2008-11-12(Wed)
タリバンと明治政府
オバマも麻生も虐殺を続けると明言する、アフガニスタン。
そこでは、タリバンが急速に復活しているという。
タリバンというと、すぐに思い浮かぶのがこの映像だ。

巨大な石仏を爆破した。(世界遺産になったのは、爆破の2年後)
実態がよく分からないだけに、こういう映像を見せられて「テロ集団」と言われると、そんな気がしてしまう。
しかし、現地の状況に詳しい(たぶん日本で一番)中村医師は、石仏爆破の半年後にこう語っていた。
アフガンで活動18年、中村医師が語るタリバンの真実
2001年10月24日 日経BPnet
さて、「仏像の破壊」で、何か思いつくことはないだろうか。
みんな必ず学校でも習ったハズだ。
そう、廃仏毀釈という恐るべき文化破壊運動が、100年ほど前に日本でも吹き荒れた。
明治政府の成立と同時に、仏教や修験道が打ち壊され、焼き尽くされた。じつは神社であっても天皇教に統合され迫害された。
(南方熊楠の神社合祀反対運動は有名。)
それこそ、世界遺産になりそうな日本中の文化がごっそりと破壊された。
なかでも、激しかったのが、修験道などの神仏習合にたいする弾圧だ。
逆に、その過程を知ることで、江戸時代までの日本人の宗教観は神仏習合がフツウだったということがわかる。
「神さま仏さま」というのは、いい加減な話ではなくて、日本人の信仰の基本形だったようだ。
「神さま仏さま」の心情は、自然崇拝的な心情につながっている。アニミズムというやつだ。
草木や石ころにも神性をを感じる心情は、現代の私たちでもなんとなくわかる部分がある。
外来の仏教やら道教やらを、この自然崇拝的な心情の中に受け入れて習合していったのが、日本的な信仰心のようだ。
そんなことが、廃仏毀釈の激しさの裏面として伝わってくる。
そうした、自然崇拝的な心情は、天皇個人の神格化とはどうしてもつながらない。
キリスト教のような万物生成神話がなくては、個人崇拝にはならない。
むしろ、神仏習合のながれは、歴史的には反中央、反権力として作用することが多かった。
奈良時代の役行者(小角)から、南北朝時代の悪党に至るまで、中央権力に支配されない修験の勢力が存在したという説もある。
その後、甲賀や伊賀の忍者として体制に取り込まれていくが、江戸末期にもなお、明治政府を恐怖させるだけのなにかが存在していたのだろう。
でなければ、まるで日本の伝統文化を破壊し尽くすかのような、異常な廃仏毀釈運動の意味がわからない。
だから、日本人は宗教心がないなどとしたり顔に言う人がいるが、トンでもない話で、宗教心を破壊されたのである。
他ならぬ明治政府に。
その張本人の伊藤博文などをお札に印刷しておいて、信仰心がどうのとか、伝統文化がどうのとか言う方がどうかしている。
天皇(制)と明治政府こそが、日本人の信仰心を破壊し、伝統文化を屠り尽くした張本人だと言うことを、忘れてはいけない。
その破壊のすさまじさからすれば、タリバンの仏像破壊などまだまだ序の口である。
最近、吉野方面によく行く。
吉野と言えば桜だが、その桜が植えられたのは、何も観光名所にするためではない。
役行者が蔵王権現を桜の木に彫ったのがことの始まりで、その後壬申の乱のクーデター軍(後の天武天皇)が桜の縁担ぎで櫻本坊という宗教施設をつくったことで、櫻の吉野が始まったようだ。
以来1300年。人々の信仰心によって桜の木が植樹され、現在の姿になったという。
櫻本坊は、今でも世界遺産・大峯山を支える護持院の一つであり、金峰山寺とならんで吉野を代表する「寺院」である。
その櫻本坊のホームページを見ると、おもしろいものが。
吉野山櫻本坊ワークショップ
ここで上映されたのは、なんと「テロリストは誰?」や「9.11の嘘をくずせ」。
どちらも、きくちゆみさんがプロデュースした9.11の謀略をあばき、イラク戦争の不正を訴える映画だ。
やはり、修験の伝統は息づいている。
天河大辨財天社、いわゆる天河神社のホームページにも、こんなことが書いてある。
霊山大峯の緑深い山懐にいだかれたここ天河神社は
役行者や空海、天武天皇の太古より聖域として崇められながら
川の流れの如く星の瞬く如く、如何なる権力にも組せず
“ありのまま”で在り続けてきた場処。
古より多くの聖人達がこの地を求めたのは、きっと
“ありのままの本当の自分”に出会うためだったのでしょう。
この弁天さんも廃仏毀釈を逃れるために「神社」になったけれども、もともとは典型的な習合した施設だった。
現在でも、祝詞のなかに般若心経が登場するし、世界中から色んな宗教のひとびとが音楽や芸能の奉納に訪れる。
こんな、おおらかに自然を崇め、権力に屈しない心性こそが日本の伝統的な信仰心だったのではないかと、つくづく思う。
だからこそ、天皇制の明治政府は、暴力的な廃仏毀釈で暴虐の限りをつくしたのだ。
なんでこんな話を始めたのかというと、もちろんアフガンをめぐる国会の攻防もあるけれども、家づくりというのはアニミズムの固まりだなあと思ったから。
仕事柄、地鎮祭や上棟式はしょっちゅう出席する。
執り行うのは、近くの神社の神主さんだったり、大工の棟梁だったりすることが多い。
ほとんどの施主さんが、やはり地鎮祭と上棟式はやる。やらないと、なんか気持ちが悪い。
それは、高天原の神さまを拝んでいるのではなくて、その土地の地霊のようなものであり、家の骨組みになってくれた木、あるいはその木を育んできた山への感謝だ。
家相や風水のたぐいは、また別物だ。
源泉をたどれば陰陽五行という自然哲学に行きつくとは言うものの、現在ある家相・風水はあまりにも商業化している。
それでもなお、こうしたものに捕らわれるひとが多いというのは、やはり自然崇拝の心性を深いところで残しているからに他ならない。
そうした心情をもっているのが確かならば、それをオカルトだとかいって否定したり、逆にむりやり既成の宗教に当てはめたりするのでなく、自然を崇める気持ちそのものを大切にする。
そんな家づくりであるべきだ。
私が家を建てる人に勧めている、自分の家の木は自分で伐りに行こう、というのも、そうした試みの一つだ。
ただ、最近はちょっとイベント化してしまったような気もする。やはり、何本か伐っているうちに夢中になってしまって、スポーツ感覚になってしまう。
木を伐る という行為の聖性を、もっとシッカリと自覚できるようにしなくては意味がない。
そんなことを考えている内に、廃仏毀釈のことを思い出し、無性に腹が立ってきたので、田母神のトンデモ論文を機に右翼どもが跳梁跋扈していることに釘を刺しておこうと思った次第。
日本の文化を破壊したのは、君たちの大好きな天皇と大日本帝国なんだよ と。
そこでは、タリバンが急速に復活しているという。
タリバンというと、すぐに思い浮かぶのがこの映像だ。

巨大な石仏を爆破した。(世界遺産になったのは、爆破の2年後)
実態がよく分からないだけに、こういう映像を見せられて「テロ集団」と言われると、そんな気がしてしまう。
しかし、現地の状況に詳しい(たぶん日本で一番)中村医師は、石仏爆破の半年後にこう語っていた。
アフガンで活動18年、中村医師が語るタリバンの真実
2001年10月24日 日経BPnet
さて、「仏像の破壊」で、何か思いつくことはないだろうか。
みんな必ず学校でも習ったハズだ。
そう、廃仏毀釈という恐るべき文化破壊運動が、100年ほど前に日本でも吹き荒れた。
明治政府の成立と同時に、仏教や修験道が打ち壊され、焼き尽くされた。じつは神社であっても天皇教に統合され迫害された。
(南方熊楠の神社合祀反対運動は有名。)
それこそ、世界遺産になりそうな日本中の文化がごっそりと破壊された。
なかでも、激しかったのが、修験道などの神仏習合にたいする弾圧だ。
逆に、その過程を知ることで、江戸時代までの日本人の宗教観は神仏習合がフツウだったということがわかる。
「神さま仏さま」というのは、いい加減な話ではなくて、日本人の信仰の基本形だったようだ。
「神さま仏さま」の心情は、自然崇拝的な心情につながっている。アニミズムというやつだ。
草木や石ころにも神性をを感じる心情は、現代の私たちでもなんとなくわかる部分がある。
外来の仏教やら道教やらを、この自然崇拝的な心情の中に受け入れて習合していったのが、日本的な信仰心のようだ。
そんなことが、廃仏毀釈の激しさの裏面として伝わってくる。
そうした、自然崇拝的な心情は、天皇個人の神格化とはどうしてもつながらない。
キリスト教のような万物生成神話がなくては、個人崇拝にはならない。
むしろ、神仏習合のながれは、歴史的には反中央、反権力として作用することが多かった。
奈良時代の役行者(小角)から、南北朝時代の悪党に至るまで、中央権力に支配されない修験の勢力が存在したという説もある。
その後、甲賀や伊賀の忍者として体制に取り込まれていくが、江戸末期にもなお、明治政府を恐怖させるだけのなにかが存在していたのだろう。
でなければ、まるで日本の伝統文化を破壊し尽くすかのような、異常な廃仏毀釈運動の意味がわからない。
だから、日本人は宗教心がないなどとしたり顔に言う人がいるが、トンでもない話で、宗教心を破壊されたのである。
他ならぬ明治政府に。
その張本人の伊藤博文などをお札に印刷しておいて、信仰心がどうのとか、伝統文化がどうのとか言う方がどうかしている。
天皇(制)と明治政府こそが、日本人の信仰心を破壊し、伝統文化を屠り尽くした張本人だと言うことを、忘れてはいけない。
その破壊のすさまじさからすれば、タリバンの仏像破壊などまだまだ序の口である。
最近、吉野方面によく行く。
吉野と言えば桜だが、その桜が植えられたのは、何も観光名所にするためではない。
役行者が蔵王権現を桜の木に彫ったのがことの始まりで、その後壬申の乱のクーデター軍(後の天武天皇)が桜の縁担ぎで櫻本坊という宗教施設をつくったことで、櫻の吉野が始まったようだ。
以来1300年。人々の信仰心によって桜の木が植樹され、現在の姿になったという。
櫻本坊は、今でも世界遺産・大峯山を支える護持院の一つであり、金峰山寺とならんで吉野を代表する「寺院」である。
その櫻本坊のホームページを見ると、おもしろいものが。
吉野山櫻本坊ワークショップ
ここで上映されたのは、なんと「テロリストは誰?」や「9.11の嘘をくずせ」。
どちらも、きくちゆみさんがプロデュースした9.11の謀略をあばき、イラク戦争の不正を訴える映画だ。
やはり、修験の伝統は息づいている。
天河大辨財天社、いわゆる天河神社のホームページにも、こんなことが書いてある。
霊山大峯の緑深い山懐にいだかれたここ天河神社は
役行者や空海、天武天皇の太古より聖域として崇められながら
川の流れの如く星の瞬く如く、如何なる権力にも組せず
“ありのまま”で在り続けてきた場処。
古より多くの聖人達がこの地を求めたのは、きっと
“ありのままの本当の自分”に出会うためだったのでしょう。
この弁天さんも廃仏毀釈を逃れるために「神社」になったけれども、もともとは典型的な習合した施設だった。
現在でも、祝詞のなかに般若心経が登場するし、世界中から色んな宗教のひとびとが音楽や芸能の奉納に訪れる。
こんな、おおらかに自然を崇め、権力に屈しない心性こそが日本の伝統的な信仰心だったのではないかと、つくづく思う。
だからこそ、天皇制の明治政府は、暴力的な廃仏毀釈で暴虐の限りをつくしたのだ。
なんでこんな話を始めたのかというと、もちろんアフガンをめぐる国会の攻防もあるけれども、家づくりというのはアニミズムの固まりだなあと思ったから。
仕事柄、地鎮祭や上棟式はしょっちゅう出席する。
執り行うのは、近くの神社の神主さんだったり、大工の棟梁だったりすることが多い。
ほとんどの施主さんが、やはり地鎮祭と上棟式はやる。やらないと、なんか気持ちが悪い。
それは、高天原の神さまを拝んでいるのではなくて、その土地の地霊のようなものであり、家の骨組みになってくれた木、あるいはその木を育んできた山への感謝だ。
家相や風水のたぐいは、また別物だ。
源泉をたどれば陰陽五行という自然哲学に行きつくとは言うものの、現在ある家相・風水はあまりにも商業化している。
それでもなお、こうしたものに捕らわれるひとが多いというのは、やはり自然崇拝の心性を深いところで残しているからに他ならない。
そうした心情をもっているのが確かならば、それをオカルトだとかいって否定したり、逆にむりやり既成の宗教に当てはめたりするのでなく、自然を崇める気持ちそのものを大切にする。
そんな家づくりであるべきだ。
私が家を建てる人に勧めている、自分の家の木は自分で伐りに行こう、というのも、そうした試みの一つだ。
ただ、最近はちょっとイベント化してしまったような気もする。やはり、何本か伐っているうちに夢中になってしまって、スポーツ感覚になってしまう。
木を伐る という行為の聖性を、もっとシッカリと自覚できるようにしなくては意味がない。
そんなことを考えている内に、廃仏毀釈のことを思い出し、無性に腹が立ってきたので、田母神のトンデモ論文を機に右翼どもが跳梁跋扈していることに釘を刺しておこうと思った次第。
日本の文化を破壊したのは、君たちの大好きな天皇と大日本帝国なんだよ と。
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