2009-06-24(Wed)
高知県東洋町に行ってきました
高知県東洋町というタイトルを見てピント来た人は 相当記憶力のいい人にちがいない。
2年前、核廃棄物の処分場をめぐって町を二分するたたかいのあった場所だ。
この一点で争われた町長選は、90%近い投票率と70%の得票率をもって反対派の沢山保太郎氏が勝利した。
以来2年間、沢山町長は処分場の問題にとどまらず、反核町長として過疎に悩む東洋町の舵取りを行ってきた。
詳しくは、沢山町長のブログを見てもらいたい。
東洋町長日誌
昨日この東洋町に行って、沢山保太郎町長にもお会いしてきた。高知県人会のある人に誘われての日帰り旅行だった。以前からお付き合いのあったこの方は、私とは親子ほど歳の違う大先輩で、このブログを見て こいつを沢山町長に合わせてやろう と思ったようだ。突然「来週東洋町へ行くぜよ」ということに相成った。
核廃棄物処分場の顛末は聞き知っていた私は、興味本位で、ワケの分からないまま先輩とともに早朝の高速バスに乗り込んだ。徳島までバスで2時間半、そこでレンタカーに乗り換えてまた2時間半。小休止を含むとはいえ都合5時間の行程は、決して楽とは言えない。午後の1時にようやく東洋町の道の駅、ならぬ海の駅に着いた。

木組みのきれいな木造の建物は、コンビニくらいの広さの産品販売コーナーと、テーブルが3つほどある食事コーナーがある。そこに、ポロシャツと野球帽のオッチャンがいて先輩と何か話している。ひとしきり話した後「紹介しとくわ」といわれて名刺交換すると、このポロシャツのオッチャンが沢山町長だった。

(右の人が町長)
月に2万円で暮らせる老人ホームを作る話や、子どものいる世帯には町産の米を配給する話など、なんとかして支出を減らしながら町民が暮らしていける工夫をお聞きした。それでも、急速な人口減少と高齢化はご多分にもれず深刻で、なんとかしたいという熱意と悩みが伝わってきた。
お話を聞くうちに、ただの興味本位ではなくもっと予習してくればよかったと後悔しつつも、こういう首長がいるということに希望を感じるようになった。全国に星の数ほどある過疎地域の、それこそ希望の星になる可能性をもっているのではないか。そして、その過疎を逆手にとって原発や処分場を押しつける国の核政策にたいする、小さけれども数多くのするどい刃にも。

(処分場の候補地だった場所)
東洋町のチャレンジが全国の過疎地に広まっていくためには、核を拒絶しても生きている、もっとよくなっているという実績を見せることが何よりの力になるはずだ。毎年、現状の町予算と同じ額を原子力がもって来るという甘い甘い話をあえて拒否した結果、町民は少しずつ暮らしやすくなって若者も徐々に増えてきた ということになれば、だれが原発や処分場なんて受け入れるだろうか。

(元候補地は昔お城だったらしい)
ではどうすればいいのか なんて私にはわからないけれども、少々見聞した範囲で、目新しくもないけれども少し書いてみたい。
■
まず、有機農業で食っていける状態があれば、Iターンの若者は沢山来るはずだ。
現実は、非常にきびしい。「慣行」農業、つまり農薬と化学肥料の農業でも新規就農で自立して食っていくのは非常に難しい。まして有機農業になると、成功しているのは希有な例になるだろう。
でも、実際にやっている人の話を聞いたり、本を読んだりすると、必ずしも無理なわけではないような気もする。
というのは、有機農業が食っていけない原因がいくつかあるらしいからだ。
ひとつは、手の掛かる有機農業をやるには、販路開拓まで自分でしなくてはならないという問題がある。ほとんどの農協は、農協の農薬や化学肥料を使わない有機栽培の産品を扱ってくれない。扱っても、「慣行」栽培のものと区別されなかったりする。必然的に、自分で営業して販路を開拓し、袋詰めから発送までしなくてはならない。
そうなると、どうがんばっても有機農業でとれる収穫量は限られてしまい、いくら売れても収入は増えないということになる。
以上は、実際にやっていた友人から聞いた話。作ればいくらでも売れるけれども、体力の限界まではたらいでもそんなに沢山作れない と言っていた。
少ないけれども、有機栽培なんかを専門に扱っている流通に乗せると、今度は価格を抑えられてしまうと言うこともあるらしい。生産サイドではなく流通サイドに主導権を握られているので、生産者価格が低くなる。ご存じのように、有機栽培の野菜は販売価格は高いのに である。
だから、行政が流通の部分をきちんと整理整頓して、売り先を確保し、まじめに作ることに専念し、そこそこの値段で売れるようになっていれば、新規就農者にとってはものすごく心強い。
もうひとつの問題は、有機栽培もピンキリらしい、ということ。指導体制がないから、試行錯誤でやらざるをえない。その上、有機肥料というのがくせ者で、高温発酵させたチッソ分の薄いものが多く、野菜の元気がなくなり虫にも食われやすい という。(「野菜が壊れる」新留勝行著 に詳しい)
指導体制があり、良い有機肥料があれば、たぶん現場の苦労も違うものになるはずだ。
それと、これも体験談で聞いた話から、保険が必要なのじゃないか。台風などの激甚被害があると、1年間の収入が途絶えてしまう。この恐怖感というのも、新規就農を考える者にとっては、大きな心配要素だ。
自然災害に対する保険や補助や融資などのセーフティーネットを考えて欲しい。
最後に、アタリマエの話だが、農地の確保だ。これをIターン希望者に勝手にやれというのは、こっちに来るな!と言っているようなもんだ。他府県での話だが、ヒドイのになると、Iターンにタダで休耕地を貸してやり、何年か耕させて土が良い感じになってきたところで追い出す なんてこともあるらしい。
安心して住み続けれらるような、農地の確保は、行政の責任ではないだろうか。
Iターンに対する政策は色々あるけれども、緑の雇用みたいに、1年後は野垂れ死んでしまいそうないい加減なものが多すぎる。継続して生き住み続けられるように考えてもらいたい。
■
沢山町長の話を聞いていて思ったのは、沢山塾をやったらいいのに ということ。これだけ思いをもって政治に取り組んでいる人は、地方中央を問わずそういない。
町内の“貴重な”若者はもちろん、全国から政治や公務員を希望する連中を集めて塾を開き、後継者を育てていって欲しいなと思った。村内の後継者は言うまでもなく、そうやって全国に広がっていくネットワークは、東洋町が生き延びていくためにも貴重な情報網になっていくにちがいない。
政治家志望の若者が松下政経塾みたいなところにばっかり行くようでは、何党が政権を取ろうが、先が暗い。
沢山政経塾を開いて、全国から若者を集めて季節に1回ぐらい合宿をしたら面白いだろう。
以上とりあえず防備録のつもりで、勝手なたわごとを記しておきたい。

(海の駅にて鯖250円)

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2年前、核廃棄物の処分場をめぐって町を二分するたたかいのあった場所だ。
この一点で争われた町長選は、90%近い投票率と70%の得票率をもって反対派の沢山保太郎氏が勝利した。
以来2年間、沢山町長は処分場の問題にとどまらず、反核町長として過疎に悩む東洋町の舵取りを行ってきた。
詳しくは、沢山町長のブログを見てもらいたい。
東洋町長日誌
昨日この東洋町に行って、沢山保太郎町長にもお会いしてきた。高知県人会のある人に誘われての日帰り旅行だった。以前からお付き合いのあったこの方は、私とは親子ほど歳の違う大先輩で、このブログを見て こいつを沢山町長に合わせてやろう と思ったようだ。突然「来週東洋町へ行くぜよ」ということに相成った。
核廃棄物処分場の顛末は聞き知っていた私は、興味本位で、ワケの分からないまま先輩とともに早朝の高速バスに乗り込んだ。徳島までバスで2時間半、そこでレンタカーに乗り換えてまた2時間半。小休止を含むとはいえ都合5時間の行程は、決して楽とは言えない。午後の1時にようやく東洋町の道の駅、ならぬ海の駅に着いた。

木組みのきれいな木造の建物は、コンビニくらいの広さの産品販売コーナーと、テーブルが3つほどある食事コーナーがある。そこに、ポロシャツと野球帽のオッチャンがいて先輩と何か話している。ひとしきり話した後「紹介しとくわ」といわれて名刺交換すると、このポロシャツのオッチャンが沢山町長だった。

(右の人が町長)
月に2万円で暮らせる老人ホームを作る話や、子どものいる世帯には町産の米を配給する話など、なんとかして支出を減らしながら町民が暮らしていける工夫をお聞きした。それでも、急速な人口減少と高齢化はご多分にもれず深刻で、なんとかしたいという熱意と悩みが伝わってきた。
お話を聞くうちに、ただの興味本位ではなくもっと予習してくればよかったと後悔しつつも、こういう首長がいるということに希望を感じるようになった。全国に星の数ほどある過疎地域の、それこそ希望の星になる可能性をもっているのではないか。そして、その過疎を逆手にとって原発や処分場を押しつける国の核政策にたいする、小さけれども数多くのするどい刃にも。

(処分場の候補地だった場所)
東洋町のチャレンジが全国の過疎地に広まっていくためには、核を拒絶しても生きている、もっとよくなっているという実績を見せることが何よりの力になるはずだ。毎年、現状の町予算と同じ額を原子力がもって来るという甘い甘い話をあえて拒否した結果、町民は少しずつ暮らしやすくなって若者も徐々に増えてきた ということになれば、だれが原発や処分場なんて受け入れるだろうか。

(元候補地は昔お城だったらしい)
ではどうすればいいのか なんて私にはわからないけれども、少々見聞した範囲で、目新しくもないけれども少し書いてみたい。
■
まず、有機農業で食っていける状態があれば、Iターンの若者は沢山来るはずだ。
現実は、非常にきびしい。「慣行」農業、つまり農薬と化学肥料の農業でも新規就農で自立して食っていくのは非常に難しい。まして有機農業になると、成功しているのは希有な例になるだろう。
でも、実際にやっている人の話を聞いたり、本を読んだりすると、必ずしも無理なわけではないような気もする。
というのは、有機農業が食っていけない原因がいくつかあるらしいからだ。
ひとつは、手の掛かる有機農業をやるには、販路開拓まで自分でしなくてはならないという問題がある。ほとんどの農協は、農協の農薬や化学肥料を使わない有機栽培の産品を扱ってくれない。扱っても、「慣行」栽培のものと区別されなかったりする。必然的に、自分で営業して販路を開拓し、袋詰めから発送までしなくてはならない。
そうなると、どうがんばっても有機農業でとれる収穫量は限られてしまい、いくら売れても収入は増えないということになる。
以上は、実際にやっていた友人から聞いた話。作ればいくらでも売れるけれども、体力の限界まではたらいでもそんなに沢山作れない と言っていた。
少ないけれども、有機栽培なんかを専門に扱っている流通に乗せると、今度は価格を抑えられてしまうと言うこともあるらしい。生産サイドではなく流通サイドに主導権を握られているので、生産者価格が低くなる。ご存じのように、有機栽培の野菜は販売価格は高いのに である。
だから、行政が流通の部分をきちんと整理整頓して、売り先を確保し、まじめに作ることに専念し、そこそこの値段で売れるようになっていれば、新規就農者にとってはものすごく心強い。
もうひとつの問題は、有機栽培もピンキリらしい、ということ。指導体制がないから、試行錯誤でやらざるをえない。その上、有機肥料というのがくせ者で、高温発酵させたチッソ分の薄いものが多く、野菜の元気がなくなり虫にも食われやすい という。(「野菜が壊れる」新留勝行著 に詳しい)
指導体制があり、良い有機肥料があれば、たぶん現場の苦労も違うものになるはずだ。
それと、これも体験談で聞いた話から、保険が必要なのじゃないか。台風などの激甚被害があると、1年間の収入が途絶えてしまう。この恐怖感というのも、新規就農を考える者にとっては、大きな心配要素だ。
自然災害に対する保険や補助や融資などのセーフティーネットを考えて欲しい。
最後に、アタリマエの話だが、農地の確保だ。これをIターン希望者に勝手にやれというのは、こっちに来るな!と言っているようなもんだ。他府県での話だが、ヒドイのになると、Iターンにタダで休耕地を貸してやり、何年か耕させて土が良い感じになってきたところで追い出す なんてこともあるらしい。
安心して住み続けれらるような、農地の確保は、行政の責任ではないだろうか。
Iターンに対する政策は色々あるけれども、緑の雇用みたいに、1年後は野垂れ死んでしまいそうないい加減なものが多すぎる。継続して生き住み続けられるように考えてもらいたい。
■
沢山町長の話を聞いていて思ったのは、沢山塾をやったらいいのに ということ。これだけ思いをもって政治に取り組んでいる人は、地方中央を問わずそういない。
町内の“貴重な”若者はもちろん、全国から政治や公務員を希望する連中を集めて塾を開き、後継者を育てていって欲しいなと思った。村内の後継者は言うまでもなく、そうやって全国に広がっていくネットワークは、東洋町が生き延びていくためにも貴重な情報網になっていくにちがいない。
政治家志望の若者が松下政経塾みたいなところにばっかり行くようでは、何党が政権を取ろうが、先が暗い。
沢山政経塾を開いて、全国から若者を集めて季節に1回ぐらい合宿をしたら面白いだろう。
以上とりあえず防備録のつもりで、勝手なたわごとを記しておきたい。

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