2005-10-07(Fri)
ハルとナツ
NHK80周年の豪華キャストドラマ、ハルとナツ 見た人も多かったのでは。
なにせ、俳優が豪華すぎるうえに、脚本も橋田壽賀子ときては、ウケないわけはない。また、色んなことを考えることもできた。
日本とブラジルの対照でドラマは進んでいくが、一番対照的に描かれていたのは、日本に一人残されたナツが「戦争に負けて良かった」とあっさり言い放つのに対し、ブラジルの父親は「日本は勝ったんだ」と頑なに思い続ける。
このちがいはどこから来るのか。ナツは、毎日しぼった牛乳を軍に取りあげられ、恨みながら暮らしていた。抵抗はできなくとも、精神的には屈服していない。ファシズムに荷担したという負い目を感じることはない。
父親は、ブラジルにありながらも、息子を予科練に送り、日本の「戦勝」を心の支えにして生きていた。一度、そこまで踏み込んでしまった人は、よほど強い意志を持たない限り、その過去を否定することはできない。
息子の上官が戦死の報告に来たとき「やはり日本が勝ったんだ。でなきゃ将校が生きているわけがない」と言う。負けを認めたとき、自分をも許すことができなくなる。そういう負い目がある。それが分かるから、頑なに敗戦を認めない。
これはたぶん、日本人の多くが戦後に陥った感情なのではないだろうか。
もう一つ、ブラジルの移動映画で当時の皇太子の結婚のニュースが流れる。これを見て、父親ははじめて本当に日本の戦勝を確信する。本当に勝ったわけではないことは、内心分かっていたはずの父親は、「戦争に負けたのなら、皇族が残っているわけがない」と、戦後20年近くなって初めて戦勝を確信するのだ。そして、安心してその晩に亡くなるのだが、これは重い言葉だ。
戦後の天皇制の意味が、ハッキリと表現されている。
戦争に行き、他国の人民をその手で殺した経験を持つ多くの男たち、それを支えた多くの女たちは、天皇の元気な姿を見ることで、「ああ、俺もあんなにたくさん殺したけど、責められることはないんだ」と安堵する、そのためのシステムが象徴天皇制だ。
よーく考えてみたら、とんでもなく悪いことをしたんだけれども、天皇が良いもん食ってニコニコしているところを見れば、「まあ、言うほど悪いことでもなかったんじゃないの」と思えてくるわけだ。
アメリカに降伏し、戦力の放棄をすることと引き替えに、そういう「安心」を手に入れたのが、憲法だ。 だから、根本的に言えば、私も今の憲法に全面賛成ではない。これがある限り、日本の無責任体質は変わらない、という気もする。
しかし、あくまで、戦争放棄、戦力放棄とバーターだったことを忘れてはいけない。と言うか、忘れているのは当の日本人だけだ。
もう一方で、ブラジル移民の逞しさと言うところに焦点を当てた味方もある。斉藤コーヒー店さんのブログは、そういう見方で、また、コーヒー屋さんとして立場から書かれていて面白かった。
そういえば、このドラマの中で、家がじつに象徴的に使われていた。ブラジルでも日本でも、「豊かさ」の指標として、家の作りが描写されていた。牛小屋から出発したナツは、最後はバカでかい座敷にポツンと立ちつくす床柱の前で、缶コーヒーを飲んでいた。
農園の掘っ建て小屋から出発したハルは、だんだん大きな家に移ってゆき、最後は大農場の立派な家でナツを迎える。見ていた人は、背景の家を見て一家の状況を、たぶん意識せずに理解していたのだろう。
それほどに、家は「成功」の証のように思われている。しかし、それで良いんだろうか。家は、そうした見栄や虚栄から解放されたとき、本当に住み手との関係が始まると思うのだけれど・・・
ps よむりんさんからコメントをもらって、お礼コメントをしようとおもったら、LIVEDOORのブログは重いですね。 送信ミス続出で何度も同じものを送ってしまいました。よむりんさん、ごめんなさい。
なにせ、俳優が豪華すぎるうえに、脚本も橋田壽賀子ときては、ウケないわけはない。また、色んなことを考えることもできた。
日本とブラジルの対照でドラマは進んでいくが、一番対照的に描かれていたのは、日本に一人残されたナツが「戦争に負けて良かった」とあっさり言い放つのに対し、ブラジルの父親は「日本は勝ったんだ」と頑なに思い続ける。
このちがいはどこから来るのか。ナツは、毎日しぼった牛乳を軍に取りあげられ、恨みながら暮らしていた。抵抗はできなくとも、精神的には屈服していない。ファシズムに荷担したという負い目を感じることはない。
父親は、ブラジルにありながらも、息子を予科練に送り、日本の「戦勝」を心の支えにして生きていた。一度、そこまで踏み込んでしまった人は、よほど強い意志を持たない限り、その過去を否定することはできない。
息子の上官が戦死の報告に来たとき「やはり日本が勝ったんだ。でなきゃ将校が生きているわけがない」と言う。負けを認めたとき、自分をも許すことができなくなる。そういう負い目がある。それが分かるから、頑なに敗戦を認めない。
これはたぶん、日本人の多くが戦後に陥った感情なのではないだろうか。
もう一つ、ブラジルの移動映画で当時の皇太子の結婚のニュースが流れる。これを見て、父親ははじめて本当に日本の戦勝を確信する。本当に勝ったわけではないことは、内心分かっていたはずの父親は、「戦争に負けたのなら、皇族が残っているわけがない」と、戦後20年近くなって初めて戦勝を確信するのだ。そして、安心してその晩に亡くなるのだが、これは重い言葉だ。
戦後の天皇制の意味が、ハッキリと表現されている。
戦争に行き、他国の人民をその手で殺した経験を持つ多くの男たち、それを支えた多くの女たちは、天皇の元気な姿を見ることで、「ああ、俺もあんなにたくさん殺したけど、責められることはないんだ」と安堵する、そのためのシステムが象徴天皇制だ。
よーく考えてみたら、とんでもなく悪いことをしたんだけれども、天皇が良いもん食ってニコニコしているところを見れば、「まあ、言うほど悪いことでもなかったんじゃないの」と思えてくるわけだ。
アメリカに降伏し、戦力の放棄をすることと引き替えに、そういう「安心」を手に入れたのが、憲法だ。 だから、根本的に言えば、私も今の憲法に全面賛成ではない。これがある限り、日本の無責任体質は変わらない、という気もする。
しかし、あくまで、戦争放棄、戦力放棄とバーターだったことを忘れてはいけない。と言うか、忘れているのは当の日本人だけだ。
もう一方で、ブラジル移民の逞しさと言うところに焦点を当てた味方もある。斉藤コーヒー店さんのブログは、そういう見方で、また、コーヒー屋さんとして立場から書かれていて面白かった。
そういえば、このドラマの中で、家がじつに象徴的に使われていた。ブラジルでも日本でも、「豊かさ」の指標として、家の作りが描写されていた。牛小屋から出発したナツは、最後はバカでかい座敷にポツンと立ちつくす床柱の前で、缶コーヒーを飲んでいた。
農園の掘っ建て小屋から出発したハルは、だんだん大きな家に移ってゆき、最後は大農場の立派な家でナツを迎える。見ていた人は、背景の家を見て一家の状況を、たぶん意識せずに理解していたのだろう。
それほどに、家は「成功」の証のように思われている。しかし、それで良いんだろうか。家は、そうした見栄や虚栄から解放されたとき、本当に住み手との関係が始まると思うのだけれど・・・
ps よむりんさんからコメントをもらって、お礼コメントをしようとおもったら、LIVEDOORのブログは重いですね。 送信ミス続出で何度も同じものを送ってしまいました。よむりんさん、ごめんなさい。
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