力 (2011/07/04)
- 食糧10%エネルギー80%自給 脱原発な家づくり (2011/06/26)
- 郊外楽園計画 畑が始動! いっしょにやりませんか (2011/04/22)
- 今回の大災害の反省から「郊外楽園」を考える【会議日程変更】 (2011/03/23)
- 郊外楽園研究会 第一回会合は盛況でした (2011/02/08)
- 郊外楽園プロジェクト その2 (2011/01/15)
- 郊外楽園プロジェクト (2010/12/20)