2015-09-15(Tue)
マルクスは化石か?
私の書架には、必ずどこかに置いてある本が何冊かある。
墨東綺譚、ベートーベンの生涯、そして共産党宣言。
どれも薄っぺらい本なので紛失することもあるけれども、なんとなく古本屋で補充して隅っこに押し込んでいる。
そんな共産党宣言を、何十年ぶりかで開いてみた。
岩波文庫のページは見事に褐色になり読みにくいことこの上ないが、序文や注釈をすっ飛ばすとわずか50ページの冊子である。
そして、末節に気を取られずに読んでみれば、極めて今日的な内容に改めて驚くことになる。
もちろん、マルクスの予言は、大きく二つの面で外れ続けてきた。
一つは、資本家もバカじゃない、ということ。資本主義が危機になれば、巧みな延命策を考え出すということを考慮していなかった。
実際に、1848年に共産党宣言が書かれてからでも約170年、資本主義の仕組みは動き続けている。
もう一つは、資本家も労働者もしょせんバカだ、ということ。欲得から自由になることなどできないということを、忘れていた。プロレタリアだろうがブルジョアだろうが、独裁権力をもったものは自制心など吹き飛んで本性をむき出しにする、ということをマルクスは知らなかった。
逆に言うと、この二つ以外については、マルクスの予言は、今に通用するのではないか、と思い、ひさかたぶりに共産党宣言などを持ち出してみたのだ。
マルクスの主張を、超短縮すると、①生産力は資本家の独占では支配しきれなくなる ②資本家の手に余った生産力を支配できるのは労働者である ということになろう。
しかし、いまのところマルクスの言う通りにはなっていない。
現物の生産力は支配しきれなくなった資本家は、金融資本という天文学的な量の資本を管理する魔法を編み出した。
マルクスの時代のように過剰な資本は過剰生産から恐慌へと直結せず、資本だけが無制限に膨らむことを可能にした。
労働者は、時代の支配者へと鍛えられていく代わりに、膨張する資本のおこぼれをあずかって豊かになり、自らが消費者、つまり新たな市場となって過剰生産を吸収する役割を担っている。労働者という言葉などもはや忘れ去られてしまった。
その結果が、あの有名な 「r>g」なのではないだろうか。
利益率(r)> 成長率 (g) というピケティの不等式は、マルクスの時代ならば過剰生産になったはずのものを、マネーという数字にして資本家がため込んでいる、という現象を表しているのではないかと、私は想像している。
(とまあ、難しい理論は門外漢なのでちょっとおいといて) 金融というほぼ無制限のダムを手に入れた資本家は、マルクスが想像したほどあっさりと倒れることなく、今日まで生き延び、ますます我が世の春を謳歌している。
■■
しかし、その無制限に見えた金融という魔法のしっぽが見えたのが、2008年のリーマンショックだったはずだ。
それまでも何度かの危機に直面しながらも巧みに生き延びできた資本主義は、その本質的な矛盾をさらけ出した。
本質的な矛盾とは、マネーと現物とのあまりのギャップだ。
正確には誰も把握していないらしいが、およそ世界中のGDPの合計の10倍以上のマネーがあるらしい。
何がすごいかというと、GDPよりも多いマネーは、「使えない」ということだ。
人口50人くらいの離島に1000億円持って行ったと想像してみればわかる。
島の外から人や物を持ち込まないとすると、どうやっても1000億円など使えない。
宇宙人との本格的な貿易でも始まらない限り、この地球上でGDPの10倍ものマネーは使えない。
使えないマネーとは、実はただの数字にすぎない、ということが暴露されたのが、リーマンショックだった。
過剰生産をマネーに換えて調整し蓄財してきた資本家の弱点がさらけ出され、マルクスの予言は形を変えて実は生きていたということが分かったのだ。
もちろん何十年にもわたって積み上げてきた調整(ごまかし)機能は、一朝一夕で消し飛ぶことはなく、あれから7年たっても資本主義は全然平気という顔をしている。
しかし、本当にそうだろうか。
■■
ここ数年、とくに2011年3月11日以降の日本で進行していることは何なのか、ずっと違和感を感じながら行動し、考えてきた。
そして、たぶんそうだろうという回答を自分なりに得た。
「敵は破綻に備えている」
ということだ。
資本主義の破綻が、遠からず訪れるということを、資本を握っている当事者ほど分かっている。
これまでどおり、マネーを積み上げていけば安泰な時代は、もう先が見えている。
無理矢理に延命しているカンフル剤も、やがて底をつき、しかも効かなくなることを分かっている。
3.11以降、日本の政治の劣化は戦後の自民党政治の常識をも飛び越えて、戦争に突き進んだ大日本帝国をも凌駕している。
大日本帝国ですら、戦争開始に反対する大臣はいた。良くも悪しくも、国の継続を考える政治家はいた。
しかし、今の自民公明政権にあって、国が継続すること、国民がとにもかくにも生きていくための政策を主張する政治家は絶無だ。
これを単純に「バカ」と言って片付けるのは簡単だが、それは違う。
彼らはバカだからそうしているのではない。
上層部に逆らえない下っ端議員はともかく、安倍晋三をふくめた首脳陣は、日本を捨てる、日本を諦める決断をしたとみるべきではないのか。
資本主義のカンフル剤が切れたとき、倒れるのは日本だけではないが、やはり順番がある。
自らを犠牲にして、真っ先に絶命するのは日本だ、と決定しているのだろう。
日本のような経済大国でなければ、巨大資本をささえるカンフル剤にはなれない。なったとしてもあまりにも短寿命である。
だから、冬虫夏草に吸い取られる蛾の幼虫のように、日本は息絶えるのだ。
それが最終的に決定したのが、3.11ではなかったか。
原発が爆発して放射能がばらまかれたこと、しかもそれで唯々諾々と国民は原発推進を許容していること、これが最終的に生け贄になるスイッチになってしまったのではないか。
そう考えると、菅直人の消費増税から、現在の安倍の戦争法制に至るまでの、全てに説明が付く。
そして、敵はその事実をなんとしても隠したがっている。
なかでも 「資本主義が限界だ」 「これまでどおりの平和な生活は物理的にムリ」 という現実をなんとか隠そうとしている。
露骨に戦争準備をするその一方で、望めば「平凡な日常」は手に入るという幻影を投影しようとしている。
■■
今敵が本当におびえているのは、まさにマルクスの幽霊なのである。
170年間、なんとか生き延びてきた資本主義が、ついに行き場を無くしていることに、恐れおののいているのである。
それを隠せるのであれば、いかに反対側の主張であっても、それなりに取り上げもてはやす、という現象も顕著だ。
例えば、トマ・ピケティの難解な著書が、右から左までの各方面で取り上げられ、なんとベストセラーになった。
大資本の側からは、重い課税をしろというピケティの主張は、封じ込めたいはずなのに、なぜかマスメディアはこぞって取り上げ賛美した。
なにもピケティが悪いのではないが、ただ、重い累進課税で解決できるのであれば、まだまだ資本主義は捨てたもんじゃないな、と思わせる説得力がある。
危機に瀕する資本家にすれば、ずっと先に課せられる税金のことよりも、「まだ大丈夫」というイメージのほうがずっとありがたいのだ。
大衆運動においても、運動を大別して淘汰する動きが顕著になってきた。
独善的ではあるが、しぶとく政権と資本に逆らってきたオールド左翼や労働運動を排除して、「昨日までの普通の生活」を壊さないでという「普通の人」の運動を大々的にマスメディアはフィーチャーしている。
これも「普通」タイプの運動をしている人たちが悪いわけではもちろんない。
しかし、「普通」タイプと対比して、ここぞとばかりに繰り広げられるオールド左翼や労組に対する非難の嵐は、どこかで何かの意図を感じざるをえない。
いかに独善的で自己満足的な側面が強かったとしても、長年少数派で耐えてきたオールド左翼に対して、いまこんなに罵詈雑言が浴びせられる謂われはない。だいたい、「普通」タイプのデモや街宣も、いかに一般参加が増えたとはいえ、過半はオールドなのに。
これもまた、戦争を欲している資本にとって戦争反対のデモは目障りではあるけれど、それ以上に「普通の生活」が可能なんだというイメージを広めてくれるのはありがたいのである。マルクスなんて政治経済ではなく考古学だと思っているような人たちに、戦争反対の陣営も仕切ってもらいたいのである。
反対に、すっかり変色したとは言え「共産党宣言」なんぞを後生大事に本棚に隠し持っているようなオールドには、とっとと退場してもらいたいのだ。
誤解のないように繰り返しておくが、「普通」タイプの運動が悪いのではない。新しいムーブメントとしてすばらしいことだ。
とくに、「人に伝える」ということを忘れて自己満足の運動にこもるオールド左翼は、耳目を開いて彼らの運動に学ぶべきだ。
言葉も、姿格好も、すべては「自分が言いたい」ではなく「人に伝えたい」ということから発想し直さなくてはならない。
ただ、自発的に動き出した「普通」タイプの運動を、マルクスの予言を忘れさせるための道具として使ってやろうという邪悪な意図が、現場で頑張っている彼らとは無関係に働いている、ということだ。
それほどに、資本主義の、巨大にふくれあがってしまった金融資本の危機は深い。
そして、その瀕死の金融資本がもうしばらく延命するための生け贄に選ばれた日本の未来は深刻だ。
オールドも「普通」の人も、その深刻な未来を見据え、分裂を煽る雑言には耳を貸さず、手を携えて進んでいこう。


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墨東綺譚、ベートーベンの生涯、そして共産党宣言。
どれも薄っぺらい本なので紛失することもあるけれども、なんとなく古本屋で補充して隅っこに押し込んでいる。
そんな共産党宣言を、何十年ぶりかで開いてみた。
岩波文庫のページは見事に褐色になり読みにくいことこの上ないが、序文や注釈をすっ飛ばすとわずか50ページの冊子である。
そして、末節に気を取られずに読んでみれば、極めて今日的な内容に改めて驚くことになる。
もちろん、マルクスの予言は、大きく二つの面で外れ続けてきた。
一つは、資本家もバカじゃない、ということ。資本主義が危機になれば、巧みな延命策を考え出すということを考慮していなかった。
実際に、1848年に共産党宣言が書かれてからでも約170年、資本主義の仕組みは動き続けている。
もう一つは、資本家も労働者もしょせんバカだ、ということ。欲得から自由になることなどできないということを、忘れていた。プロレタリアだろうがブルジョアだろうが、独裁権力をもったものは自制心など吹き飛んで本性をむき出しにする、ということをマルクスは知らなかった。
逆に言うと、この二つ以外については、マルクスの予言は、今に通用するのではないか、と思い、ひさかたぶりに共産党宣言などを持ち出してみたのだ。
マルクスの主張を、超短縮すると、①生産力は資本家の独占では支配しきれなくなる ②資本家の手に余った生産力を支配できるのは労働者である ということになろう。
しかし、いまのところマルクスの言う通りにはなっていない。
現物の生産力は支配しきれなくなった資本家は、金融資本という天文学的な量の資本を管理する魔法を編み出した。
マルクスの時代のように過剰な資本は過剰生産から恐慌へと直結せず、資本だけが無制限に膨らむことを可能にした。
労働者は、時代の支配者へと鍛えられていく代わりに、膨張する資本のおこぼれをあずかって豊かになり、自らが消費者、つまり新たな市場となって過剰生産を吸収する役割を担っている。労働者という言葉などもはや忘れ去られてしまった。
その結果が、あの有名な 「r>g」なのではないだろうか。
利益率(r)> 成長率 (g) というピケティの不等式は、マルクスの時代ならば過剰生産になったはずのものを、マネーという数字にして資本家がため込んでいる、という現象を表しているのではないかと、私は想像している。
(とまあ、難しい理論は門外漢なのでちょっとおいといて) 金融というほぼ無制限のダムを手に入れた資本家は、マルクスが想像したほどあっさりと倒れることなく、今日まで生き延び、ますます我が世の春を謳歌している。
■■
しかし、その無制限に見えた金融という魔法のしっぽが見えたのが、2008年のリーマンショックだったはずだ。
それまでも何度かの危機に直面しながらも巧みに生き延びできた資本主義は、その本質的な矛盾をさらけ出した。
本質的な矛盾とは、マネーと現物とのあまりのギャップだ。
正確には誰も把握していないらしいが、およそ世界中のGDPの合計の10倍以上のマネーがあるらしい。
何がすごいかというと、GDPよりも多いマネーは、「使えない」ということだ。
人口50人くらいの離島に1000億円持って行ったと想像してみればわかる。
島の外から人や物を持ち込まないとすると、どうやっても1000億円など使えない。
宇宙人との本格的な貿易でも始まらない限り、この地球上でGDPの10倍ものマネーは使えない。
使えないマネーとは、実はただの数字にすぎない、ということが暴露されたのが、リーマンショックだった。
過剰生産をマネーに換えて調整し蓄財してきた資本家の弱点がさらけ出され、マルクスの予言は形を変えて実は生きていたということが分かったのだ。
もちろん何十年にもわたって積み上げてきた調整(ごまかし)機能は、一朝一夕で消し飛ぶことはなく、あれから7年たっても資本主義は全然平気という顔をしている。
しかし、本当にそうだろうか。
■■
ここ数年、とくに2011年3月11日以降の日本で進行していることは何なのか、ずっと違和感を感じながら行動し、考えてきた。
そして、たぶんそうだろうという回答を自分なりに得た。
「敵は破綻に備えている」
ということだ。
資本主義の破綻が、遠からず訪れるということを、資本を握っている当事者ほど分かっている。
これまでどおり、マネーを積み上げていけば安泰な時代は、もう先が見えている。
無理矢理に延命しているカンフル剤も、やがて底をつき、しかも効かなくなることを分かっている。
3.11以降、日本の政治の劣化は戦後の自民党政治の常識をも飛び越えて、戦争に突き進んだ大日本帝国をも凌駕している。
大日本帝国ですら、戦争開始に反対する大臣はいた。良くも悪しくも、国の継続を考える政治家はいた。
しかし、今の自民公明政権にあって、国が継続すること、国民がとにもかくにも生きていくための政策を主張する政治家は絶無だ。
これを単純に「バカ」と言って片付けるのは簡単だが、それは違う。
彼らはバカだからそうしているのではない。
上層部に逆らえない下っ端議員はともかく、安倍晋三をふくめた首脳陣は、日本を捨てる、日本を諦める決断をしたとみるべきではないのか。
資本主義のカンフル剤が切れたとき、倒れるのは日本だけではないが、やはり順番がある。
自らを犠牲にして、真っ先に絶命するのは日本だ、と決定しているのだろう。
日本のような経済大国でなければ、巨大資本をささえるカンフル剤にはなれない。なったとしてもあまりにも短寿命である。
だから、冬虫夏草に吸い取られる蛾の幼虫のように、日本は息絶えるのだ。
それが最終的に決定したのが、3.11ではなかったか。
原発が爆発して放射能がばらまかれたこと、しかもそれで唯々諾々と国民は原発推進を許容していること、これが最終的に生け贄になるスイッチになってしまったのではないか。
そう考えると、菅直人の消費増税から、現在の安倍の戦争法制に至るまでの、全てに説明が付く。
そして、敵はその事実をなんとしても隠したがっている。
なかでも 「資本主義が限界だ」 「これまでどおりの平和な生活は物理的にムリ」 という現実をなんとか隠そうとしている。
露骨に戦争準備をするその一方で、望めば「平凡な日常」は手に入るという幻影を投影しようとしている。
■■
今敵が本当におびえているのは、まさにマルクスの幽霊なのである。
170年間、なんとか生き延びてきた資本主義が、ついに行き場を無くしていることに、恐れおののいているのである。
それを隠せるのであれば、いかに反対側の主張であっても、それなりに取り上げもてはやす、という現象も顕著だ。
例えば、トマ・ピケティの難解な著書が、右から左までの各方面で取り上げられ、なんとベストセラーになった。
大資本の側からは、重い課税をしろというピケティの主張は、封じ込めたいはずなのに、なぜかマスメディアはこぞって取り上げ賛美した。
なにもピケティが悪いのではないが、ただ、重い累進課税で解決できるのであれば、まだまだ資本主義は捨てたもんじゃないな、と思わせる説得力がある。
危機に瀕する資本家にすれば、ずっと先に課せられる税金のことよりも、「まだ大丈夫」というイメージのほうがずっとありがたいのだ。
大衆運動においても、運動を大別して淘汰する動きが顕著になってきた。
独善的ではあるが、しぶとく政権と資本に逆らってきたオールド左翼や労働運動を排除して、「昨日までの普通の生活」を壊さないでという「普通の人」の運動を大々的にマスメディアはフィーチャーしている。
これも「普通」タイプの運動をしている人たちが悪いわけではもちろんない。
しかし、「普通」タイプと対比して、ここぞとばかりに繰り広げられるオールド左翼や労組に対する非難の嵐は、どこかで何かの意図を感じざるをえない。
いかに独善的で自己満足的な側面が強かったとしても、長年少数派で耐えてきたオールド左翼に対して、いまこんなに罵詈雑言が浴びせられる謂われはない。だいたい、「普通」タイプのデモや街宣も、いかに一般参加が増えたとはいえ、過半はオールドなのに。
これもまた、戦争を欲している資本にとって戦争反対のデモは目障りではあるけれど、それ以上に「普通の生活」が可能なんだというイメージを広めてくれるのはありがたいのである。マルクスなんて政治経済ではなく考古学だと思っているような人たちに、戦争反対の陣営も仕切ってもらいたいのである。
反対に、すっかり変色したとは言え「共産党宣言」なんぞを後生大事に本棚に隠し持っているようなオールドには、とっとと退場してもらいたいのだ。
誤解のないように繰り返しておくが、「普通」タイプの運動が悪いのではない。新しいムーブメントとしてすばらしいことだ。
とくに、「人に伝える」ということを忘れて自己満足の運動にこもるオールド左翼は、耳目を開いて彼らの運動に学ぶべきだ。
言葉も、姿格好も、すべては「自分が言いたい」ではなく「人に伝えたい」ということから発想し直さなくてはならない。
ただ、自発的に動き出した「普通」タイプの運動を、マルクスの予言を忘れさせるための道具として使ってやろうという邪悪な意図が、現場で頑張っている彼らとは無関係に働いている、ということだ。
それほどに、資本主義の、巨大にふくれあがってしまった金融資本の危機は深い。
そして、その瀕死の金融資本がもうしばらく延命するための生け贄に選ばれた日本の未来は深刻だ。
オールドも「普通」の人も、その深刻な未来を見据え、分裂を煽る雑言には耳を貸さず、手を携えて進んでいこう。


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