2013-02-26(Tue)
つれづれに
私が会社ってものを辞めてから、もうすぐ8年になる。
2005年の春に、なんのアテもないまま、まだ4歳だった子どもとカミさんには申し訳ないとちょっぴり思いながら、でも飛び出してしまった。
飛び出すというと聞こえがいいが、実際は耐えられなくなって逃げ出した。
当時勤めていた工務店は、決してブラックだったわけではなく、むしろ労務管理ユルユルの会社だった。自分を経営の神様と思い込んでいるややカルトがかったオーナーと、役員以下一人残らず面従腹背でオーナーの財産にぶら下がっているというような会社だった。
ラクチンはラクチンだけど、気分的には極めて居心地が悪かった。
そして、当たり前だけど経営は日を追って悪化してもいた。
おそらく、世のサラリーマンの多くは、そのくらいのストレスはグッと飲み込んで妻子のために働いているのだと思う。私は、そういうこらえ性がない。決定的に欠落している。
2004年は鬱病らしき状態がジワジワと進行し、いよいよトランキライザーのお世話になるに至って、逃亡を企てることにした。
最初の1年間は、独立しようか再就職しようか、迷いながら過ぎていった。
見事にカネはなかったが、空を飛ぶほど気分は軽かった。
このブログを書き始めたのもこのころ。2005年の9月。
言いたいことが言えるという解放感。
どういう巡り合わせか、こんな時に第2子が生まれることになり、出産費用を捻出するために車を売った。
代わりに激安車を探してもらい、ご機嫌で赤ん坊を乗せて走った。
何だか分からないけど、とにかく楽しかった。
第2子の誕生とほぼ時を同じくして、明月社として設計事務所を構えることに決断した。
気取って言えば「建築家」というやつだが、私はほとんどの「建築家」と違って、有名事務所の出身ではないし、小さな工務店の現場監督も営業も経験したし、材木屋もやった。第3セクターの事務所長もやり、危うくその倒産処理までやらされるところだった。
建築をやる前は病院の受付のお兄さんで、簿記二級をもっている一級建築士だ。
だから、周りの連中がやっているような、~~建築研究所 とか ~~設計工房 などという名称は、どうもしっくりこなかった。というか、気恥ずかしくて名乗れなかった。
で、木の家プロデュース明月社 ということにした。
明月社という名前ならば、いよいよ建築の仕事がなくなっても、何屋でもできるなあ なんて考えつつ、ホームページを作ったりしていた。
不思議なことに、2006年から2008年までの3年間は、次から次に仕事の依頼があり、完全に深夜営業型の生活習慣になってしまった。
しかして、金がまったく貯まらない。設計事務所とはこれほど儲からない仕事なのかと唖然としつつも、とにかく食うに困ることはなく、ミニバブルの中でヌクヌクと生活していた。
ところが、2008年のリーマンショックは如実に零細明月社にも影を落としてくれた。ハゲタカどもに心底恨みを抱いたのはこの時からかもしれない。
2009年はまったく仕事がなかった。あれこれやってもどうにもならず、緊急保証制度で首の皮一枚。
借りた金もあっという間に底をつくかと思った頃に、何年も前に出会ったきり音沙汰のなかったお客さんから連絡があり、1年ぶりのお仕事!
そこから、徐々に光が射し始め、どうにかこうにか今日に至る というわけだ。
こうして振り返って見ると、いわゆる営業活動が実を結んだということはほとんどなく、仕事とは関係なしに色んな経路でつづけてきたコミュニケーションが、何かのきっかけで仕事に結びつく、というケースばかり。
このブログの読者の方からの依頼も、結構な数になる。
なので、当社は経営計画も売上目標も、一度もたてたことがない。
経営計画 「奇跡を信じろ」 売上目標 「どうにかなる」
結局は自分なのだろう。
家の設計なんて、まったく形の無いものに大枚をはたいてもらうのだから、俺自身が何かの役に立つのかどうか、そこを見てもらって判断してもらうしかない。
そう割り切れば、じたばたせずに、自分の思うことを言い、納得できるように行動するしかない。
仕事も仕事以外も完璧なんてほど遠いので、あるがままを見てもらって、それでいいなら契約してね というスタンス。
このブログも、始めは匿名だったけれども、あるときからあえて実名バレバレで書くようになった。
しかるべき措置を云々という内容証明が届くこともあるが、むしろうれしい人間関係が広がっていくことのほうが圧倒的に多くなった。
既存の言葉で言うと「誠心誠意」ということなのだろうが、言葉にしたとたんに陳腐になるからやめておこう。
と、そんな気分で8年間やって来た。
運が良ければ9年目も過ぎていくだろう。
しかし
足かけ10年目になる来年、とんでもないことが待ち受けている。
消費税だ。
消費税アップの前後半年は家を建てる人は激減する。
しかも2年連続で上げやがるので、2年間は売上激減、2009年の再来が今から見えている。
いくら経営計画「奇跡を信じろ」といっても、世の中の需要が1/2になれば、うちらのような零細は1/4になる。
今でも毎月毎月かつかつで過ごしているのに、売上1/2が2年間も続くなんてアリエナイ。
なんでアリエナイかというと、2年もたたずに夜逃げしなくてはならないからだ。
そんな思いの零細企業は ごまんとあるだろう。
消費者という立場で考えると、3%くらい税金が上がっても、ちょっとガマンすればなんとかなると思うだろう。
私とて、収入が同じで、消費税だけが上がるのなら、なんとかガマンできる。
しかし、日本で働いている人の、ほとんどが中小零細企業の社員だと言うことを忘れていけない。
消費税の3%が基点になって始まる負のスパイラルは、影響を受けやすいところから順番に巻き込んで、徐々にレバレッジを効かせて大きな輪になっていく。
私のような住宅業界の最末端にいる者は、いの一番にスパイラルの渦に沈む。だから、ものすご~~~く実感をもってそれが分かる。
消費税のアップは、物価が3%上がるだけのことじゃなくて、「ちょっとやめておこう」「しばらく待とう」という買い控えが、生活必需品以外の分野の経営悪化を招き、それが次の分野の業績悪化を招き、~~~~という負のスパイラルを引き起こすことに本質がある。
負のスパイラルがある程度進行すると、「不景気だ」という認識がざざざーと広がって、進行は一気に加速される。
そうなれば、恐慌と言ってもいい。2008年~2009年の悪夢の再来だ。
ここまで奇跡的に生き伸びてきた明月社の運命も、財務省の大バカどものおかげで消え去るのかどうか、そういう危機感のなかで、日々暮らしている。
しかも、巻き上げられた税金は、被災者も被曝者もほったらかしで、生活保護も切りまくって、金持ちにばらまかれる。
それどころか、米国国債を買いまくって、リーマンショックを引き起こした張本人どもに吸い上げられていく。
もう涙も出ない。
それでも、家族と生きていくために、自暴自棄になるわけにもいかないし諦めるわけにもいかない。
かといって、焦ってどうなるものでもない。
まずは、四肢と脳みそに血液を良く流すことから、気の流れを整えることから始めよう。
きっと道はある


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2005年の春に、なんのアテもないまま、まだ4歳だった子どもとカミさんには申し訳ないとちょっぴり思いながら、でも飛び出してしまった。
飛び出すというと聞こえがいいが、実際は耐えられなくなって逃げ出した。
当時勤めていた工務店は、決してブラックだったわけではなく、むしろ労務管理ユルユルの会社だった。自分を経営の神様と思い込んでいるややカルトがかったオーナーと、役員以下一人残らず面従腹背でオーナーの財産にぶら下がっているというような会社だった。
ラクチンはラクチンだけど、気分的には極めて居心地が悪かった。
そして、当たり前だけど経営は日を追って悪化してもいた。
おそらく、世のサラリーマンの多くは、そのくらいのストレスはグッと飲み込んで妻子のために働いているのだと思う。私は、そういうこらえ性がない。決定的に欠落している。
2004年は鬱病らしき状態がジワジワと進行し、いよいよトランキライザーのお世話になるに至って、逃亡を企てることにした。
最初の1年間は、独立しようか再就職しようか、迷いながら過ぎていった。
見事にカネはなかったが、空を飛ぶほど気分は軽かった。
このブログを書き始めたのもこのころ。2005年の9月。
言いたいことが言えるという解放感。
どういう巡り合わせか、こんな時に第2子が生まれることになり、出産費用を捻出するために車を売った。
代わりに激安車を探してもらい、ご機嫌で赤ん坊を乗せて走った。
何だか分からないけど、とにかく楽しかった。
第2子の誕生とほぼ時を同じくして、明月社として設計事務所を構えることに決断した。
気取って言えば「建築家」というやつだが、私はほとんどの「建築家」と違って、有名事務所の出身ではないし、小さな工務店の現場監督も営業も経験したし、材木屋もやった。第3セクターの事務所長もやり、危うくその倒産処理までやらされるところだった。
建築をやる前は病院の受付のお兄さんで、簿記二級をもっている一級建築士だ。
だから、周りの連中がやっているような、~~建築研究所 とか ~~設計工房 などという名称は、どうもしっくりこなかった。というか、気恥ずかしくて名乗れなかった。
で、木の家プロデュース明月社 ということにした。
明月社という名前ならば、いよいよ建築の仕事がなくなっても、何屋でもできるなあ なんて考えつつ、ホームページを作ったりしていた。
不思議なことに、2006年から2008年までの3年間は、次から次に仕事の依頼があり、完全に深夜営業型の生活習慣になってしまった。
しかして、金がまったく貯まらない。設計事務所とはこれほど儲からない仕事なのかと唖然としつつも、とにかく食うに困ることはなく、ミニバブルの中でヌクヌクと生活していた。
ところが、2008年のリーマンショックは如実に零細明月社にも影を落としてくれた。ハゲタカどもに心底恨みを抱いたのはこの時からかもしれない。
2009年はまったく仕事がなかった。あれこれやってもどうにもならず、緊急保証制度で首の皮一枚。
借りた金もあっという間に底をつくかと思った頃に、何年も前に出会ったきり音沙汰のなかったお客さんから連絡があり、1年ぶりのお仕事!
そこから、徐々に光が射し始め、どうにかこうにか今日に至る というわけだ。
こうして振り返って見ると、いわゆる営業活動が実を結んだということはほとんどなく、仕事とは関係なしに色んな経路でつづけてきたコミュニケーションが、何かのきっかけで仕事に結びつく、というケースばかり。
このブログの読者の方からの依頼も、結構な数になる。
なので、当社は経営計画も売上目標も、一度もたてたことがない。
経営計画 「奇跡を信じろ」 売上目標 「どうにかなる」
結局は自分なのだろう。
家の設計なんて、まったく形の無いものに大枚をはたいてもらうのだから、俺自身が何かの役に立つのかどうか、そこを見てもらって判断してもらうしかない。
そう割り切れば、じたばたせずに、自分の思うことを言い、納得できるように行動するしかない。
仕事も仕事以外も完璧なんてほど遠いので、あるがままを見てもらって、それでいいなら契約してね というスタンス。
このブログも、始めは匿名だったけれども、あるときからあえて実名バレバレで書くようになった。
しかるべき措置を云々という内容証明が届くこともあるが、むしろうれしい人間関係が広がっていくことのほうが圧倒的に多くなった。
既存の言葉で言うと「誠心誠意」ということなのだろうが、言葉にしたとたんに陳腐になるからやめておこう。
と、そんな気分で8年間やって来た。
運が良ければ9年目も過ぎていくだろう。
しかし
足かけ10年目になる来年、とんでもないことが待ち受けている。
消費税だ。
消費税アップの前後半年は家を建てる人は激減する。
しかも2年連続で上げやがるので、2年間は売上激減、2009年の再来が今から見えている。
いくら経営計画「奇跡を信じろ」といっても、世の中の需要が1/2になれば、うちらのような零細は1/4になる。
今でも毎月毎月かつかつで過ごしているのに、売上1/2が2年間も続くなんてアリエナイ。
なんでアリエナイかというと、2年もたたずに夜逃げしなくてはならないからだ。
そんな思いの零細企業は ごまんとあるだろう。
消費者という立場で考えると、3%くらい税金が上がっても、ちょっとガマンすればなんとかなると思うだろう。
私とて、収入が同じで、消費税だけが上がるのなら、なんとかガマンできる。
しかし、日本で働いている人の、ほとんどが中小零細企業の社員だと言うことを忘れていけない。
消費税の3%が基点になって始まる負のスパイラルは、影響を受けやすいところから順番に巻き込んで、徐々にレバレッジを効かせて大きな輪になっていく。
私のような住宅業界の最末端にいる者は、いの一番にスパイラルの渦に沈む。だから、ものすご~~~く実感をもってそれが分かる。
消費税のアップは、物価が3%上がるだけのことじゃなくて、「ちょっとやめておこう」「しばらく待とう」という買い控えが、生活必需品以外の分野の経営悪化を招き、それが次の分野の業績悪化を招き、~~~~という負のスパイラルを引き起こすことに本質がある。
負のスパイラルがある程度進行すると、「不景気だ」という認識がざざざーと広がって、進行は一気に加速される。
そうなれば、恐慌と言ってもいい。2008年~2009年の悪夢の再来だ。
ここまで奇跡的に生き伸びてきた明月社の運命も、財務省の大バカどものおかげで消え去るのかどうか、そういう危機感のなかで、日々暮らしている。
しかも、巻き上げられた税金は、被災者も被曝者もほったらかしで、生活保護も切りまくって、金持ちにばらまかれる。
それどころか、米国国債を買いまくって、リーマンショックを引き起こした張本人どもに吸い上げられていく。
もう涙も出ない。
それでも、家族と生きていくために、自暴自棄になるわけにもいかないし諦めるわけにもいかない。
かといって、焦ってどうなるものでもない。
まずは、四肢と脳みそに血液を良く流すことから、気の流れを整えることから始めよう。
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