2014-06-27(Fri)
政界のことが10分で分かる解説 「己を知る」編
彼を知り己を知れば百戦危うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず危うし。
孫氏の言うとおりです。
私たちは、安倍は危ない、橋下は非道い などと言うけれども、よく考えてみれば、敵も己もほとんど理解していない。
なんとなく目の前に現れた者を「敵」と認識し、なんとなく隣にいるものを「味方」と思い込んでいる。
しかも勧善懲悪の単純思考で、「敵」と「味方」に二分しなくては気が済まない。
それどころか、昨日まで「味方」だったものが、ちょっと気に入らないといきなり「敵」に見えてきたり、ついこの間まで「敵」だったものを褒めそやしてみたりもする。
結局、戦後の歴史の中で、攻められれば必ず負けてきたのは、ここに原因があるのではないでしょうか。
いま、いまわの際まで追い詰められているこの時だからこそ、遅きに失しているとはいえ、それでも改めて敵と味方を認識する必要があります。
「敵を知る編」は先日のエントリーを見てください
■■
敵を知る編で書いたとおり、敵は一枚岩ではないし、「敵は全部敵!」と聞く耳も持たない潔癖症は、決して好ましい態度ではない。敵の亀裂に指を突っ込んで、少しでも好機を作り出すことも必要だからだ。
この敵に対する強硬な態度の裏返しで、味方に対しても、白と黒にはっきり分けようとする傾向が広く見られる。
あの都知事選に顕著だったように、昨日まで同じ方向を向いていた人どおしが、口を極めて罵りあうということが珍しくない。
だいたい私たちが日常的に経験している組織というのは、このような形のものだ。

会社も自治会もお役所も、ほとんどがこういう縦割り上下関係になっている。
こういうタイプのは、責任の所在がはっきりしているときは有効に機能するけれども、往々にして無責任の体型になってしまい、原発が爆発しようが戦争を始めようが、誰も責任を取らない。
この形にあまりに慣れきっているので、こういう形に馴染まない市民運動や政治運動でも、ついついこういう発想をして、勝手に暴走してみたり、逆に何か言われないと何もできないということが起きる。
自立と共生にはほど遠い状況が、どの勢力に限らずある。
さすがにこれではダメだろうと気がつくと、こういう形になる。
立場的にはフラットになり、世話人や理事が大きな権力を振るうことはなくなるし、各メンバーの自主性も尊重される。
だが、今度は逆に、そもそもの目的や目標があやふやになってしまう。その割りに、メンバー間の同質性が言外に求められ、風土の合わないものは疎外されていき、やがて感情的な問題に発展して分裂し、ややこしい禍根を残すことになる。
これらの数多い失敗例の反省に立つと、このような形が求められいるのが分かる。
共通目標を明確にした上で、連携はゆるやかに。
ポイントは、それぞれのメンバーが点線の内側と外側を使い分けるということ。内側の活動をするときは最大公約数で動き、外側の活動をするときは好き勝手にやる。
他のメンバーが外側で気に入らないことをしても、イチイチ文句つけない。
もう一つのポイントは、共通目標をしっかりと決めることだ。
抽象的な目標では各メンバーが使い分けするための「行動指針」が定まらない。かといって、あまりに限定的だと身動きが取れなくなる。
とにかくこれができていないと、あっと言う間に組織は崩壊する。
この組織原則は、ひとつの市民運動や政治運動にも適用できるし、色々な運動体の連携時にはもっと必要であるし、政治的な野党共闘においても同じことが言える。
■■
現在の状況を眺めてみる。
まずは、共通目標を何にするかだ。それによって、どこまでが「味方」なのかが変わってくる。
味方というのは、感情や好き嫌いで決まるのではなく、その目標に合致するのかどうかで決まるのであり、時と場合によって同じ人や団体が敵になったり味方になったりするのは当たり前の話だと言うことを、すぐに感情に流れる日本人はよくよく肝に銘じておきたい。
共通目標は脱原発とか解釈改憲反対とか色んなことが考えられる。
私は一番上位に置くべき共通目標は、「国民の生活が第一」と「政権交代」だと考えている。
「国民の生活が第一」というスローガンは小沢一郎氏の専売特許で他党は与しにくいだろうから、意味として同じならば言い換えてもいい。
「政権交代」は言うまでもない。政権交代しなければ「国民の生活が第一」は口先だけに終わるし、安倍の暴走も止められない。
話がちょっとそれるけれども、「国民の生活が第一」というスローガンは、あまりにも練り上げられていて、実は他に言い換えがきかない。なにせ、文字の一つ一つに意味がある。
「国」 対米従属からの解放
「民」 脱官僚依存
「の」 国民が主体
「生活」 経済や安全という抽象でななく日常の暮らし
「が」 他でもないこれが
「第一」 イチバン
これをどうやって他の言葉に言い換えたらいいのか私には分からない
閑話休題
「国民の生活が第一」と「政権交代」を最も主要な共通目標として設定すると、おのずと誰が味方で、誰が敵で、誰が「味方ではない」かが見えてくる。
既存の政治勢力に限って言うならば、自民党、公明党が全体として敵方なのは言うまでもない。あの世の党(じゃなくて次世代の党だったかな)は限りなく自民党に近い。みんなの党も、なりふり構わず自民党にすり寄ることによって分裂と代表辞任を引き起こしたわけで、ほぼ自民と分類できる。
ややこしいのは橋下維新、結いの党、民主党の前原グループだ。この連中は、自民党の補完勢力なのは確かだが、そのやりかたは直球ではない。この連中の共通項は、新自由主義と米国の言うなりという点だ。そして、親分から与えられていりる使命は、野党の乗っ取り、分裂である。
新自由主義者がぜんぶ自民党に行ってしまったら、数は少なくとも野党は結束してしまう。それを防ぎ、惑乱し、戦えなくするためにあえて非与党の立場に固執する。俗に言う 「ゆ」党である。
では、味方はどこにいるのかというと、本気の本気は小沢一郎と山本太郎ということになる。より大きな枠組で見れば、社民、社大、民主の一部日和見、自民党のごく一部ということになる。
理想的には、民主党が分党し、自民から辛抱たまらん人たちが飛び出して、野党共闘ができれば少しは形ができるが、民主党が分党するという可能性が一番の問題だ。
必ずしも前原たちの新自由主義、従米が第一の勢力に賛同しない議員は民主党の中にも多いとは思う。たぶん、数だけ言うなら過半数かもしれない。しかし、何が足りないかというと、根性が足りない。半数の議員が立ち上がれば維新のように財産を分割して分党することができるはずだが、そこまでやろうという議員が、ただの一人もいない。
それができるくらいなら、一昨年の7月に決起しているだろう。
では共産党はどこに入るのか。
これは、別枠に入れておくのが私は得策ではないかと思う。やたらと敵視してケンカを売るのではなく、かといって一切あてにはしない。300~500万票は基礎控除と思うしかない。
共産党は政策的には何も文句はない。ただ一点、「政権交代」をまったく目指していない。その点では敵対する立場ですらあるので、最初から味方の内にはカウントしない。
300選挙区に通らない候補を立てて比例票を集めることで生きると決めているのだから、票が割れるとか嘆くよりも、そんな票は最初から無いと思った方がいい。
■■
ということで、とにもかくにも問題は民主党だ。
そして現実的には、民主党がどうにか役に立つ可能性は限りなくゼロに近い。
にもかかわらず、小沢さんは一貫して民主党に野党共闘の旗頭になれと言っている。無駄じゃないのかと思いつつ、しかしその真意も分からないでもない。
選挙には金がかかるのだ。
いくら小選挙区でも供託金600万をふくめて2000万くらい無ければ話にならない。x300で60億だ。
参院選とあわせると100億円!!
生活の党に投票した100万人が、ひとり1万円献金しなければ100億円にはならない。
1億や2億なら、現有勢力が全国で頑張れば集まるかもしれないが、100億は想像もつかない・・・
現在の生活の党は、すっかんぴんだ。
もちろん金庫の中身まで知るよしはないが、小沢さんが赤坂の個人事務所を売却して資金を賄っているのを見ても、苦しい台所事情なのはまちがいない。
だから、莫大な資金を貯め込んでいると見られる民主党をどうにかしたいのだが、そのことは前原たちも先刻承知の助で、海江田がグラッと来たらすかさずに揺さぶりをかけてきた。
4月28日の会見で海江田は各党と個別に協議を進めると発言。この段階では、生活の党も含まれていた。すると、その直後から前原が「野党共闘が進まない」と言って海江田おろしを激化させた。
前原の言う「野党共闘が進まない」というのは、「維新と結いとだけ共闘せよ」「小沢一郎を排除せよ」と言う意味に他ならない。
このように、まともな野党共闘をさせないための専門チームが、米国の後押しをうけて党内でもっとも声の大きなグループとして存在しているのだから、前原や長島や野田や岡田や細野や、この連中を外科手術で取り除くことができなければ野党共闘に希望を託すことはほぼ無理だろう。
■■
そうなると、現実的には2年後に政権を取りもどすのではなく、その次にかけることになる。
それまでに、どんな艱難辛苦があるか、どれだけの命が失われるか、考えると立ち上がれないくらいの重さがある。それでも、その暗く重い時代に、少しでも希望を、選択しうる途を残すために何ができるのか。
もう我慢できない、と羊のような日本人の堪忍袋が切れたときに、受け皿を残すことができるのか。それとも、そこにはファシズムの暴発しか途は残されていないのか。
このように考えざるを得ないのかもしれない。そこまで行かないことを熱望しつつも、他の可能性が私にはまったく見えない。
もし仮に、ここで小沢さんが前原グループの軍門にくだり、刀を折って「共闘」に入ったならば、状況は取り返しのつかないことになるだろう。わずかでも残るはずの選択肢が、いよいよもって消滅する。
共産党とファシズムが躍進し、血と消炎のなかで戦争の時代が始まる。
それ以外の可能性が無くなるような、そんな未来にだけはしたくない。そのために、私たちの「味方」は大事にしたい。
議席数はともかくとして、意外と「味方」は多い。右から左まで、幅広く存在している。
そうした人たちとつながるために、関西で「国民の生活が第一」を真剣に考えている人たちが集える「場」を作りたい。そこを軸にして、他の党やグループとも連携できるようにしたい。
具体的に何ができるのか、はっきりしてきたら、ここでも発表するのでぜひ注目いただきたい。
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こんなセミナーやります
7月12日(土) 13:30~
すがおの家・木づくりセミナー&住宅・木の家、何でも相談会
「意外と簡単な木の家のお手入れ」
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詳しくはこちら http://natulogy.com/seminar_info/4969/


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孫氏の言うとおりです。
私たちは、安倍は危ない、橋下は非道い などと言うけれども、よく考えてみれば、敵も己もほとんど理解していない。
なんとなく目の前に現れた者を「敵」と認識し、なんとなく隣にいるものを「味方」と思い込んでいる。
しかも勧善懲悪の単純思考で、「敵」と「味方」に二分しなくては気が済まない。
それどころか、昨日まで「味方」だったものが、ちょっと気に入らないといきなり「敵」に見えてきたり、ついこの間まで「敵」だったものを褒めそやしてみたりもする。
結局、戦後の歴史の中で、攻められれば必ず負けてきたのは、ここに原因があるのではないでしょうか。
いま、いまわの際まで追い詰められているこの時だからこそ、遅きに失しているとはいえ、それでも改めて敵と味方を認識する必要があります。
「敵を知る編」は先日のエントリーを見てください
■■
敵を知る編で書いたとおり、敵は一枚岩ではないし、「敵は全部敵!」と聞く耳も持たない潔癖症は、決して好ましい態度ではない。敵の亀裂に指を突っ込んで、少しでも好機を作り出すことも必要だからだ。
この敵に対する強硬な態度の裏返しで、味方に対しても、白と黒にはっきり分けようとする傾向が広く見られる。
あの都知事選に顕著だったように、昨日まで同じ方向を向いていた人どおしが、口を極めて罵りあうということが珍しくない。
だいたい私たちが日常的に経験している組織というのは、このような形のものだ。

会社も自治会もお役所も、ほとんどがこういう縦割り上下関係になっている。
こういうタイプのは、責任の所在がはっきりしているときは有効に機能するけれども、往々にして無責任の体型になってしまい、原発が爆発しようが戦争を始めようが、誰も責任を取らない。
この形にあまりに慣れきっているので、こういう形に馴染まない市民運動や政治運動でも、ついついこういう発想をして、勝手に暴走してみたり、逆に何か言われないと何もできないということが起きる。
自立と共生にはほど遠い状況が、どの勢力に限らずある。
さすがにこれではダメだろうと気がつくと、こういう形になる。

立場的にはフラットになり、世話人や理事が大きな権力を振るうことはなくなるし、各メンバーの自主性も尊重される。
だが、今度は逆に、そもそもの目的や目標があやふやになってしまう。その割りに、メンバー間の同質性が言外に求められ、風土の合わないものは疎外されていき、やがて感情的な問題に発展して分裂し、ややこしい禍根を残すことになる。
これらの数多い失敗例の反省に立つと、このような形が求められいるのが分かる。

共通目標を明確にした上で、連携はゆるやかに。
ポイントは、それぞれのメンバーが点線の内側と外側を使い分けるということ。内側の活動をするときは最大公約数で動き、外側の活動をするときは好き勝手にやる。
他のメンバーが外側で気に入らないことをしても、イチイチ文句つけない。
もう一つのポイントは、共通目標をしっかりと決めることだ。
抽象的な目標では各メンバーが使い分けするための「行動指針」が定まらない。かといって、あまりに限定的だと身動きが取れなくなる。
とにかくこれができていないと、あっと言う間に組織は崩壊する。
この組織原則は、ひとつの市民運動や政治運動にも適用できるし、色々な運動体の連携時にはもっと必要であるし、政治的な野党共闘においても同じことが言える。
■■
現在の状況を眺めてみる。
まずは、共通目標を何にするかだ。それによって、どこまでが「味方」なのかが変わってくる。
味方というのは、感情や好き嫌いで決まるのではなく、その目標に合致するのかどうかで決まるのであり、時と場合によって同じ人や団体が敵になったり味方になったりするのは当たり前の話だと言うことを、すぐに感情に流れる日本人はよくよく肝に銘じておきたい。
共通目標は脱原発とか解釈改憲反対とか色んなことが考えられる。
私は一番上位に置くべき共通目標は、「国民の生活が第一」と「政権交代」だと考えている。
「国民の生活が第一」というスローガンは小沢一郎氏の専売特許で他党は与しにくいだろうから、意味として同じならば言い換えてもいい。
「政権交代」は言うまでもない。政権交代しなければ「国民の生活が第一」は口先だけに終わるし、安倍の暴走も止められない。
話がちょっとそれるけれども、「国民の生活が第一」というスローガンは、あまりにも練り上げられていて、実は他に言い換えがきかない。なにせ、文字の一つ一つに意味がある。
「国」 対米従属からの解放
「民」 脱官僚依存
「の」 国民が主体
「生活」 経済や安全という抽象でななく日常の暮らし
「が」 他でもないこれが
「第一」 イチバン
これをどうやって他の言葉に言い換えたらいいのか私には分からない
閑話休題
「国民の生活が第一」と「政権交代」を最も主要な共通目標として設定すると、おのずと誰が味方で、誰が敵で、誰が「味方ではない」かが見えてくる。
既存の政治勢力に限って言うならば、自民党、公明党が全体として敵方なのは言うまでもない。あの世の党(じゃなくて次世代の党だったかな)は限りなく自民党に近い。みんなの党も、なりふり構わず自民党にすり寄ることによって分裂と代表辞任を引き起こしたわけで、ほぼ自民と分類できる。
ややこしいのは橋下維新、結いの党、民主党の前原グループだ。この連中は、自民党の補完勢力なのは確かだが、そのやりかたは直球ではない。この連中の共通項は、新自由主義と米国の言うなりという点だ。そして、親分から与えられていりる使命は、野党の乗っ取り、分裂である。
新自由主義者がぜんぶ自民党に行ってしまったら、数は少なくとも野党は結束してしまう。それを防ぎ、惑乱し、戦えなくするためにあえて非与党の立場に固執する。俗に言う 「ゆ」党である。
では、味方はどこにいるのかというと、本気の本気は小沢一郎と山本太郎ということになる。より大きな枠組で見れば、社民、社大、民主の一部日和見、自民党のごく一部ということになる。
理想的には、民主党が分党し、自民から辛抱たまらん人たちが飛び出して、野党共闘ができれば少しは形ができるが、民主党が分党するという可能性が一番の問題だ。
必ずしも前原たちの新自由主義、従米が第一の勢力に賛同しない議員は民主党の中にも多いとは思う。たぶん、数だけ言うなら過半数かもしれない。しかし、何が足りないかというと、根性が足りない。半数の議員が立ち上がれば維新のように財産を分割して分党することができるはずだが、そこまでやろうという議員が、ただの一人もいない。
それができるくらいなら、一昨年の7月に決起しているだろう。
では共産党はどこに入るのか。
これは、別枠に入れておくのが私は得策ではないかと思う。やたらと敵視してケンカを売るのではなく、かといって一切あてにはしない。300~500万票は基礎控除と思うしかない。
共産党は政策的には何も文句はない。ただ一点、「政権交代」をまったく目指していない。その点では敵対する立場ですらあるので、最初から味方の内にはカウントしない。
300選挙区に通らない候補を立てて比例票を集めることで生きると決めているのだから、票が割れるとか嘆くよりも、そんな票は最初から無いと思った方がいい。
■■
ということで、とにもかくにも問題は民主党だ。
そして現実的には、民主党がどうにか役に立つ可能性は限りなくゼロに近い。
にもかかわらず、小沢さんは一貫して民主党に野党共闘の旗頭になれと言っている。無駄じゃないのかと思いつつ、しかしその真意も分からないでもない。
選挙には金がかかるのだ。
いくら小選挙区でも供託金600万をふくめて2000万くらい無ければ話にならない。x300で60億だ。
参院選とあわせると100億円!!
生活の党に投票した100万人が、ひとり1万円献金しなければ100億円にはならない。
1億や2億なら、現有勢力が全国で頑張れば集まるかもしれないが、100億は想像もつかない・・・
現在の生活の党は、すっかんぴんだ。
もちろん金庫の中身まで知るよしはないが、小沢さんが赤坂の個人事務所を売却して資金を賄っているのを見ても、苦しい台所事情なのはまちがいない。
だから、莫大な資金を貯め込んでいると見られる民主党をどうにかしたいのだが、そのことは前原たちも先刻承知の助で、海江田がグラッと来たらすかさずに揺さぶりをかけてきた。
4月28日の会見で海江田は各党と個別に協議を進めると発言。この段階では、生活の党も含まれていた。すると、その直後から前原が「野党共闘が進まない」と言って海江田おろしを激化させた。
前原の言う「野党共闘が進まない」というのは、「維新と結いとだけ共闘せよ」「小沢一郎を排除せよ」と言う意味に他ならない。
このように、まともな野党共闘をさせないための専門チームが、米国の後押しをうけて党内でもっとも声の大きなグループとして存在しているのだから、前原や長島や野田や岡田や細野や、この連中を外科手術で取り除くことができなければ野党共闘に希望を託すことはほぼ無理だろう。
■■
そうなると、現実的には2年後に政権を取りもどすのではなく、その次にかけることになる。
それまでに、どんな艱難辛苦があるか、どれだけの命が失われるか、考えると立ち上がれないくらいの重さがある。それでも、その暗く重い時代に、少しでも希望を、選択しうる途を残すために何ができるのか。
もう我慢できない、と羊のような日本人の堪忍袋が切れたときに、受け皿を残すことができるのか。それとも、そこにはファシズムの暴発しか途は残されていないのか。
このように考えざるを得ないのかもしれない。そこまで行かないことを熱望しつつも、他の可能性が私にはまったく見えない。
もし仮に、ここで小沢さんが前原グループの軍門にくだり、刀を折って「共闘」に入ったならば、状況は取り返しのつかないことになるだろう。わずかでも残るはずの選択肢が、いよいよもって消滅する。
共産党とファシズムが躍進し、血と消炎のなかで戦争の時代が始まる。
それ以外の可能性が無くなるような、そんな未来にだけはしたくない。そのために、私たちの「味方」は大事にしたい。
議席数はともかくとして、意外と「味方」は多い。右から左まで、幅広く存在している。
そうした人たちとつながるために、関西で「国民の生活が第一」を真剣に考えている人たちが集える「場」を作りたい。そこを軸にして、他の党やグループとも連携できるようにしたい。
具体的に何ができるのか、はっきりしてきたら、ここでも発表するのでぜひ注目いただきたい。
■■ お仕事のお知らせ ■■
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