2005-10-13(Thu)
平原綾香・ジュピターに思う

ファシズムへの転換点は1973年だった。
1999年でもなく、2005年でもない。
なぜならば、ファシズムというのは、民衆の絶望感とそれ故の思考停止が一番の特徴だからだ。反動政治家やアホな政治家は幾らでもいる。それを思考停止に支持するようになった下地は、いつできてしまったのか、ということだ。
1973年は、私、明月は12歳。子どもとは言え、浅間山荘事件はリアルタイムでテレビを見ていた。 結構ハッキリと覚えている。 ただ、この事件を軸にして、日本中におきていたことは何も知らなかった。
何度も書いているが、この時「真理は少数にあり」と言ったのは羽仁五郎師だ。他に誰がどうコメントしたかは知らないが、ほとんどのサヨク的な識者は内ゲバ反対、過激派反対になってゆく。
もうこの時点で、ファシズムまでは時間の問題だったのだ。なぜなら、22年後の「オウムに対しては何をしてもいいんだ」という思考停止状態と、まったく同じ構造だからだ。
要するに、何かの悪いところを徹底的に突きまくり、そいつらには何をしても良いんだ とする思考停止状態。
この世に「良いもの」などあれば教えて欲しいくらいで、悪い部分には事欠かない。自らの悪には徹底的に寛大で、というか、自らの悪を自省する苦しさから逃れるために、他の悪を突きまくる。そして、法律も、民主主義も、人権も、まったくお構いなしに責め立てる。
この現在のファシズムの構造は、繰り返すが、昨日今日できたものではない。 1973年以降の、いわゆるシラケの時代にできたものだ。
シラケとは、正確には絶望であり敗北感だ。 ひとは、絶望や敗北感をいつまでも抱き続けていられるほど強くない。 だから、全共闘世代は、自らの記憶を追い隠すように企業戦士となってゆく。
しかし、10年遅れの私に言わせれば、そんなことくらいで、いちいち絶望するなよ、と言いたい。 当時はまだ、絶望しても食っていける結構な時代だった。 けれども、これからは違う。 絶望したものは、ファシストとして自らを誤魔化し続けるか、うつ病になるか、自殺をするか、という選択を迫られる。 現に迫られている。
今からでもいい。 一筋の希望を取り戻そう。 真っ赤な太陽のような、大きなゴールゲートのような、そんな希望を期待してはいけない。希望なんて、たとえあったとしても明け方の空の新月の光。有るか無しかの仄かな光なのだ。
平原綾香のジュピターに、こんなフレーズがある。「夢を失うよりも、悲しいことは、自分を信じてあげられないこと」
政治も何にも関係なさそうな19歳の女の子が、こういう覚悟で生きている時代なんだ。 いい年こいたもんが、絶望だなんて簡単に言ってはいられない。
(作詞は別の人になっているが、ほぼ自分の作詞だとラジオで言っていた)
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