2017-04-24(Mon)
政権交代への近道
安倍政権のあまりの独裁の原因について 諸説が語られている。
その一番は、小選挙区制が悪い というもの。
たしかに、小選挙区制で党本部の権限がきわめて強くなった。さらに、第一党は得票率よりも議席数が多くなる。
その意味では、たしかに小選挙区制の影響は大きい。
しかし、小選挙区制度による衆院選挙は1996年から行われている。
衆議院の議席数の推移はwikipediaに一覧になっているので、それを見ていただきたい。
一見してわかる通り、小選挙区制になったからといって、そのせいで自民党が激増しているわけではない。
独裁と言われる第2次安倍内閣と同じような議席数は、中選挙区時代にも何度もあったし、2009年の政権交代の直前も同じくらいだった。
小選挙区のせいで自民党がひとり勝ちしている というのは言い訳に過ぎないように思う。
ただし、自民党が劣化した原因にはなっているだろう。
物言えぬ政治家もどきの群れになってしまったのは、たしかに小選挙区によって人事権を党本部に完全掌握されたせいなのは間違いない。
しかしそれは、自民党の劣化の原因であって、野党が自民党に勝てない原因ではない。
■
もうひとつしばしば言われることは、「代わりがいないから仕方ない」というもの。
自民党に変わる責任政党が存在しないので、しかたなく自民党が支持されているのだ、と言う説明だ。
しかしこれは、あまり根拠がない。
世論調査の支持理由で、そうした理由があげられていることはあるが、あれは選択肢の作り方でどのようにでも誘導されてしまうので、あてにならない。
個別課題では、反対票が多いから という話もあるが、これも論理的ではない。各論反対・総論賛成で支持している人が多いと言うことと、「代わりがいないから」とは直結しない。
各論は反対でも、それ以上の賛成理由があるから支持してるのかもしれない。
上記と近い理由で、「野党がバラバラだから」という説明もある。
小沢一郎氏が言いつづけている、野党が一つになれば絶対に勝てる という話だ。
しかしこれも、過去2回の政権交代を振り返っても、2大政党の激突、というものではなかった。
自民党の分裂で直接の引き金になった細川内閣はともかく、2009年の民主党にしても、選挙前には自公の1/3しか議席はなかったし、共産党との協力なんて冗談にも話題にならなかった。
勝てた理由はいまだに謎に包まれているが、少なくとも、「野党が一つになって、客観的に自民党にかわる受け皿になっていたため」、ではないと思えるのだ。
以上より、今の民進党、社民党、自由党がひとつになり、共産党とも共闘する形を作ったとしても、それで勝てるという理由が私にはまったく見えないのである。
もちろん、小選挙区である以上は、候補者調整は必須だし、共闘しないよりした方がいいには決まっている。
しかし、「それで勝てる」という論拠が、まったく誰からもどこからも 示されていないのである。
■
では、どうしたら勝てるのか。
勝てない話ばかりでは、暗くって仕方がないので、勝つ方法を考えてみよう。
まず、ここ数年の自公と反自公の得票数を振り返っておこう。

自公の票は、2005年の郵政選挙以外はほぼ横ばいで凸凹というところだ。
決して増えてはいない。
一方で、反自公の票は2010年と2012年で激減している。
まず、2010年は
1845/2984=62%
と、2009年と比べて62%になっている
2012年は民主と未来が分裂している。未来の改選前議席はもとの民主の2割弱であり、2010年の1881万票を母数とすると、2012年でもそれほど大きくは減らしていないが、民主のほうは、大きく減らした。
未来 1881x(61/308)=372 342/372=92%
民主 1881x(240/308)=1465 962/1465=65%
以上からわかることは、小沢グループは、2010年の参院選前にすっぱり分裂しておくべきだったということだ。
菅直人が消費税増税を口にした瞬間に、そく分裂した上で、政権維持を人質にしてキャスティングボートを握るべきだった。
あそこでグズグズして分裂のタイミングを逃しまくって、どん詰まりで分裂したことで、2010年のマイナス効果は民主と同じだけかぶってしまい、小政党に不利な小選挙区のあおりを食って、342万票も取りながらわずか5議席に沈み、表舞台から退場を余儀なくされた。
このような指摘は他に聞かないけれども、私は断言したい。
2010年の夏前に小沢グループが独立しなかったことが、今日の暗闇の始まりである。
逆に言うと、裏切りを許さなかった未来の党は、あの状況の割に票を減らしておらず、タイミングと政策を間違えなければ、少数でも決起すべきだ、ということ。それがかえって、1手先2手先の政権交代につながる。
■
さらに、この数字からわかることは、民進党でも民主党でも良いけれども、この政党には国民の審判が下されたということだ。
弱小政党のように、そもそも手も足も出ないわけではないのに、候補者も出し選挙資金もそれなりに持っているにもかかわらず、酷評数は激減し、何度やっても回復しない。
昨年は共産党の協力と、旧維新の残党を吸収したことで票数は増えたが、支持の拡大とは言えない。
民進党は、何を言おうが、どんな政策をぶら下げようが、金輪際浮上することはないと思われる。
なぜ民進(民主)党が勝てないか。
それは、このグラフを見るとはっきりしている。(財務省の資料より)

2009年の政権交代前は、国債の発行を押さえて予算規模も縮小し、典型的な緊縮財政だった。それにより税収も減り、それがまた緊縮財政を招くというスパイラルに落ち込んでいた。
この緊縮財政による弱者切り捨て、生活切り捨ての痛みに耐えかねたのが、あの政権交代だったはずだ。
国民の生活が第一をうたった民主党政権は、一度は国債を大量に発行して予算規模も拡大した。
ところが、わずか1年でその流れを逆転させ、消費増税、緊縮財政へと急転換した。それこそが、2010年の大敗北の原因である。
そして、その後を襲ったのがアベノミクスだ。
アベノミクスは、国債の大量発行ではなく、日銀による通貨の大量発行によって市場にカネを流通させた。
もちろん問題は大ありのアベノミクスではあるが、世の中にカネを流通させ、結果として税収を上げるという大枠では、成功している。
国民をダマして財布のひもを締めるばかりか、増税を推し進める民主(民進)党と、各論では問題あっても財布のひもを緩めまくって景気をよくしているアベノミクス。
国民がどっちに軍配を上げるか、考えるまでもない。
そう考えれば、答えは自ずからみえる。
民進党がもし生き返りたいならば、増税などと言う考えは宇宙の彼方に投げ捨てて、アベノミクス以上の大盤振る舞いを約束することだ。
いくら何を言っても、アベノミクスは数字を残している。生活実感は乏しいけれども、最低限仕事があるとか、ほんのちょっと時給が上がったとか、面接に落とされる回数がずいぶん減ったとか、ちょっとは良くなっていると感じている人は多いはずだ。
こんなに大盤振る舞いして、たったこれだけかよ、とか、ほとんど美味しいところは大企業が持ってチャッタじゃんか、とか、文句をつければ山ほどあるにせよ、自分の足下だけみれいれば、悪くはなっていない、と言う実感は、何があろうと鉄板の内閣支持率につながっている。
平穏な時代であれば、スキャンダルで政権が倒れることもあるだろう。
しかし、失われた90年代、小泉時代、リーマンショックと、立て続けに苦しい時代を経験したあげく、民主党の裏切りに直面した日本人は、自分の生活からかけ離れたことで政治を判断しない。
どんなに問題があるとわかっていても、「食わしてくれる」かぎりは、安倍政権を支持する。
そのアベノミクスを凌駕する経済を掲げないかぎり、野党は勝てない。
国民は愚かではない。自分の生活を守ることに必死であり、懸命に考えて判断しているのである。
■
では、民進党がそういう政策を掲げたら復活できるか。
できるわけがない。
増税と緊縮財政の責任者であり、権化ともいえる野田佳彦を幹事長に据えて、「積極財政やります」なんて言っても、バカかと言われるのがオチだ。
野田に限らず、2010年転換に関与した幹部は、ひとり残らず放逐しなければ、離れていった支持者は絶対に帰らない。
放逐でも懺悔でもいい。
野田を筆頭に、いならぶ愚か者たちが国民に向かって土下座して、土を喰いながら涙を流して己が罪を悔い改めるならば、人情に弱い日本人のことだから許してくれるかもしれない。
従軍慰安婦の問題について、日本政府がいくら口先で謝罪をしたところで、被害者側がまったく受け入れがたいのと、構図は同じことだ。(問題の中身は大違いだが)
まして、民進党の幹部どもは、口先の反省すらしていない。これでこの党を支持しろというのは、日本国民に対する侮辱である。
だから私は、今のままの野党共闘は、勝てないと思っている。
勝つためには、最低限二つのことが必要だ。
1.緊縮財政政策を180度転換して、アベノミクスを凌駕する積極財政にすること
2.2010年の裏切りの下手人を追放するか、全国お詫びの行脚をさせる。
(靴なんか履かずに裸足で行け!)
以上は必要条件。
■
そのうえで、もうひとつ。
地方組織をつくることだ。
ここ数年、自由党の惨状を身近で見てきた実感だ。
2012年に340万票とった未来が、なんで100万そこそこまで凋落してしまったのか。
もちろん、1桁の議席数になったことで見放されたというのが大きい。
しかしそれ以上に、活動をしなかったということだ。
あの時は、誰も彼もが茫然自失となり、ふと気が付いたら翌年の参院選になっていた。
見放したの有権者だけでなく、党そのものが自分自身になんの展望も見いだせなくなっていたのではないか。
その結果がなんと94万票、0議席である。
あの結果は私にとっては、いつまでも呆然としていてはいけないと、むしろ気付け薬にはなった。
しかし、党としては、あいかわらず何の活動もなく、2014年総選挙、2016年参院選が過ぎていった。
あれだけ何もせずに、それでも100万余人の人が支持してくれることが不思議である。
いくら人数が減り、資金も乏しいとはいえ、各地方で積極的に活動している人は何人かずつはいるのだから、党としての最低限の扱いをして維持発展を期せば、この4年間でそれなりの成果にはなっていたと思う。
関西では生活フォーラム関西という市民団体で、ある意味党の代わりのようなことをしてきたが、しかし所詮市民団体は市民団体だ。特に、保守系である自由党の場合、党の実態がなければ本気になってくれない人が多い。
それは、一般の有権者にとってはなおさらそうだ。
自由党をひとつの典型として取り上げたが、これは自由党だけの話をしているのではない。政権交代に向けて、これをやれば勝てる という3つめの条件である。
共産党や公明党を見習って、活動の基盤になる党の組織を作ること。せめて、彼らの1/100でもつくること。
この三つの条件がそろえば、いくら小選挙区でも、安倍晋三がどんなにエグいマスコミ戦術を使おうと、勝てる。
■
そして、そのすべてを貫く軸は 「怒る」 ということだと思う。
もちろん、このブログを読んでくれている人は 怒り心頭に発した人ばかりだと思う。
でも、それが表現できているだろうか。
デモ、集会、学習会、街宣 ・・・・ たしかに数限りなくある。
怒った人たちが集まっている。
が、その怒りは伝わっているか?
怒りが伝わる というのは 共感であり、共振である。
自分だけ勝手に怒っていても伝わらないし、風船持って歌っていても伝わらない。
どうすればいいのか、私もまだよくわからない。
しかし、最近流行の「パレード」を端から見ていて、怒りが伝わるとは ちょっと思えないのだ。
まずは、人数。デモンストレーションなのだから、人数を集め、かつその人数の多さを街の人たちが実感すること。
そのためには、あっちでもこっちでも、毎週のように小規模でバラバラにやって貴重なマンパワーを消耗するのではなく、月に1回とかに限定して、ありとあらゆる勢力が集まって大デモにする。やるんだったら、本気でやる。
野党共闘を求める前に、市民運動がまずちゃんと共闘しろという話だ。
デモ行進は強制的にコースを分けさせられ、てい団に分割されるから、国会前のような一箇所にたまる方がいいかもしれない。
大阪だったら、関電前の再稼働反対コールのようなのを、人の多い場所でできたらいいのだけど。(関電本社前はほぼ無人)
楽しいデモ はいらない。
楽しむのなら、他にいくらでも方法はある。デモは 怒りだ。 怒りの共有だ。
本気で声を合わせて、ビルが揺れるほどのコールはできないのか。
楽しいデモで、参加者が増えたか?
ほとんど増えてはいない。デモを楽しいと思うようなかなり特殊な趣味を持った人しか集まらない。
街宣然り、ポスティング然り。
「本気」を聞く人、見る人に伝えるにはどうしたらいいか。頭をひねり倒さねばなるまい。
それはたぶん、小手先の戦術論ではない。
真剣に、わかりやすく、誤魔化さず、怒りを伝え、それを共有すること。共振させることだ。
※参考資料
戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移 国立国会図書館 レファレンス 2014.6


にほんブログ村
応援お願いします

なんでボクは家を設計るんだろう 明月社のいえづくり 15
(14 からつづく)
■ 山の世界に入ったけれど
2000年11月、千里ニュータウンにT町の店をオープンさせた。準備は苦しかったけれども、晴れ晴れしい船出を迎えて気分は良かった。 のだが、
なんとびっくり、オープンから一ヶ月もたたないうちに、資金ショートで潰れるかもしれないという話が飛び出した。まったく、驚天動地とはこのことである。ボクは役員でもなかったし経営状態まで聞かされていなかったから、もちろんそんな資金繰りであるとは知らなかった。だいたい、高知県知事までよんで盛大な式典をやっておきながら、翌月の資金がないとは思わないでしょ、フツウ。
艱難辛苦を乗り越えてやっとオープンまでこぎ着けて、これから営業作戦を考えなくちゃと思ったとたんに、倒産の準備をする羽目に(泣)。経営者でもないのに弁護士のところに倒産の仕方の相談に行かされ、他の社員の首切り宣告をさせられ、T町の本社の役員会議に(役員じゃないのに!)呼び出され、半分泣きながら、でも半分はやけっぱちで面白がりながら20世紀は終わりを迎えた。
すべては後からわかったことだけど、その店の経営計画では、オープンした月から7件の新築を受注するという話になっていた。そんな奇跡を誰がどうやって信じたのか知らないが、おバカを通りこしてサギにちかい。そもそもその三セクにはバブルの頃からの巨額の累積赤字があって、大阪進出はイチかバチかの賭けだったようだ。もちろん、商売が速攻で上手くいくとはだれも信じておらず、「これだけ大々的にやってしまえば町も県も潰すに潰せなくなるだろう」という意味の賭けだったのだが。
ある意味でその賭けはあたり、当面の資金ショートはあれやこれや(ここでは書けない)で回避され、しばらくは店は続くことになった。とは言え、カネがないのは変わりなく広告すらうてない。地元のミニコミ誌に格安で小さいパブ広告を出してもらったり、近所にチラシをポスティングしたりしてイベントに人を集め、少しずつ形を作っていった。
ところが、ここでまた壁にぶつかった。この店のコンセプトは、1階で食品や物産を販売して客を集め、そこから2階の家や木材の受注につなげる、ということだった。しかし、オープンからしばらくは徹夜続きがザラだったこともあり、1階の店だけに労力が集中し2階の店はあからさまに蔑ろにされた。なにせ、2階に上がる階段の前に、野菜の段ボールが山積みになり、客どころかボクたちスタッフが通るのにも四苦八苦する始末。土佐の木を売るという本来の目的は忘れ去られた。人は自分の持ち場に目を奪われて、本来の戦略はすぐに忘れるものなんだな ということを思い知った。
なかでも忘れがたいのは、食品売り場の店員のひとりだ。その人の夫は工務店を経営しており、店の建設で大工を総動員したときにも来てもらったことがあったし、店でリフォームの受注があったときなどは仕事を依頼することもあった。ところがその店員は一枚も二枚も上手だった。ある新築を希望しているお客さんが食品売り場でその話をしたところ、こっそりと自分のダンナに話をつないでしまったのだ。さすがに不審に思ったお客さんのほうが、後日2階に上がってきてボクに話してくれたのでことが発覚した。で、その店員が懲戒食らったかというと、いやいや そんな単純な話ではない。これはまた後で。
本業の木材のほうもわずかながら仕事も出てきて、かなり衝撃の船出ではあったけれども、産直住宅に向けて心機一転がんばろうと思っていたのだが、こちらもどうも不思議なことが多い。どうやら、産直住宅ではないのである。
産直というのは山から住み手への直送だ。しかしその三セクの流通は、山→原木市場→製材所→三セク→住み手 という流れになっていた。しかも、原木市場と製材所の経営者が同じで、その人物は三セクの経営にもかなり口を出す。要するに、三セクはその人物の下請けになっているのではないか、と思えてならなかった。製材所から出荷される木材を見ても、よその現場には見事な材木が送られていくのだが、こちらの現場には極端に節だらけの木材で、しかもその節埋め作業は三セクの社員が自分たちでやらされるのである。甚だしいのは、集成材の梁と称して柱を3本貼り合わせたものが送られてきた。こんなもの大丈夫か?と思いながら棟上げをして、カケヤ(大きな木槌)でガンと打ち込んだ途端に3本の柱に分離した。なんてこともあった。下請けどころか廃品処理場だと思われていたのである。
こりゃいかん。こんなことやっていたら、産直住宅はおろか商売として成り立たない。何とかせにゃいかん。そう思って、本来の産直ができる物流のルートを探した。林業家から丸太を買って、製材所に工賃だけで製材してもらい、あとは自社で加工して現場に持っていく。住み手は希望すれば、この山のこの木で建てるんだというのを見てもらえる。そういうやり方を確立しようとした。
ところが、そうやって中間を飛ばそうとして逆に飛ばされたのは、ボクのほうだった。
16 につづく
※明月社のホームページを大改造!家にご興味のある方は一見を → 木の家プロデュース明月社
その一番は、小選挙区制が悪い というもの。
たしかに、小選挙区制で党本部の権限がきわめて強くなった。さらに、第一党は得票率よりも議席数が多くなる。
その意味では、たしかに小選挙区制の影響は大きい。
しかし、小選挙区制度による衆院選挙は1996年から行われている。
衆議院の議席数の推移はwikipediaに一覧になっているので、それを見ていただきたい。
一見してわかる通り、小選挙区制になったからといって、そのせいで自民党が激増しているわけではない。
独裁と言われる第2次安倍内閣と同じような議席数は、中選挙区時代にも何度もあったし、2009年の政権交代の直前も同じくらいだった。
小選挙区のせいで自民党がひとり勝ちしている というのは言い訳に過ぎないように思う。
ただし、自民党が劣化した原因にはなっているだろう。
物言えぬ政治家もどきの群れになってしまったのは、たしかに小選挙区によって人事権を党本部に完全掌握されたせいなのは間違いない。
しかしそれは、自民党の劣化の原因であって、野党が自民党に勝てない原因ではない。
■
もうひとつしばしば言われることは、「代わりがいないから仕方ない」というもの。
自民党に変わる責任政党が存在しないので、しかたなく自民党が支持されているのだ、と言う説明だ。
しかしこれは、あまり根拠がない。
世論調査の支持理由で、そうした理由があげられていることはあるが、あれは選択肢の作り方でどのようにでも誘導されてしまうので、あてにならない。
個別課題では、反対票が多いから という話もあるが、これも論理的ではない。各論反対・総論賛成で支持している人が多いと言うことと、「代わりがいないから」とは直結しない。
各論は反対でも、それ以上の賛成理由があるから支持してるのかもしれない。
上記と近い理由で、「野党がバラバラだから」という説明もある。
小沢一郎氏が言いつづけている、野党が一つになれば絶対に勝てる という話だ。
しかしこれも、過去2回の政権交代を振り返っても、2大政党の激突、というものではなかった。
自民党の分裂で直接の引き金になった細川内閣はともかく、2009年の民主党にしても、選挙前には自公の1/3しか議席はなかったし、共産党との協力なんて冗談にも話題にならなかった。
勝てた理由はいまだに謎に包まれているが、少なくとも、「野党が一つになって、客観的に自民党にかわる受け皿になっていたため」、ではないと思えるのだ。
以上より、今の民進党、社民党、自由党がひとつになり、共産党とも共闘する形を作ったとしても、それで勝てるという理由が私にはまったく見えないのである。
もちろん、小選挙区である以上は、候補者調整は必須だし、共闘しないよりした方がいいには決まっている。
しかし、「それで勝てる」という論拠が、まったく誰からもどこからも 示されていないのである。
■
では、どうしたら勝てるのか。
勝てない話ばかりでは、暗くって仕方がないので、勝つ方法を考えてみよう。
まず、ここ数年の自公と反自公の得票数を振り返っておこう。

自公の票は、2005年の郵政選挙以外はほぼ横ばいで凸凹というところだ。
決して増えてはいない。
一方で、反自公の票は2010年と2012年で激減している。
まず、2010年は
1845/2984=62%
と、2009年と比べて62%になっている
2012年は民主と未来が分裂している。未来の改選前議席はもとの民主の2割弱であり、2010年の1881万票を母数とすると、2012年でもそれほど大きくは減らしていないが、民主のほうは、大きく減らした。
未来 1881x(61/308)=372 342/372=92%
民主 1881x(240/308)=1465 962/1465=65%
以上からわかることは、小沢グループは、2010年の参院選前にすっぱり分裂しておくべきだったということだ。
菅直人が消費税増税を口にした瞬間に、そく分裂した上で、政権維持を人質にしてキャスティングボートを握るべきだった。
あそこでグズグズして分裂のタイミングを逃しまくって、どん詰まりで分裂したことで、2010年のマイナス効果は民主と同じだけかぶってしまい、小政党に不利な小選挙区のあおりを食って、342万票も取りながらわずか5議席に沈み、表舞台から退場を余儀なくされた。
このような指摘は他に聞かないけれども、私は断言したい。
2010年の夏前に小沢グループが独立しなかったことが、今日の暗闇の始まりである。
逆に言うと、裏切りを許さなかった未来の党は、あの状況の割に票を減らしておらず、タイミングと政策を間違えなければ、少数でも決起すべきだ、ということ。それがかえって、1手先2手先の政権交代につながる。
■
さらに、この数字からわかることは、民進党でも民主党でも良いけれども、この政党には国民の審判が下されたということだ。
弱小政党のように、そもそも手も足も出ないわけではないのに、候補者も出し選挙資金もそれなりに持っているにもかかわらず、酷評数は激減し、何度やっても回復しない。
昨年は共産党の協力と、旧維新の残党を吸収したことで票数は増えたが、支持の拡大とは言えない。
民進党は、何を言おうが、どんな政策をぶら下げようが、金輪際浮上することはないと思われる。
なぜ民進(民主)党が勝てないか。
それは、このグラフを見るとはっきりしている。(財務省の資料より)

2009年の政権交代前は、国債の発行を押さえて予算規模も縮小し、典型的な緊縮財政だった。それにより税収も減り、それがまた緊縮財政を招くというスパイラルに落ち込んでいた。
この緊縮財政による弱者切り捨て、生活切り捨ての痛みに耐えかねたのが、あの政権交代だったはずだ。
国民の生活が第一をうたった民主党政権は、一度は国債を大量に発行して予算規模も拡大した。
ところが、わずか1年でその流れを逆転させ、消費増税、緊縮財政へと急転換した。それこそが、2010年の大敗北の原因である。
そして、その後を襲ったのがアベノミクスだ。
アベノミクスは、国債の大量発行ではなく、日銀による通貨の大量発行によって市場にカネを流通させた。
もちろん問題は大ありのアベノミクスではあるが、世の中にカネを流通させ、結果として税収を上げるという大枠では、成功している。
国民をダマして財布のひもを締めるばかりか、増税を推し進める民主(民進)党と、各論では問題あっても財布のひもを緩めまくって景気をよくしているアベノミクス。
国民がどっちに軍配を上げるか、考えるまでもない。
そう考えれば、答えは自ずからみえる。
民進党がもし生き返りたいならば、増税などと言う考えは宇宙の彼方に投げ捨てて、アベノミクス以上の大盤振る舞いを約束することだ。
いくら何を言っても、アベノミクスは数字を残している。生活実感は乏しいけれども、最低限仕事があるとか、ほんのちょっと時給が上がったとか、面接に落とされる回数がずいぶん減ったとか、ちょっとは良くなっていると感じている人は多いはずだ。
こんなに大盤振る舞いして、たったこれだけかよ、とか、ほとんど美味しいところは大企業が持ってチャッタじゃんか、とか、文句をつければ山ほどあるにせよ、自分の足下だけみれいれば、悪くはなっていない、と言う実感は、何があろうと鉄板の内閣支持率につながっている。
平穏な時代であれば、スキャンダルで政権が倒れることもあるだろう。
しかし、失われた90年代、小泉時代、リーマンショックと、立て続けに苦しい時代を経験したあげく、民主党の裏切りに直面した日本人は、自分の生活からかけ離れたことで政治を判断しない。
どんなに問題があるとわかっていても、「食わしてくれる」かぎりは、安倍政権を支持する。
そのアベノミクスを凌駕する経済を掲げないかぎり、野党は勝てない。
国民は愚かではない。自分の生活を守ることに必死であり、懸命に考えて判断しているのである。
■
では、民進党がそういう政策を掲げたら復活できるか。
できるわけがない。
増税と緊縮財政の責任者であり、権化ともいえる野田佳彦を幹事長に据えて、「積極財政やります」なんて言っても、バカかと言われるのがオチだ。
野田に限らず、2010年転換に関与した幹部は、ひとり残らず放逐しなければ、離れていった支持者は絶対に帰らない。
放逐でも懺悔でもいい。
野田を筆頭に、いならぶ愚か者たちが国民に向かって土下座して、土を喰いながら涙を流して己が罪を悔い改めるならば、人情に弱い日本人のことだから許してくれるかもしれない。
従軍慰安婦の問題について、日本政府がいくら口先で謝罪をしたところで、被害者側がまったく受け入れがたいのと、構図は同じことだ。(問題の中身は大違いだが)
まして、民進党の幹部どもは、口先の反省すらしていない。これでこの党を支持しろというのは、日本国民に対する侮辱である。
だから私は、今のままの野党共闘は、勝てないと思っている。
勝つためには、最低限二つのことが必要だ。
1.緊縮財政政策を180度転換して、アベノミクスを凌駕する積極財政にすること
2.2010年の裏切りの下手人を追放するか、全国お詫びの行脚をさせる。
(靴なんか履かずに裸足で行け!)
以上は必要条件。
■
そのうえで、もうひとつ。
地方組織をつくることだ。
ここ数年、自由党の惨状を身近で見てきた実感だ。
2012年に340万票とった未来が、なんで100万そこそこまで凋落してしまったのか。
もちろん、1桁の議席数になったことで見放されたというのが大きい。
しかしそれ以上に、活動をしなかったということだ。
あの時は、誰も彼もが茫然自失となり、ふと気が付いたら翌年の参院選になっていた。
見放したの有権者だけでなく、党そのものが自分自身になんの展望も見いだせなくなっていたのではないか。
その結果がなんと94万票、0議席である。
あの結果は私にとっては、いつまでも呆然としていてはいけないと、むしろ気付け薬にはなった。
しかし、党としては、あいかわらず何の活動もなく、2014年総選挙、2016年参院選が過ぎていった。
あれだけ何もせずに、それでも100万余人の人が支持してくれることが不思議である。
いくら人数が減り、資金も乏しいとはいえ、各地方で積極的に活動している人は何人かずつはいるのだから、党としての最低限の扱いをして維持発展を期せば、この4年間でそれなりの成果にはなっていたと思う。
関西では生活フォーラム関西という市民団体で、ある意味党の代わりのようなことをしてきたが、しかし所詮市民団体は市民団体だ。特に、保守系である自由党の場合、党の実態がなければ本気になってくれない人が多い。
それは、一般の有権者にとってはなおさらそうだ。
自由党をひとつの典型として取り上げたが、これは自由党だけの話をしているのではない。政権交代に向けて、これをやれば勝てる という3つめの条件である。
共産党や公明党を見習って、活動の基盤になる党の組織を作ること。せめて、彼らの1/100でもつくること。
この三つの条件がそろえば、いくら小選挙区でも、安倍晋三がどんなにエグいマスコミ戦術を使おうと、勝てる。
■
そして、そのすべてを貫く軸は 「怒る」 ということだと思う。
もちろん、このブログを読んでくれている人は 怒り心頭に発した人ばかりだと思う。
でも、それが表現できているだろうか。
デモ、集会、学習会、街宣 ・・・・ たしかに数限りなくある。
怒った人たちが集まっている。
が、その怒りは伝わっているか?
怒りが伝わる というのは 共感であり、共振である。
自分だけ勝手に怒っていても伝わらないし、風船持って歌っていても伝わらない。
どうすればいいのか、私もまだよくわからない。
しかし、最近流行の「パレード」を端から見ていて、怒りが伝わるとは ちょっと思えないのだ。
まずは、人数。デモンストレーションなのだから、人数を集め、かつその人数の多さを街の人たちが実感すること。
そのためには、あっちでもこっちでも、毎週のように小規模でバラバラにやって貴重なマンパワーを消耗するのではなく、月に1回とかに限定して、ありとあらゆる勢力が集まって大デモにする。やるんだったら、本気でやる。
野党共闘を求める前に、市民運動がまずちゃんと共闘しろという話だ。
デモ行進は強制的にコースを分けさせられ、てい団に分割されるから、国会前のような一箇所にたまる方がいいかもしれない。
大阪だったら、関電前の再稼働反対コールのようなのを、人の多い場所でできたらいいのだけど。(関電本社前はほぼ無人)
楽しいデモ はいらない。
楽しむのなら、他にいくらでも方法はある。デモは 怒りだ。 怒りの共有だ。
本気で声を合わせて、ビルが揺れるほどのコールはできないのか。
楽しいデモで、参加者が増えたか?
ほとんど増えてはいない。デモを楽しいと思うようなかなり特殊な趣味を持った人しか集まらない。
街宣然り、ポスティング然り。
「本気」を聞く人、見る人に伝えるにはどうしたらいいか。頭をひねり倒さねばなるまい。
それはたぶん、小手先の戦術論ではない。
真剣に、わかりやすく、誤魔化さず、怒りを伝え、それを共有すること。共振させることだ。
※参考資料
戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移 国立国会図書館 レファレンス 2014.6


にほんブログ村


なんでボクは家を設計るんだろう 明月社のいえづくり 15
(14 からつづく)
■ 山の世界に入ったけれど
2000年11月、千里ニュータウンにT町の店をオープンさせた。準備は苦しかったけれども、晴れ晴れしい船出を迎えて気分は良かった。 のだが、
なんとびっくり、オープンから一ヶ月もたたないうちに、資金ショートで潰れるかもしれないという話が飛び出した。まったく、驚天動地とはこのことである。ボクは役員でもなかったし経営状態まで聞かされていなかったから、もちろんそんな資金繰りであるとは知らなかった。だいたい、高知県知事までよんで盛大な式典をやっておきながら、翌月の資金がないとは思わないでしょ、フツウ。
艱難辛苦を乗り越えてやっとオープンまでこぎ着けて、これから営業作戦を考えなくちゃと思ったとたんに、倒産の準備をする羽目に(泣)。経営者でもないのに弁護士のところに倒産の仕方の相談に行かされ、他の社員の首切り宣告をさせられ、T町の本社の役員会議に(役員じゃないのに!)呼び出され、半分泣きながら、でも半分はやけっぱちで面白がりながら20世紀は終わりを迎えた。
すべては後からわかったことだけど、その店の経営計画では、オープンした月から7件の新築を受注するという話になっていた。そんな奇跡を誰がどうやって信じたのか知らないが、おバカを通りこしてサギにちかい。そもそもその三セクにはバブルの頃からの巨額の累積赤字があって、大阪進出はイチかバチかの賭けだったようだ。もちろん、商売が速攻で上手くいくとはだれも信じておらず、「これだけ大々的にやってしまえば町も県も潰すに潰せなくなるだろう」という意味の賭けだったのだが。
ある意味でその賭けはあたり、当面の資金ショートはあれやこれや(ここでは書けない)で回避され、しばらくは店は続くことになった。とは言え、カネがないのは変わりなく広告すらうてない。地元のミニコミ誌に格安で小さいパブ広告を出してもらったり、近所にチラシをポスティングしたりしてイベントに人を集め、少しずつ形を作っていった。
ところが、ここでまた壁にぶつかった。この店のコンセプトは、1階で食品や物産を販売して客を集め、そこから2階の家や木材の受注につなげる、ということだった。しかし、オープンからしばらくは徹夜続きがザラだったこともあり、1階の店だけに労力が集中し2階の店はあからさまに蔑ろにされた。なにせ、2階に上がる階段の前に、野菜の段ボールが山積みになり、客どころかボクたちスタッフが通るのにも四苦八苦する始末。土佐の木を売るという本来の目的は忘れ去られた。人は自分の持ち場に目を奪われて、本来の戦略はすぐに忘れるものなんだな ということを思い知った。
なかでも忘れがたいのは、食品売り場の店員のひとりだ。その人の夫は工務店を経営しており、店の建設で大工を総動員したときにも来てもらったことがあったし、店でリフォームの受注があったときなどは仕事を依頼することもあった。ところがその店員は一枚も二枚も上手だった。ある新築を希望しているお客さんが食品売り場でその話をしたところ、こっそりと自分のダンナに話をつないでしまったのだ。さすがに不審に思ったお客さんのほうが、後日2階に上がってきてボクに話してくれたのでことが発覚した。で、その店員が懲戒食らったかというと、いやいや そんな単純な話ではない。これはまた後で。
本業の木材のほうもわずかながら仕事も出てきて、かなり衝撃の船出ではあったけれども、産直住宅に向けて心機一転がんばろうと思っていたのだが、こちらもどうも不思議なことが多い。どうやら、産直住宅ではないのである。
産直というのは山から住み手への直送だ。しかしその三セクの流通は、山→原木市場→製材所→三セク→住み手 という流れになっていた。しかも、原木市場と製材所の経営者が同じで、その人物は三セクの経営にもかなり口を出す。要するに、三セクはその人物の下請けになっているのではないか、と思えてならなかった。製材所から出荷される木材を見ても、よその現場には見事な材木が送られていくのだが、こちらの現場には極端に節だらけの木材で、しかもその節埋め作業は三セクの社員が自分たちでやらされるのである。甚だしいのは、集成材の梁と称して柱を3本貼り合わせたものが送られてきた。こんなもの大丈夫か?と思いながら棟上げをして、カケヤ(大きな木槌)でガンと打ち込んだ途端に3本の柱に分離した。なんてこともあった。下請けどころか廃品処理場だと思われていたのである。
こりゃいかん。こんなことやっていたら、産直住宅はおろか商売として成り立たない。何とかせにゃいかん。そう思って、本来の産直ができる物流のルートを探した。林業家から丸太を買って、製材所に工賃だけで製材してもらい、あとは自社で加工して現場に持っていく。住み手は希望すれば、この山のこの木で建てるんだというのを見てもらえる。そういうやり方を確立しようとした。
ところが、そうやって中間を飛ばそうとして逆に飛ばされたのは、ボクのほうだった。
16 につづく
※明月社のホームページを大改造!家にご興味のある方は一見を → 木の家プロデュース明月社
- 関連記事
-
- 籠池、前川、詩織 各氏が人生を賭けてるときに、粛々と国会進める民進党 (2017/05/31)
- 前川元事務次官の証人喚問実現まで国会を止めよ!委員会室にピケを張れ! (2017/05/26)
- 共謀罪を恐れすぎるな (2017/05/24)
- 改憲だミサイルだと騒がし今だからこそ「森友疑獄」を追及すべし (2017/05/16)
- 野党共闘の前に市民共闘の実現を (2017/05/13)
- いまや安倍晋三の太鼓持ちは強姦野郎だけ (2017/05/09)
- 護憲は安倍改憲に勝てるか (2017/05/08)
- 政権交代への近道 (2017/04/24)
- 維新は本当に退潮傾向なのか (2017/04/18)
- 無名の若者が自公維新に勝利した島本町長選挙から勝てる「政策」を学ぶ (2017/04/17)
- 安倍昭恵の選挙応援と戦略特区 (2017/04/11)
- 【森友疑獄事件】 安倍昭恵と私学審会長のただならぬ?関係 (2017/04/07)
- 【森友疑獄事件】 安倍政権をがっつり支える民進党 (2017/04/03)
- 極右と従米 ~トランプと安倍晋三の立ち位置~ (2017/03/31)
- 丹田に力を入れて考えてみよう (2017/03/30)