2016-12-29(Thu)
従軍慰安婦や南京虐殺の二元論を解く
きわめてデリケートなテーマに切り込んでみる。
よけいな炎上がないように、最初に言っておくと、私は「従軍慰安婦は自主的な売春だった」とか「南京大虐殺はなかった」という類の論にはみじんも同意するものではない。
その上で、以下考えを書いてみる。
■
従軍慰安婦問題や、南京虐殺を、韓国、北朝鮮、中国が利用している論 について。
これについては、基本的には そのとおりだ と言わざるを得ない。
左翼・革新系の人たちは、もうこの時点で、「ついに極右に転向しよった!」と叫ぶかもしれないが、どうか冷静に読んで欲しい。
利用することが正しいかどうかという価値観を抜きにして、「利用している」のは間違いない。
と言うか、利用するのが、当然なのではないか。
日本のように、空爆と原爆で何十万人も民間人が虐殺されたのに、それを対米圧力に使わないほうが異常だ。
従軍慰安婦や南京虐殺という日本の非道を、戦後の政治の中で対日圧力として利用するのは、韓国や中国の論理で考えれば当然なのである。
慰安婦や虐殺があったという事実と同様に、それを利用しているということも、何の疑問もなく事実なのにもかかわらず、それまでも「差別だ」「極右だ」と決めつけるのは、左翼の固定観念だ。
自虐史観とか言われるものののほとんどはデタラメであるが、しかし、左翼が誤った固定観念を彼らの前に提供してあげているために、その部分が自虐に見えて彼らがなんだか正しいように見えるという珍現象が生まれている。
もう一度繰り返すが、対日圧力の国家戦略として中国や韓国や北朝鮮が過去の惨劇を「利用」することは、国としては当然のことであるし、それを認めることは惨劇をなかったことにすることとは、まったく別の話だということ。
そして、その国家戦略の中で、被害の「誇張」もありうる。
南京大虐殺が30万人ではない、と言う説もある。それも否定はできない。
しかし、仮に3万人だったら許されるのか? そんなワケは無い。
これも、きちんと整理して考えなくてはならない。
虐殺の罪を認めることと、中国の国家戦略として惨劇を誇張している可能性とは、これまた全く別問題なのだ。
■■
戦後の日本は、右翼も左翼も従米だった。積極的であれ消極的であれ。
これまで何度もこの話は書いてきたので繰り返さない。
どちらの翼も、ケンカしながら米国の手のひらの上に安住してきた。
そんな中で、少数ながら真剣に独立を考える人たちもいた。
悲劇だったのは、そういう人たちの受け皿が、反米右翼くらいしかなかったということだ。
右翼が入口なのではなく、対米独立が政治への入口でありながら、否応なく右翼に流れていくという人たちが一定数いた。
いま、そういう人たちが、自由党の旗の下に集まりつつある。
右翼やレイシズムから入った人たちと違い、独立を指向する穏健な保守政党ができたことで、自分の居場所を見つけて本来の原点に回帰している。
元日本会議という人もたくさんいるし、それこそ慰安婦問題は韓国の謀略だとか南京虐殺はでっち上げだ的なことを言っていたような人もいる。
そうした人たちの「独立」への情熱と、本来の穏健な真意を活かしていくためにも、過去をなかったことにするのではなく、今この時点で問題を整理し、反省すべきは反省し、主張するべきは主張することが必要だ。
左翼もまた、自分たちが「独立」を目指す人たちの受け皿になり得なかったことを、真摯に振り返るべきだ。
独立=右翼になってしまったのは、左翼に独立の気概が見えなかったからだし、それを棚に上げて「独立」と聞いただけで「右翼」「敵」と決めつけて切り捨ててきたからだ。
独立なくして民主主義などあり得ないのは自明であり、民主を語って独立を語らないのは、消極的従米と言われてもしかたがない。
■■■
日本を独立させないために、米国のとった戦略は、国内においては右翼と左翼を競わせるということだったし、国際的には隣国との火種を残しておく というものだった。
いわゆる北方領土が典型的であるし、戦争責任を「とらせなかった」こともそうだ。
オバマの広島演説や安倍晋三の真珠湾演説は、何かに似ていると思わなかっただろうか。
謝罪も反省もせずに、未来への平和だけを語る。
そう、この文章にそっくりなのだ
あえて全文を引用するので、このなかに「謝罪」や「反省」がひとことでもあるかどうか、戦争責任に言及しているかどうか、チェックしてみていただきたい。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
(日本国憲法 前文)
たしかに、なかなかの名文だと思う。理想主義でもある。
しかし、そこには戦争責任は欠片もない。
戦争責任をとらせず、その代替としてつくられたのが、日本国憲法なのだ。
日本に戦争責任をとらせず、アジアで孤立させることが、米国の対日戦略の眼目だったのである。
それは、目の前の中国で革命が進行しているなかで、日本を徹底的に反省させれば日本にも革命が起きてしまうかもしれない という米国の危機感であったろうし、なんとしても軍事拠点として確保しておくための軍事戦略でもあった。
その意向に沿って従米右翼が唱えてきたのが、「従軍慰安婦は自主的な売春だ」「南京外虐殺は幻だ」という類のデマである。
そして、少数の独立派もまた、この流れに捕らえられ、独立を目指す自らの足を引っ張り続けてきたのである。
事実は事実と認め、責任を負うべきは全面的に負うことで、自らも言うべきことが言えるのである。
逆に言えば、責任を負う以上は、萎縮せずに言うべきことを言わなければならない。
それこそが、真に独立を目指す道だったのに、それを主張してきたのはほんとうにごくわずかの人だけであり、その声はかき消されてきた。
ドイツは国の方針としてこれをやってきた。
あのワイツゼッカーの演説は、まさにドイツの国家戦略を体現している。
→ ワイツゼッカー 荒れ野の40年(全文)
もし、歴代のドイツの首脳が、戦争責任について言を左右にし、安倍晋三の仲間のようにナチスに未練たらたらだったら、絶対に今のドイツの繁栄はありえない。EUの中心になっていることなど考えられない。
■■■■
これまでは、このように戦争責任を認めずに、アジアで孤立して米国の支配から絶対に抜け出せないようにすることが、米国の植民地支配の基本だった。
しかし、米国の没落にともなって、それは大きく変化している。
米国単独での軍事制圧が大きな負担になっていることから、日本には集団的自衛権を求めるとともに、日韓の連動を前提に考えている。韓国に配備されるTHAADミサイルも、そのためのXバンドレーダーは京都にもある。
先月締結された韓日GSOMIAは、「韓米日3角安保協力の"つまった血管"である韓日軍事協力を本格化する法的基盤」と言われている。
これまでのように、「従米で嫌韓」などということは、もはや許されなくなっている。
従米右翼は、これまでと同じつもりでいると、ご主人様にこっぴどく叱られて涙目になるだろう。
※米政府、稲田氏の靖国参拝批判 「非常に残念」
2016.12.30 日本海新聞
中国やロシアとは、そこまで単純ではないが、これも「節度ある対立」を求められる。
ファナティックな排外主義は、右翼からも排除されていく。
その流れが端的に表れたのが、安倍晋三の12月の動きだ。
プーチンとの会談と真珠湾での慰霊。
あの極右安倍晋三が、まるでリベラルのようなことを言い始めている。
従来の極右しか支持層がない稲田朋美は、辛抱できずに真珠湾から帰るやいなや靖国神社に飛んでいったが、稲田の政治生命は長くないだろう。
トランプ時代になれば、より一層 「日韓でうまくやっとけ」という意向が強まる。稲田のような変われない連中は排除されていく。
こうした流れは、独立派にとっては、決して悪い流れではない。
今こそ、反省すべきは反省し、責任を負うべきは責任を負い、そして言うべきことは言う、というあたりまえのことができるチャンスなのだ。
過去の発言をなかったことにしたり、逆に過去の発言だけをあげつらうのではなく、右も左も「独立と平和」を願う人たちは、真摯な相互批判と助言をしながら、あたりまえのことをやり遂げよう。
そうやって、従軍慰安婦や南京虐殺の二元論を解くことが、日本の新しい歴史の始まりになるはずだ。


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その上で、以下考えを書いてみる。
■
従軍慰安婦問題や、南京虐殺を、韓国、北朝鮮、中国が利用している論 について。
これについては、基本的には そのとおりだ と言わざるを得ない。
左翼・革新系の人たちは、もうこの時点で、「ついに極右に転向しよった!」と叫ぶかもしれないが、どうか冷静に読んで欲しい。
利用することが正しいかどうかという価値観を抜きにして、「利用している」のは間違いない。
と言うか、利用するのが、当然なのではないか。
日本のように、空爆と原爆で何十万人も民間人が虐殺されたのに、それを対米圧力に使わないほうが異常だ。
従軍慰安婦や南京虐殺という日本の非道を、戦後の政治の中で対日圧力として利用するのは、韓国や中国の論理で考えれば当然なのである。
慰安婦や虐殺があったという事実と同様に、それを利用しているということも、何の疑問もなく事実なのにもかかわらず、それまでも「差別だ」「極右だ」と決めつけるのは、左翼の固定観念だ。
自虐史観とか言われるものののほとんどはデタラメであるが、しかし、左翼が誤った固定観念を彼らの前に提供してあげているために、その部分が自虐に見えて彼らがなんだか正しいように見えるという珍現象が生まれている。
もう一度繰り返すが、対日圧力の国家戦略として中国や韓国や北朝鮮が過去の惨劇を「利用」することは、国としては当然のことであるし、それを認めることは惨劇をなかったことにすることとは、まったく別の話だということ。
そして、その国家戦略の中で、被害の「誇張」もありうる。
南京大虐殺が30万人ではない、と言う説もある。それも否定はできない。
しかし、仮に3万人だったら許されるのか? そんなワケは無い。
これも、きちんと整理して考えなくてはならない。
虐殺の罪を認めることと、中国の国家戦略として惨劇を誇張している可能性とは、これまた全く別問題なのだ。
■■
戦後の日本は、右翼も左翼も従米だった。積極的であれ消極的であれ。
これまで何度もこの話は書いてきたので繰り返さない。
どちらの翼も、ケンカしながら米国の手のひらの上に安住してきた。
そんな中で、少数ながら真剣に独立を考える人たちもいた。
悲劇だったのは、そういう人たちの受け皿が、反米右翼くらいしかなかったということだ。
右翼が入口なのではなく、対米独立が政治への入口でありながら、否応なく右翼に流れていくという人たちが一定数いた。
いま、そういう人たちが、自由党の旗の下に集まりつつある。
右翼やレイシズムから入った人たちと違い、独立を指向する穏健な保守政党ができたことで、自分の居場所を見つけて本来の原点に回帰している。
元日本会議という人もたくさんいるし、それこそ慰安婦問題は韓国の謀略だとか南京虐殺はでっち上げだ的なことを言っていたような人もいる。
そうした人たちの「独立」への情熱と、本来の穏健な真意を活かしていくためにも、過去をなかったことにするのではなく、今この時点で問題を整理し、反省すべきは反省し、主張するべきは主張することが必要だ。
左翼もまた、自分たちが「独立」を目指す人たちの受け皿になり得なかったことを、真摯に振り返るべきだ。
独立=右翼になってしまったのは、左翼に独立の気概が見えなかったからだし、それを棚に上げて「独立」と聞いただけで「右翼」「敵」と決めつけて切り捨ててきたからだ。
独立なくして民主主義などあり得ないのは自明であり、民主を語って独立を語らないのは、消極的従米と言われてもしかたがない。
■■■
日本を独立させないために、米国のとった戦略は、国内においては右翼と左翼を競わせるということだったし、国際的には隣国との火種を残しておく というものだった。
いわゆる北方領土が典型的であるし、戦争責任を「とらせなかった」こともそうだ。
オバマの広島演説や安倍晋三の真珠湾演説は、何かに似ていると思わなかっただろうか。
謝罪も反省もせずに、未来への平和だけを語る。
そう、この文章にそっくりなのだ
あえて全文を引用するので、このなかに「謝罪」や「反省」がひとことでもあるかどうか、戦争責任に言及しているかどうか、チェックしてみていただきたい。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
(日本国憲法 前文)
たしかに、なかなかの名文だと思う。理想主義でもある。
しかし、そこには戦争責任は欠片もない。
戦争責任をとらせず、その代替としてつくられたのが、日本国憲法なのだ。
日本に戦争責任をとらせず、アジアで孤立させることが、米国の対日戦略の眼目だったのである。
それは、目の前の中国で革命が進行しているなかで、日本を徹底的に反省させれば日本にも革命が起きてしまうかもしれない という米国の危機感であったろうし、なんとしても軍事拠点として確保しておくための軍事戦略でもあった。
その意向に沿って従米右翼が唱えてきたのが、「従軍慰安婦は自主的な売春だ」「南京外虐殺は幻だ」という類のデマである。
そして、少数の独立派もまた、この流れに捕らえられ、独立を目指す自らの足を引っ張り続けてきたのである。
事実は事実と認め、責任を負うべきは全面的に負うことで、自らも言うべきことが言えるのである。
逆に言えば、責任を負う以上は、萎縮せずに言うべきことを言わなければならない。
それこそが、真に独立を目指す道だったのに、それを主張してきたのはほんとうにごくわずかの人だけであり、その声はかき消されてきた。
ドイツは国の方針としてこれをやってきた。
あのワイツゼッカーの演説は、まさにドイツの国家戦略を体現している。
→ ワイツゼッカー 荒れ野の40年(全文)
もし、歴代のドイツの首脳が、戦争責任について言を左右にし、安倍晋三の仲間のようにナチスに未練たらたらだったら、絶対に今のドイツの繁栄はありえない。EUの中心になっていることなど考えられない。
■■■■
これまでは、このように戦争責任を認めずに、アジアで孤立して米国の支配から絶対に抜け出せないようにすることが、米国の植民地支配の基本だった。
しかし、米国の没落にともなって、それは大きく変化している。
米国単独での軍事制圧が大きな負担になっていることから、日本には集団的自衛権を求めるとともに、日韓の連動を前提に考えている。韓国に配備されるTHAADミサイルも、そのためのXバンドレーダーは京都にもある。
先月締結された韓日GSOMIAは、「韓米日3角安保協力の"つまった血管"である韓日軍事協力を本格化する法的基盤」と言われている。
これまでのように、「従米で嫌韓」などということは、もはや許されなくなっている。
従米右翼は、これまでと同じつもりでいると、ご主人様にこっぴどく叱られて涙目になるだろう。
※米政府、稲田氏の靖国参拝批判 「非常に残念」
2016.12.30 日本海新聞
中国やロシアとは、そこまで単純ではないが、これも「節度ある対立」を求められる。
ファナティックな排外主義は、右翼からも排除されていく。
その流れが端的に表れたのが、安倍晋三の12月の動きだ。
プーチンとの会談と真珠湾での慰霊。
あの極右安倍晋三が、まるでリベラルのようなことを言い始めている。
従来の極右しか支持層がない稲田朋美は、辛抱できずに真珠湾から帰るやいなや靖国神社に飛んでいったが、稲田の政治生命は長くないだろう。
トランプ時代になれば、より一層 「日韓でうまくやっとけ」という意向が強まる。稲田のような変われない連中は排除されていく。
こうした流れは、独立派にとっては、決して悪い流れではない。
今こそ、反省すべきは反省し、責任を負うべきは責任を負い、そして言うべきことは言う、というあたりまえのことができるチャンスなのだ。
過去の発言をなかったことにしたり、逆に過去の発言だけをあげつらうのではなく、右も左も「独立と平和」を願う人たちは、真摯な相互批判と助言をしながら、あたりまえのことをやり遂げよう。
そうやって、従軍慰安婦や南京虐殺の二元論を解くことが、日本の新しい歴史の始まりになるはずだ。


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