2008-04-04(Fri)
あらためて「靖國」
なぜ、靖國神社のことになると、右翼は極端な反応をするのか。
以前にも少し書いたことがある。 靖國神社の意味とは
「自分の旦那や父親が侵略軍の兵士で、何人もの人を殺したなんて認めたくない。国のために死んだのだから、良い扱いをして欲しい。」
という遺族の心情と、
「戦争の反省を絶対にして欲しくない」 というアメリカの要望が、ミックスしたものが靖国神社であろう。
日中戦争から太平洋戦争で、どれだけの殺人が行われたのか。単純に言うと、
中国人の軍民あわせて1100万人あまりを日本人が殺した。
インドネシアなどアジア諸国の人を、800万人くらい日本人が殺した。
日本人の軍人230万人をアメリカ人が殺した。(一部、中国、ソ連などもあり)
日本人の民間人80万人をアメリカ人が殺した。
ということだ。
民間人80万人の中には、関東軍によって満州に放置された結果殺された人もいるし、沖縄で日本軍の盾にされて死んだ人もいるが、ここでは、大きな数字を見てみたい。
日本人が殺したのは、およそ1900万人と言われている。その圧倒的多数が民間人だ。
1900万人といえば、東京都民と大阪府民をあわせたくらいの人数だ。想像を絶する。
さすがのヒットラーもこれには及ばない。
1900万人ものひとを殺した国民が、憲法や制度は変わったとは言え、同じようなメンツが中枢に居座って国を継続してきた。
そして、「日本国」のアイデンティティーとは、1900万人殺した後ろめたさと、それ故の居直りと、それを思い出すことへの掣肘であり続けている。
靖国というのは、200万の日本人戦死者のみを祀り、1900万人の怨霊には一言半句も、衣ひとひらも触れることのない、自己催眠効果をもたらす、魔法の装置。
この装置を後生大事に抱え続けることで、かろうじて心の平安を保ってきたのが、「日本国」に精神的に依拠して生きてきた人々なのである。
これは、いまだもって変わらない。
右翼といえども、あるいは天皇といえども、一応人間である以上は、1900万人もの人を殺したということに、なにも感じないはずはない。
後ろめたさを感じるからこそ、この装置の調子が悪くなって1900万人の亡霊が顔を出しそうになると、異常なまでに極端な脅迫や行動に走るのである。
だが、1900万人の亡霊を力ずくで押さえ込み、見て見ぬふりをする代償として、自らの国民もまた数多く殺されたということをも、見て見ぬふりをせざるを得なくなった。
80万人という民間人が、アメリカに殺されているのである。
自らの国民を殺したものを責めれば、返す刀で自らが裁かれるのは自明。だから、あの原爆ですら不問に付した。
日本軍の南京大虐殺にも匹敵する、トンデモない無差別大殺戮なのに、靖國を語るものたちは、決してアメリカにこれを突きつけない。
アメリカでは、原爆は正義だった、という論調が主流であることは周知のこと。
日本では、防衛大臣が辞任したけれども、アメリカでは「仕方がなかった」どころか、大成功!の正義のたたかいなのである。原爆は。
そんな連中と「同盟」を結びながら、靖國神社に詣でる連中の、なんとケッタイなことか。
ケッタイではあるけれども、それが靖國神社の本質なのだ。
映画「靖国 YASUKUNI」は、続々と上映館が名乗りを上げているらしい。日本も捨てたもんじゃない。
第七芸術劇場 大阪・十三 5月10日から7日間上映
他には
ミニ・シアター「シネマ・トーラス」 北海道苫小牧市
「京都シネマ」 京都市下京区
「シネ・ウインド」 新潟市中央区
「サロンシネマ」 広島市中区
NPO法人コミュニティシネマ松本CINEMAセレクト 長野県松本市
などなど
もっとも、映画館より配給元のアルゴ・ピクチャーズがビビッテいるようなので、予断は許さない。
SPO,シネマートでの映画「靖国」上映中止で声明
シネマート側は上映するつもりだったのに、配給側が中止したのは残念だと発表している。
ホームページにも、掲載されている。
映画などなかなか見に行く時間がないけれども、こういう劇場を残していくためにも、足を運ぶようにしたい。
※参考にさせていただきました→ 第二次世界大戦等の戦争犠牲者数
以前にも少し書いたことがある。 靖國神社の意味とは
「自分の旦那や父親が侵略軍の兵士で、何人もの人を殺したなんて認めたくない。国のために死んだのだから、良い扱いをして欲しい。」
という遺族の心情と、
「戦争の反省を絶対にして欲しくない」 というアメリカの要望が、ミックスしたものが靖国神社であろう。
日中戦争から太平洋戦争で、どれだけの殺人が行われたのか。単純に言うと、
中国人の軍民あわせて1100万人あまりを日本人が殺した。
インドネシアなどアジア諸国の人を、800万人くらい日本人が殺した。
日本人の軍人230万人をアメリカ人が殺した。(一部、中国、ソ連などもあり)
日本人の民間人80万人をアメリカ人が殺した。
ということだ。
民間人80万人の中には、関東軍によって満州に放置された結果殺された人もいるし、沖縄で日本軍の盾にされて死んだ人もいるが、ここでは、大きな数字を見てみたい。
日本人が殺したのは、およそ1900万人と言われている。その圧倒的多数が民間人だ。
1900万人といえば、東京都民と大阪府民をあわせたくらいの人数だ。想像を絶する。
さすがのヒットラーもこれには及ばない。
1900万人ものひとを殺した国民が、憲法や制度は変わったとは言え、同じようなメンツが中枢に居座って国を継続してきた。
そして、「日本国」のアイデンティティーとは、1900万人殺した後ろめたさと、それ故の居直りと、それを思い出すことへの掣肘であり続けている。
靖国というのは、200万の日本人戦死者のみを祀り、1900万人の怨霊には一言半句も、衣ひとひらも触れることのない、自己催眠効果をもたらす、魔法の装置。
この装置を後生大事に抱え続けることで、かろうじて心の平安を保ってきたのが、「日本国」に精神的に依拠して生きてきた人々なのである。
これは、いまだもって変わらない。
右翼といえども、あるいは天皇といえども、一応人間である以上は、1900万人もの人を殺したということに、なにも感じないはずはない。
後ろめたさを感じるからこそ、この装置の調子が悪くなって1900万人の亡霊が顔を出しそうになると、異常なまでに極端な脅迫や行動に走るのである。
だが、1900万人の亡霊を力ずくで押さえ込み、見て見ぬふりをする代償として、自らの国民もまた数多く殺されたということをも、見て見ぬふりをせざるを得なくなった。
80万人という民間人が、アメリカに殺されているのである。
自らの国民を殺したものを責めれば、返す刀で自らが裁かれるのは自明。だから、あの原爆ですら不問に付した。
日本軍の南京大虐殺にも匹敵する、トンデモない無差別大殺戮なのに、靖國を語るものたちは、決してアメリカにこれを突きつけない。
アメリカでは、原爆は正義だった、という論調が主流であることは周知のこと。
日本では、防衛大臣が辞任したけれども、アメリカでは「仕方がなかった」どころか、大成功!の正義のたたかいなのである。原爆は。
そんな連中と「同盟」を結びながら、靖國神社に詣でる連中の、なんとケッタイなことか。
ケッタイではあるけれども、それが靖國神社の本質なのだ。
映画「靖国 YASUKUNI」は、続々と上映館が名乗りを上げているらしい。日本も捨てたもんじゃない。
第七芸術劇場 大阪・十三 5月10日から7日間上映
他には
ミニ・シアター「シネマ・トーラス」 北海道苫小牧市
「京都シネマ」 京都市下京区
「シネ・ウインド」 新潟市中央区
「サロンシネマ」 広島市中区
NPO法人コミュニティシネマ松本CINEMAセレクト 長野県松本市
などなど
もっとも、映画館より配給元のアルゴ・ピクチャーズがビビッテいるようなので、予断は許さない。
SPO,シネマートでの映画「靖国」上映中止で声明
シネマート側は上映するつもりだったのに、配給側が中止したのは残念だと発表している。
ホームページにも、掲載されている。
映画などなかなか見に行く時間がないけれども、こういう劇場を残していくためにも、足を運ぶようにしたい。
※参考にさせていただきました→ 第二次世界大戦等の戦争犠牲者数
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