2017-05-09(Tue)

いまや安倍晋三の太鼓持ちは強姦野郎だけ

すでに多くの人が目にしているだろうが、あらためて引用しておく。

“安倍の太鼓持ち”山口敬之のレイプ事件潰しは官邸の圧力? 逮捕寸前に中止命じた警察官僚は菅官房長官の右腕
2017.5.10 リテラ

(略)
中村元刑事部長は現在、警察庁の組織犯罪対策部長の職にあるが、第二次安倍政権発足時に菅義偉官房長官の秘書官をつとめ、菅官房長官から絶大な信頼を得て、いまも「菅官房長官の片腕」として有名な警察官僚。
(略)
中村元刑事部長は「週刊新潮」の取材に対し、忖度や圧力は否定しているが、「事件の中身として、(逮捕は必要ないと)私が判断した。(捜査の中止については)指揮として当然だと思います。自分として判断した覚えがあります」と、逮捕を阻止したことを認めている。前述したように、準強姦事件に、警視庁の刑事部長が直接判断を下すというのはありえない。

(引用以上)

まずこの内容に驚き、さらに、これをあの新潮が書いたと言うことに驚く。

第2次安倍政権になってから、どちらかと言えば自民党よりかと思われていたジャーナリストが、徐々に安倍晋三を批判するようになった。象徴的なのは毎日の岸井成格であり、最近では後藤謙次であろう。最近の後藤のするどい安倍批判は、「あの後藤謙次が・・・」と驚きをもって受け止められている。

そんななかで、恥も外聞もなく安倍親衛隊を続けていたのは、山口敬之と田崎史郎である。森友問題をもっとも力をいれて報道していた朝日のモーニングショーに、いわばバランサーとして連日出演していた。極端な安倍主義者を出しておけば、少々つっこんだ報道をしても中和されるという朝日の「忖度」だったのだろう。

それほどにアベッタリの二人であるが、田崎史郎については最近ちょっと様子がおかしい。もちろん、相変わらずなんとか安倍政権への追求をかわすキッカケを虎視眈々と狙いながら、スキあれば余計なことを言って話をそらずということを続けてはいるのだが、このところその言動が鈍いのだ。
田崎ス史郎と言われるほど、安倍晋三とはズブズブの寿司友のはずなのに、森友の特集をやっていたことのように玉川徹と激しくバトルこともなく、ほとんど役に立たずに去って行くことが多い。

田崎のような男の目から見ても、もはや安倍晋三の賞味期限は切れかけているように見えるのだろう。これ以上あからさまな寿司友をやっていたら、ポスト安倍になったときに総スカン食らってしまう。くわばらくわばら てなものだろう。


20170510-2.jpgもうひとりの山口敬之はどうか。こちらは森友以降も、元気はつらつである。
連休前にも 北朝鮮からミサイルが飛んでこないと言うやつは、北朝鮮の毒まんじゅう食らったバカなやつだ と言い放っていた。
(連休にのんびりゴルフ三昧していた男は 毒まんじゅう食ったのだろうか)

これだけ「もどき」も含めたジャーナリストが安倍を見放しているのに、なんで山口敬之だけはこれほど忠誠を誓うのか、むしろ疑問だったわけだが、その理由が見事に暴かれた。
強姦をもみ消してもらったのだから、何があろうと逆らえるわけがないわなあ。

この卑劣な強姦野郎のニュースは、大手紙やテレビでは報じていないようだが、ネット上では充満している。
「山口」でググっても4番目に出てくる。
もはや隠しおおせることは不可能となれば、新聞テレビも後追いする。森友と同じパターンだ。



こんな鬼畜行為を握られている男しか追従しなくなってしまった安倍政権。
万全のメディア対策をして、どんな悪事を働こうが、いかなる不祥事が勃発しようがまったく音無しで過ぎ去っていた数ヶ月前までの安倍政権がウソのようだ。

やはり、森友学園問題は、安倍晋三のアキレス腱なのだ。
同様の事件としては、規模的には加計学園のほうがずっと大規模だが、二つの点で安倍へのダメージの程度が違う。

ひとつは、教育勅語だ。
教育勅語は、大日本帝国が鬼畜米英と闘うために唱えられていたものであり、精神的支柱であった。こんなものの復活を宗主国である米国が許すはずがない。
「朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗~~」「安倍首相がんばれ!」のあの映像は、我々が思う以上に大きな衝撃をもたらしたはずだ。


20170510-1.jpgふたつめは、安倍昭恵の深い関わりだ。
森友学園が勝手に安倍晋三頑張れと言っている分には大きな問題にはならない。しかし、安倍昭恵が籠池夫妻と三人四脚で手を取り合って「教育勅語学校」を建設しようとしていたことは、もはや物証がありすぎて誰にも否定できない。
安倍昭恵を通して、安倍晋三という人間が、表向きは米国にもトランプにも媚びへつらっていいるが、心の中は「鬼畜米英」なのだということがばれてしまった。

これが、安倍政権の万全のメディア対策のほころびの始まりだった。
森友事件については、メディア規制ははずされた。そして「メディア規制が外された」ということ自体が、(自称)ジャーナリストにとっては「安倍政権が宗主国に見切りをつけられた」ということであり、政権の終わりの始まりを敏感に嗅ぎ取った。

本当は、鬼畜山口敬之も逃げ出したかったろう。しかし、菅あたりから「わかってるだろうな」と言われれば、従わざるを得ない。
完全に浮いているのを自覚しつつも、自棄のやんんぱちで安倍親衛隊をつとめてきた。

しかし、せっかく頑張ってきたのに、ついに秘密は暴かれてしまった。
さすがのテレビ業界も、山口は使えないだろう。もう、直球で安倍晋三を擁護してくれる(自称)ジャーナリストはいない。
安倍政権は、もう風前の灯火なのである。



ところが、この安倍政権をがっつりと支える支持基盤が存在する。

その名は 民進党。

安倍政権を倒したいならば、野党がとりあえずやるべきことは三つだ。
ひとつ。国会審議をストップさせる。
ふたつ。国民運動を呼びかける。
みっつ。米国側に安倍の本音(鬼畜米英)を詳しくチクる。

せめて、国会を止めることぐらいやったらどうなのか。
しかし民進党は、粛々と審議に応じ、「健全」な国会運営に協力している と山本太郎さんが先日の会見で皮肉山盛りで嘆いていた。

民進党の頭の中にあることは、
自分の議席だけは守りたい。そして、もう二度と政権は取りたくない。 ということ。
ここを間違えてはいけない。民進党は、議員にはなりたいけれど、政権は取りたくないのだ。あんな大変な思いをするのはもうまっぴらごめんだ、と思っている。

そうなると、できるだけ解散は後回しにしてもらって、安倍政権が長期安定に続くことが、民進党にとってうれしいことなのである。
そしてこの民進党の性根こそが、風前の灯火の安倍政権を支えているのである。。



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本日は 「なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり」はお休み。
次回から再開します。

これまでのリンクを貼っておきますので、興味のある方はかため読みをどうぞ

なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 1
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 2
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 3
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 4
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 5
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 6
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 7
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 8
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 9
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 10
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 11
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 12
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 13
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 14
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 15
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 16
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 17
なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 18

ひーひー言いながら自力でリニューアルした明月社のホームページもよろしく → 木の家プロデュース明月社
2017-05-08(Mon)

護憲は安倍改憲に勝てるか

安倍晋三の改憲宣言は、改憲派からも護憲派からも唐突感をもって受け止められた。

安倍改憲の本丸「9条改正」に待ち受ける関門
ついに改憲をブチ上げた首相の戦略とは?
2017年05月08日 東洋経済


首相は現行憲法が施行70年を迎えた5月3日、改憲派の集会に自民党総裁としてメッセージを寄せ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」「9条1項、2項は残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」などと語った。併せて「教育は重要なテーマ」として改憲による「高等教育の無償化」にも意欲を示した。
(引用以上)

改憲派からは、これまでの自民党草案とはまったく違う内容に戸惑いがある。

自民・石破茂氏が首相改憲メッセージにさっそく疑義 
「党内議論になかった考え方だ」「自衛隊と9条2項の関係は…」
2017.5.3 産経


一方で護憲派には、共謀罪(テロ対策法)の強行採決を目前にして、輪をかけて世論を刺激することはしないだろうという、油断があった。いくらヒールでも、凶器を振り回しながら、同時に目つぶし攻撃をしてくるとは思っていなかった。

もとより幹部のなかに改憲派をかかえる民進党は、明確な対応はできず、何を言いたいのかわからないことをモゴモゴ言っている。

3日に安倍晋三が発表した改憲の方向性は、三つある。

① 九条を残して、但し書きのように自衛隊を明記する
② 教育無償化を憲法で定める
③ 憲法の規定に則って正面から改憲を提起した

①は公明党、②は維新を取り込むための内容であることは論をまたない。
そしてさらに、、③は民進党(の一部)をとりこむものである。戦争(安保)法案で民進党が反対の最大の根拠にして、まがいなりにも野党共闘の軸になったのは、「立憲主義」である。
解釈改憲によって立憲主義を踏みにじるのはまかりならん、というのがおそらく半分は改憲派であり、安保法制自体は必要だと考えているであろう民進党と、他の野党との最低限の共通点であった。

しかし、憲法をまもり、憲法の規定に則った正面からの改憲議論に、民進党は反対することはできない。一応のポーズはとるだろうが、ずるずると取り込まれていくことは間違いない。
まして、2020年と年限を切った安倍晋三の迫力に、すでに民進党は飲まれており、すでに勝負はついているともいえる。

他の少数野党がいくら頑張っても国会審議を止めるところまではできないので、国会での発議は、少なくとも現状の両院2/3を確保しているかぎり、まず間違いなくいつ出しても通る。

また、九条を残すということは、原作者の米国に対する配慮でもある。
米国は、軍産側もトランプ側も、突出した日本の軍事大国化は望まない。米国にとって都合のいいだけの、適度な軍事力は強要してくるものの、あくまで米国傘下、統制下に限定されている。
世界第5位の自立した軍事大国がアジアに出現することは決して許さない。
九条を残すことで、「米軍の要請があれば世界中どこでも行きますが、勝手に領海からは出ていきません」と宣誓しているのである。

これは米国のみならず、リベラルの中の専守防衛ならOKという人たちにはかなりの説得力をもっている。
護憲派のみなさんは、そんなのゴマカシだと言うだろうが、論理的にはそういうことになるし、すでにこのような意見が表明されている。




もちろん、この二人も安倍晋三の改憲の進行には賛成はしないだろうが、「リベラル」といわれる人の中でもこういう意見は多くでてくると言うことだ。



とはいえ、最後は国民投票が必要になる。
いかに安倍自民党が盤石に見えても、これは必ず通るという保証はない。
選挙でいつも自民党が圧勝するからと言って、国民投票でも圧勝するとは限らない。選挙で自民党が勝つのは、これまでの惰性というか、一種の慣性の法則があるが、現状を変更する改憲については、はるかに大きなエネルギーが必要だ。

しかも、改憲をしかける側にとっては、やる以上は必勝でなければならない。
絶対に勝てるという確証がない限り、中途半端に発議して、万が一否決されてしまうと、打撃ははかり知れない。
つぎのチャンスまで、また何十年も雌伏を強いられるかもしれない。

その意味で、2020年と時間を切って改憲を提起したことは、安倍晋三にとっても並々ならぬ決意のあらわれであり、反対派にとっては安倍的なものにとどめを刺す好機となる可能性もなくはないのである。

民進党はともかくとして、生粋の護憲派はどのように対応しているのだろうか。まずは共産党。

安倍氏「改憲」明言 9条破壊の暴走加速許されぬ
2017.5.5 しんぶん赤旗


首相が改憲項目の冒頭に9条をあげ、自衛隊を憲法上位置付けると表明したことは、改憲の「本丸」が9条にある本音を示すものです。自衛隊を9条に書き込むことは、「戦争放棄」の1項や「戦力不保持」の2項と矛盾するもので、従来の「歯止め」をなくし、海外での武力行使を文字通り無制限にすることにつながるものです。発足以来、海外で一人も殺さず、一人も殺されることのなかった自衛隊の性格を、根本から変える重大な改悪にほかなりません。
(引用以上)

ポイントは、一項、二項と矛盾するということ。これは、立場は違えど石破茂の主張と同じである。

社民党は、なんと公式には声明を発していないのだが、福島みずほ氏のツイートを引用する


集団的自衛権だから、専守防衛にならない、というが反対のポイントのようだ。

自由党は護憲派ではないが、安倍晋三の改憲には反対している立場なので、こちらもチェックしておく。社民党と同じく公式声明はないので、こちらも小沢一郎事務所のツイートから。


こちらは、そもそも安倍晋三が立憲主義ではないから反対、ということ。改憲の内容には触れていないのは、鳩山氏や米山氏と同じく原理的には自衛隊を憲法に明記すべきだというのは、自由党の考えでもあるからだろう。

いずれにしても、かつての護憲派のような 「平和憲法を守れ!!」的な高らかな憲法賛歌と、それに手をつけようとするものを無条件に悪の権化と見なす論調は影を潜めている。
よく言えば慎重、悪く言えば、言い訳がましいのである。



長く続いた選挙での連戦連敗で、護憲派は自信を失っているのだろうか。

しかし、先にも書いたように、国民投票と選挙は同じではない。しかも、敵は万が一にも負けられないのだが、もし今回の改憲内容が九条三項と教育無償化だけだとしたら、通ってしまったとしても日本の姿はすぐには変わらない。
改憲という実績を作られてしまうことは大きいことではあるが、自衛隊はこれまでどおり自衛隊だし、教育が無償化されるとしたら国民はむしろ喜ぶ。国の姿が変わると言う意味では、むしろ、戦争法案のほうがはるかに大きかった。
国民の命にとっての正念場は、「次の改憲」ということになる。

つまり、今回の改憲については、安倍晋三のほうが背水の陣なのであり、しかも勝てるという保証はない。
経済政策では、金持ちが集まって予算権を握っている自民党は圧倒的に強いけれど、憲法論議は北朝鮮脅威を必死にあおっても、なかなか安倍の思うようにはなっていない。

不戦「9条が貢献」75% 安倍政権で改憲「反対」51% 世論調査
東京新聞 2017.4.30


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(引用以上)

他社の調査も同じようなものだ。
安倍晋三の、いわば「新改憲提案」は、こうした情勢を睨んで、自民党草案ではとても通らないと判断したのではないだろうか。

安倍晋三といえども、決して楽勝ではない。
しかし、今のそれぞれの対応を見ていると、野党は安倍晋三の迫力に負けている。最初から「どうせ勝てない」と諦めている。
目を覚ませ!!



では、これまでの「護憲一本槍」で勝てるのか。

それは残念ならが無理だろう。
上にあげた東京新聞のグラフにあるように、改憲自体はもはや多数派である。内容にかかわらず、無条件に指一本触れるな式の護憲運動では、むしろ逆効果にもなりかねない。

それにしても、圧倒的多数が九条のおかげで平和だったと認めながら、なぜ護憲運動には冷たいのか。
それは、現行憲法の秘密が関わっている。

詳しくは 1年前の記事を読んでいただきたい。少しだけ自家引用しておく。

憲法という「ゆりかご」
2016.6.6


この憲法は妥協の産物として生まれた、ということが明らかだからだ。
つまり、左手には9条、右手に1条、頭の上には日米安保+地位協定がのっかり、足下には沖縄を踏みつける。これが憲法の歴史的な位置である。

憲法は良いけど、安保や沖縄切り捨てはよくない、というのは居酒屋論議としては結構だが、歴史をふまえない話であり、まったく意味をなさない。この条件でなければ生まれなかったのが日本国憲法なのであり、この全体像のなかの一部を担うのが日本国憲法だったのである。


(略)

日本国憲法は民主主義の「ゆりかご」だったのである。

ところが、戦後の民主主義を先導する人たちは、この憲法こそが民主主義だ。民主主義の完成形だ と勘違いした。
これから、いちから創っていかなければならないのに、もう手の中にあると思い込んでしまった。

「ゆりかご」の心地よさを、戦後民主主義と称して満喫し、いちから創る努力を怠り、憲法の本質を議論することには「改憲派」とレッテルを貼って排撃した。
「ゆりかご」から飛び立つのではなく、「ゆりかご」のなかで70年間を過ごしてきてしまった。

(引用以上)

民主主義を標榜する「左翼」や「革新」こそが、国体護持の象徴である現行憲法ではなく、本当の自分たちの憲法を作ろうという改憲運動を起こすべきであった。
現行憲法のいいところはもちろん残しながら、自分たちの憲法を自分たちで作るという、最高の民主主義を実現するために何をするべきなのか。そこから逆規定して、政治に取り組むべきだったのだ。

それをまったくネグレクトして、ゆりかごの中の日本の民主主義を息絶えさせてしまった責任は、すくなくともその半分は「護憲派」にある。
そのような、民主主義圧殺の前科をもつ護憲運動には、日本人の過半の心をつかむ生命力はない。自分たちの運命を自分たちで決めるのだというワクワク感を、70年間押しつぶしてきたという自覚と反省なしに、国民の心に届く言葉を発することはできないだろう。

もちろん私自身も、安倍政権下での改憲には1mmのブレもなく反対だ。
安倍政権でなくとも、ここまで民主主義が腐敗してしまった日本で、そう簡単に改憲はできないと思っている。
いかに使い古した「ゆりかご」でも、もうしばらく使わせてもらわなければ、元も子もなくなってしまう。

しかし、あくまで「ゆりかご」は「ゆりかご」であって、やはり将来的には「自分たちで自立する」ことが絶対に必要だと言うことは明示すべきなのだ。
その大きな目標を提示することで、初めて人は独り立ちを意識し、個人が政治にリンクする。

そのような緊張感を持った議論の中でこそ、「安倍晋三の改憲はダメだ」「性急な改憲はダメだ」「今やっと議論が始まったところじゃないか」という話ができる。リアリティをもつことができる。

それは、鳩山氏や米山氏のような、九条三項はOK みたいな話ではなく、もっと大きな「自分たちの憲法」をつくるための大きな運動、運動と言うより大議論をこれまでの護憲派の側からよびかけていくことで、70年越しで1億2千万の臣民を国民に生まれ変わらせるのである。

私は、これが安倍改憲にたいする戦い方であり、これを起死回生のチャンスとする戦略であると思う。

安倍の迫力にタジタジとなりながら、退却しながら防戦する「護憲」運動では、時間とともに国民に見放され、本当の正念場である「次の改憲」に立ち向かう陣形も残らない。

護憲派も、原則改憲派も、「自分たちの憲法」とはなにか、を深く深く考えて、議論することが必要だ。
そのような場を作ることが 絶対的に必要だ。



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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 18

17 からつづく

 それはともかく、シックハウスについては、こうやってひとつひとつリスクを減らしていくことしか、今のところできないだろうと思っている。それは技術的に難しいこともあるのだけれども、それ以上に、あまりにもそこにこだわると、せっかくの家づくりが楽しくなくなってしまうという理由もある。いま苦しんでいる方はそれ相応の対処をしなければならないが、これまで特に何の対策もとっていない賃貸住宅などに住んでいて特に症状が出ていない人の場合、シックハウス対策にあまりにも神経を使いすぎるよりも、もっと他に考えることがたくさんあるはずだ。シックハウスというマイナスをゼロに戻す作業よりも、プラスを積み重ねていく家づくりにした方が、ずっと楽しくて実りがあると思うのだ。
 そんなわけで、T町の三セクを追い出されたボクは、シックハウスの世界ともちょっと距離をおくようになった。

■ 山の世界から床下の世界へ

 高知県T町の第三セクターをクビになったボクは、地元の工務店に拾われた。もともとその三セクの店を開くにあたって千里界隈に根を張っている工務店にいろいろ協力してもらっていた。その会社から「来るか」と言われたので、当面何のあてもなかったボクは世話になることにした。リフォームの営業のようななんだかよく分からない部署にいたけど、ボクのような中途半端なやつはよほど使いにくかったと見えて、やがて上司も部下もいない一人部署になった。会社の看板だけ使って千里ニュータウンで勝手に営業して勝手にリフォームやらを受注するという暮らしを数年続けた。

 会社とつきあいのある信用金庫のお客さん向けイベントで園芸教室の助手をしたり、自分で勉強会を企画してチラシまきしたり、お客さんの御用聞きのようなことをしたり、実に不思議な数年間だった。本当は新築住宅の設計をやりたかったけれども、設計部は別にあるので自力で受注しない限り自分で設計はできない。かなり頑張ったけれどリフォーム以上のことはできなかった。

 この会社に入ってまずビックリしたのは、工事を請け負う前に見積もりを作らないことだった。もちろん、大きな工事は見積もりするけれども、リフォーム程度で「見積もりお願いします」と工事部に依頼すると怒られるのだ。何をするにも事前に見積もりを出すのが当たり前だと思っていたボクは、頭の中が???だった。よくよく話を聞いてみると、この会社はもともと大地主さんの仕事ばかりしており、そういう旦那衆は修繕工事の見積もりなど要求しないのだ。かかったらかかっただけ後から請求する。それを黙って払ってくれる。そういう関係のなかで育ってきた会社だから、リフォームの見積もりを頼むと怒られるのだった。

 しかし、高度経済成長期に農地が宅地にかわって、濡れ手に粟で大地主になった人たちは、その頃には代替わりの時期を迎えていた。大地主にべったりで生きてきたその会社も転換点にあったのだが、その転換は上手くいっているようには見えなかった。地主さんの二代目からはむしろ疎んじられて、大きなお客さんが次々と離れていく様子がボクのような外様社員にも見えた。経営者一族もかなりの地主だったからすぐにどうこうということはないにしても、ちょっと危なげだなあというのは多くの社員が感じていた。

 労務管理もかなりユルユルで、まあおかげでボクのような不良社員もいられたわけで、とても感謝はしている。なんというか、根性の悪い会社ではなかったと思う。話は少しさかのぼるが、千里に高知県の出店ができるとき、この工務店を含めて多くの関係各位が集まってきた。県と町の補助金事業だったので、いわば公共事業ということで、高知県人会とかどっかで高知につながっている皆々様(ありていに言えば有象無象)が大集合して、何かオイシイ仕事にありつこうとした。そういう方々をさばくだけでも大変だったくらい。そんなときに、この工務店はオイシイとこ取りをするのではなく、真剣に出店の手伝いをしてくれた。経営的にはいろいろ問題はあったし、地主の御用聞きはボクの性には合わなかったけれど、やはり善意の会社だったのだろうと思う。

 この会社に勤めている間にこっそりやったことは、本を書いたことだ。厳密には本の原稿。最初は自分の知識をまとめておきたくて、簡単な冊子をつくった。でもそれでは無味乾燥なので、ちょっと読みやすくして「まぐまぐ!」のメルマガにして発行することにした。週に1回半年間。Kさんという架空のおばちゃんを登場させてボクとの対話形式にしたところ、結構評判が良くて、自分でも面白くなってきた。25回分が終わったところで短大時代の恩師に原稿を見せたところ、出版してみろといって彰国社の編集者を紹介してくれた。それが「家を建てる。家づくりはたたかいだ」になったのだが、この話はまた後日。

 設計はできなくともリフォーム営業でそれなりに数字をあげていたボクは、気持ちの無理が蓄積したらしく心身の状態がおかしくなってきた。たぶん2004年の春くらいからだったと思う。それまで何でも一人だったのが、そのころから新しくチームで営業を始めることになり、ちょっと張り切った矢先だった。気持ちはあるのに体が動かない。あれ、なんだこれは。最初はそんな感じだった。リフォーム営業がイヤでイヤでたまらないというのではない。よしやるぞ、と思っているのに、どうしても体がいうことを聞かない。ぎょぎょぎょ、これが世に言うウツ病か。。。

19 につづく

※明月社のホームページを大改造!家にご興味のある方は一見を → 木の家プロデュース明月社
2017-05-01(Mon)

日本のメーデーが燃えないのはなぜか

今日はメーデーだった。

May Day 5月の日。昔は古代ローマの花の神、フローラを祝う祭りだったとか。
たしかに、今の時期はいろんな花が一斉に咲き乱れ、フローラ祭りをやりたくなる気分よくわかる。

そんなほのぼのとした祭りの日が、なんで労働者の権利をもとめる闘いの日になったのか、その経緯はよくわからない。
一説では、祭りの日は労使が休戦して仲良く楽しんでいたのが、やがて労働者の権利の主張につながったという話も見かけた。

その辺の経緯はともかく、本格的に労働者の闘いの日になったのは、このあたりが定説のようだ。

(以下引用)

世界大百科事典 第2版の解説

その起源は1880年代のアメリカにおける8時間労働制を要求する運動にある。84年に〈労働騎士団〉をはじめとする労働組合が,5月1日を期して8時間労働制要求のゼネストを行うことを決め,第1回の行動として86年5月1日に〈8時間の労働,8時間の休息,8時間の教育〉をスローガンとしてストライキ,デモ行進を行った。

(引用以上)

130年前に8時間労働を求めて立ち上がったのが、労働者のメーデーの始まり。
しかし、現代日本を振り返ってみると、月に100時間の残業もOKで、70~80時間は当たり前だ。130年間、何の成果もえていないということだろうか。
それどころか、残業時間の天井を決めることで、それを超える時間は自動的にサービス残業にさせる、ということがまかり通っている。36協定は、労働者を守るどころか、サービス残業の理由になってしまっている。

近年は人手不足だと言いながら、労働環境の改善はされず、少ない人数でより多くの仕事をさせるという、より過酷な労働環境になっている。いったいぜんたい、労働市場という観念は、日本には存在しないのか??

これほどひどい日本なのだから、130年前よりは、ちょっとはマシにしろ! と働く人たちが立ち上がって、盛大なメーデーを敢行しても良さそうなものだが、昨今のメーデーはまったく盛り上がらない。
30年くらい前に病院に勤めていた頃は組合があって、私もメーデーに参加していた。当時はまだしも人数は集まっていたようだが、集会後の組合のボーリング大会が楽しみだったり、日当めあてだったりして、あまり切実な闘いの雰囲気はすでに無かった。

まして、その後建築の世界に入ってから、組合というものにお目にかかったことがない。中堅ゼネコン、零細設計事務所、地場の工務店などなどいろいろ勤めたが、労働組合なんて月の世界はなしかと思うくらい、まったく縁の無い、遠い遠い世界だった。メーデーなんてニュースで見て、へえそうだったんだ、と思うくらい。

これを、「日本の労働者は意識が低い」と決めつけてご高説をたれるのは簡単だ。しかし、私はそんなことではないと思っている。

結論から言ってしまうと、日本でメーデーが盛り上がらない理由は、日本が資本主義ではないからだ ということだ。
日本には労働者はいない と言う意味でもある。

労働者というのは、労働力だけを糧として生きる人間のことだ。
労働力以外の生産手段を独占しているのが資本家で、労働者と資本家は必然的に対立せざるをえない。
というのが、典型的な資本主義の姿である。

しかし、日本の「資本主義」には、労働者と資本家の対立以上に鋭い対立が内包されている。
それは、元請けと下請けの関係だ。
大企業と中小零細の関係といってもほぼ同じ意味だろう。

明治時代に無理矢理「資本主義」の国になった日本は、官僚が敷いたレールの上を政商が走り、多くの零細企業はその下支えをさせられた。
敗戦後、財閥解体で一度はそうした構図がなくなるかに見えたが、実質は何も変わらず、官僚主導の官製「資本主義」が異常に発達した。護送船団方式などとも言われた。
限られた巨大企業が圧倒的な主導権をもち、中小零細はそのおこぼれをもらって生きるしかない、という構図は、産業規模が大きくなったぶんだけ、むしろ戦後に強化されたのではないか。

いかに中小企業と大企業の格差があるかについては昨年12月に書いたこの記事を参照してもらいたい
 → 国民の7割は中小零細企業の社長と社員とその家族だ 

収入面の結論だけ書くと
中小企業の社員のほとんどは、全体の平均年収ももらえていない。
まして小規模企業にいたっては、社員5千人以上の超大企業の年収の6割にすぎない。
これに福利厚生や退職金を含めれば、もっと大きな差が開く。

大企業からギリギリのコストを押しつけられている中小零細企業で、労働者が盛大に権利を主張すると、ほんとに倒産する。
そういう現実の中で、7割の「労働者」は働いている。
そのリアルに向き合っている目からは、組合作ってメーデーで盛り上がれる身分はうらやましい限りだ。

また一方で、大企業社員や公務員は、比較的恵まれた待遇があるために、あえて組合だメーデーだとやらかす動機が薄くなる。
当然のこととして、組合はあっても組織率は激減してきた。

日本の「資本主義」は本来の自由競争とはほどとおい官製「資本主義」であり、スタートでできた格差が長年の蓄積でさらに差が開いた状態が今日の姿である。
第2に財閥解体をやらないかぎり、日本に資本主義は生まれないし、本来の意味での労働者もうまれない。

では今の「労働者」に見えているものはなにか。
それは、村落共同体に縛られ、年貢を搾り取られていた農民の姿そのままである。
幕府や殿様が「政官財」にかわり、村落共同体が中小零細企業に様変わりはしているが、大きな構図は江戸時代と何ら変わっていない。

このような今の日本で 労働組合やらメーデーやらが盛んになるわけがない。
この現状を出発点にして、なんとか人が人らしく生きていける途を探るためには、私は労働者VS資本家の闘いではなく、下請けVS元請け、中小零細VS政官財 の闘いを作っていくべきなのだと思っている。

こんどこそ財閥解体を成し遂げて、明治から営々と積み上げてきた官製のアドバンテージをすべて奪い取り、改めて自由競争による資本主義を発進するところから、この国はやり直すべきだ。

なお、誤解のないように蛇足を書いておくと、新自由主義は自由競争とはもっとも遠い場所に生息するアンフェアの権化のような存在であり、資本主義ですらない。だから、資本主義の出来損ないの日本は、やすやすと新自由主義の餌食になったのだ。
だから、私の言う自由競争は、新自由主義礼賛ではない。真逆である。

また、やり直した資本主義がうまくいくという保証もない。
しかし、あまりに不平等から出発した官製「資本主義」を一度解体しなくては、これをいくらこねくり回しても、腐った材料は腐った料理にしかならない。

こうした自由競争の資本主義を生き生きと活動させるために、政治の福祉とかセイフティーガードが必要なのだ。
福祉大国と言われるスウェーデンは、企業に対する救済を一切やらない、極度の自由競争主義だという。だから、業績が悪いとどんどん倒産し、じゃんじゃん失業する。なので、不採算分野はさっさと儲かる分野に鞍替えして、失業者は手厚い福祉でバックアップされる。
国の規模が違うから、単純に引き写しはできないが、これが本来の資本主義なのではないか。

血のメーデーから65年。
昔日の劣化コピーで、惰性のメーデーを続けることよりも、もっとラディカルに変革を考えてみることが必要だ。
5月1日 そう考えた。



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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 17

16 からつづく

 では、化学物質過敏症ではないシックハウスとは何かというと、家が原因で病的な症状をきたすこと全般である と当時そのNPOでは言っていたように記憶する。原因物質はいろいろあるわけで、もちろんペンキや接着剤や合板などの建材から出るトルエン、キシレン、ホルムアルデヒド、シロアリの薬(防蟻剤)だったクロルピリホス、建築とは違うけれど家の中にある防虫剤のパラジクロロベンゼンが代表物質と言われている。建築基準法で、クロルピリホスは禁止、ホルムアルデヒドは建材から発散する量によって等級がつくようになったので、一般の人でもなじみがあるかもしれない。

 建築基準法で決められたのはもう一つ。強制的な24時間換気だ。さきほどの防虫剤なんかもそうだし、家具や消臭剤やいろいろと家の中に持ち込む化学物質がたくさんあるので、それを吐き出すために人が常時いる部屋は24時間換気扇を回しっぱなしにしなければならない。当然、排気がある以上は吸気口もつけなくてはならず、いくら弱で回しても冬などは寒い。ここまでしなくちゃならない理由は、じつは持ち込み物質だけじゃない。イマドキの建材はたしかにホルムアルデヒドはかなり抑えられているし、トルエンやキシレンがプンプンするものはほとんどない。でも、他の物質を開発して代替しているので、さて何が良いのやら悪いのやら、よほどの化学物質の毒性に詳しい専門家じゃないとよくわからない。しかも、クロルピリホスのように昨日まで問題ないと言われていた物質が急に禁止になったりするわけで、専門家の言うことを丸呑みにするのもなんだか怪しい。

 いろいろ考えたあげく、ボクがたどり着いたのは「できるだけリスクを減らす」という何の変哲もないありふれた答えだ。まずゼロにはできない。化学物質もゼロは難しいし、天然化学物質は木の家ならばじゃんじゃん出てしまう。天然だって度が過ぎれば症状が出る。桧(ひのき)なんてほんのり香ってるぶんにはいい臭いだけど、六面を桧に囲まれた部屋だったりすると頭が痛くなる。桧オイルをこぼしたときなんて、もう大変だった。ゼロリスクにはできない。そのことは、まずはじめに住み手の人に言っておかなくてはならない。

 その上で、できるだけリスクを減らす。家の内側には合板は使わないとか、江戸時代から長く使われている材料にするとか、人口の化学物質を使うときは揮発性のない物質にするとか、まず口には入らない箇所に限定するとか。一番気をつけているのは、床暖房を使うときの床材だ。床材には見えている床材(フローリング)と、その下にもう一枚貼ってある床下地材がある。イマドキの家は99%厚い合板(ベニア板)の床下地材の上に合板のフローリングが貼ってある。もちろんホルムアルデヒドをあまり出さないフォースターという等級のものなんだけど、これが暖房かけちゃうと思い出したようにホルムアルデヒドを出してしまう。床だから逃げるわけにもいかなくて、寝転んだり子どもだったりペットなんかはかなり濃いのを吸ってしまう。なので床材、とくに床暖房するとこは合板は使わずに無垢の板にするか、揮発性のない接着剤を使った集成材にする。

 あと、建材から出る物質で気をつけなくちゃいけないのは可塑剤だろう。ビニールクロスとかビニールのシートを表面に貼ったドアなんかの建材から出ている。最近の一般的な新築住宅で臭っているのは、ほとんどこれじゃないかと思う。環境ホルモンの疑いなどもかかっていて、ボクはできるだけ避けるようにしている。

 見た目に反して化学物質の温床と言われているのが畳。い草を染める染料と、育てるときの農薬、裏側に貼ってある殺虫シート、畳床に使われているポリスチレンなどなど、どれも致命傷ではないかもしれないが、できるだけリスクは減らしたい。だから、明月社の家ではダイケン畳というのを使っている。い草の代わりに和紙のこよりなので農薬はないし、畳床はインシュレーションボードという木の繊維を接着剤ではなくて熱で固めたボード。もちろん完璧ではないけど、かなりマシである。ご予算がウンとあって和室にはこだわりたいという方には、無農薬のい草に無農薬の藁床畳という高級オプションもある。

 家の中の建材で、かなり面積が大きいのはドア。イマドキドアは木の繊維を接着剤で固めたもの(MDFという)にビニール系のシートを貼ってある。そのシートの木目が職人の「作品」だという話は前に書いた通り。このドアも、もちろん建築基準法の基準は守っているけれども、やっぱりできるだけリスクは減らしたいので、予算にも関わるので必ずとはいかないけれども、無垢の木を使ったドアを使いたい。完全無垢は技術的に難しいので、揮発性のない接着剤を少量使った集成材と言うことになるが。

 よく使っているのはニュージーランドで一貫生産していることをウリにしてよくTVコマーシャルもやっているあのメーカーの製品。「さんざん国産材だと言っておきながら何なんだ」と怒られそうだが、なにせお値段の問題がある。国産材のドアメーカーはなかなかのお値段なのだ。実は、そんな中でもシンプル&リーズナブルに製品化できそうな工場を見つけたので、新幹線に乗って工場の見学や打合せにも行ってきた。次の設計でご予算が合えば使ってみようと思っているのだが、肝心の次の仕事がない! だれかボクに家を作らせてくれ・・・

18 へつづく

2017-04-26(Wed)

【森友疑獄事件】2015年9月4日 すでに1.3億円売却は内定していたのではないか

森友事件が新展開を迎えている。

2016年3月15日に籠池夫妻が財務省理財局の田村室長に面談したときの音声データが暴露された。
おそらくは、籠池氏から菅野完氏に託された段ボール4箱の中の一部なのだろう。

生々しい「あのお方」の連発に、やっぱり安倍昭恵の印籠なんだな、との印象は深まった。
しかし、私が注目したのは、このときの面談で資料として使われたらしい、前年(2015年)9月4日の近畿財務局での打ち合わせ記録のほうだ。
近畿財務局、大阪航空局、中道組(産廃処分の施工)、キアラ設計 の実務者会議である。

この記録は3月はじめの段階で産経新聞が報道し、財務局が「産廃の埋め戻し」」を指示した、ということで問題視されていた。
今回、またまた舞台に登場してきたので、この打ち合わせ記録の全文を確認してみたところ、非常に不審な点を発見した。

全文については、こちらのサイトが書き起こしをしてくれているので、引用させていただいた。主旨は当ブログとは反対のようだが、このような原資料を残してくれていることには感謝したい。
 → 森友学園問題:「業者側の記録」文字起こし

以下は引用であるが、途中で※として私のコメントを挟む

中道組:先日現場立ち合いにてご確認頂きました汚染土に含まれている産廃と地中埋設物除去範囲に含まれている産廃処分につきまして予算計上可能か否か今後の施工計画について打合せする必要があるのでお時間頂戴いたしました。

財務局:土壌改良及び地中埋設物除去範囲の産廃量及び金額を教えていただけないでしょうか。

中道組:汚染土に含まれる産廃は既に処分しましたが701.5tで約400万円となり、地中埋設物除去範囲に含まれる産廃は北東部のみの900tで仕分処分費が高く@¥38,500/tとなり約4000万円になり、北西部にも産廃含有が見込まれておりますのですべて撤去となると膨大な金額となる為、工事を進めてよいものか判断いただきたい。

財務局:まず、汚染土の産廃仕分け処分費(@4,800円/t)と地中埋設物除去範囲の仕分け産廃処分費(@38,500円/t)の違いについて説明願います。

中道組:汚染土処分業者と産廃処分業者との単価違いの為、安価な業者があれば推薦願いたい。


※仕分処分費@¥38,500/tというのはベラボウな金額ではない。北東部というのはおそらく敷地全体の1/5くらいなので、このままやると2億円くらいになり、契約金額の1.3億円を大幅に超えてしまう、というのが中道組の言いたいことだろうと思われる。

財務局:業者が違うから単価が違うでは上層部への説明がつかないのと北東部分だけの産廃だけで約4000万円もかけ、北西部他地域の予測される産廃処分を併せて考慮するとそもそも地価を上回る瑕疵が発生する国有地を貸し出しすることは出来ないので契約取止めになる。

※ここが最大の問題。この時点では地価は9億円。北東部で4千万なのに、なんで全体で地価を上回るのか? おかしい。この段階ですでに1.3億円相当で売却するというシナリオがあったのではないか。

キアラ:産廃処分費に予算がつかないのであれば、基本的に建築工事に支障はないので場外に出さない方法を考えるしかないと思われる。

財務局:出来ればキアラ設計に場外処分を極力減らす計画を考えてもらえないか。

キアラ:建築工事で掘削深度は1.5mから2mぐらいであるので深い部分にある産廃は影響ないが出土した産廃を場内処分する方法も考えるが森友学園への説明方法も難しい。


※建築工事上、(この段階で処分工事をしている)深さ3mまでで十分だという意味。その深さ3mまでから出てくる産廃についても、敷地内のどっかに埋める方法を考えます、とキアラ設計は言っている。

財務局:建築に支障ある産廃及び汚染土は瑕疵にあたる為、費用負担義務が生じるがそれ以外の産廃残土処分が通常の10倍では到底予算がつかないが借主との紛争も避けたいので場内処分の方向で協力お願い致します。

※通常の10倍ではなく、@4,800円/tのほうが異常に安い。たぶん汚染土処分費に基本料金は含まれていて、若干の追加だったのだろう。実際、半年後に大阪航空局が8.2億円の処分費を算定したときには@38,500円/tよりさらに高い単価で計算している。

キアラ:小学校の開校も延びたので設計段階で可能な限りの場内処分計画を検討します。

中道組:9/10から東側から埋設物撤去作業にはいるので契約通り3mの掘削実施し、ガラ振い分けを行い残土は埋め戻させて頂きます。


※結局産廃の処分方法は決まっておらず、振り分けをして仮置きします、という意味だろう。

財務局:来週の月か火曜日に現地確認させて頂きます。工事を進めていく上で問題があれば相談には随時対応いたしますが、2期工事の見積資料も頂戴したいのでよろしくお願いします。

中道組:これから2期工事の見積書も作成しますので森友学園様からの了解も頂いた上で提出させて頂きますが以前保留となっていました、樹木、アスファルト撤去費用と処分費については補助対象の結果は出ましたか。

財務局:撤去費用は補助対象としますが処分費は補助対象外となりました。

キアラ:我々の立場で申し上げることではないので2期工事分と汚染度産廃処分費、既設管モルタル注入費は追加工事として契約計上し、場内処分方法も検討します。

財務局:よろしくお願いします。


※この打ち合わせでは処分方法も金額も確定していない。同様の打ち合わせが後日行われているはず。 

(引用以上)

やはり最大の問題は、なんで「地価を上回るのか?」ということだ。

1.3億円の(第1次)処分費を見積もった大阪航空局の資料をみても、北東部分というのは右上の出っ張っている部分と思われ、全体の1/5程度であることが一目でわかる。

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どう考えても計算が合わないのに、出席者がだれも異を唱えていない。
「定借の契約取りやめ」という由々しき話まで出ているのだから、業者側も危機感をもって、「地価の9億円を上回るなんてことは絶対ないです」と言いそうなものだが、そんなそぶりもなく、淡々と進められている。

ここから推定されるのは、まだ定借契約で、買い取りは8年後とされていたこの時点で、すでに1.3億円=実質タダで売却することは内定していたのではないか ということだ。

1.3億円が売却予定額として内定していたから、それ以上の額を出すとタダどころか熨斗つけて差し上げるということになってしまうので、それはできない と近畿財務局は言っているのではないか。そして、そのことは関係者も知っていたから、誰も驚いていないのではないか。

それ以外に、この単純な計算ミスを全員がスルーする理由が見つからない。

(同時に、この段階では1.3億円で売却するためのスキームはまだ確定されていなかったということもわかる。「新たなゴミ処理費」でさらに8.2億円値引きして帳尻を合わす、というシナリオがひねり出されたのはたぶん谷査恵子FAXから後ではないかと思われる。)

ちなみに、結果としては、一度掘り起こして分別した産廃を、あらためて場内処分(敷地内埋め戻し)をしたのではなく、運動場に当たる南半分のゴミ撤去はそもそもやらなかった ということらしい。業者はそのように言っている。
北半分の深さ3mまでを撤去したということになる。ちょうど、北東部のでっぱりの3倍くらいの広さだから、4千万x3でだいたい計算が合う。

南半分は手つかず、北半分は深さ3mまでゴミを撤去した状態。これが、2015年末、建築工事に着工する直前の敷地の状態だ。



9月4日の会議から 年末の第1次ゴミ処理完了までの間になにがあったか。

例の谷査恵子FAXである

10月某日 籠池氏から安倍昭恵に留守電
10月26日 籠池氏から谷査恵子へ手紙
11月17日 谷査恵子からFAX

この内容からは、もし9月に1.3億円売却が内定していたとすると、話が食い違うことになる。
籠池氏は、買い取り価格が「べらぼうに高い」と言っているからだ。

ただ、冷静に考えてみると、こんなノートに殴り書きした手紙で、土地の値段を値切れると 考えるだろうか。
籠池氏もぶっ飛んだ人間みたいだが、長年幼稚園と保育園の経営はしてきている人だ。常識がないわけではない。

これはむしろ、決まりかけていた話に、本庁から横やりが入ったことにたいする、抗議なのではないか。「ふりまわされています」という表現にそれがにじみ出している。
近畿財務局レベルでは内定していた話に、本庁が口を出した。それに対して、安倍昭恵という印籠で逆襲しよう、というのがあの手紙であり、FAXだったのではないか。

そして、この昭恵印籠パワーが財務官僚の頭脳をフル回転させ、どうやったら8.2億値引きして1.3億にすることを、財務省本庁としても認めることができるのか、というシナリオをひねり出させたのだろう。

9月4日の近畿財務局が口走った、「土地値を上回る」を信じるならば、たぶんそういう話になる。

そして、近畿財務局が先行していたとすると、やはりこの事件は、おおさか維新がメインキャラだったということになる。



さて、年が明けて2016年の初めから杭打ち工事が始まった。杭打ちは敷地の北側なので、3mまでは産廃撤去した部分だ。
そして、3月11日に「新たな産廃」が見つかった、と森友から近畿財務局に連絡が行く。

そして、その直後に籠池氏は財務省本庁の理財局田村室長に直通電話をかけてアポイントを取り、3月15日に面談している。
その時の内容が、あの音声データである。

森友問題で新証拠の「音声データ」が! 籠池氏と財務省の面談の内容が明らかに!「昭恵夫人のほうからも…」との言葉も
2017.4.26 リテラ


この件については、たくさんの記事が出ているのでそちらを読んでいただきたい。
私は、前年9月からの流れを追う。

3月11日 新たなゴミ 報告
3月15日 財務省本庁で交渉
3月24日 買い取りを申し出
4月 6日 (第1次処分費)1.3億円支払い
4月14日 (第2次処分費)8.2億円の見積

いくら神風でも早すぎる。
これ以前から、用意周到に準備していなければ、こんなスピードで処理することは、実務上できない。
2015年11月の谷査恵子FAXから、2016年3月11日までの間に、どうやって1.3億に値引きするか、そのシナリオはできあがっていたと考えられる。

上の時系列に不自然なことを書き込んでいこう

3月11日 新たなゴミ 報告
※1月から工事をしているのだから、もしゴミがあればもっと早くに報告するはず。実際、前年9月4日には施工前に会議をしている。これは「値引きショー」の開始ボタンを押しただけである。

3月15日 財務省本庁で交渉
※お膳立てができていたから直通電話がかけられた。「新たなゴミを理由にして値引きする」という内定路線に従った行動。本庁でくすぶっている異論を昭恵ボンバーで吹き飛ばした。あとでハシゴはずされないために、籠池氏は録音したのだろう。

3月24日 買い取りを申し出
※金のない籠池氏が、1.3億と知らずに買い取りを言うわけがない。

4月 6日 (第1次処分費)1.3億円支払い
※予算執行から6日で支払い。買い取り資金の準備OK。

4月14日 (第2次処分費)8.2億円の見積
※やったことのない見積を何て素早く仕上げるんだ!感動するわ。稟議まわす時間だってバカにならないのに。



神風は3回吹いている

1回目は、2011年に学校建設の計画を始めてから2014年8月に申請を出すまで。

豊中市や大阪音大の希望をはねのけ、私学設置基準を緩和し、なんとか森友の小学校をあの土地に作らせるために、おおさか維新、大阪府、近畿財務局、大阪航空局が頑張った。

2回目は 2014年8月の申請から2015年はじめの私学審議会と国有財産審議会で認可されるまで。

すでに既定路線として、大阪府も近畿財務局も、できる限りの便宜を図った。安倍晋三のネームバリューも活用された。

3回目は 2015年11月の谷査恵子FAXから2016年4月の8.2億円値引き決定まで。

安倍昭恵を印籠として財務省本庁を巻き込んで、最後の仕上げを図った。

そして、8.2億円の値引きは、少なくとも第2段階では決まっていたし、たぶん第1段階でもその方針は決まっていたのだろうと思われる。
なぜなら、2010年のはじめには(第1次)ゴミ処理費1.3億円の根拠となる調査報告が すでにできあがっていたからだ。日本会議とその意向をうけたおおさか維新が、籠池氏とともに「教育勅語の小学校を作ろう!」と思い立ったとき、すぐにこの土地に目をつけて、ゴミ処理費で土地代をチャラにするスキーム を思い描いたことは想像に難くない。

と、想像はともかくとして、とにかく、8.2億円値引きは、これまで言われてきたような2016年3月に決まったことではなく、もっとずっと前から内定していた、すくなくとも2015年9月4日には公然の秘密だったことは間違いなさそうだ。



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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 16

15 からつづく

 ところが、そうやって中間を飛ばそうとして逆に飛ばされたのはボクのほうだった。田舎の町で確立された利権構造に手を触れたものは、容赦なく消滅させられる。前に書いた、食品売り場のことも同じ。食品売り場は三セクの子会社だったけれども、田舎の地元の会社も出資しており、その会社に逆らうことは許されなかった。そして、くだんの店員はその会社の役員にしっかりととりいっていた。だから、その背任行為についても糾弾したボクのほうが責められた。そして、クビ。

 クビといってもそう単純ではなかったのだけど、これはややこしすぎるので割愛。そんなこんなで、ボクの山へのチャレンジ第一章は終わりを告げた。こうやって書くと、なんだか悲惨な日々だったみたいだけど、この三セクでの経験はかなり面白かったし役に立っている。高知県の木材の生産現場を巡り歩くこともできたし、林業行政ものぞき見ることができた。田舎の構造も身をもって体験できたし、なにしろ土佐は食い物がうまかった。

 土佐と言えば、注がれたらすぐ飲み干さなければならない底に穴の開いている杯が有名だが、噂に違わず本当によく酒を飲む。そして、飲みながらワーワーと気勢を上げたことは、翌朝にはすっぱり忘れている。こちらは真面目に計画を練っていたつもりが、あちらさんは何も憶えていないなんてことも。あれだけ飲めばそりゃそうか。料理は手を加えていないほどうまい。ようするに料理より素材がうまい。カツオはタタキも大阪で食べるのとは別物だけど、新鮮な刺身にニンニク乗せて食うとひっくり返るほどうまい。

 文字にすると悲惨な話が多くなるけど、胸に湧いてくる思い出は実は楽しいことばかりだ。あの倒産寸前で呼び出された役員会ですら、終わった後に行った白髪山の秘湯のほうが記憶に濃かったりする。車で行ける限界みたいな場所にあり、渓流とほとんど一体になりながら岩風呂につかるあの温泉は、あまりに秘湯すぎて今は閉店してしまったらしい。ちなみに大阪市の白髪橋は白髪山の桧を売っていた場所で、今でも大阪木材会館が建っており、近くには土佐稲荷神社があったりする。

 そんな「貴重」な体験をいっぱいさせてくれた土佐時代。もうひとつ大きなことは、シックハウスとの関わりだった。いわば公共事業のように大阪に現れたので、色んな人が色んな思惑で色んな団体を紹介しに来てくれた。そんな中に、シックハウスに関連するNPOがあった。
 無垢の木を売り物にする以上、シックハウスとも無縁ではないので、しばらくは事務局を引き受けたりして、そのNPOとはかなりおつきあいをした。ちょうど、建築基準法が改正される直前のタイミングで、先駆的な動きだったと思う。そのNPOはシックハウスについての資格のようなものを作り、大々的に試験をやったりもした。ボクも準備スタッフ兼最初の生徒だった。シックハウスの素は化学物質なので、どうしても話は化学になるのだが、様々な学科の中で化学が一番苦手な私としてはイマイチなじめなかったのだが、それでもそのNPOの手伝いをしたおかげで、ある程度の知識は身につけることができた。

 シックハウスを考える時に、まず知っておかなければならないのは、化学物質過敏症との違いだ。化学物質過敏症は、通常反応しないようなごく少量の化学物質に反応して激しい病状を呈する。周りの人には事態がなかなか理解しにくいが、正式の病名にもなっており、専門の診断ができる病院も何カ所かはあるようだ。この化学物質過敏症は多量だったり少量でも継続して化学物質を摂取したときに、その人の限度を超えて発症すると言われている。人によって限度は違うので、同じ環境にいても発症する人もいればしない人もいる。 この化学物質が家由来の場合はシックハウスと範囲がかぶるが、家由来以外の場合もおおく、例えば油絵の具とか農薬とか合成洗剤などなど、体に取り込まれる化学物質はすべて原因になる可能性はある。

 ただし、個人差が大きいことと、絶対数としてはそれほど多くないことから、住宅の対策としては化学物質過敏症対策はあまり論じられてこなかった。中にはそれをウリにした建築家などもいるが、あまりに暗中模索が続くために担当した工務店の社長がノイローゼになってしまったなんていう話も聞いた。ボク自身、数人の患者さんとお会いしたことがあるが、まず木の香り(もちろん天然化学物質)がアウトで、店の窓を全開にして窓際に席を移動。さらに、コピーした資料を開くと、コピーの臭いがアウト。何日も天日干しをしないと読むことができないという。
 結局、鉄やガラスやコンクリートのような揮発性のまったくない無機物質じゃないと対応できず、木の家ではお手上げということになった。それ以来、化学物質過敏症の方についてはボクの知見では対応できないのでお断りしている。北里大学など専門の診断をしている医療機関や建築技術者の門を叩かれることをお勧めする。

17 へつづく
2017-04-24(Mon)

政権交代への近道

安倍政権のあまりの独裁の原因について 諸説が語られている。

その一番は、小選挙区制が悪い というもの。
たしかに、小選挙区制で党本部の権限がきわめて強くなった。さらに、第一党は得票率よりも議席数が多くなる。
その意味では、たしかに小選挙区制の影響は大きい。

しかし、小選挙区制度による衆院選挙は1996年から行われている。
衆議院の議席数の推移はwikipediaに一覧になっているので、それを見ていただきたい。

一見してわかる通り、小選挙区制になったからといって、そのせいで自民党が激増しているわけではない。
独裁と言われる第2次安倍内閣と同じような議席数は、中選挙区時代にも何度もあったし、2009年の政権交代の直前も同じくらいだった。
小選挙区のせいで自民党がひとり勝ちしている というのは言い訳に過ぎないように思う。

ただし、自民党が劣化した原因にはなっているだろう。
物言えぬ政治家もどきの群れになってしまったのは、たしかに小選挙区によって人事権を党本部に完全掌握されたせいなのは間違いない。
しかしそれは、自民党の劣化の原因であって、野党が自民党に勝てない原因ではない。



もうひとつしばしば言われることは、「代わりがいないから仕方ない」というもの。
自民党に変わる責任政党が存在しないので、しかたなく自民党が支持されているのだ、と言う説明だ。

しかしこれは、あまり根拠がない。
世論調査の支持理由で、そうした理由があげられていることはあるが、あれは選択肢の作り方でどのようにでも誘導されてしまうので、あてにならない。
個別課題では、反対票が多いから という話もあるが、これも論理的ではない。各論反対・総論賛成で支持している人が多いと言うことと、「代わりがいないから」とは直結しない。
各論は反対でも、それ以上の賛成理由があるから支持してるのかもしれない。

上記と近い理由で、「野党がバラバラだから」という説明もある。
小沢一郎氏が言いつづけている、野党が一つになれば絶対に勝てる という話だ。

しかしこれも、過去2回の政権交代を振り返っても、2大政党の激突、というものではなかった。
自民党の分裂で直接の引き金になった細川内閣はともかく、2009年の民主党にしても、選挙前には自公の1/3しか議席はなかったし、共産党との協力なんて冗談にも話題にならなかった。
勝てた理由はいまだに謎に包まれているが、少なくとも、「野党が一つになって、客観的に自民党にかわる受け皿になっていたため」、ではないと思えるのだ。

以上より、今の民進党、社民党、自由党がひとつになり、共産党とも共闘する形を作ったとしても、それで勝てるという理由が私にはまったく見えないのである。

もちろん、小選挙区である以上は、候補者調整は必須だし、共闘しないよりした方がいいには決まっている。
しかし、「それで勝てる」という論拠が、まったく誰からもどこからも 示されていないのである。



では、どうしたら勝てるのか。
勝てない話ばかりでは、暗くって仕方がないので、勝つ方法を考えてみよう。

まず、ここ数年の自公と反自公の得票数を振り返っておこう。

20170424-2.png

自公の票は、2005年の郵政選挙以外はほぼ横ばいで凸凹というところだ。
決して増えてはいない。

一方で、反自公の票は2010年と2012年で激減している。
まず、2010年は
1845/2984=62%
と、2009年と比べて62%になっている

2012年は民主と未来が分裂している。未来の改選前議席はもとの民主の2割弱であり、2010年の1881万票を母数とすると、2012年でもそれほど大きくは減らしていないが、民主のほうは、大きく減らした。
未来 1881x(61/308)=372  342/372=92%
民主 1881x(240/308)=1465 962/1465=65%

以上からわかることは、小沢グループは、2010年の参院選前にすっぱり分裂しておくべきだったということだ。
菅直人が消費税増税を口にした瞬間に、そく分裂した上で、政権維持を人質にしてキャスティングボートを握るべきだった。

あそこでグズグズして分裂のタイミングを逃しまくって、どん詰まりで分裂したことで、2010年のマイナス効果は民主と同じだけかぶってしまい、小政党に不利な小選挙区のあおりを食って、342万票も取りながらわずか5議席に沈み、表舞台から退場を余儀なくされた。

このような指摘は他に聞かないけれども、私は断言したい。
2010年の夏前に小沢グループが独立しなかったことが、今日の暗闇の始まりである。

逆に言うと、裏切りを許さなかった未来の党は、あの状況の割に票を減らしておらず、タイミングと政策を間違えなければ、少数でも決起すべきだ、ということ。それがかえって、1手先2手先の政権交代につながる。



さらに、この数字からわかることは、民進党でも民主党でも良いけれども、この政党には国民の審判が下されたということだ。
弱小政党のように、そもそも手も足も出ないわけではないのに、候補者も出し選挙資金もそれなりに持っているにもかかわらず、酷評数は激減し、何度やっても回復しない。

昨年は共産党の協力と、旧維新の残党を吸収したことで票数は増えたが、支持の拡大とは言えない。
民進党は、何を言おうが、どんな政策をぶら下げようが、金輪際浮上することはないと思われる。

なぜ民進(民主)党が勝てないか。
それは、このグラフを見るとはっきりしている。(財務省の資料より)

20170424-3.png

2009年の政権交代前は、国債の発行を押さえて予算規模も縮小し、典型的な緊縮財政だった。それにより税収も減り、それがまた緊縮財政を招くというスパイラルに落ち込んでいた。
この緊縮財政による弱者切り捨て、生活切り捨ての痛みに耐えかねたのが、あの政権交代だったはずだ。

国民の生活が第一をうたった民主党政権は、一度は国債を大量に発行して予算規模も拡大した。
ところが、わずか1年でその流れを逆転させ、消費増税、緊縮財政へと急転換した。それこそが、2010年の大敗北の原因である。

そして、その後を襲ったのがアベノミクスだ。
アベノミクスは、国債の大量発行ではなく、日銀による通貨の大量発行によって市場にカネを流通させた。
もちろん問題は大ありのアベノミクスではあるが、世の中にカネを流通させ、結果として税収を上げるという大枠では、成功している。

国民をダマして財布のひもを締めるばかりか、増税を推し進める民主(民進)党と、各論では問題あっても財布のひもを緩めまくって景気をよくしているアベノミクス。
国民がどっちに軍配を上げるか、考えるまでもない。

そう考えれば、答えは自ずからみえる。

民進党がもし生き返りたいならば、増税などと言う考えは宇宙の彼方に投げ捨てて、アベノミクス以上の大盤振る舞いを約束することだ。
いくら何を言っても、アベノミクスは数字を残している。生活実感は乏しいけれども、最低限仕事があるとか、ほんのちょっと時給が上がったとか、面接に落とされる回数がずいぶん減ったとか、ちょっとは良くなっていると感じている人は多いはずだ。

こんなに大盤振る舞いして、たったこれだけかよ、とか、ほとんど美味しいところは大企業が持ってチャッタじゃんか、とか、文句をつければ山ほどあるにせよ、自分の足下だけみれいれば、悪くはなっていない、と言う実感は、何があろうと鉄板の内閣支持率につながっている。

平穏な時代であれば、スキャンダルで政権が倒れることもあるだろう。
しかし、失われた90年代、小泉時代、リーマンショックと、立て続けに苦しい時代を経験したあげく、民主党の裏切りに直面した日本人は、自分の生活からかけ離れたことで政治を判断しない。
どんなに問題があるとわかっていても、「食わしてくれる」かぎりは、安倍政権を支持する。

そのアベノミクスを凌駕する経済を掲げないかぎり、野党は勝てない。
国民は愚かではない。自分の生活を守ることに必死であり、懸命に考えて判断しているのである。



では、民進党がそういう政策を掲げたら復活できるか。

できるわけがない。

増税と緊縮財政の責任者であり、権化ともいえる野田佳彦を幹事長に据えて、「積極財政やります」なんて言っても、バカかと言われるのがオチだ。
野田に限らず、2010年転換に関与した幹部は、ひとり残らず放逐しなければ、離れていった支持者は絶対に帰らない。

放逐でも懺悔でもいい。
野田を筆頭に、いならぶ愚か者たちが国民に向かって土下座して、土を喰いながら涙を流して己が罪を悔い改めるならば、人情に弱い日本人のことだから許してくれるかもしれない。

従軍慰安婦の問題について、日本政府がいくら口先で謝罪をしたところで、被害者側がまったく受け入れがたいのと、構図は同じことだ。(問題の中身は大違いだが)
まして、民進党の幹部どもは、口先の反省すらしていない。これでこの党を支持しろというのは、日本国民に対する侮辱である。
だから私は、今のままの野党共闘は、勝てないと思っている。

勝つためには、最低限二つのことが必要だ。

1.緊縮財政政策を180度転換して、アベノミクスを凌駕する積極財政にすること

2.2010年の裏切りの下手人を追放するか、全国お詫びの行脚をさせる。
  (靴なんか履かずに裸足で行け!)

以上は必要条件。



そのうえで、もうひとつ。
地方組織をつくることだ。
ここ数年、自由党の惨状を身近で見てきた実感だ。

2012年に340万票とった未来が、なんで100万そこそこまで凋落してしまったのか。
もちろん、1桁の議席数になったことで見放されたというのが大きい。
しかしそれ以上に、活動をしなかったということだ。

あの時は、誰も彼もが茫然自失となり、ふと気が付いたら翌年の参院選になっていた。
見放したの有権者だけでなく、党そのものが自分自身になんの展望も見いだせなくなっていたのではないか。
その結果がなんと94万票、0議席である。

あの結果は私にとっては、いつまでも呆然としていてはいけないと、むしろ気付け薬にはなった。
しかし、党としては、あいかわらず何の活動もなく、2014年総選挙、2016年参院選が過ぎていった。
あれだけ何もせずに、それでも100万余人の人が支持してくれることが不思議である。

いくら人数が減り、資金も乏しいとはいえ、各地方で積極的に活動している人は何人かずつはいるのだから、党としての最低限の扱いをして維持発展を期せば、この4年間でそれなりの成果にはなっていたと思う。
関西では生活フォーラム関西という市民団体で、ある意味党の代わりのようなことをしてきたが、しかし所詮市民団体は市民団体だ。特に、保守系である自由党の場合、党の実態がなければ本気になってくれない人が多い。
それは、一般の有権者にとってはなおさらそうだ。

自由党をひとつの典型として取り上げたが、これは自由党だけの話をしているのではない。政権交代に向けて、これをやれば勝てる という3つめの条件である。
共産党や公明党を見習って、活動の基盤になる党の組織を作ること。せめて、彼らの1/100でもつくること。

この三つの条件がそろえば、いくら小選挙区でも、安倍晋三がどんなにエグいマスコミ戦術を使おうと、勝てる。



そして、そのすべてを貫く軸は 「怒る」 ということだと思う。

もちろん、このブログを読んでくれている人は 怒り心頭に発した人ばかりだと思う。
でも、それが表現できているだろうか。

デモ、集会、学習会、街宣 ・・・・  たしかに数限りなくある。
怒った人たちが集まっている。
が、その怒りは伝わっているか?

怒りが伝わる というのは 共感であり、共振である。
自分だけ勝手に怒っていても伝わらないし、風船持って歌っていても伝わらない。

どうすればいいのか、私もまだよくわからない。
しかし、最近流行の「パレード」を端から見ていて、怒りが伝わるとは ちょっと思えないのだ。
まずは、人数。デモンストレーションなのだから、人数を集め、かつその人数の多さを街の人たちが実感すること。

そのためには、あっちでもこっちでも、毎週のように小規模でバラバラにやって貴重なマンパワーを消耗するのではなく、月に1回とかに限定して、ありとあらゆる勢力が集まって大デモにする。やるんだったら、本気でやる。
野党共闘を求める前に、市民運動がまずちゃんと共闘しろという話だ。

デモ行進は強制的にコースを分けさせられ、てい団に分割されるから、国会前のような一箇所にたまる方がいいかもしれない。
大阪だったら、関電前の再稼働反対コールのようなのを、人の多い場所でできたらいいのだけど。(関電本社前はほぼ無人)

楽しいデモ はいらない。
楽しむのなら、他にいくらでも方法はある。デモは 怒りだ。 怒りの共有だ。
本気で声を合わせて、ビルが揺れるほどのコールはできないのか。

楽しいデモで、参加者が増えたか?
ほとんど増えてはいない。デモを楽しいと思うようなかなり特殊な趣味を持った人しか集まらない。

街宣然り、ポスティング然り。
「本気」を聞く人、見る人に伝えるにはどうしたらいいか。頭をひねり倒さねばなるまい。
それはたぶん、小手先の戦術論ではない。

真剣に、わかりやすく、誤魔化さず、怒りを伝え、それを共有すること。共振させることだ。


  ※参考資料
    戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移 国立国会図書館 レファレンス 2014.6



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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 15

14 からつづく

■ 山の世界に入ったけれど

 2000年11月、千里ニュータウンにT町の店をオープンさせた。準備は苦しかったけれども、晴れ晴れしい船出を迎えて気分は良かった。 のだが、
 なんとびっくり、オープンから一ヶ月もたたないうちに、資金ショートで潰れるかもしれないという話が飛び出した。まったく、驚天動地とはこのことである。ボクは役員でもなかったし経営状態まで聞かされていなかったから、もちろんそんな資金繰りであるとは知らなかった。だいたい、高知県知事までよんで盛大な式典をやっておきながら、翌月の資金がないとは思わないでしょ、フツウ。

 艱難辛苦を乗り越えてやっとオープンまでこぎ着けて、これから営業作戦を考えなくちゃと思ったとたんに、倒産の準備をする羽目に(泣)。経営者でもないのに弁護士のところに倒産の仕方の相談に行かされ、他の社員の首切り宣告をさせられ、T町の本社の役員会議に(役員じゃないのに!)呼び出され、半分泣きながら、でも半分はやけっぱちで面白がりながら20世紀は終わりを迎えた。

 すべては後からわかったことだけど、その店の経営計画では、オープンした月から7件の新築を受注するという話になっていた。そんな奇跡を誰がどうやって信じたのか知らないが、おバカを通りこしてサギにちかい。そもそもその三セクにはバブルの頃からの巨額の累積赤字があって、大阪進出はイチかバチかの賭けだったようだ。もちろん、商売が速攻で上手くいくとはだれも信じておらず、「これだけ大々的にやってしまえば町も県も潰すに潰せなくなるだろう」という意味の賭けだったのだが。

 ある意味でその賭けはあたり、当面の資金ショートはあれやこれや(ここでは書けない)で回避され、しばらくは店は続くことになった。とは言え、カネがないのは変わりなく広告すらうてない。地元のミニコミ誌に格安で小さいパブ広告を出してもらったり、近所にチラシをポスティングしたりしてイベントに人を集め、少しずつ形を作っていった。

 ところが、ここでまた壁にぶつかった。この店のコンセプトは、1階で食品や物産を販売して客を集め、そこから2階の家や木材の受注につなげる、ということだった。しかし、オープンからしばらくは徹夜続きがザラだったこともあり、1階の店だけに労力が集中し2階の店はあからさまに蔑ろにされた。なにせ、2階に上がる階段の前に、野菜の段ボールが山積みになり、客どころかボクたちスタッフが通るのにも四苦八苦する始末。土佐の木を売るという本来の目的は忘れ去られた。人は自分の持ち場に目を奪われて、本来の戦略はすぐに忘れるものなんだな ということを思い知った。

 なかでも忘れがたいのは、食品売り場の店員のひとりだ。その人の夫は工務店を経営しており、店の建設で大工を総動員したときにも来てもらったことがあったし、店でリフォームの受注があったときなどは仕事を依頼することもあった。ところがその店員は一枚も二枚も上手だった。ある新築を希望しているお客さんが食品売り場でその話をしたところ、こっそりと自分のダンナに話をつないでしまったのだ。さすがに不審に思ったお客さんのほうが、後日2階に上がってきてボクに話してくれたのでことが発覚した。で、その店員が懲戒食らったかというと、いやいや そんな単純な話ではない。これはまた後で。

 本業の木材のほうもわずかながら仕事も出てきて、かなり衝撃の船出ではあったけれども、産直住宅に向けて心機一転がんばろうと思っていたのだが、こちらもどうも不思議なことが多い。どうやら、産直住宅ではないのである。
 産直というのは山から住み手への直送だ。しかしその三セクの流通は、山→原木市場→製材所→三セク→住み手 という流れになっていた。しかも、原木市場と製材所の経営者が同じで、その人物は三セクの経営にもかなり口を出す。要するに、三セクはその人物の下請けになっているのではないか、と思えてならなかった。製材所から出荷される木材を見ても、よその現場には見事な材木が送られていくのだが、こちらの現場には極端に節だらけの木材で、しかもその節埋め作業は三セクの社員が自分たちでやらされるのである。甚だしいのは、集成材の梁と称して柱を3本貼り合わせたものが送られてきた。こんなもの大丈夫か?と思いながら棟上げをして、カケヤ(大きな木槌)でガンと打ち込んだ途端に3本の柱に分離した。なんてこともあった。下請けどころか廃品処理場だと思われていたのである。

 こりゃいかん。こんなことやっていたら、産直住宅はおろか商売として成り立たない。何とかせにゃいかん。そう思って、本来の産直ができる物流のルートを探した。林業家から丸太を買って、製材所に工賃だけで製材してもらい、あとは自社で加工して現場に持っていく。住み手は希望すれば、この山のこの木で建てるんだというのを見てもらえる。そういうやり方を確立しようとした。
 ところが、そうやって中間を飛ばそうとして逆に飛ばされたのは、ボクのほうだった。

16 につづく

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2017-04-21(Fri)

【森友疑獄事件】いろんな思惑が入り乱れているが 諦めてはいけない

このところ森友事件の記事を書かなかったので、今日は書いておこう。

政府と財務省、国交省は、何がおきようと、どんな傍証を突きつけられようと、絶対に資料は出さない。ご指摘は当たらない と言いつづける、と方針を決定し堅持している。
2月~3月の時点では、マスコミも「上」から解禁されて報じまくっていたが、4月6日の米中会談(とその最中のトマホーク攻撃)を境に、ピッタリと報道は陰を潜めてしまった。

「上」つまり米国側の意向が変わったのである。
現在の「上」は二つに分裂している。従来の軍産共同体に主導されたハンドラーズと、おそらくは統一協会ルートを使ったトランプ系の意向と。しかし、トランプが少なくとも行動の上では「好戦的」になったことで、軍産側と方向性が一致した。
その方向は、アジアにおいては北朝鮮に強烈な圧力をかける ということだ。

北朝鮮に本気で圧力をかけるためには、本当は無能すぎる防衛大臣は交代させたかっただろうし、ファナティックに触れる危険がある安倍ではなく、冷静な判断ができる総理に変えておきたかったはずだが、日本の野党の不甲斐なさを見て、「こりゃダメだ。しばらくは安倍で我慢するか。」と思ったのだろう。

そうこうしている内に、北朝鮮との対峙が本格化してきた。こうなってくると、当面はアベが退陣して国内がガタガタしてもらっては、どっちの「上」も困る。
かくして、日本国民は、千載一遇の機を逸してしまった。

それにしても、もし北朝鮮の核問題がトランプの狙い通り一定の解決をしたときは、いよいよ安倍晋三はお役御免になる可能性はまだある。
トランプは、大きな目的のためには他のことを平気で踏みつぶす酷いヤツではあるから、核を中止させるためには、拉致問題は「解決済み」ということで決着させてしまうかもしれない。安倍も、そう決められたら飲まざるを得ない。
そうなったら、安倍晋三の足下は崩れる。

念のために断っておくと、「そうなったらいい」と私の意見を言っているわけではない。
可能性の議論をしているだけなので、誤解の無いように。

拉致問題と差し違えという理不尽な形であれ、もし安倍政権が勝手に窮地に陥ったら、迷いなく溺れる犬は叩かねばならない。
そういう展開が、この数ヶ月のあいだに転がっていく可能性は、無いとは言えないのだ。
そのためにも、森友問題は決して諦めずに、追及し続けなければならない。



数億とか数十億というお金の単位は、政治の世界の話を聞いていると感覚が麻痺してしまうが、トンデモナイ巨額である。
森友がもらうはずだった8億2千万にしても、加計学園が今治でもらった96億円にしても、ものすごい額だ。

どのくらいすごいかというと、大企業の純利益を見ればわかる。
例えば、サッポロビールホールディングス。7千数百人の社員が1年間働いて、昨年の純利益が94億円だ。
8億円だって大変だ。有名どころでは、ムシューダでおなじみのエステーが社員860人で9億円、あの独占商売で有名なムサシだって、社員540人で7億円である。

これだけの金額を、しかも働いた人と会社から搾り取った税金を、権力を持った政治家と官僚どもはこともなさげにサラッとお友達にプレゼントしてしまうのである。

このような腐敗はもちろんこれまでも行われてきた。
国鉄分割民営化などその典型例であるが、しかし、少なくとも大義名分だけは整えて行われた。
 (敗北の20年から
しかるに、安倍政権になってからのやりくちは、あまりにも杜撰。
独裁者の驕りが余すところなくあらわれている。

その意味で、やはり森友疑獄事件は、スルーしてはいけないのである。
加計学園の問題は、より規模は大きいし、錬金システムの本丸に近いだろう。しかし、いかに無茶でも一応の合法性は整えている。
森友事件は、その点であきらかな違法がある。
森友で無理ならば、他のネタをいくら突っ込んでも、ヌルヌルかわされるだけである。



とはいえ、本当にトランプの北朝鮮戦略が功を奏して、安倍晋三使い捨てのシーンが訪れるのかどうかは、非常に不確定ではある。

それは、どうやら軍があからさまにトランプに逆らっているからだ。
このニュースなど、静かなクーデターではないかと思える。

韓半島に向かっていなかった?「カールビンソン・ハプニング」
2017.4.20 東亜日報


トランプが知っていてブラフをかましたという説もあるが、こんなすぐにバレることではブラフになるどころか、笑いものになるのが落ちである。しかも、中国は衛星で空母の位置は確認している可能性が高いので、全部わかっていたかもしれない。

これはむしろ、米軍がトランプに面従腹背したということではないのか。
命令違反こそしないけれども、わざと寄り道をして、時間稼ぎをしたあげく、その情報を大統領府に上げなかった。

もともと戦争したいはずで、好戦的になったトランプと利害が一致したはずの米軍が、なんでそんなことをするのか。
米軍は、確実に勝つ、しかも自国民の犠牲が最小限の戦争をしたいはずだ。しかし、トランプのやり方は彼らには読めない。
最悪、カールビンソンと韓国、日本に配備された部隊だけでドンパチやれと言われた日には、反撃を完全に封じることはできずに韓国や日本に被害が出るばかりか、自分たちも捨て石にされてしまう。

おそらくはそれにビビって、山場である4月25日までには朝鮮半島沖に到着しないように、回り道をしながらゆっくりゆっくり進んでいるのだろう。
このような軍の離反が、これからもあからさまになっていくと、トランプは窮地に立たされ、対北朝鮮戦略も破綻するかもしれない。
そうなると、すべてはもとの木阿弥で、安倍晋三のような従米と極右の鵺(ヌエ)が、国の財産をバリバリ食い物にしながらまだまだ生き延びていく可能性が高まる。

どっちに転んでも楽観はできないが、今は小さい力でも、「自分たちの力」を手放さないように、問題に取り組んでいきたい。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 14

13 からつづく

 高知県T町の第三セクターの店を大阪に出店するために奮闘したわけだけど、この経験でボクが一番骨身に染みたのは、予算管理の厳しさだった。工程もキツかったけれど、工程以上に誤魔化しようがないし、工程の沙汰もカネ次第というところもあり、やはり予算の重さと言ったらなかった。

 このときにつかんだ「極意」が、予算圧縮は1/100から、ということ。たとえば、100万円圧縮したかったら、1万円の項目を目をさらにして探し、削れないか、変更できないか 頭をひねる。それより大きい金額の項目だけではネタ切れになってしまうし、小さい過ぎるといくらチリツモといっても限度がある。やはり目標額の1/100くらいを狙うのがいい。
 そして、標準的な見積であれば、内容を少し変えながら減額できるのは2割まで。最初からギリギリに切り詰めた見積だったり、逆にユルユルだったりする場合はそのかぎりではないが、フツウはそのくらいと思っておいたら間違いない。念のため、あくまで減額であって値引きではない。値引きというのは内容を変えずに値段だけ下げることで、要するに工務店の粗利を圧縮すること。減額というのは、工務店の利益率はあまり下げずに、内容を支障のない範囲で変更して値段を下げること。工事は何も変更しないけど仕入れ先を変える、建物の仕様は変えずに施工方法だけ変える、仕様も少し変える などなど。

 工務店の粗利をあまり圧縮すると、倒産するか手抜きするかの二者択一に追い込んでしまうので、ちょっとオマケの範囲をこえた値引きは結果的に建物にとってもよくない。もちろん、工務店との信頼関係がはっきりしていない時は、相見積もりをとったりする必要はあるけど。

 相見積もりをとろうが、信用できる一社で特命だろうが、最初の章に書いたけれど見積が一発でOKになることはない。もう断言してもいい。必ず予算をオーバーするので、この減額の作業は避けて通れない。設計者にとっても工務店にとっても、もちろん施主にとっても決して楽しい作業ではないだけに、「必ず通る道だよ」ということは協調しておきたい。設計中は絶好調に盛り上がっていた気分が、減額になると絶対に下がっていく。それは心の片隅に置いておいてほしい。

 もうひとつ、お値段を考えるときに大事なのは、ライフサイクルコスト。多くの人はウン十年の住宅ローンを組んで工務店に支払うわけで、少なくともその期間にかかる総額を考えなくては意味がない。もちろん金利もそうだし、それ以外にも家のメンテナンス費用や電気代などのランニングコストもある。たとえば、断熱をよくして電気代が毎月5千円安くなったとすると、30年で180万円になる。断熱に余分にかかる費用は1/3程度ならば、建築費は上がってもライフサイクルコストは120万円安くなっている。
 外壁や屋根についても、30年はノーメンテナンスですむならば、100万円以上総額では安上がりだ。そんなこんなで、総額で検討すれば仕様をあげることで安上がりにすることもできたりするので、あまり見積金額だけに目をつり上げないことだ。
 
 この章では山の話の続きを書こうと思ったのだが、なにやらコストの話になってしまった。それぐらい三セクの店作りではコストの圧縮が大変だったということなので、ご容赦ねがってもう少しだけ補足を書いておく。

 建築のどの部分でコストが大きく変わるかというと、外壁と窓だと思う。窓のサッシは、木製にしたいとなると何百万単位で高くなるけれども、アルミの既製品を使う限りはそれほどの差はできない。問題は、やはり外壁だ。一番安いサイディングと、ボクがよく使う「そとん壁」という材料との差で50~100万くらい変わる。タイルなんか貼ると差額は100万は軽く超えてしまう。とはいえ、外壁は家のイメージをほとんど決定づけてしまう材料なので、どうしてもコストダウンしなければならないときは非常に悩ましい。できるならば、他のものはあきらめても、外壁はグレードダウンしないことをお勧めしたい。

 家の中で大きな金額といえば設備だ。キッチン、ユニットバス、洗面台、便器。ここは、実用第一にビシッと割り切れば、数十万円は節約できる。キッチンの引き出しのレールだけはキッチンの寿命にかかわるけど、それ以外はバサッと割り切ってもいいと思う。営業上手の住宅メーカーは、こういうところでグレードの高いものをつかってお客さんを夢見心地にするのだろうけど、営業下手のボクははっきり言っちゃう。住宅設備はそれなりのメーカーのものなら大差ない。構造、外壁、床、壁 という一番大事なところにこそカネを使うべきだ。

 てなことで、話がそれてしまったが、次こそは山の世界での大騒動に進みたいと思う。

15 へつづく

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2017-04-18(Tue)

維新は本当に退潮傾向なのか

おおさか維新が地方選挙で負けることが多くなった。

大阪府内の市町議選でも落選者が出て、かつてのような圧倒的な強さではないように見える。
今年に入ってからの首長選でも、四條畷市長× 柏原○ 島本× と分が悪い。
どうやら維新も勢いが落ちてきたのではないか、という声が聞こえてくるようになった。

大阪に住むものとして、維新退治は架せられた十字架のようなものだから、この話が本当だったら非常にウレシイ。
のだが、そう簡単に信じることもできないので、少し調べてみた。

それが下の表である。
最近1年の間に行われた大阪府下の地方議会選挙の、前回との比較である。
参考に、参院と衆院の比例票(大阪府の分)もつけている。
上が新しいので注意して見ていただきたい。

20170418-1.png
(クリックすると拡大します)

一見してわかるように、決して維新の得票は落ちていない。いや、総得票率は増えている。
落選が出るのは、候補を増やしているからで、そのためにむしろ得票数は増えているのだ。

落選覚悟でめいっぱいの候補を立てることで、党としての票を掘り起こすというのは選挙戦術としては基本である。
その基本通りのことを攻めの姿勢でやり、それなりに成果を上げているのが、最近の維新だと言える。
残念ながら、退潮傾向 というあまりに楽観的な その指摘は当たらない ということのようだ。

ただし、大阪以外ではさっぱりなのはたしかで、しかも、大阪から日本に出て行こうとすると、大阪の中でも維新の人気が落ちる ということだ。
石原慎太郎とくっついたり、江田賢司とくっついたりすると、やや勢いがなくなり、「おおさか」に戻ると元気になる という地方政党としての宿命は背負っているようだ。大阪の優越感と劣等感をない交ぜにしたコンプレックスが、支持基盤の底にあるということがわかる。
橋下徹はそのように大阪に縛り付けられるのを嫌って維新に距離をおいているのだろう。

以上、せっかくの盛り上がりに水を差すようだが、現状の分析をしてみた。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 13

12 からつづく

■いよいよ山に深入りする

 変わった家を変わった木で建てた経験が、ボクにとっては人生の方向を決定づけることになってしまった。お施主さんと一緒に山の木を見にいって、その木を運んできて家を建てる。こういうやり方のことを、野菜の産直になぞらえて産直住宅という。この産直住宅を一生を仕事にしたい と思ってしまったのだ。
 フツウの木材は、どうやって家を建てる現場まで来るかというと、山→原木(丸太)市場→製材所→材木商社→乾燥工場→プレカット工場→建築現場 みたいな感じだ。このなかで林業が関わるのは、山で伐採して原木市場に持っていくまでだから、原木市場から先どこへ運んでいかれるのかはわからない。逆に、工務店が発注する木材はプレカット工場が段取りするので、どこの産地かはわからない。せいぜい府県単位で奈良県産とか岡山県産というのがわかればいいほうだ。
 ほとんどの工務店も施主もそれに何の疑問も感じていないけれども、いちど産直を味わってしまったボクとしては、これでは大いに不満なのである。住み手が、「ああ、この山の木で家を作るんだな」という実感を持ってほしい。大層なこと言うならば「木の命をもらって、自分の命を守る家を作る」ってことをわかってほしい。そう思い込んだボクは、産直住宅の仕事ができる場を探し始めた。

 日本で産直住宅の草分けは岐阜県の東濃地方だ。県が強力にバックアップしていた。20世紀の最後の最後のあのころ、やっとインターネットが普及し始めていたので、あれこれ情報を集めては突撃訪問して回った。しかし、すでに40歳直前になっていたボクを雇ってやろうという奇特な会社はなかなか現れずに唸っていると、ひょんなことから大阪の千里ニュータウンに高知県の産直ショップができるというニュースを見つけた。1階で食品などを売り2階では高知県産材を販売するというのだ。もちろん 飛びついた。
 さっそくアポイントをとって話を聞いてみると、ちょうど大阪の番頭になる人間を探していたらしく、まさに渡りに船で、意気揚々とその会社に入ったのが2000年の春。千里ニュータウンの緑地の傾斜地に、高知県T町の第三セクターが建物を作り、食品と産直住宅の店を始めるという計画だったが、ボクの入社当時はまだ竹林のままで手つかず。建物の設計はほぼできていたが予算の調整も何もまだだった。そして、おそろしいことに11月初頭にはオープン式典をやるというのである。当時の橋本大二郎高知県知事の日程を先に押さえていたらしく、何が何でも間に合わせろという。

 見積の調整、開発許可、斜面地の造成、建築確認申請、建物の建設、店の準備、式典の準備・・・・これらを半年で終わらせろと言う・・・・ ウソだろ。しかも、大阪には営業スタッフはおらず若い現場監督が二人いただけ。なにをどうしていいのか訳がわからない中で、それでもとにかく進んでいった。
 追い打ちをかけるように、ボクが入社する前にできていた設計が大幅に予算オーバー。目論見の2倍(2割じゃない!)というシャレにならない状況。なにせ自社施工だから、工務店原価で予算2倍なのである。もうどうしようもない。それまで関わってきた設計事務所は設計変更を拒否するし、もう破れかぶれで図面を書き直すことにした。平面計画は変えられないので、擁壁をやめて一部地下室にしたり、材料を徹底的に削ったり、それはもう血のにじむような努力をして、ようやく3割オーバーくらいまで圧縮して、着工することになった。
 細かい図面は着工までに間に合わず、現場が進む中で毎夜毎夜、明日必要な図面を描くという超絶ドロナワ設計法で乗り切った。でも、造成工事が終わったのが7月。開店準備の時間を考えると、建物は9月いっぱいには完成させなくてはならない。150坪の木造建築だから、かなり急いでも4ヶ月はかかる。どうやってあと2ヶ月ちょっとで作るんだ???

 木材の手配や加工は自社のプレカット工場があるのだが、なにせ旧式なので自社工場だけでは間に合わない。そこで、同じ加工機械をもっている高知県の別の町にも依頼して、1階と2階に分担して加工した。もちろんこんなことは良くないということは、上棟の日に思い知らされることになった。あちこっちで、部材が足りなかったり短かったり長かったり、何とか組み上がったのが奇跡だった。
 そんなこんなでお盆には棟上げしたのだが、のこり1ヶ月半。任せていた頭領は、自分で何とかしようという気はサラサラない。やむなく非常手段にでることにした。友人知人に連絡しまくって、手の空いている大工を総動員した。と言って、今の頭領の下につけても差配できそうにないので、150坪を10くらいに工区分けしてグループごとに分担させた。結果的にお互いが競争するようなところもあり、なんとか駆け込みで完成させることができた。あのとき手伝いにきてくれた大工の皆さんは、ずいぶんやりにくかっただろうに事情を察して頑張ってくれた。感謝感謝である。

 こうして地獄のような建設工事の傍らで、オープニング式典の準備にも追われた。橋本大二郎という有名知事が来る上に、大阪府の副知事やら何やらかにやら色んな人々が500人近くあつまるという。150坪の店内ではとてもおさまらないから、近くの会場を借り、招待状を作り・・・・  ああ、もうこのあたりは思い出したくない!
 11月2日に盛大な式典をやり、オープン初日は近所のお客さんが1500人も詰めかけるという派手派手しい船出とはなったのだが、なんとビックリ・・・・

14 につづく

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2017-04-17(Mon)

無名の若者が自公維新に勝利した島本町長選挙から勝てる「政策」を学ぶ

昨日は、宝塚市長選挙(兵庫県)では中川ともこ氏、島本町長選挙(大阪府)では山田こうへい氏が当選した。

宝塚の中川氏は現職の強みはあったが、自民推薦と元県議というなかなかの強敵2人を向こうに回して圧勝した。
党の推薦は受けていないが、街頭演説はまるで野党共闘のような様相だったようだ。

島本町の山田氏は新顔どころか無名の青年であり、それが自民・公明・維新の相乗り候補に圧勝した。
市ではなく町なので、無所属・町民派を名乗っていた。

私はお手伝いをしていないが、知人がたくさん応援に参加していた。
みごと勝利したことを、お祝いしたい。

さてそのうえで、私たちはこの勝利から何を学ぶべきだろうか。
とくに、無名から圧勝した島本町の山田氏のたたかいには、大いに参考になるものがあるのではないだろうか。
選挙戦術については私は参加していないのでわからないが、とりあげたいのは政策である。

山田氏の政策をHPから大項目だけ抜粋してみる

山田こうへいの政策提言

子育て支援と教育の充実したまち
強い財政力と都市計画の優れたまち
誰もがいきいき生活、活躍できるまち
産業活性化と観光振興による稼ぐまち
水と緑を守り、環境を大切にするまち

(引用以上)

一見してわかるように、いわゆる革新系のスローガンは並んでいない。
子育てと教育がトップに来ているが、これについては、マーケティングがあったのではないかと思われる。

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 島本町の合計特殊出生率は、大阪府平均はもちろん全国平均より高い。(グラフは島本町の資料より。グラフはクリックすると拡大)
出生率はおしなべて田舎のほうが高いので、大阪のベッドタウンで全国より上位というのはかなり高いほうだ。

だから、若年層の人口もそれなりに減少を食い止めているが、それでも大きな流れとしての少子高齢化の波はこれから本格化する。(真ん中のグラフ。 出所は上に同じ)
そうした状況は、島本町もデータとしてまとめている。

その現状にピッタリと合ったのが、子育てと教育だった ということだ。
これが、すでに少子化が行き着くとことまで行き着いてしまって、そもそも子どもを産む年齢の女性が減ってしまった自治体で、同じ政策をトップに掲げて通用するだろうか。

また、山田氏の政策で目立つのは 「強い財政力」である。
これもかつての革新系は言わなかった言葉だ。しかし、日本人の気質からいって、これ抜きにいくらイイコトを言っても「絵空事」と思われてしまう。
宝塚の中川氏も「6年連続正味の黒地」という市財政の実績を大きく掲げていた。(右図は中川氏のホームページより)

強い財政とセットなのが、「稼ぐ町」ということだろう。
要するに、子育て教育をメインに据えて、それを保証する財政と産業振興 という構図がわかりやすい。

対するに、自公維新が相乗りした田中てつや氏の政策を見ると、項目的には実は同じようなことを言っている。

 田中てつや 政策

島本は美しく温かい街。まちの魅力を加えて人を呼び込むまちに。
島本は人を大切にする街。まちの活気を加えて起業交流のまちに。
住むところを子育てで選ぶ時代。次代を担うこどもがもっと生き生きと暮らすまちに。
赤ちゃんから年長者まで健康に生きるみんなの願いを叶えるまちに。
行政の効率化を徹底し挑戦と信頼の町役場に。

(引用以上)

何が違うかというと、順番が違うのと、自公維新の候補だ ということ。

同じような政策ならば、自分たちの差し迫った問題を第一に挙げている方がいい。
(つまりマーケティングが成功している)
そして、その課題については、自公維新より町民派のほうがやってくれそう。
(自公維新への消極的支持の裏をついた)

自公や維新に反対する人は、なんとしても「違う」ことを言わなければならないし、「批判」をしなければならない、と思い込んでいるが、それはちょっと違うんじゃないの ということが、島本町長選挙の結果なのではないかと思う。

田中てつや氏の失敗は、はじめに緊縮財政をもってきたことだろう。
そして「その範囲で」子育て教育もやるよ という順番になっている。
しかも、自公維新が推薦しているので、子育て教育については
「実行力はあるだろうけど、それほど大したことはしてくれない。」という評価になる。

これで、相手が旧態依然たる革新系で「反対」とか「夢物語」だけを語っていれば、「何もないよりマシ」で田中てつや氏が勝っていたかもしれない。
しかし、山田氏という無名で若い候補が、(実はほぼ同じ)項目の政策を掲げて、出てきたとき、情勢は一変した。

もちろん、政策だけではない地道な努力のたまものだとは思うけれども、一つの教訓としてその点を学ばせてもらいたい。

1)有権者の現状をリサーチし、状況とタイミングにマッチした政策を掲げること
2)複数の政策は、有権者の利益になるものを目玉にして、その実現を保証するものを後ろに続ける
3)政敵と「違う」政策を出す必要は無い。1と2の結果として、項目は同じになってもいい。

ちなみに、山田氏の「町民派」は 見たときに私はハッとした。
行政区の市ではなく、シチズンシップとしての市など成立したことのないこの日本で、「市民」というときの胡散臭さが、「町民」という言葉にはない。
良い意味で泥臭く、むしろ江戸時代の「町人」に通じるかんじがあって、市民社会が成立していない日本にはピッタリな感じがする。

日本人の大半が、自分は「市民」だなんて思っていない。(行政区ではなく、市民権という意味で)
そういう自覚がないところに 「市民派」などと名乗ってしまうと、浮き上がった存在になってしまう。市議選など多数が当選する選挙は「市民派」でもいいと思うが、首長や小選挙区で(とくに新人で)「市民派」を名乗るのはかなりハイリスクだ。
意識的なのか結果的なのかはわからないけれども、山田氏の「町民派」は、そのリスクを回避したことも勝因だったのではないだろうか。

などなど、他にもたくさんあるだろうが、分析を抜きにして「市民派が勝った」と単純に喜んでしまうと、危ない。
これまで通り、自治体選挙では勝てても国政では惨敗する ということを繰り返さないよう、一歩前に進もう。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 12

11 からつづく

 とはいえ、いくら植えた木がもったいないからと言っても、それが建材として劣ったものなんだったら感情論で使うべきじゃあない。国産材は建材としての性能は劣っているのか?ちゃんとかくにんしなくては。結論を先に言ってしまえば、劣ってはいない。輸入木材と比べると一長一短、というのが公平なところ。で、「短」の部分は充分に穴埋めできる。

 よく使われる国産材にはスギ、ヒノキ、カラマツという3種類の木がある。他のもあるけど、この3種類で8割近い。なかでも圧倒的なのはスギで、スギだけで国産材のシェアは50%超。もう日本中スギだらけと言ってもいいくらい。なので、国産材代表ということでスギ(杉)について考えてみる。杉の建材としての短所は何かというと、なんと言っても柔らかいということ。「家を作るのに柔らかいなんて致命的じゃないか」って? いやいや、そこまで柔らかくはない。どのくらい堅いか(厳密に言うと「たわみにくさ」)を示すヤング係数という指標がある。輸入材の代表選手であるベイマツ(米松)と比べると、米松:杉=10:7くらいなので、杉のほうが3割ほどたわみやすい。あらら3割も弱いじゃん!
 ところが、「たわみ」は材をちょっとだけ大きくすれば3割くらい簡単に挽回できちゃう。おつりがくるほどなのでご安心を。しかも、最近はそのヤング係数を一本一本計測してラベル貼ってある杉やヒノキもあるので、なんの心配もない。こういう性能を計測された木のことをグレーディング材というので、憶えておくとカッコイイ。

 国産材を使うにはもう一つ大きな問題がある。これはボクもこの業界に入ってみて驚いたんだけど、木はあるけど木が無い ということが。。。 「○○県産材を使ってくれ」と盛んに言うので、「ほな下さい」と注文すると「ない」と言う返事がくる。。。こんなバカなことが実際にあったりする。山には木は山ほどあるけど、一軒分そろえて家を建てる現場に持って行くことができない。産地をきっちり特定できる国産材で、一軒分を揃えることができる製材所や森林組合はそんなに多くないというのが実情なのだ。だから、「○○産の木で家を建てたい」と思っても、そういう数少ない製材所なんかを見つけ出さないとならない。こりゃたいへんだ。
 この問題を解くには、二つの答えがある。一つは、細かい産地にこだわらずに国産ならよしとする方法。これだったら、どこの工務店から注文しても手に入る。(ただし、グレーディング材が入るかどうかは微妙。) なんで産地が分からないのに国産だと判断できるのかというと、見た目も香りも輸入材は違うから。例えば中国産のスギも流通してるけど一目でそれとわかっちゃう。最近のカリフォルニア米はジャポニカ米に近づけるために改良を重ねてるから食べても分からないらしいけど、輸入のスギはそんな改良してないからすぐ分かる。

 もう一つの答えは、インターネット。インターネットで国産材にこだわっている設計事務所や工務店を探してみる。だいたいこういう会社はインターネットで集客しているので、たくさんヒットするはず。看板倒れのところから、気合いの入ったところまで玉石混淆だけど。ボクの経験値では、国産材とか自然素材とかエコとかの味付けの濃いところは、すごく良いか結構ヒドいかの両極端なような気がする。しっかり選んでいただきたい。もちろん、不安な方はボクにご連絡いただければいいじゃないかなあ、としっかり宣伝もしておく。

 ウチでもヨソでもいいけど、首尾良く国産材を使えることになったとしよう。次はどうするかだ。「産地はどこでも国産材」の場合は無理だけど、産地を特定できる場合はその産地まで出かけることを超お勧めしたい。ボクもこの十数年間でかなりの数のお客さんと山に出かけたけれど、すごく喜んでくれるか、さもなければウルトラ喜んでくれるか。とにかく、口では説明できないものがある。
 ときには12月だというのに標高1000mを超えるような場所での伐採祈願祭となり、しかも途中から大雪が吹雪いてきて遭難するかと思ったこともある。(車で行っているので遭難はしないけど、超絶寒かった。)まあこんなのも、かなり強烈な思い出になる。

 早いものでも40年くらい、古ければ100年を超える木を使う。100年前の1916年、大正5年と言えば第1次大戦のまっただ中、日本では大正デモクラシー全盛で夏目漱石が49歳で亡くなった年。こんな時代から延々と育ってきた木を使って家を建てるんだと思っただけでも感慨ひとしおになる。そして、その木を育んできた山に知らんぷりはできない、アリガトサンのひとことを言いたくなるのが、同じ生き物としての感情なんじゃなかろうか。

13 につづく
2017-04-15(Sat)

カンパとドネーション

最近は、市民運動界隈でも新しい横文字が多い。
20170415-1.jpgビラとかチラシはフライヤーとかいうらしい。私はフライヤーと言ったら厨房の揚げ物つくるあれしか思い浮かばない。
古色蒼然たるのぼり旗は禁止という集会なんかもあり、セブンイレブンで印刷するプラカードが主流だったりする。
デモはパレードで、カンパもドネーション。ドネーションが寄付という意味なのは知っているけれど、なんとなく違和感がある。

カンパという言葉は、すっかり市井に溶け込んでいるのでいまさら左翼用語だと言う人もいないだろうが、もともとはカンパニア闘争すなわち大衆闘争という意味からきている。wikiによれば、カンパニアというのはロシア語だそうでなるほど、左翼用語だったのだろうなと思わせる。英語にするとキャンペーンだそうである。

カンパがカンパニア闘争から派生しているということは、やはりドネーションとはそもそも意味が違っていたということになる。
寄付は集まったお金のほうが目的だけれども、カンパニアであれば多くの人に出してもらう行為のほうが主たる目的と言うことになる。どちらが良い悪いではなく、主目的が違う。

だから、左翼であっても金額をきっちり集めたいときは寄付と言うべきだし、イマドキ運動であっても出してもらう行為に主眼があるときはカンパと言ったほうが正確だ。
違いは、それだけではないような気もする。カンパは小銭を出してくれた人も運動の中の人であり、寄付はやや外に立っているというニュアンスがある。ドネーションという耳慣れない言葉で言われると、よりその感じが強くなる。

あまり関心の無い人にもちょっとでも目を向けてもらおうと言う意味では、外に立っているドネーションで良いのかもしれないし、運動に参加してもらおうという意識付けではカンパと言ったほうが良いのかもしれない。
どっちが良いのかはわからないが、そういう違いがある。

服装やら横文字やら音楽やら、イマドキの運動はかなり気を使って、古くさい左翼運動チックな臭いを消し、楽屋落ちにならないように努力をしてきた。
私自身そうした集会等々にも数多く参加してきたし、昨年の憲法フェス大阪では主催側で関わったりもした。
そして感じたことは、あまり効果が無いのかな ということ。

20170415-2.jpg音楽をやれば音楽好きはあつまるけれども、それは政治の課題の枠が拡がったのとは違う。
音楽イベントで政治にも触れたということであって、逆にその音楽を好きな範囲に限定されるし、音楽がなければ集まってこない人たちがほとんどと言うことになる。

ダサい左翼臭を忌避することでフツウの人々が大挙参加したかと言えば、なんのことはないご参集の方々の主力は団塊の皆様だったりした。
もちろん、沈黙していた団塊世代が定年退職したこともあって久々に街頭に出てきたことは、決っして悪いことではない。

ここ数年の経験を振り返ってみて、どうもピントが外れていたような気がしてならないのである。



イマドキの運動は大言壮語しない。
昔の左翼のように、デキもしないことを激しい言葉でアジることもしない。
誠実に思うことを述べて、あとは野党共闘でお願いね という話だ。

たしかに、政党間の桎梏を取り除くために、市民団体の介在は意味がある。お互いに、妥協するために言い訳になるからだ。大義名分と言ってもいい。
野党共闘が、大いに有効であるならば、それで万事OKなのだが。。。

20170415-3.gifもう繰り返さないが、民進党という鵺(ヌエ)を頼りにした野党共闘が、果たしてどこまで有効性があるのか。当面、選挙になれば共闘はせざるを得ないのは間違いない。しかし、「政権交代させないため」の集団を頼りにして政権交代がデキるわけがない。

せいぜい、大負けを小負けで済ませるという程度の効能しかないだろう。

今いちばん必要なのは、気楽に参加できる運動とか、ヌエのような大同団結ではなく、「頼りになる政党」 なのだと思う。
「頼りになる政党」の条件とは

1.権力も財産もコネもないフツウの人間が、死ぬまで生きられるような 確実性のある政策
2.自公や官僚に忖度せず、政策実現のために全身全霊をなげうつ
3.カンパニア=大衆組織をしっかりと作る

例え今は少数でも、この三つを確実に進める政党ができれば、選挙の様相は絶対に変わる と私は思う。
まったくの夢物語かと言えばそうではない。
社民党、自由党、さらには地方議員を擁する緑の党、新社会党、かなり数多くの無所属市議など、核になりうる人たちは存在する。問題は、それをまとめる人がいないだけだ。

それと重要なのは、大衆組織である。
大衆組織のない小選挙区制は、たしかに党本部の独裁体制を生み、安倍一強と言われる現状を作り出している。
しかし、各小選挙区ごとに100人の活動家がいて、1000人が年に1万円をカンパするならば、政党助成金に縛られることのない自立した運動ができる。最初はその1/10からでもいい。

この組織が共産党と協力すれば、自民+公明+維新+小池新党の連合軍とも互角に戦うことができる。

共闘すべきはヌエのような民進党ではなく、それ以外の人々であり、それが、野党共闘頼みではなく、自分たちの組織を作ると言う方向を向かなければ、いくら姿形や言葉遣いをどのように飾ったとしても、日々の暮らしに追われる国民の目には「趣味」にしか映らない。
本当に「頼りになる政党」を作る。それしかないと思う。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 11

10 からつづく

 日本の林業には輝かしい黄金期がある。1960年代前半から1970年代にかけて、国産の木材は飛ぶように売れた。出荷量は現在の3倍以上。当然値段も高く、物価を勘案すると2倍以上の価格で売れていた。つまり、今の6倍以上儲かっていたわけだ。しかしウハウハの極みにあった1980年から出荷量が急激に減り始める。戦災復興→高度経済成長→持ち家政策という一連の住宅景気が一段落したところに、第2次オイルショックだった。さらに1990年代のバブル崩壊後には出荷量のみならず価格も下がっていった。こうして濡れ手に粟の日本林業は、補助金でかろうじて命脈を保つ絶滅危惧産業になってしまった。
 木材の価格だけ見れば1980年までの価格は明らかに高すぎたのであり、濡れ手に粟をキッパリ諦めて適正な利益を生み出す程度に修正すべきだった。そうすれば輸入材にここまでシェアを奪われることもなかったし、少々の不況はあっても絶滅危惧されるところまで落ち込むことはなかったはずだ。

 さらに困ったのは、使える木を切り尽くしてしまったことだ。戦争中、お寺の鐘までが武器を作るために供出されたことは有名だが、木材も同様に日本木材統制株式会社という国策会社によって軍需用に乱伐され言い値で供出させられた。戦争に負けると今度は焼き尽くされた住宅の復興が始まった。敗戦直後は全世帯数の1/4にあたる420万戸の住宅が足りなかったというから、木材は伐れば伐っただけ高値で売れた。こうしてただでさえ荒廃した日本の山を、戦後は莫大な復興需要のために後先を考えず伐って伐って伐りまくった。

 もちろん拡大造林の大号令をかけて植林に励みはした。なんと15年間で400万ヘクタールに杉や桧を植えてしまった。400万ヘクタールというのはなんと日本の陸地面積の1割以上で、現在の日本中の宅地面積の2倍以上だ。恐るべし。しかし、当たり前だが植えた木は何十年かたたなければ商品にはならない。泥棒を捕まえてから縄をなうどころか、泥棒を捕まえてから縄の原料になる麻の種まきをするようなものだ。これだけの植林となると林業家ではない人たちも木材バブルに浮かされて里山の広葉樹を切り捨て、田んぼや畑にまで杉桧を植えた。本当は杉には適さない山にもどんどん植林した。
 低い山の南斜面に杉を植えると、目の詰まった良材はとれずに花をいっぱいつけて花粉を大量生産すると林業家に聞いたことがある。ご想像の通り、毎年春の花粉症はこの拡大造林運動の結果である。

 こうして需要の側からも供給の側からも木材バブルは幕引きとなったのだが、日本林業の基本路線はいつまでたっても「いつかまた値が上がる」「値を上げるためにもっと使え」だった。ボクは吉野の台風被害の木を使ってから、林業についての本を買い込んで読んでみた。そのほとんどが現状を嘆くばかりで、口を揃えて「日本の山は困っている」「国産材は安い輸入材に負けた」「日本の環境を守るためにもっと日本の木を使え」だった。最初は「大変だなあ」と同情していたのだが、何冊読んでも嘆き節なのに、ややうんざりしてきた。冷静な分析や、経営的な将来計画について書いてあったのは、当時読んだ中では唯一「イギリス人が見た日本の林業の将来」という本だけだった。おいおい日本人、自分で考えようぜ、と暗澹たる気分になった。

 それでも、明月社の家は国産材を使っている。産地は土佐嶺北、土佐梼原、吉野天川、十津川、球磨とその時々の縁でいろいろ替わってきたが、日本の山の木で建てるということは一貫してやってきた。しかも、いずれもその産地を自分の目で見てある程度その産地の事情を理解し、可能ならば住み手も産地まで同行して自分の住む家の木の一本くらいは自分で伐るようにしてきた。
 なぜ日本の木にこだわってきたのか。論理的に説明しろと言われてもちょっと難しい。理屈抜きの感情のほうが大きいからだ。自分たちの何代か前の世代の人たちが植えまくってしまった木材バブルのせいで、やっと使い頃になったら山に放置されている杉や桧たちが気になって仕方ないのだ。伐って使うのは人間の都合だから、そのまま放置しておけばいいという話は残念ながら通用しない。そもそも使うために植林した木たちだから、放置してもマトモに育たない。畑の野菜が間引きしないとヒョロヒョロになるのと同じで、過密に植林された杉や桧は放置すると異常に細長くなり、枝と枝が重なって地面には日光が届かない。草も育たず土は流れて根がむき出しになり、そこに台風や大雨がくるとまとめて倒れたり土砂崩れを起こしたりする。林業用に植林された山は、放置してもそう簡単に自然に戻りはしない。

 バブルに浮かれて伐りすぎて植えすぎた責任はボクにはないし、もちろん住み手にもない。同時に、植えられた木たちにも責任はない。けど、山に行って、使い頃の木たちが切り捨てられて腐っていく姿や、間伐もされずにロウソク林(異常に細く密集した状態)になってしまった姿を見ると、たまらない気持ちになる。もったいないどころか、植林地の中心でバカと叫びたくなる。ボクたちの住まいからほんの半日の距離にこうした木々がそれこそ山のように生えている。これはもう どうしたって使わずにいられなくなるのだ。
 それと、国産材は「気持ちがいい」。国産の杉や桧は輸入材のベイマツやベイツガや福州杉なんかと比べると、見た目も匂いも格段に気分がいい。別に国粋主義でもなければ輸入物を差別しているのでもなくて、感覚的に気持ちがいいというのは、ボクだけじゃないと思う。やっぱり同じような風土で育ってきたせいなんだろうなあ。

12 へつづく
2017-04-14(Fri)

トランプは血も涙もないイスラム国壊滅作戦をやっている

「血も涙もない」&「イスラム国壊滅戦」 である

前半だけ非難したり 後半だけ持ち上げたりするのはご都合主義だ。

人道的にはメチャクチャな血も涙もないやりかたで、しかし、自ら(つまりアメリカ)が作り出してしまったイスラム国を壊滅させようとしている。

米、最強爆弾「全爆弾の母」を初使用 アフガンでイスラム国に
2017.4.14 産経


アフガニスタン駐留米軍は13日、同国東部ナンガルハル州で大規模爆風爆弾(MOAB)の「GBU43」を投下し、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が防御用に使っているとみられるトンネル施設を攻撃したと発表した。MOABは核兵器を除く通常兵器としては最大の破壊力を持ち、実戦で使われるのは初めて。
(引用以上)

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「民間人の被害を防ぐため最大限の注意を払った」とも言っているが、核兵器に次ぐ破壊力なのだから、犠牲が出ていないわけがない。だからこそ、これまでは使われなかったのだろう。まさに、血も涙もない激しい攻撃だ。
格納庫の屋根に穴を開けただけの、形ばかりのシリアへのトマホーク攻撃とは大違いだ。

イラク・シリアに展開するイスラム国の主力はロシアに任せておいて、補給路を断つことにトランプは注力しているようだ。

米、中東政策を軌道修正 対テロでエジプトと連携
2017/4/4 日経


 ホワイトハウスの発表によると、両首脳はIS掃討などテロとの戦いで連携を確認。トランプ氏はエジプトが取り組む経済改革への支持や軍事支援を約束した。中東和平問題では、両首脳がイスラエルとパレスチナ双方を支持することに共通の利益を持つと表明した。
(引用以上)

エジプトのシシ政権は、流血のクーデターで政権を簒奪した非合法政権だ。しかし、トランプはそんなことはお構いなしである。なぜなら、エジプトのシナイ半島にイスラム国は拠点を持ち、シシ軍事政権はそれと戦っているからだ。
昨年12月、そして上記記事の直後にも 大規模な爆発で多くのエジプト人が亡くなっている。

イスラム国の最大の補給路はトルコであることは誰もが認めるところであろう。そして、そのトルコから独立をめざし、トルコ政府が不倶戴天の敵としているクルド人の軍が、イスラム国を壊滅寸前に追い込んでいる。
トルコ政府がこれにたいして、どのような態度をとるかで、イスラム国の運命は大きく左右される。
クルド憎しでイスラム国に肩入れするのか、それとも大勢に従ってイスラム国を封じるのか。

米国務長官、トルコ大統領と会談 関係改善は進まず
2017/3/30 日経


さすがに目に見えた成果はでていないようだが、明らかにトルコに協力させようと努力はしている。

イスラム国のスポンサーという意味ではサウジアラビアである。

サウジ副皇太子、トランプ大統領と会談-「歴史的転換点」と表明
2017.3.16 ブルームバーグ


トランプはイランとの核合意をカードにして、サウジを押さえ込む作戦のようだ。
シーア派のイランは少なくともイスラム国との関係においては、心配ない。裏でスポンサーをやっているサウジのほうを押さえようということだ。

もちろん、これまでボロカスに言ってきたNATOにたいしてもトランプは豹変した。

トランプ米大統領、NATOは「もはや時代遅れではない」
2017年04月13日 BBC


ストルテンベルグ事務総長をホワイトハウスで迎えたトランプ氏は、テロの脅威がNATOの同盟関係の重要性を強化したと述べ、イラクやアフガニスタンといった「パートナー」に今まで以上に協力するようNATOに呼びかけた。
(引用以上)

このように、イスラム国が生き延びられそうな途を片っ端から潰している。

こうやって書いていると短気な読者から あいつはトランプの戦争を支持している!! とお叱りのコメントをいただきそうなので断っておくが、支持とか支持しないとか以前に、正義とか不正義という価値判断以前に、トランプが何をしようとしているのか理解することが必要だと思うから書いている。
そこは理解していただきたい。

そして、見えてくるのは、やり方は血も涙もない。爆弾でもミサイルでもぶち込む。民主主義とか自由主義などのイデオロギーも二の次。独裁だろうが軍事政権だろうがお構いなし。その意味では 実に酷いやりかたである。

一方で、これまでマッチポンプの戦争を継続するために温存されてきたイスラム国を、本気で潰そうとしている。軍事はもっぱらロシアやクルドにやらせながら、外交を駆使して補給を断ち切ろうとしている。 これは冷戦後のアメリカの戦争、すなわち巨大な軍産共同体を否定する流れである。

これをどう評価するのかは、また別の話。ここでは、あえて良いとか悪いとかは書かない。
「こいつはこういうヤツだ」と決めつけてから物事を見るのではなく、よく観察してから「何をしようとしているのか」を判断すること。
トランプという人物は、そのための格好の教材になると思うのである。
そして、その動きは、私たちの明日に直結している。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 10

9 からつづく

 艶を出さないというのは木の塗装に限った話ではなく、家の内外で万事に通じる原則ともいえる。水道の蛇口と便器以外、というか水回りでやむを得ないところ以外は、基本的に艶無しにしたい。家の中のテカテカの代表はビニールクロスだ。塩ビという材料もよろしくないけれども、明月社の家でビニールクロスをほぼ使わない理由はその艶感にある。ビニールクロスを貼ると一気に壁や天井が迫ってきて部屋が狭く感じる。では何を主に使うのかというと和紙を使っている。洗面所や収納などはビニールクロスを使うこともあるので比べてみるとその違いがよく分かる。今ボクが座っている事務所の壁も、左側は和紙で右側の本棚の後ろはビニールクロスなので、首を左右に回すと実感できる。(壁の材料の話はまた後の項で)
 と、先ほどから目の仇にしている艶というのはそんなに悪いものなのだろうか。艶の名誉のために少し考えておきたい。辞書をひくと「物の表面から出るしっとりとした光」(デジタル大辞泉)などと書いてある。艶っぽいといえば女性に対するかなりの褒め言葉だし、読み方は違うけれど艶(えん)については「日本文学における美意識の一つ」(ブリタニカ国際大百科事典)とまで書いてあるし、本当に艶を敵にまわしても大丈夫なんだろうか。

 艶のある日本の美といえば代表格は漆器だろうか。幾重にも塗り重ねた漆は黒であれ朱であれツヤッツヤである。黒は酸化鉄で朱は顔料だそうだ。いずれにしても顔が映るくらい艶がある。この艶と、ビニールクロスやペンキの艶とは何が違うのだろうか。おそらくは厚さと粒そろいだろうと思われる。漆は半透明な樹脂を何層にも塗り込むので、膜厚の表面から記事に近い層までがすべて反射することによって、重合した反射光になるだろう。また反射する樹脂の細胞も、天然故に大きさが不揃いになり反射角は微妙に乱反射している。そこが合成樹脂とは違う艶になる所以ではないかと想像している。対するにビニールクロスやペンキの反射は画一的で表面だけの反射光になり、艶っぽいどころかテッカテカになってしまうのだろう。(文献を見つけられなかったので、ここは推測と想像)
 ただいかに漆の艶であっても、艶は一種の緊張感を生み出す。磨いた大理石もそうだしガラス張りのビルもそうだ。ビニールやペンキのような安っぽさはないけれども、やはり空間に緊張感を作り出す。休息と再生を第一に考えている明月社の家には、やはり艶は似合わないと思っている。

■木に出会う

 店舗デザインの数年間はなかなか充実していた。
 京都の会社に行った最初の年は、待ちに待った一級建築士の試験の受験資格の得られる年だった。毎日夜8時には仕事を終わらせてもらって近くの喫茶店に飛び込み、カレーとコーヒーを頼みウォークマンで雑音を塞いでみっちり2時間勉強。こんな生活をつづけたお陰でなんとか試験に合格できた。この半年の間、日曜以外は毎日毎日カレーを食い続けた。参考書から目を離さずに食えるので都合が良いのだ。これから資格試験にチャレンジする方はご参考にどうぞ。

 資格をとってからは徹夜になることも少なくなかったが、なにせ会社が木屋町や先斗町にほど近いため駅まで直行で帰るのは困難を極め、こんどは同僚と居酒屋に毎日毎日通うことになる。またこの時期にはボク的なパートナーにも出会い、所帯をかまえることもできた。そんな日々を送っていた頃、珍しく住宅の仕事が入ってきた。わざわざ店舗デザインの会社に依頼するだけあって、そのお客さんの第一声は「変わった家つくってや!」だった。
 その頃にはいきなりデザインから入るやり方にも慣れていたので、最初に正面から家を見たスケッチを2案用意して持って行った。これは家か?というような奇抜なものと、真ん中に外階段が貫く少しおとなしいものと。ボクは外階段プランが気に入っていたのだが、お客さんに見せたところ案の定、これは家か?に即決。ホントにこれを建てるのか、とボクも驚きつつ、書いてしまったスケッチを現実の物にするために脂汗を流した。

 ちょうどその作業をかかってるころ、朝のニュースで奈良県を襲った台風7号(1998年)の話をしていた。室生寺の五重塔に巨木が倒れかかりボロボロになったのを覚えている方も多いかと思う。日本の林業発祥の地とも言われる奈良県吉野地方でも大量の木が風で倒れ、林業が大打撃を受けた。風で倒れた木は製材してみると中で繊維が切れていることがあり、丸太の状態では問題なくても出荷することができない。
 そこで、吉野地方のとある森林組合が自分たちで製材をして一本一本チェックした木を売りに出した。それが、朝のNHKニュースで流れていたのだ。ボクは「変わった家はこういう変わった木で建てたらおもろいんちゃうか」というまったくの興味本位でそのニュースに食いつきお客さんに提案してみたところ、これまた即決。数日後にはお客さんとともに吉野に向かって出発した。
 その森林組合では、製材の様子を見せてもらうだけでなく、倒れた山を案内してもらい斜面一面がなぎ倒された光景に言葉を失った。(ついでに柿の葉寿司の工場まで見せてもらった) やや興奮気味に森林組合の事務所に戻り、さて実務的な打合せをというときに奥の部屋からかなりお年を召した組合長が出てこられた。そしていきなり言われたのが「なんでおまえらに売らなアカンねん」だった。吉野林業の過去の栄光を垣間見た瞬間だった。

11 につづく

2017-04-13(Thu)

【森友疑獄事件】改めて問題を整理する

森友疑獄事件ほど、登場人物がことごとくキャラ立ちまくっている事件も珍しい。

籠池夫妻、安倍晋三、安倍昭恵、松井一郎、橋下徹 というメインキャスト
悪代官の迫田国税長官、自動消去の佐川理財局長、笑顔が寂しい谷査恵子 などの官僚たち
寿司友の田崎史郎、風呂友を自慢する山口敬之 など安倍挺身隊の面々
木村真、菅野完、上西小百合、追及側もキャラの強さでは負けていない
一番影が薄いのが、国会でぬるい追及をやっている野党議員だったりする。

いろいろ裏事情はあるにせよ、ワイドショー的に取り上げたくなるネタではあったはずだ。
しかし、ここにきて、急速に報道が減っている。というか、ほぼ無くなった。
北朝鮮問題もあるが、それ以上に、新ネタが尽きてきたと言う問題もある。

官邸の圧力もあるのだろうが、やはりテレビ的には新しいネタが無いと、そうそう番組はつづかない。
谷査恵子のFAXがらみの話以降、目立った新ネタが出ていないのは事実だ。

なぜ、出てこないのか。それははっきりしている。官僚が出さないからだ。
なにせ、自動消去装置まで「発明」して、徹底的に情報公開をネグレクトしている。
この異常なネグレクトこそが、官僚が組織ぐるみで犯罪を行ったことの証左ではあるが、なにせ何もネタが出てこないので、国会では何もできない状態に陥っている。

その挙げ句が、あの厚労委員会での「森友を言うなら強行採決」というトンデモない事態となった。

森友関連質問を封じる「強行採決」の異常事態
2017.4.13 東洋経済


自民が森友追及され逆ギレ強行採決
2017.4.12 リテラ


民進党の柚木議員が最後に追及したのは
「財務省のデータが6月に入れ替わる予定。このままでは証拠隠滅、消失の可能性がある。一言で結構だから総理から森友学園と財務省の交渉記録データ復元を指示してほしい」
ということであり、データを出せというあたりまえすぎる、ものすご~く控えめな発言だ。
これに対して、自民党の丹羽委員長は答弁すら拒否して、挙げ句の果てに、委員会の議題であった介護保険関連法改正案を、日程を無視していきなり強行採決してしまったのである。

財務省のコンピュータをハッキングでもした日には、たぶん本当に内閣がいくつも吹き飛ぶような情報が入っているのだろう。
内部告発を企てようものなら、東京湾ベイエリアにぷかぷか浮かぶことになるのだろう。
日本にスノーデンはいないから、このまま巨悪の真実は葬られてしまうのだろうか。



以前も書き上げた森友疑惑一覧を再掲する、(1-④を追加)

1.安倍昭恵ルート
① 財務省に口利き 谷FAX
② 100万円寄付
③ 随行公務員の選挙運動
④ 梶田私学審会長と旧知の仲

2.財務省・近畿財務局ルート
① 大阪音大を断って森友学園に特命
② 契約前に超低額の一時貸し
③ 定借賃料値引き
④ 審議会を経ない売却
⑤ 10年分割払い
⑥ ゴミ処理の実施の査定せず
⑦ 契約に至る書類を処分
⑧ 嶋田課長補佐「姿隠せ」電話
⑨ 買い戻さずに丸ごと転売を許可??

3.国交省・大阪航空局ルート
① 関西エアポートに移管した後に戻す
② 地中ゴミ8億円の見積り作成
③ サスティナブル補助金6千万

4.会計検査院ルート
① 財務省の書類破棄にコメントせず
② 値引きの査定なしにコメントせず

5.大阪地検特捜部ルート
① 市議と市民が告発するまで動かなかった

6.維新(大阪府)ルート
① 強引かつ超特急の認可適当
② 借地上の校舎を認可
③ 阿部元府議の深い関わり
④ 議員を動員して塚本幼稚園の宣伝
⑤ 本認可より前に補助金648万
⑥ 見返り献金疑惑
⑦ 森友補助金不正を見逃してきた

7.維新(業者)ルート
① 7億、15億、23億 契約
② 藤原工業が維新に献金
③ 維新府政で 藤原工業大量受注
④ 顧問弁護士(酒井康生)紹介(後に裏切り)
⑤ 小学校の土地建物を31億で売却??

8.豊中市ルート
① 土地契約前に建築関連申請の受理・認可

このなかで、現在出ている情報だけで、確実に「不正」と断定できるのは、赤文字の二つだけだ。
で、6-② 借地上の校舎を認可 については 橋下徹が自ら認めて 「ミス」だと言い張っている。
さすがワル知恵の第一人者である橋下は、言い逃れできないところだけは真っ先に認めて、それは忖度でも不正でもなく「ミス」でした と言ったのだ。

もちろん、維新と自民と籠池が一体になって進めていた森友事件だから、「ミス」ではなく「不正」であることは明白だが、しかし、その証拠を出せと言われると、なにせ情報はむこうが隠匿しているのだから、難しい。
それをわかった上で、「ミス」でした。これから気をつけま~す、と言ってのける橋下の神経はやはり大したものだ。

ではもう一つの 3-② 地中ゴミ8億円の見積り作成 はどうか。
これについては、はっきりと大阪航空局の担当者の不正を暴くことができる。
こちらの青木泰さんの記事の3ページ目を参照されたい

【森友問題】地中深部ごみは「存在しない」との報告書
2017.4.12 BusinessJournal


当ブログの過去記事も参考になると思う

 8億円のゴミはやっぱり無い 図解その3

大阪航空局は、以下の資料を作っている

1回目のゴミ処理費 1億3176万円 の見積
2回目のゴミ処理費 8億1900万円 の見積

そして、それぞれの根拠となる調査がある
1回目 「地下構造物状況調査業務報告書(OA301)平成22年1月」大阪航空局が実施
2回目 「M学園小学校新築工事 地盤調査報告書 平成26年12月」森友学園が実施

これらを厳密に工学的につきあわせれば、どうやっても8億の見積は不正であることが証明されるはずだ。
上の青木さんの論考でも詳しく書いてあるし、共産党の宮本議員も国立の研究機関である産総研に資料を持ち込んで「地層的にゴミはあり得ない」という回答を得ているそうだ。

問題は、追求の仕方だ。

宮本議員も、そこまでやっておきながら、「ゴミはないことは証明された」と言い切って終わってしまっている。
言うだけで終わっては意味がない。

1.土木、建築、地質学のオーソリティと弁護士を集めて検討委員会を作る。

2.委員会で「ゴミはあり得ないし、それは自明である」という学術的に権威のある報告書を作る。

3.報告書をもとにして、8億の見積を作った大阪航空局の担当者を証人喚問する。

4.自民党が証人喚問に抵抗するならば、背任罪で告発する。

5.担当者へは、あくまでも「誰に命じられたのか」を追及する。

6.芋づる式にできるだけ上部へ迫っていく


いまの膠着状態を打開できる突破口は、ここしか無いと思う。

籠池総裁が、驚愕の事実を証拠付きで暴露しないかぎり、これ以外のネタはすべて、官僚の情報隠匿と、安倍晋三らの厚顔無恥によって封じられてしまう。



とは言え、資料を出させるにしろ、大阪航空局を攻めるにしろ、国会を空転させるくらいの覚悟を持たなければ、できるわけがない。
国会が言論の府であるのは、言論が通用するかぎりにおいてだ。安倍政権のように言論が意味をなさない相手には言論だけでは全く無力である。
しかるに、あのトンデモ強行採決に対してさえ、本会議の採決を1日送らせただけで、明日からの審議には応じているのが今の野党の実態だ。空気も読まず忖度もしない根性のある議員がもう少し多ければ・・・ 山本太郎がせめて50人国会にいれば・・・

そう思いながら、むなしさも感じつつ、しかし「これしかない」ということは 書いておこうと思う。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 9

8 からつづく

 視界に一番入ってくるのは壁だから、木の家である以上壁は木を貼るべきではないか。ボクも最初はそう思って、壁中に木を貼ったこともあった。これでOKの場合もたしかにあるが、どうしても山小屋風になってしまうのは避けられない。その風情があう家もあればあわない家もある。全部屋に貼ろうとするとコストの問題もある。いくら節有りの木でも貼るための大工手間はかかる。ひとつのお勧めは、部屋の四方に貼るのではなくて一面だけ木の壁にするという方法。壁自体をデザインにすることもできる。また、板を縦に貼るのもいい。横に貼るよりひと手間余計にかかるけれども、引き締まった印象になるので玄関や勉強部屋などにむいていると思う。

 明月社の家の床は基本的に杉の無垢板を使っている。必要や要望があれば他のものを使うこともあるけれども、とくになければオール杉の木。機能的な面は後のほうで書くので、ここでは省略。せっかく床を無垢の木にしたら忘れちゃいけないのが幅木。幅木というのは壁の一番下の床に接している部分。たいていは高さ6cmの木目のものが貼ってあるはずだ。ビルなんかだとビニールのこともある。ここを床に合わせて本物を使っておかないと、ものすごく違和感が出てしまう。というか床の無垢材がだいなしだ。ぜひ気をつけていただきたい。ちなみに明月社の家では幅木は6cmではなく4.5cmだ。ケチっているのではなくてこのちょっとした違いが空間を引き締めるから。幅木がない空間もきれいだけれども掃除機のヘッドが当たる部分なので無しにするのはお勧めしない。

 ひとくちに「木」と言ってもデザイン的には多種多様、樹種も多いし同じ樹種でも見え方が違うし色をつけるかどうかもある。樹種については圧倒的に「杉推し」である。日本の山にたくさんあって値段も安いということもあるけれども、なんといっても見ても触っても優しいからだ。新築の時はまだ色が若くて落ち着かないけれども、数年たって日に焼けると実にいい感じになる。
 杉に限らずどんな木でも、製材の仕方によって柾目と板目というものがある。まっすぐにほぼ平行の木目が並ぶのが柾目。ウネウネとしたいわゆる木目っぽいのが板目。1本の丸太から柾目のほうがちょっとしか取れないので高級ということになっている。実際に壁や天井に使ってみたこともあるけれどもかえって良くできたプリントのように見えたりして面白みに欠ける気がする。いかにも木らしさを感じるのは板目のほうだ。

 柾目でも板目でも、節のある材とない材がある。もちろん節がない材は長年よく手入れされてきた樹の丸太からしか取れないし、その丸太の中でも割合は少しだから値段は高い。つまり柾目の無節は最高級で板目の節ありが一番安い。必然的に節あり板目を多用することになる。節については好き嫌いがかなりあるようだ。節がある方が木らしくて好きという人もいれば、目に見つめられているみたいで怖いという人もいる。ボクも実はやたらと節が多いのは好きではない。1枚(3~4m)の板に小さめの節が2個くらいだとちょうどいい塩梅だ。値段も無節ほどは高くない。このくらいの程度を上小節(じょうこぶし)略して上小(じょうこ)というので憶えておくと便利。「床は上小でお願いします」なんて言うと「このお客さんはよく知ってるな」と一目置かれる、はずだ。

 木に色を付けることもよくある。古民家のような焦げ茶色にしたり、少しだけ汚れを目立たなくするように薄い目の茶色にしたり、変わったところでは木目を残した白なんていうのもある。これはペンキを塗るのではない。ペンキというのは表面にしっかりした膜を作って下地の木を見せなくしてしまうので、木の家では基本的に使わない。使うのは木材保護塗料というもの。保護塗料は木の表面に膜を作らないので色はついても木肌は感じられ、もちろん木目は見える。テッカテカの艶も出ないし、触っても木の感じのままである。
 明月社の家でよく使っているのは、色無し(クリアー)の場合はノンシックS、茶系にする場合は柿渋コートGというもの。どちらも柿渋メーカーのトミヤマの製品だ。クリアー塗料を塗ると無色といいながらも実際は木肌は飴色で木目がクッキリして水に濡らしたような色になることが多い。このノンシックSはほとんど濡れ色になることがなく、塗った後もあまり変化がないので気に入っている。柿渋コートGは柿色、古代色、黒色の3色しかないけれども、どれも発色がいいのと施工しやすいうえにお値段も高くないので、色の好みが合えばたいていこれを使っている。ただし両方とも柿渋ではないし天然由来でもなく、珪酸(ガラスの原料)とシリコーン樹脂などが原料である。いずれも揮発性もなく口に入れても毒性はないので(食べたくはないが)問題なしと判断している。

 ペンキのように調色するのは難しいので色の選択肢は少ないだけに色の取り合わせで悩むこともあまりないけれども、とにかく木目をきれいに残して艶を出さないことが、木を塗装する時のデザイン上のキモである。いくら無垢の木でもウレタン塗装とかWPC加工などは、原材料は木であってももはや木ではなく、光を反射し手足に触れるのはウレタン樹脂だ。
 余談だが、最近のよくできた木目シートの木目は職人の手書きだそうだ。本物の銘木を見ながら人の手で原画を描いているらしい。これをスーパーリアルの芸術作品と見るのか、ただの偽物と見るのか・・・。その手の製品を目の前にすると、職人さんには申し訳ないがやはり芸術作品には見えないのだが。

10 につづく

2017-04-12(Wed)

教育勅語で戦争に行けるか

森友事件ですっかり有名になった教育勅語の暗唱だが、読まずに論じるのもオカシイので、全文を読んでみようと思う。

WIKIBOOKSの<ふりがな付き>を引用する

教育ニ関スル勅語

朕(ちん)󠄁惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇󠄁ムルコト(はじむること)宏遠󠄁ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)
我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)
爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦󠄁相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉己レヲ持シ(きょうけん おのれをじし)博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ(はくあい しゅうにおよぼし)學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ(がくをおさめ しゅうをならい)以テ智能ヲ啓󠄁發シ(もってちのうをけいはつし)德器ヲ成就シ(とっきをじょうじゅし)進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ(すすんでこうえきをひろめ)世務ヲ開キ(せむ/せいむ をひらき)常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ(つねにこっけんをじゅうし こくほうにしたがい)一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ(いったんかんきゅうあれば ぎゆうにほうじ)以テ(もって)天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ(てんじょうむがいのこううんをふよくすべし)
是ノ如キハ(このごときは)獨リ(ひとり)朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス(ちんがちゅうりょうのしんみんたるのみならず)又(また)以テ(もって)爾(なんじ)祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン(そせんのいふうをけんしょうするにたらん)

斯ノ(この)道󠄁ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ(いくんにして)子孫臣民ノ俱ニ(ともに)遵󠄁守スヘキ(じゅんしゅすべき)所󠄁(ところ)
之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス(あやまらず)之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ(けんけんふくよう して)咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ(こいねがう)

明治二十三年十月三十日
御名御璽(ぎょめい ぎょじ)

(引用以上)

う~ん これでも何言ってるのかわからん。
なので、同じサイトの<1940年文部省による現代語訳>を読んでみる

朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

(引用以上)

まあこれならだいたいわかるし、戦前の文部省の訳だから、意味を勝手に変えていることはないはずだ。
文中の言葉で一箇所だけ 宝祚(あまつひつぎ)の御栄 てのがよくわからん。調べてみると「宝祚」というのは皇位という意味だそうで、原文だと「皇運󠄁」の部分なので、「天皇家が栄える運命」てなことになろう。

これの何が問題かは 多くの人が論じているのでここでは繰り返さない。
それよりも、書いておきたいのは、戦後になってから「教育勅語って素晴らしい!」と言っている籠池総裁やら稲田朋美やら安倍晋三やらの信奉している現代語訳についてだ。
国民道徳協会とかいうところの訳で、明治神宮のHPにあるのでかなり一般的に使われている。中身は以下のとおり。

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

(引用以上 文字色は筆者が変更した)

赤文字にしたからお分かりのように、原文で「公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」、文部省訳で「皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ。」 となっていた部分が 「国の平和と安全に奉仕」になってしまっているのである。

なんと言うことだろう。
明治神宮や安倍晋三たち日本会議の面々は、天皇の地位なんてどうでもいいのだろうか。
天皇が栄えることなんて バッサリ切り捨ててしまうんやなあ すごいね。
この人たちは、尻尾も切るけど イザとなったら担いでいた頭も切っちゃうんだ。
いやはや 天皇さえ切り捨てる人たちなんだから、籠池総裁などいとも簡単に尻尾切りされるのはあたりまえだ。

ネットで公開されている他の現代語訳も見てみたけど、HPに日の丸掲げた人たちの訳は、みんな「国」とか「公」になっていて、皇室を助けよ とかぜんぜん書いていない。あきれかえってしまった。

勅語すなわち天皇の言葉を改ざんしてニセ勅語で国民をダマしてる稲田や安倍たち日本会議の連中こそ、教育勅語で再教育した方がいいんじゃないか。
「へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し」
まったく、人に読ませる前に、自分で読んでみろ。



もちろん、まず第一の問題は 「勅語」であること。つまり、天皇が国を治めている と言う前提が問題なのだが、それはさておき、教育勅語万歳の連中が、実は勅語を改ざんしていたという衝撃の事実は、もっと国民に広く知られるべきだ。

その上で、一体ぜんたい何で教育勅語を復活させようとするのだろうか。
リベラルの人たちは、戦前教育だ、戦争準備だ と口を揃える。
もちろん、そういう空気は濃厚に感じるのだが、私はどうも違和感を憶えている。

元の教育勅語であっても、改ざんされた勅語であっても、これを毎日暗唱すると、本当に戦争に行ける若者ができるだろうか。
別の言い方をすると、こんな陳腐な言葉を暗唱しないと、戦争できないのだろうか。

最近何十年間で、一番戦争をしているアメリカでは、教育勅語のごときものはない。
それどころか、自由と民主主義のために戦争をやり、保守よりリベラルのほうが戦争が好き という現象があたりまえのようにある。
ナチスや大日本帝国のようなファナティックな集団がやる戦争は、戦争の中のごく一部に過ぎない。多くの戦争は、もっとビジネスライクに遂行されていく。

戦争の形態も大きく変わっている。事前の情報戦でおおかたの趨勢は決まってしまい、ミサイルやレーダーで軍対軍の正規戦はほとんど決着が付いてしまう というのが イラク戦争などでの様相だ。
ある意味、早く決着が付きすぎるので、軍や軍需産業には面白くない。そこで生み出されたのが、「テロとの戦い」である。
アルカイダやイスラム国のようなゲリラ戦部隊を育成し、マッチポンプでいつまででも永続的に戦わせる。

イスラム国のような部隊として日本も育成されるのだとしたら、たしかに教育勅語やらなにやらで洗脳して、狂信的な国民部隊にする必要はあるかもしれない。アジアでは北朝鮮がそういう位置付けで「大切」にされてきたわけだが、言うことを聞かなくなった金正恩を潰して中国に合邦させ、その代わりに日本を「悪の枢軸」として復活させる??
いや、今のところ、そこまでの動きは感じない。



むしろ、教育勅語は、大事なことを隠すための煙幕に使われているのではないか と言う気がする。
だいたい、教育勅語万歳と言ってる輩ほど、実は勅語を信奉してるわけじゃなくて内容を改ざんしているのだから。
国粋主義の煙幕で隠すものは、その正反対のものであろう。つまり 売国主義である。

いわゆる売国奴!という罵声の意味ではなく、国の財産を格安に売り渡すことが 文字通りの売国主義である。
森友学園や加計学園ももちろん売国なわけだが、規模はそんなものではすまない。
日本の公有、私有の資産が、ごっそり売り渡されていく。いや、正当な対価を受け取らないのだから、売国ですらないのかもしれない。

プールされている預貯金や保険はもちろん、道路や水道などのインフラや、建物、病院などの施設などなど、あらゆるものがあらゆるルートを開設して流れ出していく。
すでにGPIFの140兆円あまりのうち40%は海外に行ってしまった。
JA(農林中金)の60兆円も7割近くが外貨に変わっている。
貿易黒字の400兆円も海外に置きっ放しでアメリカの経済を潤している。

外貨になっても戻せばいいじゃないか、などと口にすると、橋本龍太郎のようにスキャンダルがわき出して失脚する。

インフラや設備も、竹中平蔵さんが大絶賛するコンセッション方式でどんどん国民の手から奪われていく。

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この絵をみて、あれ?と思った方も多いだろう。

そう、森友も加計学園も この方式の一環なのだ。
あれらは安倍マターだったせいで、あまりにも極端な優遇がされて問題になったけれども、しかし、氷山の一角に過ぎないのだ。
外資を含めた、何でも思い通りにする大資本に、国民の資産はどんどん切り渡されている。

その売国主義の、目くらましが、極右ゴッコであり教育勅語なのではないか。

私にはそう見える。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 8

7 からつづく

 そんな設計の仕方の是非はともかく、デザインというものをハッキリと意識させてくれる経験になったのは確かだった。デザインという言葉も日本語化する際にどうやらかなり意味を狭くしてしまったようだ。そもそも「設計」は英訳すればDesignなわけで、企画からプランから外観の見た目まで、すべてがデザインだ。しかし、日本でデザインというとほぼ「見た目」の部分を指していて、本来はデザインというよりもデコレーションというべきなのかもしれない。というような理屈はちょっとおいといて、ここではデザインといえば狭義のデザインのことにしておこう。

 店舗の仕事をすることでこの狭義のデザインに正面から取り組むことができたのは、今から思うと貴重な経験だった。住宅の場合は店舗デザインのようなアプローチはしないけれども、それでもやはりデザインは単なる結果論、なりゆき任せというわけにはいかない。毎日毎日視野に入っても気分のいいデザインは、惰性だけではできないからだ。
 デザインについては文字であれこれ書くのはかなり難しい。それでも言えることがいくつかあるので、参考までに書き留めておく。よく言われるのは「3色以上使わない方がいい」ということ。ボクは少しアレンジして「1シーンに3色以上使わない方がいい」と思っている。これは無難に正しいとおもう。何かを目立たせたいときも、逆に何も目立たせたくない時も、3色までにしておくのは正解だ。1シーンというのは、ある生活パターンの視界という意味で、必ずしも一部屋の中という意味ではない。ふた部屋続きで使うことが多ければふた部屋分だし、対面キッチンに立ってリビングを見ている状態のように、ひと部屋の中でもある方向を向いている場合は部屋の一部ということになる。

 近似色には要注意だ。おおざっぱに言えばどれも「白」になるような色でも、薄いグレーと薄いベージュとか、薄いブルーと薄い黄色など、違う系統の色が並ぶとたいがい違和感を感じるので、慎重に避けるようにしたほうがいい。できれば家具までふくめて、こうした色のコントロールができると「ああデザインされているな」と感じられるようになる。
 色の取り合わせにも、合う合わないがある。いろいろ理屈もあるようだが、ボクがやっている一番簡単なやり方は「薄目で見る」ことだ。店舗デザインを始めたころに一番悩んだのがこの色の取り合わせだった。なにせ原色や黒などもふくめて、これまで使ったことのなかったような色をどんどん使わなくてはならない。最初は判断できずにオロオロと試行錯誤をしているときに、ふと目が疲れてきて眼鏡をはずした。すると、不思議や不思議 これとこれがいいと「ピン」ときたのである。どうやら「色以外のものを見ない」ということがポイントらしいと気が付いた。ハッキリ見ていると、色も見ているけれども色サンプルの材質や模様などもどうしても目から脳に入ってしまう。その雑音を消してやると、「ピン」とくるのだ。いちいち眼鏡をはずすのも面倒なので、普段は薄目で見るようにしている。
 色を見る時は当然ながら光に気をつけなくてはならない。とくにショールームなどでキッチンなどを見る時、そこに点いている照明の色を考えておかないと実際に家に設置した時はかなり印象が変わることがある。ショールームのライティングは、実際以上に豪華に見せようと仕掛けられている。そこまで意図的でなくとも、照明の光と自然光、照明の電球色と昼白色でもぜんぜん色が変わる。持ち歩けるサンプルがあれば、窓から入る自然光で見てみるようにしたほうがいい。

 外壁に使う材料は、もっと激しく光の影響を受ける。日向と日陰、太陽の高さや角度によって、見え方はまったく変わる。外壁材については、棟上げをしたタイミングで現場にサンプルを用意してもらい、実際の角度に置いてみて検討すべきだ。よくあるサイディングの場合はさほどの違いはないかもしれないが、塗り壁の場合は凹凸が大きいので変化も大きい。明月社の家で一番よく使う「白州そとん壁」という材料は、塗り壁の中でも陰影が強くでるので、何色か用意して必ず現場での確認を行うようにしている。
 窓サッシも外壁では目立つ要因だ。最近は多くの家で「シャイングレー」(メーカーによって名称は違う)というようなやや茶系のシルバーが使われている。茶色はちと時代遅れ風だし、黒は目立ちすぎるし、白は安っぽくなるし、白っぽいシルバーは好き嫌いがあるので、どうしても無難なシャイングレーが多くなる。明月社の家でもシルバー対シャイングレーが1:2くらいでやはりシャイングレーが多い。気をつけたいのは、このシャイングレーは光の当たり方で玉虫色のように見え方が変わるということだ。正面から太陽が当たるとシルバー、薄明かりだとベージュ、日陰になるとグレー。これもサンプル板で確認しておいたほうがいい。
 家の形によっては屋根も色が目立つ場所である。何色がいいかは家によって変わるので、これは一概に言えない。屋根の色を見る時の注意点は、光を反射させて見るということ。普通に見るよりかなり明るく見えるはずだ。屋根の選定の仕方については、また項を改めて書くことにする。

 なお、色とはちょっと違うけれども、本物の木の隣にプリントの木目なんていうのは、絶対にやめてほしい。最近の木目プリントはすごく進化しているので、正直ボクも間違えることがある。でも、隣に本物があるとさすがにその違いはハッキリしている。プリントの偽物さが際立ってしまう。ご予算の関係で木目プリントを使う場合は、近くに本物を使わないとか、焦げ茶のプリントにして木目を目立たせないとかの配慮が必要だ。

 明月社の家は木の家なので、やはり本物の木をどうやって見せるかはデザイン上の重要なポイントになる。まず木を見せるというと真壁にするかどうかが問題になる。真壁というのは柱の表面を部屋の中に見せている状態で、柱は壁面よりも1.5センチほど飛び出している。和室はだいたいこのタイプ。これに対して、柱の外側(部屋内側)に石膏ボードをバーンと全面貼りしてしまうのが大壁。これだと柱は壁の中に入ってしまうので見えなくなり、壁面は真っ平。最近の家はほとんどがこの作り方だ。
 木の家を名乗る以上、真壁を採用するのが本筋なんだけれど、明月社の家では和室以外はほぼ大壁にしている。理由は使いやすさとコストにある。真壁は壁面から柱が飛び出しているので、家具を置いたりするのに何かと不便である。デザイン的にも柱のピッチに家具の大きさや置き場所をあわせてやらないと不格好になってしまい制約が大きい。壁に凸凹があるので掃除もちょっと面倒。しかも、柱を一本一本見せるには材料代も大工の手間もかかるのでコストアップになってしまう。そんなわけで、全ての部屋を真壁にすることはしていない。
 その代わりに、大きな梁を見せるようにしている。梁は柱と柱の間に掛け渡して上の階の床を支えているので、幅が12センチ高さは30センチを超えてかなり見応えのある大きな材料になる。これが3尺とか1m間隔でリビングの天井にずらっと並んで見えるのが、明月社の家の特徴とも言える。実はキレイに並べるのは構造的に難しい時もあるのだけれども、自分で構造計画もやっているのでそこはクリアーしている。

9 につづく
2017-04-11(Tue)

安倍昭恵の選挙応援と戦略特区

加計学園の疑獄事件は、森友をはるかに超える規模になりそうだ。

安倍首相の「本当のお友達」に、こうして血税176億円が流れた
2017.4.11 週刊現代


この記事は、講談社のやる気が見える非常に良い記事だ。

そもそも、加計学園グループをwikiで調べただけでも、吉備高原学園は岡山県との共同出資法人、順正学園は高梁市との共同出資であり、半官半民の法人なのだが、いつの間にか私物化している。
こうやって、設立時に公金を投入させ、あとからこっそり自分のものにしてしまうと言うやり方は、今に始まった話ではなくて、加計学園の伝統なのかもしれない。

その加計学園が安倍晋三が肝いりの国家戦略特区を利用しているということは、パートナーの安倍昭恵の行動にもその影響は必ずあるはずだ。

ツイッターで @HON5437 さんが昨年参院選のときの安倍昭恵の応援演説日程を一覧にまとめており、それについて菅野完氏が戦略略特区との関係を調べたらどうや と書いていたので、わかる範囲でやってみた。
それが、下の表である。クリックするとPDFにリンクしている。

20170411-2.png

首相官邸のホームページで特区の詳細は見ることができる
 →国家戦略特区
 →総合特区

総合特区については⑦などは国際戦略総合特区 、 数字だけは地域活性化総合特区である。

安倍晋三の権力を利用して 加計学園のような錬金術を使っている連中は、きっと他にもいるのだろうし、それがまた安倍晋三の権力の源泉になっているのだろうから、特区を深掘りすることは、安倍のアキレス腱を暴くことになるかもしれない。

とりあえず、今日のところは、一覧作るとことまで。



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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 7

6 からつづく

 ボクが平面プランを作って打合せに行く時は、5mのスケールは必携で、住み手に「ここからココぐらいですよ」「この部屋よりこのくらい広いです」「天井はここまで」と実際に見せるようにしている。もちろん、完璧ではないし実際にできた時とはかなり感覚は違うけれども、建築家でも工務店でもない人が平面図だけみて実際の広さを想像することは困難なので、これは必ずやったほうがいい。
 また、窓の大きさも必ず確認する必要がある。例えば同じ一間幅の窓(実寸で約1.7m幅)でも、高さが1.8mのものと2.2mのものでは、印象は全然違う。逆に、換気用の小窓は防犯上もあまり大きなものは使わないので、どれほど小さいかを見ておかないと、実物を見てから「えー」と驚くことにもなりかねない。窓については、部屋のどこについているかも重要だ。多くの場合、部屋は長方形でありその長い方の壁についているか、短い方の壁についているのか、でも感じる広さはかなり変わってくる。もちろん、普通は長い方の壁に大きな窓がついていれば、部屋は実際よりもそうとう広く感じるし、短い方についていればトンネルのような面白味が出ることもある。
 概ね大きな窓は部屋を広く見せるけれども、大きければ良いというものでもない。外を歩く人やお隣さんと目線がぶつかってしまっては落ち着かないからだ。道路に面している時は、あえて小窓をたくさんにしたり、高窓(背丈より上の方につける)にしたりという工夫が必要だ。

 住み手の目線で注意したいのは、家族間の目の高さだ。キッチンに立っている人、テーブルに座っている人、テレビを見ている人 などの目の高さが極端にちがうと、落ち着かない空間になる。目線のことだけを気にするならば、キッチンの床はダイニングよりも15センチ低くして、床に座ってテレビを見たりする場所はダイニングより40センチほど高くするのが理想的だ。要望もあってそのように設計した家もある。ご想像の通り、キッチンの床を下げるのは家事動線としては厳しいものがある。一番頻繁に行き来する場所に段差があるのは、足腰の鍛錬にはなるけれども、食器や鍋をもって移動することを考えるとあまりお勧めはしない。

 畳コーナーを3~40センチ高くするのはよくやっている。下に抽斗を作ったり、中には畳がガーッと開いて下に布団が収納できる、なんていう仕掛けをつくったこともある。自動車のトランクのようにバネがついているので、意外と楽に開いたように思う。高床式はゴロゴロしていても目線が低くならず、寝転んでも踏まれる心配もなく、親が遊びに来た時に臨時の客間になったりもする。その3畳がご主人専用の居場所という家もあった。もちろんケースバイケースだが、かなり重宝する小技だと思う。

 もうひとつ目線で問題になるのが吹き抜け。実感としては吹抜のある部屋はかなり広く感じる。これまでの経験では、空間的に作って失敗したと思ったことはない。これもご想像の通り、吹抜で問題になるのは暖房である。暖かい空気は上へ上へと上がってしまうので、足下はどうしても寒くなってしまう。したがって、吹抜の部屋にはほぼセットで床暖房が必要になってくる。そのコストをOKとするならば吹抜は考えてみてもいいと思う。ただ、無闇やたらと高い吹抜はかえって「穴の底」になることもある。部屋の長い辺の長さよりは低い範囲が妥当なところか。もっともこれは個人差があるので、穴の底が好きな人もいれば、ボクなんぞは個人的には体育館のような全面吹抜の家がいいと密かに思っていたりして、最終的には「お好みで」ということになる。
 いずれにしても、平面プランを考える時には○○畳という数字や吹抜という形状にとらわれず、自分の目線がどのように届くのか、届かないのか、それをできるかぎりシミュレーションしてみることが大事なのだと言うことを憶えておいていただきたい。

■現場を知りたい

 職業右翼のお兄さんや宗教法人ブローカーの入り乱れる世界から逃げ出したボクは、建築設計という世界に疑問を持ち始めていた。普通の設計事務所はどんどん仕事がなくなっていき、かなり無理無体を通す事務所だけが忙しい。これはもう、設計事務所という業態には未来はないのではないか。少なくとも、設計事務所にこだわっていると、ウロウロしているうちに40歳になってしまいそうだ。それに、マンションなどの大きな建築物は、ボクの性にあっていないようだ。自分の手の内におさまらない規模の建築は、出来上がってもイマイチ感動がない。もっと「自分の手作り」に近い仕事がしたい。

 そんなことを考えた挙げ句、当時住んでいた場所にほど近い、小さな工務店に就職した。そこは主に店舗を手がけており、夜は設計、昼は現場監督というこれまでとはうって変わった生活が始まった。働いてみて知ったのは、店舗屋さんと住宅屋さんは完全に棲み分けているということ。店舗建築をやる工務店は住宅はほとんどやらないし、住宅を建てる工務店は店舗には手を出さない。やってみて驚いたが、発想も施工方法も材料も店舗と住宅ではかなり違う。住宅は50年とか100年という長さで考えるけれども、店舗は3~5年、長くても10年もてばいいという。パチンコ屋さんの内装がほとんど両面テープで貼り付けてあったのには、本当に驚愕した。

 工期も住宅は4ヶ月前後だけれども、店舗は1ヶ月もかけることは珍しい。必要となれば24時間体制で突貫工事を進める。ボクが担当した物件でも、40坪ほどの木造一戸建ての店舗を1ヶ月で建ててしまったことがある。一つの部屋の中間の高さに足場を作って、上と下で別の職人を入れたり、ペンキ屋さんは夜10時に出勤して朝まで塗ったり、今思い出すと信じられないことをやっていた。そのぶん短期に売り上げがあがるので、社員はしんどいけれど会社としては旨みもある。
 デザインの考え方も住宅とはまったく違う。これまで書いてきたような考えは通用しない。平たく言えば「目立ってナンボ」の世界だ。主役は建築家でも商店主でもなく、その店に来るお客さんだから、必然性があろうがなかろうが客の目を納得させる意匠は必要になる。毎日目にする住宅の住み手と違って客の目は一瞬だ。その客が1分とか1時間の間に満足するデザインという、これまでとは全然違うものに取り組んだ。

 店舗建築については、家の近くの工務店と、より面白そうな仕事をもとめて移った京都の繁華街にあるデザイン事務所と、あわせて5年間くらい仕事をした。住宅も何軒かはあったが、そこでもカルチャーショックを味わった。平面プランを作る前に、外観デザインを作れというのだ。これまで書いてきたようにボクはまず平面プランから始めて、それに並行して徐々に外観を整えていくというやり方をやってきた。ところが、間取りなどなにもない状態で、道路から見た家の外観をデザインしろというのだから訳が分からなかった。もちろん今はそんなやり方はしていないが、1軒だけそのやり方で建てた家がある。もちろん、住み手もそれを希望していたからだが。(その家が、後日ボクをまったく違う方向に導くキッカケになるのだから不思議なものだ。)

8 へつづく

2017-04-08(Sat)

【シリア空爆】59発のトマホークは消極的アサド承認か

米中首脳会談の 晩餐会の真っ最中。打ち上げられたのは、盛大な花火ではなく、59発のトマホークだった。

事前にロシアにも通告し、目の前の習近平にも耳打ちしてから、シリア西部のシャイラット空軍基地にむけてトマホークは発射された。

もちろん、あらゆる軍事行動に正義はない。
アサドの化学兵器(注)にも、トランプのトマホークにも、正義などない。
そのうえで、冷静に事態を考えてみようと思い、この記事を書き始めた。

 ※注 化学兵器はアサドが使ったのでないという見解があり、たしかに否定はできないので、「アサドの化学兵器」という決めつけについては保留し、文末に追記を書きます。

米国側の発表では、耳打ちされた習近平は「仕方がない」と答えたというのだが、にわかには信じがたい話ではある。
中国はロシアともに 明らかにアサドよりであり、「仕方ない」などと言うはずがないと思われるからだ。
ロシアのように非難するほうが中国の立場としては当然ではないのか

トランプ政権、シリアにミサイル攻撃 ロシアは侵略行為と非難
2017.4.7 ロイター


しかし、その後の中国の発表をみても、どうも「仕方がない」は本当だったのではないかと思わせる内容だ。

中国、トランプ米政権への直接的批判避ける 政治解決を呼び掛け
2017.4.7 産経


また、アサドの後見人であるロシアも、非難声明は出したものの、さほどの激しい動きは見せていない。
それどころか、プーチン本人は雲隠れしてしまって、意図的に姿を隠している。

ロシア、米シリア攻撃で会議? 公式写真をよく見ると…
2017.4.8 朝日


ロシアへの事前通告が何分前なのかはわからないが、ロシアからアサド軍へ速攻連絡が行ったのは間違いなく、基地側もトマホークが飛んでくるのはわかっていたはずだ。

これらの一連を見て感じるのは、今回の空爆はトランプからアサドへの
「君の後ろ盾のロシアや中国も了承済みだぜ」 という メッセージであるということだ。



では、なぜロシアや中国が、消極的とは言え空爆を了承したのか。
それは、アサド政権を和平交渉の主体として国際的に了承させるためだと考えられる。

シリアの情勢については、立命館大学の末近浩太教授が書いた以下の記事が詳しい

これでわかる!「シリア内戦」の全貌〜そして「イスラーム国」が台頭した
絶望が世界を覆い尽くす前に
2016.3.25 現代ジャーナル


アサド政権
複雑きわまる反体制派(半分はアルカイダ系)
イスラム国

ざっっくり言うとこの三つ巴で、最近はロシアが後ろ盾のアサドがかなり優位になっている。
しかし、今のように樽爆弾や化学兵器で一般人を殺しまくっていては、アサドを国際的に承認させることができない。
どうするか

アサドをいい子ちゃんにするしかない。
「認めてやる代わりに いい子ちゃんにしとけ」 ということだ。

レッドラインを超えなければ、ロシアや中国主導でアサド体制に集約していくことを、米国も消極的に認める。
そのためには、米国の面子も立つように いい子ちゃんにしておけ。

アサドがどのような態度になろうと、アサド政権を認めることが正義だとは思わない。
これまで弾圧されて虐殺された人たちが納得するとも思わない。
しかし、では半分アルカイダの反体制勢力や、イスラム国が政権をとればいいのか?
あるいは、三つとも殲滅して 国連統治にでもすればいいのか?

地球の反対側の私たちは、いくらでも理想や理念を語ることができる。
アサドもトランプもよろしくない と評論することは まったく正しいことだろう。
しかし、その評論はシリアの人民に何かをもたらすだろうか。
現実のシリアは評論ではなく何らかの「解決」が必要だ。

こういう見方は、何も楽しくないし、デモのテーマにもならないけれども、良いとか悪いとかをこえて、現実を分析することもときには必要だと思う。



そのうえで、われらが日本国総理大臣はどうなのか

安倍首相「米政府の決意を支持」…シリア攻撃
読売新聞 2017年4月7日


 安倍首相は7日、米軍によるシリアのアサド政権への攻撃について、「化学兵器の拡散と使用は絶対に許さないとの米国政府の決意を日本政府は支持する」と述べた。
(略)
 これに先立ち、政府は首相官邸で国家安全保障会議(NSC)4大臣会合を開き、情報の集約と分析を進めた。菅官房長官は記者会見で、米国から日本政府に事前に攻撃の連絡があったかどうかについて、「日米間では日頃から緊密に連携をとっている」と述べるにとどめた。
(引用以上)

ここからわかることは、日本は事前通告をされていなかったらしいということ。
ロシア、中国だけでなく、報道されているだけでも、フランス、イスラエル、オーストラリアは事前通告されていたことを発表している。
そんななかで、寝耳に水だった安倍晋三の焦りはものすごいはずだ。

せっかくゴルフクラブやら50兆円投資やらをかかえて、いの一番にすり寄ったのに、いざとなったら相手にもされない。
交渉相手ではなく、ただの駒として見られているということを、改めて思い知らされた格好だ。

しかも、ドイツとフランスは先に電話で打合せをしたうえで、「理解はするけど解決は国連の枠組みで」とうまく逃げをうった。
不用意に「支持する」と言ってしまった日本は、今後この空爆の尻拭きをやらされる可能性もでてきた。

ロシアと中国が主導して進められていくシリア情勢に、米国側が一定の面子を保つために「同盟国」を派遣するということはないか。
具体的に何がおきるかはわからないが、一番の貧乏くじを、安倍晋三が喜んで引くのは間違いなさそうだ。


<追記 2017.4.10>
「化学兵器を使ったのはアサドではない。2013年にアサドは化学兵器を破棄させられている。反政府勢力が保管していたものが、アサドの爆撃で破壊され散布された。」などの情報屋見解が出回っている。たしかに否定できない。
私自身これまでホワイトヘルメットの活動などに疑義を呈する記事も書いてきた。
一方で、現地周辺で取材している複数のフリージャーナリストが「アサドは使わないと言いながら使っている」というレポートもしており、100%アサドではないという断定する材料も私は持っていない。この点については、どちらとも断定できないので判断を保留する、としか私には言えない。

ただ、化学兵器の出所がどこであろうと、今回のトマホークの意味はほとんど変わらない。つまり、「米国の面子をたてながら 消極的にアサドを承認する」「ロシア、中国に主導権を任せるための儀式だった」ということだ。
北朝鮮との関連ばかり日本では報道されるが、その意味ももちろんあると思うが、アメリカにとってまず第一義的にはアサドに対する強烈なメッセージである。それは「おまえらを殲滅する」というメッセージではなく、「ロシアと中国の了承のうえでぶち込んでるんだぞ」という意味だ。

ティラーソン国務長官もさっそく「アサドよりISを倒すのだ」と発表しており、「アサド政権の消極的承認」によって、内戦終結の道をつけるというトランプの方針は明らかになってきたといえる。




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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 6

5 からつづく

 平面プランを作りはじめる時、ボクは(たぶん多くの建築家が)四角い部屋は書かない。方眼紙を使っている時でも、いきなり四角い部屋を書くことはない。敷地はしっかり書いたうえに、乱雑な○をいくつも並べ始める。例えば玄関とか、水回りとか、家の要素をザックリと丸く書いて敷地の上に並べていく。小さい玄関なら小さい○、広いリビングなら大きな○。実際はそういう部屋名ではなく「~~をするところ」というイメージで書いていく。「入るところ」「火をたくところ」などなど。専門用語ではゾーニングというやりかたで、ほしい要素を敷地の中にどう置いていくかをまず考える。もちろん、例えば南側に高いビルが建っているとか、東側の道路は車でうるさいとか、西側には公園があるとか、実際の敷地条件をすべて頭に入れてゾーニングをすすめていく。
 それがだいたい見当ついてきたら、徐々に四角の部屋に変換していく。図面の中の人になったつもりで歩き回り、動線や目線をチェックしながら、平面図に近づけていく。そのために玄関または道路を画面の下におくようにする。図面のルールは「北が上」なのだが、この段階では入口が下で、下から上に進んでいくようにすると「中の人」になりやすい。「中」にはキッチンに立っている人もいるし、テレビの前に寝転がっている人もいる。そうした人たちが違和感を感じないような平面や高さの位置関係を、少しずつ調整しながら詰めていく。紙上ではうまくおさまっているようでも、実際に歩いてみると落ち着かない間取りというのはよくあるもので、こんなことにならないようにするのがボクたちの仕事である。
 平面プランを作っているときに、同時にやっていることは構造を含めた立体計画だ。どこにどう柱を立て梁でつなぎ壁を配置するか。無理なく2階を乗せることができるか。屋根(つまり雨水)はどう流すか。それらによって外観はどんな感じになっていくか。これはまだ紙上には現れていないけれども、頭の中ではほぼ同時並行で進んでいる。さらにこの段階で法規のチェックも必要になる。とくに都市部では高さや床面積が法律の規定ギリギリになることが多いので、平面プランの段階である程度チェックしながら進める必要がある。
 いわゆる右脳と左脳で言うと、感覚的な右脳部分と、理屈や計算の左脳部分を同時に酷使しなくてはならないので、集中し始めると一心不乱になり時間を忘れる。音楽かけていてもいつの間にか終わっているし、プライベートな用事はしばしば霞んで消えてしまいあとで怒られる。それぐらいこの作業は設計のクライマックスであり、どれだけやっても飽きると言うことがない。

 「良い間取り」とは何か、これは愚問である。その家の条件によって千差万別、どこにでも通用する良い間取りなんてない。「面白い間取り」ならあるかもしれないし、ちょっとした小技で参考になることも多い。だから、間取り集のような本も見ることはあっても読み飛ばして終わってしまうことが多い。そんな中でも興味深いのは、古民家などの伝統的な家の間取りだ。日本の家に限らず、世界の民家の間取りは見ていて楽しい。
 気候、風土、手に入る材料、そうした条件に人の知恵が一ひねり加えられ、それが積み重なってできてきた民家。住み手自ら作り上げたり、無名の職人の相伝であったり、そこには「作品」のようなケレン味も、建売住宅のような投げやりな空気もまとっていない。それ以上でも以下でもない「家」として完結した民家はほど勉強になるものはない。ただ、今の社会に通用するかと言えばそれは別の話だ。社会のありかたが激変してしまった以上、ノスタルジーや異国情緒だけで毎日を暮らすことはできない。現代を生きる住み手にとっての民家、それが理想なのだろうと思う。
 明月社の家は、とくに民家を標榜はしていない。おこがましいからだ。見せかけだけを古民家に似せて「民家」を名乗る似せ(偽)民家で商売はしたくないし、得手勝手な解釈で「これが現代民家だ」と名乗るほど図々しくもない。
 さらに深刻な理由もある。地域社会の中で作られ維持され再生されてきた時代の民家は、商品ではなかった。木材も竹も壁土も茅葺きも、すべて地域にあるものを使い、地域の住民の協働で建築された。これを現代の商品流通と労働力市場で賄おうとする、びっくりするほど高額になる。否が応でも、ほとんどのものが商品になってしまった今日、昔日と同じことを目指してもしょせん無理があるのだ。少なくとも、圧倒的多数の住み手が暮らしている都市部では通用しない。都市部に住み、毎日会社に通っているほとんどのこの国の人々にとっての民家。まだハッキリした姿は見つけられていないが、それが現代の民家であり、明月社の家が目指しているところだ。

 と、かなり理想論に走ってしまった。ひとり一人の住み手にとっては、そんな話よりも「どんな家にするの?」という話のほうが切実なのはまちがいない。ただそれでもボクは住み手に「どんな家がほしいですか」とは訊かない。はじめにも書いたけれども、形からは入らずに、「何をするのか」から入っていく。生活パターン、大事にしている習慣、家ができたらやってみたいこと、子どもが自立したり老後になったらやってみたいこと。もちろん住み手の中には、いくら尋ねてもなかなか答えが返ってこない人もいる。「4LDKで子ども部屋は6畳で・・・」という話から一歩も進まない時もある。
 そんな時は、ある程度プランを進めながら、でもいつでも一から変更するつもりで図面をはさんでしつこく尋ねる。すると、ポロポロと毎朝の忙しい用意のこととか、趣味の話とか、話の端々に少しずつ挟まってでてくるようになる。そうやって、中に人を入れた状態でなければ、ボクはプランができない。いくら、適当にやってくれと言われても、ボクには作れないのである。もし明月社の家を建てよう、と奇特なことを思って下さる場合は、こういうマダルッコシイ話から始めなくてはならないと覚悟しておいていただきたい。

 そんなインタビューの段階の次は、いよいよプランを作っていく。先ほど書いたように、ゾーニングから始め、平面と構造と断面と法規チェックを同時に組み立てていく。この中身は、それこそ実在の住み手がいないと具体的なことは書けないのだが、それでも特徴的なことはいくつか書き留めておきたい。
 まず、住み手の家族の目線だ。部屋の形を捕らえているのは、五感のなかの視覚がほとんど。足や手で触ることよりも、まずは目線で壁や天井や窓を捕らえている。なので、例えば図面に12畳のリビングがあるとき、大事にことは12畳であることではなく「どう見えるか」である。もし10畳であっても「広いな」「いいな」と感じればそれでいいし、14畳あっても「狭いな」「いやだな」と感じるならばNGだ。それは平面図を平面図のまま見ていても分からない。簡単なのは、スケール(巻き尺)を持って、座る場所から窓まで、とか、窓の大きさ とかを目の前で実寸で見てみることだ。

7 へつづく

2017-04-07(Fri)

【森友疑獄事件】 安倍昭恵と私学審会長のただならぬ?関係

つらつら考えるに、森友事件は 森友学園を舞台にした安倍昭恵事件だったのではないか。
アッキード事件と呼ぶと、田中角栄ファンの皆様に叱られるのだが、やはり その名称が一番である。

またしても 昭恵ルートの新事実が明らかになった。



念のため、画像コピー

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奈良学園のホームページにも

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文中の要点を拾うと

2015年9月4日
あっきーこと内閣総理大臣安倍昭恵夫人が
奈良学園大学信貴山グランドを訪問
奈良学園大学の梶田叡一学長も同席

言うまでもなく、梶田叡一は大阪府私学審議会の会長である。
そして、この日は昭恵が塚本幼稚園の名誉園長になる前日であり、安倍晋三が前日に理財局長と会談、当日は国会をスッポカシて大阪に駆けつけた 疑惑の三日間と言われるあの日である。

もちろん、安倍昭恵は名誉校長になる前からたびたび塚本幼稚園を訪問し、豊中の土地にも籠池総裁と同行しており、かつ、翌日は講演する予定だったのであって、名誉校長就任前といえどもずぶずぶの関係だ。
その安倍昭恵が、8ヶ月ほど前の1月30日に大阪府私学審議会の臨時会で、きわめて不自然な「認可適当」を出した梶田会長と仲良く体操とは・・・

それにしても、この日は本当に偶然なのだろうか。

カギになるのは、重心会という法人だろう。
この重心道の本部は奈良学園と同じ奈良県三郷町にあり、重心道の陸上クラブチームの本拠地は、この奈良学園信貴山グラウンドである。
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重心会自体は学園の組織ではないにもかかわらず、ホームグラウンドにできるというのは、よほど深い関係であると考えられる。
従って、2014年4月から2017年3月まで学長だった梶田叡一と重心道は日常的なつきあいがあった ということになろう。

ところで、「安倍昭恵は重心道の顧問」だと奈良学園のHPには書いてある。
いつから顧問なのかはわからないが、少なくともこれより2年前の2013年9月には重心道のイベントに参加している。

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要するに、

安倍昭恵と梶田叡一は 重心道を介して 旧知の仲だった

ということだ。

名誉校長になって100万円渡す前日に、私学審議会の会長に会っていたというのもビックリだが、そもそも

何年も前から 安倍昭恵と私学審議会会長は仲良しだった

ということのほうが もっとビックリである

やはり、この事件は森友事件と呼ぶよりも 安倍昭恵事件 アッキード事件と呼ぶのがふさわしい。


<追記>
森友を「認可適当」とした大阪私学審会長の梶田叡一は、第1次安倍内閣の教育基本法改悪を中教審の委員として積極推進した人物だ。カトリックなのに創価学会に非常に好意的で、公明党との関係が深い。
極右じゃないよ、中道だよ という顔をしながら、じつは極右安倍を後押ししてきた。

このオッサンが、怪しげな昭恵人脈につながっているのは、ある意味何の不思議もないのかもしれない。



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なんでボクは家を設計るんだろう  明月社のいえづくり 5

4 からつづく

 十年遅れて建築を始めたなどということは、お客さんや現場の職人には関係ないことだ。だれも三十過ぎのオッサンを駆け出しのペーペーだとは思わないから、あれこれ聞かれるし判断も求められる。もちろん初めて聞く話がてんこ盛りなのだが、その場ではフンフンと分かったような顔をしておいて、帰り道で本屋に直行し調べて帰る、てなことが日常茶飯事だった。とにかく四年間で他人の十年分くらい建築を勉強したかったので、仕事が減っていくのは本当に辛く、いよいよ悩んだ挙げ句、またしても事務所を変わることにした。その頃にだいぶ薄くなった求人広告誌の中でわりと景気の良さそうなことを書いている事務所にした。リゾートホテルやらマンションやらの設計が引きも切らないらしい。なんだ、バブル崩壊とか言っても仕事があるところにはあるんだ、などと呑気に考えて働き始めた。
 生活が一変した。仕事は始業時間は決まっているが就業時間は無いに等しい。やり仕舞いと言えば聞こえは良いが、終わるまで終電が無くなろうと帰れない。平均して夜11時、週に一,二回は徹夜、みたいなタイムスケジュール。与えられた仕事はボリューム出しと言って、ある敷地にどれくらいの大きさのマンションが建つかザックリしたプランを作って面積表をつくるというもの。売りにでている土地情報にそうしたプランを添えてマンションデベロッパーに提出するのだ。その中で採算に乗りそうだなとデベロッパーが判断した物は仕事になる、という千三つの話。千三つというのは、千のプランを提出して仕事になるのが三くらいだから。
 そんなわけで数が勝負だから、普通は三日くらいで1プランを作成するのだけれど、夕方言われて翌日の昼には提出なんてこともちょくちょくあり、当然のように徹夜になる。いくらこき使ってほしいと思っていても、さすがに人間の気力と体力の限界を感じ、慣れと限界が危ういバランスをとっていたころ、変わった物のプランを作れと言われた。墓地である。墓地は自治体と宗教法人しか作ることができないのだが、客はどう見ても不動産屋である。どうするのだろうと思っていたら、京都の某寺から宗教法人ブローカーがやってきた。こんな商売もあるのだ。仏の沙汰も金次第らしい。
 さらに墓地開発は、何重どころか何十重もの法律の網をくぐり抜けなければできない。たしかその時は十三種類の法律と条令がかかっていた。その担当部局を訪ね歩いて、針の穴を探す作業を続けた。そこに現れたのは、こんどは○○社という筆文字の名刺をもったオジサマ。一見してそれと分かる風体。そのオジサマのBMWに乗せられて役所に行くと、何も言わないうちからササッと奥のほうの市民の目につかない応接間に通される。役所の担当者もやけに丁寧に対応する。だからといって無理が通るわけではなかったことは役所の名誉のために付け加えておく。
 何度か○○社のオジサマと仲良く役所を回った後、ボクは速やかにその会社に辞表を出した。これ以上続けていたら、この業界でマトモに生きていけなくなると思ったからだ。こうして過労死寸前の生活は終わりを告げた。しかし後から振り返ってみると、ここで追い込まれるようにプランを作り続けた経験は、かなり大きな財産だったと思う。その敷地に対して無理のないプランが、するするっとできるようになった。面白いプランかどうかはともかく、敷地形状や法規制などの限界と使えるプランとの兼ね合いをざっと検討つける技は、この期間に集中して身につけることができた。

 住宅を設計する建築家のことを「住宅作家」と呼ぶことがある。ボクは、そんな自称はしないことにしている。やはり住宅は使えてナンボ、住みやすくなくてはわざわざ建てる意味がないからだ。住宅作家の「作品」を見ると、たしかに美しさや新規性は目を見張るものがある。彼らに依頼する住み手も、それを期待して依頼しているのだから、それはそれでいいのだと思う。しかしボクはそういう立場をとらない。住みやすさを優先するために、デザインのリズムが崩れたり、思い切りの良さがなくなったり、凡庸になったりすることは多々ある。それは分かっているけれども、できるだけそうならないように努力はするけれども、でも結局は住みやすさを優先する。それは住み手の言うがままということではなく、ボク自身の判断としてそうする。
 逆に、「それはやめた方がいい」という時はお客さん相手でもズケズケ言う。中には気を悪くされる方もいるけれども、それがボクの役目だから言う。それは「作品」にするためではなく、住んでからのことを脳内シミュレーションするのがボクたちプロの仕事だから、プランにせよデザインにせよ言うべきことは言わせてもらう。とにかく他人に意見されるのが嫌という人は、ボクには依頼しないほうがいい。
 設計というのは、詰まるところ判断の連続だ。まったくの白紙から何かを創造する芸術とはちがい、様々な条件と方法のなかから最適解を選択する。そこには創作の要素もある。それが建築がアーキテクチャー=アート+テクノロジーと呼ばれる所以だが、こと住宅に関してはその要素は思いのほか小さい。無理にアートにされてしまって、住んでから泣いている住み手の話は枚挙にいとまがない。
 これは日本の建築家が「アート」を誤解しているせいもあるだろう。アートとはいわゆる芸術ではなく、人間の作る物 と考えた方がいい。対するテクノロジー(より広義にいえばサイエンス)は神の摂理に基づくもの ということだ。物理法則のように人間にはどうしようもない神の作った世界がサイエンスで、人間が作り出せるものがアート。アーキテクチャーという言葉の生まれたキリスト教社会の欧米ではそういうことになっているらしいのだが、言葉だけ輸入した日本ではアートを狭義の芸術だと信じ、アーキテクトの設計した家は奇を衒った芸術作品でなければならない、と思い込んでしまったようだ。
 アーキテクチャーはそのような狭い意味の芸術ではなく、神の世界と人間の世界の出会う場所だと思えば、無駄なデザインをこねくり回すこととは無関係だ。人が暮らすために神の世界(自然の摂理)をもっともうまく使わせてもらう、ここに建築の妙があるはずだ。神の摂理(自然)、人のしがらみ(社会や経済)という条件の中で、住み手にとっての最適解をコツコツと積み上げていく意外と地味な作業が、住宅を設計(つく)る建築家の仕事だったりするのである。

 だから、設計の一番の基本の基本はやはり平面プランだ。いわゆる「間取り」である。素人でもかなり良くできた間取りを考える人はいる。安価な間取り作成ソフトなんかもあり、そんなので書いた図面をもって相談に来られると、「なんだか我々の立場がないなあ」と思うこともある。しかし、少々弁解しておくとプロの仕事では平面プランと間取りは違う。

6 へつづく

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