2016-08-15(Mon)
敗戦の日に
決してやってはいけない侵略戦争をやり、大負けして逆に植民地となった。
この当たり前のことを覆い隠す 「終戦」という言葉を、私は決して使わない。
侵略したことを無かったことにする「右翼」と、植民地化されたことを見ぬふりする「左翼」とがチカラをあわせて築き上げた戦後日本。その出発点が、「終戦」だ。
その戦後日本はしかし、経済的には地球史上希に見るバラ色の世界を作り上げたこともまた事実である。
私にとっては10代から20代であった1970~80年代。このころの日本ほど豊かで平和で格差も少ない社会は、どこを探しても見つからないだろう。
差別も貧困も汚職も国家の横暴も、圧倒的なバラ色に覆い隠され、結果、自民党の民主的な独裁政治がつづいた。
全共闘世代も、ほとんどは企業戦士としてバラ色に吸収されていった。
侵略の加害と植民地にされたことをともにベールで隠すことで、バラ色の日本は「しあわせ」を謳歌した。
そうやって目をそらせているうちに、新自由主義の菌糸は日本中に蔓延していった。
1990年代は、これまでため込んできた贅肉を、新自由主義に奪い取られた。
真実に目をつぶってきた日本人は、抵抗するどころか、誰に何をされているかすらわからぬままに富を吸い取られた。
贅肉を奪った新自由主義は、より深く継続的に奪い続ける。
小泉-竹中改革で幕あけた2000年代。これまで日本のバラ色を担ってきた土着の利権構造を解体しつつ、ありとあらゆる手で富を吸い取る仕組みを作った。
日本だけが経済成長しないことを誰も不思議と思わず、長期不況などと呑気なことをいいながら、自覚無く吸い取られ続けた。
吸血鬼に血を吸われながら、「最近、貧血気味なんですよ」みたいな。
そしてリーマンショック。
さすがにバラ色の幻覚も醒めかけて、ついに政権交代。
しかし、敵は何枚も上手だった。
あらかじめ民主党には自爆装置が仕込まれていた。
リーマンショックの真っ暗闇が過ぎ去ってみれば、色々問題はあるけれど「もっと悪くなるよりは、まあ今のままでもいいか」という新たな色のベールが。
ライトグレーの時代。
もうバラ色でないことは誰の目にも明らかだけれど、真っ黒じゃないライトグレーならまあいいや。
70年間、真実から目をそらせ続けた日本人の精神は、グレーのなかの黒よりも白をみる。
これが、「敗戦」を「終戦」と言い換えた、戦後日本の帰着。
侵略の加害も被害もないことにした因果応報。
■■
第二次大戦で日本は、人口の約4%が死んだ。
そして、その5~10倍の人を殺した。
この凄まじさは、いくら語られても、当事者にしかわからないものがある。
しかも、「殺した」ことについてはほとんど語られていない。
とても語ることのできない「殺した」記憶をこころに秘めた人々が、殺された悔しさをも噛みしめながら作ったのが戦後日本。
侵略の加害には、当事者個人にすればまさに心の煉獄ゆえに触れることができなかったに違いない。
だから、重い記憶を秘めた人たちが担っている間は、いくらゴマカシの世の中でも芯があった。
保守も革新も、ごく少数を除いては、本気で戦争に反対だった。
しかし、いまや「殺した」記憶を心に宿している人はほとんどいない。
残されたのは、ゴマカシの世の中だけ。
子や孫の私たちは、「殺した」記憶を引き継いでいないが、「殺された」側は繋いでいる。
それは、日本でも原爆や空襲は忘れないのと同じこと。
それでも、当事者ではない私たちの世代だからできることもあるはずだ。
親や祖父母の時代の侵略の加害も、植民地化の真実も、はっきりさせる時期なんじゃないか。
どんな侵略をやってしまったのか、そして、どうやって植民地化されたのか。
冷静に知るべきなんじゃないか。
バラ色の終焉のライトグレーの薄明かりの中で、日々たゆたう日本人。
その方向を決めるのは、71年間封印してきた、侵略の加害と植民地化の真実を、ワンセットでひもとくことなのではないか。
8月15日敗戦の日
私はそんなことを考えた。


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この当たり前のことを覆い隠す 「終戦」という言葉を、私は決して使わない。
侵略したことを無かったことにする「右翼」と、植民地化されたことを見ぬふりする「左翼」とがチカラをあわせて築き上げた戦後日本。その出発点が、「終戦」だ。
その戦後日本はしかし、経済的には地球史上希に見るバラ色の世界を作り上げたこともまた事実である。
私にとっては10代から20代であった1970~80年代。このころの日本ほど豊かで平和で格差も少ない社会は、どこを探しても見つからないだろう。
差別も貧困も汚職も国家の横暴も、圧倒的なバラ色に覆い隠され、結果、自民党の民主的な独裁政治がつづいた。
全共闘世代も、ほとんどは企業戦士としてバラ色に吸収されていった。
侵略の加害と植民地にされたことをともにベールで隠すことで、バラ色の日本は「しあわせ」を謳歌した。
そうやって目をそらせているうちに、新自由主義の菌糸は日本中に蔓延していった。
1990年代は、これまでため込んできた贅肉を、新自由主義に奪い取られた。
真実に目をつぶってきた日本人は、抵抗するどころか、誰に何をされているかすらわからぬままに富を吸い取られた。
贅肉を奪った新自由主義は、より深く継続的に奪い続ける。
小泉-竹中改革で幕あけた2000年代。これまで日本のバラ色を担ってきた土着の利権構造を解体しつつ、ありとあらゆる手で富を吸い取る仕組みを作った。
日本だけが経済成長しないことを誰も不思議と思わず、長期不況などと呑気なことをいいながら、自覚無く吸い取られ続けた。
吸血鬼に血を吸われながら、「最近、貧血気味なんですよ」みたいな。
そしてリーマンショック。
さすがにバラ色の幻覚も醒めかけて、ついに政権交代。
しかし、敵は何枚も上手だった。
あらかじめ民主党には自爆装置が仕込まれていた。
リーマンショックの真っ暗闇が過ぎ去ってみれば、色々問題はあるけれど「もっと悪くなるよりは、まあ今のままでもいいか」という新たな色のベールが。
ライトグレーの時代。
もうバラ色でないことは誰の目にも明らかだけれど、真っ黒じゃないライトグレーならまあいいや。
70年間、真実から目をそらせ続けた日本人の精神は、グレーのなかの黒よりも白をみる。
これが、「敗戦」を「終戦」と言い換えた、戦後日本の帰着。
侵略の加害も被害もないことにした因果応報。
■■
第二次大戦で日本は、人口の約4%が死んだ。
そして、その5~10倍の人を殺した。
この凄まじさは、いくら語られても、当事者にしかわからないものがある。
しかも、「殺した」ことについてはほとんど語られていない。
とても語ることのできない「殺した」記憶をこころに秘めた人々が、殺された悔しさをも噛みしめながら作ったのが戦後日本。
侵略の加害には、当事者個人にすればまさに心の煉獄ゆえに触れることができなかったに違いない。
だから、重い記憶を秘めた人たちが担っている間は、いくらゴマカシの世の中でも芯があった。
保守も革新も、ごく少数を除いては、本気で戦争に反対だった。
しかし、いまや「殺した」記憶を心に宿している人はほとんどいない。
残されたのは、ゴマカシの世の中だけ。
子や孫の私たちは、「殺した」記憶を引き継いでいないが、「殺された」側は繋いでいる。
それは、日本でも原爆や空襲は忘れないのと同じこと。
それでも、当事者ではない私たちの世代だからできることもあるはずだ。
親や祖父母の時代の侵略の加害も、植民地化の真実も、はっきりさせる時期なんじゃないか。
どんな侵略をやってしまったのか、そして、どうやって植民地化されたのか。
冷静に知るべきなんじゃないか。
バラ色の終焉のライトグレーの薄明かりの中で、日々たゆたう日本人。
その方向を決めるのは、71年間封印してきた、侵略の加害と植民地化の真実を、ワンセットでひもとくことなのではないか。
8月15日敗戦の日
私はそんなことを考えた。


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