2007-09-21(Fri)
1円のお話 その2
前回の記事を読んで、私が盗人の仲間になってしまったと、大変悲しんでくださる読者の方がおられるので、少々追加を書いておきたい。
まず、問題の階層を整理したいと思う。
1.コンセントを無断使用した中学生の個人的人格レベルの話
2.社会的価値観のレベルの話
3.経済的レベルの話
4.法律のレベルの話
■
個人的人格のレベルで言うと、これは、私を含めて、外部の人間がどうこう言う問題ではないはずだ。
このレベルでのコメントは、週刊誌の芸能ゴシップ記事のようなモノで、憶測で他人を評価するに過ぎない。
本人、家族、せいぜい被害者であるコンビニオーナーくらいの範囲で、議論すべき問題であり、報道だけであれこれ言うべきモノではない。
あえて言うならば、夜回り先生・水谷氏ならばどう言うかな、と想像はしてみたい。
■
社会的には、どうか。
たとえば、自分の子どもが同じことになったらどうするか。
私は、子どもに対しては叱るけれども、人間性を否定するような対応はしない。
「この、人でなし!」とか言って、ドツキ回すようなこともしない。
「わずかな電気でも、嫌だと思う人から取ったら泥棒だ」ということを諭すけれども、「人様のモノを盗むなんて、この盗人が!」と罵倒することはしない。
なぜか。
一つは、「盗む」という意識がなかっただろうと思うからだ。
この報道のケースはわからないけれども、私を含めて多くの場合は「コンセントを借りる」という意識である。
このケースが窃盗なのであれば、「店員に声をかけてください」と書いてあるコンビニのトイレを、声かけせずに使用した場合も、れっきとした犯罪と言うことになる。
トイレから出てきて手を洗おうとしたら、ガチャッと手錠をはめられるのである。
そう言う意味で、自覚的な窃盗ではない可能性が高い、ということが、ひとつ目の理由。
もう一つは、悲しんでくださっている読者の方も言われているけれども、無自覚的な窃盗はほぼ全日本人がしている、ということから逃げたくないからだ。
以前読んだ本に、子どもに対して、日本では「他人に迷惑かけてはいけません」と言うけれども、インドでは「あなたは他人に迷惑かけているのよ」と教える、という話が書いてあった。
自覚的な窃盗ならばいさ知らず、無自覚な迷惑行動は、コンセントのことだけにとどまらない。
コンセントのことを徹底的に罪として断罪するならば、1日に1万数千人が飢えて死んでいることも、自らを含めて徹底的に責めを負わなくてはならない。
そこまで自らを責めることができるのか、という、非常にシビアな自己批判の上に立ってしか、無自覚な「罪」を徹底断罪することはできない。
■
経済的なレベルで言うと、TBいただいている非国民通信さんのコメント欄にあるように、山田真哉氏の『食い逃げされてもバイトは雇うな』の話になってしまう。
しかし、これはかの読者の方の問題意識とは別なので、これ以上論じない。
■
法律、または国家権力というレベルではどうか。
これはまさに、前記事の趣旨である。
先のコンビニのトイレに限らず、こんなケースは、いくらでもある。
用もないのに銀行の待合室で涼んでいたりするのも、窃盗や不法侵入と言える。
山手線を逆回りするのは、もちろん無賃乗車である。
道路の左側を歩くのは道交法違反であり、そのせいで交通事故を起こし、交通刑務所に送られる不幸な運転者だっている。
地下街で誰かの肩にぶつかれば、当然暴行罪であり、相手が異性であれば痴漢として社会的な死を宣告される。
もっと探してみようか。
住民票を実家においたままで下宿している学生諸君は、公正証書原本不実記載だ。
そうそう、これは本当にあった話だが、労働組合員が会社用箋を1枚家にもって帰ったら、窃盗になった。
もちろんクビである。
社会保険事務所で、つい激高して職員を罵倒すれば侮辱罪は間違いない。
声を荒げただけで、恐喝未遂罪かもしれない。
他人が迷惑し、法律に違反する行為を、すべて厳重に取り締まるとなれば、ほとんどのひとが、どんな名目ででも逮捕できるようになる。
植草一秀氏の事件のようにでっち上げをするまでもなく、実際に起きたことで逮捕できるのである。
一国の首相は3億円脱税してもなんの罪にも問われず、無自覚な微罪が厳罰に処せられる「法治国家」が、戦争に向けて進んだとき、どういうことになるかは、想像するまでもない。
北朝鮮のことを揶揄する資格すらない、とんでもない恣意的なファシズムが、「法律」の名の下に進行する。
すでに、それは現在進行形である。
だからこそ、この中学生の話や、高槻の病院の話を取り上げたのである。
そして、弾圧のきっかけは、「社会的悪」というキャンペーンから始まるのである。
確かに、よく見ればよくない部分もあるかもしれないが、それを針小棒大にふくらまして、極悪のようにキャンペーンすることで、恣意的な警察権力の濫用は既成事実化されていく。
もちろん、まったく悪い部分のないでっち上げであることも珍しくない。
その点をまずおさえておくことが、かの中学生の内面を決して知るよしのない私たちの、ニュースに対する感性なのではないだろうか。
■
一応白状しておくけれども、コンビニのトイレも、銀行で休憩も、山手線逆回りも、左側通行も、ひとにぶつかったのも、住民票も、会社用箋も、役所で声を荒げたことも、すべて私は前科者。
かの中学生が書類送検されるのならば、私は刑務所行きかもしれない。
まず、問題の階層を整理したいと思う。
1.コンセントを無断使用した中学生の個人的人格レベルの話
2.社会的価値観のレベルの話
3.経済的レベルの話
4.法律のレベルの話
■
個人的人格のレベルで言うと、これは、私を含めて、外部の人間がどうこう言う問題ではないはずだ。
このレベルでのコメントは、週刊誌の芸能ゴシップ記事のようなモノで、憶測で他人を評価するに過ぎない。
本人、家族、せいぜい被害者であるコンビニオーナーくらいの範囲で、議論すべき問題であり、報道だけであれこれ言うべきモノではない。
あえて言うならば、夜回り先生・水谷氏ならばどう言うかな、と想像はしてみたい。
■
社会的には、どうか。
たとえば、自分の子どもが同じことになったらどうするか。
私は、子どもに対しては叱るけれども、人間性を否定するような対応はしない。
「この、人でなし!」とか言って、ドツキ回すようなこともしない。
「わずかな電気でも、嫌だと思う人から取ったら泥棒だ」ということを諭すけれども、「人様のモノを盗むなんて、この盗人が!」と罵倒することはしない。
なぜか。
一つは、「盗む」という意識がなかっただろうと思うからだ。
この報道のケースはわからないけれども、私を含めて多くの場合は「コンセントを借りる」という意識である。
このケースが窃盗なのであれば、「店員に声をかけてください」と書いてあるコンビニのトイレを、声かけせずに使用した場合も、れっきとした犯罪と言うことになる。
トイレから出てきて手を洗おうとしたら、ガチャッと手錠をはめられるのである。
そう言う意味で、自覚的な窃盗ではない可能性が高い、ということが、ひとつ目の理由。
もう一つは、悲しんでくださっている読者の方も言われているけれども、無自覚的な窃盗はほぼ全日本人がしている、ということから逃げたくないからだ。
以前読んだ本に、子どもに対して、日本では「他人に迷惑かけてはいけません」と言うけれども、インドでは「あなたは他人に迷惑かけているのよ」と教える、という話が書いてあった。
自覚的な窃盗ならばいさ知らず、無自覚な迷惑行動は、コンセントのことだけにとどまらない。
コンセントのことを徹底的に罪として断罪するならば、1日に1万数千人が飢えて死んでいることも、自らを含めて徹底的に責めを負わなくてはならない。
そこまで自らを責めることができるのか、という、非常にシビアな自己批判の上に立ってしか、無自覚な「罪」を徹底断罪することはできない。
■
経済的なレベルで言うと、TBいただいている非国民通信さんのコメント欄にあるように、山田真哉氏の『食い逃げされてもバイトは雇うな』の話になってしまう。
しかし、これはかの読者の方の問題意識とは別なので、これ以上論じない。
■
法律、または国家権力というレベルではどうか。
これはまさに、前記事の趣旨である。
先のコンビニのトイレに限らず、こんなケースは、いくらでもある。
用もないのに銀行の待合室で涼んでいたりするのも、窃盗や不法侵入と言える。
山手線を逆回りするのは、もちろん無賃乗車である。
道路の左側を歩くのは道交法違反であり、そのせいで交通事故を起こし、交通刑務所に送られる不幸な運転者だっている。
地下街で誰かの肩にぶつかれば、当然暴行罪であり、相手が異性であれば痴漢として社会的な死を宣告される。
もっと探してみようか。
住民票を実家においたままで下宿している学生諸君は、公正証書原本不実記載だ。
そうそう、これは本当にあった話だが、労働組合員が会社用箋を1枚家にもって帰ったら、窃盗になった。
もちろんクビである。
社会保険事務所で、つい激高して職員を罵倒すれば侮辱罪は間違いない。
声を荒げただけで、恐喝未遂罪かもしれない。
他人が迷惑し、法律に違反する行為を、すべて厳重に取り締まるとなれば、ほとんどのひとが、どんな名目ででも逮捕できるようになる。
植草一秀氏の事件のようにでっち上げをするまでもなく、実際に起きたことで逮捕できるのである。
一国の首相は3億円脱税してもなんの罪にも問われず、無自覚な微罪が厳罰に処せられる「法治国家」が、戦争に向けて進んだとき、どういうことになるかは、想像するまでもない。
北朝鮮のことを揶揄する資格すらない、とんでもない恣意的なファシズムが、「法律」の名の下に進行する。
すでに、それは現在進行形である。
だからこそ、この中学生の話や、高槻の病院の話を取り上げたのである。
そして、弾圧のきっかけは、「社会的悪」というキャンペーンから始まるのである。
確かに、よく見ればよくない部分もあるかもしれないが、それを針小棒大にふくらまして、極悪のようにキャンペーンすることで、恣意的な警察権力の濫用は既成事実化されていく。
もちろん、まったく悪い部分のないでっち上げであることも珍しくない。
その点をまずおさえておくことが、かの中学生の内面を決して知るよしのない私たちの、ニュースに対する感性なのではないだろうか。
■
一応白状しておくけれども、コンビニのトイレも、銀行で休憩も、山手線逆回りも、左側通行も、ひとにぶつかったのも、住民票も、会社用箋も、役所で声を荒げたことも、すべて私は前科者。
かの中学生が書類送検されるのならば、私は刑務所行きかもしれない。
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