2016-11-14(Mon)
本当に建ててみたい家
なんだかこのごろ 安全運転をしすぎているような気がする。
現実の政治に足を突っ込むと、無茶なことを言うと誰それに迷惑がかかりそうだ と忖度してしまう。
萎縮しているつもりはないが、それでもやはり言動にはついつい気をつけてしまう。
本業の家づくりも、実際に住むお客さんを目の前にすると、どうしたってちょっとでも「良い空間」「良い住まい」にしようと思ってしまうし、そういうところを「ウリ」にしてしまう。
「断熱性能が 云々」 「耐震性が 云々」 「自然素材が 云々」
もちろんどれもこれも大事な要素だ。
断熱が悪いとどんなに辛いか 身をもって知っている。
今借りている事務所はプレハブ小屋に毛が生えたような作りで、夏は窓を開けても38℃くらいになるし、冬はどこからかすきま風が吹き抜ける。事務所だか修行場だかわからないような凄まじい環境だからだ。
耐震性は言うにおよばず。阪神淡路大震災のとき、実際に歩いて目に焼き付けた光景は忘れることはできない。
耐震性のない家を設計するのは犯罪だ。
自然素材がどれほど快適か、これも語り出したら止まらない。手足に触れる部分はもちろんだけど、天井だってビニールと和紙とでは全然違うってことは、体感しないとわからない。
などなど、「中の人にとって良い空間」は、経験を積む中でかなり分かってきたような気はしている。
けど。
本当にぼくがつくりたいものは、「良い空間」なんだろうか。
そもそも、「良い空間」なんてつくるような「良い人間」なんだろうか ぼくは。
最近、そう思うようになってしまった。(危険だ)
■
何年か前に新聞の隅っこにコラムを書く機会があり、こんなことを書いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
色々な方の家を設計してきましたが、実は私が住んでみたい家は作ったことがありません。私が住んでみたい家は、とても人にお勧めできるようなものではないのです。
体育館のようなガランとした空間に、簡単な間仕切りで風呂とトイレだけを仕切ったような。。。 今日はこの辺で寝てみようかな。明日はあっちでご飯食べよう、という感じで空間の中でウロウロしながら暮らしたいのです。
吹き抜けなんていうケチな話ではなく、家全部が巨大な吹き抜け。2階の高さには、壁際にそれこそ体育館のようなキャットウォークがあり、そこに腰かけて家族の姿を眺めながらひねもす本を読んだりお茶を飲んだり。
天井裏に登る梯子はマストアイテム。夫婦げんかした時や子どもたちの喧騒を逃れたいとき、こっそり逃げ込みます。もっとも、こういう場所は先に子どもたちに取られてしまうかもしれませんが。
こうして空想することから家づくりは始まります。4LDKでリビングは何畳で収納がしかじかで予算はいくら・・・という現実はいずれ向き合わなければなりません。でも、そのまえに思いきり空想をふくらましませんか。奇想天外でも何やら愉快な空間を。そしてそこに暮らしている自分や家族の楽しそうな姿を。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところがなんと、先日東京に行ったときに、たまたま立ち寄った場所で、「そのまんまじゃん」という空間を見つけてしまった。
青山にある岡本太郎のアトリエである。
今は記念館になって公開されている。私の写真では全体像を伝えきれないけれど、たぶん8m四方くらいの広さで、天井の高さは6mくらい。キャットウォークというかロフトというか、そういう中途半端な2階が回っている。
部屋の入口までしか入れないが、中はすてきな乱雑さで保存されており、寒々しい大空間を賑やかに彩っていた。
岡本太郎は1954年から1996 年に亡くなるまでここに住んでいたという。設計は坂倉準三。岡本太郎の友人だったらしい。
断熱性能最低、自然素材の柔らかさとは無縁、コンクリートブロック造はあまり耐震性もよろしくない。(最近補強はされた)
でも、こんな空間に、たまらなく惹かれてしまう。
しばらくたたずんで、帰りにショップによると、岡本の著書が並んでいる。
目に飛び込んできたのは 「自分の中に毒を持て」
やめてくれ~
毒持ちの建築家なんて食ってけないよ。
トランプじゃないんだから、毒で天下をとるなんて無理だよ。
そう思いながらも、目が釘付けになる。
■
政治の世界では 生活の党と山本太郎となかまたち というトンデモナイ名前の政党が「自由党」というあまりにも真っ当な名前に改名し、再出発した。
関西でも、11月26日(土)に大阪府連大会をひらくということで、私もそれなりにあれこれ手伝っている。
ぜひ近畿圏で自由党応援している人には集まってもらいたい と思っている。
行動もしているし思っていることにウソはないのだが、それでもしかし、
「そんな真っ当な政党を応援するような真っ当な人間なのか ぼくは」と、またまた思ってしまうのだ。
岡本太郎の言う「毒」は、もちろんトランプの毒とは違う意味だし、まして橋下徹あたりの毒とは全然違う。
熱とも言えるかもしれないし、熱源になる火薬ということかもしれない。
とにかく、今ぼくの中では、何かが決定的に不足している。
だからといって、いままでやってきたことをチャブ台ひっくり返すようなことはしないけど、すこしだけ退いて深呼吸と屈伸運動をしてみようと思う。やりたいことしかやらない。そう決めているのだから。
あ~あ、寒々しくて楽しげな大空間の家を建てたいって人 どっかにいないかなあ


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現実の政治に足を突っ込むと、無茶なことを言うと誰それに迷惑がかかりそうだ と忖度してしまう。
萎縮しているつもりはないが、それでもやはり言動にはついつい気をつけてしまう。
本業の家づくりも、実際に住むお客さんを目の前にすると、どうしたってちょっとでも「良い空間」「良い住まい」にしようと思ってしまうし、そういうところを「ウリ」にしてしまう。
「断熱性能が 云々」 「耐震性が 云々」 「自然素材が 云々」
もちろんどれもこれも大事な要素だ。
断熱が悪いとどんなに辛いか 身をもって知っている。
今借りている事務所はプレハブ小屋に毛が生えたような作りで、夏は窓を開けても38℃くらいになるし、冬はどこからかすきま風が吹き抜ける。事務所だか修行場だかわからないような凄まじい環境だからだ。
耐震性は言うにおよばず。阪神淡路大震災のとき、実際に歩いて目に焼き付けた光景は忘れることはできない。
耐震性のない家を設計するのは犯罪だ。
自然素材がどれほど快適か、これも語り出したら止まらない。手足に触れる部分はもちろんだけど、天井だってビニールと和紙とでは全然違うってことは、体感しないとわからない。
などなど、「中の人にとって良い空間」は、経験を積む中でかなり分かってきたような気はしている。
けど。
本当にぼくがつくりたいものは、「良い空間」なんだろうか。
そもそも、「良い空間」なんてつくるような「良い人間」なんだろうか ぼくは。
最近、そう思うようになってしまった。(危険だ)
■
何年か前に新聞の隅っこにコラムを書く機会があり、こんなことを書いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
色々な方の家を設計してきましたが、実は私が住んでみたい家は作ったことがありません。私が住んでみたい家は、とても人にお勧めできるようなものではないのです。
体育館のようなガランとした空間に、簡単な間仕切りで風呂とトイレだけを仕切ったような。。。 今日はこの辺で寝てみようかな。明日はあっちでご飯食べよう、という感じで空間の中でウロウロしながら暮らしたいのです。
吹き抜けなんていうケチな話ではなく、家全部が巨大な吹き抜け。2階の高さには、壁際にそれこそ体育館のようなキャットウォークがあり、そこに腰かけて家族の姿を眺めながらひねもす本を読んだりお茶を飲んだり。
天井裏に登る梯子はマストアイテム。夫婦げんかした時や子どもたちの喧騒を逃れたいとき、こっそり逃げ込みます。もっとも、こういう場所は先に子どもたちに取られてしまうかもしれませんが。
こうして空想することから家づくりは始まります。4LDKでリビングは何畳で収納がしかじかで予算はいくら・・・という現実はいずれ向き合わなければなりません。でも、そのまえに思いきり空想をふくらましませんか。奇想天外でも何やら愉快な空間を。そしてそこに暮らしている自分や家族の楽しそうな姿を。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところがなんと、先日東京に行ったときに、たまたま立ち寄った場所で、「そのまんまじゃん」という空間を見つけてしまった。
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青山にある岡本太郎のアトリエである。
今は記念館になって公開されている。私の写真では全体像を伝えきれないけれど、たぶん8m四方くらいの広さで、天井の高さは6mくらい。キャットウォークというかロフトというか、そういう中途半端な2階が回っている。
部屋の入口までしか入れないが、中はすてきな乱雑さで保存されており、寒々しい大空間を賑やかに彩っていた。
岡本太郎は1954年から1996 年に亡くなるまでここに住んでいたという。設計は坂倉準三。岡本太郎の友人だったらしい。
断熱性能最低、自然素材の柔らかさとは無縁、コンクリートブロック造はあまり耐震性もよろしくない。(最近補強はされた)
でも、こんな空間に、たまらなく惹かれてしまう。
しばらくたたずんで、帰りにショップによると、岡本の著書が並んでいる。
目に飛び込んできたのは 「自分の中に毒を持て」
やめてくれ~
毒持ちの建築家なんて食ってけないよ。
トランプじゃないんだから、毒で天下をとるなんて無理だよ。
そう思いながらも、目が釘付けになる。
■
政治の世界では 生活の党と山本太郎となかまたち というトンデモナイ名前の政党が「自由党」というあまりにも真っ当な名前に改名し、再出発した。
関西でも、11月26日(土)に大阪府連大会をひらくということで、私もそれなりにあれこれ手伝っている。
ぜひ近畿圏で自由党応援している人には集まってもらいたい と思っている。
行動もしているし思っていることにウソはないのだが、それでもしかし、
「そんな真っ当な政党を応援するような真っ当な人間なのか ぼくは」と、またまた思ってしまうのだ。
岡本太郎の言う「毒」は、もちろんトランプの毒とは違う意味だし、まして橋下徹あたりの毒とは全然違う。
熱とも言えるかもしれないし、熱源になる火薬ということかもしれない。
とにかく、今ぼくの中では、何かが決定的に不足している。
だからといって、いままでやってきたことをチャブ台ひっくり返すようなことはしないけど、すこしだけ退いて深呼吸と屈伸運動をしてみようと思う。やりたいことしかやらない。そう決めているのだから。
あ~あ、寒々しくて楽しげな大空間の家を建てたいって人 どっかにいないかなあ


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