2007-08-16(Thu)
靖國神社の意味とは
世界を見渡して、どの国がいい国で、どの国が悪い国、なんてことはあり得ない。それは、日本についてもそうであって、悪いことはいくらでもあるけれども、日本が悪い国だという決めつけは、確かにできないだろう。
しかし、これだけは言える。日本という国、あるいは国民は、省みることをしない。あるいは、できない。
たとえば、自民党の大票田である日本遺族会のホームページを見てみよう。巨大な圧力団体である割に、更新がほとんどされていないのは兎も角として、隅から隅まで眺めてみても、戦争への反省は一言半句も見られない。
遺族会の設立主旨である「戦没者遺族にたいする冷遇を是正したい。」という、被害者のメンタリティーに貫かれている。
それならば、原爆で焼け死んだ人たちも、沖縄で日本軍にすら見捨てられて殺された人たちも、「満州」で関東軍に置いてきぼりにされて亡くなった人たちも、同じく遺族としての冷遇を是正するべきであろうが、そういう視点は皆無であり、旧日本軍の将兵だけが、悲劇のヒーローなのである。
ましてや、彼らが殺した「敵国」の軍民は、まるっきり視野からも記憶からも消滅している。
と、同時に、最大の「敵国」であったアメリカへの視点も、全くない。恨みも感謝もない。完全に欠落している。
靖国神社を崇敬する人々に、共通してみられるのが、この「自分たちだけが被害者」意識のようだ。
「敵国」に限らず、自分とは立場の違うものを、狂信的なまでに視野から消し去るという精神構造は、しかし、容易に人に利用されるという面もある。
客観的な判断がないということは、目の前の利害が一致していれば、誰にでもだまされるということだ。
つまり、「自分の夫や父が、戦争で人を殺したという罪を認めたくない」という、ある意味当然の遺族の心情を利用し、むしろ逆に「尊い英霊」として持ち上げて、さらに、選別的に遺族年金やなんやでお金もつぎ込んで組織したのが、日本遺族会だという見方もできる。
■
言いたいのは、日本遺族会の悪口ではない。ここに見られる精神構造が、戦後の日本を象徴している、ということだ。
責任を問われたくない、反省をしたくない、過去の都合の悪い部分はデリートしてしてしまいたい。
これが、戦後の日本人の基本姿勢であるように思える。
これは、いわゆる右翼だけの問題ではない。
ミートホープや白い恋人など、北海道がさんざんであるが、こんな企業内の不正も、もとを糾せば同じ事に行き着くだろう。
ワンマン社長が自分だけの責任で悪事を働く、という構造は滅多にない。目に見えない「上意」をうけて、誰の責任だかわからないように、いつの間にか不正が行われていく。
耐震偽装問題でも同じだ。末端の設計士や建築業者だけが断罪されたが、「上意」はどこから出てきたのかは、まったく問われないままだ。
アパなどは、まるで被害者のような顔をして、ホテルもマンションも営業している。
■
そして、ここからが本論なのだが、この「反省したくない」メンタリティーは、誰よりもアメリカにとって歓迎すべきものだった、と言える。
東京裁判を行い、今また従軍慰安婦弾劾決議を行ったアメリカが、なぜ? と感じるかもしれない。
しかし、それは、一過程にすぎないのであって、日本を半植民地としてうまく利用したいアメリカにとって、過去を振り返ることに自ら縛りをかけた日本は、実に好都合なのである。
何故そうなのかが分からないということ自体、62年間うまく支配されてきた証明のようなものだ。
考えなくても分かるはずだが、根本的な責任は兎も角、沖縄戦で10万人、東京大空襲でも10万人、広島で14万人、長崎で8万人、あわせて80万人からの民間人を殺されたのである。もし日本人が、過去を反省し、アジアに対して真剣に謝罪などしようものなら、返す刀でアメリカを弾劾することは間違いない。
占領軍に「思いやり」を惜しまない日本であるためには、過去を振り返らないことである。
だから、日本が国として靖国神社から離れられないのを見て、アメリカはほくそ笑んでいるのである。
ちなみに、従軍慰安婦弾劾決議は、ある意味で、米中の手打ち式だったと、私は見ている。
本気で日本に反省をさせたいのならば、いくらでも強硬な手を使うことができるはずだが、いっさい拘束力のない決議であったことが、何よりの証明である。
中国に対する、踏み絵を踏んで見せただけのことである。
マイク・ホンダ議員本人は、もう少しいろいろな思いがあったかもしれないが、政治的な流れで見れば、残念ながらそう考えざるを得ない。

■
そんな観点から、昨日の靖国神社参拝を考えると、小泉や高市早苗のようなアメリカべったりのネオコンが「政府代表」で参拝したというのは、さもありなんということになる。
小泉が首相時代に、なぜあれほど8.15公式参拝にこだわったのかということも、安倍晋三がなぜ「参拝しないとは絶対に言わない」と言い続けるのかも、この観点からみれば容易に理解できる。
日本の政治権力が靖国神社に参拝するということは、「私たちは決して過去を振り返りません」と、アメリカに誓っていることになるのである。
62年の時代を経て、すでに観察力も判断力も失われた諸君には、全く理解できないだろうけれども、普通に人としての痛みや悲しみをベースにして考えれば、ごく簡単な話だ。
「遺族」もすでに、3代目、4代目である。
そろそろ、オーム並みの「英霊」コントロールから目を覚まし、ひい祖父さんが何をして、どうやって死んだのか、冷静に見つめ直し、あらためて手を合わせてみてほしい。
それは決して冒涜ではなく、かれらが守りたいと思った家族の健全な姿を見せてあげることになるだろう。
かつての「英霊」たちは、やっと軍務を解かれて、安らかな眠りにつくことができるのではないだろうか。
しかし、これだけは言える。日本という国、あるいは国民は、省みることをしない。あるいは、できない。
たとえば、自民党の大票田である日本遺族会のホームページを見てみよう。巨大な圧力団体である割に、更新がほとんどされていないのは兎も角として、隅から隅まで眺めてみても、戦争への反省は一言半句も見られない。
遺族会の設立主旨である「戦没者遺族にたいする冷遇を是正したい。」という、被害者のメンタリティーに貫かれている。
それならば、原爆で焼け死んだ人たちも、沖縄で日本軍にすら見捨てられて殺された人たちも、「満州」で関東軍に置いてきぼりにされて亡くなった人たちも、同じく遺族としての冷遇を是正するべきであろうが、そういう視点は皆無であり、旧日本軍の将兵だけが、悲劇のヒーローなのである。
ましてや、彼らが殺した「敵国」の軍民は、まるっきり視野からも記憶からも消滅している。
と、同時に、最大の「敵国」であったアメリカへの視点も、全くない。恨みも感謝もない。完全に欠落している。
靖国神社を崇敬する人々に、共通してみられるのが、この「自分たちだけが被害者」意識のようだ。
「敵国」に限らず、自分とは立場の違うものを、狂信的なまでに視野から消し去るという精神構造は、しかし、容易に人に利用されるという面もある。
客観的な判断がないということは、目の前の利害が一致していれば、誰にでもだまされるということだ。
つまり、「自分の夫や父が、戦争で人を殺したという罪を認めたくない」という、ある意味当然の遺族の心情を利用し、むしろ逆に「尊い英霊」として持ち上げて、さらに、選別的に遺族年金やなんやでお金もつぎ込んで組織したのが、日本遺族会だという見方もできる。
■
言いたいのは、日本遺族会の悪口ではない。ここに見られる精神構造が、戦後の日本を象徴している、ということだ。
責任を問われたくない、反省をしたくない、過去の都合の悪い部分はデリートしてしてしまいたい。
これが、戦後の日本人の基本姿勢であるように思える。
これは、いわゆる右翼だけの問題ではない。
ミートホープや白い恋人など、北海道がさんざんであるが、こんな企業内の不正も、もとを糾せば同じ事に行き着くだろう。
ワンマン社長が自分だけの責任で悪事を働く、という構造は滅多にない。目に見えない「上意」をうけて、誰の責任だかわからないように、いつの間にか不正が行われていく。
耐震偽装問題でも同じだ。末端の設計士や建築業者だけが断罪されたが、「上意」はどこから出てきたのかは、まったく問われないままだ。
アパなどは、まるで被害者のような顔をして、ホテルもマンションも営業している。
■
そして、ここからが本論なのだが、この「反省したくない」メンタリティーは、誰よりもアメリカにとって歓迎すべきものだった、と言える。
東京裁判を行い、今また従軍慰安婦弾劾決議を行ったアメリカが、なぜ? と感じるかもしれない。
しかし、それは、一過程にすぎないのであって、日本を半植民地としてうまく利用したいアメリカにとって、過去を振り返ることに自ら縛りをかけた日本は、実に好都合なのである。
何故そうなのかが分からないということ自体、62年間うまく支配されてきた証明のようなものだ。
考えなくても分かるはずだが、根本的な責任は兎も角、沖縄戦で10万人、東京大空襲でも10万人、広島で14万人、長崎で8万人、あわせて80万人からの民間人を殺されたのである。もし日本人が、過去を反省し、アジアに対して真剣に謝罪などしようものなら、返す刀でアメリカを弾劾することは間違いない。
占領軍に「思いやり」を惜しまない日本であるためには、過去を振り返らないことである。
だから、日本が国として靖国神社から離れられないのを見て、アメリカはほくそ笑んでいるのである。
ちなみに、従軍慰安婦弾劾決議は、ある意味で、米中の手打ち式だったと、私は見ている。
本気で日本に反省をさせたいのならば、いくらでも強硬な手を使うことができるはずだが、いっさい拘束力のない決議であったことが、何よりの証明である。
中国に対する、踏み絵を踏んで見せただけのことである。
マイク・ホンダ議員本人は、もう少しいろいろな思いがあったかもしれないが、政治的な流れで見れば、残念ながらそう考えざるを得ない。

■
そんな観点から、昨日の靖国神社参拝を考えると、小泉や高市早苗のようなアメリカべったりのネオコンが「政府代表」で参拝したというのは、さもありなんということになる。
小泉が首相時代に、なぜあれほど8.15公式参拝にこだわったのかということも、安倍晋三がなぜ「参拝しないとは絶対に言わない」と言い続けるのかも、この観点からみれば容易に理解できる。
日本の政治権力が靖国神社に参拝するということは、「私たちは決して過去を振り返りません」と、アメリカに誓っていることになるのである。
62年の時代を経て、すでに観察力も判断力も失われた諸君には、全く理解できないだろうけれども、普通に人としての痛みや悲しみをベースにして考えれば、ごく簡単な話だ。
「遺族」もすでに、3代目、4代目である。
そろそろ、オーム並みの「英霊」コントロールから目を覚まし、ひい祖父さんが何をして、どうやって死んだのか、冷静に見つめ直し、あらためて手を合わせてみてほしい。
それは決して冒涜ではなく、かれらが守りたいと思った家族の健全な姿を見せてあげることになるだろう。
かつての「英霊」たちは、やっと軍務を解かれて、安らかな眠りにつくことができるのではないだろうか。
- 関連記事
-
- 出産難民 (2007/08/31)
- 改造内閣は麻生への引継内閣ではないか (2007/08/29)
- ブッシュがいま真珠湾をいう理由 (2007/08/27)
- ある日 自衛隊が消えたら・・・ (2007/08/25)
- 「耐震偽装の解決」を偽装した建築基準法改定 (2007/08/23)
- 新自由主義陣営の分裂 塩崎・中川・小池・守屋 (2007/08/21)
- 株安・ドル安の何が怖いのか (2007/08/18)
- 靖國神社の意味とは (2007/08/16)
- テロ特措法と世界恐慌 (2007/08/12)
- 普通の家よりも弱い柏崎原発 (2007/08/09)
- 『日銀総裁に竹中平蔵』の危機 (2007/08/04)
- 9条改憲に反対の当選者は41人 (2007/08/03)
- 安倍晋三の報復政治が始まる (2007/08/01)
- 海水浴と戦争 (2007/07/28)
- 年金問題は、不祥事ではなく意図的な放置である (2007/07/27)