2008-08-25(Mon)
痛みと依存
先日駐車場でずっこけて、あらためて気が付いたのは、普段「痛い」という体験をしていないということ。
何日も疼くような痛みや、思わず唸ってしまうほどの痛みというのは、もうすっかり忘れていた。
そんな痛みをひきずりながら、「国家は僕らをまもらない」を読んでいる。
そこで著者の田村理さんは、日本人に多い「してもらう」主義を批判している。
何を欲しなくても、何をしなくても、誰かに何とかしてもらえる。
こんな傲慢な態度も、この社会では不思議と容易に受け入れられてきた。
こういう「してもらう」主義が、国家や権力への依存になり、隷属につながるというのだ。
たしかにそうかもしれないが、そのまま受け入れてしまうのも、ちょっと抵抗のある筋書きだ。
でも現実は、私の目にもそのように見える。
■■
そんなことを、ずきずきと痛む左手を見ながら考えていると、やはり日本人は痛い目にあっていないのかなあ、という気もしてくる。
もちろん、戦争ではボロボロになったし、原爆も落とされた。
今だって、楽じゃない人はたくさんいるし、ワーキングプアも大問題だ。
けど、それでもなお、疼くような痛みを感じていない。
日本中が滅茶苦茶になるような、一般庶民の生活が軒並み破壊されるような体験というのは、実は第2次大戦以前には、ほとんど経験していない。
鎌倉から江戸の初期に至る戦乱の時代は、戦争は専門職が行っていた。
国民皆兵ではない。
明治維新前後の内戦は、国民皆兵の始まりだったけれども、規模には限定的だった。
日清、日露、第1次大戦は、日本は戦場になっていない。
だから、日本人にとって、第2次大戦というのは、初めての「痛み」だった。
しかし、それもアメリカが投与した鎮痛剤=戦後復興で、どんどん薄らいでいった。
もともと、乗せられた面もあるとは言え、自分から始めた戦争だけに、大げさに痛い痛いと言いにくいということも手伝って、「痛み」は急速に「モルヒネ依存」へと変わっていった。
■■
ひるがえって、ヨーロッパを見れば、これはもうず~と戦乱の歴史だ。
とくに、ナポレオン以降は国民総動員であるから、悲惨を極めただろう。
第1次大戦、第2次大戦ともにまともに戦場になった。
アメリカはと言えば、これはもう、戦争とともにあるようなもので、初期の原住民殺戮、18世紀後半の独立戦争、19世紀半ばの南北戦争で、国中が戦争になっている。
そして、20世紀半ばにはベトナム戦争で60万人近い兵士が泥沼にはまり、6万人近い米兵が戦死した。
(ベトナム人は100万人を超える死者)
そして、いわゆる後進国とか発展途上国とか言われる、旧植民地諸国は、言うまでもない。
上記のベトナムの例に違わず、侵略国の数倍、数十倍の被害を被り、今に至るもその傷は癒えていない。
そんな世界の中で、なんと平和な国だったのだろうか。
やはり、このことが、日本人の気質を形作ってきているのではないだろうか。
■■
ただ、そろそろ「モルヒネ」が切れてきたことは間違いない。
経済発展という鎮痛剤で、戦争の痛みを麻痺させてきたけれども、もうこの薬は効かない。
そのとき、うずき始める傷跡をながめて、私たちは何を考えるのだろう。
多くの人は、痛みをとめて「もらおう」と、国に頼るのだろう。
しかし、それは冷たく突き放される。
そんなことを、何回か繰り返す。
今は、まさにそんな時期の真っ最中だ。
その時期が過ぎて、いよいよ頼るものがない、と気づいたとき、たぶん、三つの方向が生まれるだろう。
一つは、最強のモルヒネ=戦争へと吸い寄せられていく。戦争が問題解決の革命かのような幻想にクラクラとなる。いわゆる「丸山眞男をひっぱたきたい」の類である。
もう一つは、絶望である。あるいは、絶望ゆえの「家族」への逃げ込み。
愛国心を「家族」を守るためと言う理由で、無理矢理納得する類。
逃げ込む先すら無いときは、自殺という最悪の逃避行が待っている。
最後に、少しは希望を持ちたい。日本人は、実はタフだ。したたかだ。
ペリーの黒船がやってきたとき、幕府は泡を食って右往左往し、吉田松陰は命がけでボートをこいで載せてもらおうとして本当に刑死してしまったが、そのとき庶民は何をしていたか。
牛やら銀貨やらをもって、浦賀に行列をつくった。高く買ってもらえるという噂が広がって、全国から押し寄せたという。
日本に限らないのかもしれないが、庶民には権力者とは違うレベルで生き延びていくしたたかさがある。
モルヒネが効かなくなったその先に、こうした強さを発揮できるかどうか。
そのへんに、この国の行く末がかかっているような気がする。
何日も疼くような痛みや、思わず唸ってしまうほどの痛みというのは、もうすっかり忘れていた。
そんな痛みをひきずりながら、「国家は僕らをまもらない」を読んでいる。
そこで著者の田村理さんは、日本人に多い「してもらう」主義を批判している。
何を欲しなくても、何をしなくても、誰かに何とかしてもらえる。
こんな傲慢な態度も、この社会では不思議と容易に受け入れられてきた。
こういう「してもらう」主義が、国家や権力への依存になり、隷属につながるというのだ。
たしかにそうかもしれないが、そのまま受け入れてしまうのも、ちょっと抵抗のある筋書きだ。
でも現実は、私の目にもそのように見える。
■■
そんなことを、ずきずきと痛む左手を見ながら考えていると、やはり日本人は痛い目にあっていないのかなあ、という気もしてくる。
もちろん、戦争ではボロボロになったし、原爆も落とされた。
今だって、楽じゃない人はたくさんいるし、ワーキングプアも大問題だ。
けど、それでもなお、疼くような痛みを感じていない。
日本中が滅茶苦茶になるような、一般庶民の生活が軒並み破壊されるような体験というのは、実は第2次大戦以前には、ほとんど経験していない。
鎌倉から江戸の初期に至る戦乱の時代は、戦争は専門職が行っていた。
国民皆兵ではない。
明治維新前後の内戦は、国民皆兵の始まりだったけれども、規模には限定的だった。
日清、日露、第1次大戦は、日本は戦場になっていない。
だから、日本人にとって、第2次大戦というのは、初めての「痛み」だった。
しかし、それもアメリカが投与した鎮痛剤=戦後復興で、どんどん薄らいでいった。
もともと、乗せられた面もあるとは言え、自分から始めた戦争だけに、大げさに痛い痛いと言いにくいということも手伝って、「痛み」は急速に「モルヒネ依存」へと変わっていった。
■■
ひるがえって、ヨーロッパを見れば、これはもうず~と戦乱の歴史だ。
とくに、ナポレオン以降は国民総動員であるから、悲惨を極めただろう。
第1次大戦、第2次大戦ともにまともに戦場になった。
アメリカはと言えば、これはもう、戦争とともにあるようなもので、初期の原住民殺戮、18世紀後半の独立戦争、19世紀半ばの南北戦争で、国中が戦争になっている。
そして、20世紀半ばにはベトナム戦争で60万人近い兵士が泥沼にはまり、6万人近い米兵が戦死した。
(ベトナム人は100万人を超える死者)
そして、いわゆる後進国とか発展途上国とか言われる、旧植民地諸国は、言うまでもない。
上記のベトナムの例に違わず、侵略国の数倍、数十倍の被害を被り、今に至るもその傷は癒えていない。
そんな世界の中で、なんと平和な国だったのだろうか。
やはり、このことが、日本人の気質を形作ってきているのではないだろうか。
■■
ただ、そろそろ「モルヒネ」が切れてきたことは間違いない。
経済発展という鎮痛剤で、戦争の痛みを麻痺させてきたけれども、もうこの薬は効かない。
そのとき、うずき始める傷跡をながめて、私たちは何を考えるのだろう。
多くの人は、痛みをとめて「もらおう」と、国に頼るのだろう。
しかし、それは冷たく突き放される。
そんなことを、何回か繰り返す。
今は、まさにそんな時期の真っ最中だ。
その時期が過ぎて、いよいよ頼るものがない、と気づいたとき、たぶん、三つの方向が生まれるだろう。
一つは、最強のモルヒネ=戦争へと吸い寄せられていく。戦争が問題解決の革命かのような幻想にクラクラとなる。いわゆる「丸山眞男をひっぱたきたい」の類である。
もう一つは、絶望である。あるいは、絶望ゆえの「家族」への逃げ込み。
愛国心を「家族」を守るためと言う理由で、無理矢理納得する類。
逃げ込む先すら無いときは、自殺という最悪の逃避行が待っている。
最後に、少しは希望を持ちたい。日本人は、実はタフだ。したたかだ。
ペリーの黒船がやってきたとき、幕府は泡を食って右往左往し、吉田松陰は命がけでボートをこいで載せてもらおうとして本当に刑死してしまったが、そのとき庶民は何をしていたか。
牛やら銀貨やらをもって、浦賀に行列をつくった。高く買ってもらえるという噂が広がって、全国から押し寄せたという。
日本に限らないのかもしれないが、庶民には権力者とは違うレベルで生き延びていくしたたかさがある。
モルヒネが効かなくなったその先に、こうした強さを発揮できるかどうか。
そのへんに、この国の行く末がかかっているような気がする。
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