2013-05-20(Mon)

「責任」ということ

政治の世界でも、私たちの日常生活でも、「責任」という言葉はよく使われる。
「責任をとって辞めさせていただきます。」とか、「責任感のあるいい子です。」とか。

ところで、この「責任」という言葉の意味を、説明できる人はいるだろうか?
私にはかなり難しい。

本質的には、「自分で何かを選んだ事実は、自分史から消えない。」ということだろう。

強制されたことには責任はない。自分で選んでいないからだ。強制と選択の境界はややアイマイだが、明らかに強制の事実があれば、その事実を自分史に残すか残さないかは、今度は自分に選択する自由がある。
あえてそれを自分史に刻む、刻まずにいられない人もいるが、できるだけ忘れたことにして生きている人もいる。

自分が強制されずに選択したときは、そこには責任が生じる。生じると言うよりは、存在する。
物質には質量があるとの同じように、選択したという事実は消えない。
違いがあるとすれば、それを自覚するかどうかだ。リンゴは質量を自覚しないが、人間は自覚する。

ところが、人間にもマレに自覚しないものがいる。
絶対に消えないことを背負いながら、まるで無かったかのように振る舞うことのできる人間が、ごくわずかだが存在する。

無責任という言葉はよく使われる。
無責任と言えば植木等。彼の演じた無責任男に限らず、実は無責任ということばには、アンチ責任という意味が込められている。無責任というのは、案外と責任を意識しているのである。

■■

少々余談になるが、私の仕事も、ある意味で責任の塊のようなものだ。
医者ほど直接的ではないにしろ、命を左右する仕事である以上、自分で判断したことを無かったことにすると、とんでもない結果を招くことになる。

建築の世界でトンデモな人が多いのは、今の資格制度の問題もある。やるべき仕事に対して、はっきりいって現在の建築士試験は簡単すぎる。60点くらいとれば合格するような試験でとった資格など、何の価値があるのか。

自分で選択するかどうか以前に、判断する能力を持たない人が、判断して作っている建物が大量にあることは間違いない。みなさんも、せいぜいそういうところに命を預けないように注意していただきたい。

私も、建築の色んな世界を見てきたので、悪いことする人もたくさん見てきた。
そこで思うのは、知ってやっている人は意外と少ないということ。つまり、悪いことするにしても、確信犯は意外と少ない。知識がないために、自分が悪いことしているという自覚がない。自覚がないから、傍から見ても悪いことしているようには全然見えないので、予防するのも難しい。

自覚的に悪いことしようとする場合のほうが、たぶん発覚しやすい。胡散臭さを発散するから。
振り込め詐欺に騙されてしまう人は、建築詐欺にも気がつかないかもしれないが、多くの場合は「あやしい」と感じるはずだ。
悪質かどうかということはともかく、実害の大きさでは、無自覚な欠陥建築のほうが、はるかに被害は大きいし、発覚することも少ない。

このような日本の建築に大々的な損害をもたらしている無自覚的欠陥建築の責任は、もちろん無自覚といえどもそれを判断した設計者や監督に問われる。
発覚して裁判にでもなれば、間違いなく有罪だ。知りませんでしたでは、ほとんどの場合すまない。

でも、やはりその上で、私は資格制度の責任、資格制度を決めた責任を、本当は問うべきだと思う。
安全な建築を作るためには、このくらいの知識が必要だ という観点で決められたのではなく、建設業界にこのくらいの人数が必要だから、この程度の難易度にしよう という事情で制度が設定されている。

典型的なのは、監督は無資格でできる、ということだ。
設計者は、レベルはともかく資格を求められるが、非常に大事な技術職である現場監督は、まったくの無資格者でかまわない。
結果として、ビックリするほど知識も常識もない監督が大量に生まれることになった。

もちろん、設計者とて褒められたものではない。
建築の範囲はあまりに広く、すべてを分かっている人など存在しない。始めから範囲を分けて、細かく資格を作ればいいのに、業界の事情で十把一絡げに「建築士」ということになっている。
(最近は構造と設備は専門職制度ができたけれども)

私の場合で言うと、木造しかやらないことにしている。
木造のことを憶えたり、新しい知識を仕入れたりするだけで、もう頭のキャパが一杯一杯だからだ。
逆に言うと、色んな建築を一人で手掛けていたら、とてもじゃないが木造のことは理解できない。

今でも木造建築士という資格はあるが、これは2級よりも簡単という位置付けで、木造の専門家という内容では全然無い。
国は国産材を使えとか言うけれども、本気で言うのなら、木を使える建築士をちゃんと育成しなければ無理だ。むしろ、国産材を使ったせいで欠陥建築が増えてしまった、ということにもなりかねない。

この状況の中で、責任というのがどこにあるのか。とても分かりにくくなっている。
行政は絶対に責任を取らないための防御バリアーを何重にも張り巡らし、耐震偽装事件以降、それはより強固になっている。実際に、裁判でも行政は無罪になっている。

制度を決める という選択・判断をしておきながら、その過去は決して問われない行政というものが根底にある以上、そこには本来的な責任は存在できない。
どこまで行っても責任消滅の連鎖反応しかない。

そのなかで、あえて火中の栗ならぬ責任を拾う人も、実は決して少なくはない。
責任消滅に身を委ねてもいいところを、あえてリスクを取るということがなければ、今の建築や住宅の世界が良くなっていく原動力は見当たらない。
そうした試みのすべてがうまく行っているわけではないが、貴重な試行錯誤はたくさん生まれている。

責任という言葉は、より積極的なものに生まれ変わることができるのかもしれない。

■■

これは政治の世界でも同じことが言える。

国民の責任は候補者を選択して「投票」することだった。
しかし、実際問題は選択するべき選択肢が存在しない、という状況が何十年も続いた結果、国民は選択と投票に責任を感じなくなった。自分が選んだ という実感がまったくないのである。

だから、昨今も、政策は反対なのに自民党に投票する という人が大量に生まれている。
自民党の政策を一つ一つ聞けば、反対が多いのに、投票先ではもうダントツに自民党が圧勝である。
昨年の総選挙のときもそうだし、現在の参院選に向けての世論調査でも同じだ。

デフレと不況を何とかしてくれそうだから、という理由で、デフレと不況を作り出した張本人の自民党、しかも人格的にも同じ安倍晋三や麻生太郎を選ぶという、どう考えても理屈では理解できない行動を、数千万人の日本人はとっている。
先ほどの資格試験になぞって言うと、有権者には選択するだけの知識が備わっていない、と言わざるを得ない。

本来、民主主義が成り立つためには、有権者に知識と情報が行き渡る必要がある。
何も知らない浦島太郎が、現代に帰ってきたとたんにいきなり投票しろといわれても、どうしようもない。ある意味、浦島太郎に責任はない。

それと同じ状況が、実は今の日本だ。
独裁政権は軍や警察の強制力、暴力で支配するけれども、民主主義の国では情報で支配する。
マスメディアの首根っこさえ押さえてしまえば、国民にゆきわたる情報は、ほぼコントロールできる。いくら賢明な頭脳をもった国民でも、情報を完全にコントロールされてしまえば、自分の判断はできなくなる。

もとから独裁の国では、国民も情報を信用していないけれども、民主主義の国では国民はそんなに警戒していない。その結果、日本中が浦島太郎であふれかえることになった。
その責任を問おうにも、どもまでもどこまでも責任消滅の連鎖があるばかりである。

この深みを見てしまうと、足がすくんで動けなくなる。
まさに、昨年末の総選挙でうけた痛手は、そういうことだ。
軒並み落選した候補者の痛手も、もちろん経済的なダメージは計り知れなく大きいが、そればかりではない精神的なダメージがあるように思われる。

そこで、あえて火中の栗をひろうのかどうか だ。
これまでの「政治」とか「選挙」という概念は、もう通用しないと覚悟した方がいい。
ひとつには、情報統制があまりにも徹底していると言うことと、選挙資金が枯渇したという意味と、両面があるが、とにかく、政治家の方々も発想を転換する必要がある。

例えば小沢一郎さんも、赤坂の事務所を売りに出す前に、国民にたいして大カンパ運動を呼びかけるべきだろう。自分で何とかしなくてはという「責任感」は、逆に言うと国民に対する代行主義とも言える。国民に責任の共有を呼びかけて、運動として進めていくことを考えなくては、選挙の時だけ「責任」もって判断しろといっても、これは無理だ。
そのことを、嫌と言うほど分からせてくれたのが、昨年末の選挙だったはずだ。

だから、火中の栗を拾うということは、誰かが責任を被ると言うことではなく、これまでスポイルされてきた国民一人一人の責任を、あえて国民に押しつけるということだと思う。
押しつけるというのは言葉が悪いが、国民が選択できる選択肢を作るということ。それは、いきなり選挙運動ではなく、カンパ運動でいいと思うし、チラシまき運動でいいと思う。

政治家と政党が全部段取りをして、支持者はだまってお手伝いする、という発想を壊し、責任を共有するということを、真剣に考えてもらいたい。
負いきれない責任感を被ってじっとしている間に、事態はよくないほうへと雪崩をうって進んでいるのだから。

■■

昔の無責任男は、ある意味で「無自覚に強制された責任」を揶揄し笑い飛ばした。
が、現代の無責任男の代表である橋下徹は、まったく異質の存在だ。

このところ世界的な「名声」を得た感のある橋下徹の基本的な行動原理は、責任を抹殺するということだ。
2万%の男と言われたように、自分の発言を変幻自在、融通無碍に変化させる。過去の発言に一切、まったく、なんのワダカマリもなく囚われない。

これは実にすごいことで、安倍晋三にしろ誰にしろ、ウソをつく政治家というのは数限りなくいるけれども、一応は整合性を取り繕ったり、誤魔化そうとしたり、責任転嫁したりする。
ところが、橋下にとっては、自分の過去の発言というのは、まったく無かったのと同じ。取り繕うことすらしない。そして、堂々と胸を張って、それを主張する。ここまでいくと、無責任ではなく、やはり責任抹殺と言うべきだろう。

普通の人の「ウソセンサー」は、例えば目が泳いでいるかとか、表情が恥ずかしそうかとか、どこかウソをついている兆候を感じるようになっている。たぶん。
だから、橋下の言動は、人々の「ウソセンサー」に引っかからない。頭ではウソだと分かっても、「ウソつき」という嫌悪感を感じない。

無責任な人には怒りを感じても、責任を抹殺してしまった存在には、怒りも理不尽さも感じないのである。
危険感知能力を会得していないのである。
例えて言えば、人類がまだ危険を感じることのできる能力が無いために無味無臭である 放射性物質のようなものだ。

小泉純一郎という男もそういう才能のある人だったが、それでも少しは苦しかったのだろう。やるだけやって早々に引退してしまった。
他には、私の知るかぎり、ここまで徹底している人間はいない。

ついでに、橋下徹の戦略は、あと二つある。

マスメディアとの共依存関係。
民主主義の国では、情報が支配の手段であると言うことを見抜いている。マスメディアと対立するような構図を作りながら、視聴率を創造し、完全な共依存関係を作り上げている。
記者会見で「朝日なんて最低」と言った翌日には、朝日でヨイショ番組ができあがる関係性を、がっちりと作っている。

支持者本意の発想。
意外に思うかも知れないが、橋下の言動は、すべて支持者を想定している。どういう層がどれくらいいるかを想定し、それにむけて発信する。オブジェクト指向が明確なのである。
総選挙前だけは、竹中平蔵に乗せられて、そうした指向性が薄れた感があったが、今回の一連の暴言は、あきらかにそうした戦略だ。

小林よしのりなどが大喜びしているように、かなりの数の固い支持層がいることを見越して、保守本流を自民党に全部取られた以上、ここに依拠して闘う、ということを決断しての発言だ。
現状への不満を強く感じ、それを差別で爆発させる人たちを糾合し、ファシスト政党として再生するという決断がある。

その読みは、どうやら当たっているようで、維新の支持率はやや下がったに過ぎない。
むしろ、残った支持層は強固なものになったと見るべきだ。選挙が近づけば、親衛隊のような形で登場してくるかもしれない。

■■

それでもなお、責任というものは消えることはない。
橋下徹は、責任を抹殺したつもりになり、多くの人はそれに気がつかないけれども、それでも抹殺はできないし消えることはない。

かならず、巡り巡って本人に返ってくる。
抹殺した数だけ、巨大な塊になって、いつか彼の頭上に落下する。

それが少しでも早ければ日本と人類の悲劇は小さなものになり、遅くなればなるほど、支払わなくてはならない犠牲は大きくなる。

選択は、もはや「知らなかった」ではすまなくなっている。
「責任」を取りもどそう



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衆院選の選挙公約(TPP参加反対)を、信じて自民党に投票した国民も心のそこでは後悔しているのではないかと思う。

自民圧勝のツケがここにも出ているようで。
漫画・アニメ・ゲームが完全に消滅しかねない悪法が来週の国会で強行採決する腹だ。
http://d.hatena.ne.jp/mxixtxbx/20130523
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