2010-04-05(Mon)
本当にやりたいこと
ここしばらく続いているかる~いウツ状態の原因が、少しばかり見えてきた。
何をやりたいのかわからない。というか、自分で自分を演じていることに気がつき始めたと言った方がいいのか。
やっぱりちょっと違うか。
いやあ、表現ていうのは難しい。
私の信条 としてウチの会社案内にも書いてあるのは
1.楽しくないことはしたくない
2.木に教えられ、月のまなざしを感じていたい
3.戦争反対!
これは、偽りない気持ちだ。
これを書いたときは、結構気持ちよく時間を過ごしていた。
それから5年が経った。
コイズミ劇場と言われたペテン師の独裁に、ぞわぞわっと気持ちが悪くなり、いても立ってもいられずにこのブログを書き始めてから4年半。
第一回の記事を読み返してみると、「戦争と建築を学術的に研究する、なんていうのはどっかの学者さんにお任せして、明日建てる家を、どうやって反戦な家にするのか、それを考えてみたい。」てなことを書いていた。
はたして、その目的はどうなったか。
明日建てる家を、どうやって反戦な家にするか。この単純で難しいテーマについて、本気で切り込むことができていないのは、一目瞭然だ。ためいき・・・
でも、そのこと自体が気持ちをふさがせているのではない。たぶん。
このテーマは、長い時間を掛けて、自分の生き方のテーマとしてゆっくりじっくり取り組んでいくつもりだし、それでいいと思っている。
反戦な家づくり、なのであって、家づくりによる反戦運動 ではないから。
それはいいとしても、やはりこの5年間で、少しずつ何かがずれてきたような気がしてならない。
それは盛大な迷い道でもなければ、自己嫌悪に陥るほどの裏切りでもない。
けれども、やっぱり何かがおかしい。
私は子どもの頃から困った性格があり、人から見られているであろう自分像にとらわれの身になってしまう。
だからこそ、楽しくないことはしたくない。つまり、楽しくないことを無理してやると、どんどんそっちの方向に引きずられて、気がついたら取り返しが付かないことになる。
それがわかってるから、楽しくないことは、たとえ「正しいこと」でもしたくない。
これは、一人で生きている分には気ままな人生で結構なことだけれども、いろんな人と関わっているとそうもいかない。
しかも、人間が何人か寄ると、必ず何か問題が起きる。問題が起きる度に、ちょっと関わり、さっと関わりしているうちに、だんだん抜き差しならなくなってくる。
しかも、私のもうひとつの良からぬ性格は、気に入らんことを黙っていると、これはもう強烈に心がへこむのである。
ならば、適当に文句言って逃げる、ヒットアンドアウェーをすればいいのに、つい格好をつけて「言ったからには責任持たなくちゃ」なんてことを考えるから始末が悪い。
結果、クビを突っ込んだところで片っ端からとらわれの身と相成ってしまうのである。
具体的なことは、それぞれの集まりのの事情があって、ここでは書けないので、読んでいる方にはさっぱり意味不明のことと思し召しあそばしつつ、全国共通「鳩山政権」のことに話を振ってみる。
戦後60有余年。谷あり谷ありの末に、ようやく実現した民選政府。
魑魅魍魎に食い尽くされ、残る肴も腐り落ち、お膳の上に最後に残った梅干し一つ。そんな今の政権に、いくら頼りないとか腹一杯にならないとか言っても始まらない。
この梅干し一つから、なんとかして次のおマンマを確保するしか途は残されていないのだから。
それは、考えてみれば残酷な図絵ではある。
この小さい希望に未来を託さなくてはならない私ら民の不安は、そりゃあ大きい。
しかも、残った梅干しだって、半分は腐っていて、「原発推進」だとか言っている。
それでもなお、鳩山政権を支えていくしかないんだというリアリティをしかと貫いている植草一秀氏などの態度は立派だと思う。私も、あえて問われれば、やはりそれしかないと言うだろう。
けれども、ウチの子どもが見ている新プリキュアの決めぜりふ「堪忍袋の緒が切れましたワ!」とばかりに、鳩山政権に見切りをつける、天木直人氏やきっこさんの気持ちも、まったく同感だ。
この矛盾は、私の中でもどんどん大きくなってきた。
言うまでもないけれども、鳩山政権を単純に支持できない理由は、政治とカネなんかじゃない。
これは、なんのわだかまりもなく違う。
今のところ、普天間でもない。
もし仮に、完全に沖縄から撤去できないような案になったとしても、その内容と意味次第では、賛同はできなくても、政権そのものを否定することはないかもしれない。心情的に。
完全に、どうしても、まったく許せないのは、やっぱり原発推進だ。
他のことは、しょせん政治という世界のこと、理想社会の話じゃないと割り切れなくもないが、原発を推進するなんてことは、政権を存続するためのギリギリの妥協ではない。
あえて、積極的にやらかしている、民主党の愚策、駄策だ。
電力業界や電機メーカーとの取引はあったにせよ、票のためなら悪魔に魂を売るのか という話だ。
原発推進の積極性は、どう見ても妥協の産物とは思えない。ガンガン進んでやっているとしか見えない。
ことここに至って、私の気分はマタサキブルーに入っていく。
とまあ、こんなことが、小さい集まりでもおきてくるのである。
なにせ、世の中色んな人がいるから、できるだけ多くの人に合うように、という配慮と、自分の言いたいこと、やりたいことの表現を、どうにかこうにか合体させていくのだけれども、時間が経つとともに、だんだんその距離が開いてきて、ふとしたきっかけで、何だか自分のホンネとは違うんじゃないかなあ ということに気がついてしまったりする。
家づくりでも同じこと。
もちろん家である以上、住む人の希望を聞いて作るのはあたりまえだし、構造強度や使う材料や、崩しちゃいけない一線ははっきりとある。
それはそうなんだけれども、それでもやはり、自己表現としての建築ということはゼロじゃない。
身近な人に言わせれば「それだけ自己表現しておいて、まだ何か?」と言われるかもしれない。
確かにそうなんだけれど、なんだかどうしても、頭の表現であって、心や体の表現になりきれていないという欲求不満がチビチビと溜まっている。
こんなことを書き連ねていると、明月は相当深刻になやんでいるのかと心配してくれる良い人や、ざまあみろとほくそ笑むヤナヤツが若干数おられると思う。
ところがどっこい、こうやって書くことで、安心しつつあったりする。
少し前は、なにがウツウツとさせているのか、見当が付かなかったのに、だんだん正体が見えてきたから。
現象としては色んな場所や色んなケースで、同時多発に同じ問題が生じているということは、これはどうしたって自分の心の心棒がちょっとずれているということ。
本当にやりたいことが、見えなくなっていたということ。
そのことに気がついた今日は、昨日のフィールドアスレチックの筋肉痛にも関わらず、すごい良い日だったとおもうのである。
何をやりたいのかわからない。というか、自分で自分を演じていることに気がつき始めたと言った方がいいのか。
やっぱりちょっと違うか。
いやあ、表現ていうのは難しい。
私の信条 としてウチの会社案内にも書いてあるのは
1.楽しくないことはしたくない
2.木に教えられ、月のまなざしを感じていたい
3.戦争反対!
これは、偽りない気持ちだ。
これを書いたときは、結構気持ちよく時間を過ごしていた。
それから5年が経った。
コイズミ劇場と言われたペテン師の独裁に、ぞわぞわっと気持ちが悪くなり、いても立ってもいられずにこのブログを書き始めてから4年半。
第一回の記事を読み返してみると、「戦争と建築を学術的に研究する、なんていうのはどっかの学者さんにお任せして、明日建てる家を、どうやって反戦な家にするのか、それを考えてみたい。」てなことを書いていた。
はたして、その目的はどうなったか。
明日建てる家を、どうやって反戦な家にするか。この単純で難しいテーマについて、本気で切り込むことができていないのは、一目瞭然だ。ためいき・・・
でも、そのこと自体が気持ちをふさがせているのではない。たぶん。
このテーマは、長い時間を掛けて、自分の生き方のテーマとしてゆっくりじっくり取り組んでいくつもりだし、それでいいと思っている。
反戦な家づくり、なのであって、家づくりによる反戦運動 ではないから。
それはいいとしても、やはりこの5年間で、少しずつ何かがずれてきたような気がしてならない。
それは盛大な迷い道でもなければ、自己嫌悪に陥るほどの裏切りでもない。
けれども、やっぱり何かがおかしい。
私は子どもの頃から困った性格があり、人から見られているであろう自分像にとらわれの身になってしまう。
だからこそ、楽しくないことはしたくない。つまり、楽しくないことを無理してやると、どんどんそっちの方向に引きずられて、気がついたら取り返しが付かないことになる。
それがわかってるから、楽しくないことは、たとえ「正しいこと」でもしたくない。
これは、一人で生きている分には気ままな人生で結構なことだけれども、いろんな人と関わっているとそうもいかない。
しかも、人間が何人か寄ると、必ず何か問題が起きる。問題が起きる度に、ちょっと関わり、さっと関わりしているうちに、だんだん抜き差しならなくなってくる。
しかも、私のもうひとつの良からぬ性格は、気に入らんことを黙っていると、これはもう強烈に心がへこむのである。
ならば、適当に文句言って逃げる、ヒットアンドアウェーをすればいいのに、つい格好をつけて「言ったからには責任持たなくちゃ」なんてことを考えるから始末が悪い。
結果、クビを突っ込んだところで片っ端からとらわれの身と相成ってしまうのである。
具体的なことは、それぞれの集まりのの事情があって、ここでは書けないので、読んでいる方にはさっぱり意味不明のことと思し召しあそばしつつ、全国共通「鳩山政権」のことに話を振ってみる。
戦後60有余年。谷あり谷ありの末に、ようやく実現した民選政府。
魑魅魍魎に食い尽くされ、残る肴も腐り落ち、お膳の上に最後に残った梅干し一つ。そんな今の政権に、いくら頼りないとか腹一杯にならないとか言っても始まらない。
この梅干し一つから、なんとかして次のおマンマを確保するしか途は残されていないのだから。
それは、考えてみれば残酷な図絵ではある。
この小さい希望に未来を託さなくてはならない私ら民の不安は、そりゃあ大きい。
しかも、残った梅干しだって、半分は腐っていて、「原発推進」だとか言っている。
それでもなお、鳩山政権を支えていくしかないんだというリアリティをしかと貫いている植草一秀氏などの態度は立派だと思う。私も、あえて問われれば、やはりそれしかないと言うだろう。
けれども、ウチの子どもが見ている新プリキュアの決めぜりふ「堪忍袋の緒が切れましたワ!」とばかりに、鳩山政権に見切りをつける、天木直人氏やきっこさんの気持ちも、まったく同感だ。
この矛盾は、私の中でもどんどん大きくなってきた。
言うまでもないけれども、鳩山政権を単純に支持できない理由は、政治とカネなんかじゃない。
これは、なんのわだかまりもなく違う。
今のところ、普天間でもない。
もし仮に、完全に沖縄から撤去できないような案になったとしても、その内容と意味次第では、賛同はできなくても、政権そのものを否定することはないかもしれない。心情的に。
完全に、どうしても、まったく許せないのは、やっぱり原発推進だ。
他のことは、しょせん政治という世界のこと、理想社会の話じゃないと割り切れなくもないが、原発を推進するなんてことは、政権を存続するためのギリギリの妥協ではない。
あえて、積極的にやらかしている、民主党の愚策、駄策だ。
電力業界や電機メーカーとの取引はあったにせよ、票のためなら悪魔に魂を売るのか という話だ。
原発推進の積極性は、どう見ても妥協の産物とは思えない。ガンガン進んでやっているとしか見えない。
ことここに至って、私の気分はマタサキブルーに入っていく。
とまあ、こんなことが、小さい集まりでもおきてくるのである。
なにせ、世の中色んな人がいるから、できるだけ多くの人に合うように、という配慮と、自分の言いたいこと、やりたいことの表現を、どうにかこうにか合体させていくのだけれども、時間が経つとともに、だんだんその距離が開いてきて、ふとしたきっかけで、何だか自分のホンネとは違うんじゃないかなあ ということに気がついてしまったりする。
家づくりでも同じこと。
もちろん家である以上、住む人の希望を聞いて作るのはあたりまえだし、構造強度や使う材料や、崩しちゃいけない一線ははっきりとある。
それはそうなんだけれども、それでもやはり、自己表現としての建築ということはゼロじゃない。
身近な人に言わせれば「それだけ自己表現しておいて、まだ何か?」と言われるかもしれない。
確かにそうなんだけれど、なんだかどうしても、頭の表現であって、心や体の表現になりきれていないという欲求不満がチビチビと溜まっている。
こんなことを書き連ねていると、明月は相当深刻になやんでいるのかと心配してくれる良い人や、ざまあみろとほくそ笑むヤナヤツが若干数おられると思う。
ところがどっこい、こうやって書くことで、安心しつつあったりする。
少し前は、なにがウツウツとさせているのか、見当が付かなかったのに、だんだん正体が見えてきたから。
現象としては色んな場所や色んなケースで、同時多発に同じ問題が生じているということは、これはどうしたって自分の心の心棒がちょっとずれているということ。
本当にやりたいことが、見えなくなっていたということ。
そのことに気がついた今日は、昨日のフィールドアスレチックの筋肉痛にも関わらず、すごい良い日だったとおもうのである。
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