2018-03-30(Fri)
日本国憲法のキモは前文の TRUST IN である
またまた護憲派リベラル諸氏には不評を買いそうなことを書いてみる。
でも、安倍改憲が現実味をもつ今だからこそ、護憲派の皆さんにこそ読んでもらいたいと思って書いていることは信じていほしい。
日本国憲法の原文は、GHQから渡された英文だったと言うことは議論の余地がない。
ただ、たとえ押しつけであっても、良いものは良いじゃないか という護憲派の意見には、私も概ね賛成だ。
自民党の改憲案や、安倍ちゃんの改憲案と比べても、月とすっぽん以上に現行憲法の方が良い。
その上で、原文である英文を見ていると、こんな文章がある。
We have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
私が注目したのは trust in というところだ。
この文章を日本語訳(すなわち憲法の前文)でみるとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
ここについては、公正と信義「に」 ではなく 「を」 じゃないか。日本語がおかしい、という議論はよく聞くはなし。たしかに、なんとなく不自然な感じはする。
でも、やはりここは 「を」 ではなく 「に」 なのである。
何故かというと
trust の後に、 in が入っているからだ。
ちょっとややこしいけど、ここは非常に大事ところなので、我慢して読んでみてほしい。
trust という英単語は普通は他動詞なので、in は必要ない。
おまえを信用するよ なんて言うときは
I trust you. てことになる。
じゃあ わざわざ in をつけるのはどういうときかというと、これは米国人なら誰でも知っているあれに書いてある。

IN GOD WE TRUST
倒置法を元に戻すと We Trust in God. である。
つまり、信じる方の主体性にかかわらず、神が正しいとか正しくないとか四の五の言わず、無条件に信じる という場合に使われるのが trust in なのである。
まあ、ちょっと極端な書き方をしているけれども、辞書をひいても、「神を信じる」とか「運を天に任せる」とかいう例文が出ており、意味合いとしては間違っていないはずだ。
さらに昔々勉強した英文法を必死に思い出すと、 この文章は分詞構文という形になっている。
細かい説明を省くと trustingの前にある「、」の、後が原因で、前が結果ということ。
前文の訳では、因果関係が薄められているけれども、「trust in(無条件信頼)するから 安全と生存を保持できるんだよ」っていうこと。
よって、憲法前文のこの部分は、直訳するとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義を無条件に信頼することで、われらの安全と生存を保持しようと決意できました。」
どうだろう、「平和を愛する諸国民」のまえに跪(ひざまづ)いて、決意を述べる WE(日本人)の姿が浮かんでこないだろうか。
■
繰り返すが、私はだからといって、この憲法を自虐だとか屈辱だとか言っているのではない。
そうではなくて、この憲法は、「平和を愛する諸国民」と言われる国々との 契約 だと言うのである。
「平和を愛する諸国民」とはもちろん、日本の侵略の犠牲を被った中国、朝鮮、米国を中心にした第二次大戦の戦勝国を指していることは間違いない。
これらの国々に多大な被害をもたらした挙げ句に、ボロボロにまけた日本に待っているはずだったのは、制裁と賠償で二度と立ち直れない運命 のはずだった。
しかし、日本列島に反共の砦としての利用価値を見いだした米国は、なかなか素敵な妥協策を提示した。それが
We have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
「平和を愛する諸国民の公正と信義を無条件に信頼して跪くならば、安全と生存を保持させてあげるよ。さあ、どうする?」
日本国民は、保守も革新も、こぞってこれに YES! と答えたのである。
おかげさまで、70年以上も戦禍にまみれることなく、今日こうして暮らしていられるのだ。
いくら貧乏暮らしと言っても、世界平均からみたら、十分に贅沢三昧な生活を送っているのである。
これはすべて、1948年に日本国民が
We trust in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
という契約書に判を押したからなのである。
■
ところが、70年もたつと、そんな契約はなかったかのように 本気で改憲をやろうとする安倍晋三のようなのが登場する。
他のことはともかく、この前文と、それを根拠にした9条を触るとなると、契約の当事者は黙っていない。
すくなくとも、米国、中国、韓国、北朝鮮は、「じゃあ 70年前の賠償をやってもらおうか」「70年分の儲けを全部返してもらおう」 という話になる。
戦後レジュームというのは、日本が勝手に決めたものではなく、日本の命乞いを戦勝国が認めたということで成立したものだ。
それを、美味しいとこだけ味わった挙げ句に、一方的に脱却すると宣言して暴走すれば、他方の当事者が黙っていないのは当然と言えば当然。
そんな一方的で独善的な改憲は、日本を孤立させ、最悪のコースに導いてしまうことは火を見るより明らかである。
私は、本質的にはいずれは日本人の力で憲法を作るべきだとは思う。
しかし、そのためには、70年前の契約当事者ともしっかりと交渉をし、理解されるものでなければ実現はできない。
国内ですら、ろくに議論もせずにゴリ押ししてしまおうというような、民主主義の「み」の字すらないような今の日本で、改憲やら自主憲法など、100年早いのである。
とは言え、GHQに作ってもらった憲法を、他国に無条件にひざまずくことと引き替えに平和と生存を保証してもらった憲法を、手放しで持ち上げて金科玉条にしてしまうのも、やはり違うはずだ。
今はしっかりと護りながらも、冷静に分析して、本来のあり方を「自分の頭で」考え、議論することが、本当の民主主義を育てるはずだ。
安倍晋三や、安倍晋三的なるものたちに負けないためにも
Trust in KENPO.
ではダメなのだ。
■■おしらせ
「ゆがめられた政治と教育~森友問題から見えてきたもの」
2018年3月31日(土)
豊中市立文化芸術センター大ホール
(阪急宝塚線「曽根」から徒歩5分)
開場 18:30、開会19:00(21:00までの予定)
<対談> 寺脇研さん X 前川喜平さん
(コーディネーター:新聞うずみ火・矢野宏さん)
<報告とアピール> 野党国会議員
大阪府議会議員・石川多枝さん(予定)
<アピールと行動提起> 森友学園問題を考える会
前半は、文部省(文科省)の先輩・後輩にあたるお二人の対談。長年教育行政に携わってきた中で直面した、政治から教育行政への圧力についてお話しいただきます。森友・加計学園問題を「教育行政」という観点から見た時、いったい何が問われているのか、ともに考えましょう!
後半は、野党各党の国会議員から国会報告とアピールのほか、大阪府議会で孤軍奮闘で松井知事・維新の会の責任を追及する石川議員からの報告とアピール(予定)、主催者である森友学園問題を考える会からのアピールと行動提起です。
今回は定員1,300名の大ホールですので、「満員につき入場不可」なんてことは、いくらなんでもないだろうと思っています。ですので、入場整理券等も特に発行しません。良い席を取りたい方は早めにお越しいただいた方が良いと思いますが、席には特にこだわらないのであれば、開会時刻ギリギリにお越しいただいても大丈夫です(だと思います)。
◆ 参加費 500円(学生300円)
◆ 主催:森友学園問題を考える会 TEL/FAX 06-6844-2280
主催者のFacebook
https://www.facebook.com/events/556948708001530/


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でも、安倍改憲が現実味をもつ今だからこそ、護憲派の皆さんにこそ読んでもらいたいと思って書いていることは信じていほしい。
日本国憲法の原文は、GHQから渡された英文だったと言うことは議論の余地がない。
ただ、たとえ押しつけであっても、良いものは良いじゃないか という護憲派の意見には、私も概ね賛成だ。
自民党の改憲案や、安倍ちゃんの改憲案と比べても、月とすっぽん以上に現行憲法の方が良い。
その上で、原文である英文を見ていると、こんな文章がある。
We have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
私が注目したのは trust in というところだ。
この文章を日本語訳(すなわち憲法の前文)でみるとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
ここについては、公正と信義「に」 ではなく 「を」 じゃないか。日本語がおかしい、という議論はよく聞くはなし。たしかに、なんとなく不自然な感じはする。
でも、やはりここは 「を」 ではなく 「に」 なのである。
何故かというと
trust の後に、 in が入っているからだ。
ちょっとややこしいけど、ここは非常に大事ところなので、我慢して読んでみてほしい。
trust という英単語は普通は他動詞なので、in は必要ない。
おまえを信用するよ なんて言うときは
I trust you. てことになる。
じゃあ わざわざ in をつけるのはどういうときかというと、これは米国人なら誰でも知っているあれに書いてある。

IN GOD WE TRUST
倒置法を元に戻すと We Trust in God. である。
つまり、信じる方の主体性にかかわらず、神が正しいとか正しくないとか四の五の言わず、無条件に信じる という場合に使われるのが trust in なのである。
まあ、ちょっと極端な書き方をしているけれども、辞書をひいても、「神を信じる」とか「運を天に任せる」とかいう例文が出ており、意味合いとしては間違っていないはずだ。
さらに昔々勉強した英文法を必死に思い出すと、 この文章は分詞構文という形になっている。
細かい説明を省くと trustingの前にある「、」の、後が原因で、前が結果ということ。
前文の訳では、因果関係が薄められているけれども、「trust in(無条件信頼)するから 安全と生存を保持できるんだよ」っていうこと。
よって、憲法前文のこの部分は、直訳するとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義を無条件に信頼することで、われらの安全と生存を保持しようと決意できました。」
どうだろう、「平和を愛する諸国民」のまえに跪(ひざまづ)いて、決意を述べる WE(日本人)の姿が浮かんでこないだろうか。
■
繰り返すが、私はだからといって、この憲法を自虐だとか屈辱だとか言っているのではない。
そうではなくて、この憲法は、「平和を愛する諸国民」と言われる国々との 契約 だと言うのである。
「平和を愛する諸国民」とはもちろん、日本の侵略の犠牲を被った中国、朝鮮、米国を中心にした第二次大戦の戦勝国を指していることは間違いない。
これらの国々に多大な被害をもたらした挙げ句に、ボロボロにまけた日本に待っているはずだったのは、制裁と賠償で二度と立ち直れない運命 のはずだった。
しかし、日本列島に反共の砦としての利用価値を見いだした米国は、なかなか素敵な妥協策を提示した。それが
We have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
「平和を愛する諸国民の公正と信義を無条件に信頼して跪くならば、安全と生存を保持させてあげるよ。さあ、どうする?」
日本国民は、保守も革新も、こぞってこれに YES! と答えたのである。
おかげさまで、70年以上も戦禍にまみれることなく、今日こうして暮らしていられるのだ。
いくら貧乏暮らしと言っても、世界平均からみたら、十分に贅沢三昧な生活を送っているのである。
これはすべて、1948年に日本国民が
We trust in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
という契約書に判を押したからなのである。
■
ところが、70年もたつと、そんな契約はなかったかのように 本気で改憲をやろうとする安倍晋三のようなのが登場する。
他のことはともかく、この前文と、それを根拠にした9条を触るとなると、契約の当事者は黙っていない。
すくなくとも、米国、中国、韓国、北朝鮮は、「じゃあ 70年前の賠償をやってもらおうか」「70年分の儲けを全部返してもらおう」 という話になる。
戦後レジュームというのは、日本が勝手に決めたものではなく、日本の命乞いを戦勝国が認めたということで成立したものだ。
それを、美味しいとこだけ味わった挙げ句に、一方的に脱却すると宣言して暴走すれば、他方の当事者が黙っていないのは当然と言えば当然。
そんな一方的で独善的な改憲は、日本を孤立させ、最悪のコースに導いてしまうことは火を見るより明らかである。
私は、本質的にはいずれは日本人の力で憲法を作るべきだとは思う。
しかし、そのためには、70年前の契約当事者ともしっかりと交渉をし、理解されるものでなければ実現はできない。
国内ですら、ろくに議論もせずにゴリ押ししてしまおうというような、民主主義の「み」の字すらないような今の日本で、改憲やら自主憲法など、100年早いのである。
とは言え、GHQに作ってもらった憲法を、他国に無条件にひざまずくことと引き替えに平和と生存を保証してもらった憲法を、手放しで持ち上げて金科玉条にしてしまうのも、やはり違うはずだ。
今はしっかりと護りながらも、冷静に分析して、本来のあり方を「自分の頭で」考え、議論することが、本当の民主主義を育てるはずだ。
安倍晋三や、安倍晋三的なるものたちに負けないためにも
Trust in KENPO.
ではダメなのだ。
■■おしらせ
「ゆがめられた政治と教育~森友問題から見えてきたもの」
2018年3月31日(土)
豊中市立文化芸術センター大ホール
(阪急宝塚線「曽根」から徒歩5分)
開場 18:30、開会19:00(21:00までの予定)
<対談> 寺脇研さん X 前川喜平さん
(コーディネーター:新聞うずみ火・矢野宏さん)
<報告とアピール> 野党国会議員
大阪府議会議員・石川多枝さん(予定)
<アピールと行動提起> 森友学園問題を考える会
前半は、文部省(文科省)の先輩・後輩にあたるお二人の対談。長年教育行政に携わってきた中で直面した、政治から教育行政への圧力についてお話しいただきます。森友・加計学園問題を「教育行政」という観点から見た時、いったい何が問われているのか、ともに考えましょう!
後半は、野党各党の国会議員から国会報告とアピールのほか、大阪府議会で孤軍奮闘で松井知事・維新の会の責任を追及する石川議員からの報告とアピール(予定)、主催者である森友学園問題を考える会からのアピールと行動提起です。
今回は定員1,300名の大ホールですので、「満員につき入場不可」なんてことは、いくらなんでもないだろうと思っています。ですので、入場整理券等も特に発行しません。良い席を取りたい方は早めにお越しいただいた方が良いと思いますが、席には特にこだわらないのであれば、開会時刻ギリギリにお越しいただいても大丈夫です(だと思います)。
◆ 参加費 500円(学生300円)
◆ 主催:森友学園問題を考える会 TEL/FAX 06-6844-2280
主催者のFacebook
https://www.facebook.com/events/556948708001530/


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