2006-12-26(Tue)
安倍晋三に問う 戦争の是非を言明せよ
否応なく安倍晋三という人間が首相であるからには,一つ絶対に言明させなくてはならない。
60年前に祖父・岸信介をも指導者の一人として遂行された日本の戦争は,間違っていたのか,正しかったのか。
戦争責任とか何とか言う前に,安倍晋三の頭の中では,「日本のやった戦争は正しかった」と考えているはずだ。
200万の日本人を死なしめ,2000万の他国民を殺したあの戦争。国体(テンノウセイ)の発揚のために行われたあの戦争。大東亜共栄圏(ウツクシイクニ)と称して,搾取と虐殺を尽くしたあの戦争を,安倍晋三は心の中で「いいこと」と考えているにちがいない。
だから,それを言明させるべきだ。歴史家の仕事とか何とかいう戯言に誤魔化されてはいけない。本音がでればそれはそれで良い。さすがのマスゴミも,ここまで言えば黙ってはいられないだろう。自民党や公明党の中でも,付いていけない層が多くなるはずだ。今度こそは,中国や韓国に言われなくても,さすがの日本人も安倍の正体に気が付くだろう。
逆に,心にもなく「間違っていました」と言うのならば,重大な言質を取ったことになる。安倍の存在の根元は,戦争責任の否定だからだ。本来は「間違っていました」とは,口が裂けても言えないはずだ。これを言ってしまった安倍晋三は,お払い箱になる可能性大である。
注意するべきは,結果が良かったか悪かったかではない。「敗戦という結果が悪かった」とは,誰でもが言う。靖国でA級戦犯に手を合わせたコイズミも言うし,天皇でも言う。
「時がたつにつれて増加する一方の戦後世代にとって、戦没者を追悼するということは、祖先が血を流した戦争と、その生きてきた社会を理解する上でプラスになることだろう」
「戦争と、戦争がもたらした惨状を直接知らない今の世代が、戦争や戦没者に関する事実を正しく受け止め、過去にわれわれが経験したようなことが2度と繰り返されないことを切に願う」
という今の天皇が誕生日に言った言葉は,一見戦争の反省のように見えるが,実は,敗戦は二度と繰り返さない=勝てばいい ともとれる。実際,韓国などでは,天皇の靖国参拝の下準備ではと言う見方もされている。
戦死者の上に今日がある,という見方は,全てこうした考えなのである。戦死者は,戦後の社会のために死んだのではない。国体護持=天皇のために死なされたのだ。
であるならば,「その死のおかげで今日がある」という時の「今日」とは何か。
それは,戦争に負けたけれども,天皇制は生き残り,多くの戦争責任者が復活し,政財界を牛耳ることができたことに他ならない。
天皇制が存続し,岸信介などという戦犯すら逃れたものが首相になり,その戦犯逃れの岸信介を尊敬する孫までが首相になっていること。これが,戦没者を尊崇するものたちの「今日」なのである。
客観的に考えてみれば分かることだが,1年しか持たない装備で,4年半も戦争をし続けた兵士の苦労は並ならぬものがあったはずだ。その狂信的な行動が,アメリカをして天皇制を廃止することを躊躇わせた。
また,この年月がソ連の参戦を促し,ひいては冷戦構造のなかで,日本は反共の砦とされ,岸信介らが復活していく。
事実,瀬島龍三ら関東軍参謀はソ連への降伏にあたり,むしろソ連に協力し,アメリカとの対立を煽るよう動いている。
また,岸も巣鴨プリズンの中で,米ソ冷戦の緊張が高まり世界が危機に直面していく様を,自分が釈放される可能性として喜々として見守っている。
靖国神社に参拝する連中は,本当はそういうことを喜び手を合わせているのだ。
だから,安倍晋三には,敗戦が正しかったかどうかではなく,戦争をしたこと自体が正しかったのか,間違っていたのか,言明させなくてはいけない。
もし,このブログを見ている国会議員の方がおられたら,昨日の記事とともに,ぜひぜひ来年の国会での追求に使っていただきたい。
60年前に祖父・岸信介をも指導者の一人として遂行された日本の戦争は,間違っていたのか,正しかったのか。
戦争責任とか何とか言う前に,安倍晋三の頭の中では,「日本のやった戦争は正しかった」と考えているはずだ。
200万の日本人を死なしめ,2000万の他国民を殺したあの戦争。国体(テンノウセイ)の発揚のために行われたあの戦争。大東亜共栄圏(ウツクシイクニ)と称して,搾取と虐殺を尽くしたあの戦争を,安倍晋三は心の中で「いいこと」と考えているにちがいない。
だから,それを言明させるべきだ。歴史家の仕事とか何とかいう戯言に誤魔化されてはいけない。本音がでればそれはそれで良い。さすがのマスゴミも,ここまで言えば黙ってはいられないだろう。自民党や公明党の中でも,付いていけない層が多くなるはずだ。今度こそは,中国や韓国に言われなくても,さすがの日本人も安倍の正体に気が付くだろう。
逆に,心にもなく「間違っていました」と言うのならば,重大な言質を取ったことになる。安倍の存在の根元は,戦争責任の否定だからだ。本来は「間違っていました」とは,口が裂けても言えないはずだ。これを言ってしまった安倍晋三は,お払い箱になる可能性大である。
注意するべきは,結果が良かったか悪かったかではない。「敗戦という結果が悪かった」とは,誰でもが言う。靖国でA級戦犯に手を合わせたコイズミも言うし,天皇でも言う。
「時がたつにつれて増加する一方の戦後世代にとって、戦没者を追悼するということは、祖先が血を流した戦争と、その生きてきた社会を理解する上でプラスになることだろう」
「戦争と、戦争がもたらした惨状を直接知らない今の世代が、戦争や戦没者に関する事実を正しく受け止め、過去にわれわれが経験したようなことが2度と繰り返されないことを切に願う」
という今の天皇が誕生日に言った言葉は,一見戦争の反省のように見えるが,実は,敗戦は二度と繰り返さない=勝てばいい ともとれる。実際,韓国などでは,天皇の靖国参拝の下準備ではと言う見方もされている。
戦死者の上に今日がある,という見方は,全てこうした考えなのである。戦死者は,戦後の社会のために死んだのではない。国体護持=天皇のために死なされたのだ。
であるならば,「その死のおかげで今日がある」という時の「今日」とは何か。
それは,戦争に負けたけれども,天皇制は生き残り,多くの戦争責任者が復活し,政財界を牛耳ることができたことに他ならない。
天皇制が存続し,岸信介などという戦犯すら逃れたものが首相になり,その戦犯逃れの岸信介を尊敬する孫までが首相になっていること。これが,戦没者を尊崇するものたちの「今日」なのである。
客観的に考えてみれば分かることだが,1年しか持たない装備で,4年半も戦争をし続けた兵士の苦労は並ならぬものがあったはずだ。その狂信的な行動が,アメリカをして天皇制を廃止することを躊躇わせた。
また,この年月がソ連の参戦を促し,ひいては冷戦構造のなかで,日本は反共の砦とされ,岸信介らが復活していく。
事実,瀬島龍三ら関東軍参謀はソ連への降伏にあたり,むしろソ連に協力し,アメリカとの対立を煽るよう動いている。
また,岸も巣鴨プリズンの中で,米ソ冷戦の緊張が高まり世界が危機に直面していく様を,自分が釈放される可能性として喜々として見守っている。
靖国神社に参拝する連中は,本当はそういうことを喜び手を合わせているのだ。
だから,安倍晋三には,敗戦が正しかったかどうかではなく,戦争をしたこと自体が正しかったのか,間違っていたのか,言明させなくてはいけない。
もし,このブログを見ている国会議員の方がおられたら,昨日の記事とともに,ぜひぜひ来年の国会での追求に使っていただきたい。
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