2006-02-10(Fri)
絶望という贅沢
ふと仕事の切れ目などに、どうしようもない絶望感に襲われることがある。ブログでは 諦めたらいけない なんて書いているけれども、実は当の本人がいちばん危なかったりする。
コイズミ政権の闇を見れば見るほど、どうしようもない無力感に苛まれることもしばしば。しかも、遠い国会議事堂の中の話だけではなく、日々の生活の中でも、ミニコイズミ的な話が渦巻いている。
前にも書いたけれども、地元の保育園をめぐっては、共産党系の組合や父母会組織と、どういうバックがあるのかわからないが一団の父母との壮絶なバトルが繰り広げられている。
なんで、こんな小さな子どもらの居場所で、こんなドロドロしたことをしなければならないのかと、悲しくなるが、共産党系の諸君は相も変わらず官僚的だし、一団の父母の諸君はますますヒートアップして赤狩りの様相すらうかがえる。「職員組合のビラ撒きを禁止させた!」と言って、鬨の声を上げていたのがつい先日だ。
普通に考えれば、保育園の民営化に向けた地ならし、と言うことなのだろう。一団のリーダーが、某公共機関の管理部門の人間だから、なおさらそういう想像が働く。
住んでいる団地でもきな臭いことになっている。30年近く前に分譲された団地なのだが、立地がいいために、どうやらホニャララ団の標的になっているような兆候がある。(残念ながら証拠はない)
一部の管理組合理事が、反対するものには罵詈雑言を吐きながら、無駄な工事をせっせと進め、積立金を減らすことに精を出している。解体するための費用を残していない老朽マンションは、粗大ゴミと一緒で、地上げする方からしたらいとも簡単に二束三文で手に入れることができる。
期を一にして、ホニャララ組系の不動産会社が、「現金で買い取ります」というチラシを週に何回もポストに入れていくのだから、ますます勘ぐりたくなるわけだ。
そして、こうした動きに共通しているのは、人間の弱さ、汚さに徹底的につけ込む ということだ。「こうしたほうが楽」とか「タダでできます」とか、目先のことで釣って、本当に考えるということをさせず、人の汚い部分を引き出す。
いくら正論を吐いても、楽に流れる人の心に棹さすのは、本当に難しい。
そんな姿を毎日のように見せつけられながら、それを解説するようにコイズミの裏を知ってしまうと、どうしようもなく絶望感に襲われてしまう。
けれど、思えば絶望などと呑気なことを言っていられるのは、今現在が結構贅沢な状況ということでもある。
シバレイさんのブログなどで、イラクの状況を見れば、彼らはのほほんと絶望している余裕は無いように見える。
どこまで悪くなるかは、想像も付かない。けれども、なんとか誇りをかなぐり捨てることなく生きていけるように、もう一度立て直して見よう。悪くなればなったときだ。いや、いい世の中なんて現れることは無いのかもしれない。
できることは、そんな悪いことだらけのなかでも、諦めずに進むこと。それは、イラクにしても、南アにしても、世界が教えてくれていることなのかもしれない。
コイズミ政権の闇を見れば見るほど、どうしようもない無力感に苛まれることもしばしば。しかも、遠い国会議事堂の中の話だけではなく、日々の生活の中でも、ミニコイズミ的な話が渦巻いている。
前にも書いたけれども、地元の保育園をめぐっては、共産党系の組合や父母会組織と、どういうバックがあるのかわからないが一団の父母との壮絶なバトルが繰り広げられている。
なんで、こんな小さな子どもらの居場所で、こんなドロドロしたことをしなければならないのかと、悲しくなるが、共産党系の諸君は相も変わらず官僚的だし、一団の父母の諸君はますますヒートアップして赤狩りの様相すらうかがえる。「職員組合のビラ撒きを禁止させた!」と言って、鬨の声を上げていたのがつい先日だ。
普通に考えれば、保育園の民営化に向けた地ならし、と言うことなのだろう。一団のリーダーが、某公共機関の管理部門の人間だから、なおさらそういう想像が働く。
住んでいる団地でもきな臭いことになっている。30年近く前に分譲された団地なのだが、立地がいいために、どうやらホニャララ団の標的になっているような兆候がある。(残念ながら証拠はない)
一部の管理組合理事が、反対するものには罵詈雑言を吐きながら、無駄な工事をせっせと進め、積立金を減らすことに精を出している。解体するための費用を残していない老朽マンションは、粗大ゴミと一緒で、地上げする方からしたらいとも簡単に二束三文で手に入れることができる。
期を一にして、ホニャララ組系の不動産会社が、「現金で買い取ります」というチラシを週に何回もポストに入れていくのだから、ますます勘ぐりたくなるわけだ。
そして、こうした動きに共通しているのは、人間の弱さ、汚さに徹底的につけ込む ということだ。「こうしたほうが楽」とか「タダでできます」とか、目先のことで釣って、本当に考えるということをさせず、人の汚い部分を引き出す。
いくら正論を吐いても、楽に流れる人の心に棹さすのは、本当に難しい。
そんな姿を毎日のように見せつけられながら、それを解説するようにコイズミの裏を知ってしまうと、どうしようもなく絶望感に襲われてしまう。
けれど、思えば絶望などと呑気なことを言っていられるのは、今現在が結構贅沢な状況ということでもある。
シバレイさんのブログなどで、イラクの状況を見れば、彼らはのほほんと絶望している余裕は無いように見える。
どこまで悪くなるかは、想像も付かない。けれども、なんとか誇りをかなぐり捨てることなく生きていけるように、もう一度立て直して見よう。悪くなればなったときだ。いや、いい世の中なんて現れることは無いのかもしれない。
できることは、そんな悪いことだらけのなかでも、諦めずに進むこと。それは、イラクにしても、南アにしても、世界が教えてくれていることなのかもしれない。
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