2009-06-10(Wed)
憲法9条と死刑制度の「抑止力」
地震雷火事ゲンパツ という記事に「もし本気で原発を襲撃しようとする勢力が来たら我々の装備でそれを阻止出来ない。 」というコメントがつき、それに対してアホらしいコメントがあった。曰く、「ミサイルを撃とうとしている国に向かって、飛んでくるミサイル(飛翔体か)に向かって『憲法九条っ!』と叫ぶのですか?」
そもそも法律ってものが何なのかわかっていない、あるいは意図的に意味を取り違えてふざけている発言なので、速攻削除しようと思ったのだけれど、まあたまにはオフザケに付き合ってみようかと思い、私もこうコメントを返した。「死刑制度で殺人事件が無くなると思っている人は、殺されそうになったら『死刑!』って叫んだらいい。こまわり君のように。」
これに対しても、あれこれコメントが来たけれども、本来のゲンパツに関する記事とは何の関係もないので、全部削除させてもらった。これ以降も、削除するので悪しからず。
ところで、せっかく登場したこまわり君をこのまま退場させるのもモッタイナイので、少し考えてみたい。
9条も死刑制度も、「抑止力」がある、と言われる。ただし、それを口にする人の顔ぶれはほとんど重なっていない。つまり、9条の抑止力を認める人は死刑制度の抑止力を認めない(ことが多い)。死刑制度の抑止力を認める人はたいがい9条の抑止力を認めない。
9条はもともとは「殺さない」という宣言であり、死刑は「殺す」という宣言だということだ。
9条の「殺さない」という宣言は、アメリカの思惑をはじめいろんな事情があったにせよ、人類史上初の歴史的な実験ではあった。世界という巨大な戦場のまっただ中で、何も言う前から白旗を揚げてしまおう、ということだ。それでも撃つのならどうぞ撃って下さい、ということだ。だから、撃たれる可能性も覚悟の上である。たとえ撃たれても、あんな泥沼の戦争になるよりはマシだという共通認識の上に成り立っていたはずだ。
もちろん、この実験には制約が多すぎた。なによりも、強大なアメリカの傘の下ということでは、あまり実験にならない。しかも、わずか数年で「殺さない」という宣言は撤回され、再軍備が始まってしまった。
9条に過剰な期待をしている人は、すこし頭を冷やした方がいいかもしれない。世界4位の軍事費を投じて、はるばる中東まで進軍している今の日本には、本来の意味の9条はすでに無いも同然。まさに、死刑制度と同じような「やったら殺す」というのが現在の9条だ。
なにせ日本国では、自衛隊は『合憲』とされているのだから、「9条!」と叫ぶということは、「自衛隊!」と叫んでいるのと同じことだ。「来るならきやがれ。ぶっ殺すぞ!」と叫んでいるようなもんだ。今の日本が「9条!」と叫んでみたところで、それは本来の「殺さない」という宣言で身を守ろうという人類史的な大実験とは似ても似つかぬ代物なのだ。北朝鮮のミサイルに「9条!」と叫べと言う揶揄は、そういう意味でも見当違いなのである。
現代の世界で、完全に経済封鎖をされて生きていける国は無いだろう。とくに、軍事力をそれなりに持っているような国ならばなおさらだ。北朝鮮なんて、どれだけ餓死者がでるかわかったモンじゃない。だから、中途半端に爆弾を落とすよりも、完全な経済封鎖の方が遙かに強力な実力行使にはなる。
ところが、現実はイラン・コントラ事件のように敵に武器を送ってでも戦争をやりたがるもんだから、必要あろうが無かろうがまず戦争ありきということになっている。ほんとうに、戦争が好きな連中が多すぎる。
だから、満身創痍の9条でも、やはり存在意義がある。戦争大好きな連中の手枷足枷までは無理でも、目の上のたんこぶというか、足の裏の魚の目というか、そんな役割は果たしている。
ウサイン・ボルトだってデッカイ魚の目があったら100mを10秒以下では走れない。戦争好きとボルト選手を並べてしまってボルトさんには申し訳ないけれども、まあそのくらいの効果はある。
9条まで無くなってしまったら、もうなんの歯止めも無くなってしまうのだから、いくら頼りなくても満身創痍でも、やはり9条を無くしたり骨抜きにしたりしてはいけない。
現在の9条というものは良くも悪しくもそういうものだから、9条で北朝鮮に対する抑止力になるのかといわれると、非常に心許ない。たぶん、抑止力になんてならないだろう。
本気で非武装だったら、丸腰の相手をヤルという超悪役を誰が演じるのか、という議論はあり得る。が、現在の自衛隊がもれなく付いてくる9条ではそういう効果はない。
しかしそもそも、軍事力や経済封鎖が本当に抑止力になるのだろうか。
冷戦後の戦争は、小さい国が戦争をやりたくなるように仕向けておいて、本当に起こしたらそれを叩く、というのが共通したパターンではないだろうか。(WIKIPEDIA 戦争一覧の冷戦後と2001年~ を参照)
かつての日本の侵略を決して正当化するわけではないが、一面ではそういう流れもあったことは、右翼連中が盛んに喧伝しているところだし、ドイツのナチズムだって、巨額の賠償と極端な経済破綻が背景に無ければ生まれてこなかっただろう。
つまり、軍事力やら経済封鎖なんかを抑止力だと言っていられる余裕があるウチは、そもそも戦争なんて始めない。
もう、軍事力や経済封鎖なんてかまってられない、というかむしろ、軍事力や経済封鎖で追い詰められて、いよいよ後先を考えずに戦争を始める。
つまり、ゴーイングコンサーンが成り立たなくなると、何をするかわからない、ということ。明日があるのかどうか、それが問題だ。
「ある」と「ない」の価値観は、国によって全然違う。アメリカのような贅沢な国は、かつての繁栄がなくなるだけで「明日がない」と判断するかもしれないし、北朝鮮ならば金日成の血統が絶えることが「ない」と判断するかもしれないし、イスラエルはアメリカに捨てられることが「ない」を意味するかもしれない。その意味では、明日があることが必ずしも良いことかどうかはわからないが、少なくとも戦争というバカな行為に突っ込むのは、そうしないとその連中にとっての明日が無くなるから。
北朝鮮は、今まではヒールを演じることで出演料を稼いできた。だから、日本で自民党がピンチになると必ず支援ミサイルが飛んできた。ところが、オバマ政権になってその役割を認めてもらえなくなってしまった。中国の下でおとなしくしてな、と切り捨てられてしまった。
これに慌てたのが金正日だ。自分の体調も最悪なときに、アメリカに捨てられたら、金王朝はどうなってしまうのか。で、もう精一杯の悪役をやっている。後継者問題なんかも、三男の情報をリークして話題づくりにつとめている。もう痛々しいくらい。
こうなると、抑止力とかなんとか言うような概念では説明できない。
今後、一番ありそうだなと思うのは、支持率が一桁に落ち込んだ麻生が、「たのむから日本の領土にかすめてミサイルを撃ち込んでくれ。」と懇願して無人の島にでもミサイル打ち込んでもらうことだろうか。それを機に、日本は一気に戦時体制。絶対的な報道管制のまっただ中で総選挙。選挙期間中に麻生は平壌に乗り込み、格好良く交渉を決める。もちろん、裏では多額の支援を約束して帰ってくる。小泉のときと同じように。
金王朝の危機と、自民党政権の断末魔のコラボレーションが、戦争をたぐり寄せる。
その時、憲法9条は、魚の目くらいの力しかないけれども、わずかばかりの抵抗力を発揮する。
では、死刑制度はどうか。
こちらは、家相が悪いと家族が不幸になるというのと同じようなレベルの話だ。死刑が犯罪を抑止するというデータは、世界中探してもない。あれば、死刑大好き人間たちが大キャンペーンするだろうが、ない。
ただし、抑止力が全くないという証明もない。カナダで死刑廃止後に犯罪率が下がった例は良く出てくるが、その相関関係はわからない。
要するに、死刑が犯罪を抑止するというのは神話や都市伝説の類と変わらないということだ。絶対にウソだという証明はできないが、その合理性もまた証明されない。
だから最近は、死刑の根拠とされるのは遺族感情だ。死刑というのは公立の仇討ちだという。法律なんてあったモンじゃない。
では何で死刑を残しておくかというと、便利だからだ。中国を見ればわかるように、国家が抹殺したい人間がいるときに、死刑があれば合法的に消すことができるからだ。
このあたりは、9条と死刑の共通項はない。
ただし、戦争が起きてしまうのと殺人事件が起きてしまうことの共通項は、ややあるかもしれない。
明日がない、ということだ。
戦争以上に千差万別だから、一概に言ってしまうのはどうかとも思うが、明日がない世の中では犯罪は増える。死刑があろうが無かろうが。
最後に、死刑については、この記事を読んで欲しい。
死刑をくだす者は自らの命を賭けよ 2008-10-28

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そもそも法律ってものが何なのかわかっていない、あるいは意図的に意味を取り違えてふざけている発言なので、速攻削除しようと思ったのだけれど、まあたまにはオフザケに付き合ってみようかと思い、私もこうコメントを返した。「死刑制度で殺人事件が無くなると思っている人は、殺されそうになったら『死刑!』って叫んだらいい。こまわり君のように。」
これに対しても、あれこれコメントが来たけれども、本来のゲンパツに関する記事とは何の関係もないので、全部削除させてもらった。これ以降も、削除するので悪しからず。
ところで、せっかく登場したこまわり君をこのまま退場させるのもモッタイナイので、少し考えてみたい。
9条も死刑制度も、「抑止力」がある、と言われる。ただし、それを口にする人の顔ぶれはほとんど重なっていない。つまり、9条の抑止力を認める人は死刑制度の抑止力を認めない(ことが多い)。死刑制度の抑止力を認める人はたいがい9条の抑止力を認めない。
9条はもともとは「殺さない」という宣言であり、死刑は「殺す」という宣言だということだ。
9条の「殺さない」という宣言は、アメリカの思惑をはじめいろんな事情があったにせよ、人類史上初の歴史的な実験ではあった。世界という巨大な戦場のまっただ中で、何も言う前から白旗を揚げてしまおう、ということだ。それでも撃つのならどうぞ撃って下さい、ということだ。だから、撃たれる可能性も覚悟の上である。たとえ撃たれても、あんな泥沼の戦争になるよりはマシだという共通認識の上に成り立っていたはずだ。
もちろん、この実験には制約が多すぎた。なによりも、強大なアメリカの傘の下ということでは、あまり実験にならない。しかも、わずか数年で「殺さない」という宣言は撤回され、再軍備が始まってしまった。
9条に過剰な期待をしている人は、すこし頭を冷やした方がいいかもしれない。世界4位の軍事費を投じて、はるばる中東まで進軍している今の日本には、本来の意味の9条はすでに無いも同然。まさに、死刑制度と同じような「やったら殺す」というのが現在の9条だ。
なにせ日本国では、自衛隊は『合憲』とされているのだから、「9条!」と叫ぶということは、「自衛隊!」と叫んでいるのと同じことだ。「来るならきやがれ。ぶっ殺すぞ!」と叫んでいるようなもんだ。今の日本が「9条!」と叫んでみたところで、それは本来の「殺さない」という宣言で身を守ろうという人類史的な大実験とは似ても似つかぬ代物なのだ。北朝鮮のミサイルに「9条!」と叫べと言う揶揄は、そういう意味でも見当違いなのである。
現代の世界で、完全に経済封鎖をされて生きていける国は無いだろう。とくに、軍事力をそれなりに持っているような国ならばなおさらだ。北朝鮮なんて、どれだけ餓死者がでるかわかったモンじゃない。だから、中途半端に爆弾を落とすよりも、完全な経済封鎖の方が遙かに強力な実力行使にはなる。
ところが、現実はイラン・コントラ事件のように敵に武器を送ってでも戦争をやりたがるもんだから、必要あろうが無かろうがまず戦争ありきということになっている。ほんとうに、戦争が好きな連中が多すぎる。
だから、満身創痍の9条でも、やはり存在意義がある。戦争大好きな連中の手枷足枷までは無理でも、目の上のたんこぶというか、足の裏の魚の目というか、そんな役割は果たしている。
ウサイン・ボルトだってデッカイ魚の目があったら100mを10秒以下では走れない。戦争好きとボルト選手を並べてしまってボルトさんには申し訳ないけれども、まあそのくらいの効果はある。
9条まで無くなってしまったら、もうなんの歯止めも無くなってしまうのだから、いくら頼りなくても満身創痍でも、やはり9条を無くしたり骨抜きにしたりしてはいけない。
現在の9条というものは良くも悪しくもそういうものだから、9条で北朝鮮に対する抑止力になるのかといわれると、非常に心許ない。たぶん、抑止力になんてならないだろう。
本気で非武装だったら、丸腰の相手をヤルという超悪役を誰が演じるのか、という議論はあり得る。が、現在の自衛隊がもれなく付いてくる9条ではそういう効果はない。
しかしそもそも、軍事力や経済封鎖が本当に抑止力になるのだろうか。
冷戦後の戦争は、小さい国が戦争をやりたくなるように仕向けておいて、本当に起こしたらそれを叩く、というのが共通したパターンではないだろうか。(WIKIPEDIA 戦争一覧の冷戦後と2001年~ を参照)
かつての日本の侵略を決して正当化するわけではないが、一面ではそういう流れもあったことは、右翼連中が盛んに喧伝しているところだし、ドイツのナチズムだって、巨額の賠償と極端な経済破綻が背景に無ければ生まれてこなかっただろう。
つまり、軍事力やら経済封鎖なんかを抑止力だと言っていられる余裕があるウチは、そもそも戦争なんて始めない。
もう、軍事力や経済封鎖なんてかまってられない、というかむしろ、軍事力や経済封鎖で追い詰められて、いよいよ後先を考えずに戦争を始める。
つまり、ゴーイングコンサーンが成り立たなくなると、何をするかわからない、ということ。明日があるのかどうか、それが問題だ。
「ある」と「ない」の価値観は、国によって全然違う。アメリカのような贅沢な国は、かつての繁栄がなくなるだけで「明日がない」と判断するかもしれないし、北朝鮮ならば金日成の血統が絶えることが「ない」と判断するかもしれないし、イスラエルはアメリカに捨てられることが「ない」を意味するかもしれない。その意味では、明日があることが必ずしも良いことかどうかはわからないが、少なくとも戦争というバカな行為に突っ込むのは、そうしないとその連中にとっての明日が無くなるから。
北朝鮮は、今まではヒールを演じることで出演料を稼いできた。だから、日本で自民党がピンチになると必ず支援ミサイルが飛んできた。ところが、オバマ政権になってその役割を認めてもらえなくなってしまった。中国の下でおとなしくしてな、と切り捨てられてしまった。
これに慌てたのが金正日だ。自分の体調も最悪なときに、アメリカに捨てられたら、金王朝はどうなってしまうのか。で、もう精一杯の悪役をやっている。後継者問題なんかも、三男の情報をリークして話題づくりにつとめている。もう痛々しいくらい。
こうなると、抑止力とかなんとか言うような概念では説明できない。
今後、一番ありそうだなと思うのは、支持率が一桁に落ち込んだ麻生が、「たのむから日本の領土にかすめてミサイルを撃ち込んでくれ。」と懇願して無人の島にでもミサイル打ち込んでもらうことだろうか。それを機に、日本は一気に戦時体制。絶対的な報道管制のまっただ中で総選挙。選挙期間中に麻生は平壌に乗り込み、格好良く交渉を決める。もちろん、裏では多額の支援を約束して帰ってくる。小泉のときと同じように。
金王朝の危機と、自民党政権の断末魔のコラボレーションが、戦争をたぐり寄せる。
その時、憲法9条は、魚の目くらいの力しかないけれども、わずかばかりの抵抗力を発揮する。
では、死刑制度はどうか。
こちらは、家相が悪いと家族が不幸になるというのと同じようなレベルの話だ。死刑が犯罪を抑止するというデータは、世界中探してもない。あれば、死刑大好き人間たちが大キャンペーンするだろうが、ない。
ただし、抑止力が全くないという証明もない。カナダで死刑廃止後に犯罪率が下がった例は良く出てくるが、その相関関係はわからない。
要するに、死刑が犯罪を抑止するというのは神話や都市伝説の類と変わらないということだ。絶対にウソだという証明はできないが、その合理性もまた証明されない。
だから最近は、死刑の根拠とされるのは遺族感情だ。死刑というのは公立の仇討ちだという。法律なんてあったモンじゃない。
では何で死刑を残しておくかというと、便利だからだ。中国を見ればわかるように、国家が抹殺したい人間がいるときに、死刑があれば合法的に消すことができるからだ。
このあたりは、9条と死刑の共通項はない。
ただし、戦争が起きてしまうのと殺人事件が起きてしまうことの共通項は、ややあるかもしれない。
明日がない、ということだ。
戦争以上に千差万別だから、一概に言ってしまうのはどうかとも思うが、明日がない世の中では犯罪は増える。死刑があろうが無かろうが。
最後に、死刑については、この記事を読んで欲しい。
死刑をくだす者は自らの命を賭けよ 2008-10-28

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