2021-06-09(Wed)
コロナ禍で新自由主義は終焉などしない。むしろ変異し増殖している。コロナのように。
コロナ感染が始まったかなり早い段階から、一部のリベラルが「コロナ禍で新自由主義は終焉する」とか「グローバリズムは終わる」みたいなことを言っていた。
これは最近の記事だが、例えば立憲民主党のSDGsワーキングチーム座長なる議員は、こんなことを言っている。
「菅政権が『最後の新自由主義政権』になる」
オルタナ 2021年6月9日
「日本でも新自由主義はすでにリーマンショック後に終わったと認識していますが、なかなか議論されませんでした。安倍政権が大学教育の無償化など、リベラルな政策をとっていたこともあります。その後、新型コロナ禍で感染者が増え、所得格差が拡大したことで新自由主義が終わったことが可視化されたのです」
(引用以上)
中途半端なリベラルにありがちな、「敵なんていない」世界観である。
「この世に不正や間違いはあるけれども、敵なんていない」という世界観、価値観をもっているから、このようなお花畑な発言が出てくる。
「富と権力を独占し、有効に行使するために、常に作戦を考えている敵」がいると思えば、リーマンショックで新自由主義が終わったなどと、言えるはずがない。
これまでも何回も書いてきたけれども、新自由主義というのは、単に経済に政治や国家が口を出さず、市場原理に任せっきりにする ということではない。
本当の新自由主義は、「超巨大金融資本が、いかにその資本を増殖させるか」ということに尽きる。
その目的のために、これまでは市場原理主義を取ってきたに過ぎない。
情勢が変われば、同じ目的のために違う手段をとることは言うまでもない。
そして、それもまた、変異し、より感染力を増した新自由主義なのだ。
実際、リーマンショック後に起きたことはなんだったか。
あれほど市場原理主義をふりまわし、国は手を出すなと言っていたにもかかわらず、いざ自分たちが危機に見舞われた途端、「巨額の公的資金(税金)で自分たちを救済しろ」と言い、オバマたちは数百兆円に相当する税金を投じて巨大金融資本を救済した。
これをもって、新自由主義の終焉などと言うのは、ちゃんちゃらおかしい。
こうした、恥も外聞も無く、どのような手段を使っても、自らの増殖をやめない巨大金融資本の姿が、これほどはっきりと見えたときはない。
「これぞ新自由主義だ」というおぞましい場面を目の当たりにして、「やったー終焉だ」と喜ぶ人の気が知れない。
従来型のコロナが変異種にとって変わられたことを見て、「やったーコロナは終わった」と喜ぶようなものだ。
■
たしかに、リーマンショックを契機に、新自由主義は変異を始めていた。
市場原理主義から、国家資本主義的な姿に変貌しつつあった。
ただし、主体は国家ではなく資本のほうである。
巨大資本に完全に乗っ取られた国家。
国家権力を全面的に利用して、資本の増殖を加速していこうとする形態。
オバマのアメリカは典型であり、それに対する反発としてトランプの誕生という番狂わせが勃発したが、そのトランプ政権は新自由主義とリベラル左派の連合に敗れた。
EUの各国もその対応を迫られ、イギリスでは国民投票でブレグジットを選択し、新自由主義へ一矢報いた。
(トランプやブレグジットの評価はともかく、新自由主義に対する反発が大きな原動力であったことは間違いない)
日本に対しても、竹中・小泉の旧来型新自由主義がリーマンショックでつまづいた後、新自由主義は国家私物化の波状攻撃をかけてきた。
しかし、思ったほど唯々諾々とはいかなかった。
リーマンショック当時の首相である麻生太郎は、二階と並んで日本国内資本、ドメスティックな利権を代表している。国民のことなどまったく眼中にないが、国内資本が全面的に国際資本に乗っ取られることに対しては、そう簡単にウンとは言わなかったとみられる。
郵政民営化に対しても、麻生太郎は揺れ戻しの発言をして、竹中路線の修正を図っていた。
そんな麻生を切り捨てて、新自由主義陣営は、政権交代という賭けに出た。
2009年に入って、マスコミが急に民主党に好意的になったのは、裏にこうした事情があったのだろうと、私は推測している。
麻生や二階のような、こってこての利権屋よりも、いわば「シガラミのない」民主党のほうが操りやすいはずだ。
新自由主義とリベラルの連合政権という意味では、今のバイデン政権に近いということだ。
問題は小沢一郎だけだから、小沢を排除せよと陸山会弾圧の猛攻撃をかけてきた。
しかし、小沢一郎は屈服せず、案に反して小沢・鳩山政権ができてしまった。
このとき、小沢一郎をもっとも激しく攻撃し、排除し、無力化したのは、他でもない、枝野幸夫、管直人、野田佳彦ら民主党の執行部だった。
彼らは、すでにして新自由主義陣営にからめとられていたことの証左である。
もちろん、今だってそうだ。
彼らが緊縮財政から一歩も抜け出せないのは、大金持ちに有利な、つまり金の価値が上がり続けるデフレを厳命されているからに他ならない。
積極財政、インフレ策をとれば、自分たちも小沢一郎と同じように大弾圧を食らって吹き飛ばされるとわかっているのだ。
小沢を無力化された鳩山内閣はわずか半年余りで脆くも政権を投げ出し、新自由主義に忠誠を誓った管直人に首をすげ替えることができた。
と、そこでまた予想外の事件が起きた。
2011.3.11、東日本大震災である。
そのほとんどの責任は自民党長期政権にあったにもかかわらず、たまたま巡り合わせで政権にあったという意味では、不運ではあったが、それにしても管直人や野田佳彦は、震災と原発事故の責任をまともにとることができず、あろうことか原発の再稼働を強行し、国民の信用を完全に失ってしまった。
管直人も野田佳彦も、オバマの従僕のように何でも言うことをきく「都合のいい首相」だったけれども、もともと国内利権派とは敵対していたところに、リベラルからも敵視され、一般国民の支持も離れた民主党政権は、「やっぱ使い物にならんわ」と引導を渡された。
そこで、「新自由主義の言うことを聞きながら、国内利権派をも押さえ込める人間」が求められた。
白羽の矢は、かつて政権を投げ出した安倍晋三に突き刺さった。
第1次の時も、まったく同じ構図の中で政権を手にした安倍晋三だったが、あのときはリーマンショック前で新自由主義は妥協の余地無く国内利権を排撃しようとした。
その軋轢の中で、おそらくは3億円脱税疑惑をどちらかの陣営からちらつかされ、進退窮まって泣きながら逃亡した。
しかし今回は、新自由主義は変異している。
あまりに根強い国内利権派を、少々時間をかけてでもねじ伏せて、国際金融資本の好きなように政策を決められる日本を作る、という戦略目標をたてて、長い目で安倍晋三を立てた。
安倍も、それを自覚して、うまく両方の顔を立てながら、綱渡りを続けていった。
人事でも麻生や二階などの国内利権派と、甘利や菅義偉などの新自由主義派を共存させ、政策的にも積極財政とデフレを共存させた。
もとより、国民のことなど初めから考えていないので、こうした無理な共存政策は、一部の大金持ちだけを極端に優遇する政策となり、国民生活は悪化を続けた。
そのトドメとなるはずだったのが、2019年末の消費税増税だったのだが、そのダメージすら見えなくなってしまう大混乱が生じた。
コロナである。
2020年のGDPは、なんとマイナス5%。
リーマンショック級のマイナスだが、マネーが止まっただけではなくて実質の経済活動が毀損しているので、影響ははるかに深刻だ。
逆に、巨大金融資本はほとんど傷ついていない。
この状況で、行き場を失ったマネーは何を考えるだろうか。
ド定番は、大きく価値を毀損した(つまりバーゲンセールの)優良資産を買い漁る。
コロナで不振になった優良企業、優良不動産、貴重な技術、優秀な人材 などなど。
そのためには、コロナ恐慌を劇的に深刻化させる必要がある。
休業補償をしない、感染対策はいい加減に、財政支出も緊縮、消費税減税は問題外。
一方で、そうした強引な買い漁りをやりやすくするためにも、国の強制権を強くする必要がある。
改憲して非常事態条項を作るのは時間がかかるから、コロナの恐怖を煽って特措法的な対応でやってしまえ。
安倍晋三は、その意味でも中途半端だった。
企業への持続化給付金や一人10万円の給付は行った一方で、改憲を声高に叫んでみたりした。
千載一遇のチャンスに沸き立つ新自由主義からすれば、イライラすることだったろう。
で、サクラを見る会である。
マスコミが自主的に、安倍晋三をあそこまで追い込むとは考えられない。
また、森友や加計で平然としていた安倍晋三が、サクラ程度で退陣したのは、新自由主義サイドから引導を渡されたのだろう。
■
そんなこんなで、新自由主義はまったく終焉していないどころか、繰り返し波状攻撃をかけてきている。
それに対して、リベラルはむしろ協調的に対応し、ズブズブの国内利権派がしぶとく対立しているというのが、これまでの構図だ。
菅政権も、まさにそうした過程で生まれたといえる。
竹中平蔵と師弟の絆で結ばれ、新自由主義の思想が強い菅義偉を、二階と麻生が真っ先に担いでしまったのだから、これはかなり離れ業だった。
菅義偉もまた、新自由主義=巨大国際金融資本と、国内利権との板挟みになる運命を負わされたのである。
しかし、菅のやりかたを見ていると、あきらかに新自由主義のほうに寄っているようだ。
権力基盤である二階や麻生には逆らえないものの、二階と麻生の乖離を図ったり、得意の首相官邸のゲシュタポ(内閣調査室)を駆使して、思い通りにやれる方向に進もうともがいている。
安倍時代よりも、補償や給付金は出さないし、補正予算も組まない。
一方で、オリンピックにだけ極端に力を入れ、感染対策はいい加減の極み。
菅の狙いは、ワクチンが行き渡る前の秋に感染爆発させて国内にショック状態を作り、一種の戒厳令の中で総選挙を行って辛勝し、中小企業はバタバタと倒産させ、私有財産や個人の自由を一方的に制限できるように特措法を成立させる。
オリンピックを強行すれば、パラリンピックの最中に感染拡大が明らかになるだろうから、パラ閉会後の9月6日に緊急事態宣言と衆議院解散を同時に宣言するのではないか。
「8月東京で再宣言の恐れ」 ワクチン接種進んでも、と専門家
共同通信社 2021/06/09
緊急事態宣言下で、地盤看板の弱い野党の選挙活動を制限し、固定票で辛勝するというシナリオではないか。
JCなどに「選挙運動自粛警察」を組織させ、野党の活動を妨害する、などということもやりかねない。
このように、コロナを利用し、一国の首相を使嗾して(パシリにして)、自らの資本の増殖を図るのが、「新」新自由主義だ。
ゆめ侮るなかれ。

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これは最近の記事だが、例えば立憲民主党のSDGsワーキングチーム座長なる議員は、こんなことを言っている。
「菅政権が『最後の新自由主義政権』になる」
オルタナ 2021年6月9日
「日本でも新自由主義はすでにリーマンショック後に終わったと認識していますが、なかなか議論されませんでした。安倍政権が大学教育の無償化など、リベラルな政策をとっていたこともあります。その後、新型コロナ禍で感染者が増え、所得格差が拡大したことで新自由主義が終わったことが可視化されたのです」
(引用以上)
中途半端なリベラルにありがちな、「敵なんていない」世界観である。
「この世に不正や間違いはあるけれども、敵なんていない」という世界観、価値観をもっているから、このようなお花畑な発言が出てくる。
「富と権力を独占し、有効に行使するために、常に作戦を考えている敵」がいると思えば、リーマンショックで新自由主義が終わったなどと、言えるはずがない。
これまでも何回も書いてきたけれども、新自由主義というのは、単に経済に政治や国家が口を出さず、市場原理に任せっきりにする ということではない。
本当の新自由主義は、「超巨大金融資本が、いかにその資本を増殖させるか」ということに尽きる。
その目的のために、これまでは市場原理主義を取ってきたに過ぎない。
情勢が変われば、同じ目的のために違う手段をとることは言うまでもない。
そして、それもまた、変異し、より感染力を増した新自由主義なのだ。
実際、リーマンショック後に起きたことはなんだったか。
あれほど市場原理主義をふりまわし、国は手を出すなと言っていたにもかかわらず、いざ自分たちが危機に見舞われた途端、「巨額の公的資金(税金)で自分たちを救済しろ」と言い、オバマたちは数百兆円に相当する税金を投じて巨大金融資本を救済した。
これをもって、新自由主義の終焉などと言うのは、ちゃんちゃらおかしい。
こうした、恥も外聞も無く、どのような手段を使っても、自らの増殖をやめない巨大金融資本の姿が、これほどはっきりと見えたときはない。
「これぞ新自由主義だ」というおぞましい場面を目の当たりにして、「やったー終焉だ」と喜ぶ人の気が知れない。
従来型のコロナが変異種にとって変わられたことを見て、「やったーコロナは終わった」と喜ぶようなものだ。
■
たしかに、リーマンショックを契機に、新自由主義は変異を始めていた。
市場原理主義から、国家資本主義的な姿に変貌しつつあった。
ただし、主体は国家ではなく資本のほうである。
巨大資本に完全に乗っ取られた国家。
国家権力を全面的に利用して、資本の増殖を加速していこうとする形態。
オバマのアメリカは典型であり、それに対する反発としてトランプの誕生という番狂わせが勃発したが、そのトランプ政権は新自由主義とリベラル左派の連合に敗れた。
EUの各国もその対応を迫られ、イギリスでは国民投票でブレグジットを選択し、新自由主義へ一矢報いた。
(トランプやブレグジットの評価はともかく、新自由主義に対する反発が大きな原動力であったことは間違いない)
日本に対しても、竹中・小泉の旧来型新自由主義がリーマンショックでつまづいた後、新自由主義は国家私物化の波状攻撃をかけてきた。
しかし、思ったほど唯々諾々とはいかなかった。
リーマンショック当時の首相である麻生太郎は、二階と並んで日本国内資本、ドメスティックな利権を代表している。国民のことなどまったく眼中にないが、国内資本が全面的に国際資本に乗っ取られることに対しては、そう簡単にウンとは言わなかったとみられる。
郵政民営化に対しても、麻生太郎は揺れ戻しの発言をして、竹中路線の修正を図っていた。
そんな麻生を切り捨てて、新自由主義陣営は、政権交代という賭けに出た。
2009年に入って、マスコミが急に民主党に好意的になったのは、裏にこうした事情があったのだろうと、私は推測している。
麻生や二階のような、こってこての利権屋よりも、いわば「シガラミのない」民主党のほうが操りやすいはずだ。
新自由主義とリベラルの連合政権という意味では、今のバイデン政権に近いということだ。
問題は小沢一郎だけだから、小沢を排除せよと陸山会弾圧の猛攻撃をかけてきた。
しかし、小沢一郎は屈服せず、案に反して小沢・鳩山政権ができてしまった。
このとき、小沢一郎をもっとも激しく攻撃し、排除し、無力化したのは、他でもない、枝野幸夫、管直人、野田佳彦ら民主党の執行部だった。
彼らは、すでにして新自由主義陣営にからめとられていたことの証左である。
もちろん、今だってそうだ。
彼らが緊縮財政から一歩も抜け出せないのは、大金持ちに有利な、つまり金の価値が上がり続けるデフレを厳命されているからに他ならない。
積極財政、インフレ策をとれば、自分たちも小沢一郎と同じように大弾圧を食らって吹き飛ばされるとわかっているのだ。
小沢を無力化された鳩山内閣はわずか半年余りで脆くも政権を投げ出し、新自由主義に忠誠を誓った管直人に首をすげ替えることができた。
と、そこでまた予想外の事件が起きた。
2011.3.11、東日本大震災である。
そのほとんどの責任は自民党長期政権にあったにもかかわらず、たまたま巡り合わせで政権にあったという意味では、不運ではあったが、それにしても管直人や野田佳彦は、震災と原発事故の責任をまともにとることができず、あろうことか原発の再稼働を強行し、国民の信用を完全に失ってしまった。
管直人も野田佳彦も、オバマの従僕のように何でも言うことをきく「都合のいい首相」だったけれども、もともと国内利権派とは敵対していたところに、リベラルからも敵視され、一般国民の支持も離れた民主党政権は、「やっぱ使い物にならんわ」と引導を渡された。
そこで、「新自由主義の言うことを聞きながら、国内利権派をも押さえ込める人間」が求められた。
白羽の矢は、かつて政権を投げ出した安倍晋三に突き刺さった。
第1次の時も、まったく同じ構図の中で政権を手にした安倍晋三だったが、あのときはリーマンショック前で新自由主義は妥協の余地無く国内利権を排撃しようとした。
その軋轢の中で、おそらくは3億円脱税疑惑をどちらかの陣営からちらつかされ、進退窮まって泣きながら逃亡した。
しかし今回は、新自由主義は変異している。
あまりに根強い国内利権派を、少々時間をかけてでもねじ伏せて、国際金融資本の好きなように政策を決められる日本を作る、という戦略目標をたてて、長い目で安倍晋三を立てた。
安倍も、それを自覚して、うまく両方の顔を立てながら、綱渡りを続けていった。
人事でも麻生や二階などの国内利権派と、甘利や菅義偉などの新自由主義派を共存させ、政策的にも積極財政とデフレを共存させた。
もとより、国民のことなど初めから考えていないので、こうした無理な共存政策は、一部の大金持ちだけを極端に優遇する政策となり、国民生活は悪化を続けた。
そのトドメとなるはずだったのが、2019年末の消費税増税だったのだが、そのダメージすら見えなくなってしまう大混乱が生じた。
コロナである。
2020年のGDPは、なんとマイナス5%。
リーマンショック級のマイナスだが、マネーが止まっただけではなくて実質の経済活動が毀損しているので、影響ははるかに深刻だ。
逆に、巨大金融資本はほとんど傷ついていない。
この状況で、行き場を失ったマネーは何を考えるだろうか。
ド定番は、大きく価値を毀損した(つまりバーゲンセールの)優良資産を買い漁る。
コロナで不振になった優良企業、優良不動産、貴重な技術、優秀な人材 などなど。
そのためには、コロナ恐慌を劇的に深刻化させる必要がある。
休業補償をしない、感染対策はいい加減に、財政支出も緊縮、消費税減税は問題外。
一方で、そうした強引な買い漁りをやりやすくするためにも、国の強制権を強くする必要がある。
改憲して非常事態条項を作るのは時間がかかるから、コロナの恐怖を煽って特措法的な対応でやってしまえ。
安倍晋三は、その意味でも中途半端だった。
企業への持続化給付金や一人10万円の給付は行った一方で、改憲を声高に叫んでみたりした。
千載一遇のチャンスに沸き立つ新自由主義からすれば、イライラすることだったろう。
で、サクラを見る会である。
マスコミが自主的に、安倍晋三をあそこまで追い込むとは考えられない。
また、森友や加計で平然としていた安倍晋三が、サクラ程度で退陣したのは、新自由主義サイドから引導を渡されたのだろう。
■
そんなこんなで、新自由主義はまったく終焉していないどころか、繰り返し波状攻撃をかけてきている。
それに対して、リベラルはむしろ協調的に対応し、ズブズブの国内利権派がしぶとく対立しているというのが、これまでの構図だ。

竹中平蔵と師弟の絆で結ばれ、新自由主義の思想が強い菅義偉を、二階と麻生が真っ先に担いでしまったのだから、これはかなり離れ業だった。
菅義偉もまた、新自由主義=巨大国際金融資本と、国内利権との板挟みになる運命を負わされたのである。
しかし、菅のやりかたを見ていると、あきらかに新自由主義のほうに寄っているようだ。
権力基盤である二階や麻生には逆らえないものの、二階と麻生の乖離を図ったり、得意の首相官邸のゲシュタポ(内閣調査室)を駆使して、思い通りにやれる方向に進もうともがいている。
安倍時代よりも、補償や給付金は出さないし、補正予算も組まない。
一方で、オリンピックにだけ極端に力を入れ、感染対策はいい加減の極み。
菅の狙いは、ワクチンが行き渡る前の秋に感染爆発させて国内にショック状態を作り、一種の戒厳令の中で総選挙を行って辛勝し、中小企業はバタバタと倒産させ、私有財産や個人の自由を一方的に制限できるように特措法を成立させる。
オリンピックを強行すれば、パラリンピックの最中に感染拡大が明らかになるだろうから、パラ閉会後の9月6日に緊急事態宣言と衆議院解散を同時に宣言するのではないか。
「8月東京で再宣言の恐れ」 ワクチン接種進んでも、と専門家
共同通信社 2021/06/09
緊急事態宣言下で、地盤看板の弱い野党の選挙活動を制限し、固定票で辛勝するというシナリオではないか。
JCなどに「選挙運動自粛警察」を組織させ、野党の活動を妨害する、などということもやりかねない。
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