2013-06-18(Tue)
生活の党に強く強く望みたいこと (数字訂正)
先の日曜には、生活の党・はたともこ参議院議員を招いて、大阪各所での街宣と決起集会を行った。
それほど大きな規模にはできなかったが、できるかぎりのことはやっておきたかったので、企画、段取りからかかわらせてもらった。
これまでのこのブログの論考を見てもらっても、私が生活の党になんとかがんばってもらいたいと思っていることを疑う人がいないのではないかと思っているし、実際にその通り。ウソ偽りはない。
しかしそのうえで、いや、だからこそ、あえて生活の党には苦言を呈したい。
ひとことで言うと、誰が支持者なのか、どこに潜在的な支持層がいるのか、明確に意識してもらいたいということ。
生活の党が「支持者」と想定するのは、おそらく二通りの人たちだろう。
ひとつは、自由党時代の600万。
ほぼ小沢一郎さんの個人票ともいえる600万人の強固な票が、かつてはあった。
この時代のことは私は詳しくないが、おそらく自民党支持層の中の穏健派や、自主独立派など小沢イズムに賛同した人たちを核にして、なんぼ何でも自民党の長期独裁はもうダメだろうと2大政党を指向した人たちなどが集まったものと想像する。
これも想像に過ぎないが、自由党600万の中に、今日明日にも生活に困窮しているような人は、ほとんどいなかったのではないだろうか。
貧困問題とか反戦とか反原発とか唱えていた層は(私を含めて)、風前の灯火の社会党(社民党)にすがりつき、自由党などしょせん自民党の仲間割れだと思っていた。
また、本当に困った人の駆け込み寺としては、共産党や創価学会が一定の役割を果たしてきた。(だから根強いのだ。)
経済的にも精神的にもあるていど自立した600万の自由党支持層は、おそらく2009年の民主党の票にもそのまま残ったと思われるが、これは定かではない。
なにせこの時の民主党はなんと3350万票もとっている。あの2005年コイズミ劇場の時の自民党よりも100万票も多いのである。
生活の党の多くの政治家は、この時の選挙で初当選しているので、どうしてもこの数字が「支持者」として刷り込まれている。これが二つ目。
「支持者」といっても、何せわれもわれもと民主党に投票するので、誰が支持者なのか、どこが支持層なのか、ほとんど考える必要がなかった。
もちろん、国民の生活が第一 というスローガンは錦の御旗であったけれども、かなり漠然とした「国民」という概念でしかなかった。
たしかに「政権交代ができる」という熱気はものすごいもので、象徴的なのは共産党の票だ。
常に490万程度の得票のある共産党が、2009年だけは小選挙区で200万も減らしている。
おそらくは、政権交代のために民主党に流れたのだろう。
「ゴリゴリの共産党支持者ではないが共産党が一番マシ」と思っている人たちが、大挙して政権交代の票に流れたのである。
そして実は、悪夢の2012年でも、共産党の票は不思議な現象がおきている。小選挙区470万に対して比例区は370万しかないのだ。
これはどう考えても、100万人が未来の党に流れたということだろう。
自由党時代にはお互いに天敵と思っていたような共産党支持者のかなり多くが、今や小沢グループの支持に回っているのである。
また、社民党の比例票も、2009年には300万あったのが2012年には半減以下になり160万票も減らしている。これも、他には行きようがないので、ほぼ未来の党に流れたと見て良いだろう。
そうすると、2012年の未来の党の340万票のうち、260万票は共産党と社民党から移ってきた票だということになる。
少しさっぴいて考えても、200万票くらいはそうだろう。
さて、自由党600万票はどこへ行ってしまったのだろう。
差し引きすると140万程度しか、残っていないということになる。
自民党に先祖返りしてしまったのか、民主党にすがりついているのか。いずれにしても、今や自由党時代の支持者は今や1/4になって、大半はもともと共産党や社民党に投じていた人たちだ ということを、直視する必要がある。
■■
さて、ここからどうするのか。
かつての自由党時代にもどって、穏健保守の道を守り、経済的にも比較的に自立した人たちを支持層として考えるのか。
それとも、かなり困難に直面している人たちを基盤にして、暮らしの防衛を旗印にしていくのか。
結局、生活の党の極度の不振は、このマーケティングができていないからではないのか。
政治の世界にマーケティングなんて言うと、新自由主義だとか批判されそうだが、あえて刺激的な言葉を使っておく。
政治家の言葉は、有権者に響かなければ間違いなく落選するのだから、誰に向かって何を言うのか、まさにマーケティングが必要なのだ。
2009年のように、誰だ誰だか分からなくても当選する ということは当分あり得ない。
それは、誰もが分かっているはずだ。分かっているはずなのに、頭の中が、感覚が2009年のままなのだ。
この世の生き難さ、経済的な両極化は、どんどん進んでいる。
今や「国民の生活が第一」というスローガンですら響かなくなってしまった。
それぞれが抱えている問題に、もっと踏み込んだ政策を掲げなくては、白々しい一般論に聞こえてしまう。
そして、踏み込んでいけば行くほど、万人向けのものではなくなってしまう。
これは、政治は生活である という真理から自明のことだ。
かつてのような穏健な保守の2大政党というものは、膨大な中間層があって始めて成り立つものであり、これだけ分化、両極化の進んでしまった日本では成立しなくなってしまったということだ。
一方では自民党はファシストまがいの極右に進んでいき、他方では生活防衛のための統一戦線を組む。同じ2大政党だとしても、このような形にならざるを得ないだろう。
しかし現実には、前者は実現しているが、後者は影も形もない。
これが、今現在の目の前にある現実だ。
ここからどうするのか。
もし、生活の党が、いなくなった450万人の自由党支持者をさがして昔の名前で出て行きますというのならば、それはそれで仕方がない。
しかし、それはおそらく生活の党が消滅する道だろう。
生活防衛のために移ってきた200万は幻滅し、離れていくし、いなくなった450万はもはや影を見つけることも難しい。
いなくなった450万は、脱原発とか子ども手当とか言って社民党なんかと仲良くする小沢さんに幻滅して消えていったのであろう。グランドキャニオンに手摺はいらないという小沢さんに(表面的に)喝采していた人たちには、この間の小沢さんの政治は裏切りに見えたに違いない。
生活の党が、ここからあらためて立ち上がっていくためには、まず今の支持者、今の期待、今の願いを直視することだ。
そして、まずは600万(あと260万)の支持者の顔を見つけることだ。
どこにいるのか、どんな暮らしをしているのか、何に困っているのか、何を求めているのか。
それを、ハッキリと脳裏に描くことだ。
■■
私が、生活の党が生活保護法改悪に賛成票を投じたことにこだわるのは、ここに理由がある。
自公民みん で修正協議ができていたのだから、生活の党がどっちに投票しても何の影響もなかったわけだが、それでもこの事件を私は看過できないと思っている。
まさに、ここまでに書いてきたことを象徴する事件だったからだ。
「生活保護」という言葉を聞いて、まず思い浮かぶ言葉が 「不正受給」なのか 「水際作戦」なのか。
ここで、大きく立ち位置が変わる。
生活の党では、意見はかなり割れたそうだが、結局は「不正受給」の立場に立った。
これが、大問題なのである。
実際の数字としても、生活保護は216万1053人で過去最多を更新し続けている。
これに対して、いわゆる不正受給がどれほどあるのか。
参議院の厚生労働委員会調査室の資料がある
生活保護の現状と課題
まずこの7頁目をみると、リーマンショック以降、日本はエライことになっているということが一目瞭然でわかる。グラフだけをここに貼り付けておく
さらに、10~11頁を見ると、2009年の給付総額が30兆円3兆円であり、そのうち不正受給が100億円であることが分かる。
0.33%3.3%だ。仮に3倍あったとしても、1%10%だ。
これに対して、補足率、つまり受給できるはずの人が受給している率は20%にすぎない。つまり、給付していない人は給付している人の4倍もいる。
不正受給を放置すべきではないとはいえ、不正受給対策を先行させる愚は明白だ。(青地訂正加筆)
1%の不正受給を減らすために、今でも横行する窓口での受付拒否(水際作戦)をより激化させるのは、なにをどう言いつくろっても、許されることではない。
グラフに見られるような非常事態に際して、「大変だ、受給を抑制しなくちゃ」と考えるのか、「大変だ、困窮者が出ないようにしなくちゃ」と考えるのか。
この資質が問われているのである。
生活保護をめぐる詳しい解説などは、こちらのダイアモンド誌の記事が読みやすい
生活保護のリアル
赤旗でもなく朝日新聞ですらない経済誌のダイアモンドでもこうした記事を載せているのに、なんで「国民の生活が第一」の生活の党の幹部がこうした実態をご存じないか。
党のホームページに森さんの言い訳が掲載されたが、申し訳ないけれども、読んだときは「あれ、民主党のホームページだった?」と思ってしまった。
衆議院での採決は終わってしまったことなので、今さらどうすることもできない。
しかし、今から潔く非を認めて声明を出すことはできるはずだ。
このまま行くと、会期末には参議院でも採決になるという。
そこで賛成票を投じることは、現在の支持者に対して「あっちへ行け」と泥水をかけることになる。
くれぐれも、やってしまったことの面子にこだわって正常な判断を失わないように、切に切に要望する。
特に、子宮頸がんワクチンの義務的接種については、ただ一人反対を貫き、エビデンスを積み上げて隙のない追及で、ついに厚労省にストップをかけ、世の中の常識をひっくり返し、党の反省を込めた方針転換をもかちとった はたともこ参議院議員には、絶対に賛成票だけは投じないでいただきたい。
できるかぎりのお手伝いはさせていただきたいと思っているが、これだけは強くお願いをしたい。
■■
参議院選挙まで、もういくらも時間はない。
何ができるか分からないが、このように文句を言いつつも、できるかぎりのことはやっておきたい。
今後20年つづくたたかいの時代。どうやって生き、どうやってたたかうのか、手探りの一歩として。
生活の党機関誌<号外>の配布については→ 前の記事を参照して下さい
送料着払いで、当方からもお送りすることできます。
なにがどうなっても、私たちは生きていかねばならない。
こんな世の中を作ってしまった大人の一人として、放り出すわけにいかない。
八方ふさがりでも、九方があるかもしれない。
知恵を絞って、前に進もう。


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それほど大きな規模にはできなかったが、できるかぎりのことはやっておきたかったので、企画、段取りからかかわらせてもらった。
これまでのこのブログの論考を見てもらっても、私が生活の党になんとかがんばってもらいたいと思っていることを疑う人がいないのではないかと思っているし、実際にその通り。ウソ偽りはない。
しかしそのうえで、いや、だからこそ、あえて生活の党には苦言を呈したい。
ひとことで言うと、誰が支持者なのか、どこに潜在的な支持層がいるのか、明確に意識してもらいたいということ。
生活の党が「支持者」と想定するのは、おそらく二通りの人たちだろう。
ひとつは、自由党時代の600万。
ほぼ小沢一郎さんの個人票ともいえる600万人の強固な票が、かつてはあった。
この時代のことは私は詳しくないが、おそらく自民党支持層の中の穏健派や、自主独立派など小沢イズムに賛同した人たちを核にして、なんぼ何でも自民党の長期独裁はもうダメだろうと2大政党を指向した人たちなどが集まったものと想像する。
これも想像に過ぎないが、自由党600万の中に、今日明日にも生活に困窮しているような人は、ほとんどいなかったのではないだろうか。
貧困問題とか反戦とか反原発とか唱えていた層は(私を含めて)、風前の灯火の社会党(社民党)にすがりつき、自由党などしょせん自民党の仲間割れだと思っていた。
また、本当に困った人の駆け込み寺としては、共産党や創価学会が一定の役割を果たしてきた。(だから根強いのだ。)
経済的にも精神的にもあるていど自立した600万の自由党支持層は、おそらく2009年の民主党の票にもそのまま残ったと思われるが、これは定かではない。
なにせこの時の民主党はなんと3350万票もとっている。あの2005年コイズミ劇場の時の自民党よりも100万票も多いのである。
生活の党の多くの政治家は、この時の選挙で初当選しているので、どうしてもこの数字が「支持者」として刷り込まれている。これが二つ目。
「支持者」といっても、何せわれもわれもと民主党に投票するので、誰が支持者なのか、どこが支持層なのか、ほとんど考える必要がなかった。
もちろん、国民の生活が第一 というスローガンは錦の御旗であったけれども、かなり漠然とした「国民」という概念でしかなかった。
たしかに「政権交代ができる」という熱気はものすごいもので、象徴的なのは共産党の票だ。
常に490万程度の得票のある共産党が、2009年だけは小選挙区で200万も減らしている。
おそらくは、政権交代のために民主党に流れたのだろう。
「ゴリゴリの共産党支持者ではないが共産党が一番マシ」と思っている人たちが、大挙して政権交代の票に流れたのである。
そして実は、悪夢の2012年でも、共産党の票は不思議な現象がおきている。小選挙区470万に対して比例区は370万しかないのだ。
これはどう考えても、100万人が未来の党に流れたということだろう。
自由党時代にはお互いに天敵と思っていたような共産党支持者のかなり多くが、今や小沢グループの支持に回っているのである。
また、社民党の比例票も、2009年には300万あったのが2012年には半減以下になり160万票も減らしている。これも、他には行きようがないので、ほぼ未来の党に流れたと見て良いだろう。
そうすると、2012年の未来の党の340万票のうち、260万票は共産党と社民党から移ってきた票だということになる。
少しさっぴいて考えても、200万票くらいはそうだろう。
さて、自由党600万票はどこへ行ってしまったのだろう。
差し引きすると140万程度しか、残っていないということになる。
自民党に先祖返りしてしまったのか、民主党にすがりついているのか。いずれにしても、今や自由党時代の支持者は今や1/4になって、大半はもともと共産党や社民党に投じていた人たちだ ということを、直視する必要がある。
■■
さて、ここからどうするのか。
かつての自由党時代にもどって、穏健保守の道を守り、経済的にも比較的に自立した人たちを支持層として考えるのか。
それとも、かなり困難に直面している人たちを基盤にして、暮らしの防衛を旗印にしていくのか。
結局、生活の党の極度の不振は、このマーケティングができていないからではないのか。
政治の世界にマーケティングなんて言うと、新自由主義だとか批判されそうだが、あえて刺激的な言葉を使っておく。
政治家の言葉は、有権者に響かなければ間違いなく落選するのだから、誰に向かって何を言うのか、まさにマーケティングが必要なのだ。
2009年のように、誰だ誰だか分からなくても当選する ということは当分あり得ない。
それは、誰もが分かっているはずだ。分かっているはずなのに、頭の中が、感覚が2009年のままなのだ。
この世の生き難さ、経済的な両極化は、どんどん進んでいる。
今や「国民の生活が第一」というスローガンですら響かなくなってしまった。
それぞれが抱えている問題に、もっと踏み込んだ政策を掲げなくては、白々しい一般論に聞こえてしまう。
そして、踏み込んでいけば行くほど、万人向けのものではなくなってしまう。
これは、政治は生活である という真理から自明のことだ。
かつてのような穏健な保守の2大政党というものは、膨大な中間層があって始めて成り立つものであり、これだけ分化、両極化の進んでしまった日本では成立しなくなってしまったということだ。
一方では自民党はファシストまがいの極右に進んでいき、他方では生活防衛のための統一戦線を組む。同じ2大政党だとしても、このような形にならざるを得ないだろう。
しかし現実には、前者は実現しているが、後者は影も形もない。
これが、今現在の目の前にある現実だ。
ここからどうするのか。
もし、生活の党が、いなくなった450万人の自由党支持者をさがして昔の名前で出て行きますというのならば、それはそれで仕方がない。
しかし、それはおそらく生活の党が消滅する道だろう。
生活防衛のために移ってきた200万は幻滅し、離れていくし、いなくなった450万はもはや影を見つけることも難しい。
いなくなった450万は、脱原発とか子ども手当とか言って社民党なんかと仲良くする小沢さんに幻滅して消えていったのであろう。グランドキャニオンに手摺はいらないという小沢さんに(表面的に)喝采していた人たちには、この間の小沢さんの政治は裏切りに見えたに違いない。
生活の党が、ここからあらためて立ち上がっていくためには、まず今の支持者、今の期待、今の願いを直視することだ。
そして、まずは600万(あと260万)の支持者の顔を見つけることだ。
どこにいるのか、どんな暮らしをしているのか、何に困っているのか、何を求めているのか。
それを、ハッキリと脳裏に描くことだ。
■■
私が、生活の党が生活保護法改悪に賛成票を投じたことにこだわるのは、ここに理由がある。
自公民みん で修正協議ができていたのだから、生活の党がどっちに投票しても何の影響もなかったわけだが、それでもこの事件を私は看過できないと思っている。
まさに、ここまでに書いてきたことを象徴する事件だったからだ。
「生活保護」という言葉を聞いて、まず思い浮かぶ言葉が 「不正受給」なのか 「水際作戦」なのか。
ここで、大きく立ち位置が変わる。
生活の党では、意見はかなり割れたそうだが、結局は「不正受給」の立場に立った。
これが、大問題なのである。
実際の数字としても、生活保護は216万1053人で過去最多を更新し続けている。
これに対して、いわゆる不正受給がどれほどあるのか。
参議院の厚生労働委員会調査室の資料がある
生活保護の現状と課題

さらに、10~11頁を見ると、2009年の給付総額が
これに対して、補足率、つまり受給できるはずの人が受給している率は20%にすぎない。つまり、給付していない人は給付している人の4倍もいる。
不正受給を放置すべきではないとはいえ、不正受給対策を先行させる愚は明白だ。(青地訂正加筆)
1%の不正受給を減らすために、今でも横行する窓口での受付拒否(水際作戦)をより激化させるのは、なにをどう言いつくろっても、許されることではない。
グラフに見られるような非常事態に際して、「大変だ、受給を抑制しなくちゃ」と考えるのか、「大変だ、困窮者が出ないようにしなくちゃ」と考えるのか。
この資質が問われているのである。
生活保護をめぐる詳しい解説などは、こちらのダイアモンド誌の記事が読みやすい
生活保護のリアル
赤旗でもなく朝日新聞ですらない経済誌のダイアモンドでもこうした記事を載せているのに、なんで「国民の生活が第一」の生活の党の幹部がこうした実態をご存じないか。
党のホームページに森さんの言い訳が掲載されたが、申し訳ないけれども、読んだときは「あれ、民主党のホームページだった?」と思ってしまった。
衆議院での採決は終わってしまったことなので、今さらどうすることもできない。
しかし、今から潔く非を認めて声明を出すことはできるはずだ。
このまま行くと、会期末には参議院でも採決になるという。
そこで賛成票を投じることは、現在の支持者に対して「あっちへ行け」と泥水をかけることになる。
くれぐれも、やってしまったことの面子にこだわって正常な判断を失わないように、切に切に要望する。
特に、子宮頸がんワクチンの義務的接種については、ただ一人反対を貫き、エビデンスを積み上げて隙のない追及で、ついに厚労省にストップをかけ、世の中の常識をひっくり返し、党の反省を込めた方針転換をもかちとった はたともこ参議院議員には、絶対に賛成票だけは投じないでいただきたい。
できるかぎりのお手伝いはさせていただきたいと思っているが、これだけは強くお願いをしたい。
■■
参議院選挙まで、もういくらも時間はない。
何ができるか分からないが、このように文句を言いつつも、できるかぎりのことはやっておきたい。
今後20年つづくたたかいの時代。どうやって生き、どうやってたたかうのか、手探りの一歩として。
生活の党機関誌<号外>の配布については→ 前の記事を参照して下さい
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