2017-04-07(Fri)
【森友疑獄事件】 安倍昭恵と私学審会長のただならぬ?関係
つらつら考えるに、森友事件は 森友学園を舞台にした安倍昭恵事件だったのではないか。
アッキード事件と呼ぶと、田中角栄ファンの皆様に叱られるのだが、やはり その名称が一番である。
またしても 昭恵ルートの新事実が明らかになった。
念のため、画像コピー

奈良学園のホームページにも

文中の要点を拾うと
2015年9月4日
あっきーこと内閣総理大臣安倍昭恵夫人が
奈良学園大学信貴山グランドを訪問
奈良学園大学の梶田叡一学長も同席
言うまでもなく、梶田叡一は大阪府私学審議会の会長である。
そして、この日は昭恵が塚本幼稚園の名誉園長になる前日であり、安倍晋三が前日に理財局長と会談、当日は国会をスッポカシて大阪に駆けつけた 疑惑の三日間と言われるあの日である。
もちろん、安倍昭恵は名誉校長になる前からたびたび塚本幼稚園を訪問し、豊中の土地にも籠池総裁と同行しており、かつ、翌日は講演する予定だったのであって、名誉校長就任前といえどもずぶずぶの関係だ。
その安倍昭恵が、8ヶ月ほど前の1月30日に大阪府私学審議会の臨時会で、きわめて不自然な「認可適当」を出した梶田会長と仲良く体操とは・・・
それにしても、この日は本当に偶然なのだろうか。
カギになるのは、重心会という法人だろう。
この重心道の本部は奈良学園と同じ奈良県三郷町にあり、重心道の陸上クラブチームの本拠地は、この奈良学園信貴山グラウンドである。

重心会自体は学園の組織ではないにもかかわらず、ホームグラウンドにできるというのは、よほど深い関係であると考えられる。
従って、2014年4月から2017年3月まで学長だった梶田叡一と重心道は日常的なつきあいがあった ということになろう。
ところで、「安倍昭恵は重心道の顧問」だと奈良学園のHPには書いてある。
いつから顧問なのかはわからないが、少なくともこれより2年前の2013年9月には重心道のイベントに参加している。

要するに、
安倍昭恵と梶田叡一は 重心道を介して 旧知の仲だった
ということだ。
名誉校長になって100万円渡す前日に、私学審議会の会長に会っていたというのもビックリだが、そもそも
何年も前から 安倍昭恵と私学審議会会長は仲良しだった
ということのほうが もっとビックリである
やはり、この事件は森友事件と呼ぶよりも 安倍昭恵事件 アッキード事件と呼ぶのがふさわしい。
<追記>
森友を「認可適当」とした大阪私学審会長の梶田叡一は、第1次安倍内閣の教育基本法改悪を中教審の委員として積極推進した人物だ。カトリックなのに創価学会に非常に好意的で、公明党との関係が深い。
極右じゃないよ、中道だよ という顔をしながら、じつは極右安倍を後押ししてきた。
このオッサンが、怪しげな昭恵人脈につながっているのは、ある意味何の不思議もないのかもしれない。


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なんでボクは家を設計るんだろう 明月社のいえづくり 5
(4 からつづく)
十年遅れて建築を始めたなどということは、お客さんや現場の職人には関係ないことだ。だれも三十過ぎのオッサンを駆け出しのペーペーだとは思わないから、あれこれ聞かれるし判断も求められる。もちろん初めて聞く話がてんこ盛りなのだが、その場ではフンフンと分かったような顔をしておいて、帰り道で本屋に直行し調べて帰る、てなことが日常茶飯事だった。とにかく四年間で他人の十年分くらい建築を勉強したかったので、仕事が減っていくのは本当に辛く、いよいよ悩んだ挙げ句、またしても事務所を変わることにした。その頃にだいぶ薄くなった求人広告誌の中でわりと景気の良さそうなことを書いている事務所にした。リゾートホテルやらマンションやらの設計が引きも切らないらしい。なんだ、バブル崩壊とか言っても仕事があるところにはあるんだ、などと呑気に考えて働き始めた。
生活が一変した。仕事は始業時間は決まっているが就業時間は無いに等しい。やり仕舞いと言えば聞こえは良いが、終わるまで終電が無くなろうと帰れない。平均して夜11時、週に一,二回は徹夜、みたいなタイムスケジュール。与えられた仕事はボリューム出しと言って、ある敷地にどれくらいの大きさのマンションが建つかザックリしたプランを作って面積表をつくるというもの。売りにでている土地情報にそうしたプランを添えてマンションデベロッパーに提出するのだ。その中で採算に乗りそうだなとデベロッパーが判断した物は仕事になる、という千三つの話。千三つというのは、千のプランを提出して仕事になるのが三くらいだから。
そんなわけで数が勝負だから、普通は三日くらいで1プランを作成するのだけれど、夕方言われて翌日の昼には提出なんてこともちょくちょくあり、当然のように徹夜になる。いくらこき使ってほしいと思っていても、さすがに人間の気力と体力の限界を感じ、慣れと限界が危ういバランスをとっていたころ、変わった物のプランを作れと言われた。墓地である。墓地は自治体と宗教法人しか作ることができないのだが、客はどう見ても不動産屋である。どうするのだろうと思っていたら、京都の某寺から宗教法人ブローカーがやってきた。こんな商売もあるのだ。仏の沙汰も金次第らしい。
さらに墓地開発は、何重どころか何十重もの法律の網をくぐり抜けなければできない。たしかその時は十三種類の法律と条令がかかっていた。その担当部局を訪ね歩いて、針の穴を探す作業を続けた。そこに現れたのは、こんどは○○社という筆文字の名刺をもったオジサマ。一見してそれと分かる風体。そのオジサマのBMWに乗せられて役所に行くと、何も言わないうちからササッと奥のほうの市民の目につかない応接間に通される。役所の担当者もやけに丁寧に対応する。だからといって無理が通るわけではなかったことは役所の名誉のために付け加えておく。
何度か○○社のオジサマと仲良く役所を回った後、ボクは速やかにその会社に辞表を出した。これ以上続けていたら、この業界でマトモに生きていけなくなると思ったからだ。こうして過労死寸前の生活は終わりを告げた。しかし後から振り返ってみると、ここで追い込まれるようにプランを作り続けた経験は、かなり大きな財産だったと思う。その敷地に対して無理のないプランが、するするっとできるようになった。面白いプランかどうかはともかく、敷地形状や法規制などの限界と使えるプランとの兼ね合いをざっと検討つける技は、この期間に集中して身につけることができた。
住宅を設計する建築家のことを「住宅作家」と呼ぶことがある。ボクは、そんな自称はしないことにしている。やはり住宅は使えてナンボ、住みやすくなくてはわざわざ建てる意味がないからだ。住宅作家の「作品」を見ると、たしかに美しさや新規性は目を見張るものがある。彼らに依頼する住み手も、それを期待して依頼しているのだから、それはそれでいいのだと思う。しかしボクはそういう立場をとらない。住みやすさを優先するために、デザインのリズムが崩れたり、思い切りの良さがなくなったり、凡庸になったりすることは多々ある。それは分かっているけれども、できるだけそうならないように努力はするけれども、でも結局は住みやすさを優先する。それは住み手の言うがままということではなく、ボク自身の判断としてそうする。
逆に、「それはやめた方がいい」という時はお客さん相手でもズケズケ言う。中には気を悪くされる方もいるけれども、それがボクの役目だから言う。それは「作品」にするためではなく、住んでからのことを脳内シミュレーションするのがボクたちプロの仕事だから、プランにせよデザインにせよ言うべきことは言わせてもらう。とにかく他人に意見されるのが嫌という人は、ボクには依頼しないほうがいい。
設計というのは、詰まるところ判断の連続だ。まったくの白紙から何かを創造する芸術とはちがい、様々な条件と方法のなかから最適解を選択する。そこには創作の要素もある。それが建築がアーキテクチャー=アート+テクノロジーと呼ばれる所以だが、こと住宅に関してはその要素は思いのほか小さい。無理にアートにされてしまって、住んでから泣いている住み手の話は枚挙にいとまがない。
これは日本の建築家が「アート」を誤解しているせいもあるだろう。アートとはいわゆる芸術ではなく、人間の作る物 と考えた方がいい。対するテクノロジー(より広義にいえばサイエンス)は神の摂理に基づくもの ということだ。物理法則のように人間にはどうしようもない神の作った世界がサイエンスで、人間が作り出せるものがアート。アーキテクチャーという言葉の生まれたキリスト教社会の欧米ではそういうことになっているらしいのだが、言葉だけ輸入した日本ではアートを狭義の芸術だと信じ、アーキテクトの設計した家は奇を衒った芸術作品でなければならない、と思い込んでしまったようだ。
アーキテクチャーはそのような狭い意味の芸術ではなく、神の世界と人間の世界の出会う場所だと思えば、無駄なデザインをこねくり回すこととは無関係だ。人が暮らすために神の世界(自然の摂理)をもっともうまく使わせてもらう、ここに建築の妙があるはずだ。神の摂理(自然)、人のしがらみ(社会や経済)という条件の中で、住み手にとっての最適解をコツコツと積み上げていく意外と地味な作業が、住宅を設計(つく)る建築家の仕事だったりするのである。
だから、設計の一番の基本の基本はやはり平面プランだ。いわゆる「間取り」である。素人でもかなり良くできた間取りを考える人はいる。安価な間取り作成ソフトなんかもあり、そんなので書いた図面をもって相談に来られると、「なんだか我々の立場がないなあ」と思うこともある。しかし、少々弁解しておくとプロの仕事では平面プランと間取りは違う。
(6 へつづく)
アッキード事件と呼ぶと、田中角栄ファンの皆様に叱られるのだが、やはり その名称が一番である。
またしても 昭恵ルートの新事実が明らかになった。
念のため、画像コピー

奈良学園のホームページにも

文中の要点を拾うと
2015年9月4日
あっきーこと内閣総理大臣安倍昭恵夫人が
奈良学園大学信貴山グランドを訪問
奈良学園大学の梶田叡一学長も同席
言うまでもなく、梶田叡一は大阪府私学審議会の会長である。
そして、この日は昭恵が塚本幼稚園の名誉園長になる前日であり、安倍晋三が前日に理財局長と会談、当日は国会をスッポカシて大阪に駆けつけた 疑惑の三日間と言われるあの日である。
もちろん、安倍昭恵は名誉校長になる前からたびたび塚本幼稚園を訪問し、豊中の土地にも籠池総裁と同行しており、かつ、翌日は講演する予定だったのであって、名誉校長就任前といえどもずぶずぶの関係だ。
その安倍昭恵が、8ヶ月ほど前の1月30日に大阪府私学審議会の臨時会で、きわめて不自然な「認可適当」を出した梶田会長と仲良く体操とは・・・
それにしても、この日は本当に偶然なのだろうか。
カギになるのは、重心会という法人だろう。
この重心道の本部は奈良学園と同じ奈良県三郷町にあり、重心道の陸上クラブチームの本拠地は、この奈良学園信貴山グラウンドである。

重心会自体は学園の組織ではないにもかかわらず、ホームグラウンドにできるというのは、よほど深い関係であると考えられる。
従って、2014年4月から2017年3月まで学長だった梶田叡一と重心道は日常的なつきあいがあった ということになろう。
ところで、「安倍昭恵は重心道の顧問」だと奈良学園のHPには書いてある。
いつから顧問なのかはわからないが、少なくともこれより2年前の2013年9月には重心道のイベントに参加している。

要するに、
安倍昭恵と梶田叡一は 重心道を介して 旧知の仲だった
ということだ。
名誉校長になって100万円渡す前日に、私学審議会の会長に会っていたというのもビックリだが、そもそも
何年も前から 安倍昭恵と私学審議会会長は仲良しだった
ということのほうが もっとビックリである
やはり、この事件は森友事件と呼ぶよりも 安倍昭恵事件 アッキード事件と呼ぶのがふさわしい。
<追記>
森友を「認可適当」とした大阪私学審会長の梶田叡一は、第1次安倍内閣の教育基本法改悪を中教審の委員として積極推進した人物だ。カトリックなのに創価学会に非常に好意的で、公明党との関係が深い。
極右じゃないよ、中道だよ という顔をしながら、じつは極右安倍を後押ししてきた。
このオッサンが、怪しげな昭恵人脈につながっているのは、ある意味何の不思議もないのかもしれない。


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なんでボクは家を設計るんだろう 明月社のいえづくり 5
(4 からつづく)
十年遅れて建築を始めたなどということは、お客さんや現場の職人には関係ないことだ。だれも三十過ぎのオッサンを駆け出しのペーペーだとは思わないから、あれこれ聞かれるし判断も求められる。もちろん初めて聞く話がてんこ盛りなのだが、その場ではフンフンと分かったような顔をしておいて、帰り道で本屋に直行し調べて帰る、てなことが日常茶飯事だった。とにかく四年間で他人の十年分くらい建築を勉強したかったので、仕事が減っていくのは本当に辛く、いよいよ悩んだ挙げ句、またしても事務所を変わることにした。その頃にだいぶ薄くなった求人広告誌の中でわりと景気の良さそうなことを書いている事務所にした。リゾートホテルやらマンションやらの設計が引きも切らないらしい。なんだ、バブル崩壊とか言っても仕事があるところにはあるんだ、などと呑気に考えて働き始めた。
生活が一変した。仕事は始業時間は決まっているが就業時間は無いに等しい。やり仕舞いと言えば聞こえは良いが、終わるまで終電が無くなろうと帰れない。平均して夜11時、週に一,二回は徹夜、みたいなタイムスケジュール。与えられた仕事はボリューム出しと言って、ある敷地にどれくらいの大きさのマンションが建つかザックリしたプランを作って面積表をつくるというもの。売りにでている土地情報にそうしたプランを添えてマンションデベロッパーに提出するのだ。その中で採算に乗りそうだなとデベロッパーが判断した物は仕事になる、という千三つの話。千三つというのは、千のプランを提出して仕事になるのが三くらいだから。
そんなわけで数が勝負だから、普通は三日くらいで1プランを作成するのだけれど、夕方言われて翌日の昼には提出なんてこともちょくちょくあり、当然のように徹夜になる。いくらこき使ってほしいと思っていても、さすがに人間の気力と体力の限界を感じ、慣れと限界が危ういバランスをとっていたころ、変わった物のプランを作れと言われた。墓地である。墓地は自治体と宗教法人しか作ることができないのだが、客はどう見ても不動産屋である。どうするのだろうと思っていたら、京都の某寺から宗教法人ブローカーがやってきた。こんな商売もあるのだ。仏の沙汰も金次第らしい。
さらに墓地開発は、何重どころか何十重もの法律の網をくぐり抜けなければできない。たしかその時は十三種類の法律と条令がかかっていた。その担当部局を訪ね歩いて、針の穴を探す作業を続けた。そこに現れたのは、こんどは○○社という筆文字の名刺をもったオジサマ。一見してそれと分かる風体。そのオジサマのBMWに乗せられて役所に行くと、何も言わないうちからササッと奥のほうの市民の目につかない応接間に通される。役所の担当者もやけに丁寧に対応する。だからといって無理が通るわけではなかったことは役所の名誉のために付け加えておく。
何度か○○社のオジサマと仲良く役所を回った後、ボクは速やかにその会社に辞表を出した。これ以上続けていたら、この業界でマトモに生きていけなくなると思ったからだ。こうして過労死寸前の生活は終わりを告げた。しかし後から振り返ってみると、ここで追い込まれるようにプランを作り続けた経験は、かなり大きな財産だったと思う。その敷地に対して無理のないプランが、するするっとできるようになった。面白いプランかどうかはともかく、敷地形状や法規制などの限界と使えるプランとの兼ね合いをざっと検討つける技は、この期間に集中して身につけることができた。
住宅を設計する建築家のことを「住宅作家」と呼ぶことがある。ボクは、そんな自称はしないことにしている。やはり住宅は使えてナンボ、住みやすくなくてはわざわざ建てる意味がないからだ。住宅作家の「作品」を見ると、たしかに美しさや新規性は目を見張るものがある。彼らに依頼する住み手も、それを期待して依頼しているのだから、それはそれでいいのだと思う。しかしボクはそういう立場をとらない。住みやすさを優先するために、デザインのリズムが崩れたり、思い切りの良さがなくなったり、凡庸になったりすることは多々ある。それは分かっているけれども、できるだけそうならないように努力はするけれども、でも結局は住みやすさを優先する。それは住み手の言うがままということではなく、ボク自身の判断としてそうする。
逆に、「それはやめた方がいい」という時はお客さん相手でもズケズケ言う。中には気を悪くされる方もいるけれども、それがボクの役目だから言う。それは「作品」にするためではなく、住んでからのことを脳内シミュレーションするのがボクたちプロの仕事だから、プランにせよデザインにせよ言うべきことは言わせてもらう。とにかく他人に意見されるのが嫌という人は、ボクには依頼しないほうがいい。
設計というのは、詰まるところ判断の連続だ。まったくの白紙から何かを創造する芸術とはちがい、様々な条件と方法のなかから最適解を選択する。そこには創作の要素もある。それが建築がアーキテクチャー=アート+テクノロジーと呼ばれる所以だが、こと住宅に関してはその要素は思いのほか小さい。無理にアートにされてしまって、住んでから泣いている住み手の話は枚挙にいとまがない。
これは日本の建築家が「アート」を誤解しているせいもあるだろう。アートとはいわゆる芸術ではなく、人間の作る物 と考えた方がいい。対するテクノロジー(より広義にいえばサイエンス)は神の摂理に基づくもの ということだ。物理法則のように人間にはどうしようもない神の作った世界がサイエンスで、人間が作り出せるものがアート。アーキテクチャーという言葉の生まれたキリスト教社会の欧米ではそういうことになっているらしいのだが、言葉だけ輸入した日本ではアートを狭義の芸術だと信じ、アーキテクトの設計した家は奇を衒った芸術作品でなければならない、と思い込んでしまったようだ。
アーキテクチャーはそのような狭い意味の芸術ではなく、神の世界と人間の世界の出会う場所だと思えば、無駄なデザインをこねくり回すこととは無関係だ。人が暮らすために神の世界(自然の摂理)をもっともうまく使わせてもらう、ここに建築の妙があるはずだ。神の摂理(自然)、人のしがらみ(社会や経済)という条件の中で、住み手にとっての最適解をコツコツと積み上げていく意外と地味な作業が、住宅を設計(つく)る建築家の仕事だったりするのである。
だから、設計の一番の基本の基本はやはり平面プランだ。いわゆる「間取り」である。素人でもかなり良くできた間取りを考える人はいる。安価な間取り作成ソフトなんかもあり、そんなので書いた図面をもって相談に来られると、「なんだか我々の立場がないなあ」と思うこともある。しかし、少々弁解しておくとプロの仕事では平面プランと間取りは違う。
(6 へつづく)
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