2021-08-06(Fri)

核兵器禁止条約は政権交代したら批准できるのか

 「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文をみる度に、日本という国の情けなさを思い知らされる。 なんで、原爆を落とされた被害者が 「くりかえしません」と謝らなくちゃならないのか??
日本の侵略戦争が残虐であったことは事実であっても、原爆を落とされ一般市民が大量虐殺された事実も消えることはない。
この碑文は、スミソニアン博物館やアメリカ空軍博物館の前にこそ書かれるべきだ。

広島市のホームページにも、そういう主旨のQ&Aが掲載されている。

Q:「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文は、被害者である日本が「過ち」を犯したかのような文言となっており、改めるべきではないか。

A:原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています。
本市としては碑文の修正は全く考えておりません。(一部抜粋)


このアンサーの何が間違っているか。
「全世界の人々でなくてはならない」=「いまだ全世界の人々は誓っていない」という現実を忘れているからだ。あるいは、意図的に見ぬフリをしているからだ。
米国では今でも原爆は正義の象徴であり、他でもない被爆国の政府が核兵器禁止条約を無視黙殺して批准の議論すらしていないではないか。この現実を見ずに、仮想「世界の人々」の誓いを刻むのは、虚しい行いでしかない。

菅義偉のスピーチは、彼らの本音を奇しくも言い表している。
「核兵器のない、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」
原稿の読み飛ばしらしいけれども、「アメリカに逆らえるわけないでしょ」 という本音を思わず吐露した結果となった。

こんな連中が世界を動かし、日本の支配している以上、原爆死没者慰霊碑の碑文は、
「安らかに眠ってください。過ちはくりかえさせませぬから」でなければならない。



では、政権交代したらせめて核兵器禁止条約の批准はできるのだろうか。
条約なので衆参両院で与野党逆転が必要だが、仮にそれができたとして、批准できるのか。

野党各党はなんと言っているか。
立憲民主党の核兵器禁止条約への公式コメントの結びにはこう書いてある。

立憲民主党は、非核三原則を堅持し、今後とも先人の努力が後退することのないよう、核兵器廃絶を求める世界の人々とともに歩み、NPT体制の維持・強化等、実効的な核軍縮・核廃絶を実現すべく、全力で取り組んで参ります。


この言葉は実は、核兵器禁止条約が成立する前に書かれた立憲民主党の基本政策の文言を並べているだけ。
条約へのコメントについては、どこを見ても、批准すべきとか目指すとかは 一切書いていない。

この立憲の態度は、なんと政府の見解とまったく同じなのだ。外務省のホームページにある「核兵器禁止条約と日本政府の考え」を要約すれば下記の通り。
・条約ができて喜ばしい
・核兵器廃絶の目標は共有する
・でも条約は批准しない
・核軍縮は拡散防止(NPT)が軸だ

本日の枝野氏のコメント
「日本がいずれこれに加わっていくことに向けて、まずはオブザーバー参加を実現するよう、さらに努力をしていかなければならない」
と、まるで他人事のように言っている。自分が近い将来日本の政権を担うという自覚は皆無。「できなさそうなことは言わない」という枝野氏らしい、無気力なコメントだった。

では、立憲より右だと言われている国民民主はどうか。
本日の玉木雄一郎氏のコメントを一部抜粋すると下記の通り

本年1月22日、核兵器禁止条約が発効しました。
(略)
政府に対して、署名、批准が可能となる条件等について国会等で真摯な議論をかさねること、また、第一回締約国会合にオブザーバー参加し、核軍縮の前進のために保有国と非保有国とをつなぐ架け橋としての役割を果たすことを求めます。


枝野氏と五十歩百歩とは言え、「批准が可能となる条件等について国会等で議論」という批准に向けた主体的な姿勢があるだけ、ちょっとマシと言える。

私も本音を言えば、政権交代したから即批准できる、とは思っていない。
小沢一郎氏が2009年2月に「軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ」 と不用意に発言したことが、その後の陸山会弾圧から民主党政権の惨めな瓦解へとつながっていったことを思い起こせば、属国日本の屈辱的な現実を見ないフリをすることは、確かにできない。
何の交渉もなしに、いきなり「核兵器禁止条約を批准します」と言ったら、政権交代したばかりの脆弱な政権など吹き飛ばされるだろう。
その意味では、玉木氏の「批准できる条件を議論すべし」というのは、実践的な話だと思う。
「できなさそうなことは言わない」よりは、ずっといい。

共産、社民、れいわ はちゃんと調べてないけれども、さすがに批准すべし、だろう。
ただし、この条約を批准することは、場合によったら日米安保の破棄に匹敵するくらいオオゴトだ、という自覚はもって口にするべきだ。
万年野党の習性で、「正しいことを言うだけ」で終わらせてしまってはいけない。

核兵器禁止条約
仮に日本が困難を乗り越えて批准したとしても、肝心の核保有国は絶対に加盟しないと言う意味では、どれほどの実効力があるのか疑問ではある。
しかし、核保有が「罪」である、ということを世界中の人に突きつけるという効力があることはたしかだ。
そのためには、被爆国日本の加盟は特別な意味を持つし、絶対に必要だと言える。

■お知らせ

来場参加は満席です。WEB参加をお願いします。

大石あきこ総決起集会
日 時:2021年8月7日 17:00~19:00
場 所:アットビジネスセンター新大阪905号室
参加費:WEB参加 3000円
ゲスト:れいわ新選組代表 山本太郎


秋までに必ずある衆議院選挙は、ひとびとが政治を取り戻す巨大な政治決戦です。
もう一回りの支援の拡大と、選挙本番の体制づくりのため、決起集会を行います。
参加費をいただくのは恐縮ですが、勝ち抜くための資金として、ご協力をお願いします。
当日は、れいわ新選組代表・山本太郎と大石あきこが、衆議院選挙マニフェストを説明し、みなさまのご意見を伺います。

主 催:れいわ新選組衆議院大阪府第5区総支部
(政治資金規正法第8条の2に基づく政治資金パーティです)

申込方法 → こちらをクリック
 大石あきこのHPにリンクします。カード払いのみです。

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2021-07-30(Fri)

五輪とコロナで延命を謀(はか)る菅政権 8月解散の可能性も

 まず有権者のみなさまにお伝えしたいのは、菅政権のコロナ対策があまりにもアホなのは、彼らがアホだからではないということです。
つまり、意図的に、わざと、狙いすましてアホな対策をやっている。

コロナ激発させて、政治活動も抗議活動も言論も直接行動も、すべてコロナを口実に封殺し、国民の目と耳にはこれでもかというほど五輪をつっこんで塞ぎ、麻痺したところで解散総選挙。
何が何だか分からないうちに、与党が辛勝する、という作戦。

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これは、NHKのホームページにあるグラフを並べたもの。感染者が急増しているのに、PCR検査はむしろ減っている。
感染者数を低くするために、検査を抑制しているとしか思えない。実際の感染者数は、もっとずっと多いはずだ。

コロナ流行の当初から、徹底検査ー完全隔離(補償)しかない、と多くの人が言い続けてきたのに、安倍も菅もPCR大嫌い専門家を雇い続けて、意図的にコロナを長引かせてきた。
オリンピック開催を決めるための5月だけは検査も増やしてある程度押さえ込みをしましたが、始まってしまえばこっちのもの とばかりに7月は検査を減らし、インド株の威力とあいまって、コロナパニックを作り出そうとしている。

不気味に感染者数だけが報じられ、でも耳目に飛び込んでくるのは「金メダル~~!」「感動の~~~」「日本スゴイ~~~」という話ばかり。
不安にさいなまれ、生活苦はジワジワと深刻化し、でも目に入るのは日の丸担いで走り回る選手の姿ばかり。

8月8日の五輪閉会式のころには、一気に検査も増やして本当の感染者数を発表し、数万から十数万の数字で大パニックを起こし、パラリンピックは中止になる可能性が高い。
この異様な 感動と恐怖が入り混じったパニックの中で、菅政権が出してくるのはおそらく
「強制力をもった緊急事態宣言」
という禁じ手だろう。
そして、その是非を問うと言って、臨時国会を召集し冒頭で解散、あるいは史上初の閉会中解散をする。

野党は早くても9月解散だと思ってるから、候補者の一本化を含めて対応が間に合わない。
しかも、コロナパニックで政治活動は極端に抑制されており、無風ならば現職が圧倒的に強い。

米大統領選のときのバイデン陣営がやったように、選挙期間中に選挙運動をすることを非難し、すべてコロナ対策を口実にして口を封じる。
枝野を筆頭に、ヘタレ立憲民主の幹部連中はまず抵抗できない。


そんな恐ろしいシナリオが、現実とならないことを祈りたいが、ならないという保証はない。

そうである以上、「ヘタレないやつ」を推すしかない。
最終的な共闘、一本化は絶対に必要だが、安易に現職だとか大きな政党だとかいう理由で統一候補を決めてしまうと、コロナパニック解散をされたときに、まったく闘えなくなる可能性がある。
だから「どんな状況になってもヘタレにはならない。筋を通してやりぬく人間を、統一候補にせよ!」という声を上げることが、真に共闘を願うもののするべきことだ。

ということで、下記のイベントを、皆さんにお知らせしたい。
会場は席数を絞っているので、できるだけWEB参加をお願いします。

大石あきこ総決起集会
日 時:2021年8月7日 17:00~19:00
場 所:アットビジネスセンター新大阪905号室
参加費:現地参加 5000円 WEB参加 3000円
ゲスト:れいわ新選組代表 山本太郎


秋までに必ずある衆議院選挙は、ひとびとが政治を取り戻す巨大な政治決戦です。
もう一回りの支援の拡大と、選挙本番の体制づくりのため、決起集会を行います。
参加費をいただくのは恐縮ですが、勝ち抜くための資金として、ご協力をお願いします。
当日は、れいわ新選組代表・山本太郎と大石あきこが、衆議院選挙マニフェストを説明し、みなさまのご意見を伺います。

主 催:れいわ新選組衆議院大阪府第5区総支部
(政治資金規正法第8条の2に基づく政治資金パーティです)

申込方法 → こちらをクリック
 大石あきこのHPにリンクします。カード払いも可です。

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2021-07-28(Wed)

「戦わない日本」は正しかったのか?

タイトルに反戦を掲げるブログが、いったい何を言ってるのか?と思われるかもしれない。
ついにあいつは極右になってしまったのか、とリベラル諸氏に唾棄されるかもしれないが、やはり言わずにいられない。

「戦わない日本」は正しかったのか?

オリンピック一色のマスコミは、閉幕と同時に今年もアリバイのように戦争関連の番組を流すのだろう。そして、8月限定の「非戦の誓い」を誰もが口にする。
それで1年分の免罪符を手に入れて、残りの11ヶ月を安穏と過ごす。

日本の侵略戦争が極悪であり、二度と繰り返してはいけない ということには、何の異論も無い。
日本が受けた原爆や空爆という無差別殺戮も、決して許してはいけない。
その反省が、日本国憲法に込められているというのも、ウソではないと思う。

しかしそこには、重大な誤魔化しがあるのだ。
戦わない日本は、戦えない日本になった。
戦わない日本は、戦争の責任をとらない日本になった。
戦わない日本は、戦争と戦わない日本になった。
この事実から、誰もが目をそらし、知らないふりをしている。

それとこれとは別問題だろう と言う方にはお聞きしたい。
憲法に1条と9条が共存しているわけを。
護憲派の皆さんは「1条はちょっとモゴモゴ」と口を濁しながら、「9条最高!」と声を上げるが、そのモゴモゴは何なのか、はっきりさせてもらいたい。

1条と9条が共存している憲法など、学生時代に障がい者の同級生を虐待し、それを面白おかしくメディアで語っていた外道が、「ボクちゃん反省したので平和の祭典やっちゃいます、テヘ!」と言ってるようなもんだ。
これまで護憲派の皆さんに忖度してあまり口にしなかったけれども、私は日本国憲法を見ると胸くそが悪くなる。

日本を平穏に武装解除したいマッカーサーと、天皇制を護持したい幣原喜重郎のあうんの呼吸でできたのが日本国憲法だということについては、細部はともかく大枠はほぼ定説になっている。

もちろん、その背景に侵略された国の怒りはもちろん、多くの日本人の反省もあったことは確かだ。
しかし一方で、マッカーサーをして
「天皇を起訴すれば、間違いなく日本人の間に激しい動揺を起こすであろうし、その反響は計り知れないものがある。まず占領軍を大幅に増大することが絶対に必要となってくる。それは最小限10万の軍隊が必要となろうし、その軍隊を無期限に駐屯させなければならないような事態も十分ありうる」(上記記事より引用)
と言わしめるほどの、国体護持=戦争の反省などしていない世論があったということだ。

つまり日本国憲法は、戦争をしない非戦の誓いだけから生まれたのではなく、戦争を反省しない非省の意思も込められているのである。
そのことから目を背け、「憲法バンザイ 大好き!」と言っている時点で、すでに戦争との戦いを放棄しているのだ。

自らの手で、自らの戦争犯罪を裁くことが出来ず、憲法をその身代わりにした日本は、戦争と戦うことを放棄したばかりか、主権そのものを放棄してしまった。
数人のA級戦犯に責任をおしつけ、昭和天皇を筆頭に膨大な戦争犯罪、戦争責任を不問にしてもらうことと引き替えに、自らのことを自ら決める主権を放棄したのだ。
その象徴が在日米軍である。
敗戦直後にマッカーサーが「天皇を起訴すれば10万の軍隊を無期限に駐屯」することになると言っていたが、何のことはない天皇が存続し76年経った今でも、4万の軍隊が事実上無制限の権限をもって無期限に駐留している。そして、そのことにごく少数の人以外は違和感すら感じていない。

安倍晋三が悪行の限りを尽くしても、菅義偉がいかに無能無策を続けても、利権にまみれたオリンピックのためにコロナ激増で医療崩壊を招いても、温和しくお行儀良く言うことを聞く「戦わない日本」の姿は、戦争犯罪を自ら裁くことをせず、その代わりに憲法というまやかしをもらって喜んできたことの帰結だ。
原発が目の前で爆発しても、ほんの数ヶ月で忘れてしまう「戦わない日本」は、原爆を落とされた被害者が「過ちは繰り返しませぬ」と言ってしまう日本の延長線にある。

NETFLIXで、映画とドラマをみた。
映画は「タクシー運転手」。ドラマは「ミスター・サンシャイン」。
いずれも韓国の制作で、前者は1980年の光州事件(蜂起)を、後者は19世紀末から20世紀初頭の抗日義兵がテーマとなっている。

とくに後者についてはネトウヨが反日だと言って叩きまくっているが、抗日義兵の話なのだから反日なのは当たり前だ。バカじゃないか、と思いつつ、没入度200%で見入ってしまった。
光州蜂起については、2007年に作られた「光州5.18」のほうがよりリアルに伝わってきたように記憶するけれども、この作品も普通のオッチャンの目を通して描くことで、心に響く映画になっている。

そもそも朝鮮半島は大国の中国に常に圧迫されながら、なんとか独立を保ってきた歴史がある。中国依存派と独立派の対立は、歴史物語のメインテーマと言ってもいいのかもしれない。
19世紀末、そこに割って入ったのが日本だ。1880年代から干渉を強め、1894年の日清戦争から日本は李氏朝鮮(大韓帝国)を事実上の支配下に置き、王妃を暗殺し、朝鮮軍を解体し、ついに1910年には国をまるごと潰して併合してしまう。いわゆる日韓併合である。

この日本の傍若無人の行いに対して、朝鮮各地で義兵が決起する。あるときは散発的に、あるときは大挙して戦い、いずれも勝利はしなかったけれども、その歴史は世代を超えて受け継がれていく。
1919年の三・一運動から戦時中の抗日独立運動、1960年の四月革命、1980年光州蜂起、1987年民主化闘争と続き、やっと植民地と軍事独裁からの解放を勝ち取った。
義兵の戦いや三・一運動は日本軍に鎮圧され、独立運動は李承晩と金日成という独裁を生み出し、四月革命は朴正煕のクーデターに倒れ、光州蜂起は全斗煥のクーデターで新たな独裁に終わってしまった。それでも諦めずに戦いを受け継いだ結果だ。

今の韓国の政体がすばらしいということではなく、日本人が戦争責任をとらず、主権を放棄したかわりに棚ぼたで手にした形ばかりの「民主主義」を獲得するために、韓国ではこれだけの戦いを経てきたということを言いたいのだ。
そして、どちらかと言えばこれが世界史の「普通」なのである。

憲法1条と同じように、護憲派やリベラル諸氏が口を濁すのが「独立」だ。
「対米従属はアカン」とか「日米安保粉砕」とかは言うのに、なぜか「日本独立」になると、それはモゴモゴといたって歯切れが悪い。

独立について書き始めると長いので、今日は簡潔に書くけれども、要するに「日本独立」は極右のスローガンだと思っているのだろう。
しかし、実質植民地にされていることは、政治に関わっている人たちは、とくに安保粉砕などと口にする人は、皆よ~く知っている。だったら、独立闘争しかないではないか。
植民地に内実のある民主主義など成立しっこない。独立して、自分たちのことは自分たちで決める、と国民が腹をくくってはじめて、民主主義は機能する。
なんとなく極右に間違われるから なんていう情けない理由で、本質から目をそらせてはいけない。

私が、自由党を支援したのも、いろいろ言いながらもれいわ新選組の近くでウロウロしているのも、一番大きな理由はじつはここにある。
小沢一郎さんの言うところの「自立と共生」は、私の解釈では「独立と民主主義」だ。
「戦わない日本」を手に入れるために、主権を放棄して戦争とも「戦わない日本」になってしまった戦後日本の姿を、ラディカルに揺さぶり目を覚ます可能性が、まだきっとあると信じたい。

2021-07-12(Mon)

植民地日本とMMT

 わかったようでわからないMMT。現代貨幣理論。 ぶっとい本を読むのは骨が折れるし、かといってチョコチョコッと演説やら聞いても、なんだか頭が整理されない。
 そんな梅雨空の脳にちょうど良い記事を見付けた。

MMTが日本に「公益民主主義」をもたらす理由
「租税国家論」に代わる「新たな物語」が必要だ 
島倉原 東洋経済 2019/10/17


20210712-1.jpg 筆者はあのぶっとい本の監訳者で、簡潔にMMTについてまとめている。
見出しを並べると、

MMTとは何か
MMTはどのような貨幣観を持っているのか
租税が貨幣を動かす
主権通貨国の政府に財政破綻のリスクはない
税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない
必要なのは「公益民主主義の物語」か
必要なのは「正しい貨幣観」に基づく発想の転換

チョコチョコと聞きかじってきたことを、ざっとまとめてもらった感じ。
それと、MMTと反MMTの議論にありがちな、感情的な部分がほとんどなく、とても読みやすかった。

経済や政策を語るときに、論理の部分と理念の部分をあるていど分けて話さないと、その論理はどんだけバイアスかかってるんだろうという色眼鏡で見てしまうことになる。
MMTと反MMTの議論はまさにこれで、どっちも自説の主張よりも敵を否定することの方に熱が入りすぎていて、しかも、「まともに相手にするのもバカらしい」みたいな小馬鹿にした空気が、これもどっちからも発散していて、ほんとに辟易することが多い。

さらにMMTの議論には、作り出した貨幣をどう使うか、でMMT派の中でもものすごく枝が分かれている。
ほとんどファシストみたいなのから山本太郎まで、とてもひとつのMMT派ではくくれない。

だから、MMTのことを知ろうと思ったら、それに同意するにせよしないにせよ、まずはドライに理論として見るべきだと思う。
そういう目で見ると、「税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない」までは、すっと頭に入ってくるし納得もできる。
しかし、最後の2節は、経済理論ではないので、なんだかしっくりこない。

私益最大化の論理に代わる「公益」が必要である。我々は、政府が果たす積極的な役割、および政府による我々の役に立つような貨幣の利用に、焦点を当てなければならない。
と言うのだけれども、公益第一なんてことが、経済理論で実現するわけもなく、なんの根拠もない願望にしか見えない。

MMTの貨幣観に基づいて、民主主義に基づく政府や通貨制度が公益のために果たしうる積極的な役割を認め、それらへのいわば信任投票として税金を理解する
要するに、「公益にもとると判断したら、民主的に政権を交代させて、前政権の決めた税金は払わない」 という意味で、信任投票と言っているだろうか。
しかし、「増税の目的は通貨に対する需要を増やすこと」なのだとも書いてあり、公益性への信任投票とは違うのではないか?

なんだか、最後の2節は、とってつけたようで、どうしても違和感があるし、理解もできない。



つまり、現実の経済を見ると、実はMMTの理論のようになっているじゃないか。主流派経済学のほうが幻影だよ。という部分は、理解できるのだが、ではそのMMTを現実の財政や金融政策に落とし込もうとすると、なんだかウニャウニャしてしまうのだ。

一番のウニャウニャは、何と言っても、インフレになったらお金を刷るのを止める、行きすぎたら増税して冷やす。と言う部分だろう。
だれが、どうやってそれを判断し、的確に梶をきるのだろう?
もし今の政権がMMTの考えで走り始めたら、菅義偉や麻生太郎がその役割を担うのだ。   大丈夫か????

仮に政権交代してとしても、枝野幸男やら立憲幹部の連中に、本当にできるのか???

なんでこれほどに心配するかと言えば、日本の民主主義なんて幻に過ぎないからだ。
一応選挙はあるけれども、地盤とカネとマスコミが圧倒的な力を持っている今の選挙制度で、民意が反映されることはほとんどない。
原発にしても税金にしても、世論と選挙結果が真逆な現実は、ずっと目にしてきたではないか。

20210712-2.jpg しかも、大きな決断は、決して日本だけの判断ではすることができない。1952年以降も、実質的にアメリカの植民地として徹底的に飼い慣らされてきた政界と官界は、ご主人様のご同意を得なければ、主要な政策判断はできない。
不用意に独断すれば、古くは田中角栄から、近くは小沢一郎まで、数多の政治家が徹底的に潰されてきたことも、私たちは知っている。

一国の財政や金融政策は、他国に多大な影響を及ぼす。
「インフレになったから国債をストップして増税しよう」と思った時に、米国から「アカンアカン、国際協調やで。あと半年は金融緩和と積極財政続けなはれ」と言われたら、誰が断れるだろう。
もっとうがって考えれば、積極的に円を暴落させるために、ハゲタカマネーが仕掛けてくることだってあり得る。そういう攻撃に遭ったときに、自立的に防衛する力と根性が、この国の政界官界にあるだろうか?

MMTが現実の政策に落とし込もうとすると、どうしてもウニャウニャしてしまうのは、信頼できる民主主義とセットじゃないと、制御不能になるリスクがあるからだ。と私は思っている。
民主主義というのは、ひとつは、植民地状態を脱して、この国の主権者の意思で動く国という意味と、もう一つは、その主権者の意思が的確に選挙結果に表れる選挙制度という意味の 二つの意味がある。

どちらも夢でしかない今の日本で、本当にMMTやって大丈夫なのか??
この疑問や不安は、もっともだ。私も同感。

MMTを主張するためには、MMTで日本経済を、日本の国民生活を救うためには、それとセットで最低限の民主主義を実現すること。対米従属に染まりきった政界と官界を一掃し、地盤とカネがなくても国会議員になることができる制度を作ることが必須条件だ。



ただし、MMT全般を適用するのは危険だとしても、それは積極財政を否定するものではない。

日本1人負けの長期不況のあげくコロナ恐慌に陥っている今、減税と直接給付を軸にして、庶民の生活需要から経済を復活させていくことは、まったく正しいと思っている。
MMTという大長刀と、当面の政策を同一視するのは間違いで、いくらMMTが嫌いでも、当面の積極財政に反対する理由にはならない。
仮に政権交代できずに当面は自公政権が続いたとしても、やらないよりは少しでもやったほうがいい。

むしろ心配なのは、政権交代したあげくに立憲・枝野が緊縮財政に吸い寄せられていくことだ。
彼らは本気で財政破綻にビビっている。というか、財政破綻の脅しにビビっている。もっと正確に言うと、財政破綻の責任を問われるという幻影に怯えている。
だから、ようやく公約に「消費税5%への時限的減税を”目指す”」とか何とか書くらしいが、イザとなったら財務省に恫喝されて「いやあ、目指してただけなんで、へへへ」と言って引っ込めそうな気がしてならない。

一度ならずも二度までも、というか、一度あることは二度ある というか、とにかく、10年前と同じことをやらかした日には、もう今度こそ日本の野党は壊滅する。
自公と維新と都民ファみたいなのだけで、この国の政策は決められていく・・・・・・
日本中が大阪化する。。。。。 恐ろしい。。。。。。。。。。。。。。。。

枝野のビビり(本人はリアリストと言ってるが)が、日本国民に引導を渡すことになるかもしれない。20210712-3
これが、私の今の一番の心配である。
「枝野 降りろ」の国民運動が必要なのじゃないか と真剣に思っている。

さすがに枝野打倒!とまでは言わないが、「お疲れさま、もう代表辞めて隠居して下さい」 と言いたい。

枝野幸男という漬け物石が取り除かれれば、立憲の中の風通しは一気に良くなって、小粒かも知れないが人材を活かすことができるだろう。
また、そうなれば山本太郎も突っ張り続ける意味がなくなり、話し合いによる共闘路線を取ることができる。(しなければならない)

どんなに遅くても、あと3ヶ月以内に衆議院の解散総選挙がある。
チキンレースも必要かもしれないが、もはや向き合うべきは国民だ。
顔の向きを変えなくてはならない。

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2021-06-18(Fri)

「指示が通らない」という言葉

ある認知症グループホームのケアマネージャーから話を聞く機会があった。
だれもが耳にしたことのある大手が経営する施設である。

そのベテランのケアマネは、認知症患者の状態を説明するのに、「指示が通らない」と言うのである。

おそらく、業界用語で何の気なしに普通に使っているのだろう。
しかし、聞いているこちらは背筋がヒヤッとする思いだ。
ボタンを押したり、プログラムを走らせたりするのと、同じ扱いなんだなあ と。

言ったたことが理解できていない様子 とか お願いしたことが伝わらない ならわかる。
「通る」というのは、電線の上の話だろう。
しかも、「指示」、コマンドなんだ。。。

なるほど、認知症グループホームというのは、特養を増やかわりに、予算をけちって作った制度だから、現場が大変なのはわかる。
この国の福祉の貧しさが、現場にしわ寄せされているのは、容易に想像はできる。
福祉に金をドカンと使って、介護職の給料を5割くらいアップさせれば、現場の介護職はもっと時間も心も余裕をもつことができるだろう。
本当に悪いのは、それをやらない、この国のドケチ政治だ。

しかしそれでも、「指示が通らない」という目で見られている認知症の老人が、どんな扱いを受けているのか、どうにも心配でならない。


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2021-06-09(Wed)

コロナ禍で新自由主義は終焉などしない。むしろ変異し増殖している。コロナのように。

コロナ感染が始まったかなり早い段階から、一部のリベラルが「コロナ禍で新自由主義は終焉する」とか「グローバリズムは終わる」みたいなことを言っていた。
これは最近の記事だが、例えば立憲民主党のSDGsワーキングチーム座長なる議員は、こんなことを言っている。

「菅政権が『最後の新自由主義政権』になる」
オルタナ 2021年6月9日


「日本でも新自由主義はすでにリーマンショック後に終わったと認識していますが、なかなか議論されませんでした。安倍政権が大学教育の無償化など、リベラルな政策をとっていたこともあります。その後、新型コロナ禍で感染者が増え、所得格差が拡大したことで新自由主義が終わったことが可視化されたのです」
(引用以上)

中途半端なリベラルにありがちな、「敵なんていない」世界観である。
「この世に不正や間違いはあるけれども、敵なんていない」という世界観、価値観をもっているから、このようなお花畑な発言が出てくる。
「富と権力を独占し、有効に行使するために、常に作戦を考えている敵」がいると思えば、リーマンショックで新自由主義が終わったなどと、言えるはずがない。

これまでも何回も書いてきたけれども、新自由主義というのは、単に経済に政治や国家が口を出さず、市場原理に任せっきりにする ということではない。
本当の新自由主義は、「超巨大金融資本が、いかにその資本を増殖させるか」ということに尽きる。
その目的のために、これまでは市場原理主義を取ってきたに過ぎない。
情勢が変われば、同じ目的のために違う手段をとることは言うまでもない。
そして、それもまた、変異し、より感染力を増した新自由主義なのだ。

実際、リーマンショック後に起きたことはなんだったか。
あれほど市場原理主義をふりまわし、国は手を出すなと言っていたにもかかわらず、いざ自分たちが危機に見舞われた途端、「巨額の公的資金(税金)で自分たちを救済しろ」と言い、オバマたちは数百兆円に相当する税金を投じて巨大金融資本を救済した。

これをもって、新自由主義の終焉などと言うのは、ちゃんちゃらおかしい。
こうした、恥も外聞も無く、どのような手段を使っても、自らの増殖をやめない巨大金融資本の姿が、これほどはっきりと見えたときはない。
「これぞ新自由主義だ」というおぞましい場面を目の当たりにして、「やったー終焉だ」と喜ぶ人の気が知れない。
従来型のコロナが変異種にとって変わられたことを見て、「やったーコロナは終わった」と喜ぶようなものだ。



たしかに、リーマンショックを契機に、新自由主義は変異を始めていた。
市場原理主義から、国家資本主義的な姿に変貌しつつあった。
ただし、主体は国家ではなく資本のほうである。
巨大資本に完全に乗っ取られた国家。
国家権力を全面的に利用して、資本の増殖を加速していこうとする形態。

オバマのアメリカは典型であり、それに対する反発としてトランプの誕生という番狂わせが勃発したが、そのトランプ政権は新自由主義とリベラル左派の連合に敗れた。
EUの各国もその対応を迫られ、イギリスでは国民投票でブレグジットを選択し、新自由主義へ一矢報いた。
(トランプやブレグジットの評価はともかく、新自由主義に対する反発が大きな原動力であったことは間違いない)

日本に対しても、竹中・小泉の旧来型新自由主義がリーマンショックでつまづいた後、新自由主義は国家私物化の波状攻撃をかけてきた。
しかし、思ったほど唯々諾々とはいかなかった。
リーマンショック当時の首相である麻生太郎は、二階と並んで日本国内資本、ドメスティックな利権を代表している。国民のことなどまったく眼中にないが、国内資本が全面的に国際資本に乗っ取られることに対しては、そう簡単にウンとは言わなかったとみられる。
郵政民営化に対しても、麻生太郎は揺れ戻しの発言をして、竹中路線の修正を図っていた。

そんな麻生を切り捨てて、新自由主義陣営は、政権交代という賭けに出た。
2009年に入って、マスコミが急に民主党に好意的になったのは、裏にこうした事情があったのだろうと、私は推測している。
麻生や二階のような、こってこての利権屋よりも、いわば「シガラミのない」民主党のほうが操りやすいはずだ。
新自由主義とリベラルの連合政権という意味では、今のバイデン政権に近いということだ。
問題は小沢一郎だけだから、小沢を排除せよと陸山会弾圧の猛攻撃をかけてきた。

しかし、小沢一郎は屈服せず、案に反して小沢・鳩山政権ができてしまった。
このとき、小沢一郎をもっとも激しく攻撃し、排除し、無力化したのは、他でもない、枝野幸夫、管直人、野田佳彦ら民主党の執行部だった。
彼らは、すでにして新自由主義陣営にからめとられていたことの証左である。
もちろん、今だってそうだ。
彼らが緊縮財政から一歩も抜け出せないのは、大金持ちに有利な、つまり金の価値が上がり続けるデフレを厳命されているからに他ならない。
積極財政、インフレ策をとれば、自分たちも小沢一郎と同じように大弾圧を食らって吹き飛ばされるとわかっているのだ。

小沢を無力化された鳩山内閣はわずか半年余りで脆くも政権を投げ出し、新自由主義に忠誠を誓った管直人に首をすげ替えることができた。
と、そこでまた予想外の事件が起きた。
2011.3.11、東日本大震災である。

そのほとんどの責任は自民党長期政権にあったにもかかわらず、たまたま巡り合わせで政権にあったという意味では、不運ではあったが、それにしても管直人や野田佳彦は、震災と原発事故の責任をまともにとることができず、あろうことか原発の再稼働を強行し、国民の信用を完全に失ってしまった。
管直人も野田佳彦も、オバマの従僕のように何でも言うことをきく「都合のいい首相」だったけれども、もともと国内利権派とは敵対していたところに、リベラルからも敵視され、一般国民の支持も離れた民主党政権は、「やっぱ使い物にならんわ」と引導を渡された。

そこで、「新自由主義の言うことを聞きながら、国内利権派をも押さえ込める人間」が求められた。
白羽の矢は、かつて政権を投げ出した安倍晋三に突き刺さった。

第1次の時も、まったく同じ構図の中で政権を手にした安倍晋三だったが、あのときはリーマンショック前で新自由主義は妥協の余地無く国内利権を排撃しようとした。
その軋轢の中で、おそらくは3億円脱税疑惑をどちらかの陣営からちらつかされ、進退窮まって泣きながら逃亡した。

しかし今回は、新自由主義は変異している。
あまりに根強い国内利権派を、少々時間をかけてでもねじ伏せて、国際金融資本の好きなように政策を決められる日本を作る、という戦略目標をたてて、長い目で安倍晋三を立てた。
安倍も、それを自覚して、うまく両方の顔を立てながら、綱渡りを続けていった。

人事でも麻生や二階などの国内利権派と、甘利や菅義偉などの新自由主義派を共存させ、政策的にも積極財政とデフレを共存させた。
もとより、国民のことなど初めから考えていないので、こうした無理な共存政策は、一部の大金持ちだけを極端に優遇する政策となり、国民生活は悪化を続けた。
そのトドメとなるはずだったのが、2019年末の消費税増税だったのだが、そのダメージすら見えなくなってしまう大混乱が生じた。
コロナである。

2020年のGDPは、なんとマイナス5%。
リーマンショック級のマイナスだが、マネーが止まっただけではなくて実質の経済活動が毀損しているので、影響ははるかに深刻だ。
逆に、巨大金融資本はほとんど傷ついていない。
この状況で、行き場を失ったマネーは何を考えるだろうか。
ド定番は、大きく価値を毀損した(つまりバーゲンセールの)優良資産を買い漁る。

コロナで不振になった優良企業、優良不動産、貴重な技術、優秀な人材 などなど。
そのためには、コロナ恐慌を劇的に深刻化させる必要がある。
休業補償をしない、感染対策はいい加減に、財政支出も緊縮、消費税減税は問題外。

一方で、そうした強引な買い漁りをやりやすくするためにも、国の強制権を強くする必要がある。
改憲して非常事態条項を作るのは時間がかかるから、コロナの恐怖を煽って特措法的な対応でやってしまえ。

安倍晋三は、その意味でも中途半端だった。
企業への持続化給付金や一人10万円の給付は行った一方で、改憲を声高に叫んでみたりした。
千載一遇のチャンスに沸き立つ新自由主義からすれば、イライラすることだったろう。
で、サクラを見る会である。
マスコミが自主的に、安倍晋三をあそこまで追い込むとは考えられない。
また、森友や加計で平然としていた安倍晋三が、サクラ程度で退陣したのは、新自由主義サイドから引導を渡されたのだろう。



そんなこんなで、新自由主義はまったく終焉していないどころか、繰り返し波状攻撃をかけてきている。
それに対して、リベラルはむしろ協調的に対応し、ズブズブの国内利権派がしぶとく対立しているというのが、これまでの構図だ。

20210609-1.jpg菅政権も、まさにそうした過程で生まれたといえる。
竹中平蔵と師弟の絆で結ばれ、新自由主義の思想が強い菅義偉を、二階と麻生が真っ先に担いでしまったのだから、これはかなり離れ業だった。
菅義偉もまた、新自由主義=巨大国際金融資本と、国内利権との板挟みになる運命を負わされたのである。

しかし、菅のやりかたを見ていると、あきらかに新自由主義のほうに寄っているようだ。
権力基盤である二階や麻生には逆らえないものの、二階と麻生の乖離を図ったり、得意の首相官邸のゲシュタポ(内閣調査室)を駆使して、思い通りにやれる方向に進もうともがいている。

安倍時代よりも、補償や給付金は出さないし、補正予算も組まない。
一方で、オリンピックにだけ極端に力を入れ、感染対策はいい加減の極み。
菅の狙いは、ワクチンが行き渡る前の秋に感染爆発させて国内にショック状態を作り、一種の戒厳令の中で総選挙を行って辛勝し、中小企業はバタバタと倒産させ、私有財産や個人の自由を一方的に制限できるように特措法を成立させる。

オリンピックを強行すれば、パラリンピックの最中に感染拡大が明らかになるだろうから、パラ閉会後の9月6日に緊急事態宣言と衆議院解散を同時に宣言するのではないか。

「8月東京で再宣言の恐れ」 ワクチン接種進んでも、と専門家
共同通信社 2021/06/09


緊急事態宣言下で、地盤看板の弱い野党の選挙活動を制限し、固定票で辛勝するというシナリオではないか。
JCなどに「選挙運動自粛警察」を組織させ、野党の活動を妨害する、などということもやりかねない。

このように、コロナを利用し、一国の首相を使嗾して(パシリにして)、自らの資本の増殖を図るのが、「新」新自由主義だ。
ゆめ侮るなかれ。

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2021-06-01(Tue)

SDGs の本質は「百姓は生かさぬよう殺さぬよう」

新型コロナを契機として、新自由主義が変貌している。

グレートリセットとか、SDGsとか、ステークホルダー資本主義」とか、変なことを言い出している。
それどころか、「新自由主義の終焉」なんて自ら言ったりしている。
どうなってるんだろう。

ポストコロナ時代に、新自由主義から脱却するべき理由
2020年10月25日 Klaus Schwab 世界経済フォーラム


日本の経団連も、この路線にそのまま乗っかってる。
下の標題の頭についてる「。」は、新自由主義の終わりを意味しているらしい。

。新成長戦略
2020年11月17日 日本経済団体連合会


新自由主義の走狗である竹中平蔵も、ベーシックインカムだとか、一見らしからぬことを抜かしている。

しかし欺されてはいけない。
そもそも新自由主義というのは、企業活動に国家が介入しない、経済活動の自由放任主義で、極端な小さな政府を求めることだ、と理解されていることが多いけれども、ちょっとこれは違うと思っている。
これらの特徴は、あくまで「手段」のひとつであって、新自由主義の目的ではない。

新の付かない自由主義経済は、ザックリ普通の資本主義と考えていい。
では、何が「新」なのかというと、実はぜんぜん自由じゃないということだ。
超巨大資本、スーパー大金持ちにだけ有利なような土俵を作っておいて、その上でだけ「自由放任」にさせるのが「新」自由主義なのである。

だから、リーマンショックのようにその土俵が崩れかけると、これまで「小さな政府」とか言っていたその口で、「税金での救済」を命じる。国民生活の救済にはまったく目を向けない政府も、彼らに命じられると湯水のように公金投入する。
これが新自由主義の本当の姿である。

繰り返すが、新自由主義とは、超巨大資本が圧倒的に有利な土俵を、国や国の連合が言いなりになって作り、維持することである。

そこでは、並の資本家は、むしろ搾取される側となり、資本主義のシステムごと、丸ごと搾り取られ貧しくなっていく。
まさに、今の日本はこれだ。
日本国内でも、ホンのひとにぎりのスーパー大金持ちはどんどん儲かっているが、並の金持ちは徐々にすり減らしている。

日本が世界的に見ればまだまだ金持ち国だ、という幻想はもう捨てたほうがいい。
ウッドショックがいい例だ。
建築用の木材が、日本のような貧乏な国には入ってこなくなってしまったため、住宅建築に急ブレーキがかかっている。
単純な話で、アメリカや中国が高く買ってくれるのに、わざわざ日本みたいな安値の国に売る必要がなくなったのだ。



資本主義的な開発の余地が大きなフロンティアが残されている時代は、普通の資本主義が帝国主義国家とタッグを組んでどんどん膨張していくことができた。
しかし、世界中が概ね開発され尽くしてしまうと、資本主義は拡張発展ではなく、すでにあるパイの奪い合いになった。
そこで生まれたのが新自由主義だ。

資本主義は、拡大と再生産が前提だ。そうでないと、ガソリンの切れたエンジンよろしく、命脈が尽きてしまう。
しかし「新」自由主義は、再生産などお構いなし。すでにある財産を、いかに吸い上げるかだけだ。
すでにして巨大にふくれあがった地球上の資産を、ひとにぎりの超巨大資本にどんどん糾合していく過程こそが、新自由主義と言っていい。

そのためには、手段は選ばない。
戦争や恐慌は言うに及ばず、おそらくは疫病でさえ。

しかし、そんな新自由主義の行く末は、地球全体の貧困化であり、さすがの新自由主義も吸い上げる池の水が枯渇してくる。
また、世界の人々は日本人ほど奴隷化されていない人々も多い。反乱が相次いでいけば、これまでのようなやりたい放題はできなくなるかもしれない。

何より新自由主義にとっての誤算は5年前のトランプ大統領誕生だっただろう。
公然とアメリカファーストと言い、新自由主義にしぶとく抵抗するアメリカ大統領が登場するとは思ってもみなかったはずだ。
イギリスのEU脱退、ブレグジットもしかりだ。

大統領選挙や国民投票という場で、明らかな反新自由主義のうねりが見られるようになり、新自由主義陣営も体制の建て直しを図った。
そこで出てきたのが、冒頭に書いたような「変貌」である。



「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」という言葉は、徳川家康が言ったとされているが、実際は家臣の本多正信が本佐録という書物に書いた「「百姓は財の余らぬように不足になきように治むる事、道なり」が元らしい。

まあどっちでも良いのだが、要するにこの言葉のポイントは「生かさぬよう」のほうではなく、「殺さぬよう」あるいは「財の不足なきよう」のほうにある。
経営学の始めに習う「ゴーイングコンサーン」である。
イマドキ流で言うなら「サスティナブル」と言ってもいい。

百姓がみな飢え死にしてしまったり、あまりに頻繁に一揆を起こしたり、逃散して農地を放棄してしまったら、江戸時代の経済は崩壊する。
だから、百姓を「殺さぬよう」、「財の不足なきよう」治めることが、幕府にとっての生続ける絶対条件だったのである。

戦乱で荒れ果てた農地を整えて、幕府の基礎を作ろうとした本多正信が考えたことに、戦争と収奪で枯渇し始めた地球からどうやってより搾り取れるかと考えたスーパー大金持ちも、ようやく少しばかり思い至ったのだろう。

しかし、よくよく気をつけなければならない。
あくまでやろうとしてることは、「超大金持ちが有利になるための、新しい土俵作り」である。
キレイゴトの行間に、汚い企みがみっちり詰まっている。

貧困をなくす・飢餓をゼロに・すべての人に健康と福祉を・質の高い教育をみんなに・ジェンダー平等を実現しよう・安全な水とトイレを世界中に・エネルギーをみんなに そしてクリーンに・働きがいも経済成長も・産業と技術革新の基盤をつくろう・人や国の不平等をなくそう・住み続けられるまちづくりを・つくる責任つかう責任・気候変動に具体的な対策を・海の豊かさを守ろう・陸の豊かさも守ろう・平和と公正をすべての人に・パートナーシップで目標を達成しよう

こんなことがわずか10年で実現できるなどとは、よほど純粋な子どもでもない限り誰も信じていないだろう。
ただ、SDGsとりくんでま~す という免罪符を手に入れられるだけだ。
そして、官民挙げてSDGsの夢を振りまいていて民衆を慰撫している間に、とっとと新しい土俵を作ろうというのだ。



新自由主義が作ろうとしている新しい土俵は、おそらく二つの土台がある。

ひとつは、ガチガチの管理社会だ。
マイナンバーはもちろん、国民とさまざまなリソースを、国家が完全に管理し、必要に応じて統制したり動員できるようにすること。
竹中平蔵がガラにもなくベーシックインカムなどと言っている本音は、この管理体制の構築である。彼は、医療の徴兵的なことも言っている。

そしてもう一つは、ステークホルダーという言い方にもあるように、労働者という存在をなくしてしまおうということだろう。
すべての働く人を自営業者にして、今の雇用関係を、ぜんぶ下請け関係にしてしまうということだ。

低賃金のアルバイト以外は、ある程度稼ごうと思ったら自営業者になって、大企業と下請け契約するしかない。
そんな世の中を、新自由主義は作ろうとしている。

グレートリセットだとか、リモートがどうとか、新しい生活様式がどうとか、なにかコロナでガラッと暮らしが変わるような幻想を振りまいているのは、ここに向けての準備作業に他ならない。

かつて90年代の終わりに、非正規雇用をどっと増やされたときも、フリーターなる言葉が作られて、まるで「自由を手に入れる」かのようなイメージが世の中に蔓延した。でも実体は、「自由に首切れる」という意味のフリーだったのは言うまでもない。

欺されてはいけない。

新自由主義は全く変わっていない。
虎視眈々と、我々を、貧乏人から小金持ちまでをふくめて、がっつり搾取する、方法を準備している。
新しいのは、その搾取する方法だけだ。

SDGsだの、新しい生活様式だの そんなキレイゴトに耳を貸すな。
わずか5万円のベーシックインカムと引き替えに、生活の隅々まで国家に管理され、労働者としての権利をすべて奪われることになる。
コロナ禍を利用して、ヤツらはそれを本気で準備している。


今年の秋までに必ずある衆議院の総選挙は、そんな時代のまっただ中の政権選択選挙だ。
どんなに大きい選挙なのかを考えるほどに、そして野党諸氏にその危機感がない様を見るほどに、身震いを禁じ得ない。


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2021-05-03(Mon)

心の住む家

12年前、リーマンショックの翌年はまったく仕事がなくなり、本気でもう終わりかと思った。自分の設計事務所を立ち上げてまだ4年。残念だけど、まだ諦めもつく時期ではあった。

このときに、廃業の危機を救ってくれたのは、構造計算だった。木造建築の構造計算業務は、その当時はまだやる人が少なく、住宅の木材を加工する会社の御曹司がうちに構造計算の仕事を持ってきてくれた。
彼は一時期、外の工務店に修行に出ており、見習社員のようなことをしていたことがあり、たまたまその頃に知り合っていたのを思い出してくれたらしかった。あれがなければ、確実に明月社はなくなっていたと思う。
ちなみに、彼は今では社長になっている。

その後、何とか設計の仕事もさせてもらえるところまで回復し、2011年の大震災という天災でもあり人災でもある大災害もあったけれども、仕事には意外なほど大きな影響はなく、このままボチボチと仕事していけるかなと思ったころに、消費税の増税があった。
2014年に消費税が8%になると、あにはからんや、ぴたっと仕事が止まった。しかも今度は、どんと落ちてぐっと回復したリーマンショックとは違い、明らかに経済が長期低迷に入った感じをひしひしと感じた。

独立する前からこだわってきた、施主を山に連れて行って、一緒に木を切るところから家造りを始めるという取り組みも、なかなか思うように行かなくなった。
日本の山を守るとか、戦後に大量に植えられて、今では花粉症の元凶として忌み嫌われている杉の木を使ってあげたいとか、そういう思いは、胸の奥にしまい込むしかなかった。

もう一つの変化は、このブログの低迷である。
3.11以前は、気軽にボンボン言いたいことを書いていたのだけれど、現実のあまりの重さに書けなくなってしまった。
書き出すと長く時間もかかり、結果として更新の頻度はどんどん落ち、比例してアクセス数は1/10になり、それまではブログをきっかけに仕事の声をかけてもらうことも少なくなかったのだが、そういう現象はなくなってしまった。

2012年からは、書くだけでは無責任な気がして、現実の政治とも関わり始めた。
後の自由党につながるグループとともに、ちょこちょこと動き出したことで、なおさら書きたい放題ができなくなっていった。

2016年の春ごろには、またしても廃業の危機が迫っていた。
そのとき、また奇跡のように仕事が持ち込まれた。建て売り住宅の設計だった。
建売住宅はやるまい、と思ってきたけれども、もはや背に腹は代えられない。しかも、話を持ってきた担当者はなかなか設計を分かる人間で、安ければ何でも良いという投げやりなものは感じなかったので、請けることにした。
こうして、あれやこれやと色んなことをやり、もちろん、以前よりはかなり少なくなったとは言うものの建て売りではない住み手から直接いただく設計の仕事もさせてもらいながら、どうにかこうにか今日までやってきた。

最近のうちの仕事の構成は、ざっくり5:3:1:1くらいになっている。
住み手からもらう設計の仕事 5:インスペクション(建物検査) 3:構造計算 1:建て売りの設計 1 くらいの感じ。
インスペクションは、建物の検査を専門に請け負っている会社からの業務委託だが、これは勉強になるし結構面白い。
構造計算は、木材会社からの受注ではなく、設計をしている友人知人がときどき依頼してくるもの。
そしてわずかながら、建て売りの設計も思い出した頃に入ってくる。

それでも時々 「オレのミッションは何なのだろう」と考える。
年に数回、ちょっと時間の余裕ができると、ふと考えてしまう。
オレは何のために家をつくるんだろう。と。

独立するときは、まったく何の見通しもなかったのに、なぜか「仕事は来る」という確信めいたものがあった。
なぜだか分からないのだけれども、「オレを待ってる人がいる」という気がしてならなかった。
そして、実際に独立翌年から3年間くらいは、目が回るほどの仕事の依頼をもらった。

あの時は、言葉にできていなかったけれども、自分のミッションを自覚していたような気がする。
それが、時とともに、生き延びるための方便にかき消され、見えなくなっていった。

2005年に私が勤め先を辞めて独立したのは、実は「このままではウツ病で倒れる」と思ったからだ。
なんとか働いてはいたけれども、かなり危機的な状態で、具合が悪いと寝そべったまま動けないときもあった。
ブラック企業ではなかったけれども、「会社という他人の意向に、自分の心をねじ曲げて合わせる」ということが続けられなかった。
自分の心とまっすぐにつながること、仕事はそういうものであってほしかった。

今年の誕生日が来ると、還暦になる。60年も生きてきたような自覚はまったくないのだが、どうやらそういうことらしい。
建築の仕事はひとより10年遅れで始めたのだが、それでももう30年になろうとしている。
そんな時期になって、いや、そんな時期になったからこそ、実に初歩的なミスをやらかし、それをきっかけに、多くのことに気がつくことができた。

建て売りの設計は、通常の設計料の1/4から1/5程度だ。
4割ではない、1/4である。
そこには、心を込める事業主の数字もなければ、心を込める設計者の数字もない。
もし設計者が一方的に心を込めれば、その年のうちに倒産すること間違いなしだ。

こうした仕事を生きるためと思い込んで請けてしまったことが、自らを失わせ、ミスをまねき、なおさら自分をズタズタにしていった。
自分を取り戻し、立て直す最後の機会なのかも知れない。
Re Birth  再誕
還暦にはそういう意味もある。

結局、オレの目的は心をつなぐことであり、ミッションは「心の住む家」をつくること。
これまでも、言葉にできなかったけれども、ずっとそうだったんだということがストンと理解できた。

人が住める、住みやすい、地震にも強い、そんなことは ある意味あたりまえだ。
それだけだったら、オレが家をつくる意味などと、大層な言葉を振り回すようなことではない。
そこに、心が住むことができて初めて、ミッション完了なのである。

心が住むとは、住み手の納得であり、安心であり、しっくりとはまる感覚であり、心が再生していく場であること。
こんな言い方をすると少々新興宗教っぽくなってしまうが、こういうことは、誰にでもある感覚だと思う。
住み手ととことん話し合い、思いをはせ、試行錯誤するなかで、徐々に心の住む家はできてくる。
こうすればできる、というセオリーはない。

たとえば、カフェなどを思い出してほしい。
すごくおしゃれで格好いいなあ、と思っても、しばらく過ごしているとどうも落ち着かない店もある。
どうってことはないのに、いつまでもいられる気持ちのいい店もある。

家は、いろんな家を試すわけにいかないし、モデルハウスには店のオーナーのような心を込める人はいない。
だから、オレの仕事は、住むひとの心の住む場所をつくるために、考えて考えて考え尽くすことなんだと思う。
こういっちゃあ何だけど、それができる設計者は、そう多くはない。

間取りを工夫することも、デザインを整えることも、構造計算のスキルを身につけたことも、日本の山の木にこだわったのも、すべてはそのための手段だ。
手段は大事。それなくして、ものの形は作ることはできない。
でも、目的は、ミッションは、そこじゃない。
心が住む家をつくる。

言ってしまえば当たり前すぎることを、自分の奥底で確認できるまでに、こんなにも時間がかかるとは。
それくらい、深いことなんだろうと思う。

しばらくは色々と多難が続くだろうけれども、ミッションを言葉にして表現できたことで、再誕できる気がしてきた。

ついでに、コロナが終息し、自公政権と大阪維新が一掃され、景気回復が一緒についてくれば、まさに災い転じて福となすだ。
今年から来年にかけて、そんなビッグウェーブがやってくることを、強く心に描こう。

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2021-04-20(Tue)

大阪府のコロナ対策の無能無策ぶり

大阪がパニクっています。

大阪だけが突出しているのはなぜなのでしょうか。

普段暮らしていて、大阪人もマスクはちゃんとしてるし、人口は東京のほうが多いし、人流のデータを見ても、そんな極端な違いは見当たらない。
大阪駅、横浜駅、広島駅 の人流データはこんな感じ

20210420-3.png
20210420-5.png
20210420-4.png

たしかに、2月末で早々に緊急事態宣言をやめちゃったので、3月の人の出は少し多いけれども、こんなに極端な感染数になるほどの違いではないように見える。

では、何が違うのかと思って府庁や県庁のホームページを見ると、これはかなりの違いがある。

広島県は、緊急事態宣言もマンボウも出さなかったけれども、「新型コロナ感染拡大防止集中対策」というのを3度にわたってやってきている。
時短要請などは、マンボウなどと同じだけれども、広島県は画期的な試みをやっている。
それが、「PCR検査の集中実施」だ。
人口の集中している地域などにしぼって、積極的にPCR検査を行い、早期発見、早期隔離を実施している。
現在も4月25日まで「春のPCR検査集中実施」受検無料!とか、5月31日まで「近くの薬局でPCR受けられます」無料!とか、バンバンやっている。
県のホームページを見てみてほしい。実に詳しく書かれており、効果とリスクについての図など、本気で説明しようとする姿勢がホームページからあふれ出ている。


20210420-7.jpg

また、飲食店のアクリル板補助金も昨年末から10万円出している。
大阪府も4月から始めたようだが、大流行してしまってからやっても遅すぎる。
広島県が、コロナに対して攻めの姿勢で戦っていることがわかる。

大阪とほぼ同じ人口の神奈川県。
よくテレビに出てくる黒岩知事の発言を聞いていると、大丈夫か?と思ってしまうけれども、ホームページを見ると、いろいろやってるのがわかる。
大阪よりはずいぶんマシだ。

検査の神奈川モデル」は、1時間に24検体検査できる簡易キットを理研と共同開発して、保健所ではなく医療機関で検査できる態勢を作っている。
イソジン吉村とは大違いだ。
「緊急的な酸素投与施設」を県立競技場に作って、救急の受け入れが間に合わないときの応急施設にする準備を整えている。
準備するのが使い古しの雨合羽という松井さんとはこれまた大違いである。
20210420-8.png

では満を持して大阪府のホームページを見てみよう
感染拡大防止に向けた取組み(府民の皆様へのお願い、イベントの開催、施設について等)」というタイトルに、すでに不安が。。。
中身を見ると、やはり案の定、「お願い」しか書いていない。こんなことなら、誰でも言える。

府庁として自主的に何かやってることと言えば、飲食店への「見回り隊」だけである。
こんなことに、貴重な府職員のマンパワーをあててる時点で、もう吉村の無能が大爆発だ。

吉村大阪府知事の「見回り隊」に非難ゴウゴウ アルバイト大量動員、警察同行など「強権過ぎる」 
2021.4.19 AERA


これまでの無能無策はともかくも、ことここに至った以上は、緊急の資金を調達して、なんとかコロナ受け入れ病院や療養施設を確保するしかない。
大阪府には入院ベッドは10万床あって、そのうちコロナ病床は2千床程度だ。職員への十分な危険手当と、病院の経営補償がないから、これ以上増えないのである。
とにかく今は、借金してでも資金調達して湯水のように医療に注ぐのが、政治の仕事、府知事の仕事のはずだ。
連日テレビに出て、ニヤケタ顔をさらしている暇があったら、国と必死で掛け合い、府債を発行しまくり、コロナ医療にカネを持ってこい。



ところがどっこい、なんとなんと 吉村の頭の中は、コロナではなくこっちのことで一杯なのだ。

20210420-6.png

4月8日という日付、去年ではない。
今年の4月8日は、大阪府の新たな感染者数が905人となり、府が医療非常事態宣言を出した日だ。
非常事態とか言いながら、何のことはない、やってることは万博(=カジノ)の準備なのである。

しかもこれ、無理くり通した「広域一元化条例」という大阪都構想の焼き直し条例によって、府市一元化の名目で開かれた、一番最初の府と市の合同会議である。
コロナ危機に直面して、府と市が連携してコロナ対策をするのかと思ったらとんでもない、やるのは万博・カジノやで~ という話。

ちなみに、この合同会議のニュースはどんどん削除されているので、あえて画像でコピペさせてもらった次第。
吉村と松井のコロナ対策への無能無策と、頭の中にあるのは「カジノ利権」だけ ということが、これほどよくわかる記事はない。

こうしてみると、大阪のコロナ激発は、自然災害と言うよりは人災、維新災だということがよ~くわかる。
維新大好きな大阪のみなみなさまも、そろそろヤバいと思いませんか。
ホンマ、いくら維新に票を入れても、食い物にされるだけでっせ。

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2021-04-06(Tue)

「感動・勇気・感謝」の押し売り

スポーツ選手や歌唄いが、誰も彼も口をそろえて「勇気を届けたい」と言い出したのは、おそらく2011年からだろう。

大震災の深い傷を横目に、エンタメを再開する言い訳に、たぶん電通あたりが考え出したフレーズなのだろう。
もはや、「勇気を届ける」ことがスポーツや芸術の目的かのようになり、「勇気を届けない」エンタメは外道のように見られている。

10年間聞き続けてきて、ずっと違和感を感じてきた。
よくもまあ、そんなおこがましいことが言えるよなあ と。

たしかに、鍛えられた選手のプレーや、いい音楽を聴くのは、とても面白い。
わたしも見るのは大好きだし、彼ら彼女らに文句を言うつもりはない。

真似できることではないし、本当にすごいと思う。
なんなら、時と場合によっては、それを見て勇気がわいてくるときだってある。

でも、プロフェッショナルがめざすのは、「勇気を与えること」ではなくて、その技を芸を、突き詰めて完成させて、届けることなんじゃないだろうか。
それが、結果として感動したり、笑ったり、すかっとしたり、勇気がわいてきたりするものでしょう。

志村けんのコントだって、亡くなってからなんだか「すごい人」感満載の特集がたくさんできたけど、志村さんはきっと、「勇気を届ける」とか大層なことじゃなくて、「笑わせたい」「笑ってもらいたい」と、トコトン思ってたんじゃないだろうか。

もう、選手やコメディアンやミュージシャンを、自由にしてあげませんか。
「勇気を届ける」なんていう免罪符を振り回さなくても、自由に芸を追求して、披露するでいいじゃないか。



なんでこんなことに拘るかというと、芸事にいちいち「勇気を届ける」を義務化する現在の姿は、まるで戦時中の戦意高揚をうたう国策漫才のようだからだ。

池江璃花子さんの奇跡の復活だって、どんなに努力しただろうかと想像すらできないけど、そのすさまじい努力を安易な感動物語にして「勇気を届ける」具材にしてしまうのは、どうなんだろうか。
本人が仮にイヤじゃなくむしろ取り上げられることを喜んでいたとしても、過剰な期待のプレッシャーが病の元になっている可能性を考えると、なんかもっと、普通に「すごいスイマー」として取り上げるべきなんじゃないかと思うのだ。

なんでもかんでも 感動と勇気の物語にしてしまう気色悪い世の中は、表裏一体で「感謝の強制」がくっついている。
なんでもかんでも、「ありがとう」「感謝します」と言わないと、生意気だ、不遜なヤツ と言ってぶったたく風潮だ。

これはハッキリ言って、人権に反する。
人権とは 「何に忖度することなく生きていていい権利」だ。
いちいち何かに感謝しなくても、恐れ入らなくても、普通に生きていていい。それが人権だ。

にもかかわらず、生きていることに感謝 を強制するのは、まったくもって人権蹂躙である。

もちろん、感謝したい人は感謝すればいいし、特別のことをしてもらったときは当然感謝はあるだろう。
でも、昨今のなんでもかんんでも感謝の強制は、そういうものじゃない。
生きるために最低限のことに、いちいち感謝しろという。

生活保護しかり、障害者の介助しかり、それがあって初めて生きていけるものに、いちいち感謝を強制するのは、人権蹂躙だ。
限りなく殺人に近い。

伊是名夏子さんというコラムニストのツイートがバズっている。

ざっと見たところ、「ほぼ殺人犯」のリプが半数以上。

伊是名さんのように、ばりばりっと対応できる人は、たぶん多くはない。
この社会に合わせるためには何らかの障害を生じるほとんどの人たちは、感謝を強制され、恐れ入らされている。
その強制をはねのけて、自らの人権を主張する人に対して、どのようなリンチが襲いかかるのか、上記のツイートについているクソリプを見れば分かる。

なんでもかんでも感謝することを強制するということは、こういう人権蹂躙に他ならない。

「感動・勇気・感謝」を押しつけるこの国のありようを、ぶっ壊したい。
私が思う「自立と共生」は、そういうことだ。

「感動・勇気・感謝」で覆い隠そうとしている、巨額の利権や、情けない植民地の実態を白日の下にさらし、一人一人が自分のことを自分で決める権利を持つ自立と、あたりまえに全員が普通に生きていける共生を、実現したい。

だから、勇気や感謝の押し売りは、熨斗をつけてお返しする
たとえコロナがおさまっても、押し売りの祭典=オリンピックもいらない。

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2021-03-24(Wed)

カリスマのない社会を

私はカリスマが嫌いだ。

カリスマに頼る社会を嫌悪する。

カリスマの元では、決して自らの自由を得ることはできないと確信している。

「正しいカリスマ」だろうが「悪のカリスマ」だろうが関係ない。
すべて嫌いだ。

そのわりに、小沢一郎とか山本太郎とか、カリスマ性のある政治家を応援してるじゃないか、と言われるかな。

小沢一郎は、カリスマになる要素を完璧に備えているにもかかわらず、いや、だからこそカリスマになることを自ら拒否していると私は感じている。

「日本に民主主義を根付かせる」という、小沢一郎の執念にかけて、カリスマになることを拒否している。

自らがカリスマになってしまえば、日本人の自立はむしろ阻害される。それが分かっているからだ。

なんで先頭に立ってくれないのかともどかしい思いをすることもあるけれども、きっと胸の内はそういうことなのだろう、と私は思ってきた。

逆説的だが、「小沢さんなら何とかしてくれる」と信心するオザシンンがいなければ、小沢一郎は思い切って先頭に立っていたのではないだろうか。

かつて山本太郎は、街宣の度に「山本太郎を疑え」と言っていた。

ぱっと見とは逆に、常に自分を振り返り、疑いながら慎重に進んでいた。

だから私は、安心して、あれこれ保留せずに応援することができた。

しかし、れいわ新選組になってからは、振り切ってしまった。

どころか「あなたを幸せにしてあげたい」と言う教祖様になってしまった。

結果を出したいという焦りなのだということは、痛いほど分かるけど、今のれいわ新選組の未来に、自立した日本人の決起があるようには、どうしても思えない。



オリンピックも、カリスマの独壇場だ。

というか、スポーツ真理教の祭典なのではないか。

スポーツの面白さは私もある程度わかるつもりだ。

でも最近はやりの「勇気を届けたい」を聞く度に、やっぱ宗教だとおもってしまう。

勇気はあげるものじゃない。

自分の好きなことに勝手にうちこむ人がいて、それを見て勝手に勇気がわいてくることがある。それだけだ。

「あげたい」というおこがましさこそ、教祖さまでありカリスマなのである。

復興五輪?

事実は、復興(予算を削り取って実現する)五輪である。

スポーツ真理教のみなさんは、その現実をふまえ、「被災者の皆さんに勇気を届ける」じゃなくて「被災者の皆さんから予算をいただいています」と、言ってもらいたいものだ。



最終形は、権威というものが消滅してほしい。

人が人の圧力を感じずに生きられるようになってほしい。

私が生きているうちには無理だろうけど、いつか、そんな世の中が来てほしいと、真剣に思っている。

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2021-03-19(Fri)

経団連が考える恐るべき日本の近未来(2) 独裁国家2.0の作り方

さて問題です。

下の表は、東洋経済誌から引用したものだ。表題の○○に入る文字は何か?


20210318-2.jpg
(クリックすると東洋経済にリンク。なお、無料登録で全文読めるのでお勧めです)

そうそうたる有名企業がならんでるけれども、これらはみんなある株主が、15%~20%超の大株主だ。
それは誰か。。。









答え  日銀

そう 「日本銀行」 である

国営だったルノーに対するフランス政府の持ち株比率だって19%だ。
いまや、それに匹敵する、ほとんど国営企業が日本には数十社ある。
ユニクロの四角い赤のロゴが、丸くなる日も近いのかも知れない。。

日本銀行は、実に45兆円相当の東証1部上場の株式を保有している。
これは、東証1部の時価総額の7%にあたる。
もはや、株式市場は日銀が仕切っていると言ってよさそうだが、ところがどっこい、もうひとつ巨大勢力がある。

それは、、、、、 GPIF 年金積立金である。
こちらも44兆円 あわせて約90兆円 年間の国家予算なみの公金で、株式を買い込んでいるのだ。
GPIFが大株主の企業(「株探」より)

20210318-3.jpg

今や日銀は年間の買い入れ上限が12兆円なので、2~3年後には東証1部の20%は公金ということになるだろう。
コロナ不況のまっただ中で、なぜか株価だけが3万円を超え、史上最高値がどうたらとかふざけたことを言っているカラクリは、こういうことだったのだ。

この90兆円を、コロナ禍の国民に配れば、1人あたり10万円を7ヶ月も続けられる。
この補償で、思い切ったコロナ対策もできるし、景気だって上がり、実態のある株価上昇だって期待できる。
そんな分かり切ったことをせずに、投機的に株価だけをつり上げるのは何故なのか????


次に見てほしいのは、直近の国政選挙での比例票だ。

20210318-1.jpg

余談になるが、これを見ると2つのことがわかる。
2019年の参院選で投票率が史上最低になったのは、自民・公明・維新の与党と「「ゆ」党の得票が減ったからであって、野党の票は減っていないということ。
そして、れいわの票は、200万が共産と社民から削った票で、20万が新規開拓だったということ。

それはともかく、ここで注目したいのは、自民党の得票数=1700万人である。
この数字は、日本の個人投資家=約1300万人  に近い。
ざっくり言うと、自民党の票の3/4は、個人投資家なのである。

もうお分かりだろうが、公金を90兆円も株式に突っ込むのは、自民党が得票するための、史上まれに見る壮大な買収=選挙違反なのである。
有権者に直接90兆円もばらまいたら、さすがの腐れ検察も腰を上げないわけにいかないが、この方法ならば、大手を振ってまかり通ってしまう。
これこそが、21世紀型の独裁国家2.0の作り方だ。


とは言え、これで確保できる票は、買収で1300万、しがらみで400万、カルトで600万 しめて2300万しかない。

それでも独裁を維持するためには、あと2つ条件が必要になる。

1.投票率が低いこと
2.野党がバラバラであること

これについては別に書きたいが、主に1についてはマスコミが、2については枝野幸男らが、独裁の片棒を担いでいる。
野党バラバラが解消されないから低投票率になってしまう と言う意味では、枝野幸男の責任は重大だ。
公平のために言っておけば、バラバラ解消に前向きに取り組まないれいわ新選組にも、もちろん大きな責任はある。

こうした独裁国家2.0の作り方は確立されてしまったが、ちょっと違う風向きもある。

画像_2021-03-19_001726
(ブルームバーグ 2021.1.27 より)

これまで日本の株式市場を主導してきた外国人投資家が、手じまいにかかっているのだ。
これは、バブル崩壊やアジア通貨危機やリーマンショックと同じように、株価を爆下げして日本企業を買い漁ろうという魂胆ではないのか。

とすると、莫大な公金を投入して株価をつり上げている自民党は邪魔者ということなる。
むしろ、へたれ野党にスポットで交代した方が、好き放題できる。
世界を睥睨する巨大金融資本は、そう考えているのではないか。

その可能性を考えると、案外4月解散で短期の政権交代 というシナリオが見えてくる。
2年前は 与党2400万 VS 立憲+国民+社民+共産1600万 だが、与党が20%減らし、マスコミが立憲にちょいちょいっと風を吹かせて、維新が自公に閣外協力しなければ、政権交代の可能性は十分にある。
ただし、枝野幸男らの民主党政権自滅の戦犯による政権なので、用済みになれば、即座に自滅するに違いないのだが。

へたれ立憲政権→株価暴落(公金消滅)→外資が日本企業買い漁り→立憲政権自滅→再度公金を株式市場に投入→外資が買った株爆上げ これが2021~2022年のシナリオだ。

ちなみに、4月に政権交代すれば、オリンピック中止の責任も、ぜんぶ立憲に押しつけることができる。
その上、中止の影響で株価は暴落し、上記のシナリオ通りになっていく。

へたれ政権交代のもう一つの「効用」は、小うるさいれいわ新選組をつぶせるということだ。
れいわ本部は、「つっぱっていれば、いつか立憲がすり寄ってくるはず」という戦略のようだが、れいわ抜きで政権交代が実現してしまうと、れいわの存在感は皆無に等しくなってしまう。
残るのは、少数の太郎信者だけ、ということになりかねない。

れいわ新選組は、主張を妥協しなくてもいいけれども、積極的に野党共闘に向けて協議をしなければならない。
「だって呼ばれないんだもん」とか言ってる場合じゃない。
国民のため、強い政権交代のため、れいわ新選組の政策実現のために、野党バラバラ解消にむけて捨身の働きをすることで、かえってその存在を大きくすることができる。

東京都知事選では、せっかくのそのチャンスを自らぶち壊してしまったが、次の総選挙に向けて、最後のチャンスは巡ってくる。
それをつかみ損なえば、得票率2%割れで、存亡の危機に立つだろう。

山本太郎というまれ見る逸材を失わないためにも、大石あきこという”ど根性”を活かすためにも、れいわ新選組本部はラディカル(根源的)に戦略を見直してもらいたい。


なお、本稿は「経団連が考える恐るべき日本の近未来(1)」の続きなので、こちらもあわせて読んで下さい。

日本が1割程度のマネージメント層と、9割の極貧労働者層に分化していく運命であることをあきらかにしたのが(1)
一応民主国家である日本で、なぜ1割が9割を支配できるのか、について書いたのが(2)の本稿
という関係になっている。


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2021-03-17(Wed)

経団連が考える恐るべき日本の近未来(1)

このグラフを見てもらいたい。
経産省の資料からいただいたものなので、私が捏造したわけではない。

画像_2021-03-16_233733

富裕層の人数の推移だ。
富裕層の定義は年間の可処分所得が35000ドル以上 ということらしい。
およそ年収400万なので、日本では平均収入程度なので富裕とはほど遠いが、物価が違うのでアジア諸国の35000ドルは結構余裕のある暮らしと言えるだろう。

注目すべきは、「日本だけがぜんぜん増えていない!!!」ということ

先進国のG7でも20年間で1.6倍、EUは2.6倍なのに、日本だけはゼロ成長。。。。。
世界中で日本だけが一人負け。この異常事態を、だれもおかしいと思わないのか??

その一方で、新興国は7倍以上、アジアだけでも3.5億人の富裕層がいる。
コロナ前に日本中が旅行者であふれたのは、死ぬまでに一度は日本を見たいという人が多いのでなく、こうした経済発展の結果だったのだ。

この状況を見たとき、経団連が何を考えているか、わかった気がした。

日本の政財界は、1990年代から非常に矛盾したことをやってきた。
賃金の引き下げだ。
賃金を引き下げれば、消費者の財布が軽くなり、結果として企業の売り上げが減る と言うことはわかっているのに、強引にそれをやってきた。

儲けるためには、労働者=消費者にそれなりの給料を払わなくてはならない。
そんなわかりきったことを、なぜ優秀な経営者がわからないのだろう。
そう思ってきた。

でも、このグラフを見たときに、ひらめいた。
経団連をはじめとする日本の政財界が感じていたのは
「労働者=消費者という矛盾をどうしたらいいんだ。給料出さずに景気よくするためにはどうしたらいいんだ」という悩みだったのだ。

そして、たどり着いたのが、こういうことだ
日本の労働者を消費者にしなくても、アジアにお客さんが3億5千万人もいるじゃないか。
日本の労働者は、もっともっと桁違いに低賃金になって貧困にあえぎ、アジアのお客さんに売れる商品を作ることこそが、日本の国際競争力なのだ。
これが、経団連と政財界の至った結論だ。

これがどれだけ恐ろしいことか。
まだ、日本人の99.9%は気がついていない。。。。。

続きは (2)で



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2021-03-11(Thu)

1億2千万分の1のあれからの10年

亡くなった方、避難したまま帰れない方、避難したいと思いながらできずに今日を迎えた方、直接の被災はなく徐々に記憶が薄れゆく10年を送ってきた方。それぞれの10年。

原発が爆発するという驚天動地の事態を目の当たりにしながら、何もできず、何も変えられなかった10年。
自らの無力さをひしひしと感じた10年。

ちょうど50代の始まりに3.11が襲い、初老とも言うべき60代が始まろうとしている。
人は50代を充実の時期と言うけれども、日々に追われ続ける50代だったような気がする。

そんなバタバタの10年だったけれども、ずっと脳裏を離れない言葉がある。
「ただちに影響はない」
待ちに待った政権交代の「成果」がこれだった。

欺瞞と詭弁の政治には関わりたくない。
それでもしかし政権交代は実現しなければならない。
この鬩(せめ)ぎ合いの中に、ずっと心が定まらない10年だった。

自由党を応援し、山本太郎を応援し、自分なりに考えてきたつもりだった。
が、何が自分なのか、だんだんわからなくなってしまった。
カリスマに自己投影することはしたくない。

今、政権は腐敗の限りを満天下に晒しながら、支持率を回復しつつある。
コロナ禍不況で切羽詰まった私たちを見ながら、「ただちに影響はない」と心の中でうそぶく枝野幸男の眼差しに、人は絶望を感じるのだろう。

見渡す限り、目に見える希望はない。
しかし、人は必ず学んでいると思いたい。
とくに10代20代の生きる力は、否応なくあふれ出るに違いない。

私たち老年に差し掛かった者たちは、邪魔をせず、遠慮もせず、できることを淡々とやってみよう。
イマドキはやりの「勇気を届ける」なんてできやしない。(勇気は湧くものであって、貸し借りするものじゃない)
気負わずに、恐れずに。


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2021-03-06(Sat)

大金持ちはたんまり持っているという話

カネを刷れ もいいけれど、いくら刷っても大金持ちにぜんぶ吸い上げられては元も子もない。

これまでも、なんやかんや言ってかなりの額の金を日本政府は刷ってきたけれども、刷った端から大金持ちの懐に流れ込む仕組みがあるのだから、庶民には滴も落ちてこない。

いったいぜんたい、どこにどれだけ溜め込まれているのか、荒削りだけれども資料を並べておく

まずは政府統計から、企業の内部留保、つまり余剰利益がどんだけ増えたのか

20210306-7.jpg

約10年で、全企業で200兆円増、大企業だけで150兆円も余剰利益、つまり余りの利益が増えている。
大企業の従業員数は全体の1/3だから、どんだけ大企業が儲けすぎてるかということだ。
儲けは必要だけど、ちょっとやり過ぎでしょ。

次に、岡三オンライン証券のHPから借りてきたグラフ (赤線と数字は筆者が加工)

20210306-8.jpg

さっきのは企業だけど、こっちは個人の財布。
こっちも大金持ちは、どんどん貯めてはります。
10年間で300兆円増の荒稼ぎ!

ちなみに、個人の金融資産の合計はなんと1900兆円。
なんや、国の借金が1000兆円で大変だ~とか言ってるけど、何のことはない、国債で発行したカネは、ちゃあんと大金持ちが回収して持ってるんだ。慌てることはないね。

さてさて、こうしたぼろ儲けしたカネを、せめて国内で設備投資して景気よくしてくれればまだマシなんだけれども、かなりの部分を海外で運用している。

20210306-4.jpg
(ダイヤモンドオンラインより)

2019年のデータだと、なんと364兆円ものカネを海外で投資し、その利ざやだけでも毎年20兆円。
大金持ちはウハウハだけど、我々庶民には、まっっっったく何の恩恵もない。トリクルのトの字もあるわけがない。

財務省のデータからとった ちょっと詳しい表も貼っておく

20210306-1.jpg

このなかの「一時所得」というのが、利子や配当のぼろ儲け分だ。

とりま、この大金持ちの儲けすぎ(余剰利益)分だけを回収すれば、日本中の労働者1人あたり、年に100万円は収入アップできるって計算だ。

カネを刷ると、たちまちハイパーインフレで大変なことになる、って話はこの10年間、とくにコロナ禍の世界を見れば、どうやらそんなものじゃないらしいことはわかってきた。

ただ、いくらカネを刷っても、ベルトコンベアで金持ちの懐にジャブジャブ流れ込むんじゃあ仕方がない。

この仕組みを変えること。
それが政治だ。

4月なのか秋なのかわからないけど、衆議院選挙が確実にある。
仕組みを変えないと、カネはボクらのところに回ってこない。

ポンコツ枝野に任せっきりにするんじゃなくて、自分たちで何を求めるのか、野党に突きつけるくらいじゃないと、今の野党ではボロボロで自滅している自民党にすら勝てないだろう。
勝てなくては仕組みは変えられない。

コロナを利用した兵糧攻めで貧困の極地まで追い詰められる前に、自分のために闘おう。


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