2009-05-06(Wed)
憲法と小沢一郎
憲法は金科玉条ではない。日本国民の燃えるような熱意で作られた国民憲法でもない。
それでも、現行憲法を、今、一言一句たりとも手をつけてはいけないのは、憲法が盾だからだ。
今の憲法は、日本人が身を守るための盾として60数年間働いてきた。どんな欠陥があろうとも、時代遅れだろうとも、矛が目の前に迫っているときに、好きこのんで盾を捨てるヤツはいないし、頭を突き刺されながらノンビリ盾の修理をするヤツもいない。
矛とは、明治憲法を変えるつもりなんてサラサラなかった幣原喜重郎から、今の自民党ないしは自民党的なるものに至る一切合切。この憲法を打ち破って、国家主権を取り戻すことをめざし続けてきた。その一貫性と執念深さは、革新政党など足下にも及ばない。
この猛攻撃を、どうにか食い止めてきたのが今の憲法だ。そのおかげで、ナントカ生きてきたのだ。それは、生きる権利をギリギリ確保してきたという意味でもあるし、殺したことの償いの代わりとして免罪符にしてきたということでもある。だから、戦場で自ら殺した世代が生きているうちは絶対に手をつけられなかった。手をつけられないことの影で、なんとか生き延びてきたのが渡したりの世代だ。
ところが、兵士だった世代が激減した21世紀に入り、コイズミという男が公然と憲法を無視して国家権力を振り回しだした。憲法よりもマスコミのほうが偉くなってしまった。国会よりも広告会社のほうが権力を持ってしまった。
その時、兵士の世代の影でこっそりと生き延びできた私たちは、何の抵抗をする力もなく、為すがままに翻弄されてしまった。
今また、政権交代が目前かということろで、法も理屈もかなぐり捨てた検察権力とマスコミの力で小沢一郎は政治的に瀕死の重傷を負わされた。
憲法を打ち破ることを生き甲斐とする自民党的なる勢力の中で、アメリカ奴隷とアメリカ嫌いが喧嘩しだしたことをうまくとらえ、一気に台頭したところまでは良かったのだが、如何せん支える連中に根性がない。喧嘩していた自民党が、方向転換してこちらを向いたとたんにびびりまくって「このままじゃ戦えない」と泣きわめきだした。
もちろん、本来的には小沢一郎も改憲を目指す自民党的なるものの一翼だった。しかし彼は、一度くらいは日本で民主主義を実現したいという立場と、出自たる自民党的なる立場とを比較して、前者を選んだのだ。おそらくその時点で小沢自身は、今日のような事態はある程度予想しただろう。だから、元々は金権政治の大番頭だった人が、頭のてっぺんから足の先まで調べ尽くされても、法に引っかかることはあの記載ミス※しか出てこなかったのだ。
※記載ミスですらない という指摘をいただいた。確かに、政治団体からの献金を資金管理団体で処理したのだから記載ミスですらない。単なる検察の言いがかりだ。ただ、仮に検察の言う「政治団体がダミー」が正しかったとしても、それでも記載ミスに過ぎないということ。
しかし、多くの民主党議員は、こんな反撃に出くわすとは想像していなかった。権力をとる、ということの重さも意味も理解していなかったのだ。だから、自民党的なるもの+アメリカという恐怖の大魔王にひと睨みされただけで、もう敵前逃亡の口実を探すことしか眼中にない。
権力を巡る死闘だという自覚のあるものが小沢を支持し、有力野党でのほうがいいやと責任放棄したものが小沢を追い落とす。
たしかに、金の使い道などについては、どのみち政治資金収支報告書に書いてあることなのだから、堂々と記者会見すればいいと思う。その上で、二階の裏金の使い道も明らかにさせればいいのだから。その点では、「書いてあるから説明済み」ではあまりにも原則的に過ぎるとは言えるかもしれない。前にも書いたとおり、収支報告書は素人にはわかりにくいということもある。戦術論としてはそうだ。
しかし、論理的には、収支報告書に書いてあることを、「説明せよ」「納得できない」と執拗に書き続けるマスコミのほうがどうかしている。納得できないのならば、収支報告書を調べて記事に書けば良いではないか。東京地検特捜部は、足の裏まで調べたのだから、「関係者」の話でも聞いてきたらいいじゃないか。
それを、わざとせずに、公開されていることをあたかも疑惑のように覆い隠して「納得できない」の大合唱をするマスコミが異常なのである。
それに騙される一般読者はまだ仕方ないとしても、騙されたフリをする民主党員は確信犯だ。
残念ながら、こんな連中を頭数にして仮に政権ととったとしても、数ヶ月も持たないかもしれない。官僚、検察、各種御用団体の強烈な総反撃に、逃げ出すヤツが続出するに違いない。
それでもやはり、私たちは歴史的な経験として政権交代を実現するべきだ。政権交代をすると何が起きるのか、その壮絶なバトルを当事者として目の当たりにすべきなんだ。
その意味では、小沢一郎にだけ執拗に続けられるこのバッシングも、その一部として肌身に感じておこう。国家権力というものが揺れ動いたときの、激しいきしみとして。
この経験は、この先、一層厳しい時代を生きる私たちの子どもたちに、ちゃんと伝えて行かなくてはならない。
根性のある子どもに育てなくてはならない。
さっさと逃亡を決め込んだ渡辺や藤井や野田グループなんかのようにならないように。
おそらく、子どもたちの時代には、憲法は盾としての役割をほとんど果たしてはくれない。変わってしまうかどうかは別にして、権力者は守らなくなってしまうだろう。今以上に。どんどん踏みにじって、違反しておいて「時代に合わない」と改「正」を迫る。そういう時代を、生きて行かなくてはならない。
そんな時代を生きるためには、何と対峙し、何と戦い、何を守るべきなのか、直感的に分からなくてはならない。その感覚を磨いてやらなくてはならない。
その訓練には、憲法と小沢一郎は良い教材だ。完璧ではない。問題もある。けれど、今、守らなくてはならない。そのことが分かる子どもになってもらいたい。
ウチの子どもには、頭で理解させるのはまだちょっと無理かもしれないけど、そんなオヤジの緊張感だけでも伝わってくれればと思う。
それでも、現行憲法を、今、一言一句たりとも手をつけてはいけないのは、憲法が盾だからだ。
今の憲法は、日本人が身を守るための盾として60数年間働いてきた。どんな欠陥があろうとも、時代遅れだろうとも、矛が目の前に迫っているときに、好きこのんで盾を捨てるヤツはいないし、頭を突き刺されながらノンビリ盾の修理をするヤツもいない。
矛とは、明治憲法を変えるつもりなんてサラサラなかった幣原喜重郎から、今の自民党ないしは自民党的なるものに至る一切合切。この憲法を打ち破って、国家主権を取り戻すことをめざし続けてきた。その一貫性と執念深さは、革新政党など足下にも及ばない。
この猛攻撃を、どうにか食い止めてきたのが今の憲法だ。そのおかげで、ナントカ生きてきたのだ。それは、生きる権利をギリギリ確保してきたという意味でもあるし、殺したことの償いの代わりとして免罪符にしてきたということでもある。だから、戦場で自ら殺した世代が生きているうちは絶対に手をつけられなかった。手をつけられないことの影で、なんとか生き延びてきたのが渡したりの世代だ。
ところが、兵士だった世代が激減した21世紀に入り、コイズミという男が公然と憲法を無視して国家権力を振り回しだした。憲法よりもマスコミのほうが偉くなってしまった。国会よりも広告会社のほうが権力を持ってしまった。
その時、兵士の世代の影でこっそりと生き延びできた私たちは、何の抵抗をする力もなく、為すがままに翻弄されてしまった。
今また、政権交代が目前かということろで、法も理屈もかなぐり捨てた検察権力とマスコミの力で小沢一郎は政治的に瀕死の重傷を負わされた。
憲法を打ち破ることを生き甲斐とする自民党的なる勢力の中で、アメリカ奴隷とアメリカ嫌いが喧嘩しだしたことをうまくとらえ、一気に台頭したところまでは良かったのだが、如何せん支える連中に根性がない。喧嘩していた自民党が、方向転換してこちらを向いたとたんにびびりまくって「このままじゃ戦えない」と泣きわめきだした。
もちろん、本来的には小沢一郎も改憲を目指す自民党的なるものの一翼だった。しかし彼は、一度くらいは日本で民主主義を実現したいという立場と、出自たる自民党的なる立場とを比較して、前者を選んだのだ。おそらくその時点で小沢自身は、今日のような事態はある程度予想しただろう。だから、元々は金権政治の大番頭だった人が、頭のてっぺんから足の先まで調べ尽くされても、法に引っかかることはあの記載ミス※しか出てこなかったのだ。
※記載ミスですらない という指摘をいただいた。確かに、政治団体からの献金を資金管理団体で処理したのだから記載ミスですらない。単なる検察の言いがかりだ。ただ、仮に検察の言う「政治団体がダミー」が正しかったとしても、それでも記載ミスに過ぎないということ。
しかし、多くの民主党議員は、こんな反撃に出くわすとは想像していなかった。権力をとる、ということの重さも意味も理解していなかったのだ。だから、自民党的なるもの+アメリカという恐怖の大魔王にひと睨みされただけで、もう敵前逃亡の口実を探すことしか眼中にない。
権力を巡る死闘だという自覚のあるものが小沢を支持し、有力野党でのほうがいいやと責任放棄したものが小沢を追い落とす。
たしかに、金の使い道などについては、どのみち政治資金収支報告書に書いてあることなのだから、堂々と記者会見すればいいと思う。その上で、二階の裏金の使い道も明らかにさせればいいのだから。その点では、「書いてあるから説明済み」ではあまりにも原則的に過ぎるとは言えるかもしれない。前にも書いたとおり、収支報告書は素人にはわかりにくいということもある。戦術論としてはそうだ。
しかし、論理的には、収支報告書に書いてあることを、「説明せよ」「納得できない」と執拗に書き続けるマスコミのほうがどうかしている。納得できないのならば、収支報告書を調べて記事に書けば良いではないか。東京地検特捜部は、足の裏まで調べたのだから、「関係者」の話でも聞いてきたらいいじゃないか。
それを、わざとせずに、公開されていることをあたかも疑惑のように覆い隠して「納得できない」の大合唱をするマスコミが異常なのである。
それに騙される一般読者はまだ仕方ないとしても、騙されたフリをする民主党員は確信犯だ。
残念ながら、こんな連中を頭数にして仮に政権ととったとしても、数ヶ月も持たないかもしれない。官僚、検察、各種御用団体の強烈な総反撃に、逃げ出すヤツが続出するに違いない。
それでもやはり、私たちは歴史的な経験として政権交代を実現するべきだ。政権交代をすると何が起きるのか、その壮絶なバトルを当事者として目の当たりにすべきなんだ。
その意味では、小沢一郎にだけ執拗に続けられるこのバッシングも、その一部として肌身に感じておこう。国家権力というものが揺れ動いたときの、激しいきしみとして。
この経験は、この先、一層厳しい時代を生きる私たちの子どもたちに、ちゃんと伝えて行かなくてはならない。
根性のある子どもに育てなくてはならない。
さっさと逃亡を決め込んだ渡辺や藤井や野田グループなんかのようにならないように。
おそらく、子どもたちの時代には、憲法は盾としての役割をほとんど果たしてはくれない。変わってしまうかどうかは別にして、権力者は守らなくなってしまうだろう。今以上に。どんどん踏みにじって、違反しておいて「時代に合わない」と改「正」を迫る。そういう時代を、生きて行かなくてはならない。
そんな時代を生きるためには、何と対峙し、何と戦い、何を守るべきなのか、直感的に分からなくてはならない。その感覚を磨いてやらなくてはならない。
その訓練には、憲法と小沢一郎は良い教材だ。完璧ではない。問題もある。けれど、今、守らなくてはならない。そのことが分かる子どもになってもらいたい。
ウチの子どもには、頭で理解させるのはまだちょっと無理かもしれないけど、そんなオヤジの緊張感だけでも伝わってくれればと思う。
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