2017-09-20(Wed)

改憲を争点にすれば野党は負ける。いい加減学習しよう。

どうしても国会を開きたくない安倍晋三は、ついに解散という奥の手をつかってまで臨時国会を潰しにかかってきた。

それほど 「加計問題はヤバい」 ということだ。

内閣情報調査室はいまやゲシュタポと化している。少なくともミニJCIAである。
警察庁警備局と連動して、安倍政権を表と裏から、つまり合法非合法にわたって支えている。

しかしこれも、安倍が自民党内で絶対の権力を握っている限りにおいてである。
自民党内でトップのすげ替えが始まり、万が一権力を失うことになれば、加計学園をはじめとした特区での汚職が暴かれて刑務所行きということになる。

国会での野党の追及自体は恐れるに足りないとしても、そのことによる支持率の低下と安倍おろしの蠢動は、安倍晋三にとっては政治生命どころか、塀の向こう側におっこちるかどうかの瀬戸際なのだ。
その危機から脱出するためには、なんだってやる。
解散権も振り回すし、でまかせの争点作りなんて朝飯前だ。



安倍晋三にとっての本当の争点は 「加計問題から逃げ切れるかどうか」 だが、もちろんそれを口に出すわけにはいかない。
「小さな問題」だの「いちいち答えない」だのと誤魔化しながら、なんとかして、野党も食いつきそうな争点を作ろうとしている。

それが、改憲である。
森友問題がマックスに燃え上がり、その勢いで加計問題まで暴露されはじめた今年の5月3日、よりによって憲法記念日に安倍晋三は唐突に「9条加憲」をぶち上げた。安倍官邸スタッフは、かなり頭が切れる。

「憲法に手を付ければ、革新系は無条件に食いつく」
と読んだのだ。

さらに、改憲については野党内でも意見が割れているから、分裂も誘える。
つまり、安倍にとってこの「9条加憲」は、成立させることが目的ではなく、野党の目を加計問題からそらし、なおかつ野党を分裂させるためのものなのである。

もちろん、成立すれば儲けものだろうが、安倍の積年の願望は、「立憲主義と基本的人権を骨抜きにする改憲」であって、自衛隊を明記するだけで終わらせるつもりなどないはずだ。
むしろ、それを潰させることで、自民党内の改憲熱に火を点けさせたいのではないだろうか。

しかし、いま現在直面している問題は、とにもかくにも加計問題から逃げ切れるかどうか。
そのためにも、自民党内で権力を維持できるかどうか。
そこに安倍晋三のすべてがかかっている。

だから、「9条加憲」がどうなろうと、後は野となれ山となれ。
野党がこれに食いついてくれて、加計問題が薄まれば、それでOKなのである。

野党、なかでも革新系のみなみなさんが、その安倍官邸の戦術に気が付いて、くれぐれも 「改憲阻止が争点だ~」と言い出さないことを、切に切に願うものである。



しかし、安倍自民党も、いくら改憲で争点隠しをやったところで、それだけでは選挙に勝てない。

今年8月の日本テレビの世論調査では、「安倍内閣に最も優先して取り組んでほしい政策」として こんな結果が出ている。

20170920-1.png
(クリックすると日テレのHPへ)

「年金・医療・介護」と「景気・雇用」が圧倒的に多い。外交安全保障が増えているのは北朝鮮の「おかげ」だ。
「年金・医療・介護」と「景気・雇用」は、どの時期のどの調査でも、政治に期待する政策課題として、かならずトップ2にあがる。
そこで、安倍はこんなことを言い出した。

安倍首相、解散の大義急造「消費増税で教育・社会保障」
2017年9月19日 朝日新聞


首相は総選挙公約の目玉として「人づくり革命」を打ち出す方針。大学などの高等教育を含めた教育無償化や、高齢者中心の社会保障を低所得者・若年者に向ける「全世代型社会保障」の実現を掲げ、その財源として消費増税の引き上げ分を充てると訴えたい考えだ。
(引用以上)

これは舐めてはいけない。
言葉通り、教育が大学まで無償化され、低所得者や若者向けの社会保障が充実するならば、たしかにウレシイじゃないか。
もちろん、私たち批判派は「またウソだ」と見抜いているけれども、国民の多数は全部がウソだとは思わない。
どうせ消費税はあがっちゃうんだから、せめて教育無償化と社会保障に使ってくれたらウレシイ と思うだろう。

断言するが
これに凌駕する公約を掲げない限り 野党は惨敗する

もちろん野党の準備不足は間違いないが、それ以上の目も当てられない惨敗が口を開けて待っている。
それを少しでもマシな結果にするためにはどうしたらいいのか。そのことを 必死に考える必要がある。
間違っても 「正しいことを言っていれば、そのうち国民もわかってくれる」 という危機感ゼロの自己満足や、 「わからない国民が悪いんだ」 という逆ギレは封印していただきたい。

これまで、もう十分すぎるくら負け続けてきたのだから、いい加減学習してほしい。



では、野党はどんな政策を打ち出すべきか。

これまで何回か書いてきたが、アベノミクスの効果はほとんどが金持ちと大企業に吸い取られているとはいうものの、ほんのわずかは庶民の生活にもプラスの面が出ている。

就職戦線はかなり改善されたし、所得もすこ~しだけ上がっている。
ほんのわずかでも、国民は「ありがたい」「ないよりマシ」と感じていることは、見くびってはいけない。
選挙は正直だなあ

アベノミクスを批判だけして、それよりももっとオイシイメニューを示さない野党は、見向きもしてもらえないことを肝に銘じよう。

自民党の「増税で教育無償化と社会保障」に対抗するには
「減税で 教育無償化と もっとスンバラシイ社会保障」 しかない。

消費税を5%に引き下げて、教育はもちろん大学院まで無料にして、自民党の公約の上を行く公約をぶち上げるのである。
同時に、財政出動による景気対策と、それによる税収増を言い切るのだ。
財源論は、自民党とて明確に回答はできないのだから、あまり心配しなくてもいい。

しかし実は、ここで大きな問題が残る。
本来ならば、野党は 「法人税のアップと 所得税の累進強化」を言わなくてはならない。
ここが本当の財源である。

大企業と超金持ちに増税すると、景気が冷え込むという説があるが、私はそうは思わない。
内部留保も金持ちの莫大な貯金も、日本の経済には何も貢献していない。せいぜい、株価をつり上げているくらいで、実体経済にはほとんど回っていないから、企業の売上にも社員の給料にも、まったく貢献しない。
それを吸い上げて、公共が「ばらまけ」ば、お金が世の中を回るようになり、景気には良い影響があるはずだ。

しかも、企業も金持ちも 「税金に取られるくらいなら」と 取られる前に使おうとする。
どんな浪費だろうが酒池肉林だろうが、国内で使えばそれは経済にはプラスに働く。
企業も大きな黒字をだすくらいなら 決算賞与で社員に還元するようになる。
過剰な貯金、つまりお金が停滞することが、なによりも景気にはマイナスであり、暮らしを圧迫するのだ。

もちろん、すべての貯金が悪いわけではない。
老後の蓄えとか、旅行するための貯金とか、学資保険とか、使うための貯金は何の問題もない。
そういう庶民の貯金ではなくて、ただただ金を貯めるために貯める。その金額も個人で数十億円とかいう世界の貯金の話しである。

当局が把握しているだけでも、企業の内部留保が400兆円、個人の金融資産が1800兆円(うち1000兆円くらいは富裕層の貯金と思われる)もある。これに、把握できないタックスヘイブンにどれだけ流れているのか。おそらく数千兆円という、GDPの数倍の金が、日本経済から切り離され、国民の生活には何の役にもたたない貯金と化している。
だから、ここにメスを入れれば、いくらでも財源はあるし、貯めこんだ金が回り始めるので、イイコトづくめなのだ。

にもかかわらず、私は当面の選挙公約にこれを盛り込むことには慎重であるべきだ と考えている。
なぜならば、この数千兆円の金は、結局どこに回っているのか、ということに関係する。



金持ちは、ジッと金を眺めて暮らすことはしない。
貯めこんだ金を、ちょっとでも増やそうとして運用する。
それが、実体経済にプラスになる運用、つまり新技術の開発とか、機械の更新とか、ベンチャーへの投資とかならいいのだけれど、イマドキの金持ちはそんなことはしない。自分で株を買ったり、ファンドに預けて証券投資にまわす。
その金は、株価を押し上げると同時に、大量に米国に流れ込み、米国債を買い支える。

2014年10月29日、アメリカの中央銀行であるFRBは、QE3の終了を宣言した。
いま日本でやっているような、中央銀行が市中銀行が持っている国債を買い取る というやりかたを量的緩和(QE)というらしい。
その第三弾を、そろそろ景気が回復してきたんでやめます と宣言したわけだ。

米FRB、量的緩和の終了を決定 労働市場の判断前進、利上げの時期は?
ロイター 2014年10月30日


景気回復したらQEをやめるというのは定石だけれど、そのタイミングは難しい。
これまで中央銀行が買い支えてきた米国債の信用が揺らぐ可能性がある。
そこで、この直後にこんなニュースが流れた。

追加緩和とGPIF改革で「総力戦」の構え
ロイター 2014年11月1日


まさに間髪を入れず、日銀が動いた。
「あとは任せてください」てなもんである。

GPIFの株式投資には批判が高いが、ここを見逃してはいけない。
外国債券を「11%」から「15%」
外国株式を「12%」から「25%」
合計、40%を外国(ほぼ米国)に貢ぐことになったのである。

さらに、実体経済に回らないことをわかった上で、じゃぶじゃぶと円を刷って市中に流し、そのかなりの部分が米国債を買い支えることになった。

まさに、黒田日銀の異次元緩和とは、米国のQE3の肩代わりだったのである。

米国の財政と経済を支えるために、安倍政権が取った政策はこれだけではなかった。
法人税と所得税の最高税率を下げることで、企業の内部留保と金持ちの貯金を激増させ、これもまたファンドなどを通して米国へと流れていく仕組みを作った。

安倍政権は、イデオロギーは国粋だが、経済はとんでもない従米なのである。



そうした背景を見れば、なおさら 「大企業と金持ちから 税金取れ!!」と言いたくなる。

ただ、私はあの事件を忘れることはできない。

小沢一郎氏 失脚の引き金となった2009年2月の発言とは?
週刊ポストセブン 2012.10.21


小沢氏はなぜ米国に狙われたのか、孫崎氏が解説する。
(略)

 2009年2月24日の記者会見で、小沢氏は「軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ」と語りました。小沢氏はこれでアメリカの“虎の尾”を踏んだのです。

 この発言から1か月も経っていない2009年3月3日、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の会計責任者で公設秘書も務める大久保隆規らが、政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きました。しかし、贈収賄が行なわれたとされるのはその3年以上も前で、あまりにもタイミングが良過ぎます。
(引用以上)

本気で政権と取りに行くのであれば、米国とどこまで対立するのか、慎重に測る必要がある。
米国に投資されている日本の金持ちの貯金を、日本国内で回すようにする という政策は、やはり虎の尾である可能性が高い。
これは 「今は言わない」 という状況判断が必要なのではないか と思うのである。

一方で、安倍の政策はどうか。
注目すべきは、「消費税アップ」を公約するらしいということだ。
選挙にあたっては絶対に言いたくない 増税 を言わなければならないのはなぜか。

安倍官邸と、財務省の力関係に変化が生じているのだろう。
あの、森友問題で安倍夫妻は、財務省に絶大な借りを作ってしまった。
恥も外聞もなくウソを突き通し、パソコンを廃棄し、末端職員を生け贄にしてまで 安倍夫妻の名誉を守った財務省に対して、さすがの官邸も頭が上がらないはずだ。
もしこれで、安倍の方針が財務省に引きずられ、緩和から増税緊縮路線に傾けば、安倍を倒すチャンスは十分にある。

2009年に 財務省の政治家とも言える麻生太郎が、財政規律と消費増税を訴えて政権を失ったことは象徴的だ。
あのときの米国の状況は、当然ながら瀕死の状態であり、緊縮を口にするような属国は即座に叩きつぶす必要があった。
それが、麻生おろしであり、小沢バッシングと並行して勧められたマスコミの民主党期待論だったのだ。

逆に言えば、民主党に政権をとらせる、という大方針があったからこそ、小沢だけは排除する必要が生じて、あの大弾圧になっていたということだ。

そんな属国日本で、安倍は借りを作った財務省のために 増税を言わざるを得なくなった。
このチャンスを活かせるかどうかは、野党の公約にかかっている。

前原のように、「鳶に油揚げをさらわれた」とか言って泣き言を並べているようでは、お先は真っ暗だ。
「うちのは、もっとスゴいんです。どんなもんだい」「そっちが油揚げなら、こっちはトンカツでっせ」 とぶち上げるしかない!



前原の名前が出たついでに、野党共闘についてもひと言書いておく。

結果がどうなるかはぜんぜんわからないが、現在までの戦略としては私は前原のほうが正しいと思っている。

なぜか。激高せずに、ちゃんと読んでもらいたい。

前原が今の時点で 「共産党と協力しますよ~」と言ったらどうなるか。
アホな民進党議員が、雪崩をうってトミファに流れるだろう。
野党は共闘するかもしれないけれど、かなり大きな第3極が登場し、非自公の票は割れ、民進の人気がない現在の流れならば、トミファのほうが議席を稼ぐことになるだろう。

前原に対して 「共産党と協力しないのはバカだ」と罵る方々が、その結果について良しとするのだろうか。
たしかに、最終的に選挙協力しないと自公に負ける というのは中学生でもわかることだが、今宣言したら民進が割れてトミファを勢いつかせるということも自明のことなのではないか。

私は価値観や好き嫌いは排除して話している。
論理的に、情勢分析的に、私の言うことは間違っているだろうか。
自分の好きな方向に賛同しないものを 「バカ」呼ばわりすることは自由だけれども、結果にもぜひ責任を持っていただきたい。

もちろん、最終的に選挙区調整は絶対に必要だ。
ただ、現実的に考えて、トミファが台頭すれば絶対に調整不可能だが、共産党はおそらく自主的に降ろすだろう。
共産党がかわいそうだとか、前原が傲慢だとか、感情的な言い分はいくらでもあるけれども、きわめてプラグマティックにどちらがマシか、よく考えてみる必要があるだろう。

楽観的な方向では、前原がもし小沢と本気で組むのであれば、最終的に共産党との調整はまちがいなくされるだろう。
前原にそこまでの腹がなかったとしても、社民、自由、共産は、自らの判断で選挙区については最適の答えを出すはずだ。

だから、私は野党共闘、というか選挙協力についてはさほど心配していない。
やはり問題は、目玉公約であり、争点作りである。

「加計疑獄事件を誤魔化すな」
「減税で 教育無償化と もっとスンバラシイ社会保障」

断固としてこれを言い切るべし!!

■ お知らせ 1 ■

森ゆうこ 自由党参議院議員 講演会

日と場所: 10月1日(日)国民会館(地下鉄・京阪 天満橋駅)

時間: 14:00(開場予定)~15:30

参加料:無料 定員80人(先着申込順)

申し込みフォーム: https://ssl.form-mailer.jp/fms/0de8908b411455

共催: 自由党大阪府連 ・ 生活フォーラム関西

※解散総選挙の情勢次第で、内容は変更します
 
■ おしらせ 2 ■







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2017-09-13(Wed)

反戦と民主主義

日本の「リベラル」と言われている人たちは、反戦=民主主義みたいに無邪気に信じているけど、民主主義の戦争もあれば、独裁の平和もあるなんてことは、誰でも知っていることだ。

民主主義のための戦争は、それこそアメリカのお家芸。
ソ連が崩壊してしまい、軍拡の口実がなくなってしまった軍産共同体やネオコンは、「独裁政権の指導者はぶち殺すのが正義だ」「戦争で民主主義をもたらすのだ」と唱えて、パパブッシュ、クリントン、子ブッシュ、オバマ、と民主共和にかかわらず、民主主義のための戦争を続けてきた。
紛れもなく選挙で選ばれた大統領と、選挙で選ばれた上下院議員が世界最大の戦争遂行者なのは、疑いようのない事実だ。

一方で、何かと持ち上げられることが多いブータンは、つい最近まで絶対王制だった。2008年にやっと憲法ができたそうだが、
また、最近リベラル(?)っぽい人の中に多いのが、天皇の平和主義をたたえる風潮だ。これもまた、民主主義とはほど遠い。
アメリカに襲われて戦争のるつぼと化してしまったイラクやシリアのようなかつての独裁国家だって、少なくとも民主主義になる前のほうがまだしも平和だった。

民主主義というのは、あくまでも「民」が「主」であるというだけのことであって、正義はまったく保証されていない。
ただ、何らかの妥協のルールを決めておかないと、国内が乱れる、内乱や内戦を防止するための歴史的な知恵だ。
だから、国内問題にはまだしもマシな判断ができたとしても、国外に向かっては正義とはまったくリンクしていないのである。
民主主義の中に、排外主義や侵略主義をとどめる仕掛けは、まったくない。

それに対して、現在の地位に満足している独裁者は、他国との戦争は直接的なディメリットがある。
うまくいっていない独裁者は簡単に侵略に走るけれど、うまくいってる独裁者には侵略を押しとどめる動機がある。
先祖の責任はきれいに忘れてもらってイイヒトになり、国民の税金で贅沢三昧、そんな象徴天皇の地位に満足している今の天皇が、平和主義になるのは当然なのである。

「民主主義は間違う」ということを覚悟しておかないと、独裁者が間違うと「民主主義を返せ」と叫んでおきながら、民主主義が間違うと「有権者がバカだ」とか言い出すことになる。

そうしたご都合主義の象徴が、憲法だ。
議論すら否定する「護憲運動」は、少なくとも民主主義ではない。
ことの是非はここでは言わない。しかし、少なくとも憲法をどうするべきかの議論自体を「悪」と決めつける態度は、非常に鮮明な平和主義ではあるけれども、どうひいき目に見ても民主主義ではない。

事情は痛いほどわかる。
自民党が多数を占め続ける戦後政治のなかで、議論をすればすぐに戦争放棄の9条がなくなり、人権を保障した諸章が書き換えられる、と考えて、議論自体を封殺してきたことは、責められないと思う。
しかし反面で、そのために日本には民主主義は根付かなかった。50%が選挙にすら行かない国になってしまった。
政治は一部の右派と一部の左派のものになり、ほとんどの国民にとってはお任せ定食を選ぶだけのものになってしまった。

そしてもうひとつ、反戦を優先する余りに、左派が避けて通ってきた問題が、独立だ。
左派は、対米従属を批判するけれども、決して「日本の独立を」とは言わない。

おかしな話しだ。従属が悪いのなら、独立すべきだろう。
しかし、左派の頭の中には 「独立=独自核武装」という公式がトラウマとなって焼き付いている。
たしかに、戦後に「独立」を唱えてきたのは、改憲-独自核武装-安保破棄 という極右だけだった。だから、運動歴の長い人ほど「独立」ということに強烈な拒絶反応がある。

これもまた、民主主義をスポイルしてきた大きな要因だ。
日本は米国の核の傘をかぶって従属国として生きていくべきなのか、米軍には出ていってもらって独立すべきなのか。こんな大事なことを議論しない民主主義って何だ?
日本全体がこのように議論すら避けて通っているから、その矛盾を沖縄はかぶり続けているということを、「独立」嫌いの左派は自覚すべきだ。

吉田茂が、軍国主義の復活も共産主義革命も否定して、その現実的な脅威から逃れるために積極的に対米従属を選択したことは、必ずしも私は非難できないと思っている。
あの時点でのリベラリスト吉田茂の判断は、屈辱的であったかもしれないが、たしかに日本に平和と経済繁栄をもたらした。まさにその時代に育ってきた私としては、孫崎享氏のように吉田茂を諸悪の根源のように指弾する気にはならない。

しかし、吉田の選択した積極的対米従属が不文律となって日本を支配し、その是非についての議論すら封じることになってしまったことは、やはり日本の腐敗の根源だと言わざるを得ない。
その罪は、吉田路線を引き継いだ自民党主流派だけにあるのではなく、護憲のためには安保を黙認してきた左派にもある。

このように議論を封じられた戦後の日本で、民主主義を優先して考えた人たちは、議論を封じる左派に疑念を抱いた。
「自分たちのことは自分たちで決めるべきだろ」と思った人が惹かれていったのは、自主憲法制定を唱える極右しかなかったということを、左派は自戒の念を込めて認識してほしい。

ここ数年で小沢グループが自由党となって徐々に輪が拡がるにつれ、そうした人たちが、本当に求めていたのはこれだよ と集まりはじめている。
だから、私の知っている範囲でも、過去の発言を見るとまるで極右という人が何人もいる。
彼らは、そういうグループにしか居場所がない中で、同調する意見を持っていたわけだが、それは本質ではなかったということのようだ。

もちろん、それでも口から発してしまったことは、とくにそれが政治家であれば、責任は免れないのだから、ブログや動画を削除したりほおかむりしたりせずに総括すべきだと思う。
しかし、戦後政治の中で、「独立」と「民主主義」を唱えていたのが、なんとビックリ極右しかなかったという現実を無視することはできない。とくにその状況を作ってしまった、民主主義を唱えながら民主主義を封殺してきた左派の皆さんは、自らを総括することなく、他人を指弾することはできないはずだ。

私も自分を切開するためにこれを書いている。
ここで「左派」と書いていることは、数年前までの私にすべて当てはまるわけで、その反省から、私は「日本独立! 絶対反戦!」を自分の信条にすることにした。

永世中立国のスイスは、武器輸出とアングラマネーで成り立っている。何事もキレイゴトだけでは済まないことはわかっている。
が、対米従属がもはや平和を保証しなくなった今、日本人は次のステップに進まなくてはならないことは明白だ。
対米従属の戦争、という安倍晋三が提示している未来が最低最悪だとしたら、次悪、次善、最善はなんなのか。現実的に考えなくてはならない。

もちろん、今このときに憲法を一言一句たりとも変えることには私も反対だが、すべてに目をつぶって「護憲」だけを叫び、議論を封じる時代は終わりにしよう。
自分たちの未来を、自分たちで議論しよう。

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森ゆうこ 自由党参議院議員 講演会

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時間: 14:00(開場予定)~15:30

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■ おしらせ 2 ■

社民党の服部良一さんが、大阪9区(茨木、箕面、池田、豊能郡)で出馬表明をされました。

ニュー服部として始動することを、心から願っています。




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2017-09-12(Tue)

選挙は正直だなあ

こんなことを言うと、不正選挙を追及している人たちは激怒しそうだが、私が5年間ほどちょっとずつ関わってきた印象は、「選挙って正直だよな」という感じ。

選挙って何だろ てとこから考え直さないと、永遠にすら思えた55年体制のように、2012年体制がずっと続いていく。
困ったことに、55年体制は「妥協」の政治だったが、12年体制の本質は「独裁」だ。
独裁を支える民主主義という、異常な状態を目の当たりにしているのだから、「不正選挙だ」と言いたくなる気持ちもわかる。2012年総選挙の直後は、私も本気で疑った。

しかし、その後何度か選挙に関わるうちに、ホントに仄かな感触だけれども、ああなるほどな。そりゃ負けるよな。と思うようになってきた。
そのことを話す前に、5年間でつかんだ極意(笑)を述べておきたい。

革新は演繹法。自分達の正しいと信じる考えに現実を合わせようとする。保守は帰納法。目の前の現実に対処するために適当に理屈を後付けする。
革新から見れば保守は節操ないと見え、保守から見れば革新は狂信的に見える。

保革の連携を阻んでいる最大の問題はここだと思う。

革新は「どうあるべきか」 から始まり、保守は「どうするべきか」 から始まる。
ここんとこで、お互いに自分の弱みも自覚し、相手の発想の大切さも認識しないと、政策課題でいくら合意しても、ぜんぜん信頼感を作ることができない。

さて、この話と選挙のことがどうつながるかというと、「選挙とは何だろう」ということでも、同じようなとらえ方の違いがある ということ。
革新の発想では 「選挙とは有権者が候補者の政策を検討して選ぶべきだ」 ということになる。
しかし保守は、「有権者は 候補者が何をしてくれるか どんだけ頑張ってるか で選択する」 という現実を見ている。

「政策を検討して選ぶべきだ」という立場に立てば、個別課題では反対多数なのに選挙になると安倍自民党が圧勝するのは、「不正選挙」以外にはない ということになる。
しかし、現実はそうではない。いくら「そんな選び方はだめだ!」と言ったところで、現実は変わらない。
ならば、その現実から「どうするべきか」と考えるのが保守の発想なのだ。

地元に高速道路や新幹線をもってくるという大がかりなところから、これ見よがしに地域の清掃活動をやるなんていうものまで、どうやって有権者の歓心を買うかに腐心してきた。ただ、保守の選挙手法にも陰りは見えている。
国家予算を何兆円もつかって選挙運動をするという芸当はそもそも野党にはできないが、幸か不幸か日本の税収はそんなことをやり続ける余裕はなくなってしまった。
大企業と超金持ちばかりを優遇しすぎたために、有権者=一般大衆に大盤振る舞いをすることができなくなってしまった。

これは、今の自民党にとって実は深刻な問題だ。
大企業や超金持ちはたしかに、金も出すし社会的な影響力も大きい。選挙では力になる。
しかし、所詮わずかな人数に過ぎない。
中小零細企業に勤めたり経営したりしている人や、中年にさしかかっても非正規から脱出できない多くの人たち、すなわち大企業に吸い取られている人たちは圧倒的多数派である。彼らがいつ態度を翻すだろうかと、オイシイ餅を配ることができなくなっている自民党は、常にヒヤヒヤものなのである。

そのヒヤヒヤ状態を、なんとか救っているのが、ひとつはアベノミクスであり、もうひとつが野党の惨状だ。

竹中・小泉時代とアベノミクスの違いは、竹中・小泉は大企業や超金持ちを優遇が100%だったのに対し、アベノミクスは99%であり、残り1%は大衆の経済に回るようにしている ということだ。(あくまで比喩的な割合なので細かいことは気にしない。。)
これも「べき」から始まる革新系の人たちは、頑なに認めようとしないが、大衆の生活レベルに関わる指標は、アベノミクスになってからわずかに上昇している。

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上記のグラフは有効求人率と実質賃金だが、正社員の率も上がっている。
もちろん、大企業の内部留保や超金持ちの財産が急増していることにくらべたら、ほんのわずかな見えるか見えないかくらいの上昇だけれども、20年間苦しんできた大衆の生活にとっては、一滴の雨でもありがたい。

アベノミクスは、選挙に勝つための最低限の大衆利益を確保するために、大企業と超金持ちたちの目を盗んで、ほんの少しばかり金をくすねて使っているのである。
そうしなければ、圧倒的多数の大衆が態度を翻す、という恐怖にかられているからだ。

その自民党の危機感を、まったく感じていないのが、野党諸氏である。
もちろん、どうしようもない民進党もそうだけれども、共産党も社民党も自由党も、その意味ではおなじだ。
金持ちに支配されすぎて大衆に餅を配れなくなっている自民党が、目の前で四苦八苦しているのだから、野党がやるべきことは明確ではないか。

金持ちから税金取って、皆に餅を配るよ と宣言すればいいのだ。

アベノミクスになってからの大企業と超金持ちは、パラダイス状態だ。

アベノミクスで日本企業の内部留保がさらに肥大、“タックスヘイブン”ケイマン諸島への投資額激増も判明!
2016.6.12 リテラ

法人税、所得税、タックスヘイブン対策、を抜本的にやれば、日本の税収はぜんぜん苦しくない。
1000兆円の財政赤字は、ほぼそのまま超金持ちに貢いだ金額だ。大減税した挙げ句、理由をでっち上げては補助金まで配ってきた。加計学園はその氷山の一角である。
彼らの財産は、もともと国民のものなのだから、回収すればいいだけのこと。
もちろん、消費税なんて要らない。0%である。

それを財源にして、教育無償化、子ども手当、高速道路無料化、中小企業の自立支援、災害復興支援 などなど国民のフトコロを潤していけば、消費は増大して経済自体が元気になる。
十分な税収になるまでのつなぎの時期は、恐れずに赤字国債を発行すればいい。ヘタに国債を減らすと、一気に経済は収縮してとんでもないことになる。

これほど、国民の要求が明確なのにもかかわらず、野党は無関心だ。

もちろん、憲法も戦争法も共謀罪も大問題だ。
「メシのことより平和が大事だ」という革新系のストイックな高楊枝も立派だとは思う。
しかし、現場感覚でみるならば、「小かねもちの趣味」と思われていることも知るべきだ。

まして、消費税を上げて緊縮財政を指向する民進党など、国民生活からみたら敵でしかない。
反緊縮に180度カジを転換しない限り、民進党はこのまま消滅していく運命だ。


有権者が見ているもうひとつのポイントは 「この人頑張ってるね」 と 「○○さんに頼まれたから」 ということ。

駅での朝立ち夕立ちをやりつづけ、わざと暑いときに汗だくで歩き回り、目立つ場所で清掃活動をやり、祭りや運動会は欠かさない。
○○さんを一人でも増やすために、本当は興味のない会合でもズケズケ出かけていって顔役になる。
とくに地方選の場合はほとんどこれで決まっているのではないかという気もするし、国政も半分はここにかかっているのだろう。

この数年の野党(予定)候補がやっているような、ポスティングや街宣で政策を伝える、という行動で取れる票は、それなりに時間をかけてやっても当選に必要な票の1/2~1/3くらいが限度なのではないか。
まして、選挙期間だけだったりすると、1/5くらいで、ヘタすると供託金没収というのがこの間の実績だ。

こうして振り返ってみると、やはり「選挙は正直だな」と思うのだ。



社民党の服部良一さんが、大阪9区(茨木、箕面、池田、豊能郡)で出馬表明をされた。


服部さんの人となりは、私もよく存じ上げている。なんとしても国会の中にいてもらいたい人物だ。

ただ、これまでと同じような活動では、同じような結果しかついてこない。
彼を心から尊敬するからこそ、その意味では変わってほしいと思っている。

服部さんの人望で、大阪中から市民運動や労働運動の人たちが、9区に駆けつけるだろう。
ここ数年で最大規模の運動が始まっていくだろうと思うし、私もできるだけのことはするつもりだ。
しかし、それだけでは、勝てない。

革新の殻をやぶって、ニュー服部として始動することを、心から願っている。


■お知らせ■

森ゆうこ 自由党参議院議員 講演会

日と場所: 10月1日(日)国民会館(地下鉄・京阪 天満橋駅)

時間: 14:00(開場予定)~15:30

参加料:無料 定員80人(先着申込順)

申し込みフォーム: https://ssl.form-mailer.jp/fms/0de8908b411455

共催: 自由党大阪府連 ・ 生活フォーラム関西

      



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2017-09-04(Mon)

人のための木か、木のための人か

世の中、ミサイルだ核実験だと騒がしいので、ちょっと耳を塞いで別のことを考えてみたい。

動物の寿命って、どのくらいなんだろうと思って検索してみると、ゾウがと人間が同じくらいで60歳~80歳くらい。クジラも同じくらいだけど、北極クジラは150年くらいじゃないかという説も。
ツルは千年というのは真っ赤な嘘で20歳くらいだけれども、カメは万年は無理でも200歳というのが現存しているらしい。

寿命というと有名なのが、ベニクラゲ。数週間で大人になって生殖したあと、普通は死ぬのに若返って赤ちゃんに戻るらしい。
そのために不老不死とか言われている。たしかに確実に何度でも再生されれば不老不死だけど、実験では10回くらいまでしか確認されておらず、実質的には1年未満である。

そんなわけで、動物の場合は数年から100年くらいまでが普通であり、それを超える個体はごく限られているということになる。

では、植物の寿命はどうだろう。
屋久島の縄文杉が2500年、大王杉が3500年とか言われている。本当に縄文時代から生きている。
アメリカのメタセコイアが4000歳で、世界の生き物の中で最高齢らしいが、確認できていないもっと高齢の木もありそうだ。
4000年前と言えば、エジプトではピラミッドが作られたりしていたが、アメリカは打製石器の時代だった。

最高齢では20倍くらいの差ががあるが、平均的にも数倍の寿命があたりまえになっている。
私たちが家を建てるときに使う杉や桧は、50年から80年くらいで切ってしまうので人間の寿命と同じくらいだけれど、放っておけば200年や300年は普通に生きるので、「普通の寿命」が3倍くらいちがう。

もちろん木はしゃべらないし、どのような手段でも自己表現をしない。
じっと見ている限りでは自分で動くことはない。
切っても「イタい」とは言わないし、そのような素振りも見せない。
木がどんな環境になろうが、枯れ果てようが、それを「かわいそう」などと思うのは、人間の勝手な思い込みである。
木は、別に感傷的に涙しながら枯れていくわけではない。

では、木はされるがままなのかというと、そんなことはない。
それどころか、木の命に逆らう人間の振る舞いには、苛烈な復讐を行ってきた。
エジプト、メソポタミア、インダスの文明が栄えた地が砂漠と化したことがその象徴だ。
そんな昔のことでなくとも、砂漠化は現在でも人類にとっての大脅威である。

 私が国産の木材を使う理由

あるいは、最近の土砂災害のニュースが多いことに誰もが気づいているはず。
明治以降に土砂災害が多発しているのは、明治中期、戦後直後、そして最近である。
いずれも、日本の山に大きな問題があった時代に、台風や地震などの直接の原因が生じたためと考えられる。

明治維新直後と、第二次大戦中は、日本の山の木を乱伐し、多くの山がはげ山になったと言われている。
明治中期と戦後直後に土砂災害が多発したことは、これが原因だろうと思われる。
一方、戦後は拡大造林政策で、猫も杓子も山に木を植えまくった。田んぼを潰して杉林にしてしまったところも珍しくない。
そうやって国土の25%を人工的な山にしてしまった。

明治のときは、治山事業と林業を国策で強化して、かなり災害は減ったのに、戦後は杉や桧を植えまくったにもかかわらずイマイチ災害は減っていない。それどころか最近になって激増しているのはなぜなんだろう。

ひとつは、植えたのはいいけれども手入れをしないものだから、崩れやすくなってしまったこと。
もう一つは、手入れをして間伐した木を山に放置していること。

手入れをしていない説はわかりやすいので省くとして、手入れをしたのに、切った木を放置すると何がダメなんだろう。
山の斜面に切ったまま放置された丸太は、土石流とともに大量に流れ出し、それが橋などに引っかかり橋を押し流す。あるいはダムとなって洪水を引き起こす。
もちろん、流れるのは切られた丸太だけじゃないが、枝や根っこを切られた間伐材は、非常に流れやすくなっているのは間違いない。

流木でせき止められ、氾濫か 九州豪雨、専門家分析 2017年7月7日 朝日新聞

ただし、最近よく耳にする深層崩壊に限って言うと、樹木の状態とはあまり関係がないらしい。
10m以上深いところでの地滑りであり、明治以来の被害も奈良と和歌山に多発していることから、地層的な原因が大きいのではないかと言われている。

閑話休題。
人間は、木を好きなように伐採したり植林したりできるし、加工して利用することができる。
その時、木は痛がらないし、何をされても嫌がらないけれども、何かを間違うと激烈な復讐をされる。
そして、木は人間をはじめほとんどの動物よりも寿命が長いので、その復讐は何世代か後に襲ってくることになる。

そんな風に考えていると、なにか、女王蜂と働き蜂の関係を思い出してしまう。
われわれ人間は、バタバタあくせく働いているけれど、実はその究極の目的は「木」の為なんじゃないか と。
働き蜂だって、「女王陛下の御為に」なんて思っているわけじゃなくて、それが当たり前だと思って飛び回っているだけなのだろう。それが結果的に女王蜂を養っている。
木も、光合成で酸素と炭水化物を供給して動物を生かしておいて、あたかも地球の王者のように思わせてキリキリ働かせているんじゃないか。

地球を一つの生命体に仮定するようなガイア説は、私は陳腐だと思っている。
その手のものが一人歩きすると、安倍昭恵あたりが大喜びするカルトになる。

昭恵夫人 大麻解禁論者との交遊咎められ家族会議で絶叫か
週刊ポストセブン 2017.06.28

 ※この記事に書かれている龍村ゆかり氏とはガイアシンフォニーのプロデューサーである。

共生という言葉も使いたくない。
手垢がつきすぎているし、結局は人間本位の本音が透けて見えるからである。

しかし、自然界では、当事者同士は意図せずに 「何かのため」に生きている生物は珍しくないわけで、人間の知能も器用な手足も、実は木のためにつくられた、という考えはまんざら荒唐無稽ではないと思うのだ。

木の堅さが人間の腕力で加工しやすい堅さだということも、人間にとって木の家が快適なのも、そう考えると意味がわかる。
種としての、集団としての木を守るために、酸素と炭水化物と、そして木そのものをうまく使って生き延びること。
人間の本源がそこにあるのだと考えると、木を使って家を作る、と言うことの意味も見えてくる。

「木の家をつくる」という私の職業も、大きく間違えると木に復讐されそうだが、でも絶対に必要なことなんだと思い至った。



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2017-08-26(Sat)

前原=共闘否定、枝野=共闘推進 という「常識」を検証する

民進党代表選。

やはり気になるのは、「前原になったら野党共闘は終わりだ!」という叫び声が連日聞こえてくること。

本当なんだろうか。
私が直接に目や耳に入れた情報では、野党共闘についてもどっちの候補も大差ないように思えるのだが。

そこで、公表されているものから、それぞれの発言をピックアップしておく。
「前原になったらたいへんだ~」と思っておられる方も、まずは精読してみることをお勧めします。


■政権公約

<前原> 政権公約

民進党の掲げる理念・政策の旗のもと、あらゆる勢力との協力関係を構築する

<枝野> 基本政策

共闘に関しては言及無し

■共同記者会見での質疑応答

(質問1) 代表になったら「野党共闘」にどう取り組むか。特に共産党との次期衆院選をにらんだ選挙協力は維持するのか、見直すのか

<前原>
 政治家・政党の命は理念・政策だ。特に次の選挙は衆院選なので、政権選択の選挙だ。この政権選択をする選挙で理念・政策が合わないところと協力することはおかしい。理念・政策と合うところと幅広く協力する。そういったスタンスで臨みたい。

 前政権(現党執行部)で結ばれた4党の合意事項だけれど、4党が協力していろんな取り組みをされてきた、また協力されてきた、そういった重みというものはしっかりと受け止めながら、是非についても見直しをさせていただきたい。とにかく理念・政策、民進党が掲げる、私が掲げる『All for All』、こういった考え方、内政については。北朝鮮の脅威、そして中国の拡大路線、こういったものにどうしっかりと日本が対峙していくか。その意味では、現実路線、これにしっかりと考え方の合う政党との協力を目指してまいりたい。

<枝野>
 野党間でわが党の主体性を持ちながら、できることを最大限やる、できないことはできない、そのメリハリをしっかりつけていくことが重要だ。

 私は昨年の参院選に幹事長として対応に当たった。『野党共闘』とか『選挙協力』とかいう言葉はあのときも使っていないし、そういう意識ではない。あのとき実行できたのは、幅広い市民の皆さんとの連携の中で、野党の候補者を一本化することはできた。そして成果をあげることが一定程度できた。それはそれぞれの党の理念・政策が違う中で、しかし『自民党の暴走をとめてほしい』という市民の皆さんの声を受けて、できること、できないこと、その範囲の中でギリギリの着地点を努力したからだ。

 政権選択の衆院選は一層困難が大きい。一方で、現実に地域で頑張っている仲間たちを一人でも多く当選させる。そのことによって今の政治の暴走に少しでも歯止めを掛ける。これも私たちの大きな責任だ。理念・政策、主体性をしっかりと守った中で、できないことはできない、しかし、できることはできる、それがどこなのか、最大限の努力をしたい。

(質問2) 政権選択選挙である衆院選では「野党共闘」のハードルは高いが、共産党も民進党も先の通常国会で森友学園、加計学園に関する疑惑を追及し、国民の怒りが広がっている。この点は野党で一致して協力、共闘できる部分が大きくなっているのではないか

<前原>
 参院選は(野党)4党で政策合意し、協力するということだった。今度は衆院選。これは政権選択の選挙で、政策理念の一致が基本的に必要になる。私はわが党の理念政策に協力をしていただける党であれば、全ての党と協力すべきだと考えている。あとは他党がどのようなご判断をされるのか。

 今ご指摘いただいたように、森友、あるいは加計問題、こういった問題で、とにかく安倍さんの暴走は止めないといけないんだという中で、例えば民進党候補を応援したいと。そして候補者を下ろさせていただくということをご決断いただくことになれば、それは安倍政権を打倒するために、大所高所から他党がご協力いただけるということで、心からありがとうございますということは申し上げたい。

 また、地域性もあるので、そういった点はしっかりと基本線、基本原則を持ちながら、どうすれば多くの議員が当選し、そして政権交代が実現できるかという大所高所に立って考えていきたい。

(追加質問) 民進党が歩み寄るという姿勢が感じられない

<前原>
 野党第一党として、政権選択の選挙なので、全ての選挙区で候補者を立てることを原則にしたい。ただ、他党も候補者を立てているところもある。これは別に共産党の話をしているわけではない。他の政党も含めてだ。われわれが立てるよりも、そういうところの方が当選が可能であるというところについては、柔軟に考えていかなくてはいけない。

 われわれ野党第一党としての原則は、理念政策が一致したところは、政権選択の選挙だから、協力していく、またご賛同いただければ協力していく。そして、どうすれば安倍政権を倒せるかという他党の戦略も、われわれの見極めも、そういったところも柔軟に考えていきたい。大事なのは政策・理念が一致すること。これが大事だと思っている。

<枝野>
 この問題は相手もあることだし、地域事情もある。だから相手のあることを民進党代表選挙であまり具体的なことまで固めて話をできる性格ではそもそもない。大事なことは、原則はどういう原則でやるのかということだ。

 先ほど言った通り、党が違うから理念・政策が違うのは当たり前だ。その中でも一致する部分もある。まさに参院選は立憲主義を守るという点で一致した。一致ができた範囲でできることを最大限やる。でも一致していないこともたくさんあるのだから、できないこともたくさんある。あとは具体的なお互いの立場を踏まえた中で何ができるのか、できないのかということが、個別に結論が出ていくことだ。

 そうした中で、安保法制を踏まえた立憲主義を守るというテーマだけではなくて、この情報隠蔽や政治の私物化ということを許さないということについては、おそらく他の野党の方とも共通しているだろうから、共通している部分は大きくなっている。

 しかし一方で、(衆院選は)政権選択選挙だ。政権を共有するということは、100%とはいかなくても、理念政策の相当部分が共通されていなければ、政権をつくっても失敗をして、国民の失望につながることになるので、できない。従って、政権選択選挙であるが故に、参院選より難しいことがたくさんある。そういった原理原則の中で具体的に何ができるのかということをリアルに模索をしていく。

(質問3) 小池百合子東京都知事に近い若狭勝衆院議員が年内にも国政新党を立ち上げる動きを見せている。この勢力との連携についてどう考えるか

<前原>
 小池知事については、国会議員のバッジを外してリスクを取って知事選に出られ、そして当選され、その後、ブラックボックスだった、例えば豊洲・築地の問題、あるいは五輪の経費の問題、都民ならず国民に対してしっかりとオープンにし、そういった姿勢が評価されているのだと思う。そういう意味では、小池さんが進めておられる都政については一定の評価をさせていただきたい。

 他方で、若狭さんがやられようとしているものは、小池さんとどれだけ連携をされているのかどうかも分からない。そして何より、国政を目指される場合の政策・理念がまだ明らかにされていないし、与党か野党かも分からない。私どもは全ての勢力と、理念・政策が一致するところと協力をするスタンスなので、そういったものを出されたときに判断したい。

<枝野>
 理念も何も掲げていないものとどうこうするなんてことは、お尋ねになる方がおかしい。人間は変わるから、今まで間違いでしたといって変わることはあるかもしれないが、安保法制にも賛成し、アベノミクスにも賛成し、特定秘密保護法にも賛成し、共謀罪にも賛成してこられた方とはわれわれとは立ち位置が違う。自民党の補完勢力の可能性が高いと見ざるを得ない。

【民進党代表選・共同会見詳報(上)】
【民進党代表選・共同会見詳報(中)】
【民進党代表選・共同会見詳報(下)】

上記の記事から、発言自体は加工せずにそのままコピペしている。

もちろん、前原は保守票がほしいし、枝野はリベラル票がほしいので、そういう言葉使いはしている。だから、そういう枝葉末節の言葉尻だけを大々的に取り上げれば違うのかもしれない。
しかし、意味内容をちゃんと理解すれば、前原もそれなりに「柔軟に考えていきたい」と言ってるし、枝野も結局は言葉を濁して「できないことはできない」と言っているわけで、何の変わりもないですよ。。

「理念政策の相当部分が共通」ということでも、同じ。
発している言葉だけで判断するならば、大差ない というのが冷静な見方じゃないんですかねえ。

もっとも、二人にもう一つ共通していることは、大嘘つきだ ということなんで、言葉にどれほどの意味があるのかわわかりませんけど。




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2017-08-25(Fri)

国民力倍増計画

政権を取り戻し、ホンマにまともな国にするための政策の柱は何だろう ずっと考えている。

で、思いついたのが このスローガン

「国民力倍増計画」

1960年に池田内閣が打ち出した 所得倍増計画 をなんとなく思い出させる。
もちろん、あのころのような高度成長は望むべくもないが、一般国民の環境に限って言えば、倍増に近いことは決して夢物語ではない。

なぜなら、日本の富は、ごくごく一部の超大金持ちや大企業が囲い込んでおり、それを少しずつでも吐き出させれば、一般国民の生活は劇的に変わるからだ。

しかも、バカみたいにたくさんお金を刷ってもデフレのままなのは、お金を使うはずの一般国民に金がまわっていないからだ。
超大金持ちの貯金や大企業の内部留保は、金融投資や株主の配当(→金持ち貯金に環流)にまわされるだけで、実体経済にはまったく流れてこない。(右図はZAI ONLINE より)
20170825-1.jpg
うなぎ登りに増える個人金融資産1900兆円(のうちかなりの割合が金持ちのもの)、麻生太郎ですら多すぎるとうそぶく企業の内部留保は400兆円に迫り、米国で運用されていて日本経済には回ってこない対外純資産は350兆円もある。

合計1000兆円を超えるこの無駄金が、年に1~2%でも一般国民に還元されれば、1世帯あたり数十万の所得が増え、そのほとんどが消費にまわって実体経済も好転しはじめる。
いかに日本の金持ちが優遇されているか、この本を読むことをおすすめする。

 税金は金持ちから取れ 武田知弘著

もちろん、そこで要らないものの爆買いに走ってしまえば、一時的な消費行動で終わってしまうが、健康や教育や災害対策やあたらしいエネルギーなどに振り向けていけば、日本の国民力の倍増は、もう目の鼻の先である。

その際には、長期と短期の景気対策という、松尾匡氏の提唱する考えが重要になる。
何十年という大きな流れでは、今の日本に爆発的な高度経済成長はあり得ない。それは、トンデモ系でないかぎり異論の余地はないだろう。
しかし、数年単位のサイクルでは、落ち込んだ経済力を立て直すために、大胆な公共投資などは必要だ。
目の前の経済状況が、デフレで所得が下がり続けているときに、低成長あたりまえ、なんていっている場合じゃない。失業率が実質ゼロに近くなり、労働者がまともな賃金を得ることができるようになるまでは、政府は国債を発行してでも、場合によったら財政ファイナンスでも、強制的に金を回すべきだ。その限りにおいて、アベノミクスは部分的に正しいのであって、アベノミクス批判だけでは庶民にそっぽ向かれるよ という話。

 この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案 松尾匡著

この松尾理論と、「税金はカネ持ちから取れ」と、国債と金持ちから取った税金で生み出した金をどう使うのか、という3本柱が 「国民力倍増計画」 ということになる。

仮に政権をとったとしても、こうした計画にはかならず熾烈な妨害があるし、より巨額の資金を動かす国際金融資本によって思わぬ方向にねじ曲げられてしまうことも十分に考えられる。
松尾氏も武田氏も、巨悪を倒さなければ実現できないという部分はとりあえずペンディングしており、敵を考えずに実行してしまうとトンデモナイ結果になる可能性はたしかにある。

しかし、まずは国民の前に、「我々の考える国民国家は こういうものだ」 というビジョンを描かなければ、政権交代は100年たっても再現しないのではないだろうか。

国民力倍増計画 という大きな将来像を、日々に追われ、活かさぬよう殺さぬよう生かされている大多数の国民に示すことが、政権交代にむけた第一の課題なんじゃないだろうか。

と言いつつ、日々に追われる私めは、お仕事に戻ります。。。



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2017-08-24(Thu)

保守と革新の壁は健在だった件

2012年の野党惨敗から昨年の参院選にかけて、保守と革新の壁はずいぶん解消されたかと思っていた。
とくに大阪は、保守の渡辺義彦さん、革新の服部良一さんという、保革の相互理解のお手本のような方々がいたので、全国でも先進的な地域だった。
昨年参院選では、みんなで選挙☆ミナセン大阪が野党共闘の凱旋などを先導し、それは今でも様々なテーマを掲げて続いている。

私自身も、どっから見ても左翼だった人間がなぜか小沢グループに片足突っ込んだために、保守の気持ちも革新の気持ちも分かる者として、なんとか保革の壁を崩すことの一助になれればと思ってきた。
保守と革新の壁はずいぶん解消されたかな と感じたのは、様々な会議や現場での実感だった。

一方で、そうは言いながらちょっと不安もあった。
そして、その不安があたっていたらしいことに、なんと民進党の代表選(というある意味どうでもいいこと)を巡って明らかになってしまった。
その不安とは、保守も革新も お互いに 「うんうん あいつらもようやく分かってきたな」 と思っているのではないか という危惧だった。

相互理解とは、まず自らの立場を省みて、改めるべきを改めるところからしか始まらない。
しかし、今般の保革の相互理解は、自省から始まっているのではなく、たまたま安倍政権が独裁化したために立場が共通し、その結果「向こうがこっちに近づいてきた」 と両方が思っていたのだ。

あ~あ である。

※注  これは渡辺さんや服部さんのことではないので念のため。お二人には代表選のことについて何もお聞きしていない。



私は、民進党の代表選については、どっちみち裏切られるのなら、まだ前原のほうがダメージが少ないという意見。
こんな二人を並べて、保守とかリベラルとか言うこと自体が我慢ならない。どっちも裏切り者であり、嘘つきであり、戦う前から敵前逃亡している連中だ。

 数日前の記事 → 民進党代表選に何か期待してる??

しかし、現実には枝野=リベラル 前原=保守 という構図で多くの言葉が飛び交っている。
私のツイッターのタイムラインでは、7割くらいが枝野支持(というか前原ディスり)、1割くらいが消極的な前原支持 という感じだ。
目立つのは、枝野支持派の前原ディスりの激しさである。

まず前提として整理しておかなければならないのは、本来は保守とリベラルは、ほとんど同じ意味だと言うこと。
リベラルというのは、共産主義とファシズムに対して、自由主義=リベラリズムを対置しているのであって、資本主義の世の中を変えたくないという保守主義に他ならない。

他方で、革新系というのは、日本においてはニアリーイコール穏健社会主義、社会改良主義であり、方向としては資本主義の否定ないし改造を指向しており、リベラルとは別物である。(少しは被るかもしれないが)

ところが、現在では社会党や民社党から民主党に行ったような人たちがリベラルと呼ばれ、源流が自民党の人たちが保守と呼ばれている。
本来の分け方で言うと、安倍晋三のような独裁指向のものたちを除いた自民党から、自由党はもちろん、社会主義は投げ捨てた民進党の左派に至るまで、ぜんぶ保守リベラルである。
非共産主義、非社会主義、非ファシズムで資本主義を維持しようという点で、まったく一致している。
ただ、その維持の仕方に違いがあるだけだ。

ただし、独裁指向はリベラルでも自由主義でも保守でもない。これは、現状を大きく変革して独裁体制にするということだから、保守ではなく、改革派である。いわゆるカイカク勢力は、おおむねこの範疇に属する。もちろん、安倍晋三もここだ。
その一番極端なのがファシズムであり、橋下徹なんぞはこのコースを突き進むのかと思ったけれども、途中でヘタレてしまった
。(くわばらくわばら)
また、カイカク派には、極端な従米に変革するカイカクもある。いくら従属国であっても、一応タテマエというものがあるわけだが
、そんなもの取っ払って手っ取り早く日本の富を米国に移転するべしというカイカク派。竹中平蔵、小泉親子、それに小池百合子もおそらくこのジャンルだろう。

ファシズムであれ極端な従米であれ、このあたりは保守でもリベラルでもない。もちろん、従来の革新でもない。
ここにこそ、本来の対立軸があるのであって、保守と革新とか、保守とリベラルとかで争うのはバカらしいし、そもそも敵の手のひらの上で喧嘩させられてるだけじゃないの、というのが保革の壁を壊す作業だったはずだ。

しかし、ここ数日のツイッターやらフェイスブックやらを見ていると、そんな相互理解は無かったんだということを思い知らされた。
あ~あ。



がっつり左翼だった私が、保守に目をとられたのは、その発想法だったと思う。

左翼や革新系やいわゆる「リベラル」の発想は、演繹法なのである。
つまり、まず原理原則があって、それを現実に当てはめていく。
だから、当事者はみな、「自分の考えが正しい」と思っている。

一方で、保守の発想は帰納法だ。
目の前の現実から出発して、原則を確立していく。
当事者は自分が絶対正義とは思っていなくて「仕方ないじゃん」て感じ。
保守でも独善に陥ることはある。ただ、こうなると、極右であったり独裁指向になり、もはや保守ではなくなっている。

どっちが良いわけじゃない。
演繹法は独善的になりがちだし、帰納法は現実に流される。
だからこそ、保守と革新が協力できれば大きな力になるのだけど、実際はそこまで進んでいなかったようだ。
残念だけど、仕方がないじゃん。

ただ、腹立たしいのは、そのことが民進党の代表選のごときでラベルがはがれてしまったことだ。
メディアが描いた「保守VSリベラル」なんていう虚構にまんまと乗せられて、分断に血道を上げる人が思いのほか多いのには、やっぱがっかりだ。
例えば こんな人

前原氏は民進党を右翼的再編に導き、財界のために構造改革を推進する党にする 小沢氏も便乗か そこに小池新党 行き着く先は国民不在  (猪野亨)


自分の考えに現実をあわせて論評するという典型例だ。
この人ばかりでなく、枝野支持の前原ディスりには、メディアの作った見出しや、甚だしきは統一教会にちかいエセジャーナリストのインタビューまとめなんぞを鵜呑みにして、責め立てるたぐいが多すぎて、普段のマスコミ批判はどこ行ったんだよ と言いたくなる。

何度も言うけれど、私は前原を積極的に応援する気など毛頭無い。
小沢氏がどう考えていようが、期待したら負けだ。

しかし、猪野氏のような議論をするひとが、革新側で論陣を張っている限り、本当の敵を見据え、保革の壁を崩して共闘することは困難だなあ とつくづく思ってしまう。
保守側は保守側で、小沢氏の意向を忖度してなんとなく前原に期待してしまったり、こうした思い込みによる激しい攻撃があると、スッと引っ込んで、「だから革新はダメなんだ」とか陰口たたきながら諦めてしまう。これはこれで、現実に流されてしまう保守のダメなところ。



いやはや、なんだか消耗しっぱなしの今日この頃だけど、かえって課題が見えたと言うことでもある。

と、むりやり自分を納得させて、今日は寝るとするかな。



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2017-08-22(Tue)

民進党代表選に何か期待してる??

前原も枝野も、あの裏切り民主党政権の、中枢であり主流だった。

せめてこの二人がいなければ、民主党の裏切りも少しは程度が軽かったかもしれない、というほどの、戦犯の中の戦犯。
野田佳彦に次ぐ極悪犯罪人ですよ。

ところが、この二人の代表選を、あたかも「リベラルVS保守」のたたかいかのように報じるマスコミ。
それに乗っかって 枝野に期待しちゃう市民派リベラル・・・

一体全体、この国の人々は、何回裏切られたら目が覚めるのだろうか?
放火犯が「火の用心」と叫んでいるのを、なんでほんのちょっとでも信じることができるんですか??

彼らが言っていることの中で、唯一実行するだろうことは、消費増税だ。
「オールフォーオール」だろうが、「お互いさまの助け合い」だろうが、この言葉の意味は「大衆増税をやる」ということに他ならない。

今必要なことは オールから収奪することではなく、お互い様で巻き上げることでもなく、きわめて税制で優遇されているごく少数の大金持ちから、しっかりと税金を取ることだ。無謀なことではなく、ほんの30年くらい前の水準に戻すことだ。

オールフォーオールとかお互い様 というスローガンは、この少数の大金持ちには逆らいません という宣言であり、貧乏人どおしがみんなでお互いに助け合います、すなわち「消費税上げます」 という意味。
もう、メインスローガンからしてこんなレベルだから、前原も枝野も、極悪戦犯のままで何も変わっていない と言うことがよくわかる。

基本政策のなかには、それなりにイイコトは書いてある。
しかし、それを実現するには、抵抗する勢力と戦って勝ち抜かなければならない。
やります とクチで言うだけでできることならば、2009年に実現していたのだから。

大企業のあつまる財界、巨大マネーを動かす国際金融資本、岩のような官僚組織、CIAと警察庁、公安、内閣情報室。
共和党軍産系や好戦派民主党系やトランプ系などの米国からの指令や圧力。
自民党地方組織、創価学会、日本会議、統一協会などの草の根の運動や組織。
そして極めつけは、労働貴族の身分に恋々とする日本労働組合総連合。

これらに勝ちきるか、少なくとも折り合いを付けることができなければ、どんなに口先でイイコトを言っていても絵に描いた餅に過ぎない。
さて、前原と枝野に、戦う気力が、ほんのわずかでもあると思いますか????



まあ、それでも一応は、二人の言うことは聞いてみましょうか。

代表選にあれこれクチをはさみたい人は、少なくとも原文は読んでね。
新聞の見出しとか、統一協会のオトモダチ(細川某)のインタビュー記事のまとめを見て決めつけるような、あまりにもお粗末な議論は有害なだけです。

前原誠司政権公約 (PDF 2400字程度)

枝野幸男の基本政策 (3400字程度)

【民進党代表選・共同会見詳報(上)】

【民進党代表選・共同会見詳報(中)】

【民進党代表選・共同会見詳報(下)】

詳細に見れば、ほとんど言ってることが変わらないことがわかると思う。
前原は野党共闘反対で、枝野は推進だ というのは 新聞の見出しだけの話しだということもわかる。

全体的な傾向としては、前原は理念と戦略を語り、枝野は政策と戦術を語っている印象。
もちろん、二人ともまるっきりのバカじゃないから、それぞれ、自分の支持層にウケるような言い回しはしている。
枝野はリベラルっぽい言葉遣いをしているし、前原は保守が受け入れやすいように意識している。
しかし、内容をよく読めば、保守VSリベラルの決着をつけるんだ~ と大騒ぎするほどの違いなどぜんぜんないってことに気が付きませんか?



これだけ民進党をボロカスに言っている私とて、いざ選挙になったら民進党と選挙協力は必要だと思っています。
と同時に、「民進党は、かならず裏切る」 とも思ってる。

だから、裏切られたときのダメージが少ない方が、よりマシな代表だ というのが私の考え。
妙に期待を高めて、あれもできるかも これもできるかも と思わせて ドスンと落とす。2010年と同じことをまたしてもやらかすのが、一番悪質。
最初から、まあこんなもんだよな と半ば諦めながらつきあっておいて、やっぱりな という想定内の裏切りにおさまるのが、一番マシな近未来なんですよ。

その意味で、政策も人格も大差ないのであれば、私は前原が代表になった方が、かなりマシなんだろうって思ってる。

まあ、どっちにしても、なにか劇的に良くなることはないから、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、一番言いたいのは、市民派リベラル的なみなさんが、いとも簡単に「枝野さん頑張れ」になっちゃうのはいただけないなあ ということ。
イザとなったら、本当になによりも重要な場面になったら、能面のように「ただちに影響はありません」と繰り返す男が、死にたくなるような痛切な反省をしたわけでもないのに、簡単にまともな人間になるわけがないでしょ。

それと、メディアの「見出し操作」にホイホイ乗っちゃうのもね。
論じるならば、まず読みましょうね。それも、自分の意見にちょっとでも近い部分や反対の部分を、目を皿にして探す っていう読み方じゃなくて、とりあえずは、何でこの人はこう言っているのだろう と全体像を理解してみてはいかが。

こんなに二人を信用していない私だってそれくらいはしてるんだから、どっちかを応援したり批判したりする人は、まずは心をサラにして読んでみる、ってことをしないと、そもそも共闘なんてできないんじゃないでしょうかね。

私も体験したんだけど、ツイッターで野党共闘に懐疑的なことを書くと、推進している人にブロックされると言う現象。
この大矛盾に気が付かない人が多いような気がします。
懐疑意見や反対意見を、よくよく理解しなくっちゃ、共闘なんてできない。100万年かかりますよ。



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2017-08-18(Fri)

フツウからの脱出

フツウであることの大切さを、じわりじわりと噛みしめてきた10年だったように思う。

仕事の上でも、政治的な考えも、生活態度そのものも、私はマイナーの極みだった。
それは子どもの頃から、ほぼ物心ついた頃からだ。

最初の記憶は、いくつの頃かは憶えていないが、テレビを見ていて違和感を感じたことだ。
「ひろのみやさま」とアナウンサーは言っていた。
私といくつも違わない男の子が、なんで「さま」なんだ?

小学5年生のときには、本当に自分がはぐれ者なのか知りたくて、生徒会の役員に立候補した。
演説では、校庭の周りに貼ってある鉄条網は生徒を閉じ込めるものだ とか話したと思う。
忘れもしないが、全校生徒が千数百人いるなかで、得票数は26だった。

毎週の学級会も大嫌いだった。
だいたいどうでもいいことを「規則」にするのが学級会で、晴れた日は校庭で遊びましょう なんてことをわざわざ多数決で決めて規則にした。
私だって晴れた日は校庭で遊んでいたが、そんなことを強制されるのが嫌でただ一人反対し、休み時間になるとわざと教室に残った。子どもは残酷だから、小突きながら大勢で校庭に引きずり出された。

先生も同じようなもので、私が出した算数の別解を理解できず、どうして○じゃないのかと執拗に食い下がる私を、2時間も床に正座させた。
教師なんてこんなものか と体で理解した。

とにかく、私の思うこと、考えることは、ことごとく少数派。少数どころか、ほぼ全員対一人だった。
だから、多数決なんて死ぬほど嫌いだったし、少し年を食って民主主義なんて言葉を知ったときも、クソ食らえと思った。

まあ、中学も高校も、だいたいこんな調子だった。
高校のときは、キレイゴト言う割にやることが姑息な教師が大嫌いで、何度か授業の途中で荷物をまとめて帰宅したこともある。
むしろ、体育会系の右翼教師のほうが、正面から対決してくれるので、まだよかった。
これって、今の民進党のキレイゴト議員が、反吐が出るほど嫌いなのとつながっているんだなあ。

そんなこんなで、形成された人格は、並大抵ではなかった。
まず、他人に「はい」と言うことができなかった。
20代のころは病院の事務屋さんだったのだが、総婦長の小間使いみたいなこともやらされて、はじめて「はい」という返事をしなくてはならず、煩悶した。
でも 病院で働いたおかげで、最低限人間社会で生きていけるようにリハビリしてもらったような気はしている。

こんな感じで、およそフツウとは無縁の私が、フツウを意識し始めたのは、12年前に独立して設計事務所をはじめたことと、選挙に関心を持つようになったことが大きい。

家づくりの面では、フツウじゃ無いものを作りたいという欲求と、フツウに生活できるものを作らなくてはならない という縛りというか倫理観のようなものが いつも拮抗する。
自分がフツウではないということを、さすがにこの頃は自覚していたので、逆に自分で縛りをかけていたところがある。有名建築家が設計した数々の「住めない家」を見て 「こんなことはするまい」と自分の仕事のルールとして決めたのだった。

ひとり一人の暮らしは千差万別だから、住み手のイメージをちゃんと具体化できれば、自ずとオリジナリティになるだろう、と思って仕事をしてきた。
たしかにそれはウソではないのだが、むしろ10年以上経って思うのは、人の暮らしは意外と共通しているんだな、ということだった。
もちろん、人も好みも生活パターンも千差万別なんだけど、「住む」という行為に丁寧に寄り添って設計していくと、結果的にすごく共通点が多い。意外と、フツウにおさまってしまうのである。

政治については、やはり何と言っても2009年の政権交代が大きい。
生まれてはじめて、多数決で自分が多数派に属したのだから、そりゃあもう驚いた。
民主党政権に過大な期待はしていなかったが、それよりも自分史的に大興奮だった。

それまで大嫌いだった民主主義が、ひょっとして役に立つのかも と思ったのがウンの尽き。
以来、どっぷりと政治の世界にハマってしまった。

2012年総選挙の大敗北、焼け野原状態にどう向き合うのか。このときほど、フツウということを意識したことはない。
なにせ、原発が爆発したのに、最大多数は無投票、その次が自民党に投票したという現実を目の前に突きつけられて、そのフツウな選択を見ないふりすることはできなかったし、昔のように「やっぱ民主主義なんてクソだわ」と開き直ることもできなかった。

俺はこう思う 俺はこう感じるんだ と言うことよりも、「フツウどう思うかな」「フツウどう感じるかな」と頭の中でシミュレーションすることばかりが多くなった。
選挙で勝つためには、もういちど政権交代するためには、フツウに「いいね」と思ってもらわなくてはならないわけだから。
いや、そればかりではなくて、本気でフツウであることの大切さとか感じるようになっていった。

で、ふと気が付くと、あれほど、異常ともいえるほどフツウとかけ離れていた私が、なかなかどうしてフツウに暮らしているのである。
フツウに家を設計し、フツウに政治のことを考えている。

めでたしめでたし

じゃなくて、なんか違うような気がしている。
このまま丸くなって好々爺へまっしぐら は自分にはやっぱ無理。
そろそろフツウから逃げ出してもいいんじゃないか と思い始めた。
フツウじゃないことを自覚していないのは人迷惑かもしれないが、さすがに自分を相対化できる程度には年をとったから、もう自由にしてやってもいいんじゃないか。

と、最近こんなことばかり考えている。


追記
これを書きながら画面の端でamazonビデオをかけていた。
何気なしに選んだのが「イミテーション・ゲーム」。ナチスの暗号記エニグマを解読したアラン・チューリングの話だ。
「普通じゃない」ということが、大きなテーマになっていた。奇遇。



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2017-08-15(Tue)

革命

敗戦記念日である。

72年前の今日、「負けて悔しい」と涙した人、「やっと終わった」と歓喜した人、それぞれどのくらいの割合だったのか、知る術はない。
どちらも相当数がいただろうけれども、自分の頭で判断することを禁じられていたことを思えば、ただただ茫然自失していた人が一番多かったのかもしれない。

いずれにしても、はっきりしているのは、この日が「解放記念日」にはならなかったという歴史的な事実だ。

戦争を遂行した勢力の総入れ替えを、自力ですることができなかった。
天命を革めることが できなかった。

天皇も、731部隊も、米軍支配に都合の良いものは戦争責任を免れ、大日本帝国の支配層はほとんどそのまま支配層として残された。
そのころはロシア革命から28年、中国革命まで3年という時代だから、今に比べれば共産主義革命のリアリティは誰もが感じていた。しかし、何とか主義以前に、戦争遂行した勢力を一掃するということすら、できなかった。

そして、その限りでの「平和と民主主義」を謳歌し、日本は変わったと思い込んだ。
足下に、沖縄を踏みつけながら。

この欺瞞にみちた戦後民主主義が、私は嫌いだ。



革命という言葉は、天命を革(あらた)める、すなわち 天命によって支配する者が変わることを意味する。
必ずしも、支配されてきた側が、支配してきた側にとってかわることではなく、支配される側には関係なく、支配層だけが入れ替わる樋こともある。

レボリューション Revolution は、コペルニクス的転換のように、物事の本質がグルッと回転して新しいものに変わることであり、上層部が入れ替わる革命とは、かなり意味が違うようだ。 訳語としては不適切なのではないかという気もする。
ただ、革命という言葉も、もともとの易姓革命のような意味ではなく、本質的に異質で新しいものに転換するという意味に、現代では使われているので、ここではそういう意味に理解しておく。

支配され、酷い目にあってきた側が、支配してきた側を逆転すること。
それが、あたかも天命が革まるがごとく、機が熟してことがなされることが革命だとするならば、72年前に必要だったのは、日本革命だった。

その結果、どの勢力が主導権をとり、どんな政治を行ったかはわからない。
どの勢力がやろうとも、結果はあまり芳しいものにはならなかっただろう。それどころか、ソ連が指導する共産党が勝っていれば、かなり面倒なことになっただろう。
それでも、自らの力で革命を成し遂げ、そして挫折するという経験をワンセット、日本人は経ることができたはずだ。

振り返ると、私は政治に関心があると言うよりも、革命に関心があるのだと気が付いた。
日本というひとつの支配体制の中で、何百年も支配され続けているこの国の民が、自らの力で逆転劇を起こすことができるのか。
社会や政治を見るときに、私の最大の関心事は、常にそこにある。

私が小沢一郎という政治家に注目するのも、それ故である。
彼は、もっとも犠牲を少なく革命を成し遂げるにはどうしたらいいか、を考え抜き、二大政党による政権交代可能な政治を目指している。二大政党制の是非はともかく、革命を前提とした国家観をもつ政治家は、日本には小沢一郎しかいない、と私は思っている。

とは言え、現在の日本で二大政党制は、私は間違いだと考えている。
政党というのは、ある勢力の利害代表であり、労働者と資本家みたいな単純に分化した社会だったら二大政党でいいかもしれないが、今の日本はそんなに単純にぱかっと分かれていない。

戦前のいわゆる労農派の理論家である山川均の言葉を、松尾匡さんが「新しい左翼入門」のなかで引用しているので、孫引きさせていただく。

 意見の相違が流派として現れることを認めないならば、政党は必ず分裂する。政策や意見の相違のために、たちまち除名騒ぎが起こるような官僚主義は一掃すべきだ。我々は、異なった意見や政策が内部で争っていながら、なおかつ結束を保っていけるような団体的な訓練を積まなければならない。(引用以上)

あれ、こんな政党ってあったなよなあ、と思われる方もいるだろう。
そう、かつての自民党は派閥というかたちで、かなり多様な意見を党内に抱え込んでいた。金のつながりであると同時に、意見や政策の多様性も担保していた面があった。

しかし、今や自民党も首相官邸独裁の党に変貌し、民進党も小沢一郎を座敷牢に閉じ込めた挙げ句に放逐したことをまったく反省していない以上、単純に二大政党制にしてしまえば、二つの意見しか存在できないことになってしまう。
こんな不自由な政治は、より一層投票率が下がり、機能しなくなってしまうだろう。

ただし、この現実を逆に考えれば、党内に公然と意見の違う派閥が存在するような、バクっとした政党ならば、二大政党でもいいということになる。米国の民主党も共和党も、もちろん投票を党議拘束などされないし、反対意見を述べても除名されない。
せめて、その程度の政党が作れるならば、二大政党制の可能性を全否定するものではない。



小沢氏の描く二大政党制による穏やかな革命には、もうひとつ疑問がつきまとう。
代議制で本当に革命になり得るのか ということだ。

それなりの人脈と経験と資金をもった人が候補者になり、その他のほとんどの人は投票するだけ、という代議制で政権交代したところで、「自らの力で天命を革めた」という経験になるのか。そのような実感を持つことができるのか。

現に、2009年の政権交代でも、そこまでの感慨を味わった人はごく少数のはずだ。
ほとんどの人は、自民党が下野したことには驚いただろうし、子ども手当や高速道路の無料化など実現すればウレシイナとは思っただろうが、それ以上でも以下でもない。
私自身、選挙結果にはかなり興奮したけれども、革命だとは思わなかった。

アメリカだって、数年おきに民主党と共和党が入れ替わっているが、それで劇的に何かが変わっているわけではない。
まして、植民地支配を戦後民主主義というオブラートで包んだぬるま湯に漬けられてきたこの日本で、代議制がひとり一人の意思表示として機能するのだろうか。

小選挙区といえども人口40万人に代議士が一人。自分たちの代表と言うには漠然としすぎている。
かといって、市議会なみに1万人くらいの母体になると、地域ボスや暇人の世話焼きがすべてを牛耳ることになる。暇人はヒマでも生きていける金持ちがおおくなり、結果として自民党と公明党がより強くなる。
完全比例にすれば、少数意見はある程度反映される一方で、支配体制は盤石である。

どのように選挙制度をいじろうとも、多少の変化はあったとしても、それ自体が革命になるようなことは起きないように思われる。



やはり日本で革命は不可能なのだろうか。
何が欠けているのだろうか。

私は、足りないのは圧倒的多数を占める「普通の人」の党だろうと思う。
江戸時代には5割の年貢米をとられた農民。楽ではないけれど、運悪く飢饉にならなければ、生きていくにはさほど困らず、寺子屋に子どもを通わすくらいのことはできた人たち。
四民平等と言われてからも、選挙権を与えられなかった農民と労働者。
明治から昭和の戦争に次々と動員された人たち。
戦後の高度成長でサラリーマンという名の賃金労働者になっていった人たち。
そして今、食うには困らないけれども、ジワジワと生活が圧迫されている中間層。

実は大金持ちに圧倒的に搾取されながら、とりあえずそれなりの生活ができているこれらの人たちを代表する党が、日本にはない。
55年体制のなかで、自民党が金持ちに寄りかかりすぎ、社会党が総評に頼りすぎた結果、金持ちでも労組の活動家でもない、圧倒的多数の人たちの利害を代表する党は、日本には作られなかった。

2009年の民主党がそこを指向していたのは間違いないが、そういう党として確立する前に、内実が崩壊した。崩壊した残り滓のような党は存在しているが、彼らは「大金持ちに逆らわずにおこぼれを頂戴する」中間層の代表であり、大金持ちに楯突くそぶりを見せれば組織を上げて潰しに来るということは、小沢弾圧で実証されている。

今必要なのは、ジワジワ没落していく中間層の党を作り、大きく旗を立て、大金持ちの一人勝ちを許さず中間層に富を分配する政策を打ち出し、それを目指すための組織をひとり一人増やしていくことなのではないか。
その組織は、いずれ選挙のために二大政党に吸収されたとしても、そのなかで強固な派閥として影響力を行使することになる。



革命 なんていう標題をつけたわりに、地味な結論になってしまったが、シンプルに考えたら、やはりこのような結論になる。

資本主義が良いのか悪いのか、それに替わるものがあるのかないのか。私にはわからない。

ただ少なくとも、とりあえず資本主義のシステムの枠の中でも、まだまだやれること、やらなければならないことは山ほどある。
世界的に見ても異常な金持ち優遇と、植民地的な経済外の強制力をそのままにして、資本主義はもうダメだとか言ってしまうことは、むしろ現在の支配層を喜ばすことになる。

まずは日本の歪みを正し、皆が安心して食っていける経済や財政の政策を、夢物語ではない数字の裏付けのあるストーリーを描き、実現することだ。
資本主義の余命については、その後に考えるべきことだろうと思う。

だから当面目指すべきは○○主義革命ではなく、何百年も労働力として社会を支えながら、政治的にはついに主役になったことのない多数派が、まずは自分たちの選択を自分たちの力で成し遂げる、という経験をすることだ。

それでもきっとまた失敗するだろう。
官僚と大資本と米国の壮絶な妨害もあるだろう。
革命をなしとげて挫折するという経験を何セットも繰り返すことで、多くの国は歴史を進めてきた。
日本も、自分の足でその歴史を刻まなければ、圧倒的多数の国民がぬるま湯の中で溺れ死ぬ日は遠くない。



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2017-08-13(Sun)

終戦ではなく「敗戦」と言うわけ

二日後には72回目の敗戦記念日だ。

私は「終戦」という言葉を使わない。
理由はみっつある。

ひとつ。
戦争責任をアイマイにしないため。

ふたつ。
敗戦を「解放」記念日にできなかった日本人民の不甲斐なさを胸に刻むため。

みっつ。
いまだ敗戦-占領は終わっていないことを忘れないため。

戦争は、雨が止むように自然に終わったのではない。
普通の国ならばとっくに降伏していたはずのところを、無謀な玉砕戦を1年近く引き延ばした挙げ句、万策尽きて無条件降伏したのである。
侵略戦争をはじめたという意味での戦争責任ももちろん問われなければならないが、ただひたすら「国体護持」のために兵士と住民に死を強いた責任も、決してアイマイにしてはいけない。

天皇制と、その権威にぶら下がる権力と利権、すなわち「国体」の為だけに、どれだけの兵士と住民が殺されたのか。
少なくとも、1944年10月に始まった神風特攻は、戦争としての合目的性すらなくしてしまったという合図である。そこからの10ヶ月間は、絶対に勝てないと分かりながら「国体護持」のためだけに死を強制された。

もちろん、日本各地の空襲も、沖縄戦も、原爆もそうだ。

侵略戦争の責任は、当然ながら万死に値する。
そして、世界中で今もその罪を犯し続けるものは絶えないし、あの太平洋戦争だって、連合国が善で枢軸国が悪という分類では決してない。
しかし、当時の日本が極めつきに異常だったのは、「国体護持」のために、自軍と自国民を虫けらのように死に追いやった ということだ。数十万、数百万人を死に追いやり、産業は壊滅し、国土は燃え尽くされても、そんなことよりも「国体護持」が大事だった。

この異常さは、自らの国のこととして、決して忘れてはいけない。
この国の支配者は、自分たちの存立が根底から脅かされるとき、数百万の自国民を平然と死に追いやり、恬として恥じないのである。
そういう国なのだ。

これは国民国家ではない、ということでもある。
天皇の権威と権力に連なる階級と、生産と戦争の駒としてのみ扱われる階級は、一つの国民として結集する段階に至らず、農奴的な隷属関係でのみ国家につながれているということだ。

そして、それは本質的に今日でも変わっていない。
変わっていないその象徴こそが、日本国憲法の1条と9条だ。

国体護持のギリギリの条件とは、天皇の戦争責任を問わずに天皇制の権威を残すことだった。
そのために、幣原喜重郎とマッカーサーが合意したのが9条だったということは、数々の資料で証明されつつある。

さらに、国体護持のために生け贄にされたのが沖縄だ。
昭和天皇は、自ら保身のために沖縄の割譲をマッカーサーに提案した。
国体護持のために絶望的な地上戦を強制され、住民の1/4が殺されたあげく、負けた後は生け贄でアメリカに引き渡す。
天皇の戦争責任はあるとかないとかの論争がバカらしくなるほど、あまりにも酷い話しだ。

このように、「国体」のために国民は死を強制されながら迎えたのが、敗戦なのである。
この悔しさを忘れないために、私は「敗戦」と言いつづける。



一方でしかし、民間人50万人を無差別に殺戮した当事者は、米軍だ。

日本軍のアジアでの虐殺や捕虜虐待は、当然責められるべきことだ。
しかし、それと同じくらい、米軍の無差別殺戮も責められなければならない。

実験のために二種類の原爆を投下し、日本が降伏するやABCCという研究機関が乗りこんできて、治療はせずに被害のデータ収集に励んだ。まさに、超弩級の人体実験である。

この悪魔のような米軍を、解放軍として迎えたのが、日本共産党を筆頭にした反戦派の日本人だ。
たしかに、国体護持のために自国民をいくらでも殺してしまう旧支配者よりは、マッカーサーのほうがずいぶんマシに思えたのは無理はない。
日本国憲法も、押しつけとは言え、日本側が作った松本案とは比べものにならないくらい良いのはたしかだ。

しかし、日本人は自分たちで自分たちの憲法を作ることができなかった、という歴史は残っている。
良い憲法ならもらい物でもいいじゃないか、では民主主義ではない。民主主義を謳う現憲法は、自己矛盾をかかえているのである。

1946年米よこせデモ。1947年2.1ゼネスト(未遂)など、日本の民衆、すなわち国体に支配されていた側の運動も大きなものだったが、残念ながら2.1ゼネストに対するマッカーサーの禁止に屈したのち、国体そのものを揺るがすようなうねりとはならなかった。

結局、国体にぶら下がっていた「ちょっとマシ」な連中がそのまま国家権力を継承し、国体に押しつぶされていた民衆は、そのまま支配され続けることになった。
戦争に負けたことで、これまでの支配層を打ち破り、敗戦を解放にする ということができなかった。
敗戦が敗戦で止まってしまった。

大きな意味では、現在に至るも、構図は変わっていない。
そのことを 歯がみして思い起こすために 私は「敗戦」と言いつづける。



もはや言うまでもないが、米国の占領は1945年から72年間、一度も途切れることなく続いている。

1952年を境に、形式的な占領から、実質的な植民地支配へと変化はしたものの、日本はいまだ独立していないし、独立していない植民地に民主主義など成立するわけがない。

日本を「民主国家」だとか「憲法で平和を守れ」と安易に口にする護憲派の皆さんは、植民地でどうやって民主主義が機能するのか、考えてみてもらいたい。
そりゃもちろん、民主主義が機能してほしいと思うし、今憲法を変えるのは大反対だし、平和であってほしいのは当然だけど、安保条約、地位協定、密約、さらには官僚と政治家とマスコミに張り巡らされたネットワークは、植民地以外の言葉が当てはまらない。

オスプレイが墜落して、日本国防衛大臣が飛ばさないでくれ、と言っているのに、完無視して次の日から飛ばし続けるのが「日米関係」だ。日本の大臣よりも、米軍の現地司令官のほうがずっとエラいのである。これは自民党だったからとか、小野寺がヘタレだったからというだけではなく、政権交代しようが何党であろうが、同じことだ。
だいたい、「飛行停止命令」ではなく、「自粛要請」しかできないのだから、どんだけ格下かということだ。

2.1ゼネストを禁止されたあの関係は、いまも続いている。
なんとかして、米国の支配の軛を脱しないことには、何かを決めるということすらかなわない。

そのことを忽(ゆるが)せにしないために、私は「敗戦」と言いつづける。

■参考資料

数字は証言する データーで見る太平洋戦争 (毎日新聞)

アジア歴史資料センター公開資料




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2017-08-10(Thu)

「クチだけ番長」と「こだまでしょうか 枝野です」の会見を聞いてみた

前原誠司と枝野幸男の、民進党代表選への出馬表明を、仕事をしながら片耳で聞いてみた。

最大限よく言っても「口だけ番長」と「こだまでしょうか いいえ枝野です」の比較であり、もっとはっきり言えば、目くそと鼻くそ、ていどの違いしかないのであって、どっちかに頑張れなんていう思いは欠片もない。

一応、全編の動画のリンクは貼っておくが、気分が悪くなったとしても保証の限りではないので、自己責任で見ていただきたい。
どちらも ThePage から。

【中継録画】民進党代表選、前原誠司元外相が会見し出馬表明  2017.08.07

【中継録画】民進党代表選、枝野幸男が出馬表明 午後5時から会見 2017.08.08

もちろん、出馬表明だから、それなりにどっちもイイコトは言っている。
しかし、2010年5月以来、ずっと民主党、民進党を見てきた人ならわかるはずだが、彼らの「言葉」ほどあてにならないものはない。安倍晋三は息をするように嘘を言うといわれているが、民進党も負けてはいない。

むしろ、イイコトを言うやつほど、イザとなったら大車輪で大裏切りをかましてくれる。
そんな誰の目にも明らかなことを、こころ優しい市民派のみなさんは 忘れてしまったのだろうか?
それとも、都合の悪いことは視野に入らないようになっているのか?

嘘つき民進党の代表を選ぶのだから、嘘つきの親玉が登場してくるわけで、まずはそういう前提で代表選をにらんでおかなくちゃ、人間進歩しないんじゃないの?

さて、「どっちがより大嘘つきか」という観点で、二つの会見を聞いてみると、私の印象は明確だった。

枝野のほうが、大嘘つきである。



もちろん、前原のオールフォーオールなどという足の裏がむずかゆくなるようなキレイゴトのスローガンは、まったくもってウソっぽい。
しかし、その中身はしょせん、消費増税の言い訳であって、ウソと言うより粉飾という感じだ。

もっとも、これは枝野もほとんど同じであって、「限られた財源」だから「消費増税」という理屈は同じである。
会見の中で 前原が師事していると言っていた井出英策氏のブログを時々見ることがあるのだが、なるほどエッセイとしてはなかなか面白い。
しかし彼の文章の中には、さらっと「限られた財源」という言葉が出てくる。

なるほど、現在の税収がそのままならば「限られた財源」だろう。
しかし1800兆円の資産をもつ超大金持ち、380兆円の内部留保をもつ超大企業、米国を潤している350兆円の対外純資産。これだけカネがあり余っている日本でなぜ「限られた財源」と言えるのか?
しょせん大金持ちには逆らえない とはじめから諦めているからか?

民進党がきわめて珍しく終始一貫しているのは、「消費税増税」だ。
菅直人がマニフェストを裏切った後は、再裏切りをせずに、ずっと上げろと言いつづけている。
一貫しているのはそこだけかよ とますます絶望的になるが、ここに民進党の本質が現れているわけだ。

つまり、「大金持ちには逆らいません」「大企業には都合悪いことやりません」「米国様には貢ぎ続けます」という点については、鉄板方針であり裏綱領なのである。
そのかぎりにおいて、「限られた財源」を少しはマシな使い方をしますよ、というのが民進党の政策なのである。

要するに、戦う前から負けているのが民進党であり、庶民の叛乱が起こらないように不満を抱き込んで潰すのが、民進党のレゾンデートルなのである。
だから、クチではイイコトをいい、ちょっとは期待をさせ、庶民の不満を吸収しておいて、力を得たら裏切って潰す。これが民進党のお仕事だから、必然的に彼らは嘘つきなのであり、イイコトを言うヤツほど、より忠実な民進党の仕事師=嘘つきなのである。



こうやって、表面の言葉にダマされないようにして動画を見れば、より嘘つきなのは枝野のほう。

政局的にどっちが勝ったほうがよりマシな情勢になるのかは、私には判断できないけど、ただ言えるのは、前原のほうがアホであり、枝野のほうが嘘つきである。
アホと嘘つきの究極の二者択一を、もし迫られたら、私はアホを選ぶだろうな。

まあ、余所の党のことなんで、私には関係ないけどね。



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2017-08-09(Wed)

独白

2005年9月にこのブログを始めてから 実に12年の年月が流れた。
もともと、黙っていると精神衛生上たいへんよろしくない、と自分の心の健康のために書き始めたブログだった。

2006年には耐震偽装事件があり、安倍晋三の私的後援会である安晋会が深く関わっている疑惑についてかなり色々書いて、アクセス数もどーんと増えた。

2007年には自民党が大敗する参院選があり、その直前には中越沖地震で柏崎刈羽原発が危機一髪になるということもあった。
そして、安倍晋三の突然の政権放棄。このあたりから、選挙についても関心が向かい出した。

2008年は橋下徹が政界に登場し、大阪が橋下色に染まっていった。彼の言動には、お坊ちゃま議員にはないファシストとしての資質を感じ、大いに危機感を募らせた。
そしてこの年の後半にリーマンショック。時代が大きく変わっていくのを実感した。

2009年冒頭に報じられた西松建設の裏金事件。ああ、これは平成のロッキード事件になると直感した。
案の定、対米自立と政権交代を目指す小沢一郎が狙い撃ちにされ、メディアの大バッシングが始まっていく。
小沢に関しては西松事件はそもそも存在しなかったこと、その後に騒がれた陸山会事件は不動産取引の日付がズレていただけだったこと、が証明されてもなお、メディアはもちろん、同じく政権交代を目指していたはずの革新野党も、さらには民主党内までもが小沢バッシングに猛り立った。

この小沢バッシングこそが、私がリアルに政治に関わろうと思ったキッカケだ。
バッシングの凄まじさが、そのまま政権交代のリアリティであり、小沢一郎の本気度として私の目には映ったからだ。
これほどの、ありとあらゆる勢力からの大弾圧がなく、粛々と政権交代がなされていれば、私もこれまでどおりに政治を論じるだけに留まっていたと思う。

9月の政権交代と、その後の官僚のサボタージュ。鳩山内閣の無策。政治主導が見る間に官僚に食い荒らされていく様。
刻々と進んでいく事態を、つぶさに観察していた。

2010年5月にはついに鳩山が白旗を揚げ、官僚主導の復権、パペット菅直人の消費増税と参院選大敗。
でも、このころはまだ、再政権交代が可能だと思っていたし、今ほど悲壮感は持っていなかった。



12年間ブログを書いてきたなかで、本当の衝撃ははやり 2011年の3.11だ。
津波と地震ももちろんだが、原発が3基も爆発したというあの衝撃は、それまでの私のスタンスをガタガタに揺さぶることになった。
自分の心の健康のために書いていたブログを、人のために役に立てることはできないか と考えてしまった。

あのとき以来、気軽に書く ということができなくなった。記事を更新する数も激減した。
単純に書きたいことを書くのではなく、今必要なこと、他の人が散々書いている以外のこと、ちゃんと資料もあたって、と考え始めると、キーボードに乗せた指が固まってしまった。

その代わり、書き始めると何時間もかけて書くものだから、なおさらのこと更新は減っていった。
脱原発のデモに出かけたり、集会を企画する側に入ったり、小沢グループの集まりに顔を出したり、リアルで動く機会は増えたけれども、書くという作業は苦しくなった。

2012年には 小沢グループの離党、未来の党としての総選挙での大敗北。
このとき、始めて選挙に足をツッコんだ。ウチの会社の近くにあった渡辺義彦さんの事務所に毎日通って、あれこれと手伝いをやった。街宣車の運転手で朝から晩までノロノロ運転というのも体験した。
また、政治市民プロジェクトと銘打って、脱原発などの市民運動に関わる人たちに、選挙に参加する手伝いもやった。

2013年は大敗北の痛手に、私の周囲はうめき続けていた。
夏には参院選があったけれども、ほぼ身動きがとれず、「国民の生活が第一」は一議席もとれなかった。

そんな状況下で、私は一つのミッションを考えていた。
保守と革新、選挙活動と市民運動、それらを近づけたい。
保守は選挙に強いけれども、現役の議員がいないと誰も動かない。
革新の市民運動はパワフルだけれども、選挙の結果に執着しない。
この二つを融合できれば、焼け野原から立ち上がれるきっかけが作れるかもしれない。そう思った。

詳細は省くけれども、2013年から2016年夏くらいまでの私の活動は、そのミッションに沿って動いてきたつもりだ。
その中でも大きかったのは、関西の小沢グループを糾合した生活フォーラム関西の結成に関わったことだろう。
バラバラだった小沢グループの支持者のよりどころができたことと、市民運動の側から小沢グループに対して声をかけてもらうことができるようになった。

そして2016年の参院選では、全国的な野党共闘の動きに応じて大阪でも保革連携はかなり実現し、私のミッションはもう終了かな と感じた。
次のステップとして考えたのが、山本太郎さんを顔にして 改憲の国民投票に備える運動を作るべきじゃないか ということだった。
両院で2/3とられた以上は、改憲の発議は時間の問題。今から準備しなければ。野党共闘であるていど信頼関係を築いた保革の人たちが、共通して顔になれるのは太郎さんをおいていない。関西でのテストケースを進めてみよう。

そんな思いで、参院選終了直後から憲法フェスを準備したのだが・・・・
フェスのメインキャストになった三宅洋平氏と安倍昭恵の関係で、当初の私の目論見はぶっ飛んでしまった。

あれ以来、私は自分のミッションが見えない。
何をやるべきなのか、自分でできることはなんなのか、
方向性が見えず、ウロウロしている。



自由党で頑張ればいいじゃないか と思う人もいるかもしれない。
たしかに、それなりに自由党のお手伝いはしている。

しかし、はっきり言わせてもらえば、やる気の無い政党の手伝いは、激しく精神が消耗する。
党に所属している政治家個々人は錚々たる顔ぶれだ。にもかかわらず、党組織を作ったり、党の支持率を上げることについて、まったくやる気が感じられない。

たった6人の議員とはいえ、小沢一郎と山本太郎という両代表の知名度だけでも、他の党を圧倒するものがあるのに、自由党の政党支持率は限りなくゼロに近い。たぶん、支持率以前に党名の知名度がゼロに近いのだろう。
なぜこんなことになるのか。

簡単だ。
日常活動をしていないからだ。
日常どころか、選挙のときですら、党としてはほとんど何もしていないからだ。

政党の活動については、政党助成金というカネが税金から出ている。議員ひとりあたり約4000万円くらいだ。
いくら小さな自由党でも2億や3億の政党助成金は出ている。
ならば、その1割でも使って全国の日常活動を支えれば、各県に小さな事務所の一つも構え、毎日ボランディアが街宣車を回し、重要選挙区で全戸ポスティングをすることくらいはできるはずだ。

もちろん支援者のカンパは集めなければならない。
しかし、街宣車の用意からガソリン代まで、チラシの印刷から、選挙事務所の家賃まで、一円の支えもなくカンパでやれと言われたら、それは「やる気が無い」としか私には理解できない。



受け皿があれば政権交代はできる。小沢氏はそう言いつづけているし、都議選の結果はそれを裏付けているだろう。
しかし、現実は「受け皿は無い」のである。
「無い」ものをいつまでもクチをあけて待っていても、無いものは無い。

最近わたしは、野党共闘 という言葉を聞くと、ウツになる。
私もウツになるような野党共闘を、有権者におしつけて、本当に選択されるのか?

こんな候補嫌だなあ、と思いながら、でも自公よりはマシだから鼻をつまんで投票しよう というのが、今目の前にある野党共闘だ。
運が良ければ、投票したい候補がいる選挙区もあるだろうが、ほとんどはこういうことになる。

たしかに、理性で考えれば、それでも野党候補を一本化し、我慢してそれに投票するほうが、自公政権が続くよりはずっとマシだ。
それは十分に理解しているけれども、しかし、その気持ち悪い選択肢を選ばされるという現実こそが、投票率が激オチしている原因なんではないか。

こんな選択肢は 受け皿とは言わない。
むしろ、選ばされる有権者のほうが、候補者を受け入れてやる受け皿だ。
有権者に受け皿を強制する選挙で、本当に勝てるのか?



このブログは、私の勝手な心の落書きだ。
なんの責任もないし、誰を動かすわけでもない。

自由党に文句を言ったり、野党共闘に反対したりするのは自粛してきたけれども、考えてみたら私ごときが自粛する意味なんてない。思ったことは書く。役に立とうが立つまいが、それはどうでもいい。

そうは言いながらも、これからも必要に応じて手伝いはしていくだろうけれども、自分の心を無くしてまでやることはない。
自分が面白そうだ、やりたい と思えばやるし、思わなければやらない。

だいたい、思い起こせば我が50数年の人生で、理が勝って判断したことで成功したためしなんてないじゃないか。
理性なんてクソ食らえ だ。

リセットしよう。



2017-08-02(Wed)

なんでボクらの暮らしは楽にならないんだ? を図解してみた

アベノミクスで、なるほど求人倍率は1.5倍を超えた。失業率も2.8%だという。実質賃金も、少しは上がっている。

でも、株価が高騰し、大企業が空前の利益を上げている割には、景気がいいという実感はない。
むしろ、なんだか暮らしはどんどん苦しくなっているような気がする。

なんでこんなことになるのか。
その原因は、「お金を貯め込んで使わないから」だ。
貯めると言っても、われわれ庶民がせっせと貯金するようなケチな話しではない。

巨大なダムは3種類ある。
対外資産
大金持ちの個人資産
企業の内部留保

一度ダムに入った金は、チョロチョロとしか流れてこない。
経済を潤すことなく、税金も庶民と比べてべらぼうに低い税率しかかからない。
ここには書き切れなかったが、タックスヘイブンに逃げ出したものは、税金ゼロである。

そこにどうやってカネが溜まっていくのか。
言葉ではややこしいので、図解してみた。

今日は図を書くだけで手一杯なので、これ以上の解説はまた後日。
ぜひ、じっくりと眺めてみていただきたい。

20170802.jpg


■■お知らせ■■
自由党兵庫県連を準備する会 第2回目準備会

日時:8月20日(日)13:30~16:30(予定)
場所:兵庫勤労市民センター 2F 第1・2会議室
(前回と同じ建物の別室)
JR兵庫駅北向かい(快速が停車します)
   https://www.kobe-kinrou.jp/shisetsu/hyogo/index.html
議題:1.自由党について知ろう。
    2.県連をつくるために必要なこと。
ゲスト:自由党大阪府連代表 渡辺義彦元衆議院議員

■質問を募集します。
自由党について聞きたいことがある方は、前もってこちらにお寄せ下さい。 kashimajuku@hi-net.zaq.ne.jp(加島)
事前に渡辺さんにお伝えしておきます。
勿論当日でも結構です。
■参加確認
予定が分かっている方は、上記のアドレスに参加・不参加のご連絡をお願いします。
前回よりも広い会議室を用意しておりますので、お誘い合わせの上お越し下さい。
当日の急な参加も大丈夫です。



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2017-07-29(Sat)

あらためて「労働組合」を考える

連合のテイタラクを見て、「労組なんて嫌いだ」という人が、私の回りには結構いる。とくに保守リベラルの人に多いように思う。

たしかに、労働貴族とかダラ幹(堕落した幹部)の実態を知っていればいるほど、こんな連中消えてしまえ と思う気持ちはわかる。
とくに昨今の連合は、原発を推進し、過労死法案を後押しし、カジノ推進候補を応援するという、ほぼ自民党応援団になっているのだから、労組なんてクソだと言われてもしかたない。

こうしたダラ幹のおかげで、日本の労働組合加入率は17%にまで落ち込んだ。
社員が1000人以上の大企業はまだしも44%だが、100~1000人は12%、100人未満はなんと0.9%だ。

戦後の推移を見るとこんな感じらしい

20170729-1.png
(独立行政法人労働政策研究・研修機構 より)

このグラフでほぼ横ばいになっている1980年代から昨年までを、民間(規模別)・公務員にわけたものが下の表だ。

20170729-3.png
総務省統計局 企業規模別単位労働組合数及び組合員数 より抜粋)

細かい数字はともかく、激減しているのは公務員と民間の中小零細であり、民間の大企業はむしろ増えている ということがわかる。
ちなみに、中小零細企業には、日本の労働者の7割が働いている。

昔の公務員労組は、例えタテマエでも「日本の労働組合を牽引する」という気概があったが、べつに労働運動しなくてもそこそこ賃上げが保証されているし、滅多にクビにもならない身分に気が付いて、労働組合なんて入る人がいなくなっちゃった ということなのだろう。

中小零細の場合は、会社そのものに体力が無くなってしまったことが大きい。
余裕があるときはストでも団交でもやって賃上げさせられたが、最近の中小零細は、そんなことされたらホントに潰れてしまうところが多いはずだ。消費税を搾り取られ、元請けには値切られ、海外との競争が激化し、高度経済成長の頃の余韻は、まったくない。

データで見ても労働分配率は小さな会社ほど高いので、平均すれば中小企業の社長がケチなわけではない。

20170729-5.png
(内閣府資料より)

さらに、小さな会社で一度消滅した労組を復活させるのは、かなり大変だ。
目立ちすぎてしまって、露骨な嫌がらせだってあるだろう。そこまでして労組に入ろうという人がいないのも理解できる。

世界的に見るとどうだろう。

20170729-2.png
(社会情勢データ図録 より)

やはり、世界的に見てもかなり組織率は低いほうだ。
上位のアイスランドや北欧諸国が、新自由主義の侵略をなんとかしのいで危機を乗り切ってきたことは、非常に特徴的だ。

以上からわかることは、日本の中小企業や公務員は、世界で最低レベルの労組加入率だということ。
公務員はともかく、日本の労働者の7割をしめる中小零細に勤める人たちは、世界でもっとも孤立した人たちなのである。



その結果、どういうことがおきているか。

20161210-1.png



たしかにリーマンショックからの回復基調と、アベノミクスの効果もわずかに出ており、ここ数年は求人倍率は上がっている。
数日前には1.51倍でバブル期超え なんていうニュースも流れていた。

しかし、そのわりには賃金の上昇は微々たるものだ。

20170729-4.jpg

とくに2015年、2016年の実質賃金が急上昇しているのは、アベノミクスのインフレ目標が逆にデフレに戻ったことが原因だ。
物価が下がったので、実質賃金が高くなった。

全産業の合計でこれだから、中小零細はもっと効果は薄い。
過半数の労働者とその家族が中小零細の給料で暮らしているのだから、「なんで人手不足なのに給料上がらないんだ??」と感じているはずだ。

いぜん、こんな記事を書いた。
→ 人手不足なのに給料が上がらない不思議(なぜ世界3位の経済大国が貧乏になるのか 2)

が、その時に書き落としていた重要な要素が、「労働組合」だ。
あまりにも労働者が弱すぎるのだ。

このままでは、完全雇用になっても 賃金は低く抑えられたまま という経済学の常識をぶちこわすような事態になる可能性が高い。
人手不足は、給料を上げずに、過酷な労働だけを強いるものになる。

連合のダラ幹に頼るのではなく、自分たちの命をまもるために、あらためて労働組合ってものを考え直してみる必要がある。
腐った民進党に頼らずに自分たちの政党を作らなくてはならないのと同じ。
それと呼応して、新しい労働組合が必要だ。



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