2016-12-16(Fri)
日本人の誇り
オスプレイを集落の目の前に墜としておいて 「感謝しろ」と言われる沖縄。
ムカッときている人は、沖縄県人でなくともかなりいるだろう。
海兵隊司令官の「感謝しろ」は凄まじいが、米国防省だってたいがいだ。
オスプレイ不時着 米報道官「安全は最優先課題、徹底的に調査」
2016/12/14 FNN
アメリカ国務省のカービー報道官は、「安全は最優先課題で、徹底的に調べる」と強調する一方で、「リスクはつきものだ」と強調した。
(引用以上)
できるだけ安全にするけど、ときどき落ちるのは仕方ないよ ということではないか。
事故の直後に国務省がオフィシャルにこう言い放つとは・・・。
アメリカにとって日本は外交の相手ではなく、支配する対象なのだということが、端的に表れている。
海兵隊の司令官は記者会見で、「遺憾」といいつつ墜落させたパイロットをほめちぎり、何度も「謝罪はしないんですね」と突っ込まれてしかたなく、「遺憾というのは申し訳ないという気持ちも入っている」と言い訳のように口にしたが、あとは米国関係者から、一切謝罪はない。
ケネディ大使は「調査する」と言うだけだし、カーター国防長官も、オバマ大統領も、謝罪どころかコメントすら発しない、無視だ。
もちろんこれは、二重の差別がある。
宗主国アメリカから見た、属国日本への差別。さらに、日本本土からみた沖縄への差別。
落ちたのが、沖縄の集落付近ではなく、お台場から80mの海岸だったらどうだったろうか。
さすがにあの司令官も「感謝しろ」とは言わなかっただろうし、米本国も少しはコメントくらいしただろう。
それでもなお、できるだけ安全にするけど、ときどき落ちるのは仕方ないよというホンネ、原則は変えることはないだろう。
軍用機をバンバン飛ばしている以上、この報道官の発言は「正しい」からだ。倫理的に正しいのではなく、論理的に正しい。
アメリカは一貫して、ときどき落ちるけど我慢しろよ と言いつづけている。
■■
このような、まさに国辱といえる事態に、なぜか日本の右翼や愛国者は寛容だ。
日本会議などはオスプレイ配備の要望をしているし、こいつらマゾか?と思ってしまう。
その一方で、アジアの人間に対しては、一転して嗜虐の極み、サディスティックな喜びに震えるのだから、その倒錯ぶりは激しい。
戦後日本の「愛国」とか「日本人の誇り」なるものは、99%がこうした愛米嫌亜の輩によって語られてきた。
奴らの真の目的は、日本人の誇りに、従米の惰弱さと嫌亜のレイシズムを紐付けることで、汚すことだった。
「日本人の誇り」というものに、(アメリカのお陰です) と (アジアよりエラいんだ) という札をぶら下げてしまった。
これが、「日本人の誇り」にとっての、第一の悲劇だった。
第二の悲劇は、反対側からやってきた。
ぶら下がって札を見て、けしからん! レイシズムだ! 戦前と同じだ! と叩きまくる左翼・革新の陣営だ。
なるほど、あの残虐な侵略行為は「日本人の誇り」を謳って行われた。その反省無しの「誇り」はレイシズムであり侵略思想だと言われてもしかたがない。
しかし、日本という国が敗戦で消滅したのならばともかく、この国の枠組みで生きていかなければならないことを受け入れるのであれば、無条件に「日本人の誇り」を けしからん! と叩き続けるのはあきらかに間違っている。
反省の上に立って道をすすむ日本を指向するのであれば、そういう「日本人の誇り」を持つべきではないのか。
「日本国」」憲法を称揚しながら、日本国を否定するという矛盾をこの国の左翼・革新系はやってきた。
国という枠組みで生きていながら、そのことに責任を取ろうとしなかった。
アナーキストや世界同時革命を指向するのでない限り、国というところから始めるしかない。これはもはや共通の認識なのではないか。
ここ数年の野党共闘の流れは、革新系にそういう責任感が芽生えてきたということなのかもしれない。
しかし、その責任感は、「誇り」にまでなっていない。
左翼と思われているキューバやベネズエラでも、米国から虐げられる「○○人としての誇り」が強力な原動力になっている。
「○○人の誇り」は、決して差別的な極右の専売特許ではないのだ。
驕りたかぶりではなく、大国に虐げられる国の民は、皆心の底で感じている反骨の「誇り」。
それが、私がここで言いたい「日本人の誇り」だ。
オスプレイを目の前に墜とされて 「感謝しろ」と言われる日本。
本当の、心の底からの「日本人の誇り」を 解き放つ時だ。
これまで忌み嫌ってきた左翼・革新こそが、高らかに謳うべきだ。
戦争をしない誇り、それでも大国に屈服しない誇り、他にもさまざまある良いところは胸をはって誇りとしよう。
いや、誇りというのは ~~の部分という条件付きではない。自分がいまここにあることの誇りなのだ。
とは言え、もちろん、過去へのケジメは必要だ。
どんな時代背景があったとしても、あの侵略は侵略であること。
30万人だろうが3万人だろうが、虐殺は虐殺であること。
その責任は 国として負い続けるということを明確にすることで、右翼のように倒錯せずに、左翼のように萎縮せずに、「日本人の誇り」を掲げることができる。
日本人の政治不信、無関心の原因は、倒錯した「誇り」と、萎縮した「誇らず」しか選択肢のない現状にある、と私は思う。
過去にも未来にも責任を負う、ラディカル(根源的)な「日本人の誇り」を 個人にも政治にも取り戻そう。
腐った鯛にもならぬ民進党は論外として、山本太郎に一人で牛歩をさせる共産、社民、自由の本気度も、私にはにわかには信じられなくなってきた。当面の戦術としての野党共闘はしかたないとしても、このような野党共闘の枠の中で右往左往することが政権交代への戦略になるとは考えられない。
まずは、日本人が「誇り」を取り戻すことが、政権交代への王道でもあるはずだ。


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ムカッときている人は、沖縄県人でなくともかなりいるだろう。
海兵隊司令官の「感謝しろ」は凄まじいが、米国防省だってたいがいだ。
オスプレイ不時着 米報道官「安全は最優先課題、徹底的に調査」
2016/12/14 FNN
アメリカ国務省のカービー報道官は、「安全は最優先課題で、徹底的に調べる」と強調する一方で、「リスクはつきものだ」と強調した。
(引用以上)
できるだけ安全にするけど、ときどき落ちるのは仕方ないよ ということではないか。
事故の直後に国務省がオフィシャルにこう言い放つとは・・・。
アメリカにとって日本は外交の相手ではなく、支配する対象なのだということが、端的に表れている。
海兵隊の司令官は記者会見で、「遺憾」といいつつ墜落させたパイロットをほめちぎり、何度も「謝罪はしないんですね」と突っ込まれてしかたなく、「遺憾というのは申し訳ないという気持ちも入っている」と言い訳のように口にしたが、あとは米国関係者から、一切謝罪はない。
ケネディ大使は「調査する」と言うだけだし、カーター国防長官も、オバマ大統領も、謝罪どころかコメントすら発しない、無視だ。
もちろんこれは、二重の差別がある。
宗主国アメリカから見た、属国日本への差別。さらに、日本本土からみた沖縄への差別。
落ちたのが、沖縄の集落付近ではなく、お台場から80mの海岸だったらどうだったろうか。
さすがにあの司令官も「感謝しろ」とは言わなかっただろうし、米本国も少しはコメントくらいしただろう。
それでもなお、できるだけ安全にするけど、ときどき落ちるのは仕方ないよというホンネ、原則は変えることはないだろう。
軍用機をバンバン飛ばしている以上、この報道官の発言は「正しい」からだ。倫理的に正しいのではなく、論理的に正しい。
アメリカは一貫して、ときどき落ちるけど我慢しろよ と言いつづけている。
■■
このような、まさに国辱といえる事態に、なぜか日本の右翼や愛国者は寛容だ。
日本会議などはオスプレイ配備の要望をしているし、こいつらマゾか?と思ってしまう。
その一方で、アジアの人間に対しては、一転して嗜虐の極み、サディスティックな喜びに震えるのだから、その倒錯ぶりは激しい。
戦後日本の「愛国」とか「日本人の誇り」なるものは、99%がこうした愛米嫌亜の輩によって語られてきた。
奴らの真の目的は、日本人の誇りに、従米の惰弱さと嫌亜のレイシズムを紐付けることで、汚すことだった。
「日本人の誇り」というものに、(アメリカのお陰です) と (アジアよりエラいんだ) という札をぶら下げてしまった。
これが、「日本人の誇り」にとっての、第一の悲劇だった。
第二の悲劇は、反対側からやってきた。
ぶら下がって札を見て、けしからん! レイシズムだ! 戦前と同じだ! と叩きまくる左翼・革新の陣営だ。
なるほど、あの残虐な侵略行為は「日本人の誇り」を謳って行われた。その反省無しの「誇り」はレイシズムであり侵略思想だと言われてもしかたがない。
しかし、日本という国が敗戦で消滅したのならばともかく、この国の枠組みで生きていかなければならないことを受け入れるのであれば、無条件に「日本人の誇り」を けしからん! と叩き続けるのはあきらかに間違っている。
反省の上に立って道をすすむ日本を指向するのであれば、そういう「日本人の誇り」を持つべきではないのか。
「日本国」」憲法を称揚しながら、日本国を否定するという矛盾をこの国の左翼・革新系はやってきた。
国という枠組みで生きていながら、そのことに責任を取ろうとしなかった。
アナーキストや世界同時革命を指向するのでない限り、国というところから始めるしかない。これはもはや共通の認識なのではないか。
ここ数年の野党共闘の流れは、革新系にそういう責任感が芽生えてきたということなのかもしれない。
しかし、その責任感は、「誇り」にまでなっていない。
左翼と思われているキューバやベネズエラでも、米国から虐げられる「○○人としての誇り」が強力な原動力になっている。
「○○人の誇り」は、決して差別的な極右の専売特許ではないのだ。
驕りたかぶりではなく、大国に虐げられる国の民は、皆心の底で感じている反骨の「誇り」。
それが、私がここで言いたい「日本人の誇り」だ。
オスプレイを目の前に墜とされて 「感謝しろ」と言われる日本。
本当の、心の底からの「日本人の誇り」を 解き放つ時だ。
これまで忌み嫌ってきた左翼・革新こそが、高らかに謳うべきだ。
戦争をしない誇り、それでも大国に屈服しない誇り、他にもさまざまある良いところは胸をはって誇りとしよう。
いや、誇りというのは ~~の部分という条件付きではない。自分がいまここにあることの誇りなのだ。
とは言え、もちろん、過去へのケジメは必要だ。
どんな時代背景があったとしても、あの侵略は侵略であること。
30万人だろうが3万人だろうが、虐殺は虐殺であること。
その責任は 国として負い続けるということを明確にすることで、右翼のように倒錯せずに、左翼のように萎縮せずに、「日本人の誇り」を掲げることができる。
日本人の政治不信、無関心の原因は、倒錯した「誇り」と、萎縮した「誇らず」しか選択肢のない現状にある、と私は思う。
過去にも未来にも責任を負う、ラディカル(根源的)な「日本人の誇り」を 個人にも政治にも取り戻そう。
腐った鯛にもならぬ民進党は論外として、山本太郎に一人で牛歩をさせる共産、社民、自由の本気度も、私にはにわかには信じられなくなってきた。当面の戦術としての野党共闘はしかたないとしても、このような野党共闘の枠の中で右往左往することが政権交代への戦略になるとは考えられない。
まずは、日本人が「誇り」を取り戻すことが、政権交代への王道でもあるはずだ。


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