2008-08-16(Sat)
ひき続き「尊い犠牲」について
昨日の記事には、たくさんのコメントをもらったので、少し続けて書きたい。
■■
まずは、きっこさんからのコメント
明月さん、おはようございます。
まったくもって、明月さんのおっしゃる通りです。
あたしのおじいちゃん(母方の父)は、この国のバカどもが始めた戦争で殺されました。
もちろん、あたしが生まれる前のことなので、どんな状況だったのかは、おばあちゃんから聞かされただけですが、それはもう酷い話でした。
おばあちゃんは、生まれたばかりの娘(あたしの母)を抱き、東京大空襲の中を逃げまどい、結婚したばかりの旦那(おじいちゃん)を戦争に取られ、戦後は、女手ひとつであたしの母さんを育てました。
それが、どれほど辛く、どれほど悲惨な人生だったか、聞くたびにあたしは泣きました。
そんなおばあちゃんも、今はもういません。
この国のバカどもが戦争など始めなければ、国民がこんなに苦しむことはありませんでした。
そして、そのバカどもの子供や孫に、殺されたおじいちゃんのことを「尊い犠牲」だの「英霊」だのと言われるのは、ハラワタが煮えくり返るほど頭に来ます。
お前らが殺したくせに、自分の罪をキレイゴトにしてごまかすな!と言いたいです。
きっこの日記で反戦ブログの先陣を走り続けるきっこさんの、原点とも言うべき追体験なのだろう。
※「ちなみに、あたしのおばあちゃんは、亡くなる間際に、泣きながら天皇と政府に対する恨みを話していました。今でも鮮明に覚えています。」と、きっこさんはコメント欄に追記されている。
■■
他方で、自己陶酔型の某通りすがり氏は、こう言っている。
国家が求めたときに、それに応じた人間は、時代を超えて称賛されるべきです。言いたいのはそれだけですよ。それとも、君達は「馬鹿だねぇ!赤紙もらったら逃げればよかったのに、戦死なんかしてお馬鹿さん♪」とでも言いたいのだろうか?
これで、「あっという間に、全ての私への反論を片づけ」たと宣うのだから、いちいち反論するレベルでもないけれども、ある意味核心をついているので、取り上げることにした。
と言うのは、「国家が求めたときに、それに応じる」ことが、正しいのか、賞賛に値するのか、が最大の問題だからだ。
結論を言ってしまえば、必ずしも、と言うか、多くの場合正しくないし賞賛に値しない、ということ。
金正日の求めで日本人を拉致した実行犯は?
中国政府の求めでチベット人を弾圧する人民軍は?
ヒットラーの求めでユダヤ人をガス室に送った親衛隊は?
これと同じことなのだ。
結果的に自分の方が死んでしまったから「犠牲」になっているけれども、国の間違った求めに応じた人間は、賞賛されるどころか、死して屍を打たれても文句を言えない。
■■
だから、通りすがり氏の言う「戦死なんかしてお馬鹿さん♪」という言葉は、半分は当たっている。
なぜ半分か。
それは、命令した者と命令された者の責任の重さは、明らかに違うからだ。
命令した者、そのトップはもちろん天皇であるが、天皇以下、戦争で我が世の春を謳歌した連中は、なんの言い訳もできない。お馬鹿さんどころか、大馬鹿野郎の人殺しだ。
しかし、命令を受けて泣く泣く戦地へ赴いた人間や、銃後の守りだとか言われて焼け死んだ人間には、あたりまえだけれども、そこまでの責任はない。
ないけれども、しかし、そこで「馬鹿なことをしてしまった」という反省がなければ、大馬鹿野郎の人殺しのやった犯罪を許してしまう。
この、悲しみと反省の相半ばする慚愧の念こそが、戦後の反戦の心だったのではないだろうか。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という、最も悲惨な経験をした広島の碑文は、まさにこの心情をあらわしている。

にもかかわらず、この心から、悲しみだけを残して、反省をスッポリと切り落としてしまうのが、「英霊」であり「貴い犠牲」という言葉遣いだ。
言い換えれば靖国神社そのものであり、広島の碑文にイチャモンをつけた連中の目的でもある。
ちなみに、碑文論争のきっかけになったパール博士の「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」という発言は、それ自体なにも間違ってはいない。
アメリカにも同等の戦争責任があり、原爆の当事者責任があるのは、当然だ。
しかし、それを鬼の首を取ったかのように騒ぎ立て、日本人はおろか国としての責任まで無かったことして、無国籍な平和主義に貶めたのは、明らかに意図的な権力者の企みであったし、それにホイホイと乗っかった浅はかな「知識」人たちの愚行だった。
広島や長崎の惨劇を想うとき、無国籍な平和主義は、ウソくさい。
侵略戦争を始めた日本国の馬鹿さ加減と、こんな殺戮兵器を使うアメリカの残虐さと、日米の国の名をはっきりさせなくては、死んでいった人は浮かばれないし、今なお苦しむ人への補償責任はいつまでもアイマイにされる。
■■
いつの世でも、命令する巨悪は無傷で生き残り、命令されたものが悪事に手を染めた挙げ句使い捨てられる。
身近なところでは、耐震偽装事件がそうだった。
姉歯氏は、奥さんが自殺し、本人も5年の懲役になったが、本丸は姿も現さなかった。
まして、安倍晋三に連なるアパグループは、被害者面していまだに豪勢な暮らしをしているようだ。
アパのホームページを注意深く見ると、いまだに何軒かのマンションが工事中止のままになっているようだが、そんなのは無かったことのように豪華な写真が踊っている。

その耐震問題というロゴと同じくらいの大きさで「小松基地友の会」というリンクが貼られており、イラク侵略を賛美し、憲法を変えろという主張を誇らしげに書き連ねている。
さすがに、安倍晋三と気脈を通じるだけあり、まさに、「戦争な家づくり」というべきアパグループの面目躍如といったところだ。
という具合に、戦争に限らず、いつでも、いつまでも同じことが繰り返されている。
この連鎖を断ち切ることは、「犠牲」になって馬鹿なことをしてしまった本人や遺族が、痛恨のおもいで省みることからしか始まらない。
それがないからこそ、20代の若者は、現に戦争をしているこの日本に生きながら、「戦争なんて他人事」と感じてしまうのだ。
「悲惨」「悲しい」だけでは、昔話で終わってしまう。
イラク現地の報道はほとんどされないし、毎日の暮らしは楽ではなくても戦争にはほど遠い。
そんな毎日の中でも、ハッとさせられる瞬間はある。それは、その人の情念ともいうべき思いにぶつかったときだ。
その情念を、綺麗な昔話にしてしまうのが、「貴い犠牲」であり靖国神社だ。
こんな誤魔化しにダマされて、次の「貴い犠牲」になるのは、誰だ?
私はまっぴら御免だし、子どもたちもそんな犠牲にさせたくない。
絶対に。
※きっこさんから、極めつけのコメントをもらったのだけれども、くだらないコメントを削除しているうちにまちがって消してしまったみたいなので、こちらに転記。
名前:きっこ
送信者URL:http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
********************
いくつかの国が集まって、勝手に規則を決めて、そこに参加していない多くの国にまで、自分たちの決めたことを無理じいするなんて、おかしな理屈ですわね。
まるで、数カ国の先進国だけでサミットを行ない、そこで決めたことを他の大多数の国に強制するのと同じですわね。
死刑を廃止している国の政府が、死刑を存続させている日本に対して、「死刑をやめろ」と口を出すのと同じですわね。

それから「正確に書くならば」などと言い訳をして、ご自分の稚拙なミスを正当化するなんて、まるでアベシンゾーと同レベル、小学校低学年のようなレトリックですわね。
こんな幼稚な言い訳などして、ご自分で恥ずかしくないのですか?
ミスはミスできちんと認めてから先に進まないと、すぐにボロが出ますわよ。
お気を付けあそばせ。
まあ、「通りすがり」と言いながら、まったく通りすぎず、何度も何度も屁理屈を言いに戻ってくるような人など、まともに相手にしても仕方ありませんが。
ちなみに、あたしは、あなたのような卑怯者ではありませんので、自分のメールアドレスもサイトも明記して発言しておりますので、何か言いたいことがあれば、直接、言って来てくださいましね。
ホーッホッホッホッホッホッ!
なんだか、村野瀬玲奈さんとこみたいになったなあ・・・
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まずは、きっこさんからのコメント
明月さん、おはようございます。
まったくもって、明月さんのおっしゃる通りです。
あたしのおじいちゃん(母方の父)は、この国のバカどもが始めた戦争で殺されました。
もちろん、あたしが生まれる前のことなので、どんな状況だったのかは、おばあちゃんから聞かされただけですが、それはもう酷い話でした。
おばあちゃんは、生まれたばかりの娘(あたしの母)を抱き、東京大空襲の中を逃げまどい、結婚したばかりの旦那(おじいちゃん)を戦争に取られ、戦後は、女手ひとつであたしの母さんを育てました。
それが、どれほど辛く、どれほど悲惨な人生だったか、聞くたびにあたしは泣きました。
そんなおばあちゃんも、今はもういません。
この国のバカどもが戦争など始めなければ、国民がこんなに苦しむことはありませんでした。
そして、そのバカどもの子供や孫に、殺されたおじいちゃんのことを「尊い犠牲」だの「英霊」だのと言われるのは、ハラワタが煮えくり返るほど頭に来ます。
お前らが殺したくせに、自分の罪をキレイゴトにしてごまかすな!と言いたいです。
きっこの日記で反戦ブログの先陣を走り続けるきっこさんの、原点とも言うべき追体験なのだろう。
※「ちなみに、あたしのおばあちゃんは、亡くなる間際に、泣きながら天皇と政府に対する恨みを話していました。今でも鮮明に覚えています。」と、きっこさんはコメント欄に追記されている。
■■
他方で、自己陶酔型の某通りすがり氏は、こう言っている。
国家が求めたときに、それに応じた人間は、時代を超えて称賛されるべきです。言いたいのはそれだけですよ。それとも、君達は「馬鹿だねぇ!赤紙もらったら逃げればよかったのに、戦死なんかしてお馬鹿さん♪」とでも言いたいのだろうか?
これで、「あっという間に、全ての私への反論を片づけ」たと宣うのだから、いちいち反論するレベルでもないけれども、ある意味核心をついているので、取り上げることにした。
と言うのは、「国家が求めたときに、それに応じる」ことが、正しいのか、賞賛に値するのか、が最大の問題だからだ。
結論を言ってしまえば、必ずしも、と言うか、多くの場合正しくないし賞賛に値しない、ということ。
金正日の求めで日本人を拉致した実行犯は?
中国政府の求めでチベット人を弾圧する人民軍は?
ヒットラーの求めでユダヤ人をガス室に送った親衛隊は?
これと同じことなのだ。
結果的に自分の方が死んでしまったから「犠牲」になっているけれども、国の間違った求めに応じた人間は、賞賛されるどころか、死して屍を打たれても文句を言えない。
■■
だから、通りすがり氏の言う「戦死なんかしてお馬鹿さん♪」という言葉は、半分は当たっている。
なぜ半分か。
それは、命令した者と命令された者の責任の重さは、明らかに違うからだ。
命令した者、そのトップはもちろん天皇であるが、天皇以下、戦争で我が世の春を謳歌した連中は、なんの言い訳もできない。お馬鹿さんどころか、大馬鹿野郎の人殺しだ。
しかし、命令を受けて泣く泣く戦地へ赴いた人間や、銃後の守りだとか言われて焼け死んだ人間には、あたりまえだけれども、そこまでの責任はない。
ないけれども、しかし、そこで「馬鹿なことをしてしまった」という反省がなければ、大馬鹿野郎の人殺しのやった犯罪を許してしまう。
この、悲しみと反省の相半ばする慚愧の念こそが、戦後の反戦の心だったのではないだろうか。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という、最も悲惨な経験をした広島の碑文は、まさにこの心情をあらわしている。

にもかかわらず、この心から、悲しみだけを残して、反省をスッポリと切り落としてしまうのが、「英霊」であり「貴い犠牲」という言葉遣いだ。
言い換えれば靖国神社そのものであり、広島の碑文にイチャモンをつけた連中の目的でもある。
ちなみに、碑文論争のきっかけになったパール博士の「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」という発言は、それ自体なにも間違ってはいない。
アメリカにも同等の戦争責任があり、原爆の当事者責任があるのは、当然だ。
しかし、それを鬼の首を取ったかのように騒ぎ立て、日本人はおろか国としての責任まで無かったことして、無国籍な平和主義に貶めたのは、明らかに意図的な権力者の企みであったし、それにホイホイと乗っかった浅はかな「知識」人たちの愚行だった。
広島や長崎の惨劇を想うとき、無国籍な平和主義は、ウソくさい。
侵略戦争を始めた日本国の馬鹿さ加減と、こんな殺戮兵器を使うアメリカの残虐さと、日米の国の名をはっきりさせなくては、死んでいった人は浮かばれないし、今なお苦しむ人への補償責任はいつまでもアイマイにされる。
■■
いつの世でも、命令する巨悪は無傷で生き残り、命令されたものが悪事に手を染めた挙げ句使い捨てられる。
身近なところでは、耐震偽装事件がそうだった。
姉歯氏は、奥さんが自殺し、本人も5年の懲役になったが、本丸は姿も現さなかった。
まして、安倍晋三に連なるアパグループは、被害者面していまだに豪勢な暮らしをしているようだ。
アパのホームページを注意深く見ると、いまだに何軒かのマンションが工事中止のままになっているようだが、そんなのは無かったことのように豪華な写真が踊っている。

その耐震問題というロゴと同じくらいの大きさで「小松基地友の会」というリンクが貼られており、イラク侵略を賛美し、憲法を変えろという主張を誇らしげに書き連ねている。
さすがに、安倍晋三と気脈を通じるだけあり、まさに、「戦争な家づくり」というべきアパグループの面目躍如といったところだ。
という具合に、戦争に限らず、いつでも、いつまでも同じことが繰り返されている。
この連鎖を断ち切ることは、「犠牲」になって馬鹿なことをしてしまった本人や遺族が、痛恨のおもいで省みることからしか始まらない。
それがないからこそ、20代の若者は、現に戦争をしているこの日本に生きながら、「戦争なんて他人事」と感じてしまうのだ。
「悲惨」「悲しい」だけでは、昔話で終わってしまう。
イラク現地の報道はほとんどされないし、毎日の暮らしは楽ではなくても戦争にはほど遠い。
そんな毎日の中でも、ハッとさせられる瞬間はある。それは、その人の情念ともいうべき思いにぶつかったときだ。
その情念を、綺麗な昔話にしてしまうのが、「貴い犠牲」であり靖国神社だ。
こんな誤魔化しにダマされて、次の「貴い犠牲」になるのは、誰だ?
私はまっぴら御免だし、子どもたちもそんな犠牲にさせたくない。
絶対に。
※きっこさんから、極めつけのコメントをもらったのだけれども、くだらないコメントを削除しているうちにまちがって消してしまったみたいなので、こちらに転記。
名前:きっこ
送信者URL:http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
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いくつかの国が集まって、勝手に規則を決めて、そこに参加していない多くの国にまで、自分たちの決めたことを無理じいするなんて、おかしな理屈ですわね。
まるで、数カ国の先進国だけでサミットを行ない、そこで決めたことを他の大多数の国に強制するのと同じですわね。
死刑を廃止している国の政府が、死刑を存続させている日本に対して、「死刑をやめろ」と口を出すのと同じですわね。

それから「正確に書くならば」などと言い訳をして、ご自分の稚拙なミスを正当化するなんて、まるでアベシンゾーと同レベル、小学校低学年のようなレトリックですわね。
こんな幼稚な言い訳などして、ご自分で恥ずかしくないのですか?
ミスはミスできちんと認めてから先に進まないと、すぐにボロが出ますわよ。
お気を付けあそばせ。
まあ、「通りすがり」と言いながら、まったく通りすぎず、何度も何度も屁理屈を言いに戻ってくるような人など、まともに相手にしても仕方ありませんが。
ちなみに、あたしは、あなたのような卑怯者ではありませんので、自分のメールアドレスもサイトも明記して発言しておりますので、何か言いたいことがあれば、直接、言って来てくださいましね。
ホーッホッホッホッホッホッ!
なんだか、村野瀬玲奈さんとこみたいになったなあ・・・
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