2009-09-27(Sun)
なぜ「住む」ことに金がかかるのか
素朴な疑問がある。
なんで、「住む」ということに お金がかかるのだろう?
資本主義だからあたりまえ と言ってしまえばそれまでだが、それは本当に正解なのだろうか。
ホームレスやネットカフェ難民がいることは、仕方がない のだろうか。
私が疑問に感じるのは、いくつかの点がある。
一つは、収入や支出全体にたいして、住むことの費用が高すぎるということだ。
一般的に住宅ローンを借りるときには、年収の20%までが望ましい なんて言われている。
昨年の平均年収430万円ならば、月に7万円ほど。30年のローンでも1500万円くらいしか借りられない。
人口の大多数が暮らす都市部では、だいぶ年数のたった中古マンションしか買うことはできない。
逆に、建て売り住宅や、新築マンションを買うために 3000万のローンを組むと、月に14万円くらいの返済になる。
これは、平均年収の40%になってしまう。
20%近くは税金やなんかで天引きされるから、実に、使えるお金(可処分所得)の半分は住宅費に消えることになる。
これは、賃貸でもあまり変わらない。
7万円の家賃では、大阪だったら2DKくらい。4人家族では、かなり省スペースに暮らさないとやっていけない。
いわゆる3LDKなどの家族向けのものは、やはり14万円前後の家賃になる。
この高コストの源泉は、どこにあるのかというと、土地の値段だ。
もちろん、建物の値段もあるけれども、やはり不思議なのは土地のほうだ。
大阪市内で坪100万以上、電車で30分の周辺部で坪60万くらいのところだろうか。
何ヶ月も人手と材料をかけて作る家が、ひと坪50万とか60万とかなのに、ただあるだけの土地が、なぜかそれよりも高い。
収益還元で、高い家賃を取れるから値段が高いんだ、という説明もあるが、これは堂々巡りのお話しで、なんの説明にもなっていない。
少なくとも、住宅用地に関しては、そんな関係は成り立たない。
電車で1時間離れると、土地の値段は坪10万円くらいになる。
利用価値は変わらない、ただ、通勤時間がちょっと長いだけで、値段が10分の1になる。
なんとも、不思議な商品である、土地というのは。
どんな商品でも、原材料や労働やサービスの集大成であり、つまり金がかかっている。
だから、その対価を払うということにも、それなりに納得できる。
しかし、土地だけは、ある だけだ。
税金と草むしり以外は、基本的に原価はかからない。
それが、なんで建物よりも高いのか。
目減りしないからか?
では、目減りしない土地の利用料がこんなに高いのか。
目減りしないのであれば、利用料は本来安くなるはずだ。
実は、土地の値段は、担保にされている借金の金額で決まっている。たぶん。
銀行が貸し出しているお金は、ほとんど担保をとっている。
そして、その担保のほとんどは、土地だ。
だから、日本の経済は土地本位制だなんてよく言われる。
その土地値が、下がってしまうと、銀行の貸し付けは、一気に不良債権になり、貸し渋りや貸しはがしが横行した挙げ句に、銀行も潰れたりする。
まさに、バブル崩壊がそれであったし、サブプライムローンというのもその極端な形だった。
ただし、バブル崩壊は、以上にふくれあがったものが元に戻っただけで、土地本位制そのものが崩れたわけではない。
ところが、バブルのような特殊な時代を除外した、まあだいたい今くらいの土地の値段を大きく下回るようになると、土地を担保にしてお金を貸し、その金で日本の経済が動いている状態自体が、機能しなくなってしまう。
このように、日本で住むことにやけにお金がかかるのは、本来は住むためにある土地というものを、金融の担保、つまり金(ゴールド)の代わりに使ったせいだ。
本来食べるためにあるトウモロコシを、バイオエタノールなんて言う馬鹿なものに使ってしまったために、値段が上がって食べられなくなるのに似ている。
それが、恒常的、構造的になっているのである。
担保価値ということがなければ、土地の値段だって純粋に需給バランスや収益還元で決まっていくだろう。
直接収益を生み出す商業地は収益還元で、住宅地は需給バランスで値段が決まるならば、住宅が余っている現在、宅地の価格は劇的に下がっていくだろう。
もう一つ、私が不思議なのは、なんで地主というのがいるのか、ということ。
地主の土地というのは、いったい何の権限で地主の土地なのか?
法律的には、なんやかんやあるのかもしれないが、素朴に疑問である。
土地自体は、地球ができたときから、少なくとも日本列島の形ができたときから そこにある。
それに、線を引いて、「これはアンタの」と決めたのは何時、誰なのか。
その正当性は、どこにあるのか。
法律的に決まったのは、明治6年の地租改正だということになっている。
しかし、その元になっているのは、江戸時代の農地の使用形態だ。
本当のところ、どのようにして線引きしたのかなんて、真っ暗闇で分からない。
それから70年あまりが過ぎ、土地の所有は大きく変動する。
農地解放である。
それまで、地主から農地を借りていた小作農が、耕していた農地を自分のものとすることができた。
実に、農地の7割が地主から小作に渡ったという。
そして、さらに四半世紀が過ぎ、なんとも皮肉なことに、解放された農地は土地成金に姿を変えていった。
生きる術として農地を解放され譲り受けたものを、高額の土地として売却することは、許されることだったのだろうか。
都市部で借家住まいをしていたものは、借家解放で家を得ていたわけではない。
工場労働者は、工場解放で、会社の株を得ていたわけでもない。
しかし、農民は食料を作るという大儀のもと、農地解放の恩恵を受けたのではなかったのか。
てなことで、土地の所有とか値段とかいうものは、根拠が良く分からない。
私の拠点にしている大阪の江坂という街は、まさに農地が都市に化けた場所。
今でも、道路一本挟んで、都会と村が並んでいる。
毎日この町並みを歩きながら、なんとも息苦しさを感じずにいられない。
こうしたオドロオドロシイ土地の歴史を引きずっている場所からは、日本の住まいの新しい流れは出てこないだろう。
担保価値というクビキから解放された、ず~と郊外にこそ、可能性がある。
これまで、安いが故に見捨てられてきた土地が、これからは、安いが故に可能性を発揮するだろう。
できるだけ、お金をかけないこと。
これまでの金融の負の遺産から自由であること。
今あるものを、できるだけ利用すること。
そのためには、建築の仕組みも、金融(ローン)の仕組みも、不動産流通も、住み手の意識も変える必要がある。
幸いにして、民主党の住宅政策は、この方向に合致する可能性がある。
「住宅政策を大転換する」、民主党・前田武志座長
2009/09/10 ケンプラッツ
通勤可能な郊外に畑付きの家を2000万以内で という「菜園な家づくり」コンセプトが、はやく現実のものになることを願っている。
※ ある方から 下記のようなご指摘をいただいた
第二次大戦後の「農地解放」は多くの人に誤解されていますが,有償による元地主からの元小作人へのかなり高額な土地売買でした。
それでも,元小作人は自分の土地が得られることがうれしかったのです。
また,土地長者の批判はある意味当然ですが,農業を続けたくても,市街化区域に指定されると,農地に宅地並みの固定資産税が適用され,やむを得ず土地を手放したという事情も勘案すべきです。
土地は公有制が本来あるべき姿でしょうが,そこに至る道は,歴史的経緯により茨の道です。
なるほど、土地解放については大地主の側から意図的な「常識」が流布されていることは想像に難くない。もう少し、勉強してみます。
しかし、生産手段としての土地と、住む場所としての土地は、ハッキリと区別すべきだという思いは変わらないけれども。

にほんブログ村
なんで、「住む」ということに お金がかかるのだろう?
資本主義だからあたりまえ と言ってしまえばそれまでだが、それは本当に正解なのだろうか。
ホームレスやネットカフェ難民がいることは、仕方がない のだろうか。
私が疑問に感じるのは、いくつかの点がある。
一つは、収入や支出全体にたいして、住むことの費用が高すぎるということだ。
一般的に住宅ローンを借りるときには、年収の20%までが望ましい なんて言われている。
昨年の平均年収430万円ならば、月に7万円ほど。30年のローンでも1500万円くらいしか借りられない。
人口の大多数が暮らす都市部では、だいぶ年数のたった中古マンションしか買うことはできない。
逆に、建て売り住宅や、新築マンションを買うために 3000万のローンを組むと、月に14万円くらいの返済になる。
これは、平均年収の40%になってしまう。
20%近くは税金やなんかで天引きされるから、実に、使えるお金(可処分所得)の半分は住宅費に消えることになる。
これは、賃貸でもあまり変わらない。
7万円の家賃では、大阪だったら2DKくらい。4人家族では、かなり省スペースに暮らさないとやっていけない。
いわゆる3LDKなどの家族向けのものは、やはり14万円前後の家賃になる。
この高コストの源泉は、どこにあるのかというと、土地の値段だ。
もちろん、建物の値段もあるけれども、やはり不思議なのは土地のほうだ。
大阪市内で坪100万以上、電車で30分の周辺部で坪60万くらいのところだろうか。
何ヶ月も人手と材料をかけて作る家が、ひと坪50万とか60万とかなのに、ただあるだけの土地が、なぜかそれよりも高い。
収益還元で、高い家賃を取れるから値段が高いんだ、という説明もあるが、これは堂々巡りのお話しで、なんの説明にもなっていない。
少なくとも、住宅用地に関しては、そんな関係は成り立たない。
電車で1時間離れると、土地の値段は坪10万円くらいになる。
利用価値は変わらない、ただ、通勤時間がちょっと長いだけで、値段が10分の1になる。
なんとも、不思議な商品である、土地というのは。
どんな商品でも、原材料や労働やサービスの集大成であり、つまり金がかかっている。
だから、その対価を払うということにも、それなりに納得できる。
しかし、土地だけは、ある だけだ。
税金と草むしり以外は、基本的に原価はかからない。
それが、なんで建物よりも高いのか。
目減りしないからか?
では、目減りしない土地の利用料がこんなに高いのか。
目減りしないのであれば、利用料は本来安くなるはずだ。
実は、土地の値段は、担保にされている借金の金額で決まっている。たぶん。
銀行が貸し出しているお金は、ほとんど担保をとっている。
そして、その担保のほとんどは、土地だ。
だから、日本の経済は土地本位制だなんてよく言われる。
その土地値が、下がってしまうと、銀行の貸し付けは、一気に不良債権になり、貸し渋りや貸しはがしが横行した挙げ句に、銀行も潰れたりする。
まさに、バブル崩壊がそれであったし、サブプライムローンというのもその極端な形だった。
ただし、バブル崩壊は、以上にふくれあがったものが元に戻っただけで、土地本位制そのものが崩れたわけではない。
ところが、バブルのような特殊な時代を除外した、まあだいたい今くらいの土地の値段を大きく下回るようになると、土地を担保にしてお金を貸し、その金で日本の経済が動いている状態自体が、機能しなくなってしまう。
このように、日本で住むことにやけにお金がかかるのは、本来は住むためにある土地というものを、金融の担保、つまり金(ゴールド)の代わりに使ったせいだ。
本来食べるためにあるトウモロコシを、バイオエタノールなんて言う馬鹿なものに使ってしまったために、値段が上がって食べられなくなるのに似ている。
それが、恒常的、構造的になっているのである。
担保価値ということがなければ、土地の値段だって純粋に需給バランスや収益還元で決まっていくだろう。
直接収益を生み出す商業地は収益還元で、住宅地は需給バランスで値段が決まるならば、住宅が余っている現在、宅地の価格は劇的に下がっていくだろう。
もう一つ、私が不思議なのは、なんで地主というのがいるのか、ということ。
地主の土地というのは、いったい何の権限で地主の土地なのか?
法律的には、なんやかんやあるのかもしれないが、素朴に疑問である。
土地自体は、地球ができたときから、少なくとも日本列島の形ができたときから そこにある。
それに、線を引いて、「これはアンタの」と決めたのは何時、誰なのか。
その正当性は、どこにあるのか。
法律的に決まったのは、明治6年の地租改正だということになっている。
しかし、その元になっているのは、江戸時代の農地の使用形態だ。
本当のところ、どのようにして線引きしたのかなんて、真っ暗闇で分からない。
それから70年あまりが過ぎ、土地の所有は大きく変動する。
農地解放である。
それまで、地主から農地を借りていた小作農が、耕していた農地を自分のものとすることができた。
実に、農地の7割が地主から小作に渡ったという。
そして、さらに四半世紀が過ぎ、なんとも皮肉なことに、解放された農地は土地成金に姿を変えていった。
生きる術として農地を解放され譲り受けたものを、高額の土地として売却することは、許されることだったのだろうか。
都市部で借家住まいをしていたものは、借家解放で家を得ていたわけではない。
工場労働者は、工場解放で、会社の株を得ていたわけでもない。
しかし、農民は食料を作るという大儀のもと、農地解放の恩恵を受けたのではなかったのか。
てなことで、土地の所有とか値段とかいうものは、根拠が良く分からない。
私の拠点にしている大阪の江坂という街は、まさに農地が都市に化けた場所。
今でも、道路一本挟んで、都会と村が並んでいる。
毎日この町並みを歩きながら、なんとも息苦しさを感じずにいられない。
こうしたオドロオドロシイ土地の歴史を引きずっている場所からは、日本の住まいの新しい流れは出てこないだろう。
担保価値というクビキから解放された、ず~と郊外にこそ、可能性がある。
これまで、安いが故に見捨てられてきた土地が、これからは、安いが故に可能性を発揮するだろう。
できるだけ、お金をかけないこと。
これまでの金融の負の遺産から自由であること。
今あるものを、できるだけ利用すること。
そのためには、建築の仕組みも、金融(ローン)の仕組みも、不動産流通も、住み手の意識も変える必要がある。
幸いにして、民主党の住宅政策は、この方向に合致する可能性がある。
「住宅政策を大転換する」、民主党・前田武志座長
2009/09/10 ケンプラッツ
通勤可能な郊外に畑付きの家を2000万以内で という「菜園な家づくり」コンセプトが、はやく現実のものになることを願っている。
※ ある方から 下記のようなご指摘をいただいた
第二次大戦後の「農地解放」は多くの人に誤解されていますが,有償による元地主からの元小作人へのかなり高額な土地売買でした。
それでも,元小作人は自分の土地が得られることがうれしかったのです。
また,土地長者の批判はある意味当然ですが,農業を続けたくても,市街化区域に指定されると,農地に宅地並みの固定資産税が適用され,やむを得ず土地を手放したという事情も勘案すべきです。
土地は公有制が本来あるべき姿でしょうが,そこに至る道は,歴史的経緯により茨の道です。
なるほど、土地解放については大地主の側から意図的な「常識」が流布されていることは想像に難くない。もう少し、勉強してみます。
しかし、生産手段としての土地と、住む場所としての土地は、ハッキリと区別すべきだという思いは変わらないけれども。

にほんブログ村
- 関連記事
-
- 脱落リベラルの会が結成? (2010/08/12)
- たまには花火で夕涼み (2010/08/07)
- 這ってでも投票に行こう!! (2010/07/10)
- あ 菅内閣 (2010/06/10)
- 連日8時間以上「嘘をつくな!」などと激しく罵倒され続けている石川議員 (2010/01/27)
- どうやら勝負あったようだ (2010/01/21)
- 郷原信郎氏の総務省顧問に怯えるテレビ局 (2009/10/20)
- なぜ「住む」ことに金がかかるのか (2009/09/27)
- 最高裁判所の悪い判事に×をつけよう (2009/08/24)
- 太陽光発電の怪 (2009/08/18)
- 愚かなる横浜市教育委員会に思う (2009/08/05)
- 「 かぐや」はなんで墜落したのか (2009/06/20)
- 命を守る木の家(火事編その1) (2009/05/12)
- 日興コーディアルころがし (2009/04/25)
- どうにも不思議な不正DM事件 (2009/04/21)