2021-10-25(Mon)

選挙は疲れるけど面白い

19日に公示された衆議院選挙、あと1週間となりました。

なにせ解散から公示までが戦後最短の5日間!
どないして準備せえっちゅううんや!

都道府県、市町村区の選管も大変ですが、今回が衆院選初挑戦の候補は、もうトンデモナイでんやわんやでした。

私は大阪5区でれいわ新選組の大石あきこ候補の応援に行っています。
これまで選挙の応援は何回もやりましたが、あくまで手伝いであって、段取りする側は初めてです。
もちろん、メインでやる人は別にいるので1人でヒーヒー言ってるわけではないですが、それにしてもしんどかった。

しかも私事ですが、衆議院解散の直前に父が亡くなりました。
我を通し続けて86歳の大往生、ひどく苦しむこともなく老衰で逝ったので、悲しむと言うよりはお疲れさまという感じなのですが、それにしても、人が1人亡くなるとこれでもかと言うほどの手続きが必要になります。

とって返して諸々の準備をして公示日をたくさんの支援で乗り切り、もちろん仕事もせなあきません。ちょっと落ち着いたら目眩がしました。
私でもこんなですから、候補者は本当に大変です。



それでもやはり、選挙は面白い。

色んな人が連日応援に駆けつけてくれます。
候補者が街宣でスーパーの前に降り立てば、走り寄って声をかけてくれる方が必ず何人かおられます。
極めつけは、地元の十三駅東口(飲み屋さんいっぱい)で街宣をやると、こんな感じに



どんなカオスでも入っていって人の言いたいことを汲み上げる大石あきこの姿がよく分かってもらえると思います。

熱がどんどん集まってくる感じが、何とも言えません。
あまり熱気に酔ってはいけないと思いつつ、選挙運動は民衆の熱を力にする場なんだと言うことを実感します。

30日の夜まで、いくらでもやってもらいたいことがあります。
皆さんの熱を持ち寄って下さい。

お時間のある方は、大石あきこ事務所までお越し下さい。10時から19時半まであけています。
時間は無いけど、懐にちょっとだけ余裕があるよ と言う方は献金をお願いします。(リンクページの真ん中へんからカードでも献金可能です)



ころっと話変わって 家づくりです。
(ちゃんと仕事もやります)

IMG20211021095540.jpg

建築中の豊中の家に、待望の階段が付きました。
インテリアとしての階段です。これからどうなっていくのか、設計した私もワクワクしています。

11月末か12月はじめくらいに完成見学会の予定です。
よろしかったら見に来て下さい



2021-10-04(Mon)

岸田文雄はなかなか手強いぞ & 10/31投開票

先ほど、昼のニュースで各局が 10月19日公示→31日投開票 と報じました。
これまでの推測より1週間早く、14日に解散するとわずか5日後に公示、17日後の投開票。戦後最速です。

各候補も、各地の選管も11月7日のつもりで準備していたはずで、とんでもない大騒ぎになっているはずです。
一体、いつ立候補予定者説明会をやるのでしょうか。書類の事前審査など、できるのでしょうか???

この一事を見ても、岸田文雄は手強い と言えます。

いきなり31日にした一番の理由は、おそらくは小池百合子封じでしょう。
ファーストの会は準備が間に合わず、ボスキャラで小池が登場することは事実上不可能になりました。

また、ご祝儀相場は急速に冷え込むことも見越しているし、野党の候補者調整も間に合わないだろうと踏んでいるでしょう。
自民、公明は組織力がありますから、かなり無理な強行日程でも、なんとかこなすことができます。



人事を見ても、3Aこと、安倍、麻生、甘利に最大限配慮しながら、いずれ自分の権力を握るための伏線を張っているように見えます。
3Aとの関係ばかりが注目されますが、自民党の政治家にも一応それぞれに政治家としての方向性というものがあります。
おおざっぱに言うと、保守本流、新自由主義、極右 に分けられるでしょう。

一見リベラルに見えるけれども、規制緩和とグローバリズムを叫んで、日本を外資に売り渡す新自由主義。
正反対に、極右は、人権意識が極度に希薄で差別主義と排外主義丸出しだけれども、外資に対しては国内利権を守ろうとする。
どっちつかずで、大きな変化を望まない、保守本流。

そうした色分けで主要人事を見てみると、まず新自由主義が一掃されていることが分かります。
これは、対立した河野陣営に新自由主義的な議員が集まったせいもありますが、岸田氏自身も意図的に避けているようには見えます。

下の表は、新閣僚の傾向を見るために作ってみました。
TPPは「TPP参加の即時撤回を求める会」(2013年当時)の会員です。丸が付いている人は、極端な新自由主義ではないと考えられます。
日本会議はおなじみ「日本会議国会議員懇談会」です。付き合いで入っていることもありそうで、これが=極右とまでは言いにくいですが、明確なリベラルは入らないでしょうから、右よりの傾向はあると言えます。
靖国参拝は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」です。これはほぼ極右の指標としてみることができるでしょう。ただし、注意が必要なのは、安倍晋三とその直系議員は、極右でありかつ新自由主義というあり得ない極悪な存在だということです。ここでは丸の付いている萩生田光一と岸信夫の二人とも、心は右翼で行動は新自由主義という安倍直系です。

画像_2021-10-04_151132

○が付いていない人について少し調べてみると、山口壯氏は、ホームページを見る限りは保守リベラルで、新自由主義や極右の臭いは感じられません。
山際大志郎氏のホームページは、経産副大臣やっていたこともありやたらとアベノミクスの成果を書いてありますが、経歴を見ると甘利に近いようです。極端な新自由主義や極右の用語は見当たりません。
若宮健嗣氏は、防衛や外交の副大臣を歴任し、そっち方面のことがホームページにはたくさん書いてあります。内容に同意はまったくしませんが、まあ普通の自民党 という感じです。

要するに、外資に日本を売り渡す新自由主義はほぼ排除され、排外主義丸出しの極右もいるにはいますが、ずら~と並ぶという状態ではなさそうです。
萩生田と岸という安倍直系だけが、極悪のまま居座っている感じです。



誤解してもらっては困りますが、私は岸田内閣を評価しているわけではないです。当然ながら。
新自由主義を一定程度押さえ込むことはするかもしれませんが、その分、国内の利権が一部の富裕層に吸い取られていけば、結局庶民の暮らしが良くならないのは、安倍や菅の時代と同じです。

私が言いたいのは、まるで無能のように言われてきた岸田文雄という人が、なかなかに手強い、戦略家なのではないか、ということです。閣僚人事でも、支援派閥から文句は出ないようにしながら、自分の政策を進めやすいようにそれなりの選択をしているような、ということです。

そしてなによりも、やるな と思ったのは、麻生を副総裁、甘利を幹事長に据えたことです。
いろいろ言われていますが、私はこの人事は、「総選挙で自民党が負ける」ことを想定したものだと感じています。

まず、麻生を副総裁という名誉職に祭り上げて、これまでの莫大な権力を取り上げる。
甘利を幹事長に据え、甘利グループを優遇することで、安倍グループを押さえ込む。
その上で、総選挙の責任は幹事長にありますから、負けたときは幹事長に詰め腹切らせる。
もし勝てば、今度は甘利のUR問題を野党に責めさせて、辞任に追い込む。
そうすれば、自民党はかなり弱体化しますが、岸田は自分の権力を握ることができます。

岸田総裁は、総選挙での勝敗ラインを「自公で過半数」というミニマムに設定していますから、負けると言うことは自公で過半数割れということです。
野党第一党のテイタラクを毎日見ているこちらとしては、本当にそこまでできるのか、と思ってしまいますが、自民党側はそこまでの危機感があるのだと思います。

もし自公で過半数割れをおこすと、どういう事態になるかというと、維新と国民民主がキャスティングボートを握るということです。
野党連合も自公も過半数にならない時は、どっちがどこと組むか、で政権が決まります。
5~6人で過半数を超すのであれば、国民民主との連立になるかもしれません。岸田と国民民主の政策は近いですし。
岸田政権と維新は政策が正反対ですから組むことは、まずないだろうと思いますが、国民民主だけでは過半数に足りないときは、どうなるか分かりません。普通に考えたら、維新は必至で政権に売り込むでしょう。

さて、こうなった場合の、野党側の対応です。
みすみす、自公維政権の成立を指をくわえて見ているのか です。

私がもし野党第一党の代表だったら、自党を岸田に売り込みに行きます。
大連立をやろう と。
社民、共産、れいわ の各党には是々非々での閣外協力をお願いして、コロナ対策と大々的な積極財政による経済回復と格差是正、その点で一致できれば、政策を実現するための期限を切って、大連立を提案する。

自民党内でも保守本流と、何でも良いから権力を手放したくない無節操な人たちは、ついてくると思います。
新自由主義勢力と極右は、分裂するかもしれないし、雌伏して自民党に残るかもしれない。いずれにしても、この連中が抜けても大連立が成立する程度に立憲と国民民主が議席をとっていれば、十分可能な戦術です。
そして、もし自民党が分裂してくれれば、戦略としても大成功です。



もうひとつのシナリオも考えられます。

野党4党では過半数に届かないけど、国民民主を入れたら超える、と言う場合です。
これも私が第一党の代表だったら、玉木さんにこう言って口説きます。
「あんたが首相になってくれ」

自民党はそうやって政権をつないできました。
宿敵社会党を担いで村山政権を作ったのです。
自民党と社会党にくらべたら、立憲民主と国民民主なんて仲の悪い兄弟ていどの話です。

岸田政権の発足の様子を見ていると、こんなことをあれこれ想像してしまいました。

しかし残念ながら、枝野さんにこうした思い切った芸当を求めるのは無理でしょう。
そもそも政権をとる気がなさそうだし。

いずれにしても、19日公示 31日投開票は確実なようです。

皆さんの地元で応援してやろうかな、と言う人がいたら、ぜひ手伝いに行ってみて下さい。
選挙事務所なんて敷居が高いと思うかもしれませんが、案外たいしたことないですよ。

大阪の方、とくに東淀川区、淀川区、西淀川区、此花区の方は、れいわ新選組の大石あきこ事務所に来てもらえば、いろんなボランディアに参加してもらえます。
私のようなオッサンばかりじゃなくて、若い方もたくさん来ています。

まずは、街頭宣伝を見にいくとか、ツイッターをフォローしてみるとかから始めてみて下さい。


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一転して建築の話です。IMG20210925113710.jpg

現在工事中の家の吹抜部分です。

吹抜 て必要だと思いますか?
私が設計した家の半分以上は、吹抜は作っていません。
つまり、「必要」ではないからです。

吹抜なんてなくても、生活には一向に困りません。
吹抜があると暖房の効きが悪いし、建築コストもちょっと余計にかかるし、実用だけ考えたらいいとこ無しです。

でも、もしこの家に吹抜を作っていなければ、暗くて少し湿った感じの家になっていたでしょう。
家の形は実用だけで決まるのではありません。
家で大事なのは、中身、つまり空気の部分です。ドーナッツの穴の部分。
ドーナッツがどんなに贅沢な味でも、穴がお粗末だったら家としては失敗です。

そんなわけで、この家では思い切った吹抜、というかリビングがまるまる2層分あります。
できあがりが楽しみです。
11月の終わりに見学会をする予定ですので、日程が決まったらブログでも書かせてもらいます

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2021-10-01(Fri)

【家づくり】のネタも時々書きます

このブログを書き始めてからおよそ18年。この記事が1862本目。自分でもびっくりです。
その中で、カテゴリーが「家づくり」の記事は今回を含めてわずかに62本。反戦な家づくり なのに。

ちなみに、私が独立して自分の事務所を始めてからは16年半。その間に、数十件の家を設計させてもらいました。
そのすべてが反戦や平和のために役に立ったのかどうかは自信がありませんが、少なくとも色んな思いを込めて全力でやってきたことは間違いありません。

実は私は今年で還暦となりました。(ぜんぜん実感ないけど、いまだに)
そんなこともあり、これまでの家づくりを振り返って、何を考えて、何をやってきたのか、ちょっと書いてみたくなりました。
プロットがあるわけではなく、当時の工事写真などを見ながら、思い出すことを徒然に書いていきます。

このブログで書こうか、別のブログを立ち上げようか迷いましたが、最初は「反戦」と「家づくり」は50:50のつもりで始めたブログだったので、初心に戻ってここで書くことにしました。
ただ、そっちの方面は興味ないよ、と言う方はタイトルの頭に【家づくり】と書いてある記事は読み飛ばしてください。
(ほんとは、ぜひ読んでほしい・・)

■梼原町の木で家を作っていた頃

16年前に事務所を始めたころは、主に高知県梼原(ゆすはら)町の木で家を作っていました。
梼原町は四万十川の源流域のひとつで、背景には四国カルストが控え、石灰岩を通ったきれいな水が流れ出してくるとことです。
2006年には隈研吾氏の設計でかなり風変わりな町役場を建て、当時の町長が環境配慮を町の売りものにする向性をがーんと打ち出したので、その手のことに興味のある方は梼原の名前をご存じかもしれません。

20211001-1.jpg私が行き始めたきっかけは、話せば長くなるのでちょっとおいといて、当時、国産材で家を作っている人たちの間で梼原が有名になったのはFSCという森林認証を、森林組合としては日本で初めてとったからです。持続可能な森林経営 といううたい文句です。

こうした特徴は、その当時の田舎の町や森林組合では、ホントに珍しかったのです。つまり、マーケティングを意識している森林組合は、ほとんど唯一といっても過言ではなかったと思います。

なぜか最近はあまり言われなくなりましたが、当時は「日本の森林が危ない」「間伐材が売れないと経営も成りたたないし、土砂崩れをおこす」「だから日本の木を使おう」てなことが、テレビでも盛んに言われていました。
今は、ある意味もっと深刻なんですが、いろいろ大人の事情で、さっぱり報道されません。

それは兎も角、「日本の木を使おう」の大合唱に乗せられて、実際に森林組合を訪ねると、思いっきり肩すかしにあいます。
ボク「木を売ってください」
森林組合のおじいさん「なんでおまえに売らなあかん」
てな調子です。ほんとに。

そこまでひどくなくても、
森林組合のオジサン「よっしゃ 売ったるわ」
ボク「ほな これだけ必要なので、用意してください(と明細を渡す)」
森組 「柱しか用意できん」
ボク「え 梁とかはどうしたらいいんですか」
森組 「知らん」

とか
森林組合のお兄さん 「木は売ったるで」
ボク 「では 柱がこんだけで、梁が・・・」
森組 「木は売るけど丸太やで。製材は自分でしいや。」

まあ、会話はちょっと盛ってますけど、だいたいこんな感じがスタンダード。
山から切り出した丸太を選別し、四角く製材して、乾燥窯で乾燥させ、最後に寸法を通りにプレーナー(電動カンナ)で加工する。
輸入材だったら電話一本で済む話が、国産材では奇跡に近い話だったのです。
(もうひと工程、プレカットというのがあるのですが、今回は省略)

最初はほんと、目が点になってぽかーんでした。
でも、梼原町の森林組合は違いました。
先に書いた一貫生産を行い、家一軒分の木材をちゃんとそろえて、なんとびっくり(笑)、納期通りに届けてくれるのです。
さすがに電話一本で倉庫にある木材を届けるというわけにはいきませんが、数週間前に注文しておけば、建築現場に届くのです。
こんな当たり前のことに感動するのですから、国産材が売れないのも無理はないよなあと、つくづく実感しました。

こうした当たり前の体制を整えた上で、環境配慮を謳ってFSC認証もとっていたのです。
べつにFSCだから木がいいわけではないですが、そういうところまでマーケットに心配りしていたと言う意味では、普通の商売では普通のことでも、国産材業界ではスーパースターでした。

そんな梼原町でしたが、唯一の泣き所が、 めっちゃ遠い ということです。
道がガラガラでもノンストップで5時間半くらいかかります。休憩しながらだと、7~8時間かかるのです。さすが秘境。
その当時、私はお施主さんを木を切る山まで行ってもらうようにしていました。そこで8時間はものすごいネックだったのです。

そんなこともあり、また、他の産地との縁が生まれたりして、梼原町とのお付き合いは2008年までとなりました。
ちょうどすれ違いで、梼原町は環境の町として名を馳せていきました。

こんな梼原町の木で作った家については、また次の記事で詳しくお話ししようと思います。

■■■■

一転して政治の話です。

岸田さん、ひょっとして自ら下野するつもりなんでしょうか。
甘利幹事長、高木国対委員長、小渕組織運動本部長、、、もう疑惑の叩き売り状態です。
しかも麻生副総裁に高市政調会長ですから、3A政権とか、第4次安倍政権とか言われて、自民党内でもしらけムードのようです。

普通だったら、選挙用の臨時内閣にして、とにかく人気のある顔を並べ、ご祝儀相場を盛り上げるはずです。
それなのに ああそれなのに それなのに。こんな人事をやらかすとは。

ひょっとすると、河野洋平、谷垣禎一の跡を継ぐつもりなのかな と言う気がしてなりません。
まあ、何を考えているのかさっぱり分からない人なので、なんとも言えませんが、若い頃は加藤の乱に血判状押してはせ参じたこともあるそうで、何か考えてるような。。。。 どうだろう。。。



2021-09-28(Tue)

「できること」と「やらなあかんこと」  枝野幸男に政権交代は可能か

自民党の支持率が回復し、立憲は下降傾向、他の野党は支持率自体が誤差の範囲で増減不明、というのがスガ首相が辞任を表明して以降の支持率のようです。

立憲を初めとした野党陣営は、自民党総裁選をマスコミが連日取り上げるせいだ、と言いますが、本当にそれだけでしょうか。
26日に投開票され、衆院選の前哨戦と言われた旭川市長選挙では、現職の後継とされた立憲系の候補が自公系の候補に大差で敗れました。

自民、衆院選に弾み 旭川市長選、今津氏初当選 立憲、迫られる態勢立て直し
毎日新聞 2021/9/28

(立憲系の)陣営は、告示までの期間が短かった「出遅れ」が敗因と分析する。また新型コロナウイルス禍の閉塞感もあり、4期15年続いた西川市政の「刷新」を訴えた今津氏の方が、「発展的継承」を掲げた笠木氏よりも有権者にアピールしたとの見方もある。道議の一人は、今津氏が笠木氏より20歳若かったことを挙げて「政策より若さなのだろう」と語った。
(引用以上)

個別この選挙についてはまったく知らないので何とも言えないけれども、なんだかこういう総括の仕方に、勝てない理由があるような気がしてなりません。
勝つための弾を込める気があったのか、ということです。

選挙は、どっちの弾が有権者のハートを射抜けるのか という戦いです。
その言葉、行動、決意、覚悟が、有権者の希望と信頼に届くのかどうか です。

例えば、ゼネコンが丸ごと集票マシーンになって当選する議員だって、その業界にカネを落とし、末端の社員にもそれなりに生活の糧を届けるという希望と信頼に応えるからこそ、当選するのです。
倫理的にどうこうは兎も角、希望と信頼に応えない議員は、決して勝つことはできません。

例外的に、大きな敵失があった場合は、消去法で反対陣営が勝つこともあります。
スガ首相になってからの選挙は、かなりそういう傾向が大きかったと言えます。
スガ辞任の決定打となった横浜市長選挙など、立憲系候補はスキャンダルまみれにもかかわらず、現職大臣だったスガ系候補を大差で破りました。
これは、野党が勝ったのではなく、自民党内のスガおろしだったとみるべきでしょう。

多くの自民党員にしてみれば、肉を切らせて骨を断つじゃないですが、横浜市長はとられたおかげで党の支持率が爆上がりしてるのですから、万々歳です。
その成果が、旭川市長選挙だったわけです。


利権も含めて、希望と信頼に応えられるか、が勝敗の決め手だとすると、やはり現職や政権党は圧倒的に有利です。
なんだかんだ言っても、実績があるのですから。
それに比べて、野党はいくら良い政策を並べても、どうしても絵空事にはなってしまいます。エビデンスだ財源だと根拠を挙げたところで、目に見える実績は当然ながらないわけです。

その点、自民党は衰えたとはいえ、利権を握りしめ業界団体へのバラマキや特区を悪用したトモダチ優遇をやりまくります。
成果や実績が目に見えているし、なにせ政権党の歴史が長いので「なんとなく自民党なら安心」という宗教的な感覚まで国民の中に根強くあります。当然ながら釣られる人も多いのです。

とすると、野党が勝つためには何が必要なのか。
それは、現政権の2倍も3倍も大きな希望をぶち上げるしかないのです。
そして、それを不退転の決意で実現する。少し時間がかかっても、官僚の抵抗に手間取っても、必ず実現するという覚悟を示すしかないのです。
その決意と覚悟が信頼に足るかどうか、そこにかかっていると言っても過言ではありません。

2009年の政権交代の時は、前年のリーマンショックで混乱し落ち目になった自民党に対し、小沢民主党はすかさず「子ども手当」「農家戸別補償」「高速道路無料化」などを打ちだし、一般市民のみならず自民党の票田だった農家や産業界にまで「希望と信頼」の手を伸ばしたのです。

振り返って、今の枝野立憲はそうしたアプローチをしているでしょうか。
有権者に対して、「希望」をあたえる強いメッセージがあるでしょうか。
立憲のホームページを見ても、枝野氏のツイッターなどをウォッチしていても、何にも見当たりません。

その代わりに書いてあるのが、どう変えるのか内容も方向も不明な「変えよう。」という標語と、「#政権取ってこれをやる」という政策集らしき物だけ。
なるほど、良いことは書いてあるのだけれども、決定的に欠けているのは目玉政策が明示されていないことと、「目標値がほとんど書かれていない」ということです。
「努力します」的な話であって、「絶対に実現するから付いてきてくれ!」という迫力は皆無です。

今年2月の枝野氏の発言を見ると、彼の頭の中が理解できます。

原発をやめるのは簡単じゃない」枝野氏に聞く
2021/2/14 西日本新聞


 -立憲民主党としては、カーボンニュートラルを原発を使わずに実現すべきだと。政権を取った時の道筋をどう示しますか。
 「皆さん道筋を示せと言うが、道筋を示すのは無責任だと思います。つまり使用済み核燃料の話もあるし、原油価格がどうなるかも分からない。カーボンニュートラルには技術革新も必要で、何年やったらできますなんて無責任なことは言えない」
 -では、野党として責任を持って言えるのは。
 「方向性です。原発に依存しないでカーボンニュートラルを進めていくという方向性は言えるけど、その道筋を言うのは無責任です」
 「無責任なことは言わない。それが多分、私と今までの野党のリーダーとの決定的な違いだと思います。分からないことは分からないと堂々と言う」
(略)

 -40代という若さで震災対応を指揮する経験をしたのは、政治家として「強み」なのでは。「今でも昭和」とおっしゃる日本の政治をどう変えていきますか。
 「強みというか、責任ですよね。もともと僕、リアリスト(現実主義者)なんですよ。官房長官になる前からリアリストだったけど、ますます徹底することになりましたね。なおかつ、あの経験をしているのは私しかいないわけなので。たぶん、生かさなければならない社会的責任があるんだろうな、と思います」

(引用以上)

要するに、枝野氏は「確実にできそうだということしか言わない。そうじゃないことを言うのは無責任だ。」と考えています。
3.11の対応を経験して、もうあのようなとんでもない重責を負うのはコリゴリなのでしょう。
できそうなことだけ言って、絶対に後で責められない安全運転をしたいのです。

画像_2021-09-28_202336
「ただちに影響はない」
まさに、枝野氏を体現する言葉です。
多くの人には「影響はない。大丈夫だ」と聞こえるけれども、実は「ただちに」が付いているので、後で晩発性障害が生じても言い訳ができる。
はああ、さすが弁護士だなあ と関心した(呆れかえった)ものです、当時。

あの当時でも最大限の逃げ道を確保しながら震災対応をしていた枝野氏ですが、それでもあの時の重圧は確かに強烈だったでしょう。その意味では、もうコリゴリなのは分からなくもないです。
だったら、後進に道を譲ったらいいのです。

断言しますが、利権満載の自公に対して、「できることだけしか言いません」という野党は100年かかっても勝てません。
今、野党に求められていることは 「できること」ではなく「やらなあかんこと」「やらねば国民が生きていけない」ことを「絶対にやろう!」「みなの力で実現しよう!」と明示することです。
ウダウダ長々と政策を並べるのではなく、いくつかの重要政策をバババ~ンと打ち出すことです。

もちろん、政権を与えてもらい、段階を経ていけば実現できることでなければウソになるが、ホントにできるかどうかなんて誰も保証できるわけない。
住宅問題の解決のために月に団地を作ります、みたいな荒唐無稽な話ではなくて、物理的、論理的に可能な政策であるならば、最後は決意と覚悟と執念です。

それを最初から放棄した枝野氏に、政権交代はできない。
というか、たぶん政権交代したくない というのが枝野氏の本音でしょう。
政権とったら、またあの重圧を背負わなくてはならないのですから。

自民党が自滅しかけたのも、せっせと回復に努めているのも、指をくわえて見ている野党第一党の代表に、未来を託す気にならないのは私だけではないでしょう。
お願いですから枝野さんは一線を退いて、せめて本気で政権交代をやるきのある代表の下で選挙に臨んでいただきたい。

20210928-2.jpg動きだそうとしている自動車のタイヤに、こんな部品が一個置いてあるだけで前に進みません。これはただちに影響があります。即刻取り除かなければなりません。
野田政権、安倍政権、スガ政権と痛め続けられてきた日本国民と日本経済に、残されている体力はもうあまり余裕はありません。「できることだけやりますよ~ん」と言ってる方には、一刻も早く先頭からどいてもらいたい。前に進めるために。

■家づくりの話

一転して家づくりのお話しです。

IMG20210921172111.jpg私が設計する家には、ほとんどプラスティックは使いません。
とくに、手足が触れる場所や、家の重さがかかる部材、直射日光が当たる場所などには使わないように注意しています。

それでも、コストをおさえて家の性能を上げるために、少しはプラスティック部材も使用します。
この写真の黒いのがそれです。
豊中市で建築中の家のある部分なんですが、さて、何のためにあるのでしょうか。

答えは、気が向いたら次の記事にでも書きます。
現場の見学をしながら説明を聞きたいなあ、と言う方がおられたら、どうぞサイドの連絡フォームからご連絡下さい。

ではでは



2021-09-16(Thu)

日大付属病院の背任事件にアベ友が関与。アベ包囲網はどこまで追い込めるか。

日刊ゲンダイのツイートで、「日大捜査 アベ友 ガサ入れ」という大見出しが出ていたので、ちょっと調べてみた。

まず、産経のこちらの記事から一部抜粋

<独自>日大理事側に1億円還流か 2億円移動の医療法人から
2021/9/16 産経新聞

日大理事は、日大側が設計会社に送金した資金のうち2億円超を、大阪市の医療法人グループの関係先に移動するよう持ち掛けた疑いがあるという。
また、このうちの約1億円が、医療法人グループ側から日大理事側に還流した疑いがあることが新たに判明。残る約1億円については、医療法人グループ側が受け取った可能性があるという。日大理事は自分に資金を還流させるために、日大から資金を外部に流出させた疑いがある。
関係者によると、医療法人グループのトップである理事長(61)は日大理事と知人関係にあり、日大の田中英寿(ひでとし)理事長(74)とはともに日本相撲連盟副会長を務めるなど、面識があるという。
(引用以上)

さて、中田氏とともに相撲連盟の副会長をつとめているのは  「医療法人錦秀会理事長 籔本雅巳」という名前が確認できる。
で、どんな方なのかな?と検索したら、週刊ポストの記事が見つかった。

アベの隣に座っている方のようだ。
ちなみに、藪本氏の背後霊 じゃなくて後ろに写っているのは安倍昭恵夫人の弟君である。

この記事をはじめ、ポスト誌はかなり二人の関係を追いかけていて、ヤブちゃん、晋三さん と呼び合う関係らしい。

病院建設費を水増しして2億円を理事長の裏金にしたという日大病院の背任事件。
その裏金のルートになったばかりか、1億円は自分のポッケに入れちゃった(と言われている)藪本さん。

いくらベッド数6000床の大病院とは言え、ともに相撲連盟の副会長とは言え、強力な何かがなければ、2億円もの不正を共謀するだろうか。。。。

安倍晋三にとって、モリ・カケ・サクラ・スパにつぐ事件になるのかどうか。

日大事件にも注目しておきたい。



念のため書いておくと、安倍晋三包囲網は、いくらなんでも余りの不正をただすという面はあるけれども、同時に、国内利権など許さない、ぜ~~んぶ吐き出して上納しろ という新自由主義の動きでもある ということは見ておく必要はある。

人を殺して証拠を握りつぶして不正利権をまもるアベ政治の後継者か、人を殺しても「自己責任」と突き放なす新自由主義か、人を殺す戦争が大好きの極右か、という三択の自民党総裁選と、完全に連動している。
アベが叩かれて喜んでいると、小泉&竹中の悪夢が復活するということになるので、やっぱ政権交代しか道はないのだが、肝心の野党第一党がこのザマでは・・・・

「アベノミクス検証委員会」第1回会合を開催
政権交代のための経済政策について議論
2021年9月15日 立憲民主党HP


まず第一に、もう選挙直前なのに、今から検証かよ! と思った方は多いはず。
私はずっこけて、足をひねりそうになった。

第二に、基調講演が金子勝氏かよ! という声も聞こえます。
この後に及んで財政規律派の金子氏の基調では、「政府は国民生活のために本気でカネを出すべし」というマニフェストは出てこない。というか、それを言わずに何かやってる感を出すために、こんな「どろなわ検証委員会」を始めたのだろう。

どう考えても、こんな立憲がリードする野党が、総選挙で勝てる気がしない。
いや、普通に考えたら負けるはずがないのだけど、それを枝野立憲が「なんとかして政権とらずに逃げよう」としてるようにしか見えない。

もうホントにお願いだから、自民党と同時に、立憲民主党も代表を取り替えてほしい。
すごく優秀でなくても、カリスマ性なんて無くても、普通に「政権交代するぞ」という強い気持ちだけ持っていてくれればいい。
そんな野党第一党の代表がいれば、日本はまだ救われる可能性はある。

そんなこんなで、大勢に希望は見えない中で、目の前にいる有望な政治家の卵を応援するしか、私にできることはないので、視聴回数1万回超えでプチバズってるこの動画を宣伝をしておく。かなり長いので、よかったら1時間19分くらいからだけでも見てほしい。よっぱらいのオジサマとのやりとりがめっちゃオモロイ。 週に何回か新しい動画が出るので、チャンネル登録もよろしく。





2021-09-03(Fri)

首相という字は「首切られる相(すがた)」と書くのね & 家づくりに興味ある方へ

20210903.jpg 首相というのは、すぐ首を切られる人、と言う意味だったんですね。
久しぶりに半沢直樹の箕部幹事長を思い出しちゃいました。

二階の逆襲。いやあ 怖い。

スガ「政権維持のために、幹事長交代してください。」
二階「よっしゃ わかった」
(スガが帰るやいなや)
二階「オイ 小ネズミ。奴に引導渡してこい」
(小ネズミちょろちょろ)
小泉「総理、もう無理だって皆が言ってます」
スガ「いや まだいける」
小泉「もう無理だって言ってるでしょ」
スガ「いや 人事刷新で」
小泉「おっさん しつこいんだよ!」
スガ「・・・・・ 辞任します」

二階を切れば、安倍&麻生が支えてくれると思ったんですかねえ。。。。

所詮、内閣調査室と官房機密費を駆使して人の弱みを掴んで恫喝する ってことしか能の無い人だったわけで、二階もこれで恫喝できると踏んだのかもしれませんが、 恫喝勝負なら二階のほうが上だったようです。

恫喝のネタが尽きないということは、一体全体、どんだけ悪いことしてるんでしょうね。あの人たちは。

とにもかくにも、これで10月17日投開票はなくなりました。
早くて10月2日くらいに臨時国会、首班指名。その直後に解散して、史上最短ペースで公示しても、一番早くて10月24日の投開票。
一番遅いのは10月21日の会期末(かつ任期末)に解散して40日以内なので、11月28日投開票
まあ、順当にいけば11月3日が濃厚でしょう。

いずれにしても、コロナ禍での国会空白期間ができてしまいます。



共産党、立憲民主党、れいわ新選組の野党3人が立候補表明して、なかなかの泥沼になりつつある大阪5区ですが、動きがありました。

立民の長尾秀樹氏が引退へ
共同 2021.9.3


現職の立民が引退なので、あとは共産とれいわ新選組です。

共産の宮本さんは近々に事務所開きもされるようで、やる気出してます。

20210903-2.jpg

でも、京都のこくたさんと比べると、すんごく地味ですね。
ホントに小選挙区に出るのか、比例対策なのか、なかなか微妙な感じです。

20210903-3.jpg

それにしても、こくたさん大丈夫ですかね。これ。
事前○○にならないのでしょうか。。。。
老婆心ながら心配してしまいます。。。。  共産党は捕まらないのかな。

対するに れいわ新選組の大石あきこさん。
異様に元気です。
こんなプロモ動画作ってバズってます。



山本太郎もついに候補者の一本化を明言したし、どう動くのか、はらはらしながら見守っています。

<野党に問う>れいわ・山本太郎代表インタビュー「心配するな。あなたには国がついている」
2021年9月2日 東京新聞


このブログを読んでくださってる方はご存じのように、私は大石さんの手伝いをチョロチョロしてるわけですが、やっぱ野党分裂のままやけくそで本番に突入は、なんとしても避けたいと思っています。
やるんだったら、本当に意義のある、充実した戦いをやってほしいからです。



家づくりの仕事の話もちょっとしておきます。

豊中で、木の家の新築が進んでいます。
今はこんな感じです。

IMG20210901161305.jpg

住宅密集地の中の、ポカッとあいたオアシスのような場所で、周囲の緑や空気感を家に取り込む感じが、だいたい想定していたとおりになっていいて、私的にはご機嫌です。

構造段階の見学が可能です。
ご希望の方は ブログの右サイドの「明月社へのご連絡」欄から、連絡先や希望日などお知らせ下さい。

ではみなさん、くれぐれもコロナと不良政治家にお気をつけ下さい。



2021-08-12(Thu)

大企業の「金あまり」こそが諸悪の根源 -MMTと新自由主義-

先月書いた「植民地日本とMMT」という記事でとりあげた、島倉原さんの著書である「MMTとは何か  日本を救う反緊縮理論」を読んでみた。

その中で、私的に一番大事だと思ったのが下記のグラフだ。

20210812-1.jpg

※著書と同内容のグラフが氏の講演資料として公開されている。それぞれクリックすると講演動画や資料ページにリンクをつけている。
動画→ 「NIKKEIチャンネル 現代貨幣理論とコロナ危機」 
資料→ 「「MMT+α」の政策が求められる日本」)
コロナ禍の問題点にも触れていたり新しい内容もあるので、ぜひ一見をお勧めしたい。


このグラフは貯蓄投資バランスというものの推移だ。政府と、民間企業と、家計と、貿易などの海外、のそれぞれの部門で、貯蓄した額と投資した額のどっちがどれだけ多いか、というもの。
正確ではないけれども、政府部門なら税収と予算、企業なら自己資金と投資額、家計なら収入と支出、と考えるとわかりやすいように思う。

全体のトレンドがはっきりと変わるのが、1998年頃だ。
グラフの赤は政府部門で、税収より予算額が上回るいわゆる財政赤字が増えている。
青の企業は反対に、資金を投資に回さずに自己資金(内部留保)が増えている。
点線の家計はわずかに貯蓄が多いものの、その割合はどんどん減っている。
そんな中で、黒線のデフレーター前年比はずっとマイナス(消費増税の年以外)で、デフレが続いている。

大原則として、企業+家計+政府-海外=0 という関係がある。
同じお金がグルグル回っているのだから、全部を合計したらゼロになるということ。
そこで、大きな割合を占める政府部門と企業部門の間で、こんな論争が起きる。

「財政赤字のせいで企業が金あまりになって投資が伸びないんだ! デフレ脱却のためには財政健全化だ!!」
「いやいや、企業が投資をしないせいで、財政赤字になるんだ! 景気を回復するためにさらなる財政出動だ!!」

前者が多くの経済学者の主張。自民党から立憲民主党まで保守かリベラルかを問わず、いわゆる主流派経済学者の立場。
後者が、MMTの立場ということになる。

前者の理屈を書いているものを探すと、こんな記事が見つかった
「企業に設備投資を期待するのならば、国は財政赤字の削減を」
(株)NTTデータ経営研究所 取締役会長 山本謙三


超絶はしょった粗筋は
1)社会保障費の増大によって国債大量発行
2)銀行は国債を買わなくちゃならないから企業に貸す余裕がない
3)銀行の買った国債は日銀が買い上げてるけど、日銀の(つまり円の)信用低下になる
4)財政の持続性への懸念から消費が抑制されて、投資が減っていても不思議じゃない

これは何とも、突っ込みどころ満載である。
1)の社会保障費の増大は間違いないけど、赤字になるのは税収が減っているから。その理由についてはまったく触れていない。
2)については、3)で否定されている。銀行は日銀に売った国債の代金が山のように積み上がっている。いわゆるブタ積みといわれる日銀当座預金残高は500兆円を超えている。余裕がないどころじゃない。
3)については、円暴落もなければ、長期金利上昇(国債の暴落)もないどころか長期的にずっと下降傾向だという現実が、この俗論を否定している。

20210812-2.jpg
(日本相互証券のHPより)
4)に至っては何の根拠もない。「消費の抑制が財政への懸念から生じている」という根拠も示しておらず、それが投資抑制の原因だという証拠も書いていない。だから「不思議ではない」としか書けないのだ。

たいそうな企業の会長様が書いたとは思えない杜撰な記事である。



私がここで注目したのは、「投資をせずにカネだけ儲ける」のは、まさに新自由主義だ、ということ。

1990年代に本格的に日本「侵略」をはじめた新自由主義は、投資→生産→販売→利益という資本主義の根幹を捨て去り、巨額のカネ→より巨額のカネ という何も生み出さないマネーゲームを経済の主流に変えていった。
そこにはカネの循環はなく、持たざる者から吸い上げて、持てるものに集中する一方通行の流れである。
その結果として、企業においては内部留保が積み上がり、家計においては超富裕層の貯蓄がふくれあがっていった。

いわゆる外資という形の巨額の資本がアジアへの本格侵略を開始したのは1997年のアジア通貨危機である。
資本家はリスクを取って投資をして、最終的に利益を手にする。利益は資本家と労働者に分配され、消費が拡大する。資本家の利益は再投資され・・・(以下続く) という資本主義の循環は激減していった。
利益は労働者には分配されず消費は冷え込み、再投資もされずにひたすら溜め込まれた。それがこの23年間である。

企業部門において溜め込まれた黒字を、どっかから必ず補填しなければならない。
それが財政赤字である。
別の言い方をすれば、企業が投資や賃金や税金という形で回さなければならないカネを回さなかったので、その分を財政赤字で補填せざるを得なかったのである。

いくら社会保障費が増えようが、お金が回ってそれが結果として税収になっていれば、大赤字にはならないのである。

このあたりの解釈は、MMTの説明がまったく正しい、と私も思う。
反MMTの説明は、べき論だったり、漠然とした「不安」だったりして、およそ現実を踏まえていない。

ただ、ここから先は、MMTの主張に注意が必要だと思っている。
つまり、「企業が黒字だから、政府は赤字でいいんだ。気にする必要はない。」という主張についてである。

これは新自由主義の危険性、邪悪さを見過ごしているのではないだろうか。
なるほど、財政赤字=信用不安ではないということは、現実が示している。
しかし、「せっせと国債発行して手に入れた資金を、どんどん大資本に吸い上げられている」という現実に、目をつぶることになりはしないか。

「赤字国債を発行して積極財政」には賛同するけれども、そこには新自由主義に自動吸引されない仕組みが必要だ。
財政投資は、生産への投資と消費にまわる所得に分配されることが保証されなければならない。
そのための予算編成や税制、資金の規正なしに投入する資金は、家計や企業を素通りして大資本と超富裕層に吸い上げられてしまうことになる。



もう一点、これは著書の方の第9章「民主主義はインフレを抑制できるのか」について。
特に戦前の「高橋是清の高橋財政による国債の日銀引き受けが軍事費の無制限な調達手段となりハイパーインフレに帰結した」という井出英策氏らのMMT批判に対しての、原口氏の反論の部分だ。

原口氏は、高橋財政が軍事費拡大を招いたのではなく、5.15事件で犬養首相が殺され、2.26事件で高橋是清が殺されてしまったことで歯止めがきかなくなったという事実を指摘します。
原口氏の言葉を引用すると
「日本に第二次世界大戦による悲劇をもたらしたのは財政ファイナンスでもなければ高橋財政でもなく、軍に対して民主的な統制が及ばないという当時の政治制度上の欠陥であったという構図です。つまり、第二次世界大戦後のハイパーインフレをもたらしたのは健全な民主主義の不在である- これこそが、新の歴史的教訓ではないでしょうか。」

このこと自体に異論はない。
しかし、この言葉の前提にあるのは「今の日本は、戦前と違って民主主義である」という、政治への信頼である。
私には、そのような信頼は欠片もない。

3月の下記の記事でも書いたとおり、今の日本に民主主義などほぼない。

経団連が考える恐るべき日本の近未来(2) 独裁国家2.0の作り方

1300万人の投資家と、600万人のカルト集団という右足を軸として、すぐに裏切る万年野党という左足が支える「民主主義」政体。
こんな日本に、無尽蔵の国費を扱わせて大丈夫なのか???

MMTが言うような 一定のインフレ率までは国債をいくら発行しても、通貨をどんだけ刷ってもまったく問題なし、は、日本の民主主義が最低限度、必要に応じて政権交代できる程度までは機能することが前提だろう。
それまでは、積極財政を進めながらも、通貨発行とその使途には厳格なたがをはめて、監視をする必要がある。

以上、二つの点について、島倉氏の主張を理解できるからこそ、強く留保したいと考える。



2021-08-06(Fri)

核兵器禁止条約は政権交代したら批准できるのか

 「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文をみる度に、日本という国の情けなさを思い知らされる。 なんで、原爆を落とされた被害者が 「くりかえしません」と謝らなくちゃならないのか??
日本の侵略戦争が残虐であったことは事実であっても、原爆を落とされ一般市民が大量虐殺された事実も消えることはない。
この碑文は、スミソニアン博物館やアメリカ空軍博物館の前にこそ書かれるべきだ。

広島市のホームページにも、そういう主旨のQ&Aが掲載されている。

Q:「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文は、被害者である日本が「過ち」を犯したかのような文言となっており、改めるべきではないか。

A:原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています。
本市としては碑文の修正は全く考えておりません。(一部抜粋)


このアンサーの何が間違っているか。
「全世界の人々でなくてはならない」=「いまだ全世界の人々は誓っていない」という現実を忘れているからだ。あるいは、意図的に見ぬフリをしているからだ。
米国では今でも原爆は正義の象徴であり、他でもない被爆国の政府が核兵器禁止条約を無視黙殺して批准の議論すらしていないではないか。この現実を見ずに、仮想「世界の人々」の誓いを刻むのは、虚しい行いでしかない。

菅義偉のスピーチは、彼らの本音を奇しくも言い表している。
「核兵器のない、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」
原稿の読み飛ばしらしいけれども、「アメリカに逆らえるわけないでしょ」 という本音を思わず吐露した結果となった。

こんな連中が世界を動かし、日本の支配している以上、原爆死没者慰霊碑の碑文は、
「安らかに眠ってください。過ちはくりかえさせませぬから」でなければならない。



では、政権交代したらせめて核兵器禁止条約の批准はできるのだろうか。
条約なので衆参両院で与野党逆転が必要だが、仮にそれができたとして、批准できるのか。

野党各党はなんと言っているか。
立憲民主党の核兵器禁止条約への公式コメントの結びにはこう書いてある。

立憲民主党は、非核三原則を堅持し、今後とも先人の努力が後退することのないよう、核兵器廃絶を求める世界の人々とともに歩み、NPT体制の維持・強化等、実効的な核軍縮・核廃絶を実現すべく、全力で取り組んで参ります。


この言葉は実は、核兵器禁止条約が成立する前に書かれた立憲民主党の基本政策の文言を並べているだけ。
条約へのコメントについては、どこを見ても、批准すべきとか目指すとかは 一切書いていない。

この立憲の態度は、なんと政府の見解とまったく同じなのだ。外務省のホームページにある「核兵器禁止条約と日本政府の考え」を要約すれば下記の通り。
・条約ができて喜ばしい
・核兵器廃絶の目標は共有する
・でも条約は批准しない
・核軍縮は拡散防止(NPT)が軸だ

本日の枝野氏のコメント
「日本がいずれこれに加わっていくことに向けて、まずはオブザーバー参加を実現するよう、さらに努力をしていかなければならない」
と、まるで他人事のように言っている。自分が近い将来日本の政権を担うという自覚は皆無。「できなさそうなことは言わない」という枝野氏らしい、無気力なコメントだった。

では、立憲より右だと言われている国民民主はどうか。
本日の玉木雄一郎氏のコメントを一部抜粋すると下記の通り

本年1月22日、核兵器禁止条約が発効しました。
(略)
政府に対して、署名、批准が可能となる条件等について国会等で真摯な議論をかさねること、また、第一回締約国会合にオブザーバー参加し、核軍縮の前進のために保有国と非保有国とをつなぐ架け橋としての役割を果たすことを求めます。


枝野氏と五十歩百歩とは言え、「批准が可能となる条件等について国会等で議論」という批准に向けた主体的な姿勢があるだけ、ちょっとマシと言える。

私も本音を言えば、政権交代したから即批准できる、とは思っていない。
小沢一郎氏が2009年2月に「軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ」 と不用意に発言したことが、その後の陸山会弾圧から民主党政権の惨めな瓦解へとつながっていったことを思い起こせば、属国日本の屈辱的な現実を見ないフリをすることは、確かにできない。
何の交渉もなしに、いきなり「核兵器禁止条約を批准します」と言ったら、政権交代したばかりの脆弱な政権など吹き飛ばされるだろう。
その意味では、玉木氏の「批准できる条件を議論すべし」というのは、実践的な話だと思う。
「できなさそうなことは言わない」よりは、ずっといい。

共産、社民、れいわ はちゃんと調べてないけれども、さすがに批准すべし、だろう。
ただし、この条約を批准することは、場合によったら日米安保の破棄に匹敵するくらいオオゴトだ、という自覚はもって口にするべきだ。
万年野党の習性で、「正しいことを言うだけ」で終わらせてしまってはいけない。

核兵器禁止条約
仮に日本が困難を乗り越えて批准したとしても、肝心の核保有国は絶対に加盟しないと言う意味では、どれほどの実効力があるのか疑問ではある。
しかし、核保有が「罪」である、ということを世界中の人に突きつけるという効力があることはたしかだ。
そのためには、被爆国日本の加盟は特別な意味を持つし、絶対に必要だと言える。

■お知らせ

来場参加は満席です。WEB参加をお願いします。

大石あきこ総決起集会
日 時:2021年8月7日 17:00~19:00
場 所:アットビジネスセンター新大阪905号室
参加費:WEB参加 3000円
ゲスト:れいわ新選組代表 山本太郎


秋までに必ずある衆議院選挙は、ひとびとが政治を取り戻す巨大な政治決戦です。
もう一回りの支援の拡大と、選挙本番の体制づくりのため、決起集会を行います。
参加費をいただくのは恐縮ですが、勝ち抜くための資金として、ご協力をお願いします。
当日は、れいわ新選組代表・山本太郎と大石あきこが、衆議院選挙マニフェストを説明し、みなさまのご意見を伺います。

主 催:れいわ新選組衆議院大阪府第5区総支部
(政治資金規正法第8条の2に基づく政治資金パーティです)

申込方法 → こちらをクリック
 大石あきこのHPにリンクします。カード払いのみです。

画像_2021-07-30_161358

2021-07-30(Fri)

五輪とコロナで延命を謀(はか)る菅政権 8月解散の可能性も

 まず有権者のみなさまにお伝えしたいのは、菅政権のコロナ対策があまりにもアホなのは、彼らがアホだからではないということです。
つまり、意図的に、わざと、狙いすましてアホな対策をやっている。

コロナ激発させて、政治活動も抗議活動も言論も直接行動も、すべてコロナを口実に封殺し、国民の目と耳にはこれでもかというほど五輪をつっこんで塞ぎ、麻痺したところで解散総選挙。
何が何だか分からないうちに、与党が辛勝する、という作戦。

20210730-3.jpg

これは、NHKのホームページにあるグラフを並べたもの。感染者が急増しているのに、PCR検査はむしろ減っている。
感染者数を低くするために、検査を抑制しているとしか思えない。実際の感染者数は、もっとずっと多いはずだ。

コロナ流行の当初から、徹底検査ー完全隔離(補償)しかない、と多くの人が言い続けてきたのに、安倍も菅もPCR大嫌い専門家を雇い続けて、意図的にコロナを長引かせてきた。
オリンピック開催を決めるための5月だけは検査も増やしてある程度押さえ込みをしましたが、始まってしまえばこっちのもの とばかりに7月は検査を減らし、インド株の威力とあいまって、コロナパニックを作り出そうとしている。

不気味に感染者数だけが報じられ、でも耳目に飛び込んでくるのは「金メダル~~!」「感動の~~~」「日本スゴイ~~~」という話ばかり。
不安にさいなまれ、生活苦はジワジワと深刻化し、でも目に入るのは日の丸担いで走り回る選手の姿ばかり。

8月8日の五輪閉会式のころには、一気に検査も増やして本当の感染者数を発表し、数万から十数万の数字で大パニックを起こし、パラリンピックは中止になる可能性が高い。
この異様な 感動と恐怖が入り混じったパニックの中で、菅政権が出してくるのはおそらく
「強制力をもった緊急事態宣言」
という禁じ手だろう。
そして、その是非を問うと言って、臨時国会を召集し冒頭で解散、あるいは史上初の閉会中解散をする。

野党は早くても9月解散だと思ってるから、候補者の一本化を含めて対応が間に合わない。
しかも、コロナパニックで政治活動は極端に抑制されており、無風ならば現職が圧倒的に強い。

米大統領選のときのバイデン陣営がやったように、選挙期間中に選挙運動をすることを非難し、すべてコロナ対策を口実にして口を封じる。
枝野を筆頭に、ヘタレ立憲民主の幹部連中はまず抵抗できない。


そんな恐ろしいシナリオが、現実とならないことを祈りたいが、ならないという保証はない。

そうである以上、「ヘタレないやつ」を推すしかない。
最終的な共闘、一本化は絶対に必要だが、安易に現職だとか大きな政党だとかいう理由で統一候補を決めてしまうと、コロナパニック解散をされたときに、まったく闘えなくなる可能性がある。
だから「どんな状況になってもヘタレにはならない。筋を通してやりぬく人間を、統一候補にせよ!」という声を上げることが、真に共闘を願うもののするべきことだ。

ということで、下記のイベントを、皆さんにお知らせしたい。
会場は席数を絞っているので、できるだけWEB参加をお願いします。

大石あきこ総決起集会
日 時:2021年8月7日 17:00~19:00
場 所:アットビジネスセンター新大阪905号室
参加費:現地参加 5000円 WEB参加 3000円
ゲスト:れいわ新選組代表 山本太郎


秋までに必ずある衆議院選挙は、ひとびとが政治を取り戻す巨大な政治決戦です。
もう一回りの支援の拡大と、選挙本番の体制づくりのため、決起集会を行います。
参加費をいただくのは恐縮ですが、勝ち抜くための資金として、ご協力をお願いします。
当日は、れいわ新選組代表・山本太郎と大石あきこが、衆議院選挙マニフェストを説明し、みなさまのご意見を伺います。

主 催:れいわ新選組衆議院大阪府第5区総支部
(政治資金規正法第8条の2に基づく政治資金パーティです)

申込方法 → こちらをクリック
 大石あきこのHPにリンクします。カード払いも可です。

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2021-07-28(Wed)

「戦わない日本」は正しかったのか?

タイトルに反戦を掲げるブログが、いったい何を言ってるのか?と思われるかもしれない。
ついにあいつは極右になってしまったのか、とリベラル諸氏に唾棄されるかもしれないが、やはり言わずにいられない。

「戦わない日本」は正しかったのか?

オリンピック一色のマスコミは、閉幕と同時に今年もアリバイのように戦争関連の番組を流すのだろう。そして、8月限定の「非戦の誓い」を誰もが口にする。
それで1年分の免罪符を手に入れて、残りの11ヶ月を安穏と過ごす。

日本の侵略戦争が極悪であり、二度と繰り返してはいけない ということには、何の異論も無い。
日本が受けた原爆や空爆という無差別殺戮も、決して許してはいけない。
その反省が、日本国憲法に込められているというのも、ウソではないと思う。

しかしそこには、重大な誤魔化しがあるのだ。
戦わない日本は、戦えない日本になった。
戦わない日本は、戦争の責任をとらない日本になった。
戦わない日本は、戦争と戦わない日本になった。
この事実から、誰もが目をそらし、知らないふりをしている。

それとこれとは別問題だろう と言う方にはお聞きしたい。
憲法に1条と9条が共存しているわけを。
護憲派の皆さんは「1条はちょっとモゴモゴ」と口を濁しながら、「9条最高!」と声を上げるが、そのモゴモゴは何なのか、はっきりさせてもらいたい。

1条と9条が共存している憲法など、学生時代に障がい者の同級生を虐待し、それを面白おかしくメディアで語っていた外道が、「ボクちゃん反省したので平和の祭典やっちゃいます、テヘ!」と言ってるようなもんだ。
これまで護憲派の皆さんに忖度してあまり口にしなかったけれども、私は日本国憲法を見ると胸くそが悪くなる。

日本を平穏に武装解除したいマッカーサーと、天皇制を護持したい幣原喜重郎のあうんの呼吸でできたのが日本国憲法だということについては、細部はともかく大枠はほぼ定説になっている。

もちろん、その背景に侵略された国の怒りはもちろん、多くの日本人の反省もあったことは確かだ。
しかし一方で、マッカーサーをして
「天皇を起訴すれば、間違いなく日本人の間に激しい動揺を起こすであろうし、その反響は計り知れないものがある。まず占領軍を大幅に増大することが絶対に必要となってくる。それは最小限10万の軍隊が必要となろうし、その軍隊を無期限に駐屯させなければならないような事態も十分ありうる」(上記記事より引用)
と言わしめるほどの、国体護持=戦争の反省などしていない世論があったということだ。

つまり日本国憲法は、戦争をしない非戦の誓いだけから生まれたのではなく、戦争を反省しない非省の意思も込められているのである。
そのことから目を背け、「憲法バンザイ 大好き!」と言っている時点で、すでに戦争との戦いを放棄しているのだ。

自らの手で、自らの戦争犯罪を裁くことが出来ず、憲法をその身代わりにした日本は、戦争と戦うことを放棄したばかりか、主権そのものを放棄してしまった。
数人のA級戦犯に責任をおしつけ、昭和天皇を筆頭に膨大な戦争犯罪、戦争責任を不問にしてもらうことと引き替えに、自らのことを自ら決める主権を放棄したのだ。
その象徴が在日米軍である。
敗戦直後にマッカーサーが「天皇を起訴すれば10万の軍隊を無期限に駐屯」することになると言っていたが、何のことはない天皇が存続し76年経った今でも、4万の軍隊が事実上無制限の権限をもって無期限に駐留している。そして、そのことにごく少数の人以外は違和感すら感じていない。

安倍晋三が悪行の限りを尽くしても、菅義偉がいかに無能無策を続けても、利権にまみれたオリンピックのためにコロナ激増で医療崩壊を招いても、温和しくお行儀良く言うことを聞く「戦わない日本」の姿は、戦争犯罪を自ら裁くことをせず、その代わりに憲法というまやかしをもらって喜んできたことの帰結だ。
原発が目の前で爆発しても、ほんの数ヶ月で忘れてしまう「戦わない日本」は、原爆を落とされた被害者が「過ちは繰り返しませぬ」と言ってしまう日本の延長線にある。

NETFLIXで、映画とドラマをみた。
映画は「タクシー運転手」。ドラマは「ミスター・サンシャイン」。
いずれも韓国の制作で、前者は1980年の光州事件(蜂起)を、後者は19世紀末から20世紀初頭の抗日義兵がテーマとなっている。

とくに後者についてはネトウヨが反日だと言って叩きまくっているが、抗日義兵の話なのだから反日なのは当たり前だ。バカじゃないか、と思いつつ、没入度200%で見入ってしまった。
光州蜂起については、2007年に作られた「光州5.18」のほうがよりリアルに伝わってきたように記憶するけれども、この作品も普通のオッチャンの目を通して描くことで、心に響く映画になっている。

そもそも朝鮮半島は大国の中国に常に圧迫されながら、なんとか独立を保ってきた歴史がある。中国依存派と独立派の対立は、歴史物語のメインテーマと言ってもいいのかもしれない。
19世紀末、そこに割って入ったのが日本だ。1880年代から干渉を強め、1894年の日清戦争から日本は李氏朝鮮(大韓帝国)を事実上の支配下に置き、王妃を暗殺し、朝鮮軍を解体し、ついに1910年には国をまるごと潰して併合してしまう。いわゆる日韓併合である。

この日本の傍若無人の行いに対して、朝鮮各地で義兵が決起する。あるときは散発的に、あるときは大挙して戦い、いずれも勝利はしなかったけれども、その歴史は世代を超えて受け継がれていく。
1919年の三・一運動から戦時中の抗日独立運動、1960年の四月革命、1980年光州蜂起、1987年民主化闘争と続き、やっと植民地と軍事独裁からの解放を勝ち取った。
義兵の戦いや三・一運動は日本軍に鎮圧され、独立運動は李承晩と金日成という独裁を生み出し、四月革命は朴正煕のクーデターに倒れ、光州蜂起は全斗煥のクーデターで新たな独裁に終わってしまった。それでも諦めずに戦いを受け継いだ結果だ。

今の韓国の政体がすばらしいということではなく、日本人が戦争責任をとらず、主権を放棄したかわりに棚ぼたで手にした形ばかりの「民主主義」を獲得するために、韓国ではこれだけの戦いを経てきたということを言いたいのだ。
そして、どちらかと言えばこれが世界史の「普通」なのである。

憲法1条と同じように、護憲派やリベラル諸氏が口を濁すのが「独立」だ。
「対米従属はアカン」とか「日米安保粉砕」とかは言うのに、なぜか「日本独立」になると、それはモゴモゴといたって歯切れが悪い。

独立について書き始めると長いので、今日は簡潔に書くけれども、要するに「日本独立」は極右のスローガンだと思っているのだろう。
しかし、実質植民地にされていることは、政治に関わっている人たちは、とくに安保粉砕などと口にする人は、皆よ~く知っている。だったら、独立闘争しかないではないか。
植民地に内実のある民主主義など成立しっこない。独立して、自分たちのことは自分たちで決める、と国民が腹をくくってはじめて、民主主義は機能する。
なんとなく極右に間違われるから なんていう情けない理由で、本質から目をそらせてはいけない。

私が、自由党を支援したのも、いろいろ言いながらもれいわ新選組の近くでウロウロしているのも、一番大きな理由はじつはここにある。
小沢一郎さんの言うところの「自立と共生」は、私の解釈では「独立と民主主義」だ。
「戦わない日本」を手に入れるために、主権を放棄して戦争とも「戦わない日本」になってしまった戦後日本の姿を、ラディカルに揺さぶり目を覚ます可能性が、まだきっとあると信じたい。

2021-07-12(Mon)

植民地日本とMMT

 わかったようでわからないMMT。現代貨幣理論。 ぶっとい本を読むのは骨が折れるし、かといってチョコチョコッと演説やら聞いても、なんだか頭が整理されない。
 そんな梅雨空の脳にちょうど良い記事を見付けた。

MMTが日本に「公益民主主義」をもたらす理由
「租税国家論」に代わる「新たな物語」が必要だ 
島倉原 東洋経済 2019/10/17


20210712-1.jpg 筆者はあのぶっとい本の監訳者で、簡潔にMMTについてまとめている。
見出しを並べると、

MMTとは何か
MMTはどのような貨幣観を持っているのか
租税が貨幣を動かす
主権通貨国の政府に財政破綻のリスクはない
税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない
必要なのは「公益民主主義の物語」か
必要なのは「正しい貨幣観」に基づく発想の転換

チョコチョコと聞きかじってきたことを、ざっとまとめてもらった感じ。
それと、MMTと反MMTの議論にありがちな、感情的な部分がほとんどなく、とても読みやすかった。

経済や政策を語るときに、論理の部分と理念の部分をあるていど分けて話さないと、その論理はどんだけバイアスかかってるんだろうという色眼鏡で見てしまうことになる。
MMTと反MMTの議論はまさにこれで、どっちも自説の主張よりも敵を否定することの方に熱が入りすぎていて、しかも、「まともに相手にするのもバカらしい」みたいな小馬鹿にした空気が、これもどっちからも発散していて、ほんとに辟易することが多い。

さらにMMTの議論には、作り出した貨幣をどう使うか、でMMT派の中でもものすごく枝が分かれている。
ほとんどファシストみたいなのから山本太郎まで、とてもひとつのMMT派ではくくれない。

だから、MMTのことを知ろうと思ったら、それに同意するにせよしないにせよ、まずはドライに理論として見るべきだと思う。
そういう目で見ると、「税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない」までは、すっと頭に入ってくるし納得もできる。
しかし、最後の2節は、経済理論ではないので、なんだかしっくりこない。

私益最大化の論理に代わる「公益」が必要である。我々は、政府が果たす積極的な役割、および政府による我々の役に立つような貨幣の利用に、焦点を当てなければならない。
と言うのだけれども、公益第一なんてことが、経済理論で実現するわけもなく、なんの根拠もない願望にしか見えない。

MMTの貨幣観に基づいて、民主主義に基づく政府や通貨制度が公益のために果たしうる積極的な役割を認め、それらへのいわば信任投票として税金を理解する
要するに、「公益にもとると判断したら、民主的に政権を交代させて、前政権の決めた税金は払わない」 という意味で、信任投票と言っているだろうか。
しかし、「増税の目的は通貨に対する需要を増やすこと」なのだとも書いてあり、公益性への信任投票とは違うのではないか?

なんだか、最後の2節は、とってつけたようで、どうしても違和感があるし、理解もできない。



つまり、現実の経済を見ると、実はMMTの理論のようになっているじゃないか。主流派経済学のほうが幻影だよ。という部分は、理解できるのだが、ではそのMMTを現実の財政や金融政策に落とし込もうとすると、なんだかウニャウニャしてしまうのだ。

一番のウニャウニャは、何と言っても、インフレになったらお金を刷るのを止める、行きすぎたら増税して冷やす。と言う部分だろう。
だれが、どうやってそれを判断し、的確に梶をきるのだろう?
もし今の政権がMMTの考えで走り始めたら、菅義偉や麻生太郎がその役割を担うのだ。   大丈夫か????

仮に政権交代してとしても、枝野幸男やら立憲幹部の連中に、本当にできるのか???

なんでこれほどに心配するかと言えば、日本の民主主義なんて幻に過ぎないからだ。
一応選挙はあるけれども、地盤とカネとマスコミが圧倒的な力を持っている今の選挙制度で、民意が反映されることはほとんどない。
原発にしても税金にしても、世論と選挙結果が真逆な現実は、ずっと目にしてきたではないか。

20210712-2.jpg しかも、大きな決断は、決して日本だけの判断ではすることができない。1952年以降も、実質的にアメリカの植民地として徹底的に飼い慣らされてきた政界と官界は、ご主人様のご同意を得なければ、主要な政策判断はできない。
不用意に独断すれば、古くは田中角栄から、近くは小沢一郎まで、数多の政治家が徹底的に潰されてきたことも、私たちは知っている。

一国の財政や金融政策は、他国に多大な影響を及ぼす。
「インフレになったから国債をストップして増税しよう」と思った時に、米国から「アカンアカン、国際協調やで。あと半年は金融緩和と積極財政続けなはれ」と言われたら、誰が断れるだろう。
もっとうがって考えれば、積極的に円を暴落させるために、ハゲタカマネーが仕掛けてくることだってあり得る。そういう攻撃に遭ったときに、自立的に防衛する力と根性が、この国の政界官界にあるだろうか?

MMTが現実の政策に落とし込もうとすると、どうしてもウニャウニャしてしまうのは、信頼できる民主主義とセットじゃないと、制御不能になるリスクがあるからだ。と私は思っている。
民主主義というのは、ひとつは、植民地状態を脱して、この国の主権者の意思で動く国という意味と、もう一つは、その主権者の意思が的確に選挙結果に表れる選挙制度という意味の 二つの意味がある。

どちらも夢でしかない今の日本で、本当にMMTやって大丈夫なのか??
この疑問や不安は、もっともだ。私も同感。

MMTを主張するためには、MMTで日本経済を、日本の国民生活を救うためには、それとセットで最低限の民主主義を実現すること。対米従属に染まりきった政界と官界を一掃し、地盤とカネがなくても国会議員になることができる制度を作ることが必須条件だ。



ただし、MMT全般を適用するのは危険だとしても、それは積極財政を否定するものではない。

日本1人負けの長期不況のあげくコロナ恐慌に陥っている今、減税と直接給付を軸にして、庶民の生活需要から経済を復活させていくことは、まったく正しいと思っている。
MMTという大長刀と、当面の政策を同一視するのは間違いで、いくらMMTが嫌いでも、当面の積極財政に反対する理由にはならない。
仮に政権交代できずに当面は自公政権が続いたとしても、やらないよりは少しでもやったほうがいい。

むしろ心配なのは、政権交代したあげくに立憲・枝野が緊縮財政に吸い寄せられていくことだ。
彼らは本気で財政破綻にビビっている。というか、財政破綻の脅しにビビっている。もっと正確に言うと、財政破綻の責任を問われるという幻影に怯えている。
だから、ようやく公約に「消費税5%への時限的減税を”目指す”」とか何とか書くらしいが、イザとなったら財務省に恫喝されて「いやあ、目指してただけなんで、へへへ」と言って引っ込めそうな気がしてならない。

一度ならずも二度までも、というか、一度あることは二度ある というか、とにかく、10年前と同じことをやらかした日には、もう今度こそ日本の野党は壊滅する。
自公と維新と都民ファみたいなのだけで、この国の政策は決められていく・・・・・・
日本中が大阪化する。。。。。 恐ろしい。。。。。。。。。。。。。。。。

枝野のビビり(本人はリアリストと言ってるが)が、日本国民に引導を渡すことになるかもしれない。20210712-3
これが、私の今の一番の心配である。
「枝野 降りろ」の国民運動が必要なのじゃないか と真剣に思っている。

さすがに枝野打倒!とまでは言わないが、「お疲れさま、もう代表辞めて隠居して下さい」 と言いたい。

枝野幸男という漬け物石が取り除かれれば、立憲の中の風通しは一気に良くなって、小粒かも知れないが人材を活かすことができるだろう。
また、そうなれば山本太郎も突っ張り続ける意味がなくなり、話し合いによる共闘路線を取ることができる。(しなければならない)

どんなに遅くても、あと3ヶ月以内に衆議院の解散総選挙がある。
チキンレースも必要かもしれないが、もはや向き合うべきは国民だ。
顔の向きを変えなくてはならない。

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2021-06-18(Fri)

「指示が通らない」という言葉

ある認知症グループホームのケアマネージャーから話を聞く機会があった。
だれもが耳にしたことのある大手が経営する施設である。

そのベテランのケアマネは、認知症患者の状態を説明するのに、「指示が通らない」と言うのである。

おそらく、業界用語で何の気なしに普通に使っているのだろう。
しかし、聞いているこちらは背筋がヒヤッとする思いだ。
ボタンを押したり、プログラムを走らせたりするのと、同じ扱いなんだなあ と。

言ったたことが理解できていない様子 とか お願いしたことが伝わらない ならわかる。
「通る」というのは、電線の上の話だろう。
しかも、「指示」、コマンドなんだ。。。

なるほど、認知症グループホームというのは、特養を増やかわりに、予算をけちって作った制度だから、現場が大変なのはわかる。
この国の福祉の貧しさが、現場にしわ寄せされているのは、容易に想像はできる。
福祉に金をドカンと使って、介護職の給料を5割くらいアップさせれば、現場の介護職はもっと時間も心も余裕をもつことができるだろう。
本当に悪いのは、それをやらない、この国のドケチ政治だ。

しかしそれでも、「指示が通らない」という目で見られている認知症の老人が、どんな扱いを受けているのか、どうにも心配でならない。


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2021-06-09(Wed)

コロナ禍で新自由主義は終焉などしない。むしろ変異し増殖している。コロナのように。

コロナ感染が始まったかなり早い段階から、一部のリベラルが「コロナ禍で新自由主義は終焉する」とか「グローバリズムは終わる」みたいなことを言っていた。
これは最近の記事だが、例えば立憲民主党のSDGsワーキングチーム座長なる議員は、こんなことを言っている。

「菅政権が『最後の新自由主義政権』になる」
オルタナ 2021年6月9日


「日本でも新自由主義はすでにリーマンショック後に終わったと認識していますが、なかなか議論されませんでした。安倍政権が大学教育の無償化など、リベラルな政策をとっていたこともあります。その後、新型コロナ禍で感染者が増え、所得格差が拡大したことで新自由主義が終わったことが可視化されたのです」
(引用以上)

中途半端なリベラルにありがちな、「敵なんていない」世界観である。
「この世に不正や間違いはあるけれども、敵なんていない」という世界観、価値観をもっているから、このようなお花畑な発言が出てくる。
「富と権力を独占し、有効に行使するために、常に作戦を考えている敵」がいると思えば、リーマンショックで新自由主義が終わったなどと、言えるはずがない。

これまでも何回も書いてきたけれども、新自由主義というのは、単に経済に政治や国家が口を出さず、市場原理に任せっきりにする ということではない。
本当の新自由主義は、「超巨大金融資本が、いかにその資本を増殖させるか」ということに尽きる。
その目的のために、これまでは市場原理主義を取ってきたに過ぎない。
情勢が変われば、同じ目的のために違う手段をとることは言うまでもない。
そして、それもまた、変異し、より感染力を増した新自由主義なのだ。

実際、リーマンショック後に起きたことはなんだったか。
あれほど市場原理主義をふりまわし、国は手を出すなと言っていたにもかかわらず、いざ自分たちが危機に見舞われた途端、「巨額の公的資金(税金)で自分たちを救済しろ」と言い、オバマたちは数百兆円に相当する税金を投じて巨大金融資本を救済した。

これをもって、新自由主義の終焉などと言うのは、ちゃんちゃらおかしい。
こうした、恥も外聞も無く、どのような手段を使っても、自らの増殖をやめない巨大金融資本の姿が、これほどはっきりと見えたときはない。
「これぞ新自由主義だ」というおぞましい場面を目の当たりにして、「やったー終焉だ」と喜ぶ人の気が知れない。
従来型のコロナが変異種にとって変わられたことを見て、「やったーコロナは終わった」と喜ぶようなものだ。



たしかに、リーマンショックを契機に、新自由主義は変異を始めていた。
市場原理主義から、国家資本主義的な姿に変貌しつつあった。
ただし、主体は国家ではなく資本のほうである。
巨大資本に完全に乗っ取られた国家。
国家権力を全面的に利用して、資本の増殖を加速していこうとする形態。

オバマのアメリカは典型であり、それに対する反発としてトランプの誕生という番狂わせが勃発したが、そのトランプ政権は新自由主義とリベラル左派の連合に敗れた。
EUの各国もその対応を迫られ、イギリスでは国民投票でブレグジットを選択し、新自由主義へ一矢報いた。
(トランプやブレグジットの評価はともかく、新自由主義に対する反発が大きな原動力であったことは間違いない)

日本に対しても、竹中・小泉の旧来型新自由主義がリーマンショックでつまづいた後、新自由主義は国家私物化の波状攻撃をかけてきた。
しかし、思ったほど唯々諾々とはいかなかった。
リーマンショック当時の首相である麻生太郎は、二階と並んで日本国内資本、ドメスティックな利権を代表している。国民のことなどまったく眼中にないが、国内資本が全面的に国際資本に乗っ取られることに対しては、そう簡単にウンとは言わなかったとみられる。
郵政民営化に対しても、麻生太郎は揺れ戻しの発言をして、竹中路線の修正を図っていた。

そんな麻生を切り捨てて、新自由主義陣営は、政権交代という賭けに出た。
2009年に入って、マスコミが急に民主党に好意的になったのは、裏にこうした事情があったのだろうと、私は推測している。
麻生や二階のような、こってこての利権屋よりも、いわば「シガラミのない」民主党のほうが操りやすいはずだ。
新自由主義とリベラルの連合政権という意味では、今のバイデン政権に近いということだ。
問題は小沢一郎だけだから、小沢を排除せよと陸山会弾圧の猛攻撃をかけてきた。

しかし、小沢一郎は屈服せず、案に反して小沢・鳩山政権ができてしまった。
このとき、小沢一郎をもっとも激しく攻撃し、排除し、無力化したのは、他でもない、枝野幸夫、管直人、野田佳彦ら民主党の執行部だった。
彼らは、すでにして新自由主義陣営にからめとられていたことの証左である。
もちろん、今だってそうだ。
彼らが緊縮財政から一歩も抜け出せないのは、大金持ちに有利な、つまり金の価値が上がり続けるデフレを厳命されているからに他ならない。
積極財政、インフレ策をとれば、自分たちも小沢一郎と同じように大弾圧を食らって吹き飛ばされるとわかっているのだ。

小沢を無力化された鳩山内閣はわずか半年余りで脆くも政権を投げ出し、新自由主義に忠誠を誓った管直人に首をすげ替えることができた。
と、そこでまた予想外の事件が起きた。
2011.3.11、東日本大震災である。

そのほとんどの責任は自民党長期政権にあったにもかかわらず、たまたま巡り合わせで政権にあったという意味では、不運ではあったが、それにしても管直人や野田佳彦は、震災と原発事故の責任をまともにとることができず、あろうことか原発の再稼働を強行し、国民の信用を完全に失ってしまった。
管直人も野田佳彦も、オバマの従僕のように何でも言うことをきく「都合のいい首相」だったけれども、もともと国内利権派とは敵対していたところに、リベラルからも敵視され、一般国民の支持も離れた民主党政権は、「やっぱ使い物にならんわ」と引導を渡された。

そこで、「新自由主義の言うことを聞きながら、国内利権派をも押さえ込める人間」が求められた。
白羽の矢は、かつて政権を投げ出した安倍晋三に突き刺さった。

第1次の時も、まったく同じ構図の中で政権を手にした安倍晋三だったが、あのときはリーマンショック前で新自由主義は妥協の余地無く国内利権を排撃しようとした。
その軋轢の中で、おそらくは3億円脱税疑惑をどちらかの陣営からちらつかされ、進退窮まって泣きながら逃亡した。

しかし今回は、新自由主義は変異している。
あまりに根強い国内利権派を、少々時間をかけてでもねじ伏せて、国際金融資本の好きなように政策を決められる日本を作る、という戦略目標をたてて、長い目で安倍晋三を立てた。
安倍も、それを自覚して、うまく両方の顔を立てながら、綱渡りを続けていった。

人事でも麻生や二階などの国内利権派と、甘利や菅義偉などの新自由主義派を共存させ、政策的にも積極財政とデフレを共存させた。
もとより、国民のことなど初めから考えていないので、こうした無理な共存政策は、一部の大金持ちだけを極端に優遇する政策となり、国民生活は悪化を続けた。
そのトドメとなるはずだったのが、2019年末の消費税増税だったのだが、そのダメージすら見えなくなってしまう大混乱が生じた。
コロナである。

2020年のGDPは、なんとマイナス5%。
リーマンショック級のマイナスだが、マネーが止まっただけではなくて実質の経済活動が毀損しているので、影響ははるかに深刻だ。
逆に、巨大金融資本はほとんど傷ついていない。
この状況で、行き場を失ったマネーは何を考えるだろうか。
ド定番は、大きく価値を毀損した(つまりバーゲンセールの)優良資産を買い漁る。

コロナで不振になった優良企業、優良不動産、貴重な技術、優秀な人材 などなど。
そのためには、コロナ恐慌を劇的に深刻化させる必要がある。
休業補償をしない、感染対策はいい加減に、財政支出も緊縮、消費税減税は問題外。

一方で、そうした強引な買い漁りをやりやすくするためにも、国の強制権を強くする必要がある。
改憲して非常事態条項を作るのは時間がかかるから、コロナの恐怖を煽って特措法的な対応でやってしまえ。

安倍晋三は、その意味でも中途半端だった。
企業への持続化給付金や一人10万円の給付は行った一方で、改憲を声高に叫んでみたりした。
千載一遇のチャンスに沸き立つ新自由主義からすれば、イライラすることだったろう。
で、サクラを見る会である。
マスコミが自主的に、安倍晋三をあそこまで追い込むとは考えられない。
また、森友や加計で平然としていた安倍晋三が、サクラ程度で退陣したのは、新自由主義サイドから引導を渡されたのだろう。



そんなこんなで、新自由主義はまったく終焉していないどころか、繰り返し波状攻撃をかけてきている。
それに対して、リベラルはむしろ協調的に対応し、ズブズブの国内利権派がしぶとく対立しているというのが、これまでの構図だ。

20210609-1.jpg菅政権も、まさにそうした過程で生まれたといえる。
竹中平蔵と師弟の絆で結ばれ、新自由主義の思想が強い菅義偉を、二階と麻生が真っ先に担いでしまったのだから、これはかなり離れ業だった。
菅義偉もまた、新自由主義=巨大国際金融資本と、国内利権との板挟みになる運命を負わされたのである。

しかし、菅のやりかたを見ていると、あきらかに新自由主義のほうに寄っているようだ。
権力基盤である二階や麻生には逆らえないものの、二階と麻生の乖離を図ったり、得意の首相官邸のゲシュタポ(内閣調査室)を駆使して、思い通りにやれる方向に進もうともがいている。

安倍時代よりも、補償や給付金は出さないし、補正予算も組まない。
一方で、オリンピックにだけ極端に力を入れ、感染対策はいい加減の極み。
菅の狙いは、ワクチンが行き渡る前の秋に感染爆発させて国内にショック状態を作り、一種の戒厳令の中で総選挙を行って辛勝し、中小企業はバタバタと倒産させ、私有財産や個人の自由を一方的に制限できるように特措法を成立させる。

オリンピックを強行すれば、パラリンピックの最中に感染拡大が明らかになるだろうから、パラ閉会後の9月6日に緊急事態宣言と衆議院解散を同時に宣言するのではないか。

「8月東京で再宣言の恐れ」 ワクチン接種進んでも、と専門家
共同通信社 2021/06/09


緊急事態宣言下で、地盤看板の弱い野党の選挙活動を制限し、固定票で辛勝するというシナリオではないか。
JCなどに「選挙運動自粛警察」を組織させ、野党の活動を妨害する、などということもやりかねない。

このように、コロナを利用し、一国の首相を使嗾して(パシリにして)、自らの資本の増殖を図るのが、「新」新自由主義だ。
ゆめ侮るなかれ。

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2021-06-01(Tue)

SDGs の本質は「百姓は生かさぬよう殺さぬよう」

新型コロナを契機として、新自由主義が変貌している。

グレートリセットとか、SDGsとか、ステークホルダー資本主義」とか、変なことを言い出している。
それどころか、「新自由主義の終焉」なんて自ら言ったりしている。
どうなってるんだろう。

ポストコロナ時代に、新自由主義から脱却するべき理由
2020年10月25日 Klaus Schwab 世界経済フォーラム


日本の経団連も、この路線にそのまま乗っかってる。
下の標題の頭についてる「。」は、新自由主義の終わりを意味しているらしい。

。新成長戦略
2020年11月17日 日本経済団体連合会


新自由主義の走狗である竹中平蔵も、ベーシックインカムだとか、一見らしからぬことを抜かしている。

しかし欺されてはいけない。
そもそも新自由主義というのは、企業活動に国家が介入しない、経済活動の自由放任主義で、極端な小さな政府を求めることだ、と理解されていることが多いけれども、ちょっとこれは違うと思っている。
これらの特徴は、あくまで「手段」のひとつであって、新自由主義の目的ではない。

新の付かない自由主義経済は、ザックリ普通の資本主義と考えていい。
では、何が「新」なのかというと、実はぜんぜん自由じゃないということだ。
超巨大資本、スーパー大金持ちにだけ有利なような土俵を作っておいて、その上でだけ「自由放任」にさせるのが「新」自由主義なのである。

だから、リーマンショックのようにその土俵が崩れかけると、これまで「小さな政府」とか言っていたその口で、「税金での救済」を命じる。国民生活の救済にはまったく目を向けない政府も、彼らに命じられると湯水のように公金投入する。
これが新自由主義の本当の姿である。

繰り返すが、新自由主義とは、超巨大資本が圧倒的に有利な土俵を、国や国の連合が言いなりになって作り、維持することである。

そこでは、並の資本家は、むしろ搾取される側となり、資本主義のシステムごと、丸ごと搾り取られ貧しくなっていく。
まさに、今の日本はこれだ。
日本国内でも、ホンのひとにぎりのスーパー大金持ちはどんどん儲かっているが、並の金持ちは徐々にすり減らしている。

日本が世界的に見ればまだまだ金持ち国だ、という幻想はもう捨てたほうがいい。
ウッドショックがいい例だ。
建築用の木材が、日本のような貧乏な国には入ってこなくなってしまったため、住宅建築に急ブレーキがかかっている。
単純な話で、アメリカや中国が高く買ってくれるのに、わざわざ日本みたいな安値の国に売る必要がなくなったのだ。



資本主義的な開発の余地が大きなフロンティアが残されている時代は、普通の資本主義が帝国主義国家とタッグを組んでどんどん膨張していくことができた。
しかし、世界中が概ね開発され尽くしてしまうと、資本主義は拡張発展ではなく、すでにあるパイの奪い合いになった。
そこで生まれたのが新自由主義だ。

資本主義は、拡大と再生産が前提だ。そうでないと、ガソリンの切れたエンジンよろしく、命脈が尽きてしまう。
しかし「新」自由主義は、再生産などお構いなし。すでにある財産を、いかに吸い上げるかだけだ。
すでにして巨大にふくれあがった地球上の資産を、ひとにぎりの超巨大資本にどんどん糾合していく過程こそが、新自由主義と言っていい。

そのためには、手段は選ばない。
戦争や恐慌は言うに及ばず、おそらくは疫病でさえ。

しかし、そんな新自由主義の行く末は、地球全体の貧困化であり、さすがの新自由主義も吸い上げる池の水が枯渇してくる。
また、世界の人々は日本人ほど奴隷化されていない人々も多い。反乱が相次いでいけば、これまでのようなやりたい放題はできなくなるかもしれない。

何より新自由主義にとっての誤算は5年前のトランプ大統領誕生だっただろう。
公然とアメリカファーストと言い、新自由主義にしぶとく抵抗するアメリカ大統領が登場するとは思ってもみなかったはずだ。
イギリスのEU脱退、ブレグジットもしかりだ。

大統領選挙や国民投票という場で、明らかな反新自由主義のうねりが見られるようになり、新自由主義陣営も体制の建て直しを図った。
そこで出てきたのが、冒頭に書いたような「変貌」である。



「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」という言葉は、徳川家康が言ったとされているが、実際は家臣の本多正信が本佐録という書物に書いた「「百姓は財の余らぬように不足になきように治むる事、道なり」が元らしい。

まあどっちでも良いのだが、要するにこの言葉のポイントは「生かさぬよう」のほうではなく、「殺さぬよう」あるいは「財の不足なきよう」のほうにある。
経営学の始めに習う「ゴーイングコンサーン」である。
イマドキ流で言うなら「サスティナブル」と言ってもいい。

百姓がみな飢え死にしてしまったり、あまりに頻繁に一揆を起こしたり、逃散して農地を放棄してしまったら、江戸時代の経済は崩壊する。
だから、百姓を「殺さぬよう」、「財の不足なきよう」治めることが、幕府にとっての生続ける絶対条件だったのである。

戦乱で荒れ果てた農地を整えて、幕府の基礎を作ろうとした本多正信が考えたことに、戦争と収奪で枯渇し始めた地球からどうやってより搾り取れるかと考えたスーパー大金持ちも、ようやく少しばかり思い至ったのだろう。

しかし、よくよく気をつけなければならない。
あくまでやろうとしてることは、「超大金持ちが有利になるための、新しい土俵作り」である。
キレイゴトの行間に、汚い企みがみっちり詰まっている。

貧困をなくす・飢餓をゼロに・すべての人に健康と福祉を・質の高い教育をみんなに・ジェンダー平等を実現しよう・安全な水とトイレを世界中に・エネルギーをみんなに そしてクリーンに・働きがいも経済成長も・産業と技術革新の基盤をつくろう・人や国の不平等をなくそう・住み続けられるまちづくりを・つくる責任つかう責任・気候変動に具体的な対策を・海の豊かさを守ろう・陸の豊かさも守ろう・平和と公正をすべての人に・パートナーシップで目標を達成しよう

こんなことがわずか10年で実現できるなどとは、よほど純粋な子どもでもない限り誰も信じていないだろう。
ただ、SDGsとりくんでま~す という免罪符を手に入れられるだけだ。
そして、官民挙げてSDGsの夢を振りまいていて民衆を慰撫している間に、とっとと新しい土俵を作ろうというのだ。



新自由主義が作ろうとしている新しい土俵は、おそらく二つの土台がある。

ひとつは、ガチガチの管理社会だ。
マイナンバーはもちろん、国民とさまざまなリソースを、国家が完全に管理し、必要に応じて統制したり動員できるようにすること。
竹中平蔵がガラにもなくベーシックインカムなどと言っている本音は、この管理体制の構築である。彼は、医療の徴兵的なことも言っている。

そしてもう一つは、ステークホルダーという言い方にもあるように、労働者という存在をなくしてしまおうということだろう。
すべての働く人を自営業者にして、今の雇用関係を、ぜんぶ下請け関係にしてしまうということだ。

低賃金のアルバイト以外は、ある程度稼ごうと思ったら自営業者になって、大企業と下請け契約するしかない。
そんな世の中を、新自由主義は作ろうとしている。

グレートリセットだとか、リモートがどうとか、新しい生活様式がどうとか、なにかコロナでガラッと暮らしが変わるような幻想を振りまいているのは、ここに向けての準備作業に他ならない。

かつて90年代の終わりに、非正規雇用をどっと増やされたときも、フリーターなる言葉が作られて、まるで「自由を手に入れる」かのようなイメージが世の中に蔓延した。でも実体は、「自由に首切れる」という意味のフリーだったのは言うまでもない。

欺されてはいけない。

新自由主義は全く変わっていない。
虎視眈々と、我々を、貧乏人から小金持ちまでをふくめて、がっつり搾取する、方法を準備している。
新しいのは、その搾取する方法だけだ。

SDGsだの、新しい生活様式だの そんなキレイゴトに耳を貸すな。
わずか5万円のベーシックインカムと引き替えに、生活の隅々まで国家に管理され、労働者としての権利をすべて奪われることになる。
コロナ禍を利用して、ヤツらはそれを本気で準備している。


今年の秋までに必ずある衆議院の総選挙は、そんな時代のまっただ中の政権選択選挙だ。
どんなに大きい選挙なのかを考えるほどに、そして野党諸氏にその危機感がない様を見るほどに、身震いを禁じ得ない。


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2021-05-03(Mon)

心の住む家

12年前、リーマンショックの翌年はまったく仕事がなくなり、本気でもう終わりかと思った。自分の設計事務所を立ち上げてまだ4年。残念だけど、まだ諦めもつく時期ではあった。

このときに、廃業の危機を救ってくれたのは、構造計算だった。木造建築の構造計算業務は、その当時はまだやる人が少なく、住宅の木材を加工する会社の御曹司がうちに構造計算の仕事を持ってきてくれた。
彼は一時期、外の工務店に修行に出ており、見習社員のようなことをしていたことがあり、たまたまその頃に知り合っていたのを思い出してくれたらしかった。あれがなければ、確実に明月社はなくなっていたと思う。
ちなみに、彼は今では社長になっている。

その後、何とか設計の仕事もさせてもらえるところまで回復し、2011年の大震災という天災でもあり人災でもある大災害もあったけれども、仕事には意外なほど大きな影響はなく、このままボチボチと仕事していけるかなと思ったころに、消費税の増税があった。
2014年に消費税が8%になると、あにはからんや、ぴたっと仕事が止まった。しかも今度は、どんと落ちてぐっと回復したリーマンショックとは違い、明らかに経済が長期低迷に入った感じをひしひしと感じた。

独立する前からこだわってきた、施主を山に連れて行って、一緒に木を切るところから家造りを始めるという取り組みも、なかなか思うように行かなくなった。
日本の山を守るとか、戦後に大量に植えられて、今では花粉症の元凶として忌み嫌われている杉の木を使ってあげたいとか、そういう思いは、胸の奥にしまい込むしかなかった。

もう一つの変化は、このブログの低迷である。
3.11以前は、気軽にボンボン言いたいことを書いていたのだけれど、現実のあまりの重さに書けなくなってしまった。
書き出すと長く時間もかかり、結果として更新の頻度はどんどん落ち、比例してアクセス数は1/10になり、それまではブログをきっかけに仕事の声をかけてもらうことも少なくなかったのだが、そういう現象はなくなってしまった。

2012年からは、書くだけでは無責任な気がして、現実の政治とも関わり始めた。
後の自由党につながるグループとともに、ちょこちょこと動き出したことで、なおさら書きたい放題ができなくなっていった。

2016年の春ごろには、またしても廃業の危機が迫っていた。
そのとき、また奇跡のように仕事が持ち込まれた。建て売り住宅の設計だった。
建売住宅はやるまい、と思ってきたけれども、もはや背に腹は代えられない。しかも、話を持ってきた担当者はなかなか設計を分かる人間で、安ければ何でも良いという投げやりなものは感じなかったので、請けることにした。
こうして、あれやこれやと色んなことをやり、もちろん、以前よりはかなり少なくなったとは言うものの建て売りではない住み手から直接いただく設計の仕事もさせてもらいながら、どうにかこうにか今日までやってきた。

最近のうちの仕事の構成は、ざっくり5:3:1:1くらいになっている。
住み手からもらう設計の仕事 5:インスペクション(建物検査) 3:構造計算 1:建て売りの設計 1 くらいの感じ。
インスペクションは、建物の検査を専門に請け負っている会社からの業務委託だが、これは勉強になるし結構面白い。
構造計算は、木材会社からの受注ではなく、設計をしている友人知人がときどき依頼してくるもの。
そしてわずかながら、建て売りの設計も思い出した頃に入ってくる。

それでも時々 「オレのミッションは何なのだろう」と考える。
年に数回、ちょっと時間の余裕ができると、ふと考えてしまう。
オレは何のために家をつくるんだろう。と。

独立するときは、まったく何の見通しもなかったのに、なぜか「仕事は来る」という確信めいたものがあった。
なぜだか分からないのだけれども、「オレを待ってる人がいる」という気がしてならなかった。
そして、実際に独立翌年から3年間くらいは、目が回るほどの仕事の依頼をもらった。

あの時は、言葉にできていなかったけれども、自分のミッションを自覚していたような気がする。
それが、時とともに、生き延びるための方便にかき消され、見えなくなっていった。

2005年に私が勤め先を辞めて独立したのは、実は「このままではウツ病で倒れる」と思ったからだ。
なんとか働いてはいたけれども、かなり危機的な状態で、具合が悪いと寝そべったまま動けないときもあった。
ブラック企業ではなかったけれども、「会社という他人の意向に、自分の心をねじ曲げて合わせる」ということが続けられなかった。
自分の心とまっすぐにつながること、仕事はそういうものであってほしかった。

今年の誕生日が来ると、還暦になる。60年も生きてきたような自覚はまったくないのだが、どうやらそういうことらしい。
建築の仕事はひとより10年遅れで始めたのだが、それでももう30年になろうとしている。
そんな時期になって、いや、そんな時期になったからこそ、実に初歩的なミスをやらかし、それをきっかけに、多くのことに気がつくことができた。

建て売りの設計は、通常の設計料の1/4から1/5程度だ。
4割ではない、1/4である。
そこには、心を込める事業主の数字もなければ、心を込める設計者の数字もない。
もし設計者が一方的に心を込めれば、その年のうちに倒産すること間違いなしだ。

こうした仕事を生きるためと思い込んで請けてしまったことが、自らを失わせ、ミスをまねき、なおさら自分をズタズタにしていった。
自分を取り戻し、立て直す最後の機会なのかも知れない。
Re Birth  再誕
還暦にはそういう意味もある。

結局、オレの目的は心をつなぐことであり、ミッションは「心の住む家」をつくること。
これまでも、言葉にできなかったけれども、ずっとそうだったんだということがストンと理解できた。

人が住める、住みやすい、地震にも強い、そんなことは ある意味あたりまえだ。
それだけだったら、オレが家をつくる意味などと、大層な言葉を振り回すようなことではない。
そこに、心が住むことができて初めて、ミッション完了なのである。

心が住むとは、住み手の納得であり、安心であり、しっくりとはまる感覚であり、心が再生していく場であること。
こんな言い方をすると少々新興宗教っぽくなってしまうが、こういうことは、誰にでもある感覚だと思う。
住み手ととことん話し合い、思いをはせ、試行錯誤するなかで、徐々に心の住む家はできてくる。
こうすればできる、というセオリーはない。

たとえば、カフェなどを思い出してほしい。
すごくおしゃれで格好いいなあ、と思っても、しばらく過ごしているとどうも落ち着かない店もある。
どうってことはないのに、いつまでもいられる気持ちのいい店もある。

家は、いろんな家を試すわけにいかないし、モデルハウスには店のオーナーのような心を込める人はいない。
だから、オレの仕事は、住むひとの心の住む場所をつくるために、考えて考えて考え尽くすことなんだと思う。
こういっちゃあ何だけど、それができる設計者は、そう多くはない。

間取りを工夫することも、デザインを整えることも、構造計算のスキルを身につけたことも、日本の山の木にこだわったのも、すべてはそのための手段だ。
手段は大事。それなくして、ものの形は作ることはできない。
でも、目的は、ミッションは、そこじゃない。
心が住む家をつくる。

言ってしまえば当たり前すぎることを、自分の奥底で確認できるまでに、こんなにも時間がかかるとは。
それくらい、深いことなんだろうと思う。

しばらくは色々と多難が続くだろうけれども、ミッションを言葉にして表現できたことで、再誕できる気がしてきた。

ついでに、コロナが終息し、自公政権と大阪維新が一掃され、景気回復が一緒についてくれば、まさに災い転じて福となすだ。
今年から来年にかけて、そんなビッグウェーブがやってくることを、強く心に描こう。

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