2021-10-01(Fri)
【家づくり】のネタも時々書きます
このブログを書き始めてからおよそ18年。この記事が1862本目。自分でもびっくりです。
その中で、カテゴリーが「家づくり」の記事は今回を含めてわずかに62本。反戦な家づくり なのに。
ちなみに、私が独立して自分の事務所を始めてからは16年半。その間に、数十件の家を設計させてもらいました。
そのすべてが反戦や平和のために役に立ったのかどうかは自信がありませんが、少なくとも色んな思いを込めて全力でやってきたことは間違いありません。
実は私は今年で還暦となりました。(ぜんぜん実感ないけど、いまだに)
そんなこともあり、これまでの家づくりを振り返って、何を考えて、何をやってきたのか、ちょっと書いてみたくなりました。
プロットがあるわけではなく、当時の工事写真などを見ながら、思い出すことを徒然に書いていきます。
このブログで書こうか、別のブログを立ち上げようか迷いましたが、最初は「反戦」と「家づくり」は50:50のつもりで始めたブログだったので、初心に戻ってここで書くことにしました。
ただ、そっちの方面は興味ないよ、と言う方はタイトルの頭に【家づくり】と書いてある記事は読み飛ばしてください。
(ほんとは、ぜひ読んでほしい・・)
■梼原町の木で家を作っていた頃
16年前に事務所を始めたころは、主に高知県梼原(ゆすはら)町の木で家を作っていました。
梼原町は四万十川の源流域のひとつで、背景には四国カルストが控え、石灰岩を通ったきれいな水が流れ出してくるとことです。
2006年には隈研吾氏の設計でかなり風変わりな町役場を建て、当時の町長が環境配慮を町の売りものにする向性をがーんと打ち出したので、その手のことに興味のある方は梼原の名前をご存じかもしれません。
私が行き始めたきっかけは、話せば長くなるのでちょっとおいといて、当時、国産材で家を作っている人たちの間で梼原が有名になったのはFSCという森林認証を、森林組合としては日本で初めてとったからです。持続可能な森林経営 といううたい文句です。
こうした特徴は、その当時の田舎の町や森林組合では、ホントに珍しかったのです。つまり、マーケティングを意識している森林組合は、ほとんど唯一といっても過言ではなかったと思います。
なぜか最近はあまり言われなくなりましたが、当時は「日本の森林が危ない」「間伐材が売れないと経営も成りたたないし、土砂崩れをおこす」「だから日本の木を使おう」てなことが、テレビでも盛んに言われていました。
今は、ある意味もっと深刻なんですが、いろいろ大人の事情で、さっぱり報道されません。
それは兎も角、「日本の木を使おう」の大合唱に乗せられて、実際に森林組合を訪ねると、思いっきり肩すかしにあいます。
ボク「木を売ってください」
森林組合のおじいさん「なんでおまえに売らなあかん」
てな調子です。ほんとに。
そこまでひどくなくても、
森林組合のオジサン「よっしゃ 売ったるわ」
ボク「ほな これだけ必要なので、用意してください(と明細を渡す)」
森組 「柱しか用意できん」
ボク「え 梁とかはどうしたらいいんですか」
森組 「知らん」
とか
森林組合のお兄さん 「木は売ったるで」
ボク 「では 柱がこんだけで、梁が・・・」
森組 「木は売るけど丸太やで。製材は自分でしいや。」
まあ、会話はちょっと盛ってますけど、だいたいこんな感じがスタンダード。
山から切り出した丸太を選別し、四角く製材して、乾燥窯で乾燥させ、最後に寸法を通りにプレーナー(電動カンナ)で加工する。
輸入材だったら電話一本で済む話が、国産材では奇跡に近い話だったのです。
(もうひと工程、プレカットというのがあるのですが、今回は省略)
最初はほんと、目が点になってぽかーんでした。
でも、梼原町の森林組合は違いました。
先に書いた一貫生産を行い、家一軒分の木材をちゃんとそろえて、なんとびっくり(笑)、納期通りに届けてくれるのです。
さすがに電話一本で倉庫にある木材を届けるというわけにはいきませんが、数週間前に注文しておけば、建築現場に届くのです。
こんな当たり前のことに感動するのですから、国産材が売れないのも無理はないよなあと、つくづく実感しました。
こうした当たり前の体制を整えた上で、環境配慮を謳ってFSC認証もとっていたのです。
べつにFSCだから木がいいわけではないですが、そういうところまでマーケットに心配りしていたと言う意味では、普通の商売では普通のことでも、国産材業界ではスーパースターでした。
そんな梼原町でしたが、唯一の泣き所が、 めっちゃ遠い ということです。
道がガラガラでもノンストップで5時間半くらいかかります。休憩しながらだと、7~8時間かかるのです。さすが秘境。
その当時、私はお施主さんを木を切る山まで行ってもらうようにしていました。そこで8時間はものすごいネックだったのです。
そんなこともあり、また、他の産地との縁が生まれたりして、梼原町とのお付き合いは2008年までとなりました。
ちょうどすれ違いで、梼原町は環境の町として名を馳せていきました。
こんな梼原町の木で作った家については、また次の記事で詳しくお話ししようと思います。
■■■■
一転して政治の話です。
岸田さん、ひょっとして自ら下野するつもりなんでしょうか。
甘利幹事長、高木国対委員長、小渕組織運動本部長、、、もう疑惑の叩き売り状態です。
しかも麻生副総裁に高市政調会長ですから、3A政権とか、第4次安倍政権とか言われて、自民党内でもしらけムードのようです。
普通だったら、選挙用の臨時内閣にして、とにかく人気のある顔を並べ、ご祝儀相場を盛り上げるはずです。
それなのに ああそれなのに それなのに。こんな人事をやらかすとは。
ひょっとすると、河野洋平、谷垣禎一の跡を継ぐつもりなのかな と言う気がしてなりません。
まあ、何を考えているのかさっぱり分からない人なので、なんとも言えませんが、若い頃は加藤の乱に血判状押してはせ参じたこともあるそうで、何か考えてるような。。。。 どうだろう。。。

その中で、カテゴリーが「家づくり」の記事は今回を含めてわずかに62本。反戦な家づくり なのに。
ちなみに、私が独立して自分の事務所を始めてからは16年半。その間に、数十件の家を設計させてもらいました。
そのすべてが反戦や平和のために役に立ったのかどうかは自信がありませんが、少なくとも色んな思いを込めて全力でやってきたことは間違いありません。
実は私は今年で還暦となりました。(ぜんぜん実感ないけど、いまだに)
そんなこともあり、これまでの家づくりを振り返って、何を考えて、何をやってきたのか、ちょっと書いてみたくなりました。
プロットがあるわけではなく、当時の工事写真などを見ながら、思い出すことを徒然に書いていきます。
このブログで書こうか、別のブログを立ち上げようか迷いましたが、最初は「反戦」と「家づくり」は50:50のつもりで始めたブログだったので、初心に戻ってここで書くことにしました。
ただ、そっちの方面は興味ないよ、と言う方はタイトルの頭に【家づくり】と書いてある記事は読み飛ばしてください。
(ほんとは、ぜひ読んでほしい・・)
■梼原町の木で家を作っていた頃
16年前に事務所を始めたころは、主に高知県梼原(ゆすはら)町の木で家を作っていました。
梼原町は四万十川の源流域のひとつで、背景には四国カルストが控え、石灰岩を通ったきれいな水が流れ出してくるとことです。
2006年には隈研吾氏の設計でかなり風変わりな町役場を建て、当時の町長が環境配慮を町の売りものにする向性をがーんと打ち出したので、その手のことに興味のある方は梼原の名前をご存じかもしれません。

こうした特徴は、その当時の田舎の町や森林組合では、ホントに珍しかったのです。つまり、マーケティングを意識している森林組合は、ほとんど唯一といっても過言ではなかったと思います。
なぜか最近はあまり言われなくなりましたが、当時は「日本の森林が危ない」「間伐材が売れないと経営も成りたたないし、土砂崩れをおこす」「だから日本の木を使おう」てなことが、テレビでも盛んに言われていました。
今は、ある意味もっと深刻なんですが、いろいろ大人の事情で、さっぱり報道されません。
それは兎も角、「日本の木を使おう」の大合唱に乗せられて、実際に森林組合を訪ねると、思いっきり肩すかしにあいます。
ボク「木を売ってください」
森林組合のおじいさん「なんでおまえに売らなあかん」
てな調子です。ほんとに。
そこまでひどくなくても、
森林組合のオジサン「よっしゃ 売ったるわ」
ボク「ほな これだけ必要なので、用意してください(と明細を渡す)」
森組 「柱しか用意できん」
ボク「え 梁とかはどうしたらいいんですか」
森組 「知らん」
とか
森林組合のお兄さん 「木は売ったるで」
ボク 「では 柱がこんだけで、梁が・・・」
森組 「木は売るけど丸太やで。製材は自分でしいや。」
まあ、会話はちょっと盛ってますけど、だいたいこんな感じがスタンダード。
山から切り出した丸太を選別し、四角く製材して、乾燥窯で乾燥させ、最後に寸法を通りにプレーナー(電動カンナ)で加工する。
輸入材だったら電話一本で済む話が、国産材では奇跡に近い話だったのです。
(もうひと工程、プレカットというのがあるのですが、今回は省略)
最初はほんと、目が点になってぽかーんでした。
でも、梼原町の森林組合は違いました。
先に書いた一貫生産を行い、家一軒分の木材をちゃんとそろえて、なんとびっくり(笑)、納期通りに届けてくれるのです。
さすがに電話一本で倉庫にある木材を届けるというわけにはいきませんが、数週間前に注文しておけば、建築現場に届くのです。
こんな当たり前のことに感動するのですから、国産材が売れないのも無理はないよなあと、つくづく実感しました。
こうした当たり前の体制を整えた上で、環境配慮を謳ってFSC認証もとっていたのです。
べつにFSCだから木がいいわけではないですが、そういうところまでマーケットに心配りしていたと言う意味では、普通の商売では普通のことでも、国産材業界ではスーパースターでした。
そんな梼原町でしたが、唯一の泣き所が、 めっちゃ遠い ということです。
道がガラガラでもノンストップで5時間半くらいかかります。休憩しながらだと、7~8時間かかるのです。さすが秘境。
その当時、私はお施主さんを木を切る山まで行ってもらうようにしていました。そこで8時間はものすごいネックだったのです。
そんなこともあり、また、他の産地との縁が生まれたりして、梼原町とのお付き合いは2008年までとなりました。
ちょうどすれ違いで、梼原町は環境の町として名を馳せていきました。
こんな梼原町の木で作った家については、また次の記事で詳しくお話ししようと思います。
■■■■
一転して政治の話です。
岸田さん、ひょっとして自ら下野するつもりなんでしょうか。
甘利幹事長、高木国対委員長、小渕組織運動本部長、、、もう疑惑の叩き売り状態です。
しかも麻生副総裁に高市政調会長ですから、3A政権とか、第4次安倍政権とか言われて、自民党内でもしらけムードのようです。
普通だったら、選挙用の臨時内閣にして、とにかく人気のある顔を並べ、ご祝儀相場を盛り上げるはずです。
それなのに ああそれなのに それなのに。こんな人事をやらかすとは。
ひょっとすると、河野洋平、谷垣禎一の跡を継ぐつもりなのかな と言う気がしてなりません。
まあ、何を考えているのかさっぱり分からない人なので、なんとも言えませんが、若い頃は加藤の乱に血判状押してはせ参じたこともあるそうで、何か考えてるような。。。。 どうだろう。。。

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